不思議な果実・5


遡る事三時間ほど前、仙道は越野達とラーメン屋へ行った。植草が買った新しいゲーム機を見にいこうと話しが向いたが、仙道は用事があるからと、一人で逆方向…駅へと向かった。牧が住む町へと向かう電車に揺られながら、自分がどうして彼の家まで、約束もしていないしいるかも分からないのに向かうのかと、ぼんやり流れる景色を見つめていた。

数えるほどしか行ったことがない牧の家は、夜のせいもあって道も不慣れなためになかなか見つからなかった。
住宅街にある、けっこう立派な一軒家。そう、あんな感じの…と、屋根の形に見覚えがあるような家屋のシルエットを見つけた時に人の声が聞こえてきた。思わず街灯の影に隠れてしまう。まるで不審人物のようだということすら考えもせず、ただ会話に耳を澄ませた。
「明日も朝、送ってよ〜。最近冷たいの許してあげるから。ね」
少し高い少年の声。それに続く、予測していた通りの、俺の大好きな…少し低めの穏やかな声。
「明日は駄目。午後から忙しい」
「えー!?午後からやるならさ、俺も行けるから一緒にやろうよ。教えてあげるよ、オフザトップ。俺、もう出来るようになったんだよ。凄ぇだろ〜」
「また技増えたのか。凄いな」
「もっと褒めてよ〜。偉くない?メッチャ凄くない?中学でこんなに出来る奴なんて滅多にいないよ?今年も大会で優勝しちゃうぜ、俺」
「偉い偉い。あ。明日は本当に無理。あきらめろ」
「もう〜、最近一人で行ってばっかしなくせに、なんだよ。それにねぇ、お褒めの言葉に感情篭ってなくない?そんな冷たいんじゃ教えてあげないよ?」
「オフザトップよりフローターの形を見てもらいたいな」
「え?フローターものにしたの?苦手だって言ってたよね?やるじゃん!」
「リップに上がるタイミングがまだどうもな…」
家に入ってしまったのか、会話も物音も途切れるように消えてまた辺りは静まり返った。
仙道はそっと影から出てくると、会話が聞こえてきた家の門の前へと歩み寄る。『牧』と表札があった。ガレージには二台の車。そのうち一台は、数日前に見た黒のエアウェイブ…。
小さく重たい溜息を零すと、仙道は二階の窓に電気が灯るのを見てから踵を返した。


知らない道をやみくもに歩いて、そのうち潮の香りに導かれるように大きな道路へと出た。そのまま見えてきた海岸へと目的もなく歩いてしまう。

サーフィン用語が飛び交って自分には全く分からない会話を思い出す。
甘えた声で彼に話しかけていた少年は、弟なのだろうか。それとも親戚や近所の子か。返した牧さんのリラックスした返事を思い出す。
見間違いだったのかもなんて、淡い期待のようなことを考えていたけれど、黒い磨かれた車は確かに彼の家にあったことを思い出す。
掌に爪が食い込んだ痛みも、絨毯に出来た小さな青い染みの濃さも、みんな思い出す。
─── 苦しい。
思い出したくないのに、堰を切ったように牧さんに関する出来事などが思い出されて俺の頭をぱんぱんに膨れ上がらせる。それを覆うように疎外感のような淋しさが込み上げて咽をつまらせる。
咽から瞳にまで徐々にせり上がってきて、慌ててよろけながらも砂浜に腰を下ろして海に視線を固定して潮風を浴びた。
塩辛い香りが海からなのか、それとも自分の胸から香るのかを探るように仙道は膝の上に組んだ腕に額を落とした。

一人で真っ黒い海にちらちらと月光が光を浮かばせている様子を、いつしかただぼんやりと見ていた。
電話をしなくてはと思いながらも、どうしても携帯へ手は伸ばせないでいた。
そんな時に、かけなくてはならない相手……本当は一番色々と話したいのに、何故か話すのが怖いように思えていた相手から、かかってきたのだ。


* * * * *


掌の中にあった携帯の光が消えた。それでもまだ仙道は月明かりだけが黒い穏やかな波に漂う海に向かって立ち尽くしていた。
─── 『今から行く』、だなんて。
まだ信じられないでいるせいか、仙道は携帯を仕舞うこともできずに、いつもより長い通話分数を告げている、暗くなった画面を凝視していた。


金曜の夜は牧へ電話を入れるのが、いつしか仙道の日課になっていた。妙なところが不精な仙道はドラマなども毎週続けて観るのが苦手なほど、決まった曜日に決まったことをするというのは長く続かない性質だった。それでも数ヶ月もの間、忘れず欠かさず電話をかけていた。それどころか最近では、会えば口数があまり多くはない牧が、電話ではけっこう話すのが嬉しくて、電話が終わると通話分数を見る癖までついてしまっていた。
今日は最高記録。いつもなら記録更新すると、不思議に気分が良くて鼻歌なんぞも出たりもするのに、今はそれどころじゃなかった。
先ほど一人で感じていた苦しみだけでも大変だったのに、大きな期待と、少し小さな不安までが複雑に入り混じってしまい、目だけが通話分数の記録更新を映しているだけみたいだった。

最初、牧さんは俺が俺んちの近くの海岸にいると思っていたようで、場所を教えると驚いていた。そりゃそうだろ。いるとは思わないのが普通だ。俺だって…こんな時間にこんな場所にいることを言うつもりなんてなかった。波音なんてどこも変わりがないから、言わなきゃばれない。
でも、会いたいって言わずにいられなくなったんだ。あんなふうに俺を心配してくれるのが、自分でも笑っちゃうくらい嬉しすぎて…。けど、まさか来てくれるって言うとは全く考えもしなかったんだ。
俺の我がままをききたいだなんて、もの凄いくどき文句をさらりと早口で言われた。きっと牧さんは何の気なしに口にしてくれたんだろうけど。
だから尚更、それだけで俺は、もう何でもどうでも良くなっちまったんだ。牧さんが俺ほど明日のサーフィン…俺と会うことを楽しみにしていたようではなかったことも、んなのもうどうでもいい。
今、会えればいい。それだけで、もう、今はいいよ。


(…こんなとこにこんな時間にいておかしくないアリバイ、作らねーと)
いつのまにか握り締めてしまっていた携帯は、仙道の頬の熱さと同じ温度になっていた。無造作にポケットへ突っ込むと、仙道は来る途中にあった、小さな酒屋の前の自販機を目指して走り出した。ビールでも一本煽って少し酒くさくしておいて、この近所の友達と飲んで遊んだ帰りと言うために。間違っても、自分の不安を消したいからと、後先考えずにストーカーみたいなことをしただなんて悟られたくなんかないから。
なんて…。こんなぐだぐだな自分を本当は、上手く隠し通す自信が今は持てないから、ボロが出ても酒のせいにしてしまえるようにとまで考えてもみたりしていて…案外冷静?用意周到?
って。んなわきゃねぇよ。ああ。どうしようもないよ、今の俺は。牧さん、助けてよ…。俺を、早くあの時に見せてくれた微笑で救ってみせてくれ。

今のこの胸に重たいほどに生っている実は、夜に覆われて俺にはどんな色になっているのか見えないんだ。
照らして。あんたが纏う優しい光で。
摘んでほしい。一人で枝を支えるには重過ぎるほどにいつの間にかたわわに実ってしまっていた、この果実たちを。
あんたのだから。全部。好きなだけ摘んで、食って。

そして俺に下さい。俺だけが映った優しい瞳で浮かべる、俺の胸を甘くとろかすあの微笑みを。









*end*




ストーカーちっくと本人は思っているようですが、この程度は誰でもやるでしょう。わはは。
ビール一本くらいで酔うほど酒に弱い今回の仙道。高校生らしさをアピール(笑)

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