エレベーターを降りて自分と愛する者とが暮らす家へと向かう。いつもならば仕事やなにかで嫌な事があっても、大概はこのエレベーターを降りた時点で気持ちは切り替わる。マンションのエントラスでため息などは出し終わらす習慣はついている。
しかし今日はドアノブに手をかけたというのに、小さなため息を吐いてしまった。仙道の脳裏に牧からきた珍しく長いメールが浮かぶ。
『すまんが予定変更になった。今夜は流川も一緒だ。詳しくは帰宅してから話す。すき焼き用の肉と野菜、多目に買って来てくれ』
仙道は別に流川が嫌いなわけでは全くなかった。むしろ無口なのだが、負けん気が強いのでからかいがいがあって妙に好きでもある。
───それにしたってだよ。クリスマスはやっぱ二人で過ごしたいって思うじゃんか…。
今年はこのマンションへ越してきて二度目のクリスマス。去年は惜しくも自分の急な出張で二時間足らずしか一緒に過ごせなかった。
とりわけクリスマスが好きというわけでもないが、やはり少し楽しみにもしていたのだ。家に入る前のため息くらい許して欲しい。
もう一度だけ、これが最後と少し長いため息を零してから玄関チャイムを鳴らしてドアを開ける。
「ただいまー」といつもの声で帰宅を告げて廊下でコートを脱いでいると、部屋の奥からいつもの耳に心地よい牧さんの「おかえり」と、小さく「お疲れっす」と久々に聞く流川の声が続いた。
居間へ通じるドアを空けるとケンタッキーの強い香りが漂っていた。その横に流川が仙道のエプロンをして皿を片手に立っている。妙な違和感を感じたが、あえてそれは口には出さない。
「おう、いらっしゃい流川。珍しいな、一人か。桜木はどうした?」
「水戸の家族にどーとか…。で、手伝いに行った」
「水戸?」
仙道が思い出せずに首を傾げた時、キッチンからすき焼き用の鍋を持った牧がやって来た。牧もエプロンをしている。牧は料理に力を入れる日はエプロンをする。今日はしているだろうなと思っていただけに、仙道はそれだけで嬉しい気分になる。
「桜木の親友だ。ほら、たまに桜木と会うと隣にいるだろ。穏やかそうなのに、たまに目つきが鋭くて驚かされる、少し背の低い…」
「あー。今時珍しいリーゼント君ね。あと凸凹した三人合わせて『桜木軍団』とかいうんだよな」
流川が頷きながらカセットコンロの点火スイッチを入れた。牧が手早く鍋に野菜とすき焼きのタレを入れて蓋をした。
「人数いるから二回に分けてやるから。お前も着替えてきて手伝えよ」
軽く頷くと、牧へ追加の買い物を手渡し、仙道はクローゼットのある部屋へと消えていった。
いつもより少し高級な肉を使っているすき焼き・トマトと水菜のサラダ・ケンタッキー・チラシ寿司、そして白飯。いつもの食卓テーブルには乗り切らないので、小さな折りたたみ式テーブルにまでそれらが所狭しと並んでいる。合間には取り皿と缶ビール。
「…こりゃまた…すげぇ量だなぁ。しかも変な取り合わせだし…」
賑やかなテーブルというのは見ているだけで不思議に楽しい気分になる。仙道の苦笑を含みつつも楽しそうな独り言に、珍しく流川が自分から口を開いた。
「うちはクリスマスはいつも鶏と寿司。材料買ってた時に桜木に連絡が入った」
中途半端な説明だが、どうやらクリスマスのために桜木と二人で買い物へ出た時に水戸から携帯にヘルプの連絡が入った…ということだろうと解釈する。
それに牧が補足を加える。
「水戸の家族が交通事故で入院したらしい。命に別状はないが、手術が必要で保証人がいるんだそうだ。水戸は今、出張で北海道で、今日は大雪で飛行機が飛ばないらしく、桜木に連絡がいったと。軍団の中で一番入院した病院に近いところにいたのが桜木だったらしいぞ」
揃って椅子に座り、各々が箸を手にする。
「まぁ、詳しい説明はあとだ。肉が煮えすぎてしまう。食いながら話そう。じゃ、いただきます」
牧の声に合わせて仙道と流川も同じようにいただきますと告げると、三人は同時に箸を伸ばした。
詳しい説明を食事の合間に牧がしたが、水戸の家族についてなどは最初の話以上深いことは出てこなかった。きっと牧も流川も詳しくはそれ以上は聞いていなかったのだろう。時間的にそれだけ余裕がなかった出来事だったとも取れた。説明のほとんどは、どうして牧が桜木達と偶然会ったのかが主だった。
サラダとチラシ寿司を交互に口に入れながら、時折流川が牧の説明に頷く。まるで当事者ではないようなその様子が、時折仙道の笑いを誘った。
「なるほどね…。で、桜木はいつ戻ってくるの?」
「名古屋だから…どうかな。明日の昼かな。でも桜木のことだから水戸が来るまで待っていそうだが」
「連絡入れるってた」
「流川、チキンと白飯一緒に食うのかよ。普通、すき焼きと白飯を一緒に食うもんじゃねぇ?」
「鶏、しょっぱい。チラシ寿司とは合わねー」
「いいじゃないか、好きに食ったらいい。ほら、仙道、流川、第二弾が煮えたから食えよ」
せっせと二人の小皿に肉を入れてやる牧の姿は、仙道と流川には良き親父を思わせるものがあったが、二人は口には出さずに黙って箸を動かした。
料理はやはりけっこうな量が残った。追加用に買った肉も野菜も半分は手付かずで冷蔵庫の中だ。
テーブルの上の残ったものを、牧はタッパーに綺麗に詰めながら言った。
「これ、明日、桜木が戻ってきたら持たせてやるからな。残り物だけど」
流川は少し驚いたようにほんのわずかだが目を見開いたあと、黙って礼を言うように深く頷いてみせた。
それを見て仙道と牧が視線を交わした。荷物になるからいらないと言うのではないかと思っていたからだ。やはり流川も桜木と一緒に過ごしたかったのではと気づかされる。そんな流川が、身長は牧よりもあるというのに、かなり小さな年下の子供に思えて、二人はそっと微笑んだ。
牧が洗った皿を流川がたどたどしい手つきで拭く。それを仙道が食器棚へとしまう。一連の動作が黙々と続けられ、それが終わる頃に流川が小さく呟いた。
「…すき焼きって…作るの難しいんすか?」
「いや、簡単だぞ。ただ、タレがいい味つかないとパッとしないが」
「流川、そんなに気に入ったの?」
「……美味かったし……去年、桜木がジ…牧先輩のすき焼き、また食いてーって」
最後の皿を仙道に手渡したあと、流川は自分の言葉に照れたのか下を向いてしまった。
牧の脳裏に桜木と二人で過ごした去年のクリスマスが思い出される。酔っていたので詳しくは覚えていないが、流川が自分に対して素直な愛情表現をしてくれないとぼやかれたのだ。淋しそうに毛布を握り締めて眠っていた背中を思い出す。
「…すき焼き、作り方教えてやるよ。どうせまだケーキもシャンパンも腹に入らないだろ。材料残ってるから一人前なら作れるぞ」
牧の言葉に流川が顔を上げた。今度はかなり大きく目を見開いている。長い睫毛が綺麗な切れ長の瞳を縁取っているのがよく見えて、いつもの冷たすぎる美貌をあどけないものへと変えていた。少し開いた唇が子供っぽくも感じられる。
「タレは瓶に入れてさ、材料は切って持っていけば、家に帰ってすぐ食わしてやれるんじゃない?」
返事をしない流川に仙道は笑顔を向けた。ようやく我に返ったのか、流川はハッとしたように小さく頭を下げた。
「宜しくっす…」
そこから先。キッチンは戦場と化した。
「醤油を先にドーッと入れるんだ。あ、入れすぎだ、おい、あああ」
「ドーッって…」
「駄目だよ牧さん、こいつに目分量は無理だよ。カップでなんぼとか言わなきゃ」
「計って作ったことないんだよ…ええと…水で計ってみるか…計量カップってどこに仕舞ってあったかな」
「あっ!流川、いいって戻さなくて!あ、やった!!」
「ん?なんか尻が冷たい…?」
「牧さん、チノパンに醤油零されてる!脱いで洗って!」
「…仙道…靴下貸して」
「わぁ、流川なんで今度は酒零してんのっ」
「料理酒を次に入れるって、さっき先輩が…あれ?牧先輩は?」
「牧さんは着替えしに走った。おい、それ持ったままこっち振り向くなって!あっ」
「…甘い」
「甘いじゃねぇよ!ちくしょー、頭に砂糖かけられちまった。もうお前はそっから動くなよ!」
「いや〜…参ったよ、パンツまで醤油しみてた。綿は吸収がいいんだなぁ。早めに水洗いしたから落ちたけど。…ん?床がザラザラ…」
「牧さん、そこ、さっき流川が砂糖零したとこだから裸足で踏まないで…って、遅かったみたいっすね」
「あぁ、流川、それは台拭きだからいいよ。俺、足洗ってくるから。ん?仙道、背中に染みがあるぞ?」
「…それ、多分さっきの…日本酒?」
「え?酒、背中に染み作ってるって?これ牧さんからもらったパーカーなのに…ヤベッ」
「拭けば落ちるかも…」
「あーっ、いいから、流川、何にもしないでいいから!俺と牧さんが風呂場から戻るまで直立不動でいてくれ」
しっかり煮詰めたタレは瓶の中で湯気をたてていた。まだ蓋はできない。流川の左手に二箇所絆創膏を貼らせた、野菜たちはブサイクな形ではあるがボウルに山積みされてラップをかけられている。肉は冷蔵庫に仕舞われている。これらを合わせれば、…焦がしさえしなければだが、牧が作るのと同じ味の、一人前以上のすき焼きが出来上がる。
「…たかがすき焼きのタレ作りが…疲れたな」
「っす。お世話かけました」
「なんかそれ、極道映画の挨拶みたいだぞ」
疲れて情けない表情を交わすと、二人はテーブルの上のそれらを眺めたあと、ヨロヨロとソファへ腰を下ろし身を沈めた。
シャワーを浴びて戻ってきた仙道は床へ座り、そのままズルズルと横たわると流川を見上げた。
「なぁ流川、お前の得意料理って何?」
「得意料理…は…。おにぎり、サンドイッチ、お茶漬け、ゆで卵」
「「それは料理って言わねぇよ…」」
図らずも仙道と牧のツッコミが全く同じ言葉で重なった。
一時間半の格闘が終わり、疲れきった戦士達へTVからはタイミングよく賛美歌がプレゼントされた…。
シャンパンが回ったのか、流川はソファに沈んだままぼんやりと天井を見上げていた。仙道は床に寝そべったまま瞳を閉じている。
牧はあくびを噛み殺すとTVのボリュームを下げて流川の空いたグラスに二本目のシャンパンを注いだ。
「もう…酒、いらねーっす。酔った気ぃする…」
「そうか。じゃあ俺がもらう。仙道、もう一杯飲むか?それともワインに変えるか?」
少し待ったが返事は返ってこなかった。牧は眠っていると判断し、黙って立ち上がると、隣の部屋へ行き毛布をとってきてかけてやった。
「ほら、これ枕にしろ。頭あげろ」
「…ん。ありがと…」
「おう」
クッションを仙道の頭の下に差し込んでから牧はまた流川の隣に腰を下ろした。
一連の牧の行動を視線で追っていた流川が、まだ牧の顔に視線を残したまま黙している。人に見られることにそれほど頓着しない牧も、グラスを空け終わるまでじっと見られていては流石に困惑する。
「なんだ?何か言いたいことでもあるなら言えよ。俺は桜木と違って話は口でしてもらわんと通じないぞ」
「あんたたち…いや、先輩達は、俺がいる間だけでも5回以上は礼言い合ったりしてる。数えてねぇけど」
「は?」
「サンキュとか」
「…もっと詳しく喋ってくれ」
「どうもとか」
「そういうんじゃなくて。…すまん、流川。言いたいことが良く分からん。俺もどうやら少し酔っているらしい。思った経緯を細かく説明してくれないか」
「説明上手くできねっす」
アルコールのせいか、もともと仙道よりも白い肌が赤みを帯びている。そのピンク色な流川の頬が更に赤くなった気がした。困っているのか、それとも自分の発言に照れたのだろうかと判断につきかね、牧まで困ってしまう。
「敬語、無理して使おうとするな。喋りたいように気楽に喋ってみろ。桜木と喋っているつもりでいいから」
「桜木と…?」
うるりと流川の視線が揺らいだ。ほんの少し開いた唇が驚くほど紅い。こんな表情の流川を見るのは初めてだった。もともと整った顔をしていて、どこか石膏の美青年像のようにも思わせる流川だが、流石の牧もこれほど艶めいた表情を知ってしまっては認識を少し変えざるを得なくなる。
───こんなに色っぽい顔する奴だなんてな。桜木が『あんまり飲ませねーでくれな』とうるさく言うはずだ。
牧は苦笑混じりに会話へ戻った。
「あぁ。俺を桜木だと思ってなんでも言ってこいよ。今日はクリスマスだ、懺悔だろうが愚痴だろうが俺が神父の代わりに聞いてやる」
「桜木はこんなに黒くない。神父って…先輩には似合わねぇ」
「…黒いは余計だ」
牧が少しムッとした顔で返すと、流川は自分の冗談にうけたのか、軽く口元で微笑んだ。これもまた、牧にとって初めて見る顔だった。
整いすぎてどこか中性的にさえ感じさせる美貌の淡い微笑みは、桜木だけが拝んで良いもののような気がして、牧はそっと視線を外した。
「ありがとうとかどういたしましてとか。一緒に暮らしてんのに、一々言ってらんねぇ。…あいつはけっこー言うけど」
ボソッと呟くと流川は瞳を閉じた。
「愛してるだとか好きだとか。んな言葉は日本人の使う言葉じゃねぇ気がする。黙ってたって分かるんが、それだろ。口で言ったとたんに嘘くせーもんに変わる気ぃするし。 けど…きっとあんたらだったら、さっきみてーな調子で自然にそーいう言葉も使えてんだろなって。んで、上手くまわってんだ…きっと…」
「…桜木に、もっと言葉で言って欲しいと言われたのか?」
黙って流川はゆるく左右に首をふる。
「じゃあ、何故そう思ったんだ?」
「なんで一々言えるんだろって思った」
流川が瞳を閉じているから、深くは牧も推測はできなかった。しかし、こういう疑問を持つほど、流川は礼云々より、普段も積極的には桜木にすら話しかけたりはしないことがうかがえる。先ほどの食事中も牧と仙道二人だけがほとんど会話をしていたことでもわかる。流川に話をふっても首を傾げるなどのジェスチャーがほとんどで、返事が返ってくるのは三割程度だったから、自然とそうなっていた。
自分も不器用ではあるが、上には上がいる。先ほど初めて流川の笑顔や潤んだ瞳を見たせいか、その不器用さが哀れにも愛しくも思えた。自分が分かる範囲ならば、教えてやりたい。そして知ることでもう少し楽にさせてやりたいとも感じた。
───俺は恋愛相談の類は苦手なんだがな…。
流川に悟られないよう、手で口元を自然に隠して、牧はこっそり苦笑を漏らした。
「一々言ってるんじゃなくてな、自然に出るものなんだ。嬉しい事をしてくれたら、ありがとう。感謝されたら、どういたしまして。好ましかったり大切にしたいと感じたら、好き。愛しいと強く感じたら、愛している。俺も最初は男が一々言えるかって思ったよ。でもな、言われて悪い気はしないだろ。同じように相手もそう感じるもんなんだよ。相手が嬉しかったら自分も気持ちがいいだろ? そこには男だからとか性別は関係ないんだ。言葉って面倒でもあるけど、そう悪いもんばかりじゃない…と、俺は思うんだが」
桜木に言われて、嫌な気持ちになったことはないだろう?と、流川にふると、流川はこっくりと頷いた。
「桜木がお前にかけてくる言葉を嘘くさいと感じるか?」
今度はしっかりと流川は首を左右に一度ふってみせると、長い睫毛が縁取る目蓋を開いて、牧の桜木と近い、でも桜木よりもっとブラウンがかった瞳を見返してきた。
流川は自分とは違う、その柔らかな瞳の色に安堵感を覚え、その瞳の奥を見たいかのように近寄って見つめてしまう。
何かを言いたそうに思えて、牧はむずがゆい思いを堪えて、辛抱強く流川からの言葉を待った。
「瞳…茶色い」
「え?」
「……なんでもねぇっす」
本当は光の具合で茶色がかる柔らかな瞳というのは、何でも…自分の望むものが心にも見えてくるのかと聞きたくもなった流川だが、流石に自分でも馬鹿な考えだと口にはのせられなかった。
牧は軽く優しく瞳を細めると、至近距離にある流川の頭を一度だけ軽くなでた。
大きなあたたかい手が離れた時、さらりと黒髪がかすかな音をたてた。
「どんな言葉でも、自然に出たものは嘘っぽくないんだ。作って無理に出すのとは違うものだから。自分が本当にそう感じた時は、色々考えずに素直に言ったらいい。…まぁ、俺もあまり愛してるとかは仙道ほど言えてはいないから、あまり人のことは言えないんだけどな」
照れて頭をがりがりとかきだした牧を見て、流川は不思議そうに首を傾げる。
「仙道って抱かれながら愛してるとか言ってくんの?」
「え…?」
「だって先輩が仙道抱いてんだろ?まさか先輩がネコ?」
「……」
まさかとまで言われてしまい、牧は自分が普段九割がた抱かれている側であると正直に訂正できなくなる。そしてそれだけではなく、急な話の展開と、流川がこんな話をしてくるなんてという意外さに驚き、言葉が出せなかった。
黙している牧の様子を肯定ととった流川は喋りだした。
「俺、抱かれてる時なんて、んなこと言ってる場合じゃねぇっつーか…。やっぱさ、あん時にタチが言ってくんのって、ネコから同じ返事もらいてーからってこと?」
「…いや…別に…」
「なんで『イイか?』だの『イイだろ?』だの聞くんだ?やっぱそれも自然に出てんの?俺の反応なんて見てりゃ分かるだろって、言われるたびにムカつくんだけど。それとも自分のテクを自慢してーの?」
だんだん流川の口が乗ってきた。どうやら喋る事でさらに酔いが回ってきているようで、流川は既に首まで赤くなっている。常日頃抱いていた疑問が酔いにまかせて吹きだしたようだ。
───桜木が飲ませすぎるなって言っていたのは、こっちの意味だったのか?
返答に窮し固まっている牧にかまわず、流川はまた口を開く。
「こちとら先にイかないように必死で、色々話しかけられても返事なんてできねっての。イヤだったら蹴り飛ばしてる。そーいう必死さって、タチの側って気づけないもんなんすか?それとも自分が先にイかねーように気ぃ散らしてんの?大体」
「ま、待て、流川」
清潔で綺麗に整った顔からは想像もできない言葉が、次々と飛び出してくる。牧は内心(これは悪夢か?)と泣きたくなった。恋愛相談というより、このままではもっと苦手なY談にまで発展しそうで、流川の目の前にストップの意味で手のひらをかざした。
「…そんなつもりはないぞ…多分。いいじゃないか、別に先にイったって。えーと…ちょっと待ってくれ…頭を整理するから…」
牧はくらくらする頭を軽くふり、視線を床に移すと、仙道の体が小刻みに震えているのが目に入った。そっとソファの肘掛から下をのぞくと、目をしっかり開き口元を押さえて笑っている仙道と視線があった。
『狸寝入りしてやがったな!』と文句を言おうとしたが、仙道が先に『シーッ』と人差し指を口にあててみせた。そして唇の動きで『ケーキ』と言ってキッチンを指差す。
仙道の意図を理解した牧は仕方なく上体を戻して流川に向き直る。
「えーと。ケーキ、そろそろ切ろうか。持って来るから、待ってろ。話の続きはそれから、な」
「腹いっぱいでケーキ入らねぇ」
「俺が食いたくなったんだ」
牧は立ち上がるなり仙道を蹴った。その蹴りは起こす素振りにしては荒々しい。
「起きろ、仙道。ケーキ切るから、テーブルの上を片付けろ」
「は〜い。いやー、ちょっと寝てたみたい。ワリかったね、流川」
「…別に」
「あれ?流川、すっげ顔赤いよ?水持ってきてやろうか」
「もうなんも腹に入る隙間ねー…」
ぼんやりと間延びした返事。紺色のフリースの襟元から上の真っ赤な皮膚。潤んで充血している瞳。どうみても完璧に流川は泥酔状態に加え、眠そうだった。
「お前、寝た方がいいんじゃねぇの?」
「ヤダ」
ふーんと返事をして立ち上がった仙道に流川は、どこへいくのかとつっかかってきた。その言葉すら呂律があやしい。仙道がトイレと告げると、流川はソファのクッションを膝に乗せて目を閉じた。
仙道はキッチンの入り口に立って様子を伺っていた牧の傍らに立つと、牧の耳に顔を近づけて小声で話しかける。
「お疲れ様。あとは俺が流川の面倒みるよ。だから牧さんは流川から見えないとこで好きに休んでていーよ」
「ケーキ持ってくるのが遅いとか不振に思われないか?」
「全然気づかないって。奴、もうちょっとで寝るよ。それまで少し相手してやりゃいいだけだし。あんた、恋愛相談苦手でしょ」
「…お前、どこから聞いてたんだよ」
「さぁ? まぁ神父っつーよりは牧師かなーとか思いましたけど」
「最初から狸寝入りだったなこの野郎…」
ピクリと眉間に皺を寄せた牧の頬に仙道は軽くキスをした。
「嬉しい話沢山聞かせてくれたから、あんたがタチ様だって誤解、今日はそのままにしといてあげる。だからほら、怒らない怒らない」
悪びれない笑顔をへらりとみせると、仙道はスルリと離れて流川のいる居間へと戻っていった。
「流川さぁ、お前、何くだんねーこと悩んでんの?お前ら何年一緒に暮らしてんだよ」
戻ってくるなりからかうような物言いをされて、流川はムッとした顔で睨みつけてきた。
「なんだよ、いきなり…」
「や、さっきの話、俺も少し聞こえてきたんだけどさ。性別も関係ないほど好きになっちまったから一緒に暮らしてんだろ? なら、男が『好き』とか言うの変だって拘んの、矛盾してるだろ。それにさ、お礼言い合うのを『一々』って捉えるのが既に変だと俺は思うけど? されるごとに感謝できねーのは間違ってねぇ?」
軽い口調でへらへらと笑っているのに、反論をさせない狡猾さが仙道の瞳にちらりと覗いた。苛立たしげに流川が軽く舌打ちをする。
「誰も感謝してねーとはいってねぇ」
「ま、ね。けどさ、お前が相手の気持ちがわからねぇのと同じで、相手だって言われなきゃわからねーもんだよ。だから『イイか?』って聞くんだって。一緒に気持ちよくなりたいから聞くんだよ。気持ちいいと思ってくれてるかを教えて欲しいだけなんだ。その時に『愛してるよ』って言っちまうのは、腕の中にいてくれている相手が愛しくてたまらなくて自然と出ちまうもんだし。SEXの最中、お前が必死なようにこっちだって必死なんだ。言葉を返してほしくてとか、それこそ一々計算してるんじゃない。お前がそんなことも分かってねーで抱かれてるってんなら…桜木が可哀相だな」
「……自分がタチやった事でもあるみてーに言うな」
悔しそうに悪態をつかれたが、仙道は軽く鼻で笑ってかわした。流川はしかしそれ以上はつっかかってはこず、今度は黙って視線を落としてしまったが、仙道は気にする風もなくテーブルの上に残っていたシャンパンの瓶をよけてテーブルを拭きだした。
綺麗になっていくテーブルと仙道の手元を黙って見ている流川に、仙道は声をかけた。
「お前、今、いい顔してるよ」
眉間に皺を寄せたまま、流川は仙道へと視線を移した。訝しそうな視線が『いきなり何だ』と問うている。
「真剣に桜木の事考えてますって顔が、さ。いーんじゃねぇの?口で言えてないけど、表情や仕種で桜木には伝わってるんだと思うよ。だから何年も飽きないで付き合ってんだろうしさ。確かにお前、顔はすげーいいけど、顔だけで付き合っていける年月はとっくに過ぎてる。もっと自信もっていーんじゃねぇ?」
「…何でも分かってますってな言い草しやがって」
キツイ言葉とは裏腹に、流川の顔は泣くのを我慢してふてくされている子供そのものだった。
───その顔もまた、桜木にとっちゃたまんねーんだろうけど。これは教えてやんねーよ。牧さんいじめてくれたバツとしてな。
などと内心、ぺロリと舌を出して笑っている仙道には気づかず、流川は黙って床に膝を落とすと自分もテーブルの上にある小皿を重ねはじめた。
「…寝たか?」
「寝ましたね、完璧。多分、牧さんと喋ってる時が一番酔ってカラ元気の残ってた時だと思うよ。俺が相手した時は、眠気が勝ってて文句も返してこなかったもん」
「それにしたって、お前のあの物言いは酷すぎるぞ。あれでは文句の言い返し様もないだろう。お前らしくもない」
咎めるような、少しあきれたような牧の視線に仙道は軽く肩を竦めてみせた。
やきもちを焼いたと正直に言ったら、この優しい人はなんと言うのだろうか。恋愛相談は苦手といいながら、自分には絶対直接は言ってくれない心のうちを流川に語ってあげていた。そうすることで少しでも流川が楽になっていけるようにと、照れくささを押し殺して。その優しさが流川の口を滑らかにしたのだ。アルコールのせいだけではない。
多分、それに加えて、仙道が無言の助けを求めている時に見せる、あの優しい瞳を惜しみなく流川にも見せたのだと思うと…
「あーあ。こいつばっかり良い目みやがって。…くそー、熟睡してるから重たい」
流川を牧の部屋に敷いた布団へ移そうとしていた仙道が悔しそうに呟いた言葉は、隣室に客用布団を敷いている牧へは届かなかった。
部屋の扉を閉めると居間に二人きりになった。形だけ、と小さく切り分けたケーキとワインで今日何度目かの乾杯をした。
「昨年に続いて、賑やかなクリスマスだった…」
「牧さんは静かなのと賑やかなのと、どっちが好み?」
少し考えたそぶりをして、それから牧は照れたような笑みを零すとワインに口をつけた。
「ん?このワイン、いつものより軽いな」
「流川も飲むと思って、少し軽めの選んでみたんです。ポール・コンティ、ピノ・ノワール。物足りない?」
「いや、散々ビールだのシャンパンだの飲んだあとには丁度いいよ」
しなやかな口当たりと、穏やかでほんのり苺を思わせる果実味が上品に咽を潤していく。
流川にはピノ・ノワールが似合う気がして買ってきた。爽やかで少し甘く、どこか上品なこの味。桜木はワインはあまり飲まないというが、多分俺たちが普段飲んでいるシラーよりも好きになるだろう。そんな気もした。
けれど…。
軽くそらせた牧の咽が上下するのを、仙道は眩しいものでも見ているかのような瞳で魅入っていたが、すっと立ち上がった。
「俺は、やっぱピノは物足りないっす。いつもの開けていい?」
「あぁ」
イル・ラ・フォルジュ。シラーにしては安すぎる日常用のお手軽ワイン。けれどこれだって十分に深みがある。同じように果実感に溢れてはいるけれど、とても色の濃い濃密な味わい。後口に残る香ばしい感じが、少し牧さんを感じさせなくもない。
が、しかし。
「昔さ、二人でどっかのパーティに呼ばれた時に飲んだ、エルミタージュ、レルミット…。あれ、飲みてぇなぁ」
「あんな高いの、ハウスワインとしては買えないぞ。なにか特別な日…。まぁ、クリスマスも特別といえなくもないが」
二千円足らずの、でも馴染んだ味わいのワインが仙道の咽を滑り落ちていく。
確かに、レルミットは普段気軽に飲むには高い。でも買えない値段でもない。特別な日といえば、自分にとっては牧さんの誕生日。来月の20日には自分が買って用意しておこうと思い、今はこのワインで満足としておくことにした。
穏やかにじっと薄いグラスの中の揺れるボルドーを見つめていた仙道の横顔に、牧は知らず魅入っていた。
深いワインのボルドーより更に美しく深い色の仙道の瞳…。今すぐにでも買いに行って浴びるほど飲ませてやりたい気になってしまう。けれどこんな時間ではどこも扱っている店は閉まっているだろう。
クリスマスプレゼントはお互い用意はしないことに三年前から決めていた。師走のこの時期、お互い選ぶ時間もとれないし、何より大切なものは二人で選びたいから。しかし、贈り物などを用意しておけば、今の気をそらさせるのには役立ったのではないか…?
「牧さん?どうしたの?考え事?」
声をかけられ、牧は自分が己の思考に没頭していたことに気づいた。
「え。あ、いや…別に。確かにレルミットは美味かったけど、そんなに好きなのかって思ってただけだ」
「なんでそんなに好きか、知りたい?」
仙道は悪戯っぽく微笑んで小首をかしげてみせる。牧も軽く頷いてみせた。とっさについた嘘を不振がられずにすみ、内心胸をなでおろしながら。
「深々としたガーネット色も好き。でもやっぱ味。すっげ豊かで滑るような舌触りも、エレガントさとパワーを両立させた完璧なバランスもね。まるで、誰かさんを口に含んで転がして、飲み干しているような気になれるんですよ」
先ほどの悪戯っぽさは綺麗に消えており、あわせてきた仙道の瞳は妖しく光っていた。軽く上げた口角が整った甘いマスクに危険な妖艶さを滲ませる。
視線に撫でられているような錯覚を感じ、牧はそれだけで自分の頬に血が上っていくような感じがしてしまう。
そんな牧の耳元へ、艶のある低音がしっとりと滑り込む。
「エルミタージュ。今すぐ俺に飲ませる気はないですか?」
ソファがキシリと音をたてた。牧の膝の上にあった手の上に、少しだけひやりとした手のひらが重ねられる。
───このままでは仙道のペースに流されてしまうな。
酔っているとはいえ、理性はしっかり残っているため、流川がいると分かっているのに抱き合うつもりはなかった。
流される前に流してしまえばいいのだ、自分のペースに。別に難しくはない。まだ、この状況ならば。
熱くなりそうになっていた頬の熱を小さな吐息と一緒に吐き出すと、牧は重ねられた手をやさしくよけた。
自分から瞳を合わせて来た牧に仙道の動きが止まる。そこにある瞳は、いつもの穏やかながら落ち着きのある牧へと既に戻っていた。
「…俺は、エルミタージュより、誰かさんのように華やかな香りと深さのある、ボルドーのサンテミリオンの方が好みなんだが?」
ふ…と、牧の口元に不敵な笑みが浮かべられた。その鮮やかな切り返しには流石の仙道もお手上げとばかりに苦笑いを零すしかなかった。
「今夜は客もいることだ。明日、ゆっくり味わいあわないか?」
「そうですね。明日は休みで、まだクリスマスだしね。それに、…極上のワインはゆったり楽しまないともったいないし」
「自分で極上と言い切るか、この男は」
「なに言ってんですか。あんたと俺が極上じゃなくてどこの男が極上ってのさ」
「…桜木も流川も、けっこういいセンいってるんじゃないのか?流川に関しては今日気づいたが」
「そうだね。もう少し熟成期間が必要だけどね。バニラがもう少し溶け込んだら、認めてやろうかな」
牧は軽く肩をすくめて笑った。
「厳しいな。じゃあ、俺もそろそろ寝ようかな。一晩くらいじゃ熟成にならんだろうけど」
今度は仙道が笑った。
「睡眠で熟成するんだったら、誰も流川にはかなわないことになるよね」
「違いない」
笑いながら立ち上がった牧の足元が少しふらついたのを、仙道は見ないふりをした。やはり酔っていたらしい。
───酔ってなけりゃこんな会話に乗じる人じゃねぇもんな。もっと酔ってれば落ちてくれてたかもしんないけど。
そう思いながら立ち上がった自分の足元も少しもつれてしまい、『俺も、やっぱけっこう酔ってたか』と苦笑した。
* * * * *
なにか音がすると、牧は眠い目をこすりながら音源を探すべくベッドから抜け出した。仙道はもちろん、流川も起きてはこない。何度か鳴ってはまた切れる音に、流川の携帯がテーブルの上で鳴っているのだと気づく。慌てて居間へと足を運んだ。ウィンドウには“桜木花道”とあったので出ることにした。
「はい」
『おお、ジイ、おはよう!すまんね、寝てた?流川いる?』
「おはよう。流川はまだ寝てるが、起こすか?」
『うーん…。いや、いいわ。あと三時間くらいしたらそっちに着けると思うんだ。土産あっから楽しみにしてていーぞ』
「そんな気遣いはいらんと言ったのに…。駅に迎えに行こうか?」
『いらねー。タクシーチケット洋平の親父さんからもらったんだ。それよかさ、その…あのさ…』
「ん?」
『流川…何か言ってた?機嫌悪くてジイ達に迷惑かけたりしてんかった?バカみてーに飲んだとか…さ』
昨日の流川の台所での出来事や酔っ払いっぷりを説明してやろうかと思ったが、急に心配そうな小声になってしまった桜木に、牧は言うのをやめた。
「いや、特にない。それより気をつけ…あ」
『なに?』
「仙道が起きてきた。代わるって言ってる」
「おはよー、桜木。いや〜、昨日は大変でしたよおかげさまで。桜木の苦労がしみじみ分かっちまったよ」
『え!?や、やっぱ流川、何かやらかしたんか?』
「ふっふっふ。聞きたい?」
『決まってんだろ!!もったいぶってんじゃねーよ!!』
「じゃあ、さっさと取りに来いよ。俺たちだって予定ってもんがあるんだからね。それにさ、流川からお前にプレゼントあるみたいだし?」
『プ…プレゼントぉ??んなもん、あいつが用意してるわきゃねーだろよ』
「信じないんなら、俺と牧さんで代わりにもらってやってもいーんだぜ?」
『てんめー!!仙道、ブッコロス!!』
仙道の横で牧が笑っているのが桜木の耳にもかすかに聞こえた。
「早く帰ってこないと食っちゃうよーん」
言うなり、仙道は携帯を耳から離した。それでも桜木の大声での悪態は二人に筒抜けで、笑いながらまた牧が代わる。
「まぁ、そういうことだから、早く気をつけて帰ってこい。で、三時間で着けるのか?」
『二時間だっ!!ちくしょー、こうしちゃいられねぇや。仙道が、なんかしんねーけど流川からのもんを食っちまわねぇよーに見張っててくれよな!』
あとはもう、とってつけたような礼を述べると、早々に桜木は電話を切ってしまった。
今朝は冷え込んだようで、なかなかエアコンの温風がしっかり広がってくれない。肌寒そうにパジャマの腕をさすりながら仙道がくすりと笑った。
「あんたも気をつけろって言いながら、結局せかしてんじゃん」
「お前よりはマシだろ。胃もたれで昨日の残りなんて食う気ないくせに」
「だって、早く流川を引き取りに来てもらわないと。今日でクリスマス終わりなんだから、流川だって桜木と過ごしたいだろ」
「そう言ってやればいいのに。変なとこ素直じゃないよな、お前は。優しいくせに」
「俺は牧さんにだけ素直で優しいの」
背後から牧を強く一度だけ抱きしめると、仙道は流川を起こすべく隣室のドアを叩いた。
カーテンを開けたとたん、まぶしさで牧は目を細めた。
窓の外ではチラチラと朝日をうけて輝く白い雪が降っていた。昼までにはやむであろう、ほんの少しのこの雪の儚さまでが美しい。
「桜木も流川と一緒に見られればいいな」
と、二時間でやってこようとして焦る桜木の姿を思い浮かべて牧は微笑んだ。
───それまでは、悪いがお先に俺は仙道と楽しませてもらうとするよ。
「やっぱ流川起きねぇから、放っておきましょう」
やれやれといった様子で流川の寝ている部屋の扉を閉めて戻ってきた仙道を、ベランダのカーテンの横に立っていた牧が手招きして呼んだ。
「メリークリスマス、仙道」
仙道が窓辺へ立った瞬間、さっと一気にカーテンを引いた。冬の冷たい朝日と真っ白に光って舞う雪が踊る景色が仙道を包む。
眩しい景色と、隣に立つ人の、光を浴びて輝く爽やかな笑顔に仙道にも幸せそうな笑顔が伝染する。
「メリークリスマス、牧さん。イブの夜もいいけど、やっぱクリスマス当日の朝もいいもんですね」
キスを交わす。いつものように、おはようのキスを。
そして今日はそれにもう一回多く、クリスマスのキスを。
Merry very Christmas !!
*end*
* * * * *
<オマケ>
桜木が二人のマンションに辿り着いたのは、本当に二時間後きっかりで、三人は本気で驚かされた。
「ふふん。この天才にかかっちゃ、ざっとこんなもんよ」
「いや、それにしても移動距離的に特急を使っても無理があるだろう。どうやって時間短縮でこれたんだ?」
「俺、電話で今は名古屋にいるとかは一言も言わなかったぜ?」
などなど、桜木と牧が話しているのを、少し離れた場所で流川はもそもそと着替えをしながら聞いていた。
仙道が一本のワインが入った紙袋を流川に差し出す。
「やるよ。ピノ・ノワールだ。二人で今夜飲んだらいい。昨日いじめちまったからさ、お詫び」
「いじめ…?誰が、誰を?俺?」
「お前、昨夜のこと覚えてねぇの?」
真剣に思い出そうとしているらしく、流川はフリースに袖を通した格好のまま固まっていた。
「…チキンを白飯で食った俺を変だって言ったことか?」
流川の言葉に、今度は仙道が固まった。牧にからんでいた時には既に酔っていたのだろうと思ってはいたが…
「…まさかその後すぐ酔ってたんかよ。ひょっとして、お前、すき焼き作ったこと覚えてないとか?」
「すき焼き…?」
「ああ、いいよもう。まぁ、これやるから。うん。……あぁ…俺と牧さんの苦労って…」
よろよろと桜木の方へと行ってしまった仙道の背中を不思議そうに流川は見ていたが、すぐに興味を失った。今度はもらった紙袋を覗いていると、牧がキッチンから現れて大きな紙袋を流川に手渡してきた。
「こっちの瓶にタレ入ってるから。いいか、肉より野菜を先に入れるんだぞ」
「…っす。あの、これ…すき焼きっすよね?」
「そうだ。肉と野菜はこれ。こっちがチキンやチラシ寿司の残りな。チキンはレンジよりオーブンであっためたら美味いぞ」
「うち、オーブンねーっす」
「じゃあ、トースターでいい。アルミホイルを上に乗せると焦げないですむから」
「…ありがとうございます」
紙袋の中を説明していた牧が顔をあげ、流川を見上げた。そして軽く笑みをつくった。
「どういたしまして。お前だって自然にいえてるじゃないか。大丈夫だ、心配することはない」
ポンと軽く流川の肩に手を置くと、牧は少しだけ流川の耳元に顔を近づけ、話をしている桜木と仙道に聞こえないように言った。
「クリスマスはな、俺は少しだけ素直になれるよう頑張ることにしている。お前も年に一度くらい、そう思う日を作ってみたらいい。そのうち意識しないでできるようになる…と、俺は思っている。後で桜木に言ってみろ、『淋しかった』ってな」
白い歯をみせてはにかんだ笑顔をみせると、牧はまたキッチンへと戻って行った。
───なんのことかさっぱり分かんねーけど…いい人だよな、牧先輩って。
そう流川は思いはしたがそれ以上は深く考える事もなく、今晩の晩飯が沢山で嬉しいと、また紙袋の中身を興味深げに覗き込んだ。
「仙道から聞いたよ。ありがとな、流川。お前がすき焼きのタレ、作ってくれたんだってな。帰ったら二人で食おうぜ」
朝降った雪はとうにやんでおり、歩道は少し濡れているだけだった。雪の名残などどこにもない。雪は確かに降ったのに、言わなければ桜木は知らないままだろう。小雨が降ったとでも勘違いしているだけかもしれない。
───年に一回…っすか。そんくらいなら俺も。
先ほどの牧の言葉を忘れないように、もう一度だけ頭の中で繰り返してから、流川は足を止めた。
「ん?どした?」
振り向いた桜木をまっすぐ見据えて、一気に白い息とともに言葉を口にのせる。
「今朝、雪が降ってた。ちょっとだったけど。綺麗だった。テメーと一緒に見れんくて、ちょっと淋しかった」
「る…流川…?」
「ちょっと、だ」
親指と人差し指でほんの少しという形を作ろうとした時、桜木が強い力で抱きしめてきた。
流川の耳元に、『…一人にしてごめんな。待たせちまってごめん。…ありがとう、流川』と、少し涙混じりのような囁きが届いた。
いつもなら周囲に人がいなくとも、往来でくっつくなと蹴り飛ばすところなのだが。
───素直になんのも、けっこういいもんかもしれねーな。
なんて思えて、まわされた腕の強さと同じくらいの強さで桜木の広い背中を抱きしめ返した。
「メリークリスマス、桜木」
「メリークリスマス、流川!!俺、クリスマス大好きになったぜ!!今までよりも、もっと、ずっとだぜ!!」
鼻をすすりながら、桜木は明るい大声をあげると、荷物ごと流川を抱きかかえて走り出した。
Very great Christmas. !!
*end*
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