坂道が終わっても仙道は荷台から降りなかった。長い脚を蟹股にしてぺたぺたと座ったまま歩いている。牧は立って歩いた方が楽だろうと何度か降りるように勧めたのだが、子供のように首を嫌々と振って返すため、あきらめてハンドルを持って押して歩いた。
しかし駅の明かりが見えてきたため仙道をちらりと見下ろすと、かなり渋々といった体で降りた。
そんな子供っぽい仙道の様子が先ほどまで迷っていた牧の心をぐらつかせる。明日は仙道の用事は朝から早いようだし、自分が今から仙道の家へ押しかけるのもどうかと思っていたのだ。一応、母の自転車のことや弟との明日の約束も考えて、可哀相な気もしたがここで見送ろうとも。
しかし、「券、買ってきてやるから」と言った時にきゅっと下唇を噛んで俯いた仙道を見てしまった俺は、券売機で二人分の切符購入ボタンを押していた。駅に着くまで考えていたこと全てどうでも良くなっていたんだ。
こいつが今夜、何故こんなに一人になりたくないのかは結局俺には分からないままだったけれど、今俺が傍にいることがこいつに明るい顔をさせてやることになるなら、と。
けれど先ほどまで送っていくとしか言っていなかったこともあり、まして泊まってくれと言われたわけでもないため、どう切り出せばいいのかが分からない。とりあえず自分の分はポケットに突っ込んでから仙道のところへと戻った。
「ほら、切符」
項垂れて立っていた仙道が口の中で礼のようなことを呟きながら手を出してきた。俺は思わず頼りなげな仙道の手を下から支えるように掴んでしまった。乾いていて少し冷たい仙道の掌に切符を置く。もう握っていていい理由がなくなったので、仕方がなく手を放した。いや、正確には離そうとした、だ。俺の手が離れきる前に仙道の手が俺の手を握ってきたからだった。
驚いて仙道を見たが、まだ項垂れたまま俺にだけ聞こえるような小さく言った。
「離さないで」
仙道がやっと顔を上げ、今にも泣き出しそうな瞳を向けてきた。そして今度はキッパリと告げられた。
「帰るの、やだよ」と。
終電が到着することをアナウンスが知らせる。
俺は仙道にすがられたことですっかりいい気分になっていたようで、返事もなにもしていなかったことに漸く気付いた。
牧が少し慌てて仙道を改めて見やれば、既に視線はそらされてしまった後だった。
「…帰るんだ。これ逃したら本当に帰れなくなるぞ」
乾いた唇を一度舐めてから伝えた言葉は仙道には伝わっていなかったのか返事が無い。
また入ったアナウンスに仙道の指がぴくりと怯えるように動いた。それでやっと分かって慌てて仙道の手を強く握った。言葉が足りなかった。先ほどの俺の言い方では、仙道には一人で帰れという意味にとられていたのだ。
安心させるために笑顔と切符を見せ、「無駄にならずにすんだ」と伝える。
「帰るんだよ、お前のうちに。急ごう、これ逃したら二枚とも無駄になる」
手を放して踵を返し駆け出すと仙道もすぐに走ってついてきた。俺は口元が笑ってしまうのを抑えるのに結構苦労した。
乗り換えの電車を待つホームで牧は家へ電話を入れた。出たのは恭二だった。
『あ!兄ちゃん!自転車勝手に借りてってごめんね〜。俺のパンクしてさ、後輪なんだけど。人の物借りる時はきちんと言いなさいって母ちゃんに叱られちゃった』
出るなり元気で煩い。今の牧にとって一番相手をしたくない相手だったため、聞かれないようにひっそりと溜息をついた。
「もういいよ。すまんが母さんに代わってくれ」
『まだ風呂入ってるよ。何か伝えとく?どしたの? あ、母さん来た。母さーん、兄ちゃんから電話ー』
ホッとした牧に母がのんびりと『どうしたの?』と訊いてきた。
「明日の午前中、自転車使う予定あるかな?俺、部活の後輩の家に泊まることになったんだけど」
『明日は使わないからいいわよ〜。それより珍しいわね、いきなり泊まりだなんて。相手の親御さんとかに失礼なんじゃないの?』
「そいつ一人暮らしだから平気。じゃあ悪いけど明日も貸して──」
話の途中で恭二が電話を奪ったらしく、『なになに?どったの兄ちゃん、いきなり外泊なんて〜』という揶揄を含んだ声に牧の言葉は中断させられた。
『兄ちゃん、突発でそういうの面倒で嫌いじゃん〜。もしかして、こないだ言ってた本命ちゃんとこに泊まんの?うっひゃ〜、いきなり急展開でゲットできちゃったってやつ?ひょっとして送りオオカミのご予定とか?兄ちゃんは出だしが悪いけどエンジンかかったら早いからね〜。ひひひ、兄ちゃんのムッツリスケベ〜』
牧の額に青筋が浮かんだ。本命に気持ちなど全く伝えられない、この可哀相な兄になんて言い草だと叱り飛ばしたくなる。しかし隣に仙道がいるというのに、そんな話しなど出来るはずもない。
受話器の向こうへと伝わるよう、深い溜息に怒気をたっぷりと込めて吐き出した。
「…説教は明日する。じゃあな」
電源を切る前に恭二の叫び声が聞こえたが、牧は無視して携帯を閉じて荒々しくポケットへ突っ込んだ。
横を見れば案の定、仙道の顔は笑っていた。
「人の会話を聞いて笑うな」
牧はどこまで会話が聞かれていたのかと少々冷や冷やしながら言ったのだが、ただの杞憂だったようで仙道は即座に否定した。
「違う違うよ〜。電話終わったことも知らなかったっすよ。それよりお母さん、自転車明日朝使うとか言ってませんでした?」
「それは大丈夫だったが…」
「あ。ギイギイ変な音するようになったことバレちゃったの?」
弟の言った数々の失礼な発言を思い出してしまい、更に深くなった牧の眉間の皺を気遣って仙道が心配そうに首をかしげた。その様子に気遣わせてしまったことに気付くと牧は意識していつもの自分に戻るよう努めた。
「いや、そっちじゃなくて弟の話。まぁいいんだそれは。で、何でお前は笑ってたんだ?」
「…切符、二枚買ってくれたって最初から言ってくれてればいいのにって。牧さん案外、人が悪いんだなーって面白くて」
少し唇を尖らせてから苦笑いをした仙道が可愛くて、ちょっとからかってみたくなった。
「まだまだ勉強が足りないようだな。俺はこう見えて意地が悪いんだ」
「えー?逆だよ牧さん。見かけの方こそ…」
言われるだろう逆襲をくらって、わざと牧は落ち込んだふりをして組んでいる腕に頭がかぶさるように項垂れる。
「あ、嘘。嘘ですからそんな落ち込まないで下さいよぅ〜」
仙道は本当に焦った声で牧の背中をぽんぽんと叩いてきた。あまりに思ったとおりのリアクションに可笑しくなって、つい調子に乗ってしまう。
「…人のコンプレックスを今日は随分刺激してくれるな…」
一応は暗い声で言ったのだが顔がつい笑いを抑え切れなかった。見上げた瞬間の仙道の顔は困惑したものだったが、すぐさま牧の笑いを堪えた顔に盛大に笑い始めた。牧もくっくと笑ってしまう。
「ほんっと意地悪いって!やられた、見事にやられました!」
「意地悪な俺は嫌いか?」
「好きですよ!もう、分かってて訊いてんでしょ!」
「老け顔で意地の悪そうな顔は?お前の我がままを、まんま甘やかしちまう俺はどうなんだ?」
「オヤジに間違われるその男らしく彫が深い顔も、俺の我がままホイホイきいちゃう太っ腹なとこも、俺から言わせようってズルイとこも、全部好きですよ!ホント、もうどうしようもないくらい大好きです!」
最後の仙道の言葉に牧の笑いはピタリと止まった。まだ仙道は笑っていたが、その笑い声も耳には全く届かなくなっていった。
代わりにやけに耳の中でどくんどくんと自分の心臓の跳ねる音が聞こえる。
─── 待ってくれ。ちょっと待て。今の台詞は……。
何も聞こえなくなっていた俺に仙道は手を差し伸べてきた。とりあえずその手を握る。仙道は何か言いながら俺を立たせて促した。あぁ、電車が来ているから乗れということか…。
三半規管と聴力が何故かいきなり利かなくなったようで、俺はよろける足取りで電車へと向かった。
鎌倉駅を降りたのは六人ほどしかいなかった。それもいつしか散り散りとなり、波の音が遠く聞こえなくなる頃には既に路上に動いているのは二人の影しかなかった。
潮の香りが途切れたことで漸く、牧は車中ずっと脳内でリピートし続けた言葉の意味を── 自分の都合のいい方向へと容易に位置づけさせてしまう言葉の意味を尋ねることに決めた。
牧が口を開こうとした直前に仙道が振り向き、「朝飯、なんか買って帰りましょうか。ろくなもんないし」と言ってきた。
一応頷きはしたが、出端を挫かれたために牧は先ほどの話に戻り損ねてしまった。
「どうしたの?さっきから急に牧さん、変ですよ?」
振り返った仙道を月が照らしている。静かに向けられる綺麗な漆黒の瞳。整った鼻梁や長い睫毛が滑らかな頬に綺麗な青い影を落としている。
もしも今、先ほど言っていたこいつの言葉通り仙道が…俺を好きだと思っているということが確認出来たなら。その頬を俺の両手は包むことを許されるのだろうか。
「話…戻して、いいか?」
自分らしくもない弱腰に尋ねる言葉が、後ろめたさも手伝って情けない。けれど仙道はすぐに頷いてくれた。そのことが俺に勇気を与えた。
「さっき、言ってたよな。“俺から言わせようってズルイとこも”って。それって…その…」
「…は?」
「つまり…お前の気持ちをだな…俺が図らずも言わせたということで…」
どんどんとしどろもどろになっていき、もう牧はなんと言えば通じるか分からなくなってしまった。
これではまるで仙道が俺を好きだと言ったことを利用し責任転嫁して、仙道に俺が望む回答以外を許さない発言ではないかと、あまりな自分の台詞に愕然とする。そんなつもりはないと訂正しようにも、先ほど仙道に指摘されたように、俺はもうさっきから変なのだ。いっぱいいっぱいなんだ。だからこれ以上、言葉なんてマトモに捜せない。言えば言うほど泥沼だ…。
自己嫌悪の波にさらわれかけていた牧の耳へいきなりスットンキョウな仙道の声が刺さってきた。
「え…?まさか、えええ〜??勝手に俺の勘違いっつか、早合点で暴露したとか言うんすか??? そりゃないっすよ〜」
しゃがみこんだ仙道を牧は呆然と見下ろしていた。赤くなっている仙道の首や耳の色と自分の顔の色が同じになっていったことなども気付いてはいなかった。そんなことよりも、頭で太鼓かドラムか知らないがいきなり鳴りだしたのだ。ドコドコドコドコと恐ろしい速さと勢いで。激しい音と同時に先ほど恭二の『急展開でゲットできちゃったってやつ?』というからかいを含んだ声が何度も重なる。
脳内に鳴り響く煩い雑音を抑えつけたくて、牧は自分の頭を両手で掴んだ。
「牧さん…大丈夫? 酷く汗かいてるよ…。俺もだけど…」
仙道はいつまでたっても自分に何も言ってこない牧を見上げて、その顔が驚くほど羞恥と狼狽を含んでいるために立ち上がって尋ねた。だが牧の耳へその気遣いは届いてはいなかった。それよりも牧の頭はやっと太鼓の音が少し小さくなったおかげで、やっとゆっくり再稼動しはじめたところだった。
決定だろう。もうこれは俺の勝手な解釈じゃない。理由は皆目分からんが、とにかくこいつは俺を好きなのだ…。
いや、待て。経緯は分からんといかんだろ?俺はいつ仙道に告ったってんだ?あまりに都合良すぎやしないか?やっぱりあの時言った、俺の一世一代の気障な台詞のせい?それとも無意識で俺の視線が恭二の言った『ムッツリスケベ』な様相を醸し出していたとでもいうのか??いやいや待て待て。いつから俺はムッツリスケベと確定されたんだ?違うぞ、俺はムッツリなんかじゃない。普通のスケベだ。…と、思う。
どんどん思考がおかしな方向に回っていった。
しかし冷静さを失っていた牧は己の口からリアルタイムで考えていることがボロボロと断片となって零れ落ちていることにすら気付かないでいた。「嘘だろ…俺の片思いのはずだろ…? 都合良過ぎやしないか?」と。
牧の突然の自問を聞き、今度は仙道が狼狽しだした。それでも、まだ呆然としたままの牧の耳元へ驚かさないよう気を遣って静かに尋ねた。
「牧さん…本当に俺に片思いだったの?」
「そうだ」
素直な返答にまた仙道の引きかけた汗が新たに噴きだす。やけにキッパリと言われてしまい、つい質問を重ねてしまう。
「いつから?」
「けっこう昔から」
「俺があんたを好きだって、知らなかったの?」
「知らなかった── ん?ちょっと待て。お前、いつから俺を意識しだしたんだ?」
牧はやっと我に返ったといった感じで仙道へと視線をやった。そして自分もとばかりに仙道へと尋ね返した。
「俺はあんたが、俺に興味を持てって言った日から…だと思います」
「そんなことくらいで── まいったな」
それでも一応、自分がムッツリスケベな視線で仙道を眺めていなかったことが分かって、密かに胸をなでおろした。
「や。自信はなかったんすけど、俺、勝手にそれから一人で盛り上がっちゃってたんですよ」
では仙道に自信を持たせなかったということは、俺はけっこう上手く(?)やれていたということなのだろうか。今までこれほど本気になった恋はしたことがなかったから、何もかもがこうなってしまうと自信がない。
けれど…だからなのだろう。仙道がこうして俺に教えてくれること一つ一つが、これほど嬉しいだなんて思うのは。
嬉しすぎて泣きそうになるのを堪えて笑ってみせた。すると仙道の瞳にはみるみる涙が湛えられていって牧は驚いた。
「泣くなよ。こっちだぞ泣きたいのは」
「な…で。何で牧さんが…ぐすっ…泣きたいのさ」
牧は恐る恐るといった慎重さで仙道の頬を伝う涙をそっとぬぐった。初めて触れる頬の感触に胸が高鳴る。
同時に、仙道が自分の手が触れることを嫌がらないということ。もう自分はこいつの頬に触れる権利を得たという確信。そんなものが染み入るよう胸を震わせて本当に涙が出そうになる。
「叶わないことだってずっと思ってたんだぞ?それがお前、そんな一言で、しかもあんな馬鹿みたいな会話からお前の気持ちが分かるなんて。これが泣かずにいられるか」
涙を引っ込めようと無理やりふざけた感じで言えば、仙道がすかさず「泣いてないじゃん」とツッコミを入れてきた。
「言葉のあやだ。それほど嬉しいってことだ。説明させるなそんなこと」
「へへへ…そんなに俺があんたを好きなの分かって嬉しーんだ」
急に自信回復したように仙道がニヤリと笑う。さっきまで本当に泣いてた奴は誰なんだと思いつつも、その不敵な笑みをも好きだったりする。そう思っていることくらいは見透かされてたまるかと、俺は仙道を軽く睨んだ。
「…お前、ひょっとして俺より意地が悪くないか? いや、絶対悪い」
「何で? 断言されるほど意地悪した覚えはないっすよ?」
「俺がお前に惚れてるって知ってたんなら、自分もそうだったらすぐに教えてくれたっていいだろが」
「それはお互い様ですよ〜。それに俺、確信が持ててたわけじゃないもん。あ、そうだよ!牧さんこそ意地悪だし秘密主義じゃん!車持ってるくせに俺に隠してたりさっ。自転車で迎えに来るんだもん、肩透かしもいいとこでしたよ」
仙道は言ってから明らかに『しまった!』という顔をして視線をそらした。
「おい。何で俺が車持ってるって知ってんだよ?言ってないぞそれはまだ」
「う……」
口ごもっているところを見ると、誰かから聞いたのだろう。特別隠しているわけではなかったが、いつか颯爽とドライブに誘って驚かせようと計画をたてていただけに、それが崩れて少々…いや、けっこう残念だった。
仙道は再度目元をこすってからへらりと笑った。
「あー…えーと…。立ち話もなんですし、続きは家に着いてからにしましょうか」
「その前にコンビニ寄るんだろ。お前こそ秘密主義じゃねぇか。都合が悪くなるといつもその顔して誤魔化すし」
「あ、これ、名前ついてるんすよ。『ヘラヘラスマイル』って。福田につけられたの」
「そんなのつけられて喜んでるんじゃない。あ、またした」
コンビニで物色をしている仙道から離れ、牧は大急ぎでブレスケア二個と烏龍茶を買うと店外へ出た。暗がりでブレスケアを一気に一個飲み込み、一個は目から涙が出るのを耐えつつ全部噛んで溜飲した。苦いのを通り越して口中が強いミントの刺激で痛み、悲鳴をあげそうになるのを堪える。仕上げとばかりに烏龍茶一本を一気飲みする。とうとう涙が零れたが、牧は大急ぎで拳でぬぐうとまた店内へ急ぎ戻った。
仙道は牧がいなかったことに気付いていなかったようで、隣に立った牧の手には何もないことに笑って言った。
「牧さん、選ぶの遅いですよ〜。あ。このチャーハン買おうかな〜」
また棚に視線を向けた仙道を残して、牧は改めて明日の朝食などを買うべく店内を今度はゆっくりと歩き出した。
片腕にコンビニの袋を下げ、手には缶ジュース。仙道は流した汗と涙へのご褒美とばかりに、二本目のジュースを飲みはじめた。
言うか言うまいか迷ったが、言葉の足りない自分を詫びる気持ちで牧は口を開いた。
「このままだと俺は秘密主義者と確定されかねんから、弁明する」
仙道は『おや?』と嬉しそうに目で笑うと口頭で「パチパチパチ〜」と拍手を送ってきた。
「弁明その一。お前に告げなかったのは、同性だから無理だろうと思っていたからだ」
「そんなんくらいで弱気になっちゃうなんて、牧さんらしくないな〜。俺なんてそれはあんまり気になんなかったっすよ?」
「勝てない喧嘩は自分から売らない主義だ。弱気じゃなく慎重と言ってくれ。お前が奇怪なんだよ」
「人を変な妖怪みたいに言わないで下さいよ。で、その二は?」
牧はけっこう自分にしては思い切って言ったのに、あっさり流されて肩透かしをくらった気分だった。次の弁明を促され、カッコ悪さを暴露するのがやはり辛くて、つい渋った顔で告げてしまう。
「車は、縦列駐車が上手くなってからと思ったんだ」
本当は出来ないわけじゃないぞとか色々と付け加えたかったのだが、言えば言うほど先ほどのような泥沼で主旨が逸れていくような気がして、あえて言葉少なく伝えた。
呆れたとでも言うように仙道の目が大きく開かれ、二度ほど瞬きをされた。
「え〜。別にいいじゃん、そんなの。広い駐車場のあるとこ行きゃいいんだから。くだんねぇ〜。俺、すっげぇ色々考えちゃったのに〜」
「くだんねぇ言うな。教えたらドライブに連れてけって言うだろ?」
「言いますねぇ。牧さんは俺とドライブ行きたいって思ってくれないの?」
(こいつは…!これ以上俺が頑張って隠している部分をいっぺんに暴露すれというのか!)
頬にまたもや上ってきた熱を下げるために、牧は二本目の烏龍茶の残りを一気に煽った。
仙道が答えをせかすように嬉しげな顔を牧の背後へと押し付けるようにタックルしてきた。いたずらっぽい色を浮かべた視線を見下ろす。
「全部言わせるなよ。本当に意地悪いぞお前」
「…意地悪い俺は、嫌い?」
ニッコリと楽しそうに笑ってきた仙道に、とうとう牧はお手上げとばかりに溜息を零してから緩く笑った。
明るい仙道の笑い声が誰もいない暗い路地に小さく響いていたが、それも消え。街路灯の弱い光も届かなくなった曲がり角で二人は立ち止まった。
仙道が目蓋を閉じたのを合図に、そっと牧の指が仙道の顎を掴んで引き寄せて唇で触れた。ついばむように軽い接触。
「柔らかいな…」
「牧さんだってそうだよ」
軽く触れ合っただけではやはり物足りなくて、もう一度と顔を寄せあう。
今度は互いの唇を食むように、しっかり重ね合わせた。仙道の舌が牧の舌を誘って引き寄せる。絡み合った先から溶けていきそうな感覚。
「…美味しい?」
「あぁ。何だろう、感触だけじゃなく本当に甘い…。フルーツのような。みかん…モモ…?」
「どっちでもないですよ…きっと」
ちゅく…。
また音をたてて深く味わいあうために繰り返す。仙道の舌が誘うように牧の舌を引き寄せて絡み付いてくる。
本当に感覚だけではない、味覚としての甘さも感じられて酔わされていく。仙道に溺れていく自分を止められない。
唇を重ねる前はもう少し自分は理性的だと思っていた。一応はこうなることを予測して先ほど今晩の餃子口臭対策をしたけれど、あまり長くなるとヤバイんじゃ…と分かっているのに。ここは外だし、仙道のアパートに戻ればまた歯を磨いてから落ち着いて続きが出来るのではと思うのに。そうだ。こいつ明日の朝早いんだった。早く帰らせなきゃ…
「…早く帰らせてやらなきゃいけないのに。ごめんな」
結局は口から出たのはただの本音でしかなくて。心中で仙道に謝り倒しつつも、牧はまた仙道に唇を重ねたのだった。
叶わないと思っていた恋が実る。こんな幸せが俺に来るなんて。こんなに甘い眩暈のような時間がこれからも得られるなんて。
お前が言ったように、俺は本当は弱気な奴だったりするんだ。お前の素直な強さのおかげでこの恋は実ることが出来たんだ。
今日くれた沢山のお前の勇気ある言葉も触れ合えているこの甘やかな感触も何もかも、全部全部が愛しい。
ありがとう、仙道。
格好良いところを見せるどころか、無様な自分を晒してしまった俺だけど。
さっき一緒に坂を滑り降りた勢いで、お前にもっと不安を抱くことなく俺を好きだと思えるようにさせるよ。優しくしたい。
ああでも、もう少しだけ、お前の瑞々しく柔らかで甘い果実のようなキスを味わわせてくれ。
後からゆっくりと挽回のチャンスを探させてもうから。
*end*
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