忘れていた一目惚れ
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作者:兄さん |
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********************************************************* 口紅の味が嫌だと言ったら彼女は気分を害したように細い眉をつり上げた。本当はファンデーションや香水のどこか嘘くさい匂いも好きではなかったけれど。これ以上彼女を怒らせるのも面倒くさいから、仙道は曖昧に笑って小さく柔らかい身体を抱き寄せた。 キスなんてしなくてもセックスは出来る。 お前が一つ笑うだけでみんな騙される、と苦々しくぼやいたのは越野だっただろうか。福田は無言でこくりと頷いていたから、多分それで合っている。そんな二人は仙道が微笑んだところで騙されてくれやしないのだから、「誰でも」という皮肉には心から異議を申し立てたい。元より、含みを持って笑うことなど無いのだけれど。 どうやら自分の表情筋は、人よりも緩く出来ているものらしい。ただ普通にしているだけで優しそうだとか、羨望の目を向けられることがよくあった。余裕ぶりやがってと言われもするが、大部分は好意的に受け止められている。特に、異性からは顕著に。 今抱き合っている彼女も、仙道の笑みを好意的に捉える内の一人だった。気が向いた時に肌を重ねるだけの関係は、恋人というよりもセックスフレンドと表現する方がきっと正しい。恐らく彼女も仙道の恋人になりたいだなんて少しも思っていないだろう。仙道の興味は殆どバスケットにそそがれていて、そこに別の言葉が入る余地は残されていなかった。余計な干渉や束縛をされるくらいなら簡単に切り捨てられる。お得意の笑みを浮かべながら、呆気なく平然と。 彼女がメイクを落とした顔を見せたのは、その時が初めてだった。 一緒にシャワーを浴びることもなければ入れ違いに浴室へ向かうことが殆どで、仙道が部屋へ戻る頃にはいつも、彼女はしっかりとメイクを済ませている。そう言えば彼女がこの部屋に泊まったことはなかったと、今更仙道は気が付いた。 飾られていないその顔は随分と印象が違う。普段は勝ち気な瞳が今は柔らかく下がっていて、化粧で眼の形すら変わるのかと純粋に驚いた。眉が殆ど見えないとか微かに色の違う肌だとかそれよりも、仙道の視線は引き寄せられるように目の下に吸いつく。 目尻の少し下、ぽつんと存在する黒い点。今までは化粧品で塗りつぶしていたのだろう小さな黒子から目が剥がせない。 共通点はたったそれだけなのに、連想したのは同性で一学年上の他校生。目を引く褐色の肌とスポーツをする者として理想的な体躯。その速さも力も知っていて、実績に天地の差があるとしても負ける気はしなかった。神奈川No.1プレイヤーと肩を並べるのだと信じた。 それなのに追い付いたと思った瞬間、相手は軽々と更に高みへ飛び越えた。その広い背中は確かに見えるのに、伸ばした腕はするりと空を切る。 類を見ない昂揚感を思い出し、あの興奮がぞくりと仙道の身体に蘇る。勝つか負けるか、喰うか喰われるかの均衡の中で交わされた視線。その瞳はぎらぎらと輝き、まるで獲物を狙う肉食獣を思わせた。荒く呼吸する唇はそれでも楽しげに、挑発的な弧を描く。 個人として、チームとして敗北を喫した相手は何も彼に限らない。なのに、他のどんなプレイヤーよりも鮮烈に仙道を惹き付ける。 例えばその肌に噛み付きたくなるように。 名前を呼ばれて、次々と展開する記憶はさっと霧散した。 訝しげな彼女に何でもないと首を振る。きちんとメイクを終えたその顔はいつも通り少しきつめの美人で、目尻の黒子は当然のように隠されていた。 素顔の方が可愛いのに。そう思うが、仙道は別のことに気を取られていてそんな些細なことはすぐに忘れた。 似ていたとしても、けしてそれは本物じゃない。 「面白いね、」 自分は追われるよりも追う方が断然に燃えるのだ。 仙道の口角は、無意識に上がっていた。 ――――― 「牧さん」 名前を呼ばれて振り向くと逆立った黒髪が視界に入った。 牧よりも高い身長を持つ男は、にこりと柔和な笑みを浮かべて小さく頭を下げる。 「お前も来てたのか」 「ええ。まあ、もう帰ろうと思ってましたけど」 「まだ試合は終わっていないぞ」 「結果は見えたでしょ」 悪びれもなく言い放つ仙道に牧は苦笑を返した。まだ前半戦も終わっていないが、仙道の言うとおり既に流れは決まったように思えたからだ。この試合を観に来たのも偶々会場の近くに来る用事があっただけで、どちらかが次の対戦校という訳でもない。特に気になる選手が居るでもなく、これならば帰って自主練習をした方がまだ有意義だろう。 「一人か?」 「いいえ、みんな居ますよ。片方が週末に試合する相手なんで、偵察に来てるんです」 「お前な…それならしっかり見ておけよ」 呆れたような物言いに仙道は大袈裟に肩をすくめる。わざとらしいその仕草も様になるのだから、仙道彰という男はどこか憎めない。 自販機で買ったジュースを手にして、牧はふとデジャブを感じた。あの時は牧から声を掛けたから立ち位置は逆だが、それぞれの服装も状況も同じだ。 そう言えばあれから陵南と――仙道と関わる機会が増えたなと考える。練習試合の合間に他愛ない話をするとか、その帰りにどこかのファミレスで食事をするとか。いつの間にか定期的にメールや電話のやり取りをしているだとか。 神奈川という同じ領土で、監督同士の浅からぬ因縁もあるとはいえ、試合で顔を合わせても個人的に会話をすることなどあまりなかった。類い稀なプレイヤーとして仙道が一年の頃から注目してはいたが、こんなにも人懐こい性格をしているのだと知ったのは割と最近だ。 初めて仙道から電話が来た日、これといって重要な用件でもないただの世間話で時間は過ぎた。喋っていたのは殆ど仙道で、牧はろくに話すことも出来ずに相づち程度しか打てていない。最後に「また連絡していいですか?」と朗らかに聞かれて頷いたものの、次はないだろうなとぼんやり考えていた。部活から離れた自分は面白味に欠けた、凡庸な奴だと牧は自覚している。だからそれが二度目どころか、三度四度と続いていくとは微塵も思っていなかった。 不思議な奴だと改めて思う。 もう帰ると言っていた仙道は、会場に戻ろうと歩き出した牧の後ろに大人しくついてきた。 予想していた通り、点数が加算されているだけで試合の様子はさほど変わっていない。仙道は観戦する気になっても陵南メンバーの元に戻るつもりはないようで、牧の横でぼうっと戦況を眺めている。 歓声とボールの打つ音だけが聞こえる。慣れない相手との沈黙は座り悪いが、仙道との間に長れるそれを特に苦痛だとは感じなかった。彼を取り巻く独特な空気はとても柔らかで、肌を刺すような鋭さが欠片もないせいかも知れない。 違和感のない沈黙の中でちらと仙道を窺うと、視線は真っ向からかち合った。向けられて気付いたにしては、タイミングに誤差がない。まるで試合中のような真摯な目で、一心に自分を見やる眼差しに何故かひどく動揺した。 硬直した牧の目尻に仙道の人差し指がそっと触れる。ほこりでもついているのかとじっとしていたが、くすぐるように撫ぜるその手が離れる気配はない。 「仙道…?」 「知ってました? 俺、牧さんのことが好きなんですよ」 「は?」 常々変わった男だと思っていたが突然なにを言い出すのか。 首を傾げることも問いただすことも出来ない牧に、仙道はゆるく目を細める。 「抱きしめたいなって意味で」 告白をされているようだと思って、実際にその通りなのだと鈍い頭の回路がようやく繋がる。沸いた会場内で、誰も注目していないとしてもあまりに場違いな台詞だった。性質の悪い冗談にしては孕む温度が高すぎる。 水分を取ったばかりなのにどうしてか喉が乾いていた。何を言いたいのか分からないまま口を開けたところで仙道の指先が頬を滑り、親指が牧の目尻をこする。息が詰まった。 まるで慈しむような。そんなことを思ってしまったから混乱はいや増した。与えられた情報の洪水に頭の中が余計ぐちゃぐちゃになっても、体だけは瞬時に反応する。 牧がその手から逃れるように後ずさると、仙道はきょとんと無防備な顔を見せた。一歩踏み出せば届く距離にいる牧に向かって、ほころぶように笑う。 「あんたも俺のこと好きでしょ?」 「…そんな、ことは」 ない、と続けるには、仙道の声は確信に満ちていた。 仙道が好きかどうかだなんて、今まで考えたこともなかった。もちろん嫌いではない。嫌な相手だったら、頻繁に連絡など取り合わない。しかし、嫌いじゃなければ好きなのかと聞かれればそれもまた違う気がする。 牧はぐっと眉間に皺を寄せ、端正な顔に笑みを広げる男を見据えた。その笑顔を曇らせてしまうことを想像して、どこかが痛むのを感じながら。 「そんなこと、考えたこともない」 「そう?」 嫌いだと言った訳ではないにせよ。否定された事実に違いはないのに、仙道に堪えた様子はなかった。それどころかますます笑みを深めるから、ただ困惑してしまう。 戸惑い、苦い顔をする牧を気にしたふうもなく、仙道は予言するかのように言い切った。 「なら、これから好きになるよ」 あっけらかんと軽薄に、愛されるもの特有の傲慢さを伴って。 「牧さんは俺を好きになるよ。…絶対にね」 落ち着き払った低い声音が牧の鼓膜を震わせる。じわじわと侵食していくそれに、色黒な自分の肌でも分かるほど頬が熱くなるのを自覚した。 了 |
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兄さん(“あに” さんと読みましょう♪)初書きの仙牧小説をお招きできてとても嬉しい〜!
惹かれることが決定づけられている、ドラマチックな恋の始まり…v 格好良い二人をありがとうございましたv ※上記の「注意事項」は兄さんが書かれたもので、梅園が添えたわけではありません☆ |