不思議な果実


春が終わり、気持ちのいい初夏が訪れた頃。仙道と牧は二人で海で釣りをしていた。
とはいっても、牧の方は形ばかり竿を立ててはいたが、いつものように持参した文庫本を読んでいるのだが。
もともと釣りは仙道の趣味で、牧はサーフィンが趣味という、海で少し繋がっているとはいえ、趣味は違っていた。
だから牧が釣りに対してやる気をみせていなくても気にはならなかった。

仙道の性格的なものからしても、牧の釣りに対するやる気のなさは今までずっと気にはならなかったのだが、ふと気まぐれに牧へと聞いてみた。
「牧さんさぁ。何で俺の釣りに付き合ってくれんの?せっかくの少ない休みに、早起きしてさぁ」
「早起きは3文の徳…だからかな。俺は低血圧じゃないから、朝は強いし」
ふーんと気のない返事を返す仙道の顔は、どう見ても『そんなこと聞いてない』と伝えていて、牧は苦笑した。
「なんだよ、今頃。邪魔だったら帰るが?」
「いーえ、ちっとも邪魔じゃないっす。たまに静か過ぎていること忘れちまうもん。牧さんって無口だったんだね。こうやってちょくちょく休みの日に会うようになってから知ったけど。バスケ以外のこと、あんまり喋んないよね」
「そうか?」
「うん。まぁ、俺もあんまり喋る方じゃないけど。牧さんがいっぱい喋ってくれることって、バスケと…サーフィン?」
「他に趣味らしい趣味、ないから。つまらん奴ですまんな」
「つまんなくなんてないし、そういうことじゃなくてぇ…。バスケから離れたらなんていうか…穏やかで無口で…。でも別に冷たいとか全くなくて。不思議な人だなーって」

気持ちいい潮風が二人の髪を揺らした。牧は手にしていた本の間にしおりを挟んで閉じた。
「なんだ、いきなり? 俺に興味でも湧いたか?」
「興味…?うーん…そうなのかなぁ。うん。そうかもね」
「いい傾向だ」
仙道が不思議そうに『なんで?』と首をかしげながら牧の方へ顔を向けた。すると、フッと小さな笑みだけを返された。
「…カッコイイ笑いを向けられても、ワケ分かんねーんすけど」
「別に格好つけたつもりはない」
「や。そーじゃなくて。カッコイイっつーのは、見たまんまの話。笑って誤魔化さないで下さいって言いたかったんです」
「お前に褒められると、嬉しい。ありがとう」
「…どういたしまして」

また会話が止まってしまった。結局はぐらかされてしまった気がして仙道は少し面白くなかった。
もともとあまり人の深い心中を知りたいと思うほうではなく、それどころか面倒なことになりそうなものは極力避けて生きてきた。幸い自分は容姿に恵まれているようで、昔から何事も『笑って済ませる』で上手くやってこれた。
だからバスケット以外での友達は昔からとても少ない。けれど不自由は全くしていなかった。そんな自分に釣りは一人で出来る良い趣味といえた。
そんな時、海辺をサーフボードを持って歩いている牧さんを遠くに見つけて声をかけてしまったのが数ヶ月前。
丁度その日は波が高くて、俺は釣りをあきらめようとしていた時で暇だった。だから他校の先輩…一昨年前の夏から周囲ではライバルと称されていた相手に誘われもしないのに付いて行き、彼が波に乗るところをずっと見ていた。
それからだった。海で会うと声をかけあうようになり、牧さんがサーフィンをする時は俺が海辺でそれを見て、俺が釣りをする時は牧さんが隣に座って…。今では電話で休みの日を確認しあって、会う日の天気によってサーフィンか釣りを二人でするのだ。
とはいえ、俺はサーフィンは牧さんの古いボードをもらったのを使って勝手に見よう見まねでやったり、飽きたら見てたりというやる気のなさなんだけど。…ん?これって牧さんのやってることととそっくりなのか?

ぼんやり考えている仙道に牧が声をかけた。
「なあ。あれ、桜木と流川じゃないのか?」
牧が向いている方向へ仙道も視線をやった。かなり遠く、ジャージ(?)とTシャツ姿の二人が海岸線の歩道を走っていた。追いつ追われつ、抜きつ抜かれつ。
「…休みの日も二人で走っているとは…仲がいいんだな…」
「うん…。あいつらって、仲が悪そうだけど、たまに妙に良さそうな…。あ、」
桜木が流川に追いつきざま、前に体をはって流川を止めた。そのまま腕を伸ばして流川を抱きしめてしまった。
仙道と牧は互いに驚いた視線を交わしてから、またその様子を見守る。
数秒の間そのままだったが、流川が桜木の頭を一発殴って腕から逃れて走り出した。遠目からすら、流川の白い肌…首から上が赤いのが分かる。
それをまた桜木が追って走り出した。今度は二人とも背中しか見えなくなり、そのまま建物などで二人の姿は隠れて見えなくなってしまった。
「…なんだったんでしょうかね…」
「さぁ…」
「………」
「見なかったことにしておいてやろう」
「そっすね」
答えながら、他の人がもし自分と牧さんがこうしているのを見たらどう思うのだろうかと、ふと考えた。
バスケ関係者じゃなかったら、ただの友達だけれど、そうじゃなかったら不思議な組み合わせだろう。今は相手は大学生だから直接一戦を交えることはないけれど、少々神経質なところがある越野などが見たら眉をひそめられそうだ。
でも…きっと何か言われても、俺はこの時間を守るために、得意のへらへらスマイル(福田に名づけられた)で乗り切ろうとするだろうなぁ…。

そこまで思い至ると、何故か先ほどの話を蒸し返したくなってしまった。
「ねー、牧さん」
「ん?」
「何で俺と遊ぶの?何で俺に興味あるの?何で俺に褒められたら嬉しいんすか?」
「そう矢継ぎ早にきかれても…。お前、俺と会うの嫌なのか?」
「ぜんっぜん。つか、最近じゃあんたいないと張り合いがないっつーか。こないだなんて俺、こーんなデカイの釣ったのに、あんたいねーし」
「逃がした魚は大きいってか」
「違うって。本当にこんくらいあったの。カレイだと思うんだけど。こんなとこでカレイだよ。珍しいと思わない?」
「俺、釣りは詳しくないからな。それ、どうしたんだよ」
嬉々として両手でサイズを示していた仙道の動きが止まった。口元をへの字にまげると、また海に向き直る。
「……逃がしました」
くっくと牧は面白そうに笑った。
「逃がした魚は…」
「だからっ。釣ったあとで逃がしたの。逃げられたんじゃないのっ。もーっ!あんただってその場にいたら驚いたよ、絶対に」
「そりゃもったいないことをしたな。で。今日は釣れないのか?デカイ魚は。…あと十五分したら俺は帰るが」
ちらりと横目で牧を見ると、それはもう楽しそうに目で笑っていた。
「…今日はもうおしまい。あんたいないなら釣ってもまた茶化されるだけだしね。次には目に物を見せてあげますよ」


帰り支度をはじめた仙道にならって牧も片付け始める。いつもながら牧の釣竿を仕舞うのはじれったいほど丁寧だった。
釣りの時は仙道のほうが荷物が多い。しかし片付け終わるのはいつも同じタイミングだった。
「牧さんさぁ、なんでそんな古い竿、そこまで丁寧に仕舞うんすか?」
「お前がくれたものを粗末には扱いたくない」
「別に俺、それほどその竿に愛着持ってたわけじゃないっすよ?俺、元々あんまり物を大事にしねーし」
「いいんだ。お前だって俺がやったボード、大事にしてくれているじゃないか」
質問をしていたのは自分なのに、上手く切り返された。そういえばさっきも上手く誤魔化された気がする。
「そりゃ…あんたがくれたもんだし」
面白くなさそうに仙道は呟いたが、牧はケロリとした顔で『だろ?』と肩を軽くすくめて返事をすると立ち上がった。
彼の影が自分を日の光からさえぎる。少し日差しが強くなってきていたため、思いがけない日陰に仙道は知らずにすり寄った。
「…どうした?疲れたか?」
優しく静かな牧の声が頭上高くから聞こえる。心地よい海風に溶けるようなその声が、ふいに仙道の胸にも溶けて入り込んできた。
「…ううん。ちっと日陰が気持ちいいなーなんて」
胸がほんのり甘くなるような感覚に潮の香りが重なる。
仙道は落ちつかなげに立ち上がろうとした。が、その両肩に牧の両手が優しくかけられ、そのまま仙道は動きを止められる。

「あと5分、あるから」

膝座りのような形で両肩を牧にゆるく支えられ、仙道の視界にはまっすぐに海と空と遠くの湾岸だけが映る。
すっぽりと大きな影に守られて、ただ銀色に縁取られたそれらを見る。かすかな自分と牧さんの汗の香りが潮の香りに混じって鼻腔を優しくくすぐる。
肩に添えられた指先は自分の体温と重なってゆっくりと熱を帯びていく。
その熱が胸に熱さを増して届いて、甘い疼きにも似た感覚を伴いながら胸をゆっくりと焦がしていく。
何かに、似ている。
そうだ…遠い…もうずっと忘れていた、初めて人に興味──── 恋心を抱いた時のような。
初恋は、実らないという。

「もう、済んでて良かった…」
思わず口に出てしまっていた。不思議そうに頭上からまた牧の声がかけられる。
「何が?」
穏やかな声音までが俺を静かに焦がしてゆく。
初恋もこんな感じで唐突に自覚したのか?全く覚えてない。やたら心臓が煩い。
「ん、別に。あのさぁ、牧さんは初恋っていつでした?」
首を上向けて牧さんの表情を見ようとしたが、逆光でもあったし角度も悪くて全く伺えなかった。
「唐突な質問だなぁ…。初恋…ねぇ…」
「いいんだ、詳しくじゃなくって。ただ、もう済んでるんかなって」
苦笑しているのが表情は見えなくても、触れている指先から分かった。俺も自分の発言に苦笑するしかない。まったく、何を言ってるんだか。乙女チックだなぁ。どうしちまったんだろ、俺。
「とっくの昔に終わってる。それが?」
牧さんの返事には茶化す雰囲気などもなく、不思議に優しく俺を促すようなニュアンスを感じさせた。
「ううん。それが知りたかっただけ。へへへ。すんませんね、変な質問しちまって」
「お前はどうなんだ?」
「俺? 俺もとっくの昔」
そうか、と小さく呟かれたから、俺も小さく頷いた。それだけで胸がまたほの甘く疼いた。

「もう5分になるね。ありがとう牧さん」
立ち上がるとき、わざと甘えて手を差し出して引っ張ってもらった。立ち上がっても牧さんの手を握ったまま、俺は少し色素の薄い綺麗な瞳を覗き込んだ。
そこに映るのは空と海と俺。牧さんの瞳にはどれが一番眩しく映っているのか興味が湧いた。
俺の瞳には空と海と牧さんが映っている。俺にとって一番眩しく映るものが今日から変わったことを、どうやって伝えればいいのかな。

「…どうした?」
「…次に会える時は、サーフィンやりましょう」
「デカイ魚、釣ってみせるんじゃなかったのか?」
「あんたのサーフィンしてるとこ、じっくりまた観たくなったんだ。俺、あんたに興味が湧いたんだよ」
言いながら自分でも頬が少し熱くなってしまった気がした。我ながらちょっとこっぱずかしい。
と、指を離そうとした瞬間に牧さんが目を眩しそうに細めて微笑んだ。そうして離そうとした俺の指を一度だけキュッと掴み返してきた。俺は心臓までキュッと捕まえられたようで、ますます頬に血が昇ってしまう。
「…格好いいとこ、みせなきゃならんな」
フッと口元で軽く笑ってから牧さんは俺の指を離した。



相手に興味を持つこと。それには様々な意味がある。
俺があんたに興味を持つことを『いい傾向だ』と言った責任、とらせてやろうと思う。
きっと牧さんが俺に向けてる興味は、俺がさっき抱いた感覚の意味と同じ気がする。

何も打算もなく自分から純粋にたった一人に抱いた『興味』から始まった、遠い昔の俺の純粋な恋。実らなかった小さな恋。
それから今まで、俺は自分からこんな興味を人に抱いたことはなかったのだと、さっき知ったよ。
数人の女の子と付き合ってきたけど、きっと俺は彼女達に『興味』を持っていなかったんだ。だからどれも長くは続かなかったんだろう。一応それなりに大事にしてたつもりだったけど、いつも最後には相手からふられてしまっていたのは、きっとそのせい。
誰かに言われて持てるもんじゃない。自分から、という順序じゃなきゃ、少なくとも俺には駄目なんだと知ったよ。
なんで牧さんは俺も知らないようなこと、知ってたんだろ。これにも興味津々湧いちゃうよ。

良かった。俺も牧さんも初恋が終わっていて。


実る。
俺の胸で実る。
蒔かれていた種に気づかずにいた。もしかしたら自分で蒔いた種に気づいていなかっただけかもしれないけど。
育てられていたんだ。ゆっくりゆっくり。
けど、もう気づいてしまったのだから、早く成長してしまいたい。そして甘い甘い実を牧さんに沢山あげたいよ。甘いものが苦手そうに見えるあんたが、実は甘いものに目がないこと、それだけはもう知ってるから。
その実の種を今度は俺があんたの胸に蒔きたいんだ。
肝心の言葉は言わずにするりするりとかわしてみせながら、枯れないようにこっそりと俺の胸に綺麗な水をやってくれていたあんたに。

まだ牧さんは知らないだろう。俺が瞬間的な早さで今日、胸の中で開花させてしまったことを。
次に会う時には満開になってるだろう。
見せてあげるよ。色とりどりの花を。あんたが蒔いた種から育った花を。
そして次の次に会える時にはもう、花は実に変わっていて、一つくらいは熟していて食べさせてあげられるんじゃないかな。
きっと驚くほど甘くて、ちょっぴり潮の香りがする、どこにも売ってないこの不思議な果実は。

─── きっと、虜になるさ。






*end*




園芸師、牧(笑) 今回はあまり照れない牧と照れる仙道に挑戦。
これはかなり牧仙率が高い感じにしてみました。Mさんにこっそり、感謝の気持ちを込めて捧げます。

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