アリガトー!


今週は絶対に言う。昨日から降り続いた雨がやっとやんだ空を見上げ、牧は静かに決意を込めて握り拳を作った。
ここのとこ、先週の練習試合に向けてそれどころではなかった。赤木にメールを入れてから既に二週間は軽く過ぎている。
決心が揺らがないうちに、男同士だからと大人ぶったあきらめ心に捕われないうちに言わなければと牧は焦りはじめていたのだ。
いつもならば仙道に誘われない限り自分から誘うことなどなかったけれど、今日は牧から誘った。話がある、と。


土曜日の午後三時。大学からけっこう離れた店に仙道が案内した。細い路地を何度も曲がって、迷路のような錯覚を覚えた頃に辿り着いたそこは、喫茶店のように少し小洒落ており、夜にはBarになるらしかった。メニューは日中と夜間で分かれていた。
「超絶穴場なんすよ、ここ。ちなみにチキンスープカレーがオススメです」
牧さんは辛いの大丈夫でしたもんね、と嬉しそうに言いながらメニューを広げて差し出す。
黙ってそれを受け取りながら、牧は内心拍子抜けしていた。大事な話かと問われ、頷いてみせると仙道は厳しい表情をして『じゃあ、人気の無い店で話しましょう』と連れられたのだ。てっきり人の少ない普通の喫茶店だろうと思っていたのに、これではただの練習後の、いつもの小腹満たしで連れ立つ土曜となんら変わりがない。こんな場所で切り出せる話でもない…。仕方がない、やはり別の機会にするしかないか…。

そんな落胆を表情に出さない牧へ、仙道はいつものように爽やかにきいてきた。
「牧さん、スープカレーってよく食います?」
「いや、滅多に」
「俺ね、実はここに来るまではスープタイプ嫌いだったんですよ。食いでないし。けどここの食って認識変わったんす。牧さんにも体験させたくて」
「あー。俺もあまり食べたいと自分からは思わないな。赤木に誘われて食うくらいか。あいつはカレーなら何でも好きだからな」
「……黄レンジャーゴリラめ」
「え?」
「あ、いえ、なんでもないっす」

また赤木さんだ。牧さんの話にはよく赤木さんが出てくる。そのたびに俺は眉間に皺が寄らないように気をつけなければいけない。
先週の練習試合の後の二人を思い出してしまった。ゴリラが俺の(…今はまだそうじゃないけど、いずれそうなる)牧さんを試合直後に抱き上げるようにして称えあっていたのだ。…う〜、思い出すとついイライラしてきた。
だけど。今日は牧さんが何か俺に特別な話をしてくれるようだし。もしかしたらこないだの意味深な言葉の続きかもしれないなんて都合のいいことまで考えてしまって。つい隠れ家的店に連れ込んでしまった。牧さんの話を聞いた後でいい雰囲気になってからここを出て、更に深く入り組んだ路地に連れ込んで…今日こそ俺は告白する。

双方が自分の思考に没頭しており、相手が黙っていることも全く気にしていなかった。
ウェイターが恐る恐るといった小声で「お待たせしました…」と、皿を持ってきてやっと二人は同時に我に返った。
ちょっとどんぶりっぽい深めの食器には人参を丸ごと縦半分にしたものや、丸ごとそのままな芋と縦半分に切られた茄子、骨付きの大きなチキンが入っている。なみなみとそれらを覆うように注がれているカレースープ。そして仄かにサフランがきいている薄い金色っぽいライスが大盛りの皿。
「…かなりなボリュームだな」
目を少し丸くしている牧の様子に、まるで自分で作った料理でもあるかのように得意げに仙道は頷く。
「でしょう♪凄い大作りに見えるけどね、味は違うんですよ」
手でさぁさぁと食べるように促され、牧はスープを口に運んだ。
「…美味い! あ、でも…うわ、辛っ」
「そうなんですよ〜、深みがあって美味いんだけど、後からどかんと辛くなるんですよ」
水を慌てて飲んでいる牧に、仙道もスープを口に入れて片眉を少しあげて楽しそうに笑った。
「辛過ぎるぞこれ。俺、最後まで食えないかもしれん…」
「そのまま、次は芋食ってみて。で、そん次はスープ。そして人参ってな感じで頑張って三口続けて下さい。騙されたと思って」
水を飲んでいない仙道にニッコリ笑顔で言われて、牧はなんとなく負けたくないという無意味な勝負心に火をつけられて言われたとおりに食べた。
すると、辛さで舌がやられていたはずなのに、野菜の自然な甘みが心地よく広がる。スプーンがスッと通るほど煮込まれた野菜の美味さにも驚く。鶏も骨からホロリと崩れるのに、しっかりと肉の旨みがあった。そしてスプーンを口に運ぶごとにスープの味が微妙に変わってくる。舌が辛味に馴染んできたからなのかもしれない。控えめなサフランの香りが次へと誘う。

気づけば牧は大量の汗をかきながらも半分ほど食べてしまっていた。
「ね。美味いでしょ」
仙道も同じように汗をかいていた。目を少し細め、とても嬉しそうに口の両端は綺麗に上へとカーブされている。
好きだ。今更だけど、自分は今までこいつの笑顔ほど引き付けられる笑顔に出会ったことはないと、ふいに牧は痛感する。
「あぁ、美味い、とても」
それしか言えなかった。その表情が…お前が好きだと、今言いたかったくせに。

返事を返して少しすると、牧の口内に最初に感じた三倍の辛さが降りてきて、牧は慌てて涙目になりながら水へ手を伸ばした。
「あっはっは。一呼吸おいて喋ったから辛味が戻ってきたでしょ。…っ、俺もちょっとヤバ」
仙道は奥に入ってしまっているウェイターに聞こえるよう、誰もいない店内で少し大きな声で追加注文を入れる。奥から小さな返事が返ってきた。
ほどなくしてウェイターがラッシーを二つ運んできた。
「半分くらい食って完璧にマヒしたら、これが合うんですよ〜。飲んでみて」
「…甘い…けど、キンキンに冷たい…。妙な味な気がするけど…」
「けど?」
牧は困ったような顔で笑いながら、また一口飲んだ。
「けど、このカレーには合うな。くせになりそうだ」

少し咽をそらすように飲む牧の姿に、仙道は軽い眩暈を覚える。褐色の綺麗な咽が上下する。真鋳のコップから放した唇は水気を含んで仙道の視線を釘付けにする。欲しくて欲しくて、その咽元へ噛り付きたくて、その唇に己の唇を重ねたくなる。その魅力を獲ることを我慢している自分が馬鹿馬鹿しくさえ思えてしまう。
それでも性急に事を進めてヘマをするわけにはいかない。仙道は苦労しながらなんとかいつもの笑顔を牧へと向ける。すると、牧は少し照れくさそうに笑った。目尻が涙で少し光ってみえる。あまりの可愛さに仙道はどうにかなりそうだった。
「牧さん、よっぽど辛かったんでしょ。涙目、まだなおってませんよ。可愛いなぁ」
言ってしまった次の瞬間、牧の笑顔がはっきりと驚きの表情へと変わった。そしてすぐに牧はうつむいて自分の目元を強く何度もこすった。
「…な、なにを馬鹿なことを。お前こそ涙目で視界歪んでんじゃないのか?」
牧はやっとの思いで平静を装って返事を返した。俺が可愛いわけなんてないじゃないか。ムキになってつい早口で否定してしまった自分にも牧は焦ってしまった。


顔を上げられないでいる牧へ、仙道はゆっくりと冷えたラッシーで咽を潤すと、祈るように言葉を紡いだ。
「牧さんは、本当に、可愛いです。誰よりも…。俺、牧さんが好きなんです」
牧はピクリと肩を揺らしたが、面は上げなかった。

誰もいない店内で、JAZZが小さく流れている。カレーの湯気は、もう消えていた。
失敗…しちゃったかな。まぁ、最初は駄目だろうって思っていたから仕方ないや。予想していたことだし…ね。あと三つ数えたら牧さんに笑顔で今日のところは逃げ道作ってあげなくちゃ。牧さんのそういう真面目な反応だーい好きとかなんとか言わなけりゃ。次につなげなくなる前に。ショック受けんのは三回くらいふられてからじゃなきゃ、まだ早いぞ、俺。三つ数えたらいつもの笑顔作ろう。

…いーち、にぃーい、さ…。牧が面を上げたため、仙道は心の中のカウントを止めた。
ゆっくりと仙道へと向けてきた牧の表情は、とても苦しげに歪んでいた。今にも泣いてしまうのではないかと思うほどに。
「俺も、おまえが好きだ。…けれど、お前が思ってくれているのとは、違う意味で、だ」
仙道は驚きに一瞬硬直した。きっと冗談で流したいと思っているはずと踏んでいたから。なのに、こんなに真摯に受け止めてくれるなんて…。
「…分かってます、違う意味だってのは。それでもいいんです。今は後輩としてだとしても」
ゆっくりと牧が辛そうに頭を降る。
「後輩としてなんかじゃない…弟が兄に向けるような想いでもない。違うんだ…」

あれほどカレーの辛さでほてっていた頬は、今は冷や汗のようなものが伝って冷たいくらいな気がした。
仙道が自分に向けているであろう視線が怖くて、牧は膝の上に痛いほど強く組んだ自分の指先を見ているしかできない。
自分に好意的な気持ちを持っていることを知れただけで今日は満足していたら良かったのか。けれどもう言わずにいられなかったんだ。悪いタイミングだよな…。お前の気持ちをその場で裏切ったようなものだ。すまない、仙道…。
指が震えている。心臓が激しく脈打っている。心なしか頭痛までしてきた気がする。好きな人に嫌われるという恐怖を初めて味わっている俺は、きっと恐ろしく情けない面してると思うから…顔を上げられない。
仙道が椅子から立つ気配がした。そりゃそうだよな…失敗しちまった。もっと時間をかけてから言うべきだったのかもしれないのに。
口元が自嘲的に歪む。熱くなった瞳を牧はあきらめたように伏せた。

ふ、と何かが頬に軽く触れたような気がして牧は顔を上げた。
仙道の顔が驚くほど間近にある。そう認識するよりも早く、牧の唇にひんやりとした弾力と柔らかな感触が軽く押し当てられ、すぐに離れた。

頬に触れたものは仙道の指先。
ゆっくりと仙道が牧の瞳を覗き込む。
「…同じ意味だったんですよ。…こうしたいって意味だもん。牧さんだって…そう…だよね?」
潤んだ仙道の瞳が静かに光って見えた。その瞳の美しさが現実とは思えずに、牧は放心したようにただ小さく頷いた。


席に戻って、ほとんど冷めかけてきていたスープを口に運んだ。牧もまた仙道と同じように黙ってスープを一匙。
嘘みたいだった。慣れない苦労をいっぱいしてきただけに、まさか牧さんが俺を好きでいてくれたなんて信じられなかった。
それでも頬に触れたことも、唇の柔らかさも、全部全部ハッキリと自分の指も唇も覚えている。
嬉しくて嬉しくて、どうしていいのやらさっぱりだ。何か気の利いた台詞で牧さんに伝えたいのに……カレーが辛いんだよ。泣ける…。

ぐすっと牧が鼻をすする音で仙道はカレー皿から視線を牧へと移した。そこには頬も耳も、首まで真っ赤に染めて恥ずかしそうに苦笑いを向けてきた牧がいた。
「食うの休むとさ、辛さが倍増したように感じるよな。辛すぎて俺、泣けてきちまったよ」
仙道の視界が涙で波打つ。牧は己の目尻を指でぬぐった。
「俺もですよ。すっげ辛いっすね。あー、駄目だ。鼻まで」
「さっきもらったティッシュ、やるか?」
「下さい〜」

二人して鼻をかんで、カレーを食べる。そして拳で涙をぬぐってはラッシーを飲んで笑う。
分かっていた、本当は。お互いがカレーのせいで泣けているのではないことを。けれどカッコ悪くて言えない。
皿が綺麗に空になるまで、二人はしばし食べる事に集中したフリをした。
「ラッシーもきかないくらい、今日のカレーは激辛で参りました〜。口から火を吹きそう、ゴジラみたいに」
「本当だよな。汗まで止まらないよ。こんな辛いの初めてだった。…けど…」
「けど?」
「また、連れて来てくれ。ここ、気に入ったよ」
仙道の返事は、晴れやかな笑顔だった。


カウンターで支払いをしていたら、レジの男が「サービスです」とキャンディーを二つくれた。二人はそれを口にしながら店を出た。入れ違いに二組ほど客が店内へと入っていった。
外はすっかり日も落ち、街路灯が少ない道は暗く、細い路地に隣接する小さな店から漏れる灯りを頼りにゆっくりと歩いた。
口の中でカラコロと小さなキャンディーが音をたてる。

「牧さん…。さっきは突然でごめんね」
何のことかと牧は一瞬問おうとしたが、すぐに仙道の唇に目がいってしまい、黙って苦笑いを零しながら軽く頭を左右にふってみせた。
「ホントはさ、もっと深くキスしたかったんだけど…。流石に俺とのファーストキスがカレー味じゃ、牧さんに悪いかなって遠慮したんす」
「〜〜っ、そ、そういうこと、真顔で言うなよ」
「や、俺が言いたいのは〜…。もう、カレー味じゃないから…ってことで。もう一回、今、確かめさせて欲しいんですけど…」
上目遣いで仙道にお伺いをたてられ、牧は眉間に皺を寄せながらみるみる赤くなっていった。
「…こんなとこでかよ」
「場所じゃなくて、こだわって欲しいのは『今』ってとこなんす」

牧はあきらめたようにため息を一つつくと、サッと周囲を見渡してから仙道の腕を掴んで更に細い路地に引っ張り込んだ。
「俺に確かめさせろ」
ボソッと牧はつぶやくと、仙道が一言挟む間もなく唇を深く重ねた。
互いの頭部を包むように、何度も角度を変えては深く深く貪っていく。絡めあう舌は互いのキャンディーの味を交換しあうかのように甘く、脳天まで痺れるような歓喜と興奮。そしてゾクゾクとした快感を生み出しては二人を夢中にさせた。


「駄目…だ、これ以上は」
荒い息を吐きながら牧は腕を解いた。そのまま体を壁にもたせかけて乱れた髪の毛を軽くかきあげる。
「そ…ですね。止めらんなくなっちまう。…牧さんの飴ってラズベリー味だったんだね」
「お前のは…レモンだろ」
仙道もまた乱れた髪をなおし、牧へと少し肩をもたせかける。一気に縮まった二人の距離が互いに照れくさくて、少し笑いあった。
「酸っぱい飴だったから、牧さんのおかげで丁度いい甘さになりましたよ」
「俺のは甘すぎたから、甘酸っぱくなって丁度…あっ」
牧が小さく声をあげた。仙道が覗き込むと、牧はせっかくなおした髪を乱すように、頬を染めつつ自分でガリガリと頭をかいた。
「なに?どうしたんすか??」
「あー、いや、別に。気にしないでくれ」

それから仙道の訝しげな視線を変えるため、「はぐらかしたいんなら、今度は俺に確かめさせてよね」と、己の唇に人差し指をのせて笑う仙道の申し出をうけるしかなく…。牧が少し眉間に皺をよせながら目蓋を閉じると、今度は仙道から覆いかぶさるように唇が重ねられた。
のぼせてしまうような感覚の中で、牧はこっそり
『本当に自分から望んだ最初のキスは甘酸っぱいもんなんだな…。赤木は物知りだ』
などと、仙道が聞いたら不機嫌になるのが確実なことを思っていた。


相談するという恥ずかしさや照れくささも、結果を伝えられる相手がいるという喜びが、綺麗に流していく。
早く伝えたい。この幸せを倍増させてくれるであろう、『良かったな』といいながら複雑そうに笑う顔をみたい。
そして、心から言わせて欲しいんだ。『ありがとう』って。

───でも、やっと得た唇と吐息だから、もうちょっと味わってからにさせてもらうけれど。





*end*



<オマケ>

その頃、件のカレー屋では。

「お前、さっき出てったイケメン達にキャンディーやってたろ。イケメン嫌いやめたん?」
「バーカ。イケメンもカップルも大嫌ぇだよ」
「じゃ、なんでだよ。気に入った客にしかキャンディー出さねぇじゃんよ」
「俺ぁね、イケメンが嫌いなのは、女が捕られちまうから。でも奴等はホモップルだから捕られる心配ねーしさ。俺はイケメンはホモであることを望んでんのよ。そしたらあぶれた可愛い女達が俺様に泣いて回ってくるっつー計算になるわけよ。分かる?」
「えー!?マジでホモなのあいつら!!デッケェホモだよなおい。イケメンでビッグホモ。だっひゃっひゃっひゃ。可哀相〜」
「おーよ。だから応援してやろうと思ってさ。奴等、店内でこっそりキスしてんの、便所いくとき見ちまったしさ〜」
「すげーなオイ。あ、でもな、あーいうモデル並のイケメン狙いの女なんて理想高ぇーから、お前にゃまわってこねーよ」

などなど。キッチンで二人の若い店員が語り合っていたことなどは、当然ながら二人は知らない。
このバイト君達がやめる前に二人がこの店に訪れることがないことを祈る。





やっと両想いになりました〜。つか、もともと両想いだったんですが(笑)
一応これで完結だけど、気まぐれで続いてしまったらすみません(笑) 皆様のご声援に多謝!!

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