不思議な果実・6


分かりやすい目印となる、変わった形の屋根の大型公衆トイレの屋根が見えてきた。牧は先ほどから『キィキィ』という嫌な音が鳴り出した小さな女性用自転車のペダルを壊れんばかりに力を入れて漕ぎ出した。坂になっているため、額にも頬にも汗が筋になって流れた。
(あと少し…が、キツイぜ。餃子臭いどころじゃないぞ、もう汗臭さも手伝って無茶苦茶だ、チクショウ)
そう思いながらも、荒い息のまま一気に坂を上りきった。一気に視界が開け、夜の海が広がる。

自転車に乗ったまま周囲を見渡すが、絶対に目立つはずの長身のシルエットは見当たらない。
「…こ、……ここの、は、ず…」
整わない息で呟いた自分の声は不安を含んで小さい。深呼吸を数回繰り返してから名前を大声で呼ぼうとした時に、牧の背後、かなり離れた場所から女性の甲高い笑い声が聞こえてきたため視線をそちらへと向けた。
小さな酒屋の前、小さい看板と自販機の光だけが灯っているそこに仙道と数人の背の低い影があった。
なんでそんなとこにいるんだと思った時にはもう足はペダルを漕いでいた。

「仙道!!」
出る限りの声で叫んで、自転車を荒々しく酒屋の閉まっているシャッターに倒すように放り出す。
一斉にその場の視線が牧へと集中した。ざっと仙道以外の全ての顔を見てから、牧は呼吸を整えながら仙道の横へと立った。
(良かった。三…四人…しかも全部女性か。なら、大丈夫か…)
内で少々安堵したが、仙道が何も言ってこないので牧は訝しげに仙道の顔を見上げた。
「…おい?」
仙道は驚いたような顔をして呆けていたが、今度は困ったように眉を曇らせた。
「ま、きさん…。あ、あの、俺」
「なぁにぃ?まさか彼がお迎えの人ぉ?えー??まさかお父さん?」
高い女性の声が仙道の続きの言葉をさえぎった。その行為も言動も癇に障るものだったが、牧は無表情を保った。
「ママチャリで迎えに来るなんて、ダサ!」
三人の派手な女性達は楽しそうに一斉に笑った。仙道が手にしている空き缶をベコンと握りつぶす音が笑い声に混じって小さく牧の耳へ届いたが、酔っているらしい彼女達には聞こえてはいないようだった。
そのうちの一人がふらりと牧の前へと歩み寄ってきた。派手な化粧の美人は長い爪の細い指を牧へと伸ばして言った。
「君、もしかしてけっこう若いんじゃない?お兄さん? ね、カッコイイオニーサンもさ、一緒に遊ぼうよ」
彼女の指が牧の腕に触れる寸前。仙道の腕が力強く牧を引っ張ってよろけさせた。反射的に仙道を牧が再び見上げた時、
「この人に触んじゃねぇ!さっきからうっせーよテメーら!どっかいけブスども!」
と、信じられないような悪態を仙道はその整った顔を歪めて言い放った。
暫しその場の仙道以外の全員 ─── 牧も含めて ─── が呆気に取られて固まってしまった。
「行きましょう」
仙道は牧の腕を掴むと引っ張るように自転車のある場所へと向かった。
仙道が彼女達の横を通り過ぎた時、呪縛から解かれたように、今度は四人が一斉に悪態をつきはじめた。
「なにさ!急に態度変えやがって!」「ちょっと顔いいからっていい気になんなよテメー!変な頭してさっ」「汗臭いママチャリ男付きなんて、こっちから願いさげだバーカ!」「このホモ野郎!」などと散々な罵声が二人の背に浴びせられた。
しかし二人は振り向く事もせず、牧は自転車を押しながら、仙道は自転車の籐カゴを掴みながらその場を去るために歩き出した。


もともとの待ち合わせの場まで来て、仙道は「入っていい?」と、やっと口を開いたので、牧も「俺も」と言って入っていった。
観光客用に作られた広いトイレは綺麗で、洗面所には花も飾ってあった。鏡の前に無言で並び、二人は手を洗ったついでに顔も洗ってしまう。
牧はポケットのハンカチを探ったが、こういう時に限って忘れていてガッカリした。
「俺、ハンカチない。お前はあるか?」
「俺もないっす。いーよ、自然乾燥で」
やっと仙道は笑った。その力ない笑顔に牧は急いで来た理由を思い出した。言葉をかけようとしたが、仙道はすぐに牧へ背を向けると外へ出て行ってしまった。

外に設置されていたゴミ箱へ仙道は握っていた空き缶を捨てた。
「飲んでたのか」
責めるでもなく、ただ確認のために聞くと、仙道は小さく頷いた。
「…ごめん…」
「別に。俺だってたまに飲むし」
「違う。その、嫌な気分にさせちゃっただろ…。俺、ただそこでビール飲んでただけなんだ。気づいたらなんか囲まれてて」
「あー。いいよ、別に。お前無事だったし」
言いながら牧は自転車のハンドルを掴むと、顎で軽く『行こう』と先をさした。

月明かりがアスファルトを白く照らして二人の影を細長くくっきりと際立たせている。
先ほどからまた会話がなくなっていたが、少なくとも牧は電話とは違って気にはならなかった。
が、ふと自分達の前に落ちている影を見て言った。
「…お前の影、頭がギザギザしてる。寿司とかに入ってるあの緑のやつに似てるな」
「へ?」
「こんなやつ」
左指で空にギザギザした形を描くと、仙道は理解したのか、「ひでー」と言いながら笑った。今度は先ほどより少しいい笑い方で。
「牧さん、さっきの奴等にお父さんとか言われてたね」
「…嫌な事思い出させるなぁ。それにしても、お前があんな酷い悪態つくとは。驚いた」
「うん。俺も驚いた」
「自分で言って驚くなよ」
あははと明るい声で仙道は笑った。やっと牧も少し安心して苦笑いを零した。

「…俺、あんなに早く牧さんが迎えに来てくれるとは思ってなかった。しかも…そんな小さい自転車で」
「母のなんだ。俺の、弟に乗ってかれててな」
「牧さん、弟いるんだ…。いくつなの?何人兄弟?」
「中2の弟が一人だけ。四人家族だ。お前のとこは?」
「俺は一人っ子。でも爺ちゃんがいるから四人家族。俺、爺ちゃんっ子でさ」
軽く頷いてから、牧はふと眉間に皺を寄せてみせた。仙道がどうしたのと問うと、渋々口を開いた。
「…まさかお前、俺がお前の爺さんに似てると気がついて、俺に興味を持ったとか…」
「!! まさかあ!!な、何考えてんの牧さん!! ぶ、ぶ、ぶあはははは!!全く似てねぇし!!」
「笑うな! だって仕方ないじゃないか、桜木にジイって呼ばれてるし、さっきだってお父さんとか言われたんだぞ」
監督や先生に間違われる事もしょっちゅうなんだ…と、ボソボソと余計なことまで律儀に付け加えている。
「だ、だからって…ヒー…、一足飛びに飛躍しすぎだよ!!」
「何事も最悪を見据えて先の展望をだな」
「言ってることだけがジジくさいよ牧さん〜」
爆笑しながら仙道はとうとうその場にしゃがみこんでしまった。


笑っている仙道を見下ろしながら、そっと仙道の髪型をくずさないように撫でた。
笑わせるつもりで言ったのではなかったが、結果的にいつもの楽しそうな笑顔の仙道が見れて、それだけで自分が来たかいがあったように思えて、自然と口元が緩んだ。
見上げてきた仙道が、笑い止んだのか俺を黙って見つめてきていた。
「…どうした?」
仙道は長い腕を伸ばし、ぎゅっと牧の右足のスニーカーを掴んだ。
「眼に。あんたの瞳に、俺が映ってる…よね、今」
「そりゃそうだろ、見てるんだから」
「そうだよね…牧さん、俺を見てるんだもんね…」
俺は一瞬、この言葉はどういう意味かと問いたくてたまらなくなった。気のせいだろうか、こうして見上げてくるこいつの目が、今までとは違うように感じるのは。俺が仙道を見ているという、ただのこの状況を確認しているだけではないような…。

なんて。都合よく考えすぎてしまう俺は、やはりO型なのか。落ち着け、俺。ここは冷静に流せ。
「…疲れてんじゃないのか? さぁ、もう帰ろう。駅まで送るから」
牧の靴の上の仙道の手が離れた。そのまま膝を抱えるように丸くなって呟いた。
「足、疲れた。帰りたくない。一人に…なりたくない…」
「…お前、明日は午前中から用事あるんだろ?」
小さく頷かれた。こんなにデカイ図体して子供かよ。可愛くて俺が帰したくなくなるなんて、こいつは思いも付かないんだろうなと思うと、思わず溜息が出そうになった。けれどかろうじて堪える。

携帯で時刻を見た。終電まであと40分もない。急がないと帰してやれなくなる。
「俺の家に泊まって、明日始発で帰るか?」
今度は小さく頭を振って拒否された。
「じゃあ、帰るしかないだろ。立てよ。後に乗せてやる」
弾かれたように仙道は頭を上げて驚いた顔を向けてきた。
「下り坂だから気持ちがいいぞ、きっと。今なら誰もいないし、この道の直線距離はけっこうある」
カンカンと荷台を指で鳴らしてみせると、仙道はすぐに立ち上がり、長い脚でひらりとまたがった。
「俺、自転車でニケツで後ろって初めてっす!早く、牧さん!!」
今度はパンパンとサドルを叩き、座れと牧をせかしてきた。昔から背がありすぎて漕ぐ側ばかりだったと言ってはしゃいでいる。今泣いたカラスがという言葉が脳裏に浮かぶ。
牧がペダルに足をかけると仙道が強く腕を牧の体へと回してきた。
(…こんな美味しいオマケがあるとは、悪くないな)
緩む頬を無理やり引き締める。こんなことで怪我でもさせたら目も当てられないから。腹に回された手を軽く叩いて、周囲を再度確認してからハンドルをきつく握った。
「しっかり掴まってろよ!」


景色が飛ぶように流れる。
まだ濡れていた髪の水滴が吹っ飛ばされていく。
腹と背が燃えるように熱く感じる。
先ほど一人で乗っていた時に鳴っていた嫌な音は聞こえなかった。滑るように落ちていく感覚。

気持ちがいい。
このまま滑走路のように延びる道路が、子供の頃に見たアニメのように月まで延びていればいいのに。
そしてこのまま勢いに乗って月までお前を連れて行ってやれたらいいのに。
ほんのりレモン色の月光を全身にうけてお前は、さぞかし綺麗に笑うのだろう。


背中越しに仙道の楽しそうな叫び声が聞こえる。

俺はきっと、この自分だけの恋がいつしか終わっても、今感じている風と浮遊感だけは忘れないだろうと思った。








*end*




牧が昔見たアニメは銀河鉄○999のことです。別にそれは月に線路が延びていたわけじゃないですよ。
私は原作もアニメも映画も見ました。子供心に好きでしたねぇ…キャプテンハーロ○クが。←は?

[ BACK ]