三件の店と女子オススメのオーガニックランチの店へ寄った。昼食の時間が遅かったため、車内で食べた菓子で腹が満たされた女子の希望で晩飯はとらずに神奈川へ戻った。
奈美の次に仙道を送って、車内は恵理と牧の二人になっていた。一人ずつ欠けていった車内は音楽だけが変わらない賑やかさでどこか白々しく浮いていく。赤信号で停止した時に、牧は仙道がいなくなった助手席をなんとも形容できない思いで見ていた。
「紳一君、信号青に変わったよ」
「あ、スマン」
後続車がいなくて良かったとバックミラーで確認した時に恵理の顔がちらりと見えた。後部座席でシートに身を沈め、少々面白くなさそうな顔をしている。機嫌が良くないのも無理はない。ダブルデートだとはしゃいだ恵理はきっと、もっと楽しく恋人同士らしい時間を過ごせると思っていたのだろう。それが、自分の恋人は友達の彼氏と遊んでばかり。
そろそろお小言でも言い出しそうだなと思ったら、案の定、恵理が沈んだ声で話し出した。
「なんだか……奈美ちゃんとばっかり遊んで終わっちゃったなぁ〜。本当はもっと奈美ちゃんと彰君を仲良くさせてあげるのが目的だったのに。彰君ったら紳一君にしかあんまり喋らないんだもん」
きっと今バックミラーを覗けば、口先を不満げに尖らせる恵理の顔が映っているだろう。分かっているから前を向いて運転に集中しているふりをして、「ん」と相槌だけをうった。
「紳一君もさぁ〜、もっと協力してくれるかと思ってたのに、一緒になって遊んでるんだもの。しかもメッチャ楽しそうにぃ〜。あんなに楽しそうな紳一君を見たの、恵理、はじめてかもしんなくって……なんか悔しかった」
奈美に仲良く見せるよう振る舞っていれば、当然一緒にいる恵理もそう感じてしまうのは仕方のないことだ。けれど今、恵理に『あれは演技だ』と言ってしまえば、絶対恵理から奈美へと伝わってしまうだろう。将を射んとすればまず馬を。沈黙は金、雄弁は銀。
ことわざを頭に並べて牧は黙していたが、そんな言葉を思い浮かべもしなさそうな恵理は一人で喋り続ける。
「だいたいねぇ〜彰君って何か変よ。確かに黙っていたら紳一君に負けないくらいカッコイイけど。背も紳一君より高いし。まぁ、私のタイプっていうじゃないけどぉ。なんて言うのかなぁ……美形過ぎるだけに、なんかイヤなのよ。それにあからさまに奈美ちゃんのこと無視するし、けっこう失礼なことバンバン言うじゃない? 恵理ね、あの笑顔がクセモノだと思うのよ。優しそうに笑いながら失礼なことを失礼じゃないよーに言うから、ついその場は騙されちゃう。後から気がついてムッカーってきても、もう話題は変わってるから今更で言い出せなくなっちゃってるのも腹たつ〜」
ブッと思わず牧が噴き出した。
「なによ〜、その笑いは〜」
不機嫌丸出しの恵理に牧は笑いを堪え「スマン」と詫びた。ここで正直に『恵理はバカだからなぁ。確かに見事に丸め込まれてたもんな』とは口が裂けても言えない。自分が恵理の好きなところはそういう、バカと素直の紙一重な部分なのだが、こればかりは今、どんなに言葉を尽くして説明してやったとしても怒りを増幅させるだけが関の山。
牧は「お茶、くれ。咽渇いた」と全く別のことを言った。恵理も「うん」と素直に返し、後部座席にまだ残っていた数本のペットボトルから緑茶を取って蓋を開けて手渡してきた。
あと信号二本向こうの道路を右へ曲がれば牧は自宅に着くのだが、恵理を送るため、一本手前の交差点を左へ曲がる。
「あ〜ん、まだなんかモヤモヤする。何で奈美ちゃんったらあんな男が好きなのかな。見かけが良くったって、あんな腹黒そうなの、恵理はキライだな! それにやけに紳一君にベタベタするし! 何あれ、ゲイくさ! 牧さん牧さんって、紳一君に甘えて、キモッ! 紳一君、気付いてないの? 彰君ったら紳一君を見る時だけ、目尻下げちゃってんのよっ。それに〜」
再び漏らされはじめた恵理の苛々した愚痴を牧の静かな声が遮った。
「もし俺が、お前と友達の奈美さんを悪く言ったら、恵理はとても嫌な気分にならないか?」
恵理はビックリして窓の外を見ていた視線を運転席へ向けた。
「……だって……腹立つんだもん……」
「恵理。無駄に女下げるほどお前はバカじゃないだろ?」
静かに訊ねるような牧の声に恵理の焦燥が沈下する。
「………ごめんなさい」
「謝らないでいいよ。すまなかった、ちょっと言い方きつかったな」
後部座席で恵理は「ううん」と首を弱々しく左右に振った。
暫し重い沈黙が車内に満ちる。こういう時に限ってタイミング悪くカーステは悲しげなバラード系の曲を流す。あともう少しで恵理の家に着く。このまま別れれば、後からフォローの電話でも入れなくてはいけなくなるのだろう。
電話は苦手なんだよな……と出そうになった溜息を押しとどめた牧へ、恵理が恥ずかしそうな小声で訊ねてきた。
「紳一君……恵理のこと、キライになった?」
「こんなことぐらいでならないよ」
「だよね〜! あーホッとした! なんかビックリしたんだもん。紳一君、滅多に怒らないのにって」
現金にも返事一つで明るさを取り戻した恵理へ牧が苦笑する。
「怒ってないって」
「うん。恵理ね、紳一君がそんなに彰君と仲良かったんだって知らなかったの。だからつい。ごめんね。そうだよね、昨日も向こうに着く前から機嫌良かったし、楽しそうだったもんね」
もっと前から奈美ちゃんの彼氏が彰君だって、紳一君が分かっていたら四人でもっと沢山遊んでいたのかな、などと続いた恵理の話しは牧の耳に入っていなかった。仲が良い演技をしようと決めたのは昨日の夜だ。それ以前に恵理の目には仙道と楽しそうな俺が映っていたというのか……?
「……恵理。俺、そんなに楽しそうだったか?」
「メッチャ楽しそうだったよ〜。なんか、ヤキモチ焼きたくなるくらい。彰君が男でなかったら、恵理、絶対黙ってなかったわ〜」
ケラケラと明るく笑う恵理の声を上の空で聞く。それでもしっかり安全運転で恵理の住むマンションに着いた。エレベーター乗り口まで荷物を運んでやり、何か挨拶のような会話をしてから車に乗り込んだ。
乗り込みはしても牧は車のエンジンをかけずに、ハンドルに組んだ腕をのせたまま、かなり長いこと来客用駐車場で停車していた。
料理の腕前を奈美さんや寺澤に聞かれたら答えられるように「得意料理をご馳走します」と一度食べに来いと仙道のワンルームアパートへ誘われた。ダブルデートという名目で過ごした二日間から三日経ってのことだった。
別に寺澤達に聞かれた時はでっち上げればいいくらいの、本当にアリバイのようなものを作るまでもない誘いの理由。仙道もそれくらいは分かっていただろうに、そんな理由を真面目な声で必死に誘ってくるのが可愛くもあり、そんな理由でしか俺に電話もしてこれなければ家に誘えもしないのかと思うと、少し淋しくも感じた。だから牧としても軽く誘いに乗ってみせた。
お世辞にも綺麗な焼き具合とは言えない玉子焼きではあったが、釣りが趣味なのは伊達ではないようで、「買ってきた魚だけど」といって手際よく秋刀魚を下ろして出してきた刺身の見た目は格好がついていた。
「秋といえば秋刀魚だよね。焼きも美味いけど鮮度のいい奴が手に入ったら、俺は刺身にすんのも好きなんすよ」
「秋刀魚を刺身で食うのは初めてなんだよな……」
青魚の生は臭みが強い気がして食わず嫌いだった牧は神妙な顔つきで仙道が食べている様子を見ていた。咀嚼し「美味いっすよ」と仙道が言ってから、牧は仙道を真似て薬味の生姜をたっぷりと醤油に混ぜたものをつけてから口に入れた。
「……美味い」
脂ののった秋刀魚は臭みも気にならないどころか、魚の旨みがコックリと舌の上でとろけていくようだ。生姜の香りもまた食欲を刺激し、驚くほど箸がすすんだ。お湯で溶くだけのインスタント味噌汁すら何故か妙に美味く感じた。
炊き立ての白飯が半分ほどに一気に減ってから漸く、何も言わずに食べていた自分に牧は気付き仙道へバツの悪い顔を向けた。
「すまん、美味くてつい刺身ばかり黙々と食っちまった」
「何言ってんすか! その食いっぷり見てれば気に入ってくれたのなんてすぐ伝わりましたよ。じゃんじゃん食って下さい! 足りなかったらまだ冷蔵庫に一匹残ってますから。あ、」
「ん?」
「いえね、玉子焼きは無理して食わないでいいっすよ。かなり焦がしちまったから」
皿に半分以上残ったままの大きな玉子焼きを指差して仙道が笑った。
「あ、いや、これはそういう意味で食ってないわけじゃない。それにほら、焦げを取っちまえば……うん。味はいい」
そっかなぁと照れながら笑った様子が何故かとても牧を優しい気持ちにさせる。自然と牧にも笑みが上り、二人は意味もなく頷き合って食事を再開した。
「そうだ。牧さん、チーカカって知ってます?」
「いや、知らん。魚か?」
「ううん。チーズとカツオブシを混ぜて、ちょっと醤油たらしたやつ。これもあったかい飯に合うんですよ〜、飯にチーズがとけてね。ちっと今、作るから食ってて」
「あ、いいよそんな……」
食事中に席を気軽に外してしまう仙道に牧は驚いてしまった。
呆けている間もなく、あっという間に出されたチーズのオカカ和えに牧は再び驚いた。
「これってカマンベールチーズだろ。何で鰹節と醤油……こんなデタラメありかよ」
「まぁまぁ。俺も初めて教えてもらった時はゲッて思ったけどね。これがいい具合に白飯に合うんすよ。こうして飯の間につっこんで、ちょっととろけさせて……」
美味しそうな顔に牧もひとかけらご飯に押し込んで食べてみた。チーズリゾットとは当然別物だけれど、妙に美味い。白カビ部分がオカカと醤油の和の旨みに何故か柔らかく融合している。中のチーズはとろりと白米にからんで濃厚だ。
「牧さん、白飯おかわり、よそいますよ」
味の濃いそれに、茶碗の中に残り僅かだった飯はすぐに底をついてしまったため、牧は照れくささを隠すようぶっきらぼうに言った。
「飯が終わりかけの時にこういうの出すなよな」
「あはは! そうだよね! 俺もおかわりしよーっと。牧さん食いっぷりいいからさ、俺までつられちまうなー」
牧の「人のせいにすんな」とついた悪態に仙道は楽しげに笑いながら茶碗を二つ手に、台所とは名ばかりの狭い通路にある台所へよそいに行った。
親との食卓であれば、偏った順序で食べては行儀が悪いと叱られている。牧はまんべんなく全てのおかずと白飯を食べていくよう躾されてきた。それをしなくていいどころか、食事を中断して何度も席を外すという行儀が悪い行為すら問題ないとは。仙道との食事は全く行儀とか決まりがなく、一人暮らしの気楽さを牧は改めて知った思いで、一人笑った。
自分が洗うからと恐縮する仙道に「一飯の礼くらいさせろ」と牧は食後、狭い台所で食器を洗っていた。
洗いながらふと考える。一緒に暮らしたら飯は仙道が作って俺が洗い物をする割合が多いのだろうかと。自分は今は実家暮らしなので料理は滅多にしないが、旅行好きな親なので自然と自炊も鍛えられ、ある程度ならば出来る。仙道の都合が悪い時や疲れている時は俺が作ってもいい。そして美味そうに食べる奴の顔に満足するのもなかなかにいい……。
TVの前に座って雑誌をめくっている仙道に洗う手を止めずに声をかける。
「今度、俺が飯作ってやろうか」
仙道が弾かれたように顔をあげる。目が大きく開かれ、期待にキラキラ光っているように見えた。すぐさま五回も力いっぱい頷かれる。
「今度って、いつ!?」
「え。あー、考えてはなかったが」
作れるのかと驚かれるのが先だと思っていたため、即答に困る切り替えしに一瞬躊躇したのがいけなかったようだ。『なんだ社交辞令か』と声にされないまでも仙道の落胆は目に見えるようだった。
「おい、いきなりしょげるな。俺の都合もだがお前の都合だってあるだろが。洗い終わったらカレンダー見ながら決めようぜ」
「うん!」
自分の言うことに一喜一憂する仙道がやけに幼く感じ、手が濡れてさえいなければぐりぐりと頭を撫でてやりたい気分にさせられた。以前、自分にだけはいつでもヘアースタイルを乱されても構わないと言った、その一風変わった髪が崩れるほどに、何度も。
もし仙道と本当の恋人同士になったとしたら。会う理由なんて一々いらなくなる。電話をかける理由も。可愛いと感じたら頭を撫でるというのも我慢する必要もなくなる。
そこまで考えてからやっと、友達という関係だって会う理由はいらないことに気付く。けれどやっぱり頭を撫でたり、抱き寄せる理由にはならないため、答えのないもどかしさに溜息が出てしまった。
その後、牧の「飯を作るのはいいが、自分の家の台所の方がやりやすい」という理由で、今週の日曜仙道を自宅へ誘った。
部活の同期や後輩、他校の部活で知り合った者、そして恵理など、自宅へ人が来るのは珍しい事ではなかったため気軽に招いた。元々、牧は人の家を訪ねるよりも自宅へ来られたり招いたりする方が多かった。
それなのに当日約束の夕刻に現れた仙道は、「牧さんの家にあがれる日が来るなんて……」と特別なことであるかのように、緊張した面持ちに硬い笑みを浮かべながら靴を脱いだ。そんな少し大げさな仙道に牧まで何故か緊張してしまった。おそらく恵理が初めて家に来た時よりも……。
階段を昇って二階の一番奥の部屋が自室だと案内しようとしたところで、一階のリビングから牧の母親が顔を出した。
「こんばんは。お邪魔します」
「こんばんは〜。あら、紳一より大きいのねぇ。あなたもバスケットしてるの?」
笑顔で見上げる母親へ仙道は「はい」と微笑み会釈した。
「こいつは仙道。他校の後輩。あとで台所また借りるから」
「はいはい。さっきから用意してたものね。私とお父さんはこれからちょっと留守にしますけど、どうぞゆっくりしていってね」
短い会話のあと、牧は仙道の腕を軽く引っ張るとすぐに階段へ向かった。
家族にいつも通り『他校の後輩』と簡潔に仙道を紹介した。
……そう紹介したのは自分であるのに、その他人行儀な響きが何故か胸に引っかかって、牧は知らず眉間に深い溝を刻んでいた。
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