客が一人減り、二人減り…。でもなかなか完全にいなくならない店内で魚住は壁の時計をちらりと見た。寒さが厳しさを増す時間なだけに暖かい店内から出たくはなくなるのか、それとも家に帰りたくない事情でもあるのか。三人ほどのこっている客は静かに酒を飲んでいた。
店内の静かで落ち着ける、アジアとも演歌ともいえない曲がとぎれる頃、一人のがっしりした体格の大男が現れた。店主の魚住よりは小さいが、なんとも言えない迫力のある男だった。(そして店主のようにゴリラ顔でもあった)
「よぉ、赤木。どうした、珍しいな」
嬉しさを隠さず笑顔で魚住が声をかけた。コートの肩にある雨粒を軽くはらってカウンターの席に腰掛ける。
「もう閉店近いんだろ?すまんな、遅くに。さっきまで牧と一杯やってたんだ」
「いや、かまわんよ。それより、牧はどうしたんだ?連れてこなかったのか?」
親しげに話す二人の様子に残っている客達は帰り支度を始めた。常連客の彼等は今来た男が店主の親友であると既に知っていたからだ。魚住も他の客を引き止めることもせず「すまないね。次の時にでもあれ、出すよ」と、奥のケースの中にある酒を指差した。
そんな会話を聞きながら赤木もまた小さな会釈で挨拶をして見送った。
「何で一人なんだ?まさか喧嘩なんてことは」
「ないない。違う、牧が照れくさがって帰ったんだ。また来るって言ってたぞ」
「何を照れることが…??」
いぶかしげに眉をひそめながらビールを出す魚住に、赤木は少し困ったような…それでいて嬉しいような複雑な顔で事のいきさつを話し出した…。
残業を一人でしていた赤木のいるフロアの扉を誰かがノックした。誰かと思い扉を開けると、珍しくも牧が立っていた。
「どうした?わざわざノックなんぞしなくとも入ってくればいいだろう。お前も残業一人組か?」
赤木は牧を座らせてコーヒーでも入れようと奥のコーヒーメーカーへ歩き出そうとした。
「あ、コーヒーはいらない。それより、仕事はもう終わりそうか?」
少しかしこまった表情のまま尋ねる牧を不思議に感じつつ赤木はもうすぐ終わると返事を返した。
すると、少しホッとした表情になり「奢るから」といって飲みに行こうと誘ってきた。
赤木と牧は社会人になり、偶然同じ会社に入社をした。歓迎会の席で高校・大学の頃のバスケットの話をしているうちに馬が合い、違う課に配属というのによく話すようになっていた。
その後、同じチームで企画を推進するという出来事があってから、気づけば赤木と牧はとても仲の良い友となっていたのだった。
「いきなり誘ってくるなんて珍しいな。どうしたんだ。こないだの業務の件か?」
食事をしていてもいつも通りの会話しかしてこない牧に業を煮やして赤木が尋ねた。
「…お前さ、佐和子さんと付き合い始めた時…一番先に俺に話してくれたよな」
いきなり自分の妻のことを持ち出されて赤木は思わず手にしていたグラスを落としそうになった。何を急にと赤くなりながら抗議の言葉を口にしようと牧に向き直った赤木は、自分より赤い顔をしてうつむいているその姿に驚いて言葉を飲み込んだ。
「だから…俺も、お前に一番先に…。というか、他に言う気もないんだが…」
言葉を途切れ途切れに言う牧など滅多に見たことがなかったためか、赤木は何故か一緒に赤くなりながら言葉の続きを推測して応えた。
「お、おめでとう、牧。何だ、いい人できたのか。俺もな、気にはなっていたんだが…自分が先だったから、どうも聞いていいやらなぁで。 あっ、もう結婚決めたとか言うのか?黙ってて悪かったとかいうんなら気にせんでいいぞ」
何で俺がこんなに慌ててるのだと思いながら一気にまくしたてた。汗が出る…。
「結婚なんて…いや、そうじゃなくて。ど…同居することに決めたっていうだけなんだ」
でかい男二人が肩を並べて赤い顔をしてぎくしゃくしている。とても変な状況であったが、幸いにも店内は薄暗く客も多くにぎわっていたため目立つことはなかった。
「そうか。いいじゃないか。同棲っていうのも結婚前のシュミレーションになっていいんじゃないのか? で、相手はどんな人なんだ?俺の知ってる人か?」
自分の妹が同棲をしようとしているのを両親以上に反対していることを棚に上げて赤木は嬉しそうに尋ねた。
牧は照れているだけではない、複雑な表情で一度赤木を見、視線をまたはずして言った。
「お前も知ってるよ…。190cmあるんだ…」
「え!? そりゃまたデカ…いや、大きいな。俺と同じくらいあるじゃないか」
それって本当に女性なのか?と一瞬思ったことをあやうく口に出しそうになった赤木の考えを見抜いたのか、それとも予測していたのか。
「そうだよ、赤木の思ってる通りだ。…俺よりデカイ…仙道なんだ」
会話がそこで途切れた。店内の曲と客の嬌声だけが二人の間に流れている。
どちらも複雑な表情のまま固まっていたが、どこかの席で落としたのか、皿が割れた音がしたときに二人同時に瞳を合わせた。
「は…ははは。すまん、俺、てっきり恋人ができて、それで同棲なのかと思ったわ。そうだよな、最初に“同居”って言ってたよな」
少し上ずった声で赤木が首を縦に動かしながら言ったが、その言葉を牧は即座に否定する。
「いや、結婚って聞かれたから同居と言っただけで。意味は同じだよ。同棲で。
…信じられないと思うだろうが…俺の恋人は、仙道なんだ」
その言葉の後に「なかなか言い出せなくて」「驚かせてすまない」など、牧は色々言っていたのだが、正直なところ赤木の頭の中は真っ白になっており、条件反射で相槌を打っているだけで、耳にはほとんど届いてはいなかった…。
「…気持ち悪く感じさせたかもしれないが、お前には言っておかなくてはいけないと思って。頼みたいことが…あるから」
牧が真剣な顔で赤木を見つめた。急に視界がクリアになった感じがして赤木も真剣な顔つきになり、ようやく言葉を返した。
「気持ち悪くなんぞ感じとりゃせん。正直、驚いただけだ。 それより、頼みとはなんだ?遠慮するな。もう何を言われても驚かないぞ…多分な」
最後のほうは赤木らしく口元で笑っていた。その表情に安堵感を感じたのか、牧は嬉しそうな顔でグラスをあけた。
「頼みっていうのは…」
食べることと話すことに重点がおかれたような感じであったため、二人ともそれほど酔ってはいなかった。店を出ると小雨が降っており、暖かい店内にいただけによけい寒さを感じさせた。車のライトが黒く濡れているアスファルトの上を眩しく流れていた。
「なぁ、これから魚住んとこに顔を出さないか?飲みなおしてしっかり暖まって帰らないと風邪ひきそうだ」
赤木はコートのポケットに両手を突っ込んで、少しくしゃみをした。
「俺はもう帰る。 実はお前にさ、言ってくるって伝えてあって。仙道は一緒に行くと言っていたが、俺が自分で、お前に言いたかったから遠慮させたんだ。気にしてると思うから…」
照れくさそうに言う牧が、近くの店から出ている白い湯気の流れに少し重なって見えた。そのせいなのかは解らないが、高校時代に“帝王”とまで呼ばれた男と同一人物とは思えないほど…柔らかく感じてしまい、赤木は慌てた。
「そうか…魚住はきっとお前達の頼りになると思ったんだが、じゃあ俺は一人で行くよ」
「魚住の所には今度、仙道と一緒に行くよ。すまんな。宜しく言っておいてくれ。
赤木…今日は、ありがとうな」
綺麗としか言いようがない笑顔を赤木にこぼした牧は、その後すぐそばに来たタクシーに乗り込み、軽く手を上げてその場から消えた。しばらく去ってゆくタクシーをぼんやり見つめていたが、急に赤くなり口元を押さえて赤木は呟いた。
「…仙道め。よくもまぁ、あの堅物を変えたもんだよ…」
「その頼みって、なんだったんだよ。気になるじゃねぇか。ここまで聞かせたんだ、肝心のとこ、濁して帰るなんてなしだぜ?」
ところどころ省きながらではあるが、事の次第を話し終え、どことなく嬉しそうな顔で三杯目のジョッキを傾けている赤木に魚住は言った。
「頼みというのは、な。俺だけじゃ足りないから、お前にも協力を仰ごうと思ってな」
仙道と一緒に暮らすことを社内では隠せと上層部に言われていること。だから仙道の住まいは社宅の一室として住民票を取り直すことが会社側の条件であること。
が、実際は二人で購入したマンションに一緒に住む形になる。
仙道と牧は課が違うので、片方が急な仕事で不在となったり連絡がつかなくなることもある。万が一、どちらかに何かあった場合、連絡をしてほしいという申し出であった。
確かに牧に何かがあり連絡を仙道にとろうとしても、社宅には郵便物を2週間おきくらいに取りに行くしかしないであろうから連絡はとれない。遠征などに行っていてというのであればなおの事。
社内では二人が親しいと知るものはいない。牧になにかあっても仙道に連絡を入れようとする人はいないだろう。
「…互いに何かあったとき、一番先に連絡がいくのは親、親族だろう? そうじゃなく、自分達自身に連絡が早く来てほしいと言うんだ。一番に…駆けつけたいということなんだろうな。 俺は総務課だから情報は一番早いし、何より両方をよく知っている。適任だ」
酔ってきたのか赤い顔で、今度はもうしっかり嬉しそうな顔の赤木。そんな顔を見ながら魚住は、牧と仙道の関係は二人にとってとても自然で良い形であることを理解した。
「で、俺の役割は…そんなお前ら三人の関係をサポートすれってことか」
「そういうこと。 俺と牧は親友。お前と俺も親友。なら、隠す意味はないだろ? それにお前だって仙道のこと、いつも気にしているじゃないか。相談とかのってやってるんだろ?事情が解っていいじゃないか」
「物は言い様だな。 実のところ、二人の熱さにあてられて俺のところで発散させたいだけじゃないのか?あたるんなら佐和子さんにあたれよ」
少し意地悪そうに魚住は笑いながら言った。アルコールで赤くなった顔を赤木は更に赤くさせながら「佐和子には解らんよ。男同士の話だからな」と笑った。
驚いたが、話してくれたことが嬉しい。コイツ等に頼られることが誇らしい。
赤木も仙道も牧も。俺にとっては大切な友だ。縁の下の力持ちというのは俺の性分にとことん合っているようだから、仕方がない。担ってやるか。
そんなことを考えながら魚住は口元が緩んでいく自分を認めた。
「そういえば…桜木と流川って…」
魚住が新作のつまみを赤木に差し出しながら呟いた。
「言うな、魚住。奴等は牧や仙道とは違う。 あぁ…何時になったら大人になるんだ、奴等は」
「何だかんだ言いながら、お前だって相談にのってるとこをみると、可愛いんだろ」
にんまり笑って言う魚住に赤木は盛大なため息で返事をした。
「神奈川高校バスケ黄金期のスターメンバーの中に、二組も…できるとはな。想像もしなかったよ俺は」
「まぁな…。俺も早く結婚しないと誤解されそうだ」
「安心しろ、お前のような2mゴリラ、男女問わず誤解も相手もせんわ」
「てっ、テメーの顔の方がゴリラじゃねーか!!桜木に“ゴリ”って呼ばれてるくせに!!」
「うるせぇ!!悔しかったら彼女の一人でも作ってみやがれ」
急に魚住が静かになった。いぶかしげに魚住の顔を覗くと赤くなって目が泳いでいる。
「お前…ま。まさか…男ができたのか?」
恐る恐る指をさしながら尋ねる赤木の頭に魚住の拳骨がとんだ。
「清美さんがっ!!…き…清美さんがな、来週の定休日、で…デートしないかって」
「清美さんって…あの、3丁目の店の綺麗な…?嘘だろ、かなりな面食いだって聞いてるぞ」
「嘘だろは余計だ…と、言いたいところだが。俺もな、最初は冗談だと思ったんだ、でもな…」
深夜を回っているというのに店の明かりはなかなか消えない。それどころか『本日閉店。またのお越しを』と書かれた札の下がった入り口からはかすかに笑い声が何度も漏れてきている。
嬉しい話題というものは時間を忘れるもの。明日がお互いに仕事であっても、奥さんが家で鬼のような顔をして待っていても…終われない大切な時間があるのであった…。
*end*
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