細い路地の奥まった場所。ともすれば見落としてしまいそうなほど薄暗がりの壁の中にある少し朽ちた感じがする扉。そこに小さく『OPEN』とかかれただけのプレートがなければ、誰もそこが店なのだと気づかないような、そんな地味すぎる店。
看板らしきものに昔はあてられていたのであろうライトも壊れたままなため、こんな月もない夜では何の店なのかすら分からない、やる気が全く感じられない胡散臭い店の前に、牧は立っていた。
手にしている店を出る前に渡された地図をもう一度見やる。場所は間違いないようだが、窓も何も無い、壁に扉だけが付いているように思えるこんなところでは、流石の牧も足を踏み入れるのを少し躊躇せざるを得なかった。
しかし黙って立っていても埒が明かないと、一つため息を零してから扉を開けた。
牧は一瞬、息を止めた。
少し大きなボリュームで流れるClub jazz。何色かの細いピンライトがまばらに照らす、明るくもなく暗すぎもしない、コンクリートをうちっぱなしにしたような店内。テーブル席がいくつかとカウンターがあり、けっこうな客が煩くはない程度に賑やかに酒を楽しんでいるようだった。
あまりに外観と違う、鰻の寝床といった感じで細長く奥へと続くような作りの店内に驚きを覚える。
このざわめきの中でどうやって仙道を探そうかと思った矢先、入り口より少し奥にある真っ赤な椅子席から立ち上がった長身の男が軽く牧へと手を挙げた。
変わったデザインの椅子席ではなく、仙道は細長く奥まで続くカウンターに牧を引っ張っていった。
「あと15分待っても来なかったら、迷子になったかなって思うとこでしたよ」
ニッといたずらっぽく仙道は笑った。黒いスツールに腰かけて牧はくいっと小さく顎で店内を指す。
「こんな分かりづらい店に呼ぶお前が悪い。…変わった店だな。よく来るのか?」
「たまにですけどね。ここ、俺の高校時代の先輩がデザイン専門学校卒業してから建てた店なんす。なんか不思議で面白いでしょ。それにさ、あの外観だから、俺らの店に来る様な客は絶対来ないでしょ。そこが気に入ってるんです」
牧は小さく頷いてから、ゆっくりと軽く周囲に目を配った。薄暗がりだがよく見ると、なるほど壁にあるオブジェから椅子から、どこかのデザインブランドかと思わせるシンプルに統一された趣がある。ブラックとグレーを基調にした店内に、ところどころ利かせ色にダークレッドが面白さを出している。
「確かに面白いが…。肝心の酒は」
「酒は、これがまた店にそぐわない…つったら叱られそうだけど。安心していいっすよ」
離れたカウンター中央に立っている三人の内の一人を仙道は視線で呼んだ。
口の肥えた仙道が言っただけはある、店構えとは全く違う深みのある酒を出すところなのだと、一口飲んで牧は納得した。
仙道も最初こそ牧の表情を慎重に測っていたが、満足していると感じとったのか、すぐに牧の前でだけ見せるふにゃりとした顔をしてみせた。牧もその顔を見てしまうと、いつもつられて笑いを堪えているような苦笑いをしてしまう。
二人でつるむ時はいつもこの変な儀式のような表情のやりとりが自然と行われる。そして仕事とは無縁の、ただの先輩後輩みたいな関係になって、二人は気楽にその時を楽しむのだ。
牧はグラスに浮かぶピンライトのぼやけた光を見ながら、今夜も楽しい酒になりそうだと胸の中で呟いた。
くだらない笑える話をしたり聞いたり。ちょっとふざけた話をふったりふられたり。その合間には美味いアルコール。
いい具合に酒がまわり、二人は暫しぼんやりと店内のざわめき、そして曲名も知らない少しPOPなJazzを聴いていた。
「牧さん…あんた、ここ二ヶ月ほど、手ぇ抜いて仕事してるでしょ」
責めるといった口調ではなく、仙道は突然のんびりと言った。牧は内心『おや…』と面白く感じたが、それを面には出さなかった。
「二ヶ月業績が落ちてるからって決め付けるなよ。俺だってそうそう毎度No.1をはれるわけじゃないさ」
客の都合ってもんもあるしな、などと軽く笑っていなす。
仙道はそんな牧の軽い上辺だけの笑いには応えず、思いがけないほど真面目な顔を隣でグラスを口元へと運ぼうとした牧へと向けた。
隠すことも話をそらすことを許さない、静かな力がその真っ黒な瞳に宿っている。牧は仕方なさそうに一つため息を零すと、仙道へ少し向き直った。
牧は仙道が口火を切るのを待っていたが、雄弁な瞳とは裏腹に何も言ってこない。暫く瞳で腹の探りあいをしたが、オールドファッションドグラスの氷がカランと軽い音をたてた頃、とうとう牧が根負けした。
「…何が、言いたい? いいじゃないか、お前の業績が上がったってことだろ。実力でのし上がってく世界だ。今はお前が人気ってことだ」
「違うでしょ。俺の業績が俺だけの実力で上がった結果じゃない。そんなのはね、他の奴等が気づいてなくたって、俺には分かってるんすよ」
ふと苛立たしげに仙道の瞳が揺れた。またしても意外なものを見た気がして、再び牧は面白く感じた。今度はそれを隠すことなく面に浮かべると、仙道は更に苛立たしげに眉間に皺を少し寄せた。いつもの営業スマイルとは違った苦々しい表情は、少し甘く感じさせる整った目元を油断ならないものへと変化したことを告げている。
それでも牧は軽く肩をすくめてみせただけで、またグラスに向き直ると黙って軽くあおった。
「同伴、半分以上やめたの知ってるんですよ、俺。んでその分での不満げな客は上手い事言いくるめて俺に流してるでしょ。もう神なんかは気づいてますよ。来月もそれ続けるようだったら、他の奴等にもバレるし、そうなったら店のバランスだって」
仙道の言葉をすっと伸ばされた牧の手が止めた。
「心配するな、来月末には俺はいない。今月中に綺麗にしとくさ。発つ鳥後を濁さずってな。バランスは考えてある。お前にいいようにしておいてやるよ」
テーブルの上に戻された牧の褐色の長い指を仙道の少し白く長い指が握った。牧は驚いて仙道にまた視線を戻した。
「もう半年。いえ、三ヶ月でいいから続けて下さい。そのうち二ヶ月はマジで仕事して欲しいんです」
仕事をやめることに驚くどころか、痛いほど強く握ってきた指の力とは異なり、必死な瞳ですがるように懇願された。
こんな目ができる男だとは知らなかったと、不思議なものを見た気分で、つい手を振り払うことすら一瞬忘れてしまっていた。
「…痛い。手、離せよ。なんで半年だの三ヶ月だのって言ってくるんだ?それよりも、俺がやめるのはもう計算済みだったのか?…答えろ」
「あんたはこの仕事、好きじゃないのは知ってましたから」
牧の眉がぴくりと動いた。
「ほう…。好きじゃない奴がこの世界で二年半以上もNo.1はってられると思ってたのか、お前は。そんなに甘い仕事だったら良かったんだけどな…」
細めた牧の視線が少しきつく感じはしたが、それでも仙道は手を離さなかった。
「牧さんは好き嫌いでやってきたんじゃない。仕事をする上で、プロフェッショナルだっただけだ。そんなあんたがこの二ヶ月…正確には俺がこの店に入って半年後くらいから。プロ意識を捨てた。怪しまれないように…徐々に、ね。そうでしょ?」
「なんでもお見通しって感じだな。高頭さんから聞いたか?それとも田岡さんか?何で俺を探る?放っておけよ、そしたらこの店のNo.1は黙っていてもお前のものになるんだ」
それが利口なやり方だと言わんばかりの先輩らしい口調で、軽く口の端で笑った牧が仙道には悲しかった。牧に手を強く振り払われた。確かに手の中にあった牧の体温が消える。
手の中に残った淋しい余韻すら消えかけて、荒々しく仙道は手にしたアラバマ・スラマーを咽に流し込んだ。口内にサザンカンフォートの香りが少し強く残った気がして、眉間に皺が寄る。
プライベートで二人で飲む酒はどんなものでも美味かった。なのに今のこの不味さは、仕事で飲む味気ない酒より悪い。
グラスに落としていた視線を牧へと戻すと、牧もまた苦い薬でも飲むかのような顔で三杯目のカクテル…キングス・バレイのエメラルドグリーンを口にしていた。
頑なに仙道の視線を無視して、カウンターに整列と並ぶ色とりどりの酒瓶を黙って見つめている。薄暗い店内でゆっくりと動く黄色味を帯びたオレンジのライトが牧の瞳をかすかに光らせた。
光の加減で琥珀色に見えるその綺麗な瞳をなるべく傍で見ていたくて、前の店を大変な思いをしながらも急ぎ辞めた。
ライバル店へと移った時の俺の苦労なんてあんたは知らない。教える気もない。高頭さんに連絡を入れてあんたのいる店に入ってからの俺は、最初の数ヶ月、想像していたとはいえ、異質な新参者として信用されずに酷い扱いの日々。それでも俺は、あんたといられるなら良かったんだ。
周囲に疎まれると分かっていながら無茶な方法で成績を上げたのは、あんたの目にとまりたい一心。
やっとそれでもこうして一緒にプライベートでまで会えるようになるほどあんたに近づけたというのに、今逃がすわけにはいかない。
「…いつまで何も言わずにジロジロ見てるんだよ。話がないなら、俺は帰る。…今日の酒は不味くなっちまったからな。誰かさんのせいで」
「河岸変えましょうか」
「お前がだんまりなら、何軒変えようが不味いままだ。無駄は極力しない主義だ」
立ち上がりかけた牧の腕を仙道は強く掴んで再び座らせた。睨まれるかと覚悟していたのだが、意外にも牧は可笑しそうに小さく吹き出した。
「若手ではNo.1ホストが駄々っ子にしか見えねぇぞ、まったく。いいよ、分かったよ。その代わり、不味い酒もう一杯奢れよな」
カウンター中央でグラスを磨いていたマスターを軽く手を挙げて呼ぶと、牧は自分と仙道に同じものを頼んだ。
運ばれてきたのはミントの葉が乗った優しい色のカーデナル。
仙道は驚いた表情を隠しもせず、手に取ったロックグラスと牧を交互に見つめた。にやりと牧が笑う。
「…あんた…覚えていてくれたんだ…」
「忘れていて欲しかっただろうと思って、今まで気を使ってやってたんだがな」
* * * * *
二年前、東京へ仕事で来ていた牧は深夜遅く、タクシーでホテルへと戻った。
嫌な仕事と疲れでムシャクシャしていた牧をホテルの部屋の前で迎えてくれたのは、前後不覚に近い酔っ払い。最初こそ丁寧によけるよう小声で何度か言っていたが、相手はうーとかあーとかいうだけで聞いちゃいない。
機嫌が悪いのも手伝って、牧は蹴ってどかそうかと思ったが……冷静になってよく見ると仕立てのいいスーツに趣味のいい靴。足蹴にして下手にクリーニング代をよこせなどとごねてこられては面倒だと思い返す。
かがんで、軽く男の肩をゆさぶった。
「…ここは俺の部屋だ。寝るなら他所のドアの前へ行け。ロビーならソファだってある」
ようやくピクリと指が動くと、そのままだるそうに男は顔を上げ、真っ黒で少し長い前髪をかきあげた。くっきりとした二重の瞳の片側と口の端には殴られたのか赤紫な腫れが見てとれる。それらを差し引かなくとも、『これは店の連中の中でも群を抜く男前じゃないか』と牧を驚かせるのに十分な顔立ちをしていた。少し甘いマスクは、そこらの俳優なんかより不思議な魅力がある。
男はよろけながら立ち上がり、無遠慮に牧を上から下まで視線を走らせる。少し思案気な顔をしてみせた後、おもむろににっこりと微笑んだ。
「ここ、女の部屋の前かと思ってたんだけどさ。あんた、すっげぇ男前だから、男でもいいや。今夜、俺を買わせてやるよ。こんなチャンスはもう一生ないぜ?ウリやってねぇ俺が、今夜一晩だけ、破格値で抱いて…いや、この場合は抱かれて?とにかく、今夜あんたの部屋でご奉仕してやるよ。だから、一晩泊めてくんないかな」
牧は男の言葉に少し眉をひそめたが、無言のままカードキーを差し込むと、男を軽くよけてドアノブに手をかけた。
「ちょっと待ってくれよ〜。無視かよ」
「酒臭い息を近づけるな。あいにく俺は男を抱く趣味はないんでな。他をあたれ」
「あー…」
思いっきり困ったように眉を下げた男の顔が、急に幼く感じられて一瞬だけドアを閉める手が止まった。風のようにするりと男はその隙間をぬって部屋へと入る。真っ直ぐに目前に立った男は、一般の成人男子よりもかなり背の高い牧よりも数センチ高い。赤紫のアザや、酒に浸っているかのような酒臭さなどがあるというのに、その立ち姿はどこか品を感じさせた。堅気が着そうにはないタイプの、少し派手目なスタイルの上質なスーツ。職場近辺でたまに見かけるウリをやってる奴やチンピラなどとは全く雰囲気が違っている。…どちらかといえば…自分と同じ職業にも思えた。普通の月給取りではないことは確かだろう。
「俺、自分から誘って拒まれた事ってなかったから、困っちゃったよ…。ね、悪いけどホント、今晩だけでいいから泊まらせてくんないかな。迷惑はかけないから。お礼は……男ダメってんなら…う〜ん…。俺、明日の昼までは無一文なんだよね」
昼過ぎまであんたがこのホテルにいるってんなら、一泊代金に色つけて支払うんだけど…などと、最後はボソボソと独り言のように呟いている。
同業者であった場合、こいつだったらかなりなセンだろう。どこかで仕事で会うことがある場合を考えると追い出すのも…と、そこまで思って牧はくすりと笑った。いつもの自分だったら、自分にそんな妙な言い訳をしなくてはならないこんな状況へまでは至っていなかっただろう。
ドアを閉めるのが一瞬遅れた時点で、俺はこいつに興味を持ったのだ。
「名前は?」
「え?」
「お前の名前だよ。一晩限りとはいえ、名前がないと不便だ。適当に作れよ、今」
男は安堵した子供のような笑顔をむけてきた。こんな表情、暫くそういえば見たことが無かった気がする。自然と牧も口元で軽く笑い返してしまった。
「彰。源氏名じゃないよ。本名で彰。俺、初対面の奴に本名教えたの初めてだ。なんか今日は初めてづくしだよ。ね、あんたの名前は?今作っていいよ。源氏名でもいい。あんたさ、きっと東京以外のトコで俺と同じ仕事してない?そんな気がするんだ…。だってさ…こんないい男、東京じゃみたことないもん。一回見たら忘れられないよ、絶対にさ」
照れくさそうに覗き込んできた、彰と名乗った男の瞳には探るような色もなく、ただ感謝と素直な好奇心が浮かんでいた。
「一泊するからってお上手言う必要は無い。名は…好きに呼べ。仕事の話はするな。今はフリーな時間なんだ。俺はベッドで寝るが、お前はあの椅子で寝ろ。その前にシャワーを浴びれ。酒臭くてかなわん」
つっけんどんな物言いは、一泊は許可したが、暗に面倒をかけるなと言っているようなものだった。
ジャケットをしまいつつ、牧はハンガーを手渡した。彰は窓際に設置されたた革張りの小さな応接セットを一瞥して『うへぇ』と呟いた。
「フリーでお上手言うほど俺は酔狂じゃないんだけど。なぁ、名前だけでいいんだ、教えてくれよ。それとも、どーしても勝手につけろってんなら、アケミちゃんとかレイナちゃんとか呼んでいいの?」
ムッとして牧がクローゼットから彰へと向き直る。ふざけた表情がそこにあれば、売り言葉に買い言葉で叩き出してやろうと思ったのだが。
彰はどこか不安そうな笑顔を浮かべて、少し小首を困ったようにかしげてハンガーを持ったまま突っ立っていた。
「…俺は、紳一。本名かどうかはお前が好きに判断したらいい…」
* * * * *
二人は出会いをいとおしむかのように、ほんのり甘いカーデナルをゆっくりと口に含んだ。
「生意気な、東京銀座でNo.3のホスト様の初ウリ体験。しかもそれが男相手だなんて、晴れがましい話じゃないだろうからさ」
「いーえ、最初で最後のウリ体験が、牧さんだったってのは最高のラッキーでしたよ。運命だって吹聴したっていいくらいっす」
「やめろよ。何もなかったとはいえ、ホテルの一室に上げたのは事実なんだ。俺が男買ったなんて誤解はごめんだ」
あははと仙道は笑った。牧が気に入っている、あっけらかーんとした、それでいてどこか楽しくてたまらないといった笑い。
店の内部事情や綺麗に辞める算段など冷静に考えて、俺はこいつを自分の後釜に選んだつもりだった。でも、本当はこいつのこの笑顔と笑い声が好きで、最初からその結論に達するように計画を練りはじめたのかもしれない…。
グラスを弄びながら、仙道は懐かしそうに目を細めた。
「…あん時もさ、牧さん、ルームサービスでコレ頼んでくれたよね。なんで?」
「ガキにはコーヒー牛乳かと思ってな。でもあいにくあの時間じゃ、なかったから、代用だ。カルーアミルクもあったが、それは俺が苦手だったし」
テキーラが加わるだけで味も深みも変わる。牧さんは分かってくれていないのかな…。俺にあんたが加わったことで、俺は変わったんだって。出会った時はあんた好みじゃなかったかもしんねーけど、今は違うはず。
仙道は軽く肩をすくめてから、牧へと熱い視線をむける。
「俺…あの日から、カーデナルが好きになったんす。牧さんは…好き?」
「昔はそうでもなかったけど…。こうして注文するくらいだから、好きになったのかもな」
柔らかな牧の笑顔が店内に漂う紫煙でさらに柔らかく映る。今なら、全て手の内をさらして追い詰めて奪えそうな気がした。
「牧さん…。あの日から今日までの俺の昔話、聞いてくれませんかね」
「聞いたら、さっきの俺の質問に答えが出るってんなら」
仙道は微笑んで頷く。この微笑みもまた、牧は好きだった。
「さっきの答えだけじゃない…全てが分かりますよ」
「…長くなるか?」
「なりますね。河岸、変えませんか?」
「次は美味い酒になるって保障してくれよ」
牧はグラスを空けると、立ち上がった。今度は仙道も立ち上がる。店を出ると夜風が冷たく、牧はコートの襟を少し立てた。
「次の店は決めてあるのか?」
「はい。タクシーで20分のとこです」
「そりゃまた遠いな。よっぽど美味い店なのか?できればつまみも美味いとこだといいんだが」
少し腹が減ったと、腕時計を見ながら牧は呟いた。
「シェーカー買ったんです。美味いラムもね。つまみは…これからそこのコンビニで買っていきましょう」
驚いて腕時計から顔を上げると、仙道がにっこりと有無を言わせない笑みを投げつけてきた。
「…今度は味は期待できない店だな」
「まぁまぁ。でも、とびきりくつろげるってのは保障しますよ。そのまま泊まれるっていう、あんたにだけの特典付き。こんなチャンスはもう一生ないかもしんないよ?」
あの時と同じ、少しふてぶてしいほどの自信を含んだ台詞。牧はもう笑うしかなくて、お手上げといった様子で仙道のコートの襟を直しながら言った。
「せいぜいもてなしてくれよ。話がつまらんかったら、そのまま寝ちまうからな」
「大丈夫。寝かせませんから」
「随分自信たっぷりだが…。ま、お前はそのくらいが丁度いい」
ふっと浮かべられた牧の微笑に、仙道はもう一度笑みを零した。
見上げた空には入店前は隠れていた月が雲間から顔を覗かせている。
少し乳白色に濁ったそれは、先ほど二人を出会いの時へと誘ったCARDENALの色に似ていた。
*end*
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