Believe it or not. vol.08


仙道は牧の自室へ通されるなり、「うわー……」と目を丸くして小さく叫んだ。大体初めて入った者は似たような驚きをするため、牧は表情には出さなかったが、内心で『やっぱりな』と苦笑する。
「この本棚とこっちの本棚の半分は親父の本なんだ。俺の本はこっちのこの、雑誌部分だけ」
8畳の壁2面が天井まである巨大な本棚にほぼ占領されているのを見て、大概は牧が大層な読書家と思い驚く。そのたびに牧は先ほどの台詞を口にしていた。そして皆、素直になるほどと納得する。
「あ、そうなんすか。なんだ……俺、牧さんのお父さんと趣味合うんすね。てっきり牧さんのだと思って嬉しかったんだけど。残念だな……」
少々落胆したのを隠すように仙道はスタスタと本棚に歩み寄り、本の背表紙を眺めはじめた。

これには牧が驚いて目を見開いた。もちろん仙道に牧の表情は見えていない。「このシリーズの番外編、俺、読んでないんだよな」などと呟いている仙道の隣へ牧は静かに立った。
「……貸してやる」
「え? いや、いいっすよ。お父さんのなんでしょ。今晩は帰ってこないみたいだし、無許可はヤバくないっすか?」
「お前、どの辺の本…作家が好きなんだ?」
仙道の問いに答えず、牧はガラス扉を開けて先ほど仙道が言っていた本を取り出して渡した。仙道は本を受け取りながら首を傾げている。
「どれでも、何冊でも借りていっていい。……嘘を言って悪かった。ここにあるのは、全部俺の本なんだ」
「え? そうなんだ。……聞いてよければだけど…何でそんな嘘を?」
牧は顔が仙道に見られない向きに立つと、恥ずかしそうに呟いた。
「バスケとサーフィンやるからか、俺に読書は似合わないみたいでさ……嘘だろって昔よく言われた。それか、顔に似合った硬そうな本読んでるなとか。それに本は趣味嗜好が表れるものだろ。スカしてるとか硬いとか何だとか。読みもしない奴に知った風に言われて、説明するの面倒になって……ずっと、嘘ついてきたんだ」
仙道はそっと俯いた牧の隣に歩み寄った。
「……俺もあんたに嘘ついたよ。理由は同じ。俺ね、クローゼットの半分が、この本棚にあるのと同じ本で埋められてんの。中学時代、散々言われたんだ。この作者の本を読むなんて似合わないとか、読書自体が似合わないとか。カッコつけるために置いてるんだろともね」
ゆっくりと牧が顔をあげて仙道を改めて見つめてきた。色素の薄い瞳が仙道に続きを促すように細められる。
「陵南高校のスポーツ特待生は寮住まいなんだ。部屋狭いから隠す場所もないんで大半は泣く泣く処分して、少しだけ実家に残しておいたんだけど。大学に入ってあのアパートに移ったらさ、クローゼットがでかくてね。隠せちゃうから、結局また読みたくて買い戻したり、シリーズの続き買っちまって、もう狭くなるは万年金欠になるわで大変っすよ」
おどけるように笑った仙道に牧は柔らかな笑みを浮かべて頷いた。
「今度、お前のクローゼットの中、見せてくれ」
「もちろん。牧さんになら下着が入ってる引き出しまでお見せしますよ」
バチンとウィンクをされて牧は「そっちはいらねぇよ、バーカ」と嬉しそうに笑った。

あとは火にかけたり、茹でるだけというとこまで準備されていた夕食は、とても手早く食卓テーブルに広げられた。チキングラタン、ツナとキャベツのペペロンチーノ、コーンポタージュスープ、グリーンサラダ。
仙道は目を輝かせて湯気があがる品々に感嘆の吐息をついた。
「牧さん、今すぐ俺の嫁になりませんか?」
向かいの椅子に牧が座るなり、仙道は真顔で言った。
「面白くない冗談だな。しかも食う前に。酷い味かもしれないぞ? さ、あったかいうちに食えよ」
「いただきます!」
「はい。いただきます。…ん? 何だよ?」
グラタンにフォークを刺したまま仙道はニコリと微笑んだ。
「ううん。『はい』ってのが可愛いくて」
「作った人がうちでは返事がわりに言うんだよ。一々煩いって、お前」
憮然とした牧にすんませんと笑顔で返してから仙道はグラタンを口にした。熱いらしくてハヒハヒと空気を吐きながら顔で『美味しい』と表現して牧を笑わせた。

どれもこれも、あまりに手放しで褒められ過ぎてしまい、とうとう牧はお手上げとばかりにガリガリと頭をかいた。
「あー。母親に黙っとけって言われたけど、やっぱりばらす」
「やっぱりな〜。こんだけ美味しいもん、作ったのは全部お母さんなんでしょ」
「違う。全部俺が作ったけど。グラタンはハウス、パスタはキューピー、ポタージュはクノール。俺は市販の物を使わないと作れないんだ。ポタージュは袋に書いてある分量の牛乳を混ぜただけ。パスタは炒めた具を茹でたパスタに乗せてソースをからめただけ。グラタンはマカロニ以外は玉ネギと鶏しか具が入ってないだろ。箱に書いてある説明書通りにしか作れないだよ俺は」
「十分じゃないですか。立派に作れてるもん。何で? 料理って普通そうやって作るもんじゃないんすか?」
「俺もよく知らんが、料理ってのは、小麦粉やバターとか何かそういうのを自分で準備してホワイトソースを作ったりすることを言うんだろ。俺のは市販の粉に指定分量の牛乳入れてるだけなんだぞ。具や味を自分で足してアレンジも出来ないんだ」
仙道はきょとんとしてからニコニコという形容がはまる笑みを浮かべた。
「牧さんの理論だと、カレーのルーを香辛料から作るのしか、カレーを作ったって言えないことになっちゃわない? そんな主婦、滅多にいないと思うよ」
グッと牧が返事につまったところで仙道はスープ皿を持ち、「おかわりもらいまーす」と立ち上がろうとした。慌てて牧が皿を奪い取る。
「よそってやるから、食べてろよ。今日はお前が客なんだから」
「うん。あー、ホント俺、今すぐ牧さんをお嫁さんとしてさらいたいな〜。お嫁がイヤならお婿でもいいんだけど」
食事中何度も同じことを言う仙道にあきれ、とうとう牧は真面目に男同士で何を言ってると返すのがバカらしくなった。
「恋人役でも夫役でも、大差ないだろ。そう役柄にこだわらなくてもいいんじゃないのか?」
「……うん。そうだよね」
スープをよそいながら牧は思わずちらりと首だけ振り返った。それほど淋しそうな仙道の言い方に驚いたからだ。レタスを口にくわえてもそもそと俯きながら食べる様子が、叱られた犬のように淋しげだ。
「そんな顔するなよ……。役柄、夫に変更してもいいぞ、俺は別に」
仙道は「ども」とスープを受け取ると、向かいに座った牧へニコッと笑んだ。
「変更いらねっす。ね、このドレッシングはどこの? 俺も買いたいんで教えて下さい」
「あぁ、それは」
教えながら、牧は仙道の望む返答をしたつもりだったのに、いつも通りなようでいて、どこか淋しさが残る仙道が気にかかって仕方なかった。

食後、仙道が「一飯のお礼に、今度は俺に洗わせて」と、以前牧が使った言葉でいうため、仙道にまかせた。
「あれ? あんなに色々作ってくれてんのに、洗い物少なくね?」
キッチンでの仙道の呟きが聞こえたが、牧は黙したままリビングのソファに腰かけた。水音を聞きながら牧は肩を少し揉んだ。
牧は仙道が来る二時間前から食事の用意をしていた。四品を手際よく平行して短時間に作るなんて芸当は出来ないからだ。パスタを茹でる以外は、全て暖めればいい状態まで仕上げておいた。そこで母親が、そこまでの汚れ物を洗っておいてくれたから、今は洗い物がそれほどないのだ。
慣れない食事の支度に疲れてソファに横たわる息子へ母は『何をそんなに頑張って格好つけようとするのよ。いつもみたいに一品だけ作れば良かったじゃないの』と笑った。『よく食う奴だからさ』とその場は返したことを思い返す。
手際よく自分の目の前で調理した仙道に、いちいち説明書をみながら作る姿を見せるのが悔しいというのもある。
「あ〜どれもこれも、ホント美味かった〜俺は幸せ者だなぁ。腹はちきれそうだよ〜」
キッチンからは水音に混ざって、嬉しそうな仙道の声が小さく聞こえてくる。今日だけで何度聞いたか分からない台詞。
牧は目を閉じて微笑むと、素直に認めた。一番の理由─── 自分は仙道を驚かせて、そして喜ばせたかったからなのだと。

食後は仙道の希望で、牧の本棚の前に座って、ただ話をした。お互いが好きな作家や作品、絶版本や文庫おちになった作品について語り合う。あまりに話がのって、二人は喋りすぎて咽が渇くと笑った。
二本目の1リットルのペットボトルを開けながら牧はベッドヘッド上にある目覚まし時計に視線をやった。
「……遅くなっちまったな。車出すから送ってやるよ」
視線を仙道にやると、案の定、落胆を押し隠そうとして失敗した作り笑いの表情をしていた。親が出かけていないから、泊まって夜通し話せるつもりでいただろう。
「宿泊の用意もしてきてないし、明日は月曜だもんな。今日はとりあえずその本貸してやる。次の時にこっちの全部貸してやるよ」
言い訳のような自分の台詞だけが、やけに室内に響く気がする。男だから宿泊の用意もなにもないだろうと、自分でも思うが、それでも言ってしまった。もっと早くに帰宅を促せば良かった。遅くなったから余計な期待を増やしてしまったと思うと、楽しくて時間を忘れたことを後悔してしまう。
牧は「明日は朝一で俺、講義入ってんだよ。その教授がさ、遅刻に厳しいんだ」などと、また余計な台詞を続けながら立ち上がる。仙道は「そりゃキツイっすね」と軽く笑いながら続いて立ち上がった。
「送ってもらえるのありがたいっす。じゃ、これとこれ、借りてきますね」
「おう。さっきも言ったが、借りたいのは全部貸してやるから」
「うん。ちょっとずつ貸してもらうね。沢山借りてもあんま読む時間とれないから、返すの遅くなっちまうし。隠しとく場所もないし?」
「隠さなきゃならんなんて、まるでヤバイ本みたいだよな」
肩をすくめて牧が軽口を叩くと、
「拳銃の密輸に、国際諜報戦。こっちは原発襲撃プランだっけ? 十分ヤバいよ?」
「確かに」
笑い合って階段を降りる。牧は仙道が泊まりたいとゴネるとは全く思っていなかった。決して牧が本気で困るようなことをゴリ押ししてくる男ではないと知っているから。心配だったのは、寂しげな仙道の顔を長く見てしまっては、やっぱり泊まっていけと言い出すだろう自分だった。

車に乗ってからは運転に集中しているふりをして、普通に会話をしながらも、牧は仙道の顔を見ることが出来なかった。








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本棚やCDラックを見ればその人の趣味嗜好がかなり分かりますよね。ちなみに梅園はBLと同人誌は
扉のついた本棚に入れてます。牧のように大っぴらに出しておける立派な一般本とは大違い(爆)


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