ソウジャナクテ


牧が横を向いたとき、仙道は「あっ」と、大きな声を上げたため、驚いて牧はまた仙道の方へ向き直った。

日曜日。今日は昨日の他校との練習試合での勝利を「二人だけで祝いましょう」と、仙道オススメの、歩くには少し遠く、電車を使うほどでもない場所にある小さな焼肉屋へ二人は来ていた。

「どうしたんだ?」
「レンゲ、スープん中に落としちまったんです」
「あー…。新しいの、もらってやる」
すかさず牧が店員を呼ぼうと周囲に視線を走らせたのを、仙道が止めた。
「いえ、まだ熱いから、冷めたら飲みます」
「どうやってだよ?どんぶりに口つけてか?具が食べにくいだろそれじゃあ」
「牧さんのレンゲ、借りるからいいっす。牧さん、それ、もう飲み終わるでしょ」
牧のチゲスープは仙道のユッケジャンスープよりかなり早く来ていたため、スープは半分ほどまで減っていた。

自分のスープと仙道の顔を交互に見てから、牧は少し固まってしまっていた。
…もしかしてこれは、中学時代に彼女に言われた“間接キス”というものになるのか?俺は今、そのチャンスにいきなり遭遇したのか??
牧は自分の手の中の白いレンゲを凝視した。そして一度、大きく息を吸う。そして自分に問う。
いや、待て俺。冷静になれ。ここでレンゲを渡したら“冗談だったのに、気持ち悪ぃ〜”なんて言われるんじゃないのか?これはチャンスではなく、試練か?俺は出方を試されているのか?

黙って自分のスープを難しい顔で覗き込んでいる牧に、仙道は流石に気持ち悪い奴と思われたかなと不安になってきてしまった。もしかしたらそれより先に、さっきわざと自分でレンゲをスープに落としたのを、実は牧が見ていたらとも思うと、慌てて自己フォローを入れてしまう。
「や、牧さんが落ち着かないってんなら、レンゲの替わり頼むから…」
箸で自分のレンゲをスープから取り出しながらの仙道の言葉を聞き、いきなり牧は自分のレンゲを仙道に差し出した。
「使え。俺のはほとんど冷めてるから、どんぶりで飲む。具も、ほとんどない」
牧は返事もまたず、ガッシと大きな両手でどんぶりを包むと、まるで三々九度の杯さながらに、ぐいーっと飲み干した。本当は少し熱かったけれど…。

最初仙道はあっけにとられてポカーンとその恐ろしいまでの飲みっぷりに口を開けていた。
『牧さんは俺の邪まな作戦に気づいたのか?一応気持ち悪がられていないことは分かったけど…このやけっぱちのような態度は一体…』と、一瞬ひるんだ仙道であった。しかし、牧のレンゲは自分の手にある。
「んじゃ、遠慮なく使わせてもらいます」
スープと具をすくう。口に運ぶ。牧は仙道を見ない。心なしか牧の横顔は怒った表情に見えて、仙道は不安さが増す。空気が痛い…。
一口飲んで、仙道は目を見張った。
「美味い!!うわ、ここの当たりっすよ。俺、こんな美味いユッケジャンスープ、飲んだことないかも」
「そんなに美味いのか。俺もそれにすれば良かったな。俺のチゲスープは大したことなかったぞ」
「はいっ、牧さんも一口飲んでみてよ。ホント美味いから」
慌てるように差し出してきたレンゲを受け取り、牧も零さないように急いで口にした。
「……ん、本当だ、いい味してるな」
「辛さと甘み具合が絶妙。けっこう辛いだけとか甘いだけとかの店、多くてさー。この具、何だろ?…あ、これも美味い。牧さんも食ってみて」
「ん。…何だ?キノコかなぁ。変わった歯ごたえだな」


牧の背後から背の低い店員が「お待たせしました、カルビ三人前とサガリ四人前です…」と、皿を両手に現れた。二人はハッと現実に戻る。
皿をテーブルに置くと、「新しいレンゲ、ただいまお持ちします」と小さく硬い営業スマイルを見せてから去っていった。
男二人が向かい合わせで、楽しそうに一つのレンゲを代わる代わる使いながら一つのスープを飲んでいた異様さに、今更ながら二人は気づいた。
気まずい雰囲気がテーブルの上に流れる。炭火の熱と飲んでいたスープの辛さのせいだけではない汗が二人の額をつたっていった。
「…網、こげちゃうから、肉焼きますね…」

新しいレンゲが来ても、サラダが来ても。二人は無言で黙々と肉を焼いては口に運んでいた。視線も合わさずに。

牧は肉をひっくり返しながら考えていた。
つい自然な仙道につられて俺もスープ飲んじまった。だって本当に美味かったんだ…。間接だとか不自然だとかそういうの、すっかり忘れてた…。
仙道はサラダを取り分けながら考えていた。
ついスープの美味さで、素で弟とやるようなことやっちまった…。けど、嫌な空気が消えて楽しかったのに。店員め、どうしてくれんだよこの気まずい空気はよっ。

肉の皿が空になりそうだったので、牧がメニューを広げた。メニューで顔を隠しながら三回心の中で唱える。『俺は冷静。俺は冷静。俺は冷静』
ここは年上の自分が奇妙な空気を打破してやらないと、と思った牧はつとめて普段通りの軽い笑顔を浮かべて言った。
「牛タンとカクテキ頼むか。あとサガリ三人前くらい追加するか」
顔を上げた仙道の表情がパッと輝いた。牧は内心、自分に向かって『Good job!!』と親指を上向けたい気分になってしまった。つられていい笑顔を牧も向ける。
「俺、飯ものも追加したいっす。ピリ辛明太チャーハンなんてどっすか?」
「いいな、それ。じゃあ頼むか」


仙道が色々な焼肉店の名を挙げ美味しかったものを語れば、牧もそれに乗って好みのタレの味などを語る。
運ばれてきた追加メニューはどれも美味しかった。それも手伝って二人の笑顔は増える。
そのうち焼肉の話が発展して、笑いながらああだこうだと会話をしているうちに色々な食べ物の店の話になっていた。
「…でね、やっぱ雰囲気重視のとこは高い割りに量が少ないと思うんすよ」
「全くだ。しかも緊張するし。飯はくつろいで食えるというのも大事な要素だ」
「なんで女って店の外観やなんかで選んだりすんのかなぁ。昔、壁面ほとんどガラスってな店に連れてかれて、落ち着かないったらなかったすよ」
「うわ、俺、それ駄目だわ」
「しかもそのガラス、磨かれてるし夜だから、鏡みたいに自分の全身映ってんの」
「最悪だ。飯の味なんてしなくなる」
「ホントっすよ。…あ、牧さん、飯粒くっついてるよ」
仙道が自分の口元を指差してみせた。牧は慌てて取ろうとして口周りを叩く。
「いえ、そっちじゃなく」
仙道の手が伸ばされ、牧の唇を掠めて米粒をとった。そのままそれをパクリと自分で食べてしまう。
「…食わなくても」
「え?あ、いけね。俺、弟がすっげ歳離れてるじゃないっすか。よくとってやるとそのまま食っちまうんすよ。すんません」
「いや、謝らなくていい…」

困ったように俯き加減で箸を動かす牧を仙道はじっと見ていた。
もしかして牧さんは、俺がわざと牧さんの唇を指で掠っていったの、気づいちゃったのかな。そりゃそうだよな。米粒ついてたのは顎付近だったもん。
視線を上げてこないまま、牧はボソリと言った。
「弟以外には、こういうことはあまりしない方がいいと思うぞ」
「は? あ、いえ、牧さん以外にはしたことないっす」
「…なら、いい」
「はい…」

仙道の脳内で激しく疑問と期待と興奮の嵐が吹き荒れていた。
同じく牧の脳内でも激しく疑問と期待と、返答に失敗したかという後悔の嵐が吹きまくっていた。
しかし、牧と違い後悔という嵐のなかった仙道には、疑問を押しやる期待感が急速に増していった。もともと思考はポジティブというのも手伝っている。
今。英語で言えばNOW。今がまさに告白のチャンスかもしれない。魚住さんが見ていたら『焼肉屋なんぞでするな、ムードのない』といわれちゃいそうだけど。
決めたんだ。何回失敗したって、何度でも告白するって。最初の一回くらいムードなくたっていいや。二回目でムード考えればいいさっ。

まさに仙道が告白をしようとしたその時。牧は顔を上げて照れたようにはにかんだ笑顔をみせた。
「俺さ、今までずっと気づかなかった。お前が俺を…」
ハッと仙道は息を呑む。ただでさえ告白しようとして心臓が跳ね上がっていたのに、口から飛び出そうになってしまっている。
「牧さん…」
やっとの思いで期待を抱えつつ名前を呼んだ。牧は黙って力強く頷く。
「お前が俺を、弟のように思っていたなんて」
「………はい?」


───オレハイマナニヲキイタ?


「俺さぁ、ずっと老け顔だの外人だのアニキだの言われてきたことは何度もあったんだけど。弟ってのは初めてだよ。お前が俺をよく連れ出すのは、弟に似ていたからなんだな。…なんか恥ずかしいけど、年下の奴に若く思われてたなんて初めてだったから…嬉しいよ」

牧さんが色々喋っているようだけど、俺には理解不能な言葉ばかりだ。照れ笑いを浮かべている顔が、普段なら可愛くて仕方なく見えるはずなのに、今の俺には淋しくてたまらない。牧さんが、遠い…よ?
「けどな、一応一つしか違わないとはいえ、俺は先輩だから。部活とかでは弟と思わないでくれよ」
あー…なんか、照れて頭をガリガリかいてる。俺、この仕種も大好きなんだけど、なんか、泣けてきちゃうのは何故なんだろ。
泣き笑いのような複雑な仙道の表情に気づき、牧は慌てて身を乗り出した。
「ど、どうした?」
「……いえ、別に…」
「あっ。そうだよな、うん。でも悪いが、俺にはできそうにもない。すまん」
「え?何が…?」
「部活外でお前が俺を弟と思ってる時に、俺もお前を兄だと思ってるように接して欲しいんだろ?そうだよな、お前、なかなか実家に戻る機会がないもんな。気持ちは分からないでもないが、俺にはできそうにないんだ。お前を兄とは思えないんだ。すまんな…頭の固い奴で」
軽く頭を下げてきた牧に、仙道は返す言葉を探す気力さえなくしていた…。



食事も終え予定していた買い物もすませ、二人は駅へといつものように歩いていた。
けれど普段とはどこか二人とも心ここにあらずな感が消えないでいる。会話のテンポも微妙にかみ合わない。そんな妙な雰囲気さえも、分かってはいてもお互いが頭がパンパンになっていて元に戻す事ができなかった。

牧の乗る電車が見えてきた。仙道は無理に笑顔を作る。
「今日はありがとうございました。また旨い店探しておくんで、一緒に行きましょう」
同じような無理な笑顔を牧が向けて頷く。そして一瞬言いよどんだ後、淋しげな表情で軽く頭を下げた。
「…すまないな、兄として見てやれなくて。でも俺は…本当は、お前に弟としてみてほしくないんだ」
不思議そうに仙道が見返す。
「俺はお前に、弟でもなく先輩でもなく…その…」
電車がホームに着いたため、電車から人の流れがどっと押し寄せてきて牧の言葉は最後まで言わせてもらえなかった。
様々な音や声が入り混じる。肝心な言葉を口にする勇気も人込に流されてしまった。
少し離れてしまった仙道に牧は片手を軽く上げると電車に乗り込んだ。
「牧さんっ!?」
ドアが閉まるというアナウンスが聞こえる。牧さんはなにか言って笑った。
「聞こえないっす!!もう一回言って!!」
「また明日部活でな!!また旨い店、連れてってくれ!!」

ドアは閉まった。



つり革に捕まって目を閉じる。今日の嬉しかったことを思い出す。仙道の声や笑顔や仕種。
交わしたレンゲ。偶然自分の唇に触れた仙道の指。自分を家族のように思っていてくれたこと。
全部嬉しかった。掛け値なしに。それは嘘じゃない。
なのに。時間と共に胸を苦しくさせるもう一つの思い。お前にだけは弟としてなんてみてほしくない、その理由。
あまりに苦しくて、吐き出したくて伝えようとした言葉は、最後まで結局言えなかった。
けれど、それで良かったと今は思う。
痛みにまかせて口に乗せた言葉なんかがあいつの心に届くはずはないから。
好きだと言おう。
家族としてではなく一人の男としてみてほしいと。
たとえその結果が、俺を家族と思うほど慕ってくれている思いを壊すことになろうとも。



ホームでただ立ち尽くす。今日の楽しかったことが押し寄せる。牧さんの反応や声や笑顔。
ここまではいつもの見送った時と同じ。けれど今日はそれだけじゃなく、一つの言葉ばかりが頭の中で響いている。
『弟でもなく先輩でもなく』
じゃあ、俺にあんたはどう思われたいの?あんな淋しそうな笑顔してみせて。他にはもう、一つしか俺は思い浮かべられないのに。
…それでもきっと、今日の「弟」みたいに、俺の想像もできない発想をして返してくるんだろうな、あの人は。
でも、いいや。仕方ない。そんなとこまでもう好きで仕方がないんだし。
弟としてなんてみてない…つか、んなこと思ったこともねーんだけど、その誤解を次に遊ぶ時にでも解こう。その時こそハッキリ告ろう。
このまま告白伸ばしていたら、きっと色々な部分がよじれてしまうような気がするから。




夜が来る。
二人にとって、また眠れない夜が。








*end*




何をやってるんでしょうか。今時の中学生より恥ずかしいですこいつら。
ユッケジャンスープって当たり外れ大きいですよねー。店によってかなり違うし。

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