Milk Chocolate


「えぇー!? い、一年間もなんすかぁ〜!?」
「こんな近くで大声出すなっ。声、裏返ってるぞ」
両手で耳を塞いで見せたにもかかわらず、仙道はまだ妙な落胆の叫び声をあげている。しかし俺としても内心は自分のこととはいえ一年間の出向は長いと面倒に感じていたため、仙道の落胆を少し嬉しくも感じていた。
夕食とシャワーを終えた一日で一番のんびりとした時間に牧は今日内示を受けた話を仙道に伝えたのだ。
来年度の一年間を牧は名古屋にある、ナショナル整体・スポーツ専門学院に特別講師という形で出向を命じられた。スポーツ医学の先端で活躍している者が後続を育てるという前提と、それ以外の色々と込み入った内情が多々あるが、仙道には関係のないことであるため大まかな概要のみを説明した。
仙道は自分も長期出張(海外遠征など)がよくあるせいか、牧の出張理由も普段は別段詳しく色々と聞いてはこない。お互いに何かと家を空けることが多いため、出張日数と場所を教えあう程度が常だった。

しかし今回ばかりは一年という長さがかなりショックだったらしく、「断れないまでも、せめて半年とか…」などと、まだ一人ブツブツと呟いている。
「講師とはいえ、俺だって色々と勉強してくるんだ。一年間なんてきっと、あっという間だ」
「牧さんはそりゃ忙しい日々…いや、今も十分過ぎるほど忙しいけどさ。慣れないとこでいつもと違う仕事だから益々あっという間かもしんねぇけど……」
「お前だって遠征とかあるだろが。それに、昔も離れて住んでいた時期はあっただろ。そんなにこだわるほどの長期間じゃないぞ」
元々眉尻が少し下がっている奴だが、今の顔はあまりにシオシオだから、俺としては元気付けようとなるべくあっさりと言ってみた。

仙道は折角の涼しげに整った顔が台無しなほど情けない面で俺の肩をがっしりと掴んできた。顔が近すぎて寄り目になる。
「あの頃は一緒には暮らしていなかったじゃないっすか。あれは遠距離恋愛。でも今は俺達、夫婦なんですよ? 別居になるんすよ?」
「なるほど。じゃあ、俺は一年間の単身赴任というやつだな。留守中、しっかり家を守ってくれな、奥さん」
ポンポンと仙道の両腕を軽く叩いて笑ってみせると、かなり嫌そうに口元を歪めて溜息をつかれた。
「あのねぇ…そういう問題じゃないんだけど〜。しかも奥さんって呼ばれんのは牧さんの方でしょ。俺が抱く回数の方が断然多いんだから」
牧は今、自然と眉間に皺が寄った自分が分かった。何故そういう切り返しをしてくるんだ? 抱く回数など関係ないだろうが。
思わず妙な気恥ずかしさと腹立たしさで叱り飛ばしたくなったが、そこは大人な俺だから冷静にこのバカを理論で分からせてやることにする。
「それこそ、そういった問題じゃないだろ。それになぁ、忘れんなよ。俺が世帯主なんだってことを」
「あー、ズルイよ〜。だって俺が年下だもん、俺の籍にあんたを養子で入れれないんだから、それこそ言いっこなしですよ〜」
「ズルイ言うな。戸籍で言えばお前なんて俺の子供なんだからな。奥さんと呼ばれるだけ対等だとありがたく思え」
本気で悔しがるのが楽しくて、つい煽ってしまった。おお、イライラしてる顔がまたからかいがいがあるなぁ。そういう顔も可愛いと感じてしまうが、教えてはやらない。
「なんだよっ。牧さんのバカっ。いっつも夜は俺の腕ん中でトロットロになってるくせに! 今すぐ体に分からせてやったってい」
前言撤回。ふくれっ面の可愛い顔でとんでもないことを言うこのバカを俺は思い切り睨みつけてやった。
…よし。かなりビビッってるようだな。 お? 謝るかどうか思案してるな。謝っとけよ。じゃないと夜はお預けしてもいいんだぞ?
俺は睨むのをやめて、わざと邪険に仙道の腕を肩から払いのけて背をむけた。つい意地を張る仙道がおかしくて笑いそうなのがばれる前に。
でもきっと仙道は俺が腹をたてていると思っているのだろう。こちとらいい大人なんだ。こんなくだらん話で本気で怒るかってんだ。……まぁ、正直、仙道の言う事も大幅な見当違いとまではいかないせいで腹立たしいのは否めないが。
なかなか謝ってこないので、寝る仕度でもしようかと洗面所へ向かおうとしたら。
「……牧さん、そんな怒らないで下さいよぅ」
長い腕で背後から俺を包み込んできた。笑えるほど情けない声だ。
「ね〜。俺が奥さんでもいいから。これから牧さんのこと旦那様って呼びますから〜」
思わず吹き出してしまった。
「な、なんつーバカなことを。呼ぶな、気色悪い。あんな話をマトモにとる奴があるか。俺も怒ってないって。あんなの冗談だ。大体、お前が奥さんってタマかよ」
「あ〜。牧さんったら怒ったフリで俺を騙したんすね。酷いや。本気で睨んだくせに〜」
首を捻って見上げれば、不満そうに唇を尖らせている仙道の顔が間近にあった。その唇に音をたててキスをしてやる。
「機嫌直せよ」
「ん。もう一回今のキスしてくれたら直します」
笑いながらもう一度首を捻ると、今度は唇も舌も奪われてしまいそうな熱烈な口付けをくらってしまった。




なかなか居間へ出てこない牧が気にかかり、仙道は寝室のドアをノックした。
「まーきーさん。何やってんすか〜? 入っていい?」
「おー」
扉越しに返って来た返事はいつもと同じ呑気な調子だった。寝室に入るとベッドに横たわって牧は色々なチラシを見ていた。
「隣、横になってもいい? 何見てるんすか?」
「引っ越し屋のチラシだ。単身赴任パックとか使うかなぁと思ってさ。一年ってけっこう服とか必要かもしれんし…」
牧はチラシや資料などをよけて仙道の横たわるスペースを作ってくれたため、静かに仙道は隣に横になった。一緒にチラシを覗き込んでくる。
「どんなとこに住むんすか? また寮? それともホテル?」
「まだしっかり決まってはいないが、向こう側が用意してくれるらしいんだよ。多分、ハイパレス23とかいう奴になるようなんだが」
「へぇ。じゃあ、TVとか家具類は備え付けなんだ。新しいといいね〜。牧さんの昔の寮、ボロだったもんねぇ」
笑う仙道に牧は苦笑いを返した。
「あぁ。あの時のような迷惑はかけないですむと思うぞ。なんたって今回俺はゲストなんだから」
「あ。そういえば向こうに行く日っていつ?」
「来月の三日。だから最低でも荷物は二日には発送しとかないとなぁ」
「来月の三日ぁ? ちょ、その日って確か水曜日だよね?」
俺が頷くと仙道は自分の両頬に手をやってムンクの叫びポーズをとっている。
「俺…来月一日からの出張、確か四日間北海道……えぇえ〜!?」
仙道は慌てて飛び起きると隣の部屋へ行ってしまった。自分のスケジュールを再確認してきたのであろう、すぐに戻ってくるなり牧をギュウギュウと抱きしめてきた。
「ごめんよ牧さん〜!! もんの凄い残念だけど、俺、引っ越し手伝いに行けない〜。本当、ごめん!!」
「来れないのか」
「うん……。あぁ〜、すっげーすっげー信じらんない! 悔しい〜、マジで悔しいっす〜。残念過ぎる〜!!」
耳元でギャアギャアと悲しげにわめかれていたが、俺は痛いほどしがみつかれていながらも、何だか急にぽっかりと頭が空白になってしまった。
俺が引っ越しの日にこいつ、いないんだ。ふーん。…いないんだ。ふーん……。ふーん………。




引っ越しは業者がほとんどやってくれたため、あっけないほど早く終わった。結局荷造りが面倒になったのと『ちょくちょく足りない物取りにおいでよ。俺も運びがてら遊びに行きますから』と仙道に執拗に言われてしまったことで、持ち込むダンボールも大幅に減ってしまったせいもあった。
「もうすることなくなっちゃいましたね…。それじゃ、来週から宜しくお願いします」
今日の引っ越し作業には学院側より若い二人の教員が手伝いに来てくれていた。そのうちの一人は階下の駐車場でエンジンをかけて車内で待っている。
今牧の前に立っている細面に銀の細いフレームの眼鏡をかけた男・松平がペコリと頭を下げた。つられたように牧も頭を下げる。
「こちらこそ。今日はわざわざ手伝って下さってありがとうございました、助かりました。あの、それでこれ…少しですが」
牧はあらかじめ用意しておいたお礼が入った袋を差し出すと、松平は薄く短い眉を困ったように下げて袋を押し返してくる。
「受け取れません。手伝いはいらないと最初から断られていたのを、私達が押しかけたのですから。こんなことをされたのでは、僕も横山も学園長にこっぴどく叱られます!」
「そんなに入ってません。気持ちですから、これで何か軽く飯でも食べて疲れとって下さい」
元バスケット選手であった牧は昔ほどではないけれど一般的な成人男子と比べて厳つく立派な体躯の大男である。そんな男に一歩また近寄られたことで松平は威圧感に気おされ一歩後ずさった。それでもなお牧は押し返されたものを更に強く松平の手に押し戻すと苦笑しながら付け加えた。
「食べたら消える程度ですから。消えたものは学園長の耳になんて届きませんよ。せっかくの休日を潰させてすいませんでした」と。
すると漸く頑なだった松平は思いがけず元が困ったようでもある顔に柔和な笑顔を覗かせて受け取った。そして何度も頭を下げて去っていった。

「疲れた……」
誰も居なくなった一年間限定の新居の玄関でついたため息は思いのほか深く、かえって疲れを増幅させてくれたようだ。
狭い玄関ではあるが壁も白く床のフローリングも磨かれている。ドアを開ければ左手にキッチンと備え付けの冷蔵庫。右手にはトイレや洗面所、浴室へと続くドア。更に進むと8畳一間の部屋が、狭いベランダへ出られる大きなガラス扉から入る夕暮れの薄暗いオレンジ色の陽射しで染められている。
室内には小さなシングルベッドとローテーブル。低いTVボードの上には小さなTVとまだ開けていないダンボールが一つ。
床にあった他のダンボールを二つまとめて備え付けのクローゼットへ押し込むと、牧はベッドへと仰向けになった。

見慣れない天井をぼんやりと見上げていると、やけに外から漏れてくる雑多な音が耳につく。通りに面した一階のせいか、はたまたカーテンをまだつけていないせいなのかは分からないが、それほど大きい音でもないのに神経を尖らせられる。
渋々と起き上がってダンボールからカーテンを取り出してレールへ取り付けてみれば、丈が50cmほど足りずにかなり不恰好でイライラが募った。
今から慣れない街でカーテンを買いに店を探し歩くなど出来るかと、小さな舌打ちをしてどさりと再びベッドへ横たわった。
無事に引っ越しは済んだと仙道に電話でも入れようかと尻ポケットにある携帯を取り出す。しかし時間的にまだ仕事中かと思いなおして元へ戻した。
二度ほど所在なげに寝返りをうってから、再び携帯を取り出して今度はメールを打ち始めた。
【先ほど引っ越しが終わった。お前も出張ご苦労様。】
そこまで打つともうなにを打てばいいのか分からなくなる。いつも仙道にはもう少し長いメールが欲しいと言われるため、暫し考えて続けてみる。
【こっちは静かだが煩い。やはり家が落ちつ】
「静かで煩いって何だよ。しかもこれじゃ初日から泣き言じゃねぇか」
途中まで打った自分のメールに苦々しくツッコミを入れる。そのまま追加の文章をやり直そうと消し始めれば、得意ではない携帯操作なために最初の部分まで半分ほど消してしまった。こうなると入力が遅いこともあり打ち直すのが面倒になってしまう。
「あー、ダメだダメだ。俺は携帯メールは苦手なんだよっ」
文句を言いながら携帯をベッドへ放り投げて牧は目を閉じた。
ここでいつもなら横で見ているあいつが『牧さんは変なトコが短気だよね〜。俺が代わりに打ったげますよ』なんて言いながらメールを打ってくれたり、そう言いながら俺にちょっかい出してきて叩かれたりすんだよな……。
等と思い出してしまい、つい苦笑している自分に気付いて今度はムッとしてしまう。

人がいる時は平気なのに一人になるとむやみに苛付いたり、仙道のことばかり考えてしまっている自分に情けなさが満ちる。
一ヶ月近い仙道の遠征や合宿もあれば、すれ違いで自分が出張に入って会えないことなどざらにあった。一緒に暮らしていても仕事の時間帯のズレから顔を合わせることもほとんどないというのも全く珍しくない生活だった。
だから高をくくっていた。たかが一年の単身赴任など、と。仙道があんなに騒いでいた姿を見ていても大げさで可愛いなという程度にしか感じていなかったのに。
初日も初日。まだ一日だって終わっていないくせに何だこのザマは。畜生……淋しいじゃねぇか。
そこまで思い至ってふと、昔一人でクリスマスを過ごした時の自分を思い出す。あの時は途中から桜木が来たり、結局仙道も途中数時間だけ出先から抜けてきたのだ。しかし今は絶対にあんな風に人が突然来ることもなければ、流石の仙道も北海道から名古屋。思いつきで来られる距離ではない。

奇妙な人恋しさまで感じていることを認めてしまうと、余計に淋しさが身に沁みてくるようで、つい枕なんかを抱きしめてみたりする。そして枕なんかに仙道を重ねて額をぐりぐりと押し付けてみたりもしてしまう。こんなことは仙道の長期出張中でもやったことなんてな……いとは言えない自分に改めて苦笑いをしてしまう。
「……いつからこんなに淋しがりになっちまったかなぁ」
自分の発言に照れながらも、こっそり厳重に隠している一枚の写真を見るべく放り出した携帯へ手を伸ばす。
携帯で写真を撮るのはどうも照れくさい気持ちが手伝って、二度しか使ったことはない。一度目は電車の時刻表を書き写す物がなくて撮った。
二度目は人と談笑している仙道。少し離れた場所からこっそり撮ったそれは、五回もシャッターを押したのにまともに写ったのは一枚だけだった。
そのましな一枚すらピンボケしているけれど、笑顔の仙道。沢山の雑誌や人からもらった写真でもなければ、写すためにポーズをとらせたものでもない。普通に笑っている、俺が大学時代にこっそり撮った、笑顔の仙道。携帯を数回替えてきているがこのデータだけは絶対に消さないで今も持っている。
今も昔も、俺を強くするのも、こんなに淋しがりにさせるのもこいつだけ。
仕事が終わったら会いに来い。今すぐ北海道から飛んでくりゃいい。引っ越し初日にいないお前に思いっきりそんな我侭を言ってみたくなる。ついでにこの丈の足りないカーテンも今すぐ買い換えてくれ、なんてな。
もし電話かメールで本当に俺がそう伝えたら、あいつはどうするだろう。飛行機に乗って本当に現れそうだ。それとも盛大な冗談だと爆笑されるかな。まぁ、もちろん本当に来たら叱り飛ばしてから俺が空港まで送り返して即トンボ帰りさせるんだがな。


♪ピンポーン……

つらつらとした意味のない想像を聞き慣れない呼び鈴に断ち切られた。首を傾げてのち、牧は自分のところかと慌てて飛び起きる。まさか仙道が来るわけないよなと思いつつもダッシュでドアノブを握った。
「どちらさまですか?」
「○○宅急便です」
こんな着いた早々に荷物?と訝しげにドアスコープから覗いてみれば制服姿の小さなおじさんが立っていた。ドアを開けて受け取ると疲れた顔がふと笑ったようだったので首を傾げてみせた。
「いえね、ここにもう人が入られたんだなと思いまして。前は女性の方だったんですよ。あ、サインでいいです」
「そうなんですか。……はい、ありがとうございました」
互いに会釈し何気ない一連の会話を終えて部屋に戻り荷物をみると仙道からだった。日時指定に配達指定。おまけにクール便である。ちなみに発送日は先月の末日。出張前に出したということだ。
大きさのわりに軽いダンボールを開けてみた。
沢山のカップ麺に暖めるだけで食べられるレトルト食品、スナック菓子にペットボトル飲料。それと牧が好きな明治の板チョコ十枚が輪ゴムでとめてあるものが二束……。
あっという間に狭い床一面がそれらで埋め尽くされて牧は呆然とした。
「非常食のつもりか……?」
こんな、こちらでもすぐ手にはいる物をわざわざクール便の送料をかけ、しかもこれほど大量に送るとは。俺は登山にでてるわけじゃないんだぞ?
呆然と眺めていてもどうしようもないので、また届いた物をもとのダンボールへレトルト食品と飲み物以外を戻そうとしたとき、ダンボールの側面に同系色の紙が張り付いているのを見つけた。剥がしてみると見慣れた書き文字。
【牧さんへ。 チョコレートは一日半分まで。疲れた日は一枚食べてもいいですよ。 仙道】
思わず牧はへなへなとまた床に座りなおしてしまった。何だよそれ? まるで俺が放っておけばこの大量のチョコを数日で食いきりそうな言われようじゃないか。自慢じゃないが本格的バスケ生活から退いてからは太らないよう食事制限もしたし、形成外科医ではあるが一応医療従事者として食は気遣っているのに。
「お前だろ……カップ麺はあまり食うなっていくら叱っても隠れて食う奴は」
スナック菓子だって量を考えて食えって毎度言っている俺にこの量を送りつける気がしれん。しかも手紙をつけてくれるなら、もっとこう……他に何か書くことないのかよとため息が出た。
そこでふと先ほどの自分が書きかけて消したメールを思い出し一人ごちた。
「そうなんだよなぁ、改まると書けないもんだよな……」

レトルトのご飯に切ってある漬物、袋ごと暖めるだけのサバ味噌。レンジで暖めたシュウマイにペットボトルの野菜ジュース。
小さなテーブルに所狭しと並んだ、見事に市販品オンパレードな夕食に牧は笑った。もちろん今手にしているのもレトルトのカップ味噌汁だ。
「いただきます」
誰に言うでもなく口にする言葉。これは仙道がいてもいなくても関係のない牧の習慣だ。
バラエティ番組をみながら食事をすませた頃には先ほどの苛立ちなどなかったかのように、とても穏やかな気持ちになっていた。腹が減って気が短くなっていたのもあったのかな……と首を一つ捻って「ごちそうさま」とまた習慣で口にした。
引っ越し当日に一人になったことが幸い(?)にも今まではなくて気が回らなかった。確かに当日というのは気持ち的に晩飯を作るにも材料を買いに行くにも面倒で。まして外食となれば一人で店を探すなど考えるまでもない。家から出ないで食べられるありがたさをしみじみと痛感し皿をさげた。
そしてつい疲れた勢いで食前にチョコレートを一枚食べたというのに、食後までインスタントコーヒー(こんなものまで入れてあった)と一緒にチョコを更に一枚平らげてしまったことは、あいつには黙っておこうと思った。


狭いユニットバスに辟易しながらもザッと湯を浴びて部屋へ戻ればベッドの上に放り出したままの携帯に目がとまった。
もう仕事もとっくに終わっていてもいい頃だろう。書けないのなら言えばいい。初日でなんだが、礼をこめてちょっと恥ずかしい台詞なんぞも言おうかな、と携帯を手にする。

『牧さぁーん!! お疲れ様!! 電話くれるの待ってましたよー。風呂入ってるかな〜とか思ってかけないでいたんです』
出るなり嬉しそうな声が思いのほか近くて距離感を忘れてしまいそうになる。
「そっか。お前は風呂入ったのか? ん。ともかくお前もお疲れさん。どうだそっちの天気は」
『ちっと肌寒い程度っす。それよか、どう? 新しい仮の住まいは? 飯は食いましたか?』
「飯、お前から届いたもので今日は済まさせてもらったよ。ありがとうな。お前は本当に気が利くよ」
一瞬向こう側で小さく「いっ?」と驚いたような声が聞こえて思わず笑いそうになってしまった。小さな咳払いのようなもののあとすました返事がきた。
『そうでしょー。気の利く奥さんでしょ俺ってば。ね、困ったこととかない?大丈夫?』
「お? やっと自分の立場を自覚したか。なんてな。ま、それはいいとして。カーテンの丈が短くてさ、かなり笑えることになってるよ」
『そっすか。じゃ、明日買いに行きますか』
「明日は部屋片付けでもしてるよ。まぁ来週末まで我慢するさ。こっちは暖かいしな」
『窓枠総丈、何センチか教えてくれたら俺が勝手に選んでもいいんだけど。ね、牧さん明日出かけられないくらい疲れてんの?』
「そんなんじゃないが、一人で出るのはどうもまだ面倒なだけだ」
『何言ってんすか。一緒に買いに行くに決まってるでしょ』
あきれた声音に思わず「へ?」と妙な返事をしてしまった牧にかまわず仙道は続けた。
『明日の午前中で仕事終わるから、そのままあんたんとこ行きますよ。飛行機は先月中に変更手続きすませてあるから。他のチケも色々抑えたし』
開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。牧がポカンとしているのをまるで見ていたように仙道は電話の向こうで笑った。
『引っ越し当日は行けないって言ったけど、次の日にも行けないとは言ってないっすよ。追い返そうとかしないで下さいね。チケ変更とか色々大変だったんだから。それにね、飯も菓子もたんまり届いてるでしょ。その半分は俺のっすから。あ、チョコは全部牧さんにあげるけど』
「そ……そういう意味だったのか、この大量の食い物は」
『うん。明日直接お土産と共に参上する奥さんを、よかったら旦那様、駅までお迎えに来てくれません? その時にカーテンも買っちまいましょう』
「……窓のサイズ計って行くよ」
『お土産はアスパラとチーズだよ。こっちのアスパラはすっげーから楽しみにしててね、旦那様』
「もうその呼び方やめろ。頭が痛くなってくる」
『あはは! んじゃ明日会いましょう。時間とかはまたマメに連絡入れます。明日は寝かせませんから今日はもう寝て体力養っておいて下さいね。おやすみなさい、牧さん』
弾んだ声に驚き疲れた牧にはもう反撃する言葉もなかった。
「……気をつけて来いよ。おやすみ」

確かに先ほど今すぐ来いなんて考えたけれど、あれはあくまでそれが無理という前提での軽いおふざけだったのに。
牧は深いため息をついてから、松平からもらった住まい周辺の地図のコピーを広げてチョコレートを売っていそうな店が近辺にないか探し始めた。
見つけたコンピニに手近にあったマーカーで色をつけてから仙道からのメモを冷蔵庫に貼り付けつつ呟いた。
「チョコは一日一枚まで。……守らんと突然チェックが怖いからな」








*end*




素直じゃない牧の内面は、実は甘えんぼうでミルクチョコレートのように甘々なんですよん♪
疲れた時は甘い物と恋人補給が一番のようですな。勝手にやってろこのバカップルちゃんめv

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