「・・・またこんなもん買わせやがって。何だこれは」
ダイニングで近所のスーパーマーケットで買ってきた品物をレシートを見ながらひとつひとつテーブルに並べていた牧は顔をしかめて唸るようにつぶやいた。
その店はディスカウントショップなので割合何でも安いため、買いものをしているうちに気が付くとまとめ買いになってしまうことが多い。
牧はスーパーの白いビニール袋から出てきたコーヒーゼリーを片手にため息をついた。
そんな牧の様子をテーブルを挟んで向かい側に座って頬杖をついた仙道が、やけに楽しそうににやにや笑って見つめている。
・・・気づけば、いつの間にやら彼がそこにいることが当たり前になっていた。
「何って、どうみたってコーヒーゼリーですけどね」
いつの間に視力落ちたの、などというすっとぼけた返事をする仙道の目の前に、牧はビニール袋の中身を次々に取り出してはわざとらしく綺麗に並べた。
「そんなこと、見りゃわかる。これは牛乳プリンで、こっちはヤクルトで、これは・・・・」
「キャラメルだね。おまけ付き」
牧は顔をしかめてうんざりしたように仙道を見ると、手にもっていたキャラメルの箱を向かいにいる仙道の方に無造作に放った。仙道は軽々とそれを片手で受け止める。
ああ、またやられた、と牧はちょっと悔しい気分で前髪をくしゃっとかきあげ、テーブルの上の買った覚えのない品物を見る。
神に会って話していた時だな・・・とその日の行動を思い返してみる。
どうやら仙道は別にそういうものが欲しかったわけではないらしい。
牧にかまって欲しい、ただそれだけのために時折仙道はそんな他愛無い悪戯をする。テーブルに並ぶこれらも、いつものそんな悪戯の一つだ。
今日の場合は、久しぶりに牧が神と会って話し込んでいる間にそういう悪戯を思い付いたのだろう。たぶん牧が神と話し込んでいて、脇で放っておかれたのが面白くなかったに違いない。
余計なものを買うな、と後で怒られるのが解っているくせに、牧の関心をひくためならば子供の嗜好品じみたものを買い物かごにそっと紛れこませるくらいのことを彼は平気でやる。
こっそり牧の側に寄ってきてかごにモノを紛れ込ませる時、レヂを通る瞬間の牧の驚きを想像して、たぶんいつものように楽しげに、笑いをこらえていたに違いない。目にみえるようだ。
しかも、今日はかなり買った品物が多かったため、レヂで清算するまでカゴの底にあったそれらに気づかなかった。
「・・・っ・・・なんだ、これは」
びっくりして目をむいて思わず呟いた途端、レヂを打っている店員に
「どうかしましたか?」
と怪訝な顔で聞かれ、ついなんでもありません、と返してしまった。
あまりにこまごまとしたものがカゴの底からいくつも出てきて呆れたのを通りこして頭が痛くなったが、つい「返品します」とは言い出せず、全て買う羽目になった。
前に一度、また別の悪戯の件で
「仙道お前、そこまでして・・・そんっなに俺にかまってほしいのか?」
と皮肉をこめて言ってやったところ、笑ってあっさり
「うん」
と言われてしまい、もはや牧には怒る気力もなくなっていた。
「・・・コーヒーゼリーだってことは見りゃ解るけどな。問題は、俺はこういうものをカゴに入れた覚えがないってことだな」
牧から受け取ったキャラメルの箱を耳元でかさかさと振っていた仙道はじっと牧を見つめ、整った顔ににこりといつもの屈託のない微笑みを浮かべた。
「・・・ねえ牧さん、おまけ、何だと思う?」
「・・・お前・・・人の話を聞け」
牧は深くため息をついた。それでも仙道の楽しげな様子をみているといつまでも腹を立てていることができなくなってしまう。
お前と買い物に行くと目を離した隙に余計なものを買わされて困る、と文句を言いながら牧は買ってきたもののチェックを続けた。
だが、仙道はそんな牧をまったく気にする風もなく、テーブルの上に広げられた品々を見渡してそのうちの一つを無造作に手にとった。
「・・・仙道!」
いきなり牧はレシートから目を上げて、テーブルの上の牛乳パックを手にした仙道に鋭く声をかけた。
あまりにも急に声をかけられたので仙道は片手に牛乳パックを持ったまま、はじかれたように目を見開いた。
「・・・はい?」
「パックから牛乳直に飲んでみろ。殴るからな」
牛乳パックの口を開けて今まさに口をつけようとしていた仙道は「間接キスぐらい今さら・・・」といいかけたが、にらみつける牧の眼差しに、軽く肩をすくめてあきらめたようにコップを取るためダイニングの椅子から立ち上がった。
前より少し広い部屋に引越して二人で暮らし始めてはや3ヶ月。一緒にいる時間が増えたにもかかわらず、仙道の行動はあいかわらず牧には理解不能なことばかりだった。
だがこの程度のことだったら牧にだってお見通しである。
しかしその後の行動はまったく予想外、だった。
・・・コップを取ろうと立ちあがった仙道が、横を通りざまいきなり座っていた牧の後頭部に触れたかと思うと体を屈めて覗き込むようにして、そのまま唇に軽く音を立ててキスをしたのだ。
「っ・・・何しやがる」
「だって間接キスじゃ物足りないって言うから」
仙道は牧の後頭部に触れて覗き込むような姿勢のまま、至近距離で牧と視線を合わせて笑った。牧が目の前でひどく慌てたような、うろたえたような目で見つめ返してくる。
「誰がそんなことを言った、誰が」
「牧さんが。・・・まあ以心伝心てやつですよ」
「勝手なこと言うな」
落ち着いているようにみせようとするあまり、牧の口調が必要以上にきつくなる。
実際はかなり動揺して目の縁を僅かに染めて視線を逸らした牧を見て、仙道はからかうのをやめてすっと背筋を伸ばした。そして傍らに立ったまま、傍らのそっぽを向いたままの愛しいひとを見下ろしてふっと目元をほころばせた。
一緒にいる時間がこんなに増えたのに、いつまでたってもいきなり触れられることに慣れないのだ、このひとは。
しかも、照れ隠しにきつい口調になったあと、なぜだかいつも牧は「しまった」という表情をして、目をそらしてしまう。
こういうところが可愛いなあと思うのだが、仙道はそれを口にする代わりに牧の後頭部に置いたままの手で牧の首筋をそっと撫でた。そしてそのまま自分の身体の方に引き寄せる。仙道は傍らに立っていたので、牧の頭を自分の胸より少し下に押し付ける形になる。
仙道の手のひらの温度を感じた途端、牧は僅かに身じろいだが、そのまま仙道の身体になつくように額を押し付けた。
・・・これでたいてい二人の間の言葉の応酬はあっという間にチャラになる。
その手はいつも優しくて、触れられる度に心臓は早鐘のように打ち、何故か胸がいっぱいで苦しくなる。確かに満たされているはずなのに、胸の奥で溢れそうなそれを言葉にすることができない。 その感情を上手く言葉にできないせいで、仙道を時々不安にさせているのは分かっていた。
それなのに。
・・・何一つ言葉にできないまま、いつも牧は一つ年下の男に甘えている。
仙道はいつも自分が牧に甘えているようなことを言うが、たぶんそれは違う。何も言わず、それとは気付かせずに甘やかしてくれているのはたぶんこの男の方だ。
「・・・コップはそこにあるやつ、使え」
そう言って、牧は自分に優しく触れてくるその手と体をそっと押しやった。
分かっていても、牧が仙道に向ける言葉はいつも色気のないものばかりだった。しかも行動もいつだってそっけなく可愛げの欠片もありはしない。もう少しなんとかしたいとは思っているのに、上手くいかないものだと牧は小さくため息をついた。
そんな牧に気付いているのかいないのか、仙道は牧の言葉に素直に「はい」と答えて、名残惜しげに牧を離した。
仙道は一応言われたとおり牛乳を飲むためにコップを取ろうとしたのだが、ふとそのすぐそばにおかれた箱に気づいた。中にはかなり無造作にレシート類がつっこんである。仙道はその中身を何の気なしにつまみ上げた。
「『町内会のお中元』だってさ、牧さん」
「今度は何の話だ」
牧は買ってきた食料品や日用品のチェックを終えて、手早く冷蔵庫や戸棚に片づけながら聞いた。
「ふ・く・び・き」
仙道は手にした緑色の紙をひらひらさせた。
ああ、と牧は仙道が手にしている券をちらりと見る。
「なんか最近買い物するとくれるから、そこにレシートなんかと一緒に入れといたヤツだな。あ、さっき買い物したときも一枚もらったぞ」
「ああ、その一枚も足すと3回も引けるよ、牧さん。賞品なんだろう」
「さあ・・・やりたいんなら・・・」
お前にやるぞ、といいかけた牧に、券を裏に表にひらひらと返しながらじっと見ていた仙道がいきなり叫んだ。
「牧さん!これって、今日までだ。急がないと」
そう言うなり仙道は牧の腕をとると「さ、行こうか」とばかりに有無を言わさず無理矢理家からひきずりだした。
夕闇せまる町の中、二人は再び商店街へ向かって走った。
一人は嬉々として、もう一人はその勢いに半ば引きずられるように、スーパーへの道を走り抜ける。
* * * *
「結構ならんでるね」
「最終日だからな」
福引きをやっている場所はスーパーのすぐ前で、買い物帰りの客でまだにぎわっている。夕方とはいえまだ暑さが厳しい中、それでも店員の張り上げる声は暑さに負けず威勢がいい。
「・・・いつまで手ぇつないでんだ」
今まで勢いでつないでいた仙道の手を振り払う。
あれよあれよという間につれてこられて列の一番最後尾に並んでほっと一息ついたとたん、いきなり牧は仙道とここまでずっと手をつないだままだったことに気づいた。波にさらわれたかのように仙道のペースにまきこまれていたのだ。
いつもならここで
「牧さん冷たいなあ」
とすねて見せたりする仙道だったが、今やすっかり福引きの賞品に目を奪われていた。高い身長を生かして並んでいる人たちの頭越しに張り出されている賞品名を読みあげていく。
「デジタルカメラに自転車・・・と、牧さん、DVD当ててよ」
「そんなすごいの当たるか」
「んじゃプレ○テ2」
「・・・・・・・・・。」
なんだかんだ言っているうちに牧の順番がくる。
今時木製でしかも手動という、かなり使い込んだレトロながらがら回る福引きの機械を、期待に目を輝かせて仙道は見つめた。
が。
「牧さーん、だめだよ、サランラップはさっきそこのお店で買ったでしょーが」
気楽な口調で言いたい放題の仙道に、「自由自在に景品選べる福引きなんかあるもんか」と言ってやりたいところを牧はどうにか我慢する。
図体のでかい男二人がこんなところにいること事態人目を引くのに、仙道はそんなこと一向におかまいなし、だ。
福引き担当のスーパーの女性店員や後ろのおばさんたちがくすくす笑う中、牧は目元を微かに染め、深くため息をついた。
・・・ほとんどさらしものじゃないか。
「そんなに言うなら最後の一回はお前やれ」
「プ○ステ当たったら帰りにソフト買ってもいい?」
「おう、当たればな」
「よーっしゃ」
仙道は半そでTシャツを着ていたが、大いに張り切ったように無い袖をまくり上げる真似をすると、ハンドルを握りしめて思い切りよく回した。
「お兄さん、そんな勢いよく回しちゃ駄目だよ、玉が出てこないよ」
店員に言われて仙道は屈託なく笑った。
「はっはっは、そっかあ、つい気合い入っちゃって」
「仙道、壊すなよ」
牧のからかうような口調に、仙道はにっと自信ありげに笑って見せた。
「任しといてください。あ、おじさん、鐘鳴らす準備しといてね」
あははは、と福引き担当のおじさん店員は愛想のいい仙道につられて笑った。
相変わらずいつも調子のいいやつだ、とあきれながら、牧も笑いだしてしまう。
と、そのとき。
ぽろっと落ちた玉を見て、牧も仙道も一瞬息を呑んで目をまん丸くした。
先ほどから立て続けにでてきた7等の赤い玉とは明らかに違う、綺麗な空色の玉が無造作に落ちてコロコロ転がった。
「!!」
はっと仙道は思わずハンドルから手を離して、傍らの牧の手を取って握り締めた。
それを振り払うのも忘れ、牧も息をつめてついその手握り返す。
がらんがらんがらん、と威勢良く店員が鐘を鳴らす。
手に手を取り合った姿勢のまま、二人は思わず同時につぶやいていた。
「・・・プ○ステ?!」
「はい、熱海2泊3日、ペア旅行券がでました!!行ってらっしゃい!」
よかったね、しかも朝食付き!!と言う威勢のいい店員の声を遠くに聞きながら、二人はゆっくり顔を見合わせた。
「・・・え?」
そして、帰り道。
二人は並んでゆっくり家路を辿っていた。夕暮れの光が一日の名残を惜しむように背の高い二人の影を長く道に落としている。
「俺たちの新婚旅行、熱海だね・・」
今時、逆におしゃれかも、ともらったチケットをひらひらさせながらとぼけたことを真面目な顔で言う仙道に向かって牧はうんざりしたように口を開いた。
「いつ、俺たちが結婚したんだ」
「あっ・・・婚前旅行か・・おうちの人はうまくごまかしてきてね」
牧はそれまでずっと仙道と歩調を合わせて並んで歩いていたが、ぴたっとその場に足を止め、呑気に前を歩いていく仙道の後ろ姿をきつく睨みつけた。
隣にいたはずの牧が急に見えなくなって、あれ?と振り返った仙道と視線があったとたん、
「・・・お前なんか、もう知らん」
腹を立てて怒りのあまり眉根をきゅっと寄せた牧は、つかつかと仙道のほうに近づいたかと思うとすれ違いざまにその後頭部をサランラップの箱でぱこっと殴った。
そしてそのままずんずん先に歩いていってしまう。
・・・こういう、落着いた外見に似合わずこの手の冗談にすぐむきになるところがかわいいんだよなあ、と仙道は後頭部を撫でながら牧の後ろ姿を愛おしげに見つめた。
いつしかその形の良い口元には淡い笑みが浮かぶ。
しかも牧の場合、少しばかり腹を立てているときや、挑戦的な表情をみせるときほど色っぽかったりするのだから始末に終えない。だから、たまにわざと怒らせてみたくなる。
・・・なんてことは決して本人の目の前では言えない、仙道だけの秘密だ。
何はともあれ、これ以上牧のご機嫌を損ねてしまうと下手すると今夜ベッドに入れてもらえないどころか夕食を抜く羽目になるので、仙道は慌ててその後ろ姿を追いかけた。
今夜、ゆっくり旅行の計画でも立てようか、と思いながら。
・・・牧は些細なことにいつまでも腹をたてていられるようなひとではない。そんなことぐらい、もうよく知っているのだから。
「待ってよ、牧さん」
夕闇せまる町の中、黄昏色のかすかに涼しい風が連れ立って歩く二人を追い抜いていった。
*end*
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