食卓
作:ハルキ様



 桜木の住むアパートは、この界隈では唯一ゴールのある公園のすぐそばである。
 公園を出て右手の信号を渡り、少し行ってまた右手に曲がる。
 すると昔ながらの商店街があらわる。桜木のアパートは酒屋の向かいのT字路の奥にあった。

 俺は勝手知ったる何とやらで、桜木の部屋の前に自転車を止めると、カンカンとよく響く鉄でできた階段を上がる。
 階段にはかろうじてトタンの波状が天井らしき構えを見せていたが、隙間から星が見えるところをみると、
 風雨をよけることはできそうもない。
 12段の階段を昇りきって2件目の部屋が桜木の家だった。
 ドアには綺麗な字で「桜木」と書いてある。
 きっとあいつの字ではない。

 「よお」
 ぼんやりとその字を眺めていると、まだ呼び鈴を鳴らしてもいないのに桜木が顔を出した。
 俺はこの家の呼び鈴をあまり使ったことがない。
 いつも一緒に帰ってくるし、今日のように一人の時でも、あいつは俺の足音で扉を開く。
 俺は返事をするでもなく、母親に持たされたタッパーの入ったビニール袋を持ち上げて見せた。

 途端に桜木はおっという顔をする。
 タッパーの中には桜木が好きだという肉じゃがが入っていた。
 最近母親は、これを作るたびに桜木に持っていけと言う。
 初めて桜木が家に来た時、バクバクと食べるあいつがとても気に入ったという。
 一人で暮らしているという環境も、母にそう言わせるのだろう。
 俺はタッパーを桜木に渡すと、そのまま台所で作業を始める桜木の横をすりぬけて居間に横になった。

 部屋のカドにあるTVから向かって左側が俺の場所だ。
 この部屋の主である桜木はTVの正面に座っていて、俺の席はいつも空いている。
 いつだったか、今日のように突然俺が訪ねたとき、左側に水戸がいて、何故だか俺は腹がたって、
 その日一日は口をきかなかった。
 といっても、普段とさほど変わることはなかったが。
 桜木は俺の前ではフツーにしていたけれど、わずかにソワソワしていたようだった。
 次に水戸がいた時、水戸は右側に座っていて、俺はいつものように左側に寝そべることができた。
 水戸はヤレヤレという顔をしていた気がする。

 「オイ、こら起きろ。キツネ」
 うとうとしていると、ふいに声をかけられた。
 見上げると、桜木が両手に皿を掲げて立っていた。
 皿からは空腹にしみる湯気が立ち昇っている。
 一方は俺の持ってきた肉じゃがで、もう一つはさんまだった。
 どんどん、と卓袱台に皿が二つ。
 そこにご飯茶碗と、味噌汁と、箸が二つづつ置かれて、桜木家の今日の食卓は完成らしい。
 俺は体を起こして食事の体勢になった。
 「いただきます」
 桜木はいつも律儀に手を合わせてから食い始めるので、いつからか俺までその癖がうつってしまっていた。
 手を合わせてから、しょう油が無いことに気付く。
 大根おろしとさんまにはしょう油がなければはじまらない。
 「しょうゆ」
 俺がボソリと言うと、うっせーなっ今持ってこようと思ってたんだよっ、と怒鳴りながら桜木が席を立った。
 ドンっとしょう油が置かれる。
 桜木の家にはしょう油さしがない。勿論ソースさしもない。
 しょう油やソースなどの調味料が、スーパーで売っているそのままの形で食卓に上がるのである。
 俺が一匹しかない時期外れのさんまにしょう油をかけようとすると、思いっきりしょう油のボトルを桜木につかまれた。
 「てめーがやったんじゃ、さんまが死ぬ」
 俺はカチンときて、卓袱台の下の桜木の足を蹴った。
 「あたっ」
 90度の座っている桜木のスネにミートさせて、俺は少しすっとして、ヤツがさんまに程よくしょう油をかけるのを待つ。
 俺は一度冷奴にしょうゆボトルの半分をかけたことがことがあり、それ以来桜木は俺にしょう油ボトルを持たせようとはしない。
 さすがにソースはどばっとは出ないので、ソースだけは俺がかけてやることもある。
 桜木は、さんまにしょう油をかけ終えると、腹と背に身を割った。
 腹側が桜木で、背側は俺の領分である。
 実は俺は腹側の苦味のあるあの味があまり好きではない。
 辛党の桜木は「何でこの旨さがわかんねーかね」と美味そうに食うが、苦いものが旨いという感覚が俺には
 イマイチわからなかった。

 「うめーっ」
 さんまの背と格闘していた俺をよそに、キレイに小骨だけを残して腹側を食い終わった桜木は、早くも肉じゃがに
 取り掛かっている。
 「相変わらずオフクロさんの作った肉じゃがはうめーな」
 ガツガツガツ。
 見る間に減っていく肉じゃがを見て、俺は危機感を感じて、今まさに桜木が取ろうとしたじゃがいもを素早く奪った。
 「てめーっ、このっ!それは俺のいもだ!」
 「俺のが早かった」
 いもはまだ2・3個残っているというのに、桜木は俺のいもに固執して奪おうとする。
 「やるかってんだ」
 俺は奪われる前に、素早くそれを口に放った。
 「?っ!!」
 桜木はいつものような怒り顔で、覚えてろよテメェと低くうなる。
 覚えてるわけあるか。

 肉じゃがを食べ終え、ご飯と味噌汁だけになると、食卓は急に静かになる。
 個々に分けている為、奪い合う緊張感がなくなるのだ。
 わかめの味噌汁をすすり終えて、俺は手を合わせた。
 「ごちそーさまでした」
 これも桜木の癖がうつったものだ。
 おかげで家では行儀が良くなったと評判である。

 食事を終えて皿を片付けるのは、大抵俺の仕事だ。
 食事を作るのは桜木なので、皿くらい片付けろと言われたからだ。
 しかし洗うのはまた桜木だったりする。
 一応洗おうとしたことはあるのだが、ただでさえ少ない皿を更に減らすので、二度とやるなと懇願されたのだ。
 それはそれでシャクに触るのだが、以来俺は一度もスポンジを手にしていない。

 満腹になった俺は、再び左側の席に横になった。
 後ろからはカチャカチャと皿を洗う音が聞こえる。
 横になると頬がチクチクした。
 毛羽立った畳は、ジャージで座ろうもんならそこかしこにカスが付く程の年代物だ。
 見た目は別にどうでもいいが、このチクチクだけはうっとおしい。
 しかし、桜木家での夕食の後のこの眠りは、以外な程気持ちよく、チクチクなどものともしない程心地よいことを
 俺は知っている。
 
 総じて、俺はこの食卓が、どうやら気に入っているようだった。

                          終







ハルキさんのサイトで切り番をゲットしていただいた素敵な小説v …それに余計な挿絵つけてすみません。