what you won't do for it
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作者:志毛さん |
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スーツケースをガラガラと転がしてくる音が、空気を震わせてすぐ脇を流れていった。大分年季が入ったような歪な音に仙道が目を開くと、枕にした自分の腕の先に、迷いこんだのだろう背の高いカップルの後ろ姿が見えた。男の方が困ったような顔で振り返り、目が合うと、「すみません、駐車場は」と聞いてくるのに、仙道は頭をかいた手をそのまま上げて連絡通路のある方向を指をさした。男が礼を言って去ろうとして、隣の連れの女性が仙道に視線を止めているのに気が付いて苦い顔をした。仙道が笑って、「よいクリスマスを」と手を振ると、「あなたも」と異国の言葉が返り、女は連れの男性を見上げて微笑んだ。促されて背を向ければもう二人の世界で、仙道を振り返ることもない。 仙道は先ほどの作ったものではない笑みを小さく浮かべて、溜息をついた。 ガランとした広い通路の奥にある、今一つ用途のわからない二つ並んだ広めのテーブルと椅子が置かれた空間は、出入国ロビーや飲食店のある階数とは違い滅多に人の来ない格好の休憩場所だった。白が基調の無機質な空間は夏場は涼しく快適だが、今はどこからでも聞こえてくる鈴の音が混じる賑やかな音楽が届かない代わりに、少しばかり寒々しくて、コートでも持ってくればよかったな、と頭の隅でぼんやり思う。 手首を反して時刻を確認し、まだまだ帰宅時刻が来ないことにまた溜息が出る。もうここで昼寝をする気にもなれなくて、だがすぐに動き出すのも億劫で頬杖をついて窓の外を眺めた。滑走路とはこのウィングを挟んで反対側の、空港関係のビルが立ち並んだ様を背景に、きれいに並んだ車の背が冬の弱い午後の日差しを弾きかえしている。その中の今、車庫入れをしている車に目が留まった。その車種に見覚えがあった。 真夏の刺すような日差し、海際の崖の上に建った家、波の音、灼けた肌。 切り返すことなく一度できれいに駐車スペースに止まり、中から遠目からでも上背があるとわかる男が降りてきた。思わず瞠目するが、その男の黒い髪と、コートの上からでもわかる突き出た腹に仙道の瞼が半目に落ちる。 「あーぁー」 実際に声に出した溜息は自分の耳で聞くとさらに侘しくて、仙道は頬を支えていた自分の右腕の中に倒れ込んで顔を埋めた。 夏に無理に休暇をもぎ取ったツケがなくとも、今の季節は書き入れ時で、搭乗と空港待機の日々が交互に続いていた。それが終わるとまた年末年始が来る。今日が終われば一日半、休みが取れるが、宮崎までは遠い。車での移動が難しい距離に加えて、この時期は殊更に遠くに感じられる。 「クリスマス…か」 先刻何気なく口にした単語が今度は意味を持って、ぽっかりと頭に浮かんだ。職業柄イベントを重視する付き合いはしてこなかったし、自分が今更それを言い出す柄でもないとは思うのだが、生活の景色として入ってくるあれこれには仙道だとてやはり感じるところはある。 牧とあの海の傍の家で別れてから4か月、電話やメールでのやり取りはあったが顔を見る機会は作れなかった。牧は新しい職場で働き始めて、すぐに休みを仙道に合わせて取れるものでもないのだろう。秋口辺りに「冬には東京に行く」とは言ってくれていたが、具体的な予定の連絡はなかった。仙道も国内線に異動願いを出してはいるが、それが家族持ちから優先されることに異を唱えるつもりはなく、まだこうして成田に詰めている。 今度会えるのはいつになるのだろう。 今年中に会えるのかどうか、予定すら立っていないというのは、改めて考えるとさすがに心許ないどころではなかった。やにわに仙道は起き上がり、モバイルを取り出して、電話でもかけてみようか、と暫し手の中の小型電子機器を見つめた。企業内でライセンスを取得した自分にはわからないが、大学校にも冬休みはあるんだよな?と考えてみる。教職員はどうなんだろう。丸々生徒と同じく休みが取れるとは思わないけれど。 画面をタップして、牧のナンバーを前に逡巡し、だが牧の顔が思い浮かぶと自然に指が動いていた。呼び出し音が聞こえ始めると、今度は自分の予定すら覚束ないのになんと言って切り出したものかわからなくなって、思い直して切ろうとして、広い空間の奥に響き近づいてくる音に気付いた。スーツケースを転がす音がついて来ない革靴の足音と、自分の手元から鳴る呼び出し音と少しずれて鳴り続ける電子音。 顔を上げると、スーツの上にコートを羽織った男が、歩きながら懐から取り出したモバイルを手に顔を緩ませていた。プツッと接続された音がして、手元から焦がれたその声が聞こえてくる。 「もう少しだったんだがな。残念」 仙道は茫然としながら、スマホをゆっくりと耳に当てた。 「……牧さん…?」 「うん」 低く甘い声が左耳に当てたモバイルと、右耳から直接入ってくる。 「…あ…………お久しぶり…です」 「ああ、久しぶり」 通話は切れて、隣の席の椅子が引かれた。ふっと懐かしい香りがして、空ろだった空間が埋められる。 「…驚いた」 止めていた息を吐きだし、仙道は長い腕を伸ばしてテーブルに突っ伏して、頭に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。 「いつか仕返ししてやろうと思っていたんだ」 「……ハハハ…驚いた」 二度言って起き上がり、両手で顔を掴むように覆って笑う。とうとう自分が幻まで見るようになったのかと思った。 「…だって牧さん驚いてなかったじゃん」 「驚いたよ。驚いて波から落ちた」 「ウソ…残念。見損ねた」 ゆっくりと顔から手を外して隣を見ると、予想に違わない、穏やかに笑った横顔がそこにあった。どうして自分がここにいるのかわかったのか、というのも無駄な問いなのだろう。牧からの問い合わせであれば喜んで仙道の予定を調べて上げて送る人間など、両手に余るほどに浮かび上がる。 「すごく、嬉しいです」 ストレートに自分の気持ちを言葉に乗せてその顔を見つめると、少し目が瞠られて、面映ゆ気な笑みが口元に上った。 「うん。俺もだ」 それは今なのか、それとも自分が突然に押しかけた時だったのか。 どちらにしても牧の口からその言葉が聞けたことが嬉しくて、仙道はただ同じように、「うん」とだけ返した。 「仕事?」 スーツ姿の牧だからそれ以外はないのだろうが、久しぶりに見るその姿は、やはりどこから見ても隙がないようで見惚れた。賛嘆の意を込めて上から下まで眺める。 「ああ。急に決まったんだ。ついでに顔を覗きにきてやった」 「俺ついで?」 本気でそう思っているわけではないが、言葉遊びのようにして問えば、牧の作ったような意地の悪い笑顔が返った。その顔を見ているだけで口元に笑みが上った。 「いつまでいられるの?」 「明日の午後に戻る」 「そっか。じゃあこっちに泊まるんだよね?俺ん家来てくれる?」 牧の顔を下から覗き込んで強請るように問うと、牧は当然という顔をして頷いた。 「ああ。そのつもりでおまえの家の鍵を受け取りに来たんだ」 「鍵?…え、待っててくれないの?」 「午後いっぱい詰めていないといけないんだろう。俺が先に行って飯の準備をしておいてやる」 そこまで調べがついているのならもう言うことはなかった。帰れば牧が部屋にいて、食事の準備までできている。これ以上のクリスマスがあるだろうか。 「…俺、キリスト教に改宗しちゃおうかな」 「無神論者だろう」 「それぐらい嬉しいんだよ」 「そうか」 牧の目が仙道の背後左右に流れたかと思うと、顔が近くなった。 「会いたかった」 その言葉を仙道が正しく理解できる前に唇に暖かさを感じて、それは牧の言葉がストンと仙道の中に落ちたと同時に離れていった。 「え…」 仙道がようやく驚きから解かれると、隣の席から立ち上がった牧が手のひらを上にして差し出していた。 「鍵」 「え…ちょっと待ってちょっと待って」 仙道は頭を抱えたくなった。牧はいい男には違いないが、こんな真似が出来る人間ではなかった。と思う。 「さっさとしろ。おまえも早く仕事に戻れ。いい年してサボるな」 ほら、照れてる。 早口になって、目はあらぬ方角を見ている。 それを指摘すればご機嫌を損ねることは確かで、折角来てもらったのに帰ると言い出されるのも困るので、仙道は思わず漏れる笑みを噛み殺して立ち上がり、スラックスのポケットを探った。 「ハハ、ヤバい人にサボってるとこ見られちゃったなー」 探し当てたキーリングを手渡すと、牧の少し赤い顔が「今回は黙っておいてやる」と、そっぽを向いた。その逸らした瞳を見て仙道は思う。 帰ったら。帰ったらこのかわいい人をどうしてやろうかと。 誕生日祝いのプレゼントは毎年頭を悩ませていたが、そういえばクリスマスに特別なプレゼントを用意したことも貰ったこともなかった。 その時期に会えなかったことが多かったからだが、今年は別だ。何か特別なことがしたい。 夕食を用意してくれるというから、仙道はちょっと寄り道をして普段はほぼ寄り付かない界隈へ足を踏み入れた。頑張り過ぎないプレステージのエクストラ・ブリュットで1本選んで、それと少し悩んで小さなホールケーキを買った。甘過ぎるのは苦手だと伝えると、スパイシーなスポンジの中には洋酒漬けのドライフルーツとナッツが入っていて、それをダークチョコでコーティングしていると店員が説明してくれたものだ。甘いものも好きな牧も満足してくれるだろうし、これにはまた別の赤ワインを開けてもいいだろう。いつか牧と飲めたらいい、と本場で仕入れておいたDOCGがある。 そんな物達を下げて歩くだけで、午前まではただ耳を通り過ぎていくだけだったクリスマスソングが、急に自分を祝福しているように感じられた。 浮かれている、と思う。 ウィンドウにシックにディスプレイされたクリスマスの雑貨に目が行き、仙道は殺風景な我が家の様子を頭に思い浮かべた。 やり過ぎはよくない。けれども、折角来てくれた愛しい人を歓待する意味でも、大袈裟でなく季節を感じさせる物を取り入れるのもたまにはいいのではないでしょうか。 足を止めた自分への言い訳ではなのだ、と仙道はもうごちゃごちゃ考えることなく、その店へ足を向けた。 鍵を取り出そうとして、そういえば牧に渡していたのだった、と思い出し、自分の家のインターフォンを押そうとして、仙道の顔がまた締まらない笑いに崩れた。 この扉の向こうには牧がいて、しかも今夜の夕食を準備していてくれて、更には一晩泊まっていくという。 朝、重い足取りでこの部屋を出る自分に言ってやりたかった。帰りのおまえはこんな表情で顔を崩しているのだ、と。 なんとなくいらない咳払いをして、仙道は自分の部屋のインターフォンを押した。下を向いて、自分の靴を見ながら顔のにやけた笑いを直してしばし待つ。 一定の時間が経過して、仙道はドアを見つめた。まだ帰ってない、ということはないよね、と念のため自分の部屋の表札まで目をやって確認する。と、最後に雑貨屋で買った袋が手から滑り落ちた。「あ、いけね」としゃがんで、袋の持ち手に指を引っかけたところでドアが開いて、仙道の頭を掠めた。 「っ…!?」 「仙道?…仙道?」 本来仙道の頭があるはずの高さの空間に首を回して探していた牧が、足元にしゃがみ込んでいる仙道を発見した。 「何してる?」 「あ、いえ、ちょっと落とし物を」 思わず竦めていた顔を上げて立ち上がった仙道は、牧を前に言葉を失った。もうシャワーを浴びたのか洗ったままの髪に眼鏡をかけて、自分のダンガリーシャツを羽織っている。自分の。 牧は自分が着ているものに目を止めたまま動かなくなった仙道を見て、自分もシャツに目を落とした。 「ああ、悪い。Tシャツは持ってきたんだがちょっと寒くて借りた。ダメだったか?」 「いえ!とんでもない。どうぞそのままでお願いします」 「なんだ?おかしな奴だな」 牧は笑いながら乗り出していた身を引いて、玄関から?がる廊下に引っ込んだ。空間に残る風呂上がりの香りと牧自身の匂い。ああ、いいなあ、とそれを追いかけていく形で仙道も部屋の中に入ると、ダイニングから漂う湿度とテーブルに置かれていたものに動きを止めた。 「あ」 「なんだ?」 「いえ…もしかして…鍋?」 「ああ、そうだ。今日は寒かったな、と思って」 「そっか〜鍋!食いたかった〜!」 と言いつつ、仙道は持っていた細長い方の紙袋を後ろ手に持ち替えた。 ダイニングテーブルには簡易ガスコンロの上に湯気の立つ鍋。その隣にはいつだったか買ったまま忘れ去っていた素焼きのクーラーが据えてある。 「あ、飛露喜!すげー!どこで手に入れたんですか?」 あまり見かけない、だが一度飲んでみたいと思っていた日本酒がクーラーの中に冷えていた。 「うん、入ったデパートで偶然。それもあって鍋にした」 「へ〜ナニ鍋?」 覗きこんだところを、後ろ手に持っていた紙袋を掬い取られて、「あ」と声が出た。袋を開いて覗き込んだ牧が動きを止めた。 「あぁ、シャンパン買ってきたのか。…そうか、クリスマスか」 「あ、いえ。あーもうベタで恥ずかしいな。いんです。俺そっちの方が飲みたい」 「だったらデカい苺買ってきたからそれで後で飲もう。驚くくらいデカくて思わず買って……俺もベタだな?」 「…いえ…!俺なんてこんなのも買ってきちゃったし」 苦笑していた牧に、反対の手に持っていたケーキの紙袋を渡して、仙道も笑み崩れた。 今日でなくとも。 明日は休みだ。牧も午前まではゆっくりできると言っていた。家から一歩も出ずに、というかベッドから一歩も出ない過ごし方はどうだろう?昔見た何かの映画のように、寝室に苺にシャンパン。 大分頭の螺子が緩んでいる。自覚している。 だが目下、腹に入れるべくは目の前のうまそうに湯気をたてる鍋だった。 「着替えてきますね」 言い置いて、仙道は自分の寝室へ足を向けた。 end |
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あのパイロット仙牧(仙)小説の大人格好良い二人のその後が読めるなんて…v
後日譚の良さがギュウギュウに詰め込まれた、豪華なXmasプレゼントをありがとうございましたvv そしてなんと!! 裏の鍵をお持ちの大人なお嬢さんズにのみ、この後の二人を読めちゃうビッグプレゼントがv 日々頑張ってる大人女子への志毛さんからのご褒美を抱きしめに、さあ鍵を握りしめて今すぐGO!! |