Positive Problem - side B
作者:cyさん



あれ、と半信半疑の呟きがもれたのは、夏休みも半ばの午後。

照りつく公園の、遮蔽物のない云わば天然バーベキュー状態のバスケットコートに影を落としていた一人がそう呟きながら小首を傾げた。
緩慢な、それでいて全く隙の無いドリブルをしながら中空を見つめ、ぼんやりと思索にふける。対するもう一人の、灼熱地獄のコートに身をさらす影は、ボールの定期的な振動とムーブメントに目下全神経を注いでいる。

引退したら、という牧の回答を当然まともには受け取らなかった仙道が、インターハイ終了後の牧にアポを取るまでそう時間はかからなかった。いったい何処から入手したのか、解りたいようで解りたくないような入手経路を経て、牧はある金曜日の夜、あっけらかんとした男の声を電話越しに聞く。牧さん、その後どうしてますか。そろそろ、俺とバスケしてくださいよ。待つのって苦手なんすよね、俺。それに俺とバスケ、悪くないっしょ。
悪びれもせずそう言ってのける他校の後輩に、不覚にも笑ってしまった牧は、まあ、明日の昼なら、という返事をして現在に至る。

「牧さんって…」

軽いフェイク。そしてブレイク。中空に注いだ視線をゴールの真ん中に据えてシュートを放つ。入る予感。完璧だ。
が、抜いたと思った相手が魔法のように伸ばした指先がボールに掠り、放ったそれは鈍い音をたててリングに弾かれた。
思い通りに進まない苛立ちは、しかし神経を蝕むような苦い味はしない。寧ろ、想像がつかない相手のプレイが自身だけに注がれていることへの興奮のほうが、強い。
肩で息をしながら、自分の影を見つめる。
やばいなあ、これは嵌ってしまう面白さだなあ、部活いくよりこっちのほうが楽しいなんて言ったら越野に殺されるなあ、等等。
顎の先から落ちた汗が、見つめた視線の先にある影法師にじわりと染み入るように落ちた。

遠くででサイレンが鳴っている。
牧が指定した公園は意外に海が近いのだろう。ふわりと流れてきた風に、かすかな潮の香りがした。

「何だ。」
「…痩せました?」

リングを外れたボールを、次のデュエルへ。柔らかいドリブルと共にそれを運んできた牧の問いに仙道が短く答えると、体育館の中とは違った乾いたドリブルの音が、一瞬ぶれた。
若干の沈黙の後小さなため息と共に、射抜くような視線がやってくる。

「そんな余計なこと考えているから、追いつかれるんだ。集中しろ。」

らしいねえ、と思いはするが口には出さない。
この他校の先輩に、80%とか遊びとか、手を抜くとかそれなりとか、そういった単語が存在しなさそうなことは、数少ないコンタクトで十分過ぎるほど解っていた。真面目というのとは、少し違う。好きなことだから、全てを捧げて楽しみたい。単純でいて、明快。しかしてそれに注ぐ努力たるや半端ではない。そんなストイックさが、個性の強いプレーヤーが勢ぞろいする選抜合宿などで、自然とキャプテンに押される理由だろうと思う。問題児だろうが、自己中だろうが、キツイ性格だろうが。いずれにせよ集まった人間はバスケが好きでたまらない連中ばかりなのだから。
意外なのはそう思われている本人が、その都度真面目に、ライバルと呼ばれ続けた他校の同級生をキャプテンに押すことだ。
俺よりも、お前のほうがキャプテンシーがある。俺は、結局自分のことしか見えないから。お前は、相手チームのベンチのことまで目が届く。キャプテンはお前が適任だよ、藤真。プレーヤーに専念させてくれ。頼むよ。
押されたほうは、その都度黙って牧の背中を張ったおしたり、とび蹴りを食らわせたりするのだが、あれは照れ以外の何物でもないだろうと思う。そして、飽きもせず、同じことを繰り返す牧は、あれはあれで同期への、そして自分が認め尊敬する人間への、小さな甘えのようなものなのだろう。最後のセンテンスに、彼の本音のようなものを仙道は見ている。自分もそうだ。キャプテン、なんていう肩書きに振り回されるより、プレーヤーとしてとことん面白さを追求したい。してみたい。だって、バスケが好きだから。
そこのところ、解ってよ越野。そう思った途端、見えないチームメートの眉間の皺が大空を横切ったようで笑ってしまった。
そんな仙道をみて、牧が怪訝な顔をする。

「おい、聞いてるのか。」
「うん。でも今、集中できない。ちょっと休憩で、いいですか。」

まったく、と言いながらも、照りつける日差しの暑さにうんざりとした感もあるのか、牧も早々と日陰のベンチに腰を下ろした仙道に続いて腰を下ろし、大きく息をついてタオルで汗をぬぐう。数秒のことなのに、顔を埋めたスポーツタオルを横に置き、暑いなあ、と空を見上げるその瞳の色は、コート上で貪欲に勝利を目指すそれとは全く異なっている。この人は本当に不思議な人物だとそう仙道は思った。

「いや、真面目な話。痩せたでしょ、牧さん。」

何本目かのポカリスエットを飲み干してそう問うと、隣に座った人物は実に嫌そうに横目でこちらを眺めた。

「あれ、俺、なんか気に触ること言いました?」

やけに険のある視線にうろたえてそう言うと、牧はいや、と前おいて答える。

「なんか、女子みたいなこと言う奴だなあ、と思ってさ。」
「女子、て…。」

精悍な、ほぼ成人の立派な男性と称しても十分すぎるその風貌から時に飛び出る高校生らしい表現に、不覚にも笑ってしまう。
なんとなく、ベンチの後ろにあるフェンスにその身を預けると、日陰を作る木々の合間から、強い日差しが煌くように見えた。

「てことは、そんなこと言われたんですか。」
「ああ。マッキー、痩せたよね、ってさ。良く見てるよなあ、女の子は。」

…オンナノコ、なんてこの人が言ってるのを聞いたら、うちの連中は卒倒するんじゃねーか。
この人物をジイと呼ぶ湘北の連中なら、笑いすぎてひっくり返るだろう。ていうか、マッキーって何だよ。そんなかわいい名前で呼ばれちゃったりしてるんだろうか、神奈川の帝王は。意外すぎて想像が追いつかない。

「で、どうなんです?」
「何が?」
「…や、体重が、ですね…」

ちゃんと今までの会話は成立してただろうか。ややぐったりとそう仙道が返したその時、牧の注意がふと逸れた。やがてスポーツバックから取り出した携帯の画面に若干視線を注いだ後、悪い、と一言置いて立ち上がり、ベンチから少し距離を置く。どこかへ電話をかけているのだろう。

その背中を見ると、やはり自分の勘は外れていなかったように仙道は思う。
それとも、コートの中と外での印象の差だろうか。パワープレイを得意とし、同時にターンやペネトレイトも細かく繰り出してくるそのプレースタイルは確かに実態よりも彼を大きくみせているかもしれない。

(ま、なんつったって、ダンプカーだからねえ…)

越野がつけたあだ名は言いえて妙だと、プレーをしているとそう思う。
しかし、こちらに気を使って、言葉少なに会話をしている牧そのものには、そんな印象はかけらもない。勿論、屈強なスポーツマンという印象は否定しないが、赤木や魚住のそれとは全く違う。

「…ああ。じゃ、後で。」

そんな会話をしながら、牧がこちらへ戻ってきた。その影の長さをみて、思った以上に時間が経っていることに改めて気づく。
ふと見上げれば真っ青だった空の一部が既にその青さをオレンジが優しい夕暮れのプレリュードへと変えていた。

「悪い、仙道、」

やけにバツが悪そうに切り出したその言葉をさえぎって、慌てて立ち上がる。

「いや、俺こそすんません。結構時間って速く経っちゃうんですね。俺、ぜんぜん気づきませんでした。」
「俺も、もう少し出来ればいいなと思っていたんだけどな。」
「デートの約束でも、してたんですか?」

あの感じは間違いなく女だとそう踏んで言ってみたのだが、言われた本人は苦笑してかぶりを振った。

「違う違う。いい波が来てるんだ。」
「?」

大きな疑問符を浮かべる仙道に、牧が笑って説明する。
いわく、サーフィンをやっていること。キャリアはバスケよりも長いと言うこと。
インハイが終わるまでは封印していたが、それも終わったし、夏の間はとにかく寸暇を惜しんで海に入っていること。

「まあ、痩せたといわれればそうなんだ。とにかく、海に入ってる時間が長いしな。かといって練習が減ったわけでもないし、勉強もあるし。結局、睡眠を削るしかないんだよな。」
「そっか、この辺はサーフィンできるんですよね。牧さん、地元でしたっけ?上手そうですね。」
「そうでもないさ。ここら辺には、トーナメントに出てるような奴が沢山いるし。お前、やんないの?」
「俺、東京なんで。」

東京には、海が無いんですよ。港はあるんですけどね。
結構転校したけど、海の側ってなかったから。

コートを後にしながら何気なくそういった時、牧は一瞬、視線を仙道へ上げた。たまたま合ってしまった瞳の奥に、小さな悲しみのようなものを見つけてしまった仙道は、少しだけ動揺した。それともその色は彼の瞳に移る俺の瞳の色だろうか。

バスケをやめてしまうと、大して話題があるわけでもない。言葉少なに移動した公園の隅にある自転車置き場で、ありがとうございました、と軽く会釈をする。
仙道が顔を上げると、其処には日に焼けた掌が差し出されていた。その向こうには、静かな瞳があった。

「おもしろかった。また、やろう。」

かみ締めるようにゆっくり、穏やかにそういって牧は笑った。
握手などという仙道にとってはほぼ非日常的な行為に一瞬戸惑うが、それもまた、この人物らしいような気がした。
ただ、言葉が出なかった。黙って頷いて、差し出されたそれを握り返した。そして、牧は振り返ることなくまっすぐに公園を後にした。

その背中を見つめながら、思う。

(またやろう、か。)

次がある別れというのは、案外心地の良いものだ。実際そこにはなんら確証もないのだが、次があるのかと思えばなんとなく前向きになれるし、取り残される寂しさのような感情も無い。
互いを確かめるように交わした握手の温かさは、まだこの掌に残る。

(そうですね、また。)

勝ちたい。それは、事実。
でも、それ以上のものが、あるかもしれない。
それとも、あって欲しいとの願望だろうか。

「そのうち解るさ。」

自分の放った声の大きさに、驚く。それ以上に、その明るさに笑う。

滑り出した自転車は、快調に海岸線を駆ける。
波間に浮かぶ影のひとつは、きっとあのつかみどころが在りそうで無い、不可思議な人だ。

(てか、次が何時になるんだろうねぇ…)

すっきりとした割に、曖昧に分かれてしまったことにふと気づく。案外自分は、流されやすい性格らしい。それもまた、楽しい発見だ。

「ま、いいさ。」

ポケットの中の携帯が、無言で震えている。
取り出せば、其処には姑のような親友の名前があった。ペダルをこぎつつ、機嫌よく通話ボタンを押した。鴎が並走するように、テトラポットの向こうを紫色の空へと流れていく。

「おー、どした?」
『お前、何やってんだよ!!』
「え?今日、練習ないよね?」
『ちげー!お前、海南のダンプカーとバスケしてただろ!』

…どんな連絡網で、そんな情報ゲットしてんの、越野サン。
その情報伝達の速さに息を呑む。でも、そんなことに目くじらを立てている友人が、申し訳ないが可笑しくてしょうがない。

「マジさ、越野が男でよかったよ。女だったら俺、友達できないもん。」
『ぶゎか!てめ、他校の奴とバスケする時間があったら、自主トレ出て来いっつってんの!』
「…明日、死ぬほどバスケするじゃないの…」
『チームメートだろ、俺たちゃよ!』

越野は優しい奴だから、そんな言い方しか出来ない。真意は違う。お前、どうしてる?そう言いたいだけなのだ。
それは、十分解っている。だからこそ話題の矛先を変えてみる。

「ところでさあ、牧さんってサーフィンしてるって知ってた?」
『まじでか!?てか、ダンプカー、浮かねーだろ?』

あまりのいいように思わず笑う。電波の向こうの友人も、笑顔だとわかる。
大きなカーブに差し掛かり、車体を少し傾ける。風がひゅうひゅうと鳴る。疾走感、というのだろうか。たまらない瞬間だ。
気がつけば並走していた鴎は既に無く、日は山陰へと落ちようとしていた。



他愛のないテーマで話し続ける越野の電話の趣旨は、結局こうだった。

『福ちゃん家で、バーベキューやるから、すぐ来い!』

チームメートがいて。
親友と呼べる奴がいて。
その上、もしかしたらすごく良い付き合いが出来るかもしれない、少し目上の人もいて。
熱中できることもあって。

東京の、切り取られたような空をビルの上で眺めていたあの日に比べたら、自分は結構遠くへ来てしまったのかもしれない。
でも、これって幸せということだろうか。足りないような気もするし、出来すぎのような気もする。

とりあえず、今は。
考えることよりも、感じることを優先しよう。そういう瞬間も、いいじゃないか。だって、次があるんだから。

そう思いながら、目指す山腹の古刹へとペダルをこぐ。
群青色の海は、明るい橙を水平線に留めながら、夜に向かっていた。

                  
                      




end



『"君を想う"シリーズと、"Positive Problem-sideA"をベースに。こっからスタートするんですよ』
と仰って誕生日プレゼントに贈って下さりました。ぜひ全部通して読んで感動を倍増して下さい!
 ※上記の小説タイトルをクリックするとcyさんのサイト小説へ直接行けます。
二人の男の気持ちが重なりあってゆく物語の序曲をありがとうございましたv

 


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