不思議な果実・4


仙道から電話が来ない。何故か嫌な予感がしたが、電話が来ない以上は俺からかけるしか日曜日の予定はたてられない。
牧は机の上にある充電中の携帯をじっと見ていたが、いつも大体同じくらいの時間帯にかかってくる電話が鳴らないことで、ベッドの上に胡坐をかいたまま今日三度目の溜息をついた。
自分から電話をかけるのが苦手だと仙道に話したことがある。それ以来仙道からかけてくれるようになっていた。それに助けられて今まで途切れずに会えていたことを改めて思い知る。
充電が終わったことを蛍光グリーンの小さな光が自ら消えることで教えた。

風呂や人と会っている時じゃないといいんだが…。
あれこれ考えても仕方がないし、あまり遅くなって寝られてしまって、それを起こす形になるのは避けたい。登録してある仙道の電話番号を見つめながら意を決するように牧はボタンを押した。

コール二回で出てくれて、牧はつい声をかけるよりも先に安堵の吐息を漏らしてしまった。
『…牧さん?』
不信感丸出しの仙道の声に、慌てて牧は努めていつも通りの声音をかけた。
「よお。今、電話大丈夫か?」
『うん、何もしてなかったから…』
「なら、電話してくれたらいいのに。待ってたんだぞ?」
『ごめんね…』
別に責める口調で言っていないし、仙道が以前一度かけ忘れて俺が同じ事を言った時は笑ってすんだのに、何故今日はいきなりこんなに素直なんだ? いや…素直というより元気がないような。
「真面目に謝らんでいい、こんなことで。それより、日曜は何時にする?天気予報と波予報では明日は一日中サーフィン日和になってたぞ」

仙道からの返事はなかった。沈黙だけが流れた。

ああ…と、仙道に聞こえないように携帯を手で押さえてから溜息を漏らしてしまった。この四度目はちょいとでかい…。
言い出し辛くてかけられなかったのか。俺が楽しみにしてると思って気を遣ったんだろう。そりゃまぁ…今回はかなり楽しみにはしていたが、ここで俺がガッカリした声を出せば、こいつが自分を責めちまうのは明らかだ。なら、ここで格好つけるしかないよな。

「仙道」
『う…んと…えと…』
「いいよ、明日は用事入っちまったんだろ?また再来週にはもっといい波が来るかもしれんし。気にするな」
『ま…きさん、ガッカリしてない…の?』
窺うように元気のない声。やはりビンゴか。こいつがこんなに気を遣う奴とは知らなかった。新しい発見がまた出来たというだけで良しとしよう。もう一回、サラリと言え、俺。
「また次の波に期待するさ。気にするな」
うん。かなり今のは我ながら爽やかだった気がする。これで仙道も安心しただろう。仕方がない、明日は久々に恭二を誘ってライドするか。
『ん…ごめんね。あのさ、なんで来週じゃねぇの?再来週って?』
「ああ。俺、来週は予定があってな。丸一日空いてない」
『来週は会えないんだ…』
「うん。すまん」
『ううん、いいよ』

沈黙がまた落ちた。
だから電話は苦手なんだ。かけるのも苦手だが、こう…会話のない時間がどうしていいやら分からない。
ベッドに横たわって体勢を変える。どうにも元気のない仙道を元気付けたいのだが、何が理由か分からないから下手なことを言うのもなんだし。困った。表情でも見れればそこから推測したりもいくらかは出来もするのに、これだから電話は俺には向かない。

ふと波の音が聞こえた気がした。
「今、波の音がお前の方から聞こえた気がしたよ」
『うん。海岸にいるからね』
俺は思わずベッドのヘッドレストの上の目覚まし時計に目をやった。
「おい、何でこんな時間…。あ。花火か?」
『え?何で花火?』
「夏の夜の海岸といえば花火だろう。一人じゃなかったのか」
『一人だよ?』
「夜の海釣りか?危険だぞ、もうやめろ」
仙道が笑う気配が伝わってきた。何故そこで笑うと内心少々面白くなかったが、それでも少し仙道が笑ったことが嬉しかった。
『俺、夜は釣りしないよ。難しいからね。何で俺が危険なのさ。別に海に入ろうなんて思ってないよ?今は波もそんなにないし、危なくなんてないよ』
「一人でいたらからまれたりとかあるだろが。もう帰れ。今すぐ帰れ」
『こんなデカイ男にからむような奴等なんていないよ〜。いいんす。海風が気持ちいいから…まだ帰りたくないし』
「今は何が起こっても不思議じゃないご時世なんだ。俺だって先月からまれたんだぞ」
言いながら牧はまた時計を見やり、頭の中で計算を始めた。仙道の家の近くの海岸までここから車で何分かかるかと。電車を使えば、帰りはもう終電は終わっているだろうから…。

一泊置いた後、素っ頓狂な仙道の声が大きく耳に響いてきて、牧は計算を止めさせられた。
『ええっ!?あんたが?ど、どしたんすか?』
「別に俺のは大したことではなかったからいいんだ。それよりお前だよ。一人は危ないから帰れ」
『よくない!!牧さんが自分のことあんまり教えてくんないの、俺、淋しんだよ。教えて下さいよ。大したこととかそういうの関係なしに!』
仙道の意外な剣幕に牧は少なからず驚いてしまった。しかも淋しい等と言われ、思わず何も考えられずに事実のみを口にしてしまう。
「…夜、海が見たくなって一人で海岸に座っていたんだ。そしたら男三人が『あんた、金ありそうじゃん』って言いながら取り囲んできたんだ」
『そ、それで!?』
「俺が立ち上がって三人を見たら、何故か後ずさりしたんで…」
『うん。で?』
「俺は金はないって言って…ケンカ沙汰は部にばれるとヤバイからどうしようかと迷ったんだが、とりあえず相手の人数が多いから舐められないように睨んだら、よく分からんが何か言いながら去っていった。多分、年下だったんじゃないかなぁ」
説明をしながら牧はジーパンに履き替えて財布を尻ポケットに突っ込んでいた。電話でこんなやりとりをしている時間を考えれば、車を出した方が確実に仙道を家へ送ってやれると判断したからだ。まだ仙道には免許を取ったことも話してはいないが、それは会った時に説明すればいいことだ。
車の鍵を掴んだ時、仙道の気の抜けたような返事が返ってきた。
『なんだぁ…良かった。オヤジ狩り未遂で相手去ったんすね』
「お、オヤジ狩りぃ?」
『だってそうでしょ。金のあるカモなオヤジと思われたんじゃん。でさ、あんた立ったらデカイしガタイいいし怖そうだしで、そりゃ年下ならビビるって。良かった、何もなくて』
「俺、酷い言われようじゃねぇ…?」
『いいじゃん、それで助かったんだし。それに俺はあんたが優しいのも、よく見れば怖いどころか、凄ぇイイ男だっての知ってるしさ』
「…飴と鞭だなお前は。そうやって陵南の奴等をキャプテンは引っ張ってるってわけか」
笑い声が聞こえた。最初よりは明るい声にも変わっている。これならばあと少し話せば大人しく家に戻るかと、牧はまた車の鍵をポケットから出してベッドへ腰を下ろしなおした。
『俺、飴鞭なんて上等なこと出来ないっすよ。あー…。こんなにいっぱい声聞いてたら、顔見たいの我慢出来なくなってきちゃったじゃないっすか。牧さん、責任とって会いに来て下さいよ。迎えに来て。んで、俺を連れて帰ってよ』
「…分かった。今から行く」

顔が見えないだけに仙道が本当に来て欲しいのか、それともからかっているのかが分からない。声の様子だけで判断するのは疲れる。
ごちゃごちゃ考えるのは後だ。用意も出来てることだし、とにかく行くかと腰を上げると、驚いているのか、小さく「えっ…」という声が波の音と混ざって聞こえた。
「場所、言えよ。すぐ行く。いつも釣りしてる付近か?」
『こ…んな時間に、悪いよ。…いいよ。我がまま言いたかっただけ…なんだから。甘えたこと言っちまって…ごめん…なさい』
最初の時のように仙道は力のない声に戻ってしまっていて、牧は内心舌打ちする。階段を駆け下りながらなので早口になってしまう。
「お前の我がままをききたいのは俺なんだ。気にするな。それより場所だ、早く言え」
『…“    海岸”ってプレートをさっき見た気が…。あと、自販機と変わった屋根のトイレが見えます。俺、この付近の住所って知らねぇんすよ』
靴に足を突っ込んだ状態で牧の動きが止まった。
「な…んだって?俺の家の方の海…か?」
『うん。ちょっと…用事あって、俺だけ途中で抜けて海岸歩いたり…してて…』
後半はボソボソとした小さな声になっていてよくは聞き取れなかったが、牧は玄関から踵を返すと居間に駆け込んだ。夕飯の名残の餃子の臭いがまだ強く残っていた。
「ああ、いい。場所分かった。そこから動くなよ。今から行く。じゃ、切るから」
返事を待たずに電話を切ると、牧は自分の自転車の鍵を探そうと、家族共有のKEY BOXを開けた。
距離もそれほどはないため、夜間も利用できる駐車場を探すよりは自転車の方が早いくらいだ。最終の電車まではまだ時間もある。最悪間に合わなければうちに泊めてやるという手もある。
背後でTVを観ていた母が鍵を探す牧の背に声をかけてきた。
「そういえば、恭二が紳一の自転車借りて出かけてったわよ。恭二のパンクしちゃったんだって」
思わず驚いて首を母へと急ぎ捻ると、父がのんびりと言った。
「夜に一人で車の運転はまだ早いぞ。出かけるなら母さんの自転車に乗っていきなさい」


何故こんな時間帯にこっちの海にいるのかが気にならない訳ではなかったが、それよりも不思議な高揚感で思考はそちらばかりを追ってしまっていた。
甘えたことを言ったと。我がままを言ったと。あいつが俺に言ったんだ。それは俺の顔が見たくなったって理由からだなんて。
「…これで行かないでいられるかってんだ」

蟹股になる小さいママチャリを必死で漕ぐ。前のめりになりながら、それでも左右の確認は怠らず。
餃子を大量に食ったために息が臭かったらと、時間がないから雑にだが歯を磨いたため、少し時間はロスした。母の自転車のサドルの高さを変えるのに梃子摺って、また少々のロス。
自分の自転車がないなら、やはり車でと考えた矢先に、夜間の車の運転を父が止めてくるなんて思いもしなかった。父を隣に乗せて走ったのは免許を取った次の日の日中だけだったから、それ以降もう縦列駐車以外は問題のない俺の運転を知らないのだろう。頭の硬い父だから、口で説明して納得させようとする時間を考えれば、いくらママチャリでもこちらの方が絶対に早い。ドライブに連れて行きたいなんて呑気な計画考えているどころじゃなかった。うちの親は過保護だというのが、こういう時に改めて気づかされる。
思わず眉間に皺が寄った。

「ちくしょう…。危ない目になんて絶対あっててくれるなよ」

吐いた言葉は自転車に灯したライトの煩い音にかき消された。速度切り替えもなにもない普通の女性用自転車を可能な限りのスピードで走らせる。

潮の香りがしてきた。こんな自転車で迎えに行く、しかもどこか餃子臭いだろう格好悪い自分だけれど。もうどうだっていい。
お前が会いたいと思ってくれてるよりも、絶対に俺の方がお前の顔を早く見たいんだから。
心臓がやけに煩いのは、きっと飛ばしているからじゃない。
俺に会いたいとどんな顔であいつが言ってるのかを見るまでは、多分この動悸は治まらない。

─── あぁ。やけに自転車が重くて遅い気がしてならない。…けど、今行くから。絶対無事で待っててくれな。


月がやけに明るい夜だった。








*end*




牧に自転車。しかもママチャリ。激似合わない〜(笑)←最愛のキャラにこの仕打ち。鬼か梅園(笑)
海岸名を調べる時間がなくて空欄になってます。いつか埋めときます。いい加減ですいません☆

[ BACK ]