七 夕
作者:夢金さん



 いやはや。
 本当にはぐれるとは。
 気がついたら、俺はたこ焼きを持ちながら一人で食い歩いていた。
 360度見渡してみたが、でかいツンツン頭が何処にも見当たらない。
 どうしようか。
 最後のたこ焼きを口にいれながら、俺は人波に邪魔にならない的屋の脇に避けた。トレイと楊枝を持て余す。ゴミ箱は決まった場所か、休憩スペースに行かないとない。
 この七夕会場はそれほど広くない。俺は地元で自分が何処に居るのかもわかる。だが、仙道は七夕は初めてだ。きっと俺を探して動き回っているだろう。
 俺も闇雲に動くより、どこかに落ち着いて仙道に見つけてもらったほうが早い。
 そう結論付けると、俺は焼き鳥を焼いている休憩スペースに向おうと歩き出した。




 俺たちは今、湘南地区最大の祭に来ている。

『湘南ひらつか七夕まつり』

 年1回、新暦7月の土日を最終日にした第一週に行われるこの祭は、日本3大七夕祭として開催期間4日間の来場総数は毎年250万人から300万人を数える。旧暦の仙台七夕祭とは開催時期が異なるため、県外からも観光客が来場し、この時期のJR平塚駅周辺は大変な盛り上がりを見せていた。年始のテレビから流れる明治神宮並みの人ごみに、眩暈すら覚える。
 旧国道1号線及び駅前商店街には、この祭の目玉である七夕飾りが両側の歩道から車道に向かって天の川から降り落ちるように飾られ、空が見えないほど通りを埋め尽くしている。その全長10mを越す大小さまざまな七夕飾りは、1基100万円〜500万円程度の費用がかけられ、凄いものではからくり仕掛となり、人々の目を魅了する。そうした特長的な七夕飾りはテレビなどのメディアにも取り上げられるため、各企業の広告宣伝としても使われていた。
 また、祭につきものの屋台も1000件は立ち並んでいる。地元の客は、ほとんどこの屋台目宛で来ているのである。種類も豊富で、昔ながらの射的や金魚すくいはもちろんの事、最近はケバブやトッポギなど、外国人による屋台も増えていて、いよいよ的屋も国際色豊になった。屋台以外にも、商店街沿いの店がこの日だけは自分の敷地の外に出てきて、叩き売りをする姿でにぎわっている。

 高校時代を鎌倉で過ごした仙道だが、この祭には一度も来た事がなかったらしい。
 俺も同じ大学のチームメイトとして親交を深めるようになり、乞われなければ、仙道をホームグランウンドへ招待することはなかっただろう。
 なぜなら、俺にとっては、この期間は通学の妨げ以外の何者でもないからだ。駅前の商店街が閉鎖され、バス・タクシーなどの公共交通機関のダイヤが大幅に変更される。往路は早朝のため問題なく通学できるが、復路は大抵祭り帰りのラッシュとぶつかり悲惨な目にあう。もっと地元の祭に関心をもってしかるべきだとは思うが、如何せんバスケットに明け暮れ、恋人もまともに作ったことが無い俺には全く興味がなかった。

「牧さん、屋台ばっかり見てないで少しは案内して下さいよ」
「案内も何も、ここは七夕飾りをみて的屋で食い物買って食うぐらいだからな」
「パンフレット見たら、他にもイベントあるようじゃないすか。パレードとかベルマーレとか」
「興味ない。それより今のじゃがバターは『蒸し』じゃなくて『揚げ』だったぞ。ちょっと買ってくる」
「全く、ちょっとは俺にかまえって」

 そう悪態を吐きながらも、仙道は終始笑顔だった。
 笑顔という名のポーカーフェイスを貼り付けた男が、俺の地元に招待したことをこれほどまでに喜んでくれるとは思っていなかった。

 それにしても、だ。
 男の俺と一緒に歩くのに、わざわざ着流しでくるか。
 目立つのだ、この男は。ただでさえ目立つのに、紺の江戸小紋の単衣――と仙道がいっていた――を粋に着こなす195〜の姿に、周りの視線は釘付けである。
 本人曰く、祭りは形から入りたい主義だそうだ。浴衣で来ればいいのにと言ったが、下着で歩けるかと却下された。普通にTシャツとGパンで来た俺が馬鹿みたいじゃないか。
 七夕飾りは地上から190cm前後の高さに設置してあるため、仙道は暖簾をくぐる様に手で避けながら歩いており、ちょっと遊郭へ遊びに来た大店の若旦那風情に、江戸時代にまでタイムスリップしたかのような錯覚を覚えた。
 牧さん、と仙道の低い声が聞こえた。
 チョコバナナを食っていた俺の意識が平成に戻る。
 仙道が立ち止まって振り返えった。

「凄い人ゴミなんだからボーっと食ってないで下さいよ。はぐれるよ」
「子供扱いするな」
「口の周りをチョコだらけにしてる人のセリフとは思えないな」
「うっ」

 俺は慌てて口を拭う。
 急に立ち止まった俺たちに、人波は迷惑そうに避けて行く。
 仙道はニヤニヤしながら続けた。

「さっきから屋台ばかり見てるじゃないっすか」
「ここに来て物を食わないでどうする。的屋を見るのは当たり前だ」
「俺に手を引かれたいんですか?」
「なんでそうなるんだ!」

 からかいながら出してきた仙道の片手を思いっきり払う。
 あいたたた、とさして痛くも無いだろうに中て付けに手を振って見せて、仙道は再び歩き出した。
 上機嫌だ。
 いつもは読めない笑顔を貼り付けているのに、今日は俺にもわかる位浮かれている。
 よっぽど祭が好きなのか。
 着流しをわざわざ着てくるくらいだ、嬉しいのだろう。
 ――誘ってよかった。
 俺は食べ終わったチョコバナナの割り箸を口の中でもてあそびながら、次の食い物の物色を始めた。


 それから30分ほどで見事にはぐれたわけである。





 状況を整理しているうちに、休憩スペースにたどり着いた。
 17時も過ぎたこの時間、歩きつかれた家族連れで賑わっていた。
 テーブルが空くのを、焼き鳥を食いながらまとうと注文を取りにいった。
 その時である。

「牧じゃないか?」

 頭上から声をかけられて驚愕に振り返った。俺の頭上から声をかけて来るやつはあまりいないからだ。
 そして見知った顔があって更にビックリした。

「赤木!」
「おう、やっぱり牧じゃないか。5月以来だな」

 高校時代に頭角を現し、いまでは大学バスケット界トップクラスのセンターとして活躍している赤木剛憲が焼きとうもろこしを食べながら声をかけて来た。
 俺はライバルの登場に嬉しくなって返した。

「久しぶりだな!…といっても1ヶ月そこそこか。まさかこんなところで会うとはな――なるほど、デートか?」
「まあな」

 赤木はぶっきらぼうに返す。照れているのだろう。
 赤木の後ろをのぞいて見ると、視線の先にテーブルに付いて豪快に焼きとうもろこしを食べている浴衣姿の女性が居た。
 座っているから分かり難いが、身長は175センチ近くありそうな切れ長の目をした美女だった。黒地に大振りの紫陽花を散らした浴衣が色っぽい。綺麗に色素の抜けた茶髪が結い上げられ、着物とのコントラストが美しい。赤木の好みからはかけ離れている派手な彼女に驚いたが、二人は妙に馴染んでいて『美女と野獣』と評するに相応しかった。
 俺たちは立ち話も邪魔なので、それぞれ焼き鳥や焼き蕎麦、ビールなど注文をすると、赤木が座っていた席に腰を落ち着けた。
 しかし、彼女をどこかで見たような・・・。

「あの、何処かで会いましたっけ?」

 俺は席に着くなり疑問に思って声をかけた。

「私とは会った事ないはずだけど」
「私とは?」
「ああ、こいつは・・・三井の姉なんだ」
「ミツイ!…ってあの三井か?」
「はじめまして――『じい』だっけ?」

 おい。
 ――間違いなく三井の姉だ。
 俺を『じい』とからかう、その切れ長の生気に満ちた眼光とつり上がった柳眉が三井にそっくりだ。

「まさか、三井の姉と付き合ってるとはなあ」
「俺だって驚いている」

 俺が目を見張って驚けば、赤木も同意して頷いた。
 それを聞いた彼女――三井姉が焼き鳥を頬張りながら抗議する。

「なんだよ!私が惚れてやらなきゃアンタなんて一生独り身だったんだからね!」
「タワケ。俺だって交際の申し込みくらい受けるわ」
「嘘つけッ!年下の癖にエラそーに!」

 彼女は真っ赤になって抗議した。
 黙っていれば色っぽいが、一度口を開くととたんに子供っぽい性格が知れた。
 どうやら惚れているのは彼女のほうであるらしい。
 しかし、実際に赤木はモテる。流川や仙道のようなミーハーなファンはいないが、赤木の堅実な性格を知り、男気に触れ、本気で慕う女性は多いと聞く。

 赤木は慣れているのか適当に彼女をあしらうと、改めて俺に声をかけてきた。

「牧は、誰かと待ち合わせなのか?」
「いや・・・実ははぐれたところなんだ」
「またボーっとしてたんじゃないか」
「うっ・・・」
「やっぱりな」

 赤木にまで指摘されてしまった。
 合同練習などで良く一緒になる為、赤木にも俺のうっかりな性格がばれてしまっている。

「じゃあ、その相手――彼女か?…を探さないといけないんじゃないのか。こんなところで悠長に食ってていいのか?」
「友達だから大丈夫だ。広い会場じゃないしそのうち落ち合うと思う」
「相変らずコートの外では適当だな・・・」

 赤木がビールを片手に呆れたように呟いた。
 その後を、三井姉が引き継ぐ。

「マッキーは友達と七夕に来たんだ。ヤロウ同士で良く来るねえ」
 マッキー…突然のあだ名に絶句したが、『じい』よりはましである。
「仙道が来たいって望んだから」
「仙道と来たのか?」

 赤木が驚いて聞き返した。
 俺は赤木が焼き鳥4本を一口で食べたのに感心しつつ返答した。

「ああ。仙道が七夕に興味があるって。アイツけっこう祭好きらしいな。俺はここが地元だから別に改まってくるほどのこともないんだが」
「仙道が祭好き…想像できん…」

 赤木は妄想たくましく仙道のハシャグ姿を思い浮かべるように上を向いた。
 その間を三井姉が埋める。

「マッキーは平塚出身なんだ。私は藤沢なんだけどさ、厚木の『鮎まつり』なら良く行くけど、七夕はバイトとか忙しくて機会が無くてあまり来た事無かったんだ」
「へえ。じゃあ今日は楽しんで頂けました?」
「うーん・・・もっとタケが優しかったら楽しめたかも知れない」

 なんだそれはと心外そうに赤木が突っ込む。

「俺は十分に優しい筈だ」
「手も握ってくれないし、腕絡めても払われるし、歩くの早いし、でかいし、ゴリだし」
「最後のは関係なだろう」
「トニカク!折角のお祭りなんだからイチャイチャしたい!」
「こんな地元の祭りで誰と会うかも解らんところでできるか」
「石頭!ゴリラ!」
「うるさいわ!」

 痴話喧嘩が始まってしまった。
 二人のどこか懐かしいやり取りに、まるで高校生時代に戻ったかのような錯覚を覚える。
 俺は微笑ましくなって、焼き鳥を食べながら眺めてしまった。
 暫くして周りの注目を集めているのに気が付いた赤木が、縮めても小さくならない背を丸め、咳払いして誤魔化した。

「すまん、コイツが我侭で」
「なによっ」
「別に、かわいいじゃないか。もっとかまってやれよ」
「ツレを放っておくお前に言われたくないぞ、牧・・・」
「あ、忘れてた・・・」
「おい」
「あーあ、センドー君可愛そう」

 初々しいカップルに呆れられたところで、俺は仙道の事を思い出した。
 そろそろ探さなきゃ不味いかなとぼんやり考え始めた――そのとき。



 ぴーんぽーんぱーんぽーん――
 

 聞きなれた放送コールが鳴り響いた。
 迷子の呼び出しだろう。
 俺はこの人ごみじゃ仕方ないよなと、自分の状況を省みて親への同情が過ぎる。
 焼きそばも食べ終わり、仙道を探すか追加でフランクフルトを食べようかと迷っているとき、赤木が面白そうに声をかけてきた。 

「おい、お前と同姓同名が迷子になっているぞ」
「え?」

 そうからかわれ、放送に集中し――耳を疑った。



『――繰り返します。迷子のご案内を申し上げます。 平塚からお越しのマキシンイチくん、マキ、シンイチくんが迷子になっており、従兄弟のお兄さん、センドウアキラさんが探しております。黒のナイキTシャツに、リーバイスのジーパンを履いた、5歳の男の子です。お心当たりのある方は、お近くの案内所までお申し付けください』



 な、なんだそりゃあああああああ!!!

 バンッ!! ガタッ!!


「うわっ、何をするんだ牧!」


 俺は、テーブルを思いっきり叩き付けて立ち上がった。
 椅子が勢い良くひっくり返ったがどうでもいい。


「あれ?従兄弟のセンドウアキラって?――ってマッキーっ!」




 
 三井姉の声を無視し、俺は一目散に七夕事務局へと走った。
 放送を請け負うのは、一箇所のみ。
 其処へ一目散に走っていく。
 俺はバスケットで培った走りで試合のように人の隙間を見つけて切り込みながら進んだ。

 あっという間に事務局が近づく。
 遠めにも――つんつん頭が丸目立ちだ。
 幸い此方を向いていない。
 俺は静かに駆け寄って――思い切りその後頭部を殴った。 
 いってえと、仙道が蹲る。
 いい気味だ。
 周りが突然の暴挙に呆然としている。
 俺は頭に血が上っていて構わず続けた。

「誰が5歳だッ!」

 仙道は俺の声に静かに振り返り、後頭部を撫で摩りながら立ち上がった。 
 俺の姿を認めて、早かったですねとそっけなく言う。
 その態度に更に頭にくる。

「なんなんだアレは!」
「迷子放送」
「そ、そんな事を聞いたんじゃ――」
「アレだけ俺が指摘して本当に逸れたんだ、5歳児といっしょだ。どうせあんたは、はぐれたと気が付いても探してくれないと思って、呼び出したんです」
「あ、あんな呼び方じゃあ気が付かなかったかも知れないじゃないか」
「でも、気が付いてこうして飛んで来てくれたんだから、問題ないよ。だいたい、俺の忠告を無視して食べ物に気を取られていたあんたが悪い。俺は平塚には試合で来るぐらいしかないんだし、招待してくれたんだったら最後まで気を使えよ」

 仙道は、いつもの笑顔を脱ぎ捨て、眉を吊り上げて憤怒していた。
 先ほどあれだけ浮かれていただけに、俺のいい加減な態度に失望しているのだ。
 本気で怒っている。
 ――仙道が本気で俺を。
 その剣幕に、心臓に杭を打たれたような痛みを感じ絶句した。
 仙道が怒ることはめったにない。よほど仲間に被害が及ぶ状況じゃない限り、いつも笑顔で受け流している。ここ2年で、仙道が怒ったのを見たのは1度きり。バスケの試合で俺が相手チームにわざと怪我を負わされた時のみだ。その時だって、こんなに眉を吊り上げて怒ってはおらず、試合後に事務的な忠告をしたのみだった。
 俺は急速に怒りが萎え、仙道に対して申し訳ない気持ちで一杯になる。どこまでも漆黒な俺を射抜く眼と合わせられなくなる。先ほどの威勢は何処かへ霧散し、俺は小声で謝罪した。

「すまん・・・お前だからって甘えてた」
「まあ、解かってたことだから、別に気にしてないっすよ」

 仙道はそっけなくいうと、事務局にお礼を言って流れるように歩き出した。
 芋を洗うような人ごみでも、仙道は上手に人波を分けて歩いていく。
 俺は、置いていかれるのだろうか。
 本当に迷子になったように不安になり、仙道に声をかけようとしたとき。
 見計らったように仙道は振り返った。

 時が止まったかと思った。
 仙道が、満面の笑顔で右手を差し出している。
 先ほどの怒気が嘘のように笑っている。
 
「さあ、行こうか」

 ――ドクン。
 
 心臓が震えた。
 何かいけないドアを開けてしまったような、秘密を覗くような甘美な誘惑を覚えた。
 いつの間にか、辺りは薄暗くなっている。
 仙道の背後には、点燈された七夕飾りが、宙に浮くぼんぼりのように妖しげに靡いている。
 俺はまるで、吉原の花魁道中――高嶺の花を遠くから見物するしかない田舎侍のようだ。

 ――なんて格好良いんだろう。
 ドクンドクンと、心臓の音が内臓を通して聴覚を刺激する。
 煩いくらいに響く。

「どうしました?」

 ――なんだか無性に悔しい。

 俺は全身を駆け抜けた不可解な感情を振り払うように、人波を掻き分けて仙道に近づく。
 思いっきり足を踏んでやった。
 いたい、と仙道が柳眉を寄せる。シューズで下駄履きの足を踏んだのだから当然である。
 ざまあみろ。
 見上げれば、やっぱり仙道が笑っている。
 先ほどの怒りは全く感じられない。
「まったく、あんたって面白いなぁ」
 お前に言われたくない。
 声を上げて笑う仙道の足を再び踏みつけ、俺はぼんぼりの町を歩き出した。

 七夕まつりがこんなに心躍るイベントだということを――俺は生まれて初めて知った。
 
   
 

 しばらく夜の街を楽しんだ後、仙道の希望で平塚では数少ないJAZZバーに腰を落ち着けた。
 3階建ての雑居ビルの2階にあるこの店は、店内は薄暗くあまり広くもないが、お洒落で、七夕の喧騒が嘘のように落ち着いてる。座席は七夕を楽しむために来たカップルでほぼ満席となっていたが、ちょうど帰りがけのカップルとすれ違い運良く座ることができた。
 カウンターの一番窓側に落ち着く。とりあえず二人ともソルティードッグを頼んだ。
 すぐ側では、ピアノ、SAX、ウッドベースがスタンダードナンバーをセッションしており、仙道は興味深そうにそちらを伺っている。
 仙道は、両親がクラシック音楽家であるため、本人も音楽をこよなく愛している。しかしクラシックの使徒である両親とは違い、仙道はJAZZに心酔していた。バスケットボールで名をはせている仙道のそんな一面を知ったのは、仙道が俺と同じ大学に入学して一緒に熱い夏を越した頃である。その頃には、同じチームメイトとしてよりも、友人としての関係が割合を上回っており、そうした付き合いの仲で何かの会話の折に聞かされたのだ。友人付き合いを始めてもう2年経つため、詳しい事は忘れてしまった。
 それ以来、東京の大学の寮に住んでいる俺は、実家通いの仙道宅に遊びに行った時に仙道の自作という音楽を度々聴かせてもらっている。ヤツの家に頻繁に行くのは、庭にはバスケットゴール、地下には音楽室を兼ね備えている為、飽きないからだ。仙道が演奏している姿はいまだ見たことがないが、彼が相棒というテナーサックスを吹く姿は、きっと嫌味なくらいカッコいいに違いない。

「お待たせいたした」

 考え事をしている内にカクテルが運ばれてきた。
 お互いにグラスを持ち上げる。
 仙道の漆黒の眼が俺を見る。
 男らしく口元を上げて笑っている。
 仙道の背後には、ガラス越しに七夕飾りが揺れている。
 単衣の着流しにカクテルという姿が、文明開化を謳歌する華族の放蕩息子のようで、俺はなんだか落ち着かない気分になった。

「乾杯しましょう」

 カランと、仙道がグラスの氷を傾けた。

「何に?」
「そうですね…やっぱり牧さんの地元に、かな」
「平塚に?」
「そう。招待してくれて、ありがとう」
「ああ…」
「乾杯」
「カンパイ」

 カランと、グラスを合わせる。
 ソルトの辛さが、今の気分と合わなくて、俺は少しだけ飲んでグラスを置いた。
 仙道は、そのままグラスの半分まで飲んでしまった。グラスを右手でもてあそびながら、大きい背を丸め、肘をついた左手に顎をのせながら上目使いで俺を見てくる。じっと、静かに笑っていた。
 笑顔に細められた眼は何を思っているのだろうか。
 仙道は、いつも笑顔だ。それは、こいつの処世術だからだ。笑顔の裏に本音を隠して、人当たり良くのらりくらりと過ごしている。ライバルとして2年、友人として2年付き合っている俺でも、いまだ仙道の本心が解らない。バスケットコートにいる時のほうが、まだ雄弁だ。バスケをしている仙道は、眼を見るだけで何を考えているかわかるのに、いったんコートを出てしまったら、まったく違う生き物のように心が読めない。友人として過ごしていれば、普通はある程度お互いの性格が読め、考え方も解ってくるものであるのに、俺は仙道に関しては全く理解ができなかった。
 何も考えていないのかもしれない。それでも、仙道の心が知りたいと思う。
 この不思議な笑顔で見つめられるたびに、分けのわからない感情が渦巻いて、いつも落ち着かない気分にさせる。年下の癖に、何もかも見透かされているようで、自信を無くしてゆく。
 先ほどだってそうだ。
 怒って、からかって、結局笑っていた。
 良いように踊らされている。
 コートの中では負けない自信があるのに、俺のテリトリー外ではまったく敵わない。
 男としてのプライドが崩壊していくと同時に、言い様の無い安心感に包まれていく。
 仙道という男は、知れば知るほどわからなくなる。
 ――だから、いっしょにいるのかもしれない。
 人間は、親しい者の気持ちが知りたくなってくるのだ。

「今日の牧さんは一段と男前だなぁ」
「はあ?」

 仙道の一言に思考がさえぎられた。

「俺のこと考えてただろ」
「む・・・」
「俺のこと一生懸命考えてるあんたって、本当色男だよ」
 
 いきなり何を言ってるんだこの男は。
 ビックリして二の句が告げずにいると、仙道は飲み終わったグラスを掲げてマスターに次の酒を注文していた。
 20歳になったばかりの癖に絵になりやがる。
 悔しくなって否定してやった。
 
「別に、お前の事を考えていたわけじゃない」
「嘘だあ、牧さんって俺のこと見てボーっとしてるときはたいてい俺のこと考えてるし」
「な・・・なにを根拠に」
「目が違う」

 仙道は出来上がったカクテルを受け取りながら、だって、と続ける。

「牧さんは目の色素が薄くて瞳孔がはっきり見えるんだ。バスケしているときと、俺を一生懸命見ているときは、瞳孔が一回り大きくなってる。――人間だって、興味ある対象を前にすると瞳孔が開くんだ。猫みたいに顕著じゃないにしてもね。嬉しいよ、俺に興味を持ってくれていて」

 牧さんの瞳にカンパイ、と仙道は使い古されたセリフを吐いて新しいカクテルを飲んだ。
 俺の中に、先ほどと同じようなもやもやした感情が渦巻く。
 落ち着かない気分にソルティードッグを煽る。やっぱり気分と合わないが、一気に飲み干した。今の気分を流してしまいたかった。
 飲み干したコップを置くと、隣の仙道がバンドに話しかけていた。
 何やら今の演奏に対する感想を告げているらしい。専門用語の応酬に疎外感を覚える。
 仙道が立ち上がってバンドに近づく。そして、マイクを握った。
 ――何をする気だ?
 マイクテストを軽く繰り返すし、リーダーらしきピアニストに耳打ちすると舞台の中央に立った。
 突然、着物姿の大男がバンドに加わったので、店内の客も何事かと注目する。
 仙道はにっこり笑うと、視線が会場全体を舐め、俺で止まった。
 心臓が走り出す。

『えー、突然のバンドジャック失礼します。今日の良き日をJAZZで楽しんでいる皆様には申し訳ないのですが、バンドの許可をいただきましたので、1曲だけ歌わせて頂きます』

 店内がざわめく。
 いいぞ兄ちゃんという煽りまで飛んできて、この即興舞台に店全体が期待していた。

『今日、俺の先輩が地元平塚七夕まつりに招待してくれました。ヤロウどうしで七夕!と嫌がりもせずにつれて来てくれた先輩に感謝を込めて歌わせて頂きます。俺はSAX奏者なんで、歌が下手なのは多めに見て下さいね』

 仙道が一礼すると、拍手が鳴り響いた。
 視線が俺を向いていたため、優しい先輩だな!と俺にまで野次が飛んできた。
 俺は恥ずかしさに逃げ出したい気分になったが、仙道の熱い視線が其れを許さなかった。
 仙道が指を鳴らすと、演奏が始まる。
 イントロがしっとりとなり始めると、騒がしかった店内の波が一気に落ち着いた。
 この曲は俺でも知っている。

『fly me to the moon and let me play among the sters――』

 ――FLY ME TO THE MOON
 JAZZの王道ラブソングだ。
 貴方に月に連れて行かれ星で遊ぶような、心躍るキスが欲しい。抱きしめて欲しい。
 仙道のバリトンの声が、心地よいリズムに馴染んで耳に届く。
 歌は余り上手くないようだが、包まれるような愛おしさが伝わってくる。
 JPOPとは違う、馬に揺られるような旋律。
 まるで、仙道に抱かれているようだ――。
 抱かれている? 
 自分の考えに赤面する。
 俺は、自分の心の扉の中から何かを見つけたような気がしたが、曲が佳境に差し掛かっているのに気が付いて霧散した。

『I love you――』

 最後の旋律を濃厚に締めくくる。
 一瞬の静寂の後、湧き上がる拍手。
 仙道は拍手に片手を挙げて答え、一礼をすると、バンドメンバーに一人ひとり礼を述べて此方に戻ってきた。
 拍手は暫く続き、アンコールまで飛んだが、ヘタなんでこれ以上勘弁して下さいと照れながら答えて席に着いた。仙道が本当に歌う気が無いと解ると、店内は再びそれぞれのテーブルごとに分かれてそれぞれの時を楽しみ始めた。

「どうでした?」

 仙道が二人分のカクテルを注文し、感想を求めてくる。

「凄かった。味がある好い歌い方だな」
「ヘタだけど、気持ちだけは乗っかってますから」
「ありがとう。気持ち伝わってきた」

 素直に礼を述べる。
 仙道は驚いたように双眸を見開いた後、俯いた。
 仙道の珍しい仕草に疑問が過ぎる。
 覗きこむと、薄暗い照明でも解るくらい赤面していた。
 仙道が照れている。
 厚顔無恥なこの男でも、照れることがあるのか。
 なんだか、仙道の新しい一面を発見したようで俺は嬉しくなった。

「また今度聞かせてくれ」

 俺がリクエストすると、仙道は瞳を輝かせて頷いた。

「いいすよ。ただし、歌は下手なんで歌詞だけでよければ」

 仙道は含み笑いをすると、まだ早いかもしれないのでそのうちにと意味深な事を言って、いつの間にか来ていたカクテルを飲んだ。
 俺も仙道が追加注文したソルティドッグを飲む。今度は違和感無く喉を潤した。気分によって味って変わるものなんだなと、俺は妙に感心する。
 隣の仙道を除き見れば、仙道は窓の外の七夕飾りを眺めていた。その気だるげな後姿に、仙道が本当にくつろいでいることがわかる。俺に心を許してくれている証拠だろう。
 二人だけの時間がずっと続けばいいと思う。
 そんな気持ちに俺は戸惑う。
 まるでそれは――

「あ、牧さん、あれって赤木さんじゃないっすか?」

 形になろうとしたものがまた消える。
 俺は仙道の指差すほうを覗くと、赤木が人ごみから頭を2つ3つ出した状態で歩いていた。

「まだ居たのか」
「え? 会ったんっすか?」
「ああ、お前とはぐれた時に休憩所で会った」
「へえ…休憩所でねえ…」
「む…」

 仙道が容赦なく睨む。
 俺は掘った墓穴を埋めるため慌てて話題を摩り替えた。

「あ、赤木はデートで来てたぞ。三井の姉と付き合っているそうだ。顔がそっくりだった」
「へえ…あ、あの人かな?」
 仙道が一人の女性を指す。
 なんとか誤魔化せたようである。
「…あ、そうそう。隣に居る茶髪の黒い浴衣。赤木の彼女だ」
「ほんとだ。遠目にもそっくりってわかる。意外だなあ、あんな派手な娘はタイプじゃないっぽいけど」
「そうらしいが、三井姉のほうが赤木に惚れている。彼女は積極的なようだが、赤木が人前を恥ずかしがってなかなかくっつけないと…そんな喧嘩をしてたな」
「あの赤木さんじゃあそうでしょうね――気持ちわかるなあ」
「は?」
「彼女の気持ち、わかるなと思って…あ、腕を組んだ」
「お、振り払うか?」
「払いませんね…ついに成功だ」
「良かったな。彼女嬉しそうだ」
「ええ。赤木さんも、彼女の事まんざらでもないようですね」
「ああ」

 俺たちは長身カップルが腕を組み、人ごみにまぎれて去っていくのをずっと眺めていた。
 彼女の、組んだ腕を赤木が受け入れた瞬間のほころぶ様な笑顔が目に焼きついている。無邪気な瞳が、赤木の仕草一つで女の顔に変わる。俺は恋心がなせる力に妙に関心すると同時に、切ない気分になった。

 仙道を見ると、俺を見ていた。
 瞳が、揺れている。
 仙道も――同じ気分なのだろうか。

 七夕の夜がゆっくりと過ぎていく。
 今日は仙道に悪い事をした。
 もっと、構ってやればよかった。
 この気持ちは、仙道にかまってやらなかったせいだろう。
 それでなければ、仙道といっしょでこんなに切ないなんて――説明できない。

 俺は自分の食い意地を反省するとと共に、来年も帰省を兼ねて七夕まつりに来ようと決心した。
 その時にも――となりに仙道が居ることを、なぜが疑わなかった。

 カランと、氷の動く音がやけに耳に響いた。







―了―






夢金さんの『SAX』の前にあたる今回。あのやんちゃな牧が恋に気付く……キャーvv
本当は最初に『※捏造したあの人の姉が出てきます。苦手な場合はご注意ください(汗
※牧紳一が子供っぽいのもご注意ください(大汗』という注釈をいただいておりましたが、
余計な先入観なしで読んだ方が絶対楽しいと思ってカットさせてもらっちゃった♪
夢金さん、これから二人の恋が始まる予感のドキドキとトキメキをありがとうございましたvv

 


[ back ]