happiness


午前中はあんなに重い雲が垂れ込めていた空とは思えないほどの晴れ渡った空が眩しい。
牧は少し先にあるブランコを大きく漕いでいる仙道と、仙道の背後に広がる濃い緑と青空を眩しげに見つめた。
日曜の穏やかな午後。少し遠くのCDショップへ行った帰り道、いつもは通らない道を選んだおかげで発見した誰も居ない公園。小さなシーソーと鉄棒、ブランコと滑り台しかない公園だが、小さな芝生(雑草?)と草野球用の荒れたグラウンドが併設されていた。

「牧さんもブランコ乗ろうよ〜。競争しよう、どっちが高くまで漕げるか」
子供みたいな笑顔を向ける仙道につられて牧の頬にも微笑が浮かぶ。
牧は空いている左のブランコに腰かけて空をまた見上げるだけだったが、仙道はそれ以上無理に誘ってはこなかった。
秋の空はとても高く澄んでいて、流れる白い雲は縁を銀色に光らせている。
ギイギイと今にも壊れてしまいそうな音をたてながら漕いでいた仙道が勢いをつけて飛び降りた。
「おおおっ!あっぶねー、低過ぎてかえって怖いもんだなー」
仙道はよろけながら振り向くとガシャガシャと左右に振られているブランコを長い腕で掴んで止めた。
突然全ての音が消えたようだった。それでも少し耳が慣れると今度は遠くを走る車の音などが微かに聞こえ始めはしたが。

「のどかだね…」
「そうだな…」

あまりに静かで、傾き始める日差しが柔らかいから。そんな穏やか過ぎる時間を二人で並んで感じていることが愛しかった。
寒くもなく暑くもなく。伸びる木陰はサヤサヤと揺れ、シャツの袖を少しまくった腕に触れる風はサラサラと。

暫しそのまま動かなかった二人だが、突然仙道は立ち上がるとグラウンドへと歩き出した。
その背を視線だけで追っていると、仙道は雑草にしゃがみこんだ。立ち上がった手に握られていたのは白いボール。
大きく手を振ってきたため、やっと牧は立ち上がった。何か手頃な枝はないかと視線をさまよわせながらグラウンドへ入る。
「そっちにバット落ちてるよー!さぁ、牧選手、仙道選手の投球、受けてみよ!」
大声で遠くから叫んできた仙道に牧も大声で返す。
「どこにバットなんてあるんだよー!?」
「もっと右〜!」
右?と、右方向へ歩くとバットの半分ほどしかない木の枝が落ちていた。拾い上げて掲げてみせる。
「こんなもんで打てないって!」
「いいからいいから!かまえて! いっくよー!」
「……マジかよ」
ぐるんぐるんと腕を回す仙道に負けて牧は立ち止まって木の枝をバットとみたててかまえた。
「とりゃーっ」
妙な掛け声と共にボールが放たれた。思わずぐっとグリップ…ではないけれど枝の握りを強くする。
が、ボールは情けないほど短い距離しか飛ばずにヘロヘロと二人の中間地点へ落ちた。
笑いながら仙道がボールを拾いに駆け寄ってくる。
「あははは!やっぱこんなしぼんだゴムボールじゃ無理か!」
仙道はボールを拾うと牧に見えるように掲げてから指で凹ます。なるほど、あれでは飛ぶわけもない。
「今度はこっから投げるから、かまえて下さい〜」
かなり近い距離から言われてしまい、牧は困ったように笑うと再び枝を握りなおした。
「そりゃーっ」
今度も掛け声ほど迫力のないスピードで、しかし一応は牧のところへと飛んできたボールを力いっぱいフルスイングをした。

ポッカ〜ン……

マヌケな音と共に白いボールはあらぬ方向へと飛んでいった。

「ありゃりゃ。牧さんったらどこに打ってんすか」
「仕方が無いだろ、あんな球。……おい、お前、拾いに行け」
「え? ……いやぁ、打った人が責任持って拾いましょうよ」
「打てと言った奴が何ぬかす」
「え〜。走るのやだ〜」
すると牧は手にしていた枝を仙道にかざすように見せてから、ボールが飛んだ方向へ向かって
「ほーら、仙道!取ってこーい!!」と、力いっぱい投げた。
「ワン!!」
仙道は一吠えしてみせてから驚くほどのスピードで駆け出していった。

少し視線を離していた間に走る仙道の背は驚くほど小さくなっている。そんなに遠くまで飛んだか…?と疑問に感じて牧も早歩きで追うと、案の定それほど遠くないところに枝は落ちていた。枝を拾い上げたところで遠くから仙道の声が飛んでくる。
「そこでかまえてー! 今度は本気でいきますよーっ」
ハッとして慌ててかまえると、先ほどと全く違う速球が飛んできた。
「こんな枝で打てるかよっ!」
悪態をつきながらも打ち返したため、遠くで仙道が「おー!」と感嘆の声と拍手を送ってきた。
牧は打った手ごたえがあることに驚きながら弧を描いて地平に吸い込まれていく白いボールを見送っていた。
空がやけに高かった。



「何で二回目のボールはあんなに飛んだんだ?打ち応えも全く別物みたいだったぞ」
雑草と芝生が入り混じる場所でボールを捜しながら牧は尋ねた。離れた場所で同じようにかがみながら仙道が答える。
「全く別物なんすよ。枝を拾いに走ってる途中で拾ったやつで…けっこうしっかりした軟式ボールだったと思う」
「そういうのは事前に言えよな。そしたら手加減して打てたのに。……あ」
最後の小さな牧の呟きは仙道には届かなかったようで、「手加減しないのがいいんじゃないっすか」と笑いながら探している。
牧は仙道に気付かれないよう、そっと背後へ近づいた。
「見つからないね〜。まぁいっか。また誰かが拾って遊ぶかもしんねーし」
「だな」
「えっ?おわっ!?」
急に自分の背後で牧の返事があり仙道が驚いて上体を起こそうとした瞬間、牧が仙道をそのまま自分の膝へと倒すようにひっくり返らせたのだ。
突然現れた空と見下ろしてくる牧に仙道が目を見張る。
「驚いた〜。何?もしかして先に見つけたとか?」
「違うもの、見つけた」
眼前に出された牧の指先には四葉のクローバーがあった。
「へぇ〜よく見つけましたね。牧さんに幸せがあるかもよ」
牧はプチッと細長い茎をちぎって葉っぱと短い茎の状態だけにした。
膝枕の上にのった仙道の額へ牧は静かに唇を落とすとペロリと軽く舐め、そこへ先ほどの四葉をペタリと貼り付ける。
きょとんとした瞳で見返す仙道に牧は柔らかい微笑を投げてから、静かに仙道の頭を膝から外して立ち上がった。

「俺には幸せはもう足りてるから、お前にやるよ」

逆光を浴びながら照れくさそうに呟きながら差し出された男の手を仙道は強く握りながら立ち上がる。
背を向け歩き出した牧の後をゆっくりとついていきながら尋ねた。
「…幸せ、足りてるんすか」
「有り余ってる」
「……俺と一緒になって知った苦しさよりも?」
「そんなもん」
軽く肩をすくめて一笑した背を仙道は走って抱きしめる。強く、きつく。

喜びは時に抱えきれないほどの愛しさを連れてくる。
瞳から幸せが零れそうになるのを耐えるのが大変になるほど突然に。

仙道は額に貼られた幸せを呼ぶという印しをそっとはがして己の舌に乗せてみせた。
「食うのかよ」
「幸せ、俺も十分過ぎるほど足りてる。だからこれから得る幸せも二人で分け合わねーと、俺一人じゃ抱えきれないから…」
抱き寄せた愛しい人の唇へ唇で触れる。
少し開いた隙間へ舌を差し入れて深い口付けを交わしあう。
ちぎれた葉は激しくなる口付けの合間に互いの口腔の中にいつしか消えた。


終わってもまだ熱い視線を注がれて、困ったように伏せた目縁や背けた頬が微かに紅いのは夕暮れがやってきているせいなのか。
牧の左目の斜め下にある小さなホクロへ仙道は舌を這わせてからきつく唇を押し当てた。
「俺にとっての本物の幸せラッキーアイテムは、これ。四葉のクローバーなんて目じゃない効力だよ」
「また恥ずかしげもなく、そういうキザなことを…」
言った本人よりよっぽど恥ずかし気に眉間に皺を刻む牧の頬へ軽く音をたててキスをする。
「最初にキザなことして、キザなこと言ってくれて俺に感激の半ベソかかせたのはあんたでしょ」
「人のせいにするな。お前は勝手な深読みし過ぎだ」

身を捩って仙道の腕から抜け出した牧は、ふと閃いたような顔をした。視線で仙道が『何?』と尋ねる。
「俺のラッキーアイテム、今夜教えてやるよ」
至極真面目な顔で考え込んでいる仙道をよそに牧は公園へと向かいだした。
「う〜ん……牧さんのラッキーアイテム…。あ。……もしかして、俺のチ○コ?」
凄い勢いで振り向いた牧は、今度は夕陽のせいか焦りなのかは分からないが本当にしっかりと赤かった。
「何を突然言い出すんだ!このエロオヤジが!!お前のその間違った深読み思考回路を俺が正してやるっ」
肩を怒らせて戻ってきた牧から逃げるために仙道は笑って駆け出した。



曇りのち晴れ。晴れのち雨。雨のち曇り時々晴れ。ところにより雷雨に暴風雪。
天気がめまぐるしく変わるように、幸も不幸も質量ともに様々で多種多様。めまぐるしく入れ変わっては有無を言わせず俺達を巻き込んでいく。
けれど俺達は知っている。
知っているからこそ言える。『俺達は幸せだ』と。
ある角度から見れば完璧な不幸でも、別の角度から見れば希望や幸せも潜んでいたりするのが分かる。
どこから見ても完璧な幸せと思っていても、よく見ればこっそりと不安の影はそこかしこに潜んでいたりもする。
生きている上で体験する物事・事象、全てに絶対なる完璧はない。天気と同じで全ては移り変わり変化し続ける。

流れ行く時間の上で自分が幸と感じるのも不幸と感じるのも、全ては己が心の匙加減一つ。
ラッキーアイテムは普通よりちょっと大きなスプーン。
苦過ぎる出来事がなみなみと注がれたカップに、『俺はまだやれる』って強がりを少し多目に入れてやれる。
頑張って飲み干したあとには、突然目の前のカップに驚くほど良い香りの美味しいものが注がれたりするものなんだ。

そう。今、二人のカップが透明な甘露で満たされているように。

たとえこの先も不幸なことや面倒な問題が山積みに襲ってきた時にでも。別の角度から見ることを常に忘れないでいよう。
強がりだと、やせ我慢だと笑われてもかまわない。
口にする言葉には望む望まないに関わらず宿ってしまう力があるから、問われた時にはいつでも言える自分達でいたい。

『俺達は幸せだ』 と。












*end*




最近エロ小説本を出したせいか、エロのない物を書きたくなってみた(笑) でも伏字を使った時点で失敗?
日常に容赦なく突然訪れる様々な問題や不幸に酔いしれない強さのある二人が好きです。

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