ワラットケ


二講目が休みになったので、牧は赤木と二人で大学構内の図書館へ涼みに行った。図書館の窓からは窓際に並んでいる机の上に明るい光のシャワーが惜しみなく注がれていた。今日は夏日なため、いつもならこんな時間ではガラガラの図書館も赤木達同様涼みにきている者もけっこういて、日陰側の席はほぼ満席だった。

「日陰側は埋まっているな…おい、本を借りたら場所移動するか?」
赤木の低く静かな声に、牧もまた同じように小さく返事をする。
「いや、日が当たるのも悪くないよ。それに、ブラインド下げればいいし」
赤木が小さく頷くのを見届け、牧は自分が興味の有る本棚へと足を向けた。

数冊の本を抱えて戻ったが、赤木はまだ選んでいるらしく日向側には見当たらなかった。牧はブラインドを少し下げ、持ってきた本を開いた。
とある作家の旅行記本。そこに広がる海外の美しい海の写真や辛そうな真っ赤な料理が目に飛び込んでくる。ふと牧のページを手繰る手が止まる。
牧は三日前のことをまた思い出してしまっていた。真っ赤な料理…三日前に仙道と飲んだユッケジャンスープ。こんな老け顔の俺が、いい年して『仙道と間接…しちまった』と拘ってしまう辺りがなんとも情けない。
情けないけどやはり嬉しくては照れてしまう。女性となら一応色々と経験はなくもないが、初めて自分から好きになった相手と、というのは…何もかもやはり特別な気がしてしまうのは仕方がないのだろう。

嬉しかったことを思い出して、次にはここ数日の思考の流れ…パターンとなってしまっている悩みに移ってしまっていた。

再三考えた告白の言葉。『お前が好きだ。弟ではなく一人の男として意識してほしい』というものは、『好き』という気持ちと『弟という立場では満足できない』ということをハッキリ二段構えで伝えられるだろう。これならば仙道のせっかくの好意的見方を否定しないまま自分の気持ちを伝えられる。我ながらシンプルではあるが、なかなかいいと思った。
しかし、だ。告白の台詞を考えていた時にできてしまった疑問。
─── 一人の男として認識してもらったら、男が男を好きになるわけがないから…これもまた無意味な告白になる可能性があるんじゃないか?
脳内シミュレーションをしてみる。
俺が上記の告白をする。仙道は俺を弟としてみるのをやめる→一人の男として俺をみる→男同士で恋愛は成立しないと思い至る→俺を振る。
…駄目だ。やはり『一人の男として』は抜かすべきか。『お前が好きだ』だけでいいのだろうか。けれどそれでは仙道は『俺も牧さんを(弟のように)好きです』なんて言われてしまうかもしれない。
難しい…。なんて難しいんだ、男が男に告白をするというのは。どう頑張ってもいい結果のイメージを導き出せない。
そもそも男同士で恋愛をしたいと思う俺がおかしいのだ。それでもやっぱりあいつが欲しい。今更あきらめるなんてできない…。試験勉強よりも難しすぎて頭から煙が出そうだ。いや、この場合は心臓からとか言うべきなんだろうか…。


「…牧。写真を眺めながら一人で百面相するな。気色悪くて笑える」
赤木の笑いを含んだ声で驚いて牧は顔を上げた。いつの間にか向かいに赤木が座っていた。ハードカバーの推理小説が数冊机に積んである。
「いつから戻ってたんだよ…。悪かったな、気色悪くて」
「お前、日曜日に仙道と会ったんだろ。何か進展でもあったのか?」
「…赤木って妙なところ鋭いよな」
眉間に皺を寄せて困ったように俯いた牧を見て、赤木は内心、今の百面相を見て気づいたというのは黙っておくことにした。

牧はどこまで赤木に伝えるべきかを迷っていた。レンゲの話は省いて、とりあえず今悩みの種だけを伝えることにする。
「日曜飯食いに焼肉屋に行った時、仙道に俺…弟と思われてることに気づいたんだ」
赤木の手にあった本がバタリと机に落ちる。みるみるうちに赤木の顔が青くなった。
「嘘だろ…?」
何故青くなるのかは少し不思議だったが、牧は静かに頭を振ってみせた。
今度は赤木の額に汗が浮き出る。
「お前ほどの老け顔をどうやって?性格だって妙にジジくさ…いや、落ち着いてるのに、どこをどう間違って」
「…言い直しても酷過ぎるぞ、赤木。俺に失礼だ」
「だってなぁ。お前の勘違いじゃないのか?」
「いや。だって俺、仙道に『お前が俺を弟と思ってるなんて気づかなかった』って言ったが、意外そうな顔してたし。当然俺には通じてると思っていたってことだろ」
赤木は頭を抱えて机に突っ伏して、牧に聞こえないよう小さく呟いた。
「………仙道は本当に地球外生物だったんだな…。未知との遭遇っていうが、俺も未知と既に遭遇してたんだ…」



いつものように部活を終え、赤木は部活の数名からのラーメン屋への誘いを断って、一人帰路を辿っていた。
ロッカールームで着替えていた時に偶然仙道と目があい、そのせいで昼間の牧の言葉を思い出してしまったのだ。こいつが牧なんかを弟と見ているなんて…と、未知の生命体を見るような目でまじまじと見てしまった。しかし仙道はへらりとつかみ所のない笑顔を俺に一つ向けただけで、何も言わずに自分のロッカーへ歩いていった…。
赤木はそこまで思い出して、大きくため息を一つつく。
駄目だ。やはり一般常識人である俺一人ではもうこんな宇宙人の考え方や行動パターンなどは把握できない。牧には悪いが、こうなったら援軍を必要とせざるを得ない。牧の名前さえださなければ問題はないだろう。やはりここは一つ、牧よりはボケでなく、仙道を昔からよく知っている人材に助言を仰ぐ事にしよう。
赤木はそこまで考えると、次にする行動が決まった分、携帯を取り出しながら明るい表情に戻って踵を返した。



『和食処・魚住』と書かれた紺色の暖簾をくぐる。すぐに威勢がいい親父さんの声がかけられ、赤木は軽く会釈と笑顔を向けた。と、すぐに魚住がカウンターの奥から顔を出して『裏から入れ』と指で合図だけして引っ込んだ。
魚住の住まいは両親が営む和食屋、新鮮な魚介料理が売りの店と、奥の二階からは住居といった作りになっていた。昔は夜からしか営業していなかったが、最近では日中もランチタイムだけ開店しているらしい。ランチタイムでOLの人気を得たらしく、店は以前より活気に満ちていた。

赤木はいったん外に出て、店の脇の細い路地を抜けて住居専用の玄関へと向かう。勝手しったるといった様子で、鍵が開けられていた玄関から入る。内側から鍵をついでにかけて二階へとあがり、魚住の部屋へ進んだ。

大きな体躯を小さな(とはいっても標準サイズ)椅子に腰掛けていた魚住に赤木は声をかけた。
「今日は店の手伝いはいいのか?」
「おう。俺もちょっとお前に話があったんだ。なかなか機会がなくて言い出せないでいたんでな」
「なんだよ、最近電話もよこさなかったくせに」
「そりゃお互いさまだろ。先にお前の話から聞くよ。なんだって?」
互いに近況報告もなしに本題に入る気だったことが分かり、赤木と魚住は互いににやりと笑いあった。

渡された麦茶の入ったコップをベッドのヘッドボードに乗せ、赤木はどう聞こうかと少し思案顔をしてみせた。が、魚住に「なに面倒くさいこと考えてんだ、さっさと言え」とせかされて、率直に話す事にした。
「正直に答えてくれ。お前、仙道と付き合ってるのか?」
魚住は眼球が飛び出るかと思うほど目を見開いた。
「付き合ってるわけがないだろ。なんだよ、どっからそんな話仕入れたってんだ?」
「仙道から。昔、仙道がお前に告白して振られたって聞いたぞ」
苦虫を噛んでいるような顔で言ってくる赤木の顔を見て、魚住は頭を抱えて唸ってしまう。
「あんの馬鹿野郎…。言わんでいいことを、よりによって赤木なんぞに…」
「なんぞとはなんだ。おい、それより、本当なんだな、今は仙道と付き合ってないってのは」
「“今は”じゃねぇ、今も昔も俺は男と付き合うような趣味はねんだよ。おい、まさかそれで昔の告白された回数の話を蒸し返しにわざわざ来たってんじゃないだろうな。んなもん、時効だぞ」
「そうじゃない。実はな、俺は仙道を好きだって奴から恋愛相談というものを受けとるんだ…」

意外な赤木の返事に魚住は抱えていた頭をパッと上げて、まじまじと赤木の顔を見つめてから、盛大に笑った。
「お、お前が恋愛相談!!恋愛未経験者で堅物のお前が!!そりゃあ相談持ちかけた奴が可哀相だ。絶対その恋愛は成就しないわ、ご愁傷様だ」
小さな椅子は魚住があまりに体を揺らして笑うため、ギィギィと苦しそうな悲鳴を上げている。
「煩いわ!!それより、次の質問に答えろ。仙道に今、付き合ってる奴がいるかどうか知ってるか?」
赤木の質問にピタリと魚住は笑いをとめた。今度は魚住が苦々しい顔を向けてくる。
「付き合ってる奴はいない。でもな、好きな奴がいるんだ。それで…俺が仙道から…恋愛相談をうけている」
今度は赤木が驚いた顔をした後、魚住が先ほど赤木を評した言葉とそっくりな台詞を吐きながら爆笑した。


お互いのことを棚上げすることで意見が一致し、互いに今までどれほど慣れない恋愛相談で苦労したかをしばし語り合った。
苦笑交じりで交わす会話の中で、魚住はとあることに気づいた。
「…なぁ。仙道を好きだっていう変わり者のことを、お前さっきから『奴』呼ばわりだけど…。ひょっとして、そいつ、男なんじゃないのか?」
赤木は飲んでいた麦茶を咽にひっかけてむせてしまった。
「なっ…お前だって…ゴホッ…仙道が好きになった相手のことを『奴』って呼んどったじゃないか。もしかして…ゲホッ」
「………そうだ、と言ったら?」
「………俺も“そうだ”って言うしかない。嘘はつけん」
「赤木〜。お前って本当、馬鹿正直としかいえんよな。あ、怒るなって。そのおかげでなんか俺、分かりかけてきたんだ…ちょっと黙ってろ」

互いに恋愛相談を持ちかけられた時期。互いが知ってる仙道の行動の奇妙なまでのリンク。魚住は先ほどまで話していた互いの情報を改めて重ねて考えてみた。
魚住が知っていて赤木が知らない情報は、仙道の好きな奴=牧のこと。それは仙道と同じ学校で同じ部活で同性。
赤木が知っていて俺が知らない情報は、仙道を好きな奴=?のこと。そいつはどうやら仙道と同じ学校でバスケ部。そして…それは女子バスケ部じゃなくて男子バスケ部だと、今の発言ではなるからして…。

「…おい、赤木。牧はお前と付き合ってないよな?」
手の中でコップを玩んでいた赤木は、その手を止め青ざめて反論してきた。
「俺に彼女いないからって、なんてこと言い出すんだ!お前だっていないくせに!!お前と一緒にするなっ。俺だってホモじゃないぞ」
大声で青筋をたてて怒る赤木の前に、魚住は大きな掌を突き出して止めた。
「落ち着けよ。分かってるって、お前が牧と付き合ってないってことは。今のはかまをかけたんだ。何で俺が牧の名前を出したか、分かるか?」
「…お前が知ってるうちの学校のバスケ部員の名前なんて、それくらいだからだろ?」
「赤木よぉ、お前、本当に恋愛関係の相談に向いてなさすぎるって。よく、冷静に考えてみろ? 今、お前は自分は俺と同じでホモじゃないって言った。…じゃあ、牧は?って話になるだろ。そしてな、それよりも何で俺が牧の名前を出したかってのもお前は俺に聞いてこなきゃおかしい。だろ?」
「推理小説かよ」
「なんでもいい、推理小説でいいから、ちょっと考えてみろ?」

赤木は数秒黙考したのち、疑わしそうな視線を魚住に向けた。魚住も黙って頷く。
「お前が今までの会話の流れで判断して、あえて牧の名前を出したのは…仙道を好きな奴ってのがバスケ部で男だからだって確信できたからか?」
もう一度魚住は頷いてみせる。
「最後のヒントだ。俺はお前の部活の奴等の名前は、けっこう知ってる。試合も何回か見てるしな」
「それは、ヒントじゃなくて答えというんだ、魚住」
魚住は両肩を軽くすくめて、苦々しく笑った。赤木ももう、笑うしかなかった。



二人は散々振り回してくれた仙道へ悪態をつきあい、仙道に好かれた牧への同情と鈍さを肴に笑いあった。そして、あの仙道を赤木に劣らず堅物の牧が好きだと思うようになった計り知れなさにも。

二ヵ月半に及ぶ自分たちの苦労を労らいあいつつ、今後どうするかという赤木に魚住は悪戯っぽい顔を向ける。
「どうせ両想いなんだから放っておこうぜ。大体、仙道なんて贅沢なほどモテてるくせに男を好きになってんだぞ。世の中の女性が可哀相だ。しかもすんなり両想いだなんて、都合良過ぎる。教えてやらないどこう」
「牧だってな、大ボケで鈍すぎるから気づかなかったんだし、本人気付いてないけど女性にモテまくりなんだ。だから仙道と同罪だ」
「でもなぁ…俺、牧には仙道をこれからしっかりした奴に育てていってほしいという願いがあるからなぁ」
「宇宙人を地球人…一般人の思考レベルにさせてくれたら、俺としてもありがたい」
「牧にだけは、教えてやるか、近々」
「……あぁ、近々、な」
赤木が疲れた顔をして笑ったのを見て、魚住もまた力なく笑い返した。そしてついポロリと零してしまう。
「…俺もお前も至極真面目な一般人だってのにモテねぇよなぁ。仙道と牧がくっつくことで、あぶれた女性が俺たちの彼女になったらいいのになぁ…」
「全くだ。世の女性は皆さん見る目がなさ過ぎる…。男は顔じゃないんだぞ」
「赤木…その発言は俺までお前と同じブサイクにとれるから取り消せ」
「なんだと!?俺よりお前の方がブサイクに決まっとろうが!!このボスザルがっ」
「鏡見てからものを言え!!このゴリラめ」
二人は同時にそっぽを向いた。そこには、磨かれたガラス窓に不機嫌丸出しな、似たような顔が二つ並んで映っていた……。



帰り際、携帯にメール着信が入った。発信者名は牧だった。
『俺、今週末にでも自分ではっきり仙道に言う。今まで色々すまなかった。』
苦しく、切なそうな表情で笑うようになった牧の顔を思い出す。きっとそんな顔してこのメールを打ったのかもと思う。告白さえ終われば、もうあんな苦しそうな笑顔を見なくてすむんだなと、赤木は片方の口角を少し上げた。

歩きながらゆっくりメールを打つ。
『お前の願いは絶対叶う。と、確信している』
牧がこれを読んだとき、きっと“根拠のない自信だけはあるよな、赤木は”と言って苦笑するのだろう。


夜空を見上げた。星ひとつない厚い雲がゆっくり流れる夜空。送信ボタンを押して、空と正反対に明るい手の中のディスプレイを見つめる。
残念ながら、俺も魚住も、まだ付き合いたいと想える人に出会えていないけれど…。
いつかは俺達も、牧や仙道のように願える日が来るのだろう。そしてその願いが叶う日が。
「…それまでは仕方がない。男を磨くとするか」

呟いて上げた赤木の顔は…試合に挑む前に見せる、不敵な頼もしい面構えだった。






*end*




魚住が一番マトモですね(笑) さてさて。いよいよ次は告白大会か?
今回の飲食店は魚住の家の店になっちゃいました。次はどこの店にしようかなぁ〜。

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