俺はあなたの犬になりたい
作者:志毛さん



 人を待つのはそんなに嫌いじゃない。少し人混みから離れた場所から行き交う人達を何も考えずに眺めていると、頭の中が空っぽになるような気がするし、今日みたいな日は待ち人が今頃こんな街中を焦った顔をして走っているのかと思うと、それもまた楽しいしなんだかワクワクする。そう思えるのは待っている人を選ぶのかもしれないけれども。
 まだまだ俺には時間があるようなのでちょっと頭の中でシミュレーションしてみる。待っているのが牧さんじゃなかったら。例えばバスケ部の連中だったら。
 うん、もう少し苛ついているかもしれない。待たされたことがまだないからわからないけれども。そっか、初めて人を待つということを今俺はやってるんだ、と気づいて新鮮な驚きを感じて、しかもそれが牧さんだという幸せを思い出して、口の端がニヤつきかけたところで、正面から走ってくる人に気付いた。
 ハハ、人混みが割れる。そりゃそうだろう。牧さんみたいな人が必死な顔で走っていたら。俺はニヤついた口元を左手で隠して、学校指定の革靴が視界に入ってくるまで自分の足元を見つめつつ待った。
「仙道、遅れてっすまんっ!」
 息が少し上がってる。牧さんが息を上げるくらいだからどのくらい前から走ってきたんだろ。
「仙道?」
 少し心配そうな声になって、覗き込んで来る顔を避けて俺は顔を上げた。
「うん、よかったです。何かあったのかと思ってた」
 にっこり笑うと、牧さんは少し眉を下げる。何かあったのか、は知ってる。ここへ来る途中に偶然海南の清田に会った。嫌そうに顔を背けられたから興味が湧いて、近づいていって話しかけた。悪い癖だと越野にはいつも言われる。部活帰り?
調子はどう? 牧さん元気? そっぽを向いて苦虫を潰したような表情で、それでもボソボソと答えてくれていた顔が、最後の質問で得意げに上げられた。
「牧さんに今大学のスカウトが会いに来てる」
 自分のことのようにうれしそうに自慢そうに、それでも多分口止めでもされていたことをやっと思い出したのか、まずい、と舌を出して清田は口を横に引き結んだ。他校の人間には教えられねぇ。そう宣言した清田に笑って「うん、俺も何も聞かなかった」と言えば、清田は気まずげに頭を数cm下げてから背を向けた。
 待ち合わせ時間に牧さんは遅れる。今からじゃあ連絡する手段もないとなった牧さんは、きっとめちゃくちゃ焦ってるだろう。今日で公開が終わる映画には間に合わない。観たいと言ったのは俺だけれども、絶対に観たい映画じゃなかった。ただ牧さんと映画を観たことがないということに気付いて、今度の週末は何をしようか、という話になった時にたまには外に出たいという牧さんに提案してみただけだ。
「映画、もう間に合わないな…すまん」
「いや、いいんです。もう遅いし、俺んち行きましょうか。腹減りました」
 自分で想像するところの健気と思しき表情を作って微笑むと、牧さんは安心した顔になるどころかますます困ったように眉を下げた。
 ごめんなさい、牧さん。でもボーッと待っている以外にもいろいろと計画を練る時間もあったんだ。
 他校生の、学年も上の牧さんに惚れて惚れ抜いて、とにかく恥も外聞も頭の外に置いといて口説きまくった。ようやく落とした牧さんは恋人として付き合うことに首を縦には振ってくれたけれども、色恋は苦手だという本人の弁通りにやっぱりどこか自分の側からの一方通行感が否めない。
 もちろん牧さんは曖昧な理由や同情で個人的に付き合うなんてことはしない人だとわかってる。
 だから。
「…口説け?」
「はい」
 俺の下宿先のアパートに着いてからも牧さんは俺にまず謝った。寂しそうなしおらし気に作った風情の俺に対して。下げてるビニール袋の中のコンビニ弁当も今日は牧さんのおごりだ。いらないと言っても下げていたカゴに次から次へと放り込まれた。もしかしたら牧さんが腹減ってるだけかもしれないけど。
「そんなに謝らないでください。いつかテレビでやるし」
 付け足した一言に、牧さんがまた困った顔をするのに心が少しだけ痛むけれども。
「よし、今日はおまえの言うことなんでも聞いてやる」
 あああ、牧さんてば。かわいい人。ダメだよ、俺なんかに簡単にそんなこと言っちゃ。
 もっとイケナイお願い事が頭に擡げたけれども、初心を貫くことにする。
「じゃあお願いしたいことが一つあります。俺を口説いてください」
「ん? は?」
 固まった牧さんが俺を見る。困ってる、というか心底驚いてる。
「くど…く? どうすれば…いい?」
「どうとでも。牧さんのやりたいように」
 さあ、来い。と俺は牧さんの前で目を閉じた。目を閉じてから、あ、しまった牧さんの顔が見れない、と気づいたけれども、すぐそばにいる牧さんの気配がくすぐったくてそのまま待つ。
「仙道」
「はい」
「好きだ」
 その一言でもう俺は天にも昇る気分になる。でもまだダメだ。まだ。もっともっと。
「俺のどこが好きですか?」
「仙道…」
 片目を開くと目の前の牧さんの目が上に左に泳いでた。気づかれて「閉じてろ」と怒られる。
「まず…初めて会った時のおまえは…」
 お? 思わぬ時間軸から来たな。
「インターハイ予選だったかな? すごい一年がいると聞いて観に行ったんだ」
「え、そうだったんですか?」
 それは初耳。ウソ。見られてたんだ。
「その時のおまえは噂通り…一年坊主の癖にもうゲームを支配してた。一人で40点近く取ったんじゃなかったか? 本当にすげぇと思って、」
「ストップ」
 牧さんの前に手のひらを広げた。それも今度聞きたいけど、今聞きたいのはそこじゃない。
「バスケ以外でお願いします」
「仙道ー…」
「はい」
 ふっと息を吐く気配がして、耳がそばだつ。あああ、あんたに触れたい。もう今度にしようかな。
 我慢の効かない俺の頭と体。だって俺の部屋の中に牧さんがいる。手を伸ばそうとした時、ダンッとすぐ隣の壁ででかい音がした。牧さんの手が壁につかれたんだ、と気づいてびっくりして目を開ける。その目を牧さんの色の薄い瞳が覗き込んできた。
「おまえの目が好きだ。甘く垂れてて落ち着かない。長い睫毛も。キ…スをするときいつも驚く。まっすぐ通った高い鼻筋も、」
 牧さんの顔が近づいてきて、自分の鼻に牧さんのそれが当たる。触れると、擦り付けられるように動いてまた離れる。あ、と思って追うと牧さんの顔が傾けられた。
「キスしようとした時鼻が当たってるのになかなか唇まで届かなくて焦った。それからおまえにキスする時は角度をつけて近づかないといけないんだと学んだ」
 軽く唇が触れて痺れたように感じて追おうとするとまた離れて、薄い色の瞳に覗き込まれた。いつの間にか今まではなかった余裕がそこに見て取れて少し焦る。
「自分で口説けと言っておいて赤くなるところも好きだな」
「牧さーん」
「うるせぇ。おまえはもう今日の主導権を俺に明け渡したんだからな。そのまま動くんじゃねぇ」
「ん…」
 またキスされて舌がゆっくりと入ってきた。牧さんの体も近づいてきて、背中に手を回したかったけど言葉通りに堪えて待つ。舌を追うとするりと抜け出していって、また牧さんの瞳が覗き込んでくる。さっきの戸惑った顔はもうなくて、悪戯気に目が笑っていて、その表情にも見惚れる。
「おまえの唇も好きだ。機嫌よさそうにいつも上がってるな。試合中に見るとムカつくけどな」
 少し睨みつけられてきつい瞳の光にぞくりと背に熱が這い上がる。
「…牧さん、俺の顔が好きなの?」
「んー? 好きだな。でも中味も好きだぞ? 俺の遅刻の仕返し考えてるかわいいとことかな」
「仕返しなんかじゃないよ」
「口説かれてくれたか?」
「…そうですね」
 もし俺が牧さんを先に好きじゃなかったとしても、もうこれで口説かれてるのは確かだ。間近に食い入るような帝王の目を見て、抗える人間がいるなら見てみたい。
「よし、メシ食うぞ」
 手を伸ばそうとした背中がパッと離れた。あっけにとられるほどに牧さんはさっさと俺に背を向けて、台所の床に置いたままだったコンビニの袋からてきぱきと入っていた弁当を取り出してはレンジに突っ込んで温め始めている。さっきの甘い空気はもう一欠けらも感じられない。まあ、そんなところが牧さんらしいんだけど。
 多少の物足りなさは見抜かれた下心と相殺して、牧さんが温め終わった弁当と箸を持ってテーブルの前に座った。すぐ横に牧さんも自分の分の弁当を持ってきて座る。あっという間に食べ終わって、やっぱり牧さん腹減ってたんだなーと思いつつ(牧さんは腹が減っているとほんのちょっとだけ短気になる)、弁当のゴミを捨て、食後の茶代わりのペットボトルを持って部屋に戻った。
 牧さんは機嫌のいい猫みたいな満ち足りた顔をして俺のベッドに座っている。伸びをして欠伸をして、帝王と呼ばれる人が俺の部屋ですっかり油断してくつろいでいる。
 ああ、いいなぁ。突っ立ったままその風景を眺めていた俺に気付くと、牧さんはポンポンと座っていた自分の隣を叩いた。なんだかそれがペットを呼ぶ主人みたいで、俺は隣には座らずに犬のように牧さんの足元に腰を下ろした。すぐ隣にある牧さんの膝に頭を寄せると、やっぱり犬にするみたいに牧さんが俺の首を撫でてくる。
「ワン」
 ふざけて犬の鳴き声を真似ると、首を撫でていた牧さんの手が止まった。
「随分大きい犬だな」
 顎の前に回った大きな手に顔を摺り寄せて、「ワン」ともう一声吠えてその手のひらにキスをした。










end




策士仙道も牧にかかると可愛いワンコになれちゃうのですねv 幸せな恋なのが伝わってきます〜v
初々しくて可愛いお話の誕生日プレゼントをありがとうございましたvv




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