不思議な果実・3


「あ〜…くそ、やっぱ無理だったか」
枕を放り投げて起き上がる。遅刻するのが分かっていながら二度寝をしたというのに、やはり夢の続きなどは都合よくみれはしなかった。
それでも頬が緩む夢をみれたのが得した気分で心は弾む。
仙道はぼさぼさの洗いざらしの髪を照れ隠しに乱暴にかいてから、足取りも軽くユニットバスへ入って行った。

先日の日曜日、牧と会った短い時間。その中でいきなり自覚した自分の恋心を、仙道は一人になると何度も自分に確認するように思い返しては問うていた。
あの瞬間は絶対に恋に落ちたのだと思った。でも冷静に考えれば、男に今まで一度も恋愛感情など抱いた事はなく、また、彼もそういう感じを好む男と思えないため、自分の気のせいか、よくいう友情と恋情を履き違えているのかとも思ったのだ。
それでも彼を思い浮かべる時は必ずといっていいほど胸がふわりと甘く痺れる。褐色の肌に白い歯が零れる笑顔も、ふっと口の端で笑う顔も、ちょっと困ったように眉間に皺を寄せる表情も…全部…
「…好きだもんよ。やっぱ本物だろ、これは」
顔を洗って濡れたままの、鏡に映っている自分へ言ってやる。黙って小さく頷いているのは、自分でも情けないほど真剣な顔。自分がこんな顔で人を想うのかと、笑えない状況から逃げるように視線を落とすと、仙道は鏡に背を向けてドアを閉めた。

昨日買っておいた菓子パンを齧りながらのろのろと仕度をする。どうせ急ごうが急ぐまいが遅刻には変わらない。どちらにしても叱られるのは一回ならば、髪型をしっかり整えることを選ぶ。
今は向き合いたくない鏡の前に立たなければ、やはりセットはきまらない。残りのパンを口に突っ込むと、仕方がなくまたユニットバスへと引き返した。


叱られるから口にした事はないが、仙道は走っても遅刻だと分かりきっている時は、わざと少し遠回りをして違う駅から学校へ向かう。特に今日のような天気の良い朝などは、普段は通らない道などを選んでふらふらと歩く。すると後から教師に怒鳴られ終わったあとでも、気分の良い思いをしたツケみたいなもんだと思えて腐る気持ちがかなり減るから。
今日は絶好のふらふら散歩日和。朝の空気がいつもより清々しくさえ感じる。人気が少ないのでもっと普段より気持ちがいいのと、今朝方見た夢も手伝って気分は上々。
(二時限前の休み時間に教室へ入れば、ひょっとしたら小言はHRまでないかもしれない…)
そんな不埒極まりないことをのほほんと考えて歩いていると、見慣れない道に出た。はて?ここはどこだ?

始業のベルが聞こえる。中学校か小学校が近くにあるのだろう。のんびりと道路わきの花壇なんぞを眺めながら角を曲がると学校の門が見えた。建物を見上げようとした仙道の耳に聞きなれた声が小さく届いた。
「急げ、もうベルがなったぞ!」
慌てて声の方角へ顔を向けると、一台の黒いステーションワゴン…エアウェーブが門の前の道路に横付けしてあった。助手席からはじけるように、細身で真っ黒に日焼けした少年が飛び出し、門へ向かって走り出した。それを追うように今度は運転席から背の高い男(多分先ほどの声の主)が降り、左右をサッと確認してから駆け出していった。
玄関入り口の前で少年に追いつき何か手渡している。少年は爪先立ちになりながら手を伸ばして青年の耳を掴み引っ張り寄せると、顔を近づけて何事か囁いた。二人は軽い笑顔を交わして、頷きあった。
男は早く行けとでもいうように少年の背中を軽く押して少年が玄関に消えるのを確認すると、今度はゆっくりとした足取りで車へと戻ってきた。
咄嗟に仙道はまたもときた曲がり角へと隠れた。

しっかり確認するために、今度はそおっとかがんだ姿勢で車を覗き見た。
(間違いない、あれは絶対牧さんだ)
仙道はあまりに驚いて、ただ見ているだけしかできなかった。その間に牧はまた車に乗り込むとすぐに発進させて仙道の視界から消えていった…。


なんだよ、なんなんだよ、あれは。俺、聞いてない。牧さんが免許とってたなんて。車持ってたなんて。あんな知り合いがいたなんて…。

今朝見た夢がまた甦る。牧さんは座椅子のように背後から俺を優しく抱きしめて座っていた。牧さんの立てた膝に俺は両手を乗せて頭を牧さんの頬へと擦り付けている。俺の好きな穏やかな声音で小さく俺に囁く。俺はそれがよく聞こえなくてせがんだ。『聞こえないよ。もう一回言って』と。すると照れたように笑いながら、今度はわざと聞こえないように唇だけ動かしてみせた。
そして俺はこう笑って言ったんだ。『もう。好きだってはっきり言って下さいよ』って…。
そこで目が覚めてしまって、夢だと分かっていながら、どうしても牧さんから言ってほしくて俺は二度寝を決め込んだんだ。結局見れなかったけど。

なんだよ、なんだよ、どうしてだよ。俺にこんな夢みさせておいて。
教えてくれたらいいじゃん。免許とってあんな立派な車もあんなら、俺をドライブくらい誘ってくれたらいいじゃんか。何で俺が知らないんだよ。
毎回電車で会いにくるくせに。サーフィンの日なんてボードはショップに預けてあるから、遠回りして歩いてくるくせに。
てか、何だあのガキ。馴れ馴れしく牧さんの耳なんてつまんじゃって。どうせ親戚のガキが遊びに来て泊まっていったとかいうところだろうけど。中学生にもなってなに甘ったれてんだよっ。つか、牧さんに甘えんな。俺だってまだ耳になんて触れたことなんかないのに。牧さんは俺んだ、チクショー。

指に食い込んでる爪が痛くてハッとした。
俺、今、何て思った? 何で俺、こんなにショックうけてんの??

一気に顔に火がついたように熱くなった。思わず一人でうろたえる。ま、牧さんは俺のものだなんて……俺…。
まだ好きだなんていわれてない。好きだとも教えてない。それどころか、ここ数日何度も考えたように、牧さんはただ純粋に、俺に友達やライバルとして興味を持ってほしいといっただけかもしれないのに。
格好いいとこ見せてくれるって言ってくれたのは…俺にだけだと思っていたから。牧さんは軽口でそういうことを言う人じゃないと勝手に思い込んでいたから。
だから…もう、言われたような気になっていたんだ。俺だけが特別だって…。


慌てながら何故かもときた道を戻ってしまっていた。
目頭が何故か熱かった。いつもの駅に辿り着いて見上げた壁掛け時計は一時限目が終わる頃だと告げていたけれど、俺はなんだか胸が嫌な感じで苦しくて、このまま家に帰りたい気持ちでいっぱいで。
壁にもたれて項垂れながら、一人電車が来るのを待つしかなかった…。


* * *


担任の説教が長くて部活に出るのが遅れ、監督にたるんでいると叱られて。越野はいつものことだけど、福田にまで大きな溜息をつかれ…。いつもなら上手いフォローを入れてくれる植草は、理由は知らないけど今日は休みだった。
オマケに調子が全く上がらなくてミスパスするはシュートは決まらないわ。おかげでますます俺の気分は腐る一方だった。
そんな俺にとどめとばかりに帰り際、越野が言った。
『月曜からやけに機嫌良さそうで絶好調だったのに、わけわかんねー奴。まぁ、練習試合は再来週だからまだいいけど。今週の日曜日、忘れんなよ、キャプテン』
言われて初めて思い出した。そうだった。今週の日曜日、監督と副キャプテンの越野と三人で相手校に挨拶に行くんだった。しかも午後の部活に間に合うように午前中から。
伺うように俺が越野の顔を見ると、越野はニカッと笑ってドアを指差した。
『お前の都合で相手校に来てもらうところを、こっちから行くことにしたんだからな。興味があんだろ、向こうの7番に。俺はお前の希望に合わせて予定組んでやったんだから、それをまた変えたいってんなら、直接監督に自分で話しに行けよな』

深い溜息を吐く。明後日の夜は牧さんといつものように会う時間や海の様子(釣り向きかサーフィン向きか)を電話で決める日だ。
今の俺は相手校の7番への興味なんかは綺麗に忘れてしまうほどのことだというのに。先々週までの呑気な自分に腹が立つ。
今朝のショックでしっかり自覚した、牧さんへの恋心が俺の溜息をノンストップにさせる。
こんなに会いたいのに。会ってそれとなく免許とったこととか聞き出したいし、俺も助手席に乗せてくれよって言いたい。
でも絶対電話でなんかじゃ上手く言えない。つか、言いたくない。会って、目を見て、上手く会話を運びたいんだ。…本当は、牧さんから言わせたいんだ。誘ってほしいんだよ…。
ああ。らしくない。らしくない自分が情けなくて腹立たしい。
せっかくカッコイイとこを見せてくれるって言ってくれたのに。もしかしたらそれを彼も楽しみにしていたとしたら…と思えば、日曜に会えないことを今日にでも言ったらいいんだろうけど…。早く伝えれば牧さんだって違う予定を日曜に入れられるだろうとは分かっているのに…電話、したくない。


家に着いて暗い部屋に電気を灯す。でも心までは全く明るくなんてしちゃくれなかった。
ドラムバックを床に投げ捨ててベッドへダイブする。ベランダのガラスに立てかけるように置いたサーフボードはケースの中で眠っている。
起き上がってケースのファスナーを降ろした。板には無数の細かな傷があった。そんな傷の一つ一つをなぞるだけで、会いたい気持ちが余計に募って鼻の奥がツンと痛む。

この数日で凄いスピードで胸にたわわに実った果実が、一個ぽとりと俺の膝に落ちた。甘い香りなんて全くしなかった。
見上げた窓から覗く空は雲ばかりで、雨が降ってきそうな感じだった。

牧さん、牧さん、会いたいよ。偶然顔を見れたけど、あんなんじゃなくって、俺だけを見つめるあんたに会いたいんだ。あんたが直接俺に話す言葉から、あんたのことを知りたいんだ。
金曜日、せめて電話で言ってくれないかな。残念だって。楽しみにしていたのにって。嘘だって…いいから。


TVの横の床に置いている電話を見る。留守録は、なかった。

視線を落とすと自分の膝にはまだ青いままの実が一個落ちた跡が残っていた。スウェットの色がそこだけ少し濃い色で、やけに目に付いた。
今朝まではあんなに甘い香りをいっぱいに放っていたはずなのに、落ちた実はあの時よりも強い潮の香りしかしなかった。








*end*




牧にはどんな車がいいか迷ったんです。体も大きいし、ボードも積めるがいいなーって。
でも車に詳しくないので、ふざけ半分で某CMの車に(笑) 一応ここでは中古車の設定です。

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