Special Christmas cake?


時刻は深夜12時。桜木は真っ赤な髪の頭を抱えたまま低い唸り声をあげた。対する流川は腕組みをして項垂れているため、漆黒の艶やかな髪に目元が隠れて表情は窺えない。
DVDデッキの電源が切れた音を合図にしたかのように桜木は立ち上って天井を見上げ叫んだ。

「だぁーっ。どーしても今、熱々のたこ焼きが食いてぇー!!食わなきゃ俺ぁ眠れねぇぞっ」

録画しようとしていたスポーツ番組が台風のため中止になっていたことを知らずに録画してしまっていた『たこ焼き王選手権』という番組を二人はたった今観終えたばかりだった。最初はかなり腹立たしく「たこ焼きなんざどれだって同じだっての!」だの「ネギさえ入ってなきゃ何でもいー」と文句を言いながら観ていたというのに。恐ろしきかなTVマジック……。

桜木はけっこうTVや雑誌、人の噂話などで見聞きし興味を持った食べ物をすぐに食べてみたがるタイプである。しかし流川はよほどでない限り興味を示さない。ノリが良すぎる桜木と悪すぎる流川。この性格の極端な違いが妙な具合にかみ合ったのか、恋人同士という間柄で同棲すること二十年以上。既に男夫婦のような関係を築いている。

この場合、いつもならば流川が冷静に深夜であることをぶっきらぼうに諭してあきらめさせるはずなのだが。
「…テメーが漕げ。俺んはまだあのままだ」
ぼそりと呟くなり立ち上がるとTVボードの横にある棚から財布を掴んで尻ポケットへ突っ込んだ。
流川の自転車は先日砂利道の悪路を走行した時に後輪のタイヤがパンクしてしまったのだ。学生時代と違い滅多に自転車になど乗らなくなっているため、日々の忙しさにかまけて未だそのままになっていた。つまり先ほどの流川の台詞は桜木の自転車でニケツで買いに行こうと誘っていたわけである。
「る、流川…!」
思わずあまりの愛しさに呟いた声が掠れてしまった。単純王といつものごとくバカにされると思っていただけに桜木の喜びは大きい。しかも一人で買いに行けというのではなく、自分も一緒に行くと言っているのだ。嬉しさに頬が紅潮していく自分を桜木は止められない。
そんな自分の頬を隠すため長い腕で流川を背後から抱きしめてしまう。嫌そうに振り払おうとしてきた手を取り引っ張ると、くるりと流川を回転させて自分の厚い胸板へと収め更に強く抱きしめる。
「痛ぇ、このバカ力……んっ…」
文句ごと唇を熱い唇で塞ぐ。逃げようと顔を離すのを許さず、今度は顔中にキスを降らせてやる。
「テメ、やめねーか。たこ焼き…、さっさと買いに…んっ」
チュバッと音をたてて外人のするような派手なキスをしたあと、いつもは白い流川の頬がほんのり染まったことに桜木は更に気を良くして腕を解いた。
「おー!早く買いに行こーぜ!!テメーの気が変わらねぇうちによ」
忙しなく隣室に飛び込んだ桜木が「こーなったらぜってー熱々食おうな!」と二人分のジップパーカーを手にして満面の笑みで戻ってきた。流川は整った眉を少し寄せつつも微かに両方の口角を上げた。
「行くぞ。単純王」



コンビニを数件寄ってみたが、どこも売り切れていた。しかし時間的にもそんなことは元から想定済みな桜木は鼻歌交じりで自転車を軽快に漕いでいる。
初冬の深夜。気温は徐々に冷え込みを増してゆく。人がほとんどいないため流川が珍しく自発的に桜木の背へくっつくように腕を回していることも桜木を上機嫌にさせた。
「次もなかったらどーすんだ?」
「そしたらまた次探しゃいーだろ。コンビニなんざ腐るほどあらぁ」
「ここまできたら熱々じゃなきゃ俺は食わねー」
「ったりめーだろ。言っとっけどな、俺ぁふやけたたこ焼きはたこ焼きと認めねぇ!そんなんは明石焼きだ。たこ焼きっつーのは外側カリッと、内側トロトロ」
勢い良く喋っていた声がふと止まった。流川は訝しげに桜木を少し覗き込んだ。ニヤニヤとした桜木の口元がチラリと見える。
「……外側硬くて中が熱くてトロトロって、やらしーよな。まるでテメーの…っ痛えなあ、冗談だろ、ジョーダン!!」
最後まで言わせるかとばかりに流川が桜木の脇腹へ拳をぐりぐりと押し付けてきたため、桜木はあまり下手を言って機嫌を損ね過ぎないよう、とりあえずあっさりと引き下がった。


煌々と照る蛍光灯の下、やっと手にした6個入りたこ焼きパックはひんやりとしている。色味もTVで見た食欲をそそる色ではなく、どこか白々しい感じで全く食欲を沸かせない。ラップで覆われたそれは水分を吸っているのかぶにゃぶにゃしているように見えた。
「こんなん…家でオーブントースターで焼いたって…なあ?」
悲しげに振り向いた桜木に流川は力強く頷いた。パッと桜木の顔が輝く。急いで店を出た桜木は流川の腕を掴んで自分の胴に回し強く押し付けると力を込めてペダルを踏んだ。
「予定変更だ!材料買ってジイん家でたこ焼き焼いてもらおーぜ!」
「こんな時間にかよ」
「大丈夫だって、まだ起きてる。ジイも言ってただろ、会社の忘年会のビンゴ大会で当たったたこ焼き器でこないだ仙道と二人で焼いて食ったって。で、『二人だと余ってしまって、こういうのは人数がいたほうがいいと分かった。お前ら今度食いに来いよ』って」
流川は視線を空中に固定して黙していた。長年一緒にいるため桜木にはこの黙り方はあと一押しということが感覚で分かる。更に畳み掛けるよう続けた。
「マヨネーズとソースたっぷりかけた上に、オメーの好きなカツオブシたっぷりかけてよー。あ。その前に天カスとでっけータコ入れてな。なーに、材料持参だから喜ぶって。きっと奴等も今頃小腹も減ってる頃だろ!それによぅ、」
「何だよ」
先ほどの勢いはどこへやらな小声で桜木は呟いた。
「……焼き立て…オメーに今、食わしてやりてーんだ」
みるみる赤くなっていく桜木の耳の色につられて、冷え切っていた流川の白い頬はまたほんのりと赤みを帯びる。照れ隠しで我武者羅にスピードをあげて自転車を漕ぐ男の背に流川はその頬をそっと押し付けた。
「…牧先輩、起きてりゃいーけど」


深夜に開いているスーパーを二軒ほど回ると材料も全部揃い、暫く走ると漸く牧と仙道が住むマンションに辿り着いた。
体力自慢の桜木も自分と大差ない体重の男を乗せての長距離運転で流石に息を切らして額からは汗を流していた。逆に流川は寒さで冷え切った自分の体を両腕で擦っている。
「えーと…ジイんとこは何階だったかな…。……あ。あれだよな?」
明かりのついている窓を指差して振り向くと、流川の元々白い顔がマンションロビーから漏れる光をかすかに受けてよけいに青白く寒そうに映った。
流川が見上げ頷いて口を開く前に桜木は「行くぞ」と呟くなり流川の冷えた手を掴んで足早にエントランスホールへと向かった。


♪ピンポーン ピンポーン ピンポーン ……ピンポーン

なかなかインターホンから住人の声は聞こえてこない。寒そうな流川が心配で桜木は深夜だというのにドアベルを何度も押してしまう。
「いるんだろー、ジイ、センドー。なあ〜、早く出てくれよ…」
「電気消し忘れたまま出かけたんかもしんねー。帰るか…」
流川が桜木の背後で呟いたのが聞こえたかのようにインターホンが突然プツッと反応する音をたてた。
「…はい。どなたですか…」
地を這うような不機嫌丸出しの仙道の声に桜木は急いでインターホンへ顔を寄せて早口でまくしたてた。
「センドー!俺だっ桜木だっ!流川も来てんだ、寒いから早く入れてくれっ」


ドアを開けるなり流川が押されるように入り、続いて桜木が飛び込んできた。全身から湯気が出ていそうな桜木へ仙道は呆れた調子で言った。
「誰が寒いって?桜木、すげー汗かいてんじゃん」
靴を乱暴に脱ぎ捨てて桜木は汗だくのパーカーを脱いで玄関の靴箱の上へ放り投げた。
「俺じゃねぇ。キツネが冷えてんだよ。いーからさっさと入れてストーブにあたらせてやってくれ」
「あ、おい、ちょっと待てよ!」
仙道の静止もきかずに桜木は流川の背を押してズンズンと中へ入っていく。流川が廊下を押されるように歩きながら「牧先輩は?」と聞いてきたが、仙道の返事より先にリビングへ通じるドアが先に開いた。
「あ、牧先輩。寝てました?」
「いや、起きてたよ…。どうしたんだ急にこんな遅く。あぁ、ずいぶんと寒そうな顔してるな。入ってストーブにあたったらいい」
ふらふらと手招きをしてリビングへ戻る牧の背を桜木は歩きながらも食い入るように見てしまっていた。

桜木がリビングへ入ると薄暗かった室内が明るくなり、光量が一段階落とされていたことに気付く。仙道が背後でライトを調整したことも。
床に座り込んで電気ストーブにあたっている流川をチラリと見てから桜木はまた牧をつい見てしまう。ソファに疲れたように身を沈めた仕種、乱れたブラウンの髪、熱っぽく潤んだ色素の薄い瞳と紅く染まった目縁。ぽってり紅く熟れたような下唇、薔薇色に上気した頬……極めつけが、

「あ。牧先輩、服のボタンかけ違ってるっす」

流川の何気ない一言で牧の頬はさらに染まったかに見えた。仙道は慌てた己の顔を隠すためか、そそくさとキッチンへ行ってしまった。その背を見て桜木は更にオタオタしてしまう。いつもはきっちりと隙なく整えられたヘアースタイルの後頭部がしっかり乱れており、しかも履いているジーンズは中途半端に上着の裾をかんでいるのを見てしまったからだ。狼狽して視線を元の場所へとやれば、
「あぁ。気付かなかった。ははは…」
牧が乾いた笑いを作りながらボタンをかけ直そうとしていた。しかしその指先は、どうやら痺れているのか上手く動かないらしくたどたどしい。
どこへ視線を向けても居たたまれない……。桜木は牧の座っているソファの横にある椅子に座ったまま、手にしていたビニール袋の手提げ部分をジリジリと捩って赤面し俯くしかなかったのだが。

「…? 先輩、もしかして泣いてたんすか?目元、赤い」

またも無邪気な流川の爆弾発言が投下され、とうとう桜木は立ち上がり流川の頭をスカポーン!と音高く叩いた。
「何すんだ!」
「煩せえ!!オメーは黙ってストーブにかじりついてろ!!喋んなっ」
「んだと、テメェ…」
いきなり理由も分からず叩かれた上に頭ごなしに怒鳴られて流川の目が剣呑に光る。しかし立ち上がろうとした流川の肩を牧がポンと叩いて止めた。
「桜木はゆっくり暖まってろといいたいだけなんだろ。ほら、座って暖まれ」
疲れた顔に無理やり優しい笑顔を浮かべてくれている牧を間近で見てしまい、桜木はもう何も言えずにビニール袋を掴んでキッチンへとダッシュした。背後で牧が「ドキュメンタリー番組を観てたせいかな。ちょっと顔を洗ってくる」と苦しい言い訳をしているのを耳にしながら…。


電気式のたこ焼き器は思っていたより小さいけれど火力はあり、牧が手際よく端からくるくると焼けた部分を中へ押し込むようにしながら焼いていく。流川は真剣にその様を魅入っていたが、どうやら見ているだけでは足りなくなったようで「俺もやる」と一緒に焼き始めた。
テーブル上の小さいたこ焼き器を挟んで牧がやり方を説明したり、流川が悪戦苦闘しているのを横目で見ながら桜木はソファ前にあるリビングテーブルに飲み物や取り皿などを並べていた。キッチンからは仙道が洗い物をしている水音が聞こえてくる。

室内がたこ焼きの焼けた芳ばしい香りで満ちた頃、大皿二つに山盛りのたこ焼きと余ったタコの刺身を前に四人は床に座ってビールで乾杯し食べ始めた。
カリカリと芳ばしい黄金色の薄皮を齧れば、ダシの良い香りがきいた熱い中身が口中にとろり柔らかに広がる。更に齧ればプリッとした大きなタコと柔らかなキャベツの食感が楽しい。もちろんたっぷりと外側にかけておいたたこ焼きソースとマヨネーズ、そして湯気で踊るカツオブシの美味さがあってこその、
「これぞたこ焼き!つか、外で食うより美味ぇんじゃねぇ?」
ご機嫌で頬張った桜木に一同素直に頷く。
「外のは外の良さがあるが、家でこうして手軽に熱々をというのもいいもんだ」
「そーそー。俺は紅生姜入っていないシンプルなのが好きなんだ。家でだと好みに合わせられるってのがいいよね」
「ネギが入ってないのもいー」
四人は満足気に熱々のたこ焼きときんきんに冷えたビールを口にした。
不器用な流川が焼いたたこ焼きは少々焦げていたり、タコが飛び出していたり小さかったりと形は散々で味も焦げ付きのせいか少し落ちたが、桜木は好んで流川が焼いたものを食べた。流川も自分で焼いたということが楽しかったのか、桜木には上機嫌で食べているように見えた。
牧も洗面所から戻ってきてからはシャッキリとしたいつもの雰囲気に戻っていたし、仙道もいつもと変わらない漂々とした笑みで早くも二本目の缶ビールを開けていた。

「どうした、桜木? いつもより進んでないんじゃねーの?」
あまりビールを飲まないで食べてばかりいる(実際、流川は自分が焼いたのを「マズイ」と言って牧が焼いたのを食べているため、桜木が流川の焼いたものを一手に引き受けるように食べていた)桜木を仙道が気遣ってきた。
「え? …や。この後またチャリ漕いで帰っからよぅ。飲みすぎたらヤベーから」
すると牧も仙道も驚いた顔を向けて同時に口を開いた。
「「泊まっていけばいいだろ」」
今度は桜木が驚いた顔をして二人を交互に見返す。
「だ、だってよ、これ以上ジャマ出来ねーよさすがに…」
「何を気遣ってんだ今更。もう遅ぇーよ。遣うんならもっと前にしとけって」
仙道が悪戯っぽく苦笑してみせると牧も片眉を上げて軽く笑った。
「そうだぞ。親しき仲にも礼儀ありだ。夜分に訪ねる時は事前に連絡を必ず入れるのが常識だ」
「携帯持って出なかったし、さっきも言ったけど、こんな予定じゃ…うう…ホントすまねぇ、ジイ、センドー」
頭を下げた桜木を見て流川も「すんませんっした」と静かに頭を下げた。もちろん桜木が抱いている別の意味での申し訳なさなどはないけれど。
「分かったんならいい。でな、今日は本当に泊まっていけ。寒いのもあるが、飲酒運転になる。自転車も軽車両に入るんだぞ」
「そーそー。それに流川も桜木もまた冷えたら風邪引くかもしれないじゃん。遠慮なんてお前らに似合わないよ」
二人が向けてくれる優しさに器の大きさを改めて感じてしまった桜木は口の中で『やっぱかなわねーや』と呟いた。それはとても小さな呟きだったため、「聞こえなかった」と聞き返してきた仙道に桜木は缶に残っていたビールを一気に煽ってから笑った。
「ジイ、固ぇ〜って言ったんだよ。自転車で飲酒運転だなんて聞いたことねーや。なぁ、流川」
既に満腹感と眠気で意識が朦朧としていた流川が頷き立ち上がるとおもむろに述べた。

「牧先輩は物知りだし、たこ焼きも焼けるし、かなわねー」

唯我独尊。他人と自分を比べるなど無意味。そんな身上の男が漏らした『かなわねー』という流川らしからぬ発言は本日一番の破壊力を持った爆弾で、三人は一瞬我が耳を疑い固まった。
しかし衝撃を受けている三人をよそに、流川は「トイレ」と誰へともなしに呟くとリビングをおぼつかない足取りで去っていった。

一番に正気に戻ったのは桜木だった。くっくと声を押し殺すように笑っていたが、とうとう盛大に笑い転げだした。その笑い声に次に仙道が。そして牧がつられて笑いだす。
「いやー、参った!流石牧さん!あの流川にそんなこと言わせるなんて!」
「あぁ!俺も驚いた。たこ焼き焼けるくらいで言われるとはな!」
「じゃあ今度、俺が広島風お好み焼きを牧さんより上手く目の前で作ってみせたら、俺ってもっと凄い人になれますかねぇ?」
「おー。きっと拍手もつけてくれるんじゃないか?あれは俺もひっくり返すお前のテクニックに驚いたからな」

まだ笑いふざけあう仙道と牧の会話を桜木は床に転がったまま目を閉じて聞いていた。
突然深夜に訪れた自分達…寒さで震える者と息を切らしている者を気遣う優しさ。ストーブの火力を強めて暖かいコーヒーを急いで入れてくれた。汗が冷えないようにとタオルと替えのTシャツを用意してもくれた。そして声をそろえて泊まっていけと言ってくれる。
あんなくだらない理由で二人の時間を壊されたというのに、嫌な顔も見せず。それどころかキッチンでこっそりと詫びた自分を仙道は一笑に伏した。
──『オメーらがそういうくだらない理由で押しかけれんのは、ここしかねーって俺も牧さんも嫌ってほど分かってんだから今更気にすんな』
確かに流川は色恋沙汰には鈍いけれど、向けてくれた厚意などには不思議に鋭いところがある。流川はきっと、俺よりも先に肌で感じて知っていたんだ。ジイと仙道はもう俺らの家族だって。あんま頻繁にゃ会わねーけど。
親みてーだって…昔、ジイに自分の父親を重ねたことがあった。今はなんつーか、仙道が父ちゃんでジイが母ちゃんって感じしちまってる。多分それは流川も同じで…って、んなこと知ったら仙道はともかくジイは「何で俺が母親なんだ」と怒られそうだけど。

実はけっこう気遣いな俺(なんて言うと他の奴等にゃ笑われそうだけど)が今日強引に押しかけられたのも。ジイ(口にはしていなかったが多分仙道のことも同様に)がいつまでたってもガキな俺らをいつでも受け止める器量や度量を持った者であることも。全部流川は分かっていたんだと思う。全部ひっくるめて“上”だって、格が違うって認めてると言いたかったことが、さっきの流川の台詞に隠されていたのが俺には分かった。
流川は強烈な負けず嫌いではあるけれど、自分が認めた者に対してはとても素直な奴だというのも俺は知っている。そんなところもまた可愛くて俺は好きだったりする。帰ったら、俺が言えなかったことをケロッと言っちまったお前を沢山可愛がってやりたい。叶う事なら今すぐしたいところだけれど。
……と、そこまで思い至って、今日改めて知ってしまった事実を何故か再度思い返して桜木は内心でうろたえた。
今まで年齢が一つ下な仙道がネコだと勝手に思っていたのだが…あれほど艶っぽい牧を見てしまっては先入観などいっぺんに吹き飛んでも無理はない。桜木は口元が嫌な感じで歪みそうになるのを堪えつつ内心で叫んだ。
『あんなゴツイオヤジが、まさかあれほど色っぽく崩れるなんて誰が想像出来るかってんだ!あんなフェロモン垂れ流しな気だるい表情や仕種を見て何も気付かない流川の、ある意味とても純真さが可愛いやら恐ろしいー!!』

目を閉じたまま思い出してはドギマギしている桜木の耳に仙道の明るい楽しげな声がまた飛び込んできた。
「それにしても笑えるよねー。先週俺らがやったことと同じことをコイツらもやってんだもん。バツが悪くて俺、全然怒れなかったもん」
「本当だよな〜俺もだよ。やっぱああいうのは脳に刷り込まれるもんなんだなぁ」
桜木の眉間に徐々に不審気な皺が寄る。
「あん時の牧さんなんて凄かったよね。『丸ごとバナナなんてケーキと認めん!』ってさ」
「お前だってそうだろが。『ムースケーキなんて邪道だよ!ケーキはスポンジと生クリームがあってこそ!』って。やっとケーキと名がつくもの…五件目だったか?」
「ううん、六件目のロー○ン。とうとうそこであきらめて生クリーム買ったんだよね〜。それとケーキの作り方って本も。あん時ゃ頭に血が昇ってたよね俺達。牧さんなんてあのまま高速乗ろうとしたんだよ〜覚えてる?あれは流石に俺も止めましたね」
「お互い正気じゃなかったことは確かだな。というか、ケーキを作ろうと決めたお前の方が俺にはヤバイと思ったぞ。高速に乗って真夜中もやっている噂のケーキ屋目指した方が良かったんじゃないかと今でも思うが」
「えー?そのケーキ屋なんて名前と渋谷ってことしか分かってなかったじゃん。そっちが無謀っすよ。それよか、あのケーキ!!」
二人の大爆笑が重なった。それでも牧が笑いを合間にはさみつつ返す。
「初めてのケーキ作りが夜中の三時で、しかもチョコ生ケーキ!よくやったよ俺らも全く」
「ひっどく不味いスポンジだったよね〜。焦げた部分そいだらこーんな小さくなっちまってさ。生クリームなんて牧さん馬鹿力で混ぜすぎて分離して、バターと水みたいなもんになっちゃうし」
「お前だってチョコレート溶かすのを失敗して焦がして恐ろしく苦くしたくせによく言うぜ。それを誤魔化すために洋酒が必要だとか言って、ブランデーどぼどぼ入れやがって。あれのせいであのケーキは失敗したんだぞ、きっと」
「高級感出すっていったらブランデーかと思ったんだもん。あ。そうだ!今度のクリスマス、俺らがケーキ作って振る舞おうか!そしたらきっと、流川だけじゃなく桜木も俺達に『かなわねー』宣言してくれちゃうかもよ」
「いーなそれ、やるか! でも先に言っとくが俺は食わんぞ。俺は自分用に市販のケーキを買っておくからな」
「ズルイよ牧さん。俺達の分は市販、あいつらのは俺達の愛情篭った手作りケーキってことで手を打ちましょうよ〜」

延々と続く楽しそう(?)な会話に桜木は人知れず涙を零しそうになった。
確かに先週、『甘味王選手権・ケーキ編』をTVでやっていた。自分達は観ていないけれど、翌日全国的にケーキがかなり売れたという噂も聞いた。
子は親に似るという。本当の子供でもなければ親でもない自分達だというのに、どこか物悲しいような…それでいて不思議と嬉しいような複雑な気持ち。それでも人と似てることが嬉しいなんて考えたのは初めてかもしんねー…。

そんなちょっと甘くてほんのり切ない桜木の思いなどつゆ知らず。ご機嫌絶好調な二人の会話は進んでいく。
「こいつらも馬鹿だけど、大概俺らも馬鹿だよな〜。と。流川と桜木に毛布かけてやらなくていいのか?こんなとこで寝ていたら風邪引かせてしまう」
「いーっていーって。室内暑いくらいだし、大丈夫だよ、馬鹿は風邪引かないって言うじゃない。それより、……ね?」
明るい笑い声が止み静かな会話になったと思ったら。なにやらゴソゴソと衣服が擦れあうような音がし始めた。
急に小声になった牧の声が少し掠れている。
「やめろよ……また途中で…放り出されたら今度はもう…っあ、」
「俺がドアベル無視しようとしたの無理やり止めたの牧さんじゃないっすか。俺を放り出したのは牧さんの方でしょ…」
押し殺したような低い仙道の声にただならぬものを感じ、桜木は嫌な感じで鼓動が早まり額にこれまた嫌な汗が滲む。
「……どうせなら…ベッドで、続き、してくれよ…」
驚くほど色っぽい、低く篭った囁きに桜木は苦しいほど不快な動悸・眩暈に襲われ始めてしまう。
「ふふ…。いつもより早く素直になってくれて嬉しいな。さっきのお預け状態、かなりキてたもんね…。俺、焦っちゃったよ。あんたったらあんな顔のまま出てくるんだもん。言ったじゃん、前。俺以外にあの顔見せたらダメって」
「あんな顔って、別に。お前だって社会の窓開けたまんまだったの、俺に指摘されるまで気付かなかっ……くせに…」
衣擦れの音がさらに続き、湿った音──多分、ディープなキスの音、が、また暫く。それこそ嫌になるほど長く続いた。
桜木は血の気が降りきった顔を両手で無意識に覆いながら身を縮めた。もちろんテーブルで自分が二人の視界からは隠れていると分かっているが、それでも消えてしまいたい一心でとってしまう、いわば自衛本能がとらせた姿勢だった。
『いつまでやってんだ、いい加減もうやめてくれ〜!!オメーらのやってること半分だって流川にやったら酸欠でマジ死んじまうし、ヤル気もなくなっちまうんだぞ!…てか、ホント止めてくれよ〜音が異様に生々しくて怖い〜あいつらがって分かってるから更に怖いっ…!!奴等のねちっこさがハンパなく恐ろしい〜!!』

チュク…と一際派手な音があがったあと、切なげで色っぽい吐息が零された。やっと終わってくれたかと桜木は二人に気付かれないよう、それはもう細くて恐ろしく長いため息を吐き続けた。気のせいか魂まで出してしまったのではと思うほど長く。
しかし桜木の悲劇はまだ続く。
「牧さん、立てる?」
「んー…。あ、でもやっぱりこいつらに毛布くらい」
「ストーブたきっぱなしにしとけば大丈夫だよ。終わってからかけてやっても十分間に合います。それよか俺がマジでもう間に合いませんって。今すぐ極上スウィーツ食べさせて」
ここで自分が叫びださなかったのは奇跡だと桜木は奥歯をガッチリと噛み締めた。『何が極上スウィーツだ!あんな黒くてゴツいオヤジをテメーはそんなに食いてーんか!? てか、その歯の浮くオヤジなくどき文句止めろ!鳥肌立つどこじゃねーってんだ!!』

そんな桜木の心中の叫びなど聞こえるわけもなく。それどころか返す牧の台詞にまで桜木は驚愕しもんどりを打たされてしまう。
「馬鹿…。でもまぁ、客がいるのにその気になっちまった時点で俺が一番の馬鹿か」
まんざらでもなさげに吐息混じりに呟く牧の声音に『オメーらどっちも激烈エロバカオヤジだ!くどい〜この外人男夫婦〜』と泣き言ツッコミを入れたくて仕方が無くなってしまう。
しかし悪戯っぽくくすくすと笑う仙道に牧の軽い掠れた笑い声が返された様子から、甘いムードで見詰め合っているだろうことは見なくても分かる。分かりたくないのに分かってしまう。
「何言ってんの。途中でお預けになってなかったら酔ってたって落ちてくれないお堅い人なくせに。今度は電気消してあげますよ…起きてるってバレたらまた面倒だしね。その代わり……アレ、使わせてもらいますから」
「…それは勘弁してくれ。声抑えられなくなっちまうの、知ってんだろ…」
「そんな可愛い顔して可愛い事言っても逆効果です。さ、行こう? モタモタしてたら朝になっちまう」
嬉しそうな仙道の声と恥ずかしそうな牧の声に桜木は泣き叫びたいのを堪えるのが辛くて仕方がなかった。
何ですかこの恐ろしいエロオヤジどもは?こんな場所でさらりとエロクサ台詞で盛り上がって、しかも他にもまだ何か秘密兵器を持っているとでもいうんですか?黒くてゴツイプチマッチョオヤジと白くてゴツイ(しかも190cmを軽く超えたデカ男)これまたプチマッチョ。しかもどちらも二重で濃い外人顔の奴等がこれから『あなたの知らない世界』を同じ屋根の下で繰り広げるなんて…!!神様仏様御釈迦様。俺が悪かったです。もうこれからは深夜の突然訪問は止めます!だからどうかこの耳で聞いちまった恐ろしい一部始終を明日の朝には俺の脳からすっかり消し去ってくれー!!



床がかすかにきしむ音が小さくなり、次に二人の気配がリビングから消えたのが分かって漸く桜木は縮こめていた四肢を長々と伸ばし大の字になった。次いで盛大なため息をつく。
見上げた先に横たわる流川の背は気持ち良さそうに規則的な呼吸で動いている。その静かな様子と穏やかな寝息がやけに清らかに感じて涙が出そうになってしまう。
二人が自分達と同じ関係なのは当然理解していたつもりだったけれど、こんなに生々しい形で再認識したくはなかった。突然その気もない時にまかり間違って親の情事を見てしまった子供の気分にも似ているし、濃い洋物のホモエロDVDを見せられて(この場合は聞いてだが)しまったしょっぱい気持ちにもどこかさせられて。
かなわないと先ほど思った純粋な気持ちはどこへやら。かなわないどころかお手上げ状態で走って逃げ出したい。あんな濃いオヤジエロ魔人達になんぞ俺は一生かないたくなんてない。ないったらないんだー!!

毛足の長い柔らかなラグを握り締めて桜木は家を出る前にやったのと同じように頭を抱え小声で唸った。

「だぁーっ。どーしても今、流川をかついででも家に帰りてぇー!」





ゆさゆさと体を何度も揺さぶられて桜木は重たい目蓋を開いた。
「おはよー桜木。朝飯どーする?俺と牧さんは胃もたれしてっからヨーグルトとオレンジジュースで済ますけど。お粥でも作ってやろーか?」
声のする方へ首を捻ると頭上遥か高くに聳え立つ人影があった。
「…客を足蹴にして起こすんじゃねぇや」
「あはは!バレたか。牧さんと頑張って重たい桜木を布団まで運んでやったんだからこんくらい許してよ」
言われて初めて桜木は自分が立派な布団に寝ていることと、隣に流川が寝ていることに気付いた。のろのろと起きてみれば頭がズキズキと鈍く痛んだ。
「運ばれたことなんてちっとも覚えてねぇ…」
まだ半分寝ぼけている桜木に仙道は悪戯っぽい苦笑を浮かべた。
「あんだよ…何がおかしーんだよ。…朝飯は俺ぁいらねー。ジュースだけくれ」
「その調子じゃ流川が布団に入った時のことも覚えてないだろ」
「はあ?」
訝しげに見上げてきた桜木に仙道は目だけで笑っている。睨み上げるとやっと説明をはじめた。
「最初に桜木を運んだんだよ。次に流川を運ぼうと腕を掴んだらいきなり振り払われてさぁ。半開きのすわった目で俺を睨んできて『俺の眠りをジャマする奴は…』とかなんとかブツブツ言って立ち上がったんだよ。そのまま殴ってこようとしたから牧さんが慌てて止めてさ」
「あー…。あいつ、変な起こされ方すると寝ぼけて殴ってくんだよ…」
「ふーん、よくある事なんだ。でね、牧さんが『向こうに布団敷いてあるから、あっちに行こう。ほら、桜木も先に行って寝てるぞ』って言ったらねぇ」
ふふふと思い出し笑いをされてカチンときた桜木はよろけながらも立ち上がった。
「もったいぶってねーでさっさと言いやがれ」
「流川ったら『桜木…?』って一言呟いてから大人しく牧さんの案内するこの部屋についてきたんだよ。しかも二組分布団敷いておいたのにさ、お前のいる布団にまっすぐ入っていったんだよ。お前も流川が入ってきたの、きっと分かってないと思うんだ、目が開いてなかったから。なのに抱き寄せるし、流川も桜木の腕の中に納まったら速攻寝息立て始めてねぇ。いや〜若者の熱々ぶりにオジサンたちは当てられてしまいましたよ。はっはっは」
自分の足元を見ると確かに使われていない布団が一組隣に敷いてあった。瞬間的に髪の色と同じ顔色になってしまった桜木の背後で仙道はその様子を楽し気に眺めている。
「う、うっせーや!寒かったんだよっ!なんでぃ、ニヤニヤしてんな、このエロオヤ……ジ?」
寒かったと言った時点で足元にあった枕を仙道へ投げつけたため、仙道は笑いながら部屋を出て行ってしまっていた。なので続けて怒鳴った悪態の最後が妙な形で途切れたことを仙道は知らない。
桜木は自分の発言がきっかけで昨夜の忘れてしまいたい、それはもう夢であって欲しかった恐ろしく濃い睦言を聞いてしまったことを思い出してしまいガクリと膝を折った。
「何が若者の熱々ぶりに当てられただよなぁ…。年なんか一個か二個しか違わねぇっつの。それよか俺ぁ昨日のオメーらの濃過ぎるイチャコラで一晩たっても胸焼けして具合悪ぃっつの……」
一向に起きる気配もない流川の滑らかな頬や日本人らしい真っ直ぐでさらさらとした黒髪を見つめる桜木の瞳には心なしか涙が滲んでいた。



少し白っぽく霞んだ空の下、桜木は流川を乗せて自転車を漕いでいた。人通りもまだ少なく走りやすい。冷たい空気が気持ち良いと感じていると、背後で流川が尋ねてきた。
「よう。テメー気付いたか?」
「あぁ?何がだよ」
「昨夜の仙道と牧先輩」
流川の発言を引き金に、自分達が住む町に入ったことや軽快に飛ばしてきて気持ち良くなって忘れていたことが一瞬にして脳裏に蘇る。思わず自分は何も悪くないのにギクリとまでしてしまう。やはり流石に激鈍な流川もあのただならぬ二人の雰囲気から気付いていたのかと、意外なようだけれど少しホッとして桜木は黙って頷いた。
「やっぱスゲーよなあの二人。特に牧先輩は…」
「だよな。俺も驚いたぜ…」
「俺らに気ぃ遣わせねーために、ドキュメンタリー番組観てただなんて。俺には咄嗟にそんな上手い嘘はつけねー」
「気遣いっつか、単に恥ずかしくてゴマカシたんだろ」
「別に風邪で寝込むのはんな恥ずかしいことじゃねーだろ」
微妙に会話が重なっていない気がして、丁度赤信号で止まったため桜木は流川を振り返った。とても静かないつもの流川の表情に違和感を覚える。
「え…? あの、る、流川…?」
「やっぱ分かってねーな、どあほう。牧先輩も仙道もかなり風邪引いてたんだぞ。特に牧先輩なんて熱も高かった。顔だって赤かったし、俺がリモコン取ろうとした時に触れた手なんてすっげー熱かった。ホントは風邪で寝てたんだろ…。なのにあんな夜中に、バカくせー俺らに付き合ってたこ焼き作って一緒に食って。おまけにくそ重てぇオメーを布団まで運んでくれた…らしいじゃねぇか」
「流川…? オメー、頭ダイジョブか?」
本気で言っているのかと、珍しく長々と喋った流川の目をしっかり見ようと顔を近づけ過ぎて叩かれてしまう。
流川はフーッと深いため息をつくと首を軽く左右に振った。
「テメーが大丈夫じゃねんだろが。…ま、体力バカのオメーも昨日は流石にのびてたしな。まだ頭ん中もどあほうでも仕方ねぇか。…おい、もうあと少しだから交代してやる。降りろ」

自信たっぷりに言い放ち、しかも体調を気遣って自転車を漕ぐのを代わるとまで言ってくる(流川は極度の照れ屋なため、これでも普段より素直に心配を表している方だ)流川が不思議でたまらず、桜木は唖然としてしまった。
暫くしても立ち上がろうとしないことに流川が焦れて荷台から腰をあげようとしたが、桜木は流川の肩を強く掴んでその動きを止めた。
「おい。誰が風邪で、誰がのびてたって?」
「痛ぇ、このバカ力。牧先輩と仙道が風邪ひいてて、オメーが漕ぎ疲れとビールの飲みすぎで一番につぶれたんだろが、どあほう」
「何言ってんだバーカ。あいつらが風邪だって誤解してんのはテメーが激鈍だからだっつの。第一、俺ぁ一番につぶれてなんざいねぇ。一番につぶれて床に寝てたのはオメーだろが」
再び流川は盛大なため息をついてみせた。同じため息ではあるが今度は先ほどと違い、明らかに人を馬鹿にしたものだった。
「…なら、俺がトイレに行ってから戻ってきたのがいつか、テメェは覚えてるってんだな」
続く嫌味な台詞で更にカッとなった桜木は流川の胸倉を掴もうとしたが、流川はその手を素早く叩き落とした。
「んなに元気有り余ってんなら、テメーが漕ぎやがれ。このデブ」
「で、デブだとぉ!?」
「そーじゃねーか。俺と身長2cmしか違わねーのに体重差は」
流川の台詞を奪うように桜木の大声が被さる。
「俺は筋肉がキツネと違って立派なんだよ!筋肉ってのは脂肪より重ぇーんだっつの!この軟弱ヒヨワギツネがっ」
「煩ぇ、この脳ミソ筋肉どあほうが」


結局いつもの、牧が感心するほど本気で痛そうなケンカまがいのスキンシップをしてしまった二人は、軽い運動(?)でスッキリしたのとお互いの腹が鳴る音で拳をおさめた。
「腹減ったな。帰るか。家になんかあったかな…」
再びハンドルを握った桜木の胴に流川の片腕が軽く回される。
「カップ麺…三個と卵が何個か。あと、冷凍庫にかなり前の食パン」
「おっし。牛乳もあったよな。カップ麺にフレンチトーストつけてやらぁ」
「オメーにカップ麺二個やる」
「わーってるって。テメーにフレンチトースト三枚やるよ。俺ぁ一枚で十分だ」

自転車を漕ぎながら桜木は本当のところ、どちらの記憶が真実なのかを考えていた。確かに泊まることに決まってからの自分はかなり上機嫌でいつもより飲んだ。しかし言われてみれば流川がトイレに席を立ってから戻ってきたのがいつか分からない。
あの生々しい仙道と牧のやり取りだって、目を瞑っていた自分がみた夢であると断言されれば夢ではないと言い切れない…証拠がないから。それでもあの二人が風邪を引いていて寝込んでいたというのは絶対信じがたい。薄暗かったとはいえ見上げた部屋には電気はついていたし、何よりそこまで体調が悪かった者があれほどのたこ焼きやビールを口に出来るはずがない。
もしかしたら自分が先につぶれたというのは流川がみた夢なのではないかと考えてしまう。人が見ているというのに布団に入ってくるほど寝ぼけていた状態だったのだから、流川の言っていることも怪しいものだ。
夢をみていたとしたらどちらが見ていたのか。もし両方ともだとしたら、どちらのどこまでが夢でどこまでが現実だったのだろう。
知りたいような知りたくないような…。確実にいえるのは、知らないほうが平穏でいられることなのだろうけど……そう簡単にふっきれるようなものでもない。深く考えたくないと思うほど考えてしまうのは、それほど昨夜のことがショックだったという証拠……か?


やはりどちらにも思い切れずに悶々と一人思い悩んでしまったまま桜木は自宅へ到着した。ぐったり疲れてしまったのは流川を最後まで乗せて漕いだからなどではない。
自分がついた大きなため息とともに部屋へ入ると居間のテーブルの上に持って行くのを忘れた携帯があった。
「…あーあ。これさえ持っていりゃあ、事前に連絡出来てこんなぐるぐるするこたなかったんによぅ。チッ」
桜木は舌打ちをしつつ自分の携帯を開いた。珍しくもメールが一件あることに気付く。メールは仙道からだった。

“無事に帰れたか? 再来週のクリスマス、ケーキは俺達が用意するから、お前達はオードブルを用意してくれ。ケーキは2個(1個はスペシャルチョコ生ケーキだよ)用意するからお楽しみに♪”

「? メール?」
携帯を握り締めたままブルブルと震えている桜木をいぶかしんで流川が覗き込んできた。
「スペシャルチョコ生ケーキ…」
とても楽しみだと言外に伝わる流川の期待に満ちた声音を耳にして桜木は頭を抱えて昨日に引き続き三度目の叫び、しかも一番大きな絶叫をかました。

「だああああー!!どーしても今年はあいつらとクリスマスしたくねえー!!俺はチョコ生ケーキは絶対食わねぇぞー!!」









*end*




なんとか今年も花流と牧&仙道の登場小説を書けました。流石に四人クリスマスネタは切れてきた…(苦笑)
どこが花道の夢と現実の境で、どこまでが流川の勘違いor夢なのか。真相は牧と仙道だけが知っている(笑)

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