− 未 明 の 恋 歌 −
dedicated for 梅園悠花
2005.02.27. written by 一条織る子(機械仕掛けの神の庭)
高頭のオヤジと直に親子盃を交わしたのが20歳の時。
その日から2年と少しの間、何かと世話を焼いてくれた人がいた。
その人は情に厚い一本気な性格をしていて、それは彼の長所であり短所でもあって、同時に人間的魅力だったが、ある日、とある組の幹部で、組長の実子(親子盃を交わせば文字通り《親と子》になるため、血の繋がった子のことは特に「実子」と言う)の教育係をしていた外兄弟(別々の組に所属する者同士が兄弟盃を交わした場合こう呼ばれる)が、虚栄心ばかり大きくて実力のない実子の癇癪のせいで高頭とぶつからざるを得なくなり、それを何とか取りなそうと説得のために飛び出して行って───鉄砲玉(ヒットマン)と誤解され、帰らぬ人となってしまったのだった。
そしてそんな彼の死こそが、組同士の衝突を回避不可能なものにした。
思慮を欠いた者に引きずられた集団は、弱い。
勝敗は短期間のうちに決した。
それは、身内を喪った者たちとして当然の論理であり行動であったのだが・・・、
死者が生前に何を望んでいたかを思うと、カタキも討ったあとで胸に残ったのは、どこまでも深く沈殿してゆくやり切れなさだった。
「だから」と言うのが正しいのかどうか、自分でもわからないけれど。
一件の後、折に触れて足を運ぶようになった場所があった。
《 Bar. ROB ROY 》
極道者の一人息子に先立たれた父親が営んでいる、古くて小さな場末の酒場だ。
───ここな、おれの親父の店なんだ。
女もいねぇし、どうにも陰気くさくていけねぇが、何せ安いしヨ、金がないときゃここで飲め。
だけど溜まり場にはするんじゃねぇぞ。
息子はこうでも、親父は堅気だからヨ。
そう言って、ちょっとはにかむように笑った顔を、今でも覚えている。
これまでに組のほかの若い者を連れて行った様子もなさそうで、そのときは、一体どんな気まぐれで実の父親の店を紹介してくれたのか不思議に思ったものだった。
あれから、7年。
今も時々、牧は《 Bar. ROB ROY 》のカウンターで夜明け前のひとときを過ごす。
最初は何某かの代償行為であったかも知れなかったし、今でも多少なりとその意味があるかも知れなかったけれど、偏屈で頑固だが口の堅い親爺が一人でやっている《 Bar. ROB ROY 》は、静かな隠れ家のようで、おんぼろなジャズがやけに心地良くて、ほっとできて、ここでは肩の力を抜くことが出来て・・・。いつの頃からか、牧は一人になりたい気分の時や疲れた時にはここを訪れるようになっていた。
それだけでなくなったのは───2年前から。
朝晩は真冬のように冷え込む2月下旬の、他には客の姿もない午前4時。
7年前から、あるいは2年前から時が止まったままのようにも思える《 Bar. ROB ROY 》には、今夜も、溝の削れたレコードが奏でるノスタルジックなジャズが流れている。
手の中のグラスには、いつもと同じ、マッカランのディスティラーズ・チョイス。
もっと高い酒を平気で飲める立場になって久しかったが、此処では、この酒以外を飲む気にはなれなくて。
「・・・・・カメラの坊主・・・」
グラスを磨く手をふと止めて、親爺がぼそりと言った。
親爺が「カメラの坊主」と呼ぶ相手は一人だけ。
それが誰のことだかわかるのも、牧一人。
続く言葉を促すように牧が視線を送れば、親爺は不機嫌そうに口を曲げて、
「いつまでボトル寝かしとくつもりなんだかよ。・・・ワインじゃあるめぇし」
呟き半分に言い、またグラスを磨きはじめる。
───あいつは元気でやってんのか。
親爺の憎まれ口がそう言っているように聞こえて、牧は短く吐息で笑うと、封も切られずに2年間ずっと棚に置かれたままになっているボトルへと目を向けた。
牧のグラスの中にあるのと同じ酒で満たされているそのボトルは、
放置されているかのようで実は埃ひとつ被ることなく、
先月も去年も一昨年もそうであったように、ほの暗い明かりを受けながらそこに佇んでいる。
静かに・・・・・、静かに。
その琥珀の液体に、あの男がこのカウンターに座っていた2年前の日々を溶け込ませたまま、静かに。
「・・・怪我も病気もせずにやってますよ」
先週、深夜にそっと牧の自宅マンションを訪れたあの男───仙道の顔を、声を、ちょっとした仕草や表情を脳裏に甦らせながら、牧は、聞かれて困る相手が周囲にいるわけでもないのに小声で返した。
仙道は今、ジュク(新宿)で動いている。
もう半年になるだろうか。
いつものこととは言え今回も危ない橋を渡らせている。
行かせたのは、牧自身だ。
ひっそりと吐いた溜息を、ハロルド・メイバーンが鍵盤を叩くピアノの音色が、どこか遠くへと攫っていった。
目を伏せて、躰に馴染んだ酒を一口、喉に流し込む。
頭はぼんやりとしているようで、しかし実際は、円か螺旋を描き続けることにも似た、いつ終わるとも知れない一つの思案に捕らわれている。
その円の、あるいは螺旋の中心から、ひっそりと牧に微笑みかけてくるのは───・・・仙道。
表向き高頭と無関係なだけでなく、その存在すら公に出来ない男。
働きに報いるには金しかないが、そうやって牧から支払われた金は、ほとんど手を付けられないままに淡々と、偽名で作った仙道の口座の預金額を増やしていくだけとなっていた。
『使い道がなかなかなくてね』
半分くらいは真実かも知れなかったが、残りは、嘘ではないが真実でもないに違いない。
表舞台には戻れぬ男。
どんな働きをしても《出世》させてやることも出来ず、金すら無意味も同然なら、一体どうやって報いてやれば良い・・・・・?
どんなに考えてみても答えに辿り着けないまま、今日も《 Bar. ROB ROY 》のカウンターを後にする。
冷たく澄んだ薄闇のなかを一人歩き出した牧は、白く透明な月を見上げ、苦笑混じりにク・・・と笑った。
ふと思ったのだ。
自分はこれまでに、こんなにも、堂々巡りに陥るほど、誰か特定の個人のことで思い悩んだことがあっただろうか、と。
可笑しなものだと思った。
自然と緩まってゆく歩調。
戯れに吐息してみると、白い靄が生まれて、消えた。
それを無意識に眺めれば、刹那、生じる心の隙間。
「・・・・・考えて当然じゃねぇか」
牧は口の中で呟いた。
(何故って・・・)
続く言葉を声にしてしまわないよう、唇を噛む代わりに奥歯を噛み締める。
風のない冬の明け方は深々として、酔いはなくともアルコールで温まっていた身体から静かに、そして急速に体温を奪ってゆくが、牧は僅かたりとも背を丸めることなく真っ直ぐに立ち、冴え冴えとした月をもう一度見上げながら胸中に呟いた。
(何故って───あいつには、オレしかいねぇんだから)
願いでも、祈りでも、ましてや懺悔でもなく、
けれどココロの奥とも中心ともつかぬ場所に確かに存在する想い。
互いに共鳴し合うような、それはまるで・・・・・
・・・未明の
無伴奏二重唱(マドリガル)
。
[ The end. ]
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