Believe it or not. vol.04


風呂から戻って寝室へ足を踏み入れた仙道は牧の姿を見るなりあたふたと目に見えて慌てだした。ベッドに腰かけてミネラルウォーターのペットボトルを呷っていた牧が驚いて立ち上がる。
「どうした、何かあったのか?」
「あ、いえ、何も。つか、牧さん、何、その格好。さっきはTシャツ着てましたよね?」
「俺? あぁ。汗がひかないからTシャツが無駄に濡れるから脱いでたんだ。濡れたTシャツで寝るのは気持ち悪いからな。それがどうしたよ?」
今の牧は薄手のジャージの下を身につけているが、彫像のように整った筋肉をまとっている褐色の上半身を惜しげもなく晒していた。部活などではこんな格好は日常茶飯事であるし、まして上半身裸というのは男にとっては気にする必要も全くない格好なため、牧は何故仙道が首まで赤くして俯いてしまったのかが全く理解できなかった。
訝しげな牧の視線を感じたのか、仙道は顔をあげると無駄な身振り手振りを加えながらしどろもどろに話し出した。
「あ、あの、いや、俺ね、牧さんってもっと、ほら、その、体を大事にする人だと想ってたから。だから、えと、そんな肩とか腹とか丸出しにしてんの、お、驚いちまっただけで」
「あー。よく誤解されるんだよな。必要以上に鍛えてるように見えるからそう思われるみたいで。俺、サーフィンもやってるだろ。だから自然と筋肉ついちまってこうなっただけで、別にそんな神経質に体つくってるわけじゃないんだ。センターと違ってポイントガードにはガチッと重い筋肉よりはしなやかな筋肉の方がスピードや瞬発力で必要となることが多いからな」
「……や、でもその、俺は牧さんの体、綺麗でカッコイイと思います。当たり負けしないしさ、お見事っつか芸術品っつか……俺は、好きです」
なんだよそれと笑う牧へ仙道は背を向けると、少々上ずった声で呟いた。
「でも、そろそろ涼しくなってきたし、着たほうがいいっすよ」
牧は自分の腹部に手をあてると、「ん。そうだな。汗もひいたようだ」とハンガーにかけて干してあるTシャツを取りに立ち上がった。
「お前さぁ、前髪そうやって下ろしてると別人みたいに幼いのな」
「あ、うん。よく言われます」
「前髪上げてる方がお前の整った顔を引き立ててる」
「そんな……。牧さんは下ろした方が……可愛いくて俺は好きです」
「下ろした方がまだ若く見えるって言いたいの、我慢しただろお前」
Tシャツに頭を通しながらのんびり話す牧の背中へ仙道が赤い顔で熱い視線を走らせていたことは、当然ながら牧は気付きもしなかった。

それぞれ自分のベッドへ横たわると、夜の森特有の本当の静寂が室内に満ちた。あまりの静けさに耳の中に音ともいえない不思議な気配を感じる。人と一緒にいながらこれほどの静寂に包まれているというのは、普通は気まずいものだが、牧は不思議と安らぎのようなものすら感じていた。このまま眠ってしまえばどれほど気持ちがいいのだろうか……と、穏やかな静寂の魅力に屈しそうになる目蓋を無理やりしっかりと開いた。隣のベッドに視線をやれば、先ほどは湯上りのせいだったのか首まで赤くしていた仙道はすっかりもとの白い肌(これはあくまで己の褐色の肌と比べて、である)に戻っており、やはり同じように気持ちよさげに横たわっている。その安堵しきっている様子に声をかけるのを一瞬ためらったが、このままでは本当に互いに寝てしまいそうなため口を開いた。
「話、あったんだろ」
牧のひっそりとした促しに首だけをひねり、仙道は漆黒の静かな瞳で見つめてきた。
「……うん。沢山、あんたと話をしてみたかったんだ。ずっと前から」
あまりに柔らかい仙道の囁きが耳に心地よく、牧は自分の声をはさみたくなくて黙って頷いた。仙道がふわりと微笑む。
「でも……今、あんたとこうしていられて、俺、満足しまくっててね、何から話したいか分かんなくなっちまった。だから、なんか、もういいやって思って。牧さん今日は疲れたでしょ。もう寝ていいですよ。今日は沢山ありがとう……ね」
「……今日話しておかなきゃならないっていう急ぎの用件じゃなかったのか?」
「んー……。特別急ぐわけじゃ……。今は、いいです。またいつか、の楽しみにとっときます。それに、」
「?」
「先延ばしにしたら、またこうして牧さんとゆっくり出来る時間を作る約束、取り付ける口実が出来ることになるから」
仙道の淡い微笑にどこか哀切なものを感じた牧は返事をすることも忘れて、ただ仙道をじっと見つめてしまっていた。

静かな中、二人で一緒にいるだけで満足だという欲のない男が無性にいじらしく感じる。バスケを介してしか知らなかったし、それで良かった相手。それが何故たった半日ほど一緒に過ごしただけで、こうも全てを知りたくなるのだろうか。あまり楽そうではない事情を洗いざらい聞きだして、何とかしてやりたいだなんて傲慢なことを考えてしまうのだろうか。
面倒見がいいとよく言われはするが、本当は自分からは率先して深くは立ち入ろうとはしないし、自分の中にも容易くは踏み込ませない。ある意味冷たい男だと牧は己をそう捉えていた。だから彼女という存在にすら深い興味も抱けず、また自分を晒しきることはないのだろうと、少し淋しく感じながらも自分を納得させてきた。
そんな性分なはずの俺が、何故。
「お前が話すことがないなら、俺が訊いてもいいか?」
何故、まだ知人に毛の生えた程度の相手に自ら深く立ち入ろうとしていくのだろうか……。
驚いたのか僅かに目を見開いた仙道の目に映る厚顔な自分を見るのが嫌で、牧は視線を少し逸らした。

面倒ごとだし話しても楽しんでもらえるようなことじゃないからと最初は躊躇していた仙道だったが、牧が「出来れば、お前が今抱えているやっかいごとを詳しく知りたい。俺じゃ役に立たんかもしれんが、立つこともあるかもしれない。まずは聞かせて欲しいんだ」と圧したため、恐縮しながらもポツポツと話し出した。
話し始めれば仙道は寺澤と奈美のことや、それ以前にも何度かあった似たような苦労も合わせて滔々と語った。牧の絶妙ともいえる促しや相槌にのったことも大きいが、本当は誰かに話してしまいたかったのだろう。どうしてもらえるわけでもないからと今まで誰にも話してこなかったことや、事情を知る身近な者達に向けられる同情の視線が苦しいことも、仙道は直接口にしたわけではないが、牧には十分過ぎるほどに伝わってきた。
話をしているうちに仙道は気持ちが大きくなってきたようで、かなり口調もくだけて乱暴になっていたが、牧も仙道が受けてきたあまりの理不尽なことの数々に腹立ちを覚えて冷静さを欠いていた。その具合があまりに上手くはまっていたため、どちらもフランクになっている自分達に気付きもせず会話は続いた。そうしていつの間にか二人はすっかり意気投合し、問題を何とか解決しようと起き上がって真剣に膝をつき合わせるに至っていた。

「寺澤のことだ。お前が奈美さんを振るのにどんなマトモな理由をつけたところで妹擁護は変わらんだろう。お前の話なんて耳も貸さんだろうからな……」
「うん……。だから奈美から別れてくれないとどうしようもないんだけど。奈美ってどうも悲劇のヒロイン体質みたいで、今までやってきたより冷たくしてもなんか反応違うんすよ。可哀相な自分に酔ってるっつか。だから生半可な理由じゃ俺から別れるっつーのは受け入れてくんないと思うんすよ」
何とかさっさと互いに合意で別れられるいいアイデアはないものか。
暫し二人は無言で考えていたが、その沈黙を破ったのは牧が先だった。まさに今、閃いたという顔を向けた牧を仙道が期待に満ちた眼差しで見つめる。牧は一つ頷くと一語一語区切るように言った。
「お前、今日から、ゲイになれ」
力強い命令口調で突飛な提案をされ、仙道は文字通り目を丸くしている。その反応はとても真っ当なものなので、牧は気にせず続けた。
「相手役は俺にしとけ。寺澤と奈美さんに自分はゲイだから女と付き合えないって言え。寺澤はあの性格だから最初は本気にせず怒るだろうが、納得さえすればきっとお前や俺の弱みをつかめたといい気になるだろう。吹聴しようとする可能性もあるな。が、そこは俺が極力止められるように事前に手を打つつもりだ」

驚いて固まっていた仙道は何度か瞬きを繰り返すと、やっと口をひらいた。
「そ、そりゃ……ゲイなら奈美も気持ち悪がってくれっかもだけど。俺は今後、部活の先輩達に彼女がいなくなるとすぐ別の女を紹介されんのがなくなることを思えば吹聴されても平気だ……けどね。牧さんには彼女がいるでしょ。つか、別に本当にゲイの相手役がいなくても、俺がそう言いさえすれば大丈夫なんじゃ……?」
「甘いな。嘘くさい嘘を信じさせるのにはそれなりの前情報がいるもんだ。それを聞いた時に『ああ、やっぱりそんな気がしてた』と思える必要があるだろうが。突然過ぎれば嘘なんて簡単には納得されないぞ」
「いや、だって、でも、あんたに恵理さんがいるのは周知のとおりだし。なんで牧さんがそこまで危ない迷惑ひっかぶんなきゃなんないんすか」
まだ頭が牧の提案にしっかりついていっていないようで、仙道は面白いほど眉を困ったように下げた狼狽顔をしている。逆に牧は自分の考えた突飛な作戦を口にしたことで成功の手ごたえを感じたのか、至って冷静に、かつ自信を覗かせる落ち着いた様子で腕組みをした。
「俺はバイってことにしとけば恵理のことは問題ない。お前こそ今更寺澤にゲイだから無理といったって素直に信じられるわけがないだろ。嘘だとばれないためには筋書きがいる。お前は俺に告白されて強引に抱かれたことにしろ」
「えぇえ〜!? そ、そんな、」
素っ頓狂な声をあげた仙道にかまわずに牧は続けた。
「抱かれて初めて男に目覚めたとすればいい。それで男が出来たから別れたいと言えばいい。これで一応は納得されそうだろ? それでな、寺澤が邪魔しようと乗り出してくることを考えれば、やっぱり臨機応変な対応ができる事情を知った者。且つ、寺澤に気圧されずに対峙出来る者がお前の彼氏役でなきゃならん。だから俺が適任なんだ」

牧の作った筋書きを聞いているうちに思うところがあったのか、仙道の顔つきは先ほどとは違って真剣に考え出した様を呈していた。
「……牧さん、寺澤キャプテンの性格、なんでそんなにしっかり分かってんすか?」
「先週、県内のバスケ部主将が集まって練習試合の日程調整やら色々行われただろ。その会場校がうちだったんだよ。俺は手伝いでそれに出席させられたんだ。それ以外にも昔何度か色々話をする機会があってな……。まぁそれはいいとしてだ。どうだ? 即席にしちゃ、結構いけそうな筋書きだと思わないか?」
「うん……。でも寺澤なら、名前をあげてもまだ、嘘じゃないなら相手の男連れて来いとか言いそう……うたぐり深いから」
「その時は俺が一緒に行って、俺がお前の相手だと言ってやる。だから仙道に無理やり女をくっつけようとするなって。それにこんな役、他に誰に頼めるよ」
そうだろ、とふってみても、まだ仙道は頷かない。牧は僅かに苛立った。
「お前がゲイという吹聴を最小限に抑える自信はあるんだ。先週の会合でな、久々に藤真にも会ったんだよ。奴も手伝いみたいなもんで来ててさ。その時、どういう流れかは忘れたが寺澤の話になってな。詳しくは聞けなかったが、藤真は寺澤の弱みを握っているようなんだ。それを俺が聞きだせれば、寺澤の弱みを知る俺と俺の彼女……じゃなかった、彼氏。ん? これも変か。なんていうんだこういう場合は」
「……恋人?」
「そう。俺の恋人であるお前に今まで通りすき放題とはいかなくなるはずだろ? 万事カードをそろえてから上手くやれば大丈夫なはずだ。問題は藤真だよな。あの頭のいい奴が易々と手札を貸してくれるとは思えん……けどまぁ、そこは俺が何とかする。ん? どうした、仙道。顔が風呂上りの時より赤いぞ。頭を使いすぎて知恵熱でも出たか?」
何故か力説していた自分に気付き、牧はそんな自分を隠そうと少しふざけた口調で問いかけた。
しかしツッコミも返事もしてこない上に、今ではユデダコのように赤い顔になっている仙道が徐々に本気で心配になってくる。仙道の今は降りている前髪の中へ掌を入れて額へそっと押し当てた。うっすらと汗ばんだ額からは熱が伝わってくる。
「……少し熱いな。湯冷めして本当に風邪でもひいちまったか?」
どこか上の空な様子で仙道は視線を牧の瞳に移してきた。
「……全然、平気っす……」
吐息のような呟き。潤んだ漆黒の瞳が綺麗で、赤みを帯びた目淵がどこか妖艶に感じてしまい、牧は思わず手を引っ込めた。
鼓動がやけに高鳴りだした自分に驚き、急ぎ引っ込めた手の行き場に困って、乱れてもいない自分のTシャツの裾を整えた。


なんとも妙な間が空いてしまった気がした牧は「窓、全部閉めるか。やっぱり森の夜というのは涼しいもんだ」と独りごちて立ち上がった。その背に仙道の睦言のような呟きが触れた。
「牧さんが、俺の恋人なの?」
牧は少し掠れた仙道の声音がやけに色っぽく甘えたもののようにとらえる己が耳を信じられなくて、狼狽している自分を悟られまいと勢いよく窓を閉め切ってから冷静を装って振り向いた。
「そうだ。俺じゃ不服か? 他校で、寺澤も知ってる俺なら適任だろ。同じ学内で嘘の相手を頼むわけにはいかんだろ。被害も受けやすければボロも出やすいだろうし」
「不服なわけないじゃん! そりゃ俺としては最高の相手だよ、牧さんは! 願ってもないもったいないほどの相手だよ!」
仙道の思いもよらない力強い返事に少々驚かされたが、牧は「それなら」と続けようとした。けれどすぐさま俯いた仙道のうってかわった力ない声がそれを遮った。
「でも……もし失敗したとして。あんたの周囲にまで牧さんがバイで、しかも現在進行形で男と女、二股かけてるって部分だけが広まってさ……それが恵理さんの耳にでも入ったらどうするんすか。俺はゲイだって広まっても別にそれほど困ることはないよ。でもね、あんたは違うでしょ。あんたにそこまでのリスク負わせんの、俺、嫌だ。なんで……俺があんたを追い詰める危険のある計画にのれんのさ。そんくらいなら、時間かかってもいいから奈美に嫌われるように頑張るよ……」
ゆっくりと見上げてきた仙道は淋しそうな微笑を浮かべている。昔から続いてきた面倒ごとが今後消えるかもしれないということよりも、自ら言い出した牧をなにより気遣う様に胸を打たれる。
計画を持ち出した時点で仙道が口にしたリスクは当然浮かんでいた。けれど仮にその通りになったとして。それは言い出した自分の計画の甘さのせいであるからと、甘んじて受けるつもりだった。だから持ちかけた。そんなことはこいつは分かっていて話を聞いていると思っていた。いや、分かっているからこそ拒んでいるのか……。
切ないほど胸が甘く疼く。とうとうその胸が命じるままに、牧は仙道の隣へ腰かけると、その肩を抱いてしまっていた。







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牧仙牧らしくなってきました♪ 牧に「ゲイになれ」と言わせたくてはじめた連載。
バカなんだかシリアスなんだか分からない長編になりそうですが引き続きお付き合い宜しくv


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