タベタイノニ


魚住さんと飲んで…結局俺は何時に自宅に戻ったのだろう。自宅に戻ってからの記憶的はそれほどさだかじゃないけど、パジャマを着て万年床に潜り込んでいる様子から、まだマシかな。

仙道は築12年のアパートの天井をぼんやり見ていた。明るい日差しと子供の遊び声がカーテン越しに入ってきている。
「のどかだねぇ…。こちとら初めての本気の恋を自覚しちまって、飲みすぎて二日酔いだっちゅーのにさ」
別に魚住さんが無理やり酒を勧めたわけでも、根掘り葉掘り俺が牧さんに抱いている想いを訊き出して分析したわけでもない。自分で勝手に喋った。勝手に飲んだ。自分でもこんな心の内を人に喋れる奴だなんて今まで知らなかった。…酒のせいかもしれないし、魚住さんだから話せたってのもあるだろうけど、もう辛くなっていたんだな、どこかで、きっと。…自分の本心を誤魔化して見ないフリすんのは。


高校二年。夏の選抜で初めて牧さんを本気で意識した。
それは純粋なライバルとしての気持ち。牧さん以外にも全国にバスケで強い奴等なんていっぱいいるしさ。それなのに、ふと気づけば彼を思うようになっていて…人に自分から深い興味を抱いたのが不思議だった。
ウィンターカップでの海南との試合。牧さんとライバルとして対峙した最後の試合。あの夏を越える緊張感と高揚感が過ぎ去った後、気持ちは決まっていた。
『この人と同じチームでやってみたい』『試合後に見せるチームと交わしている表情をもっと見てみたい』って。

「純粋に…それだけだったんだ、最初は。ホントにそれだけだったんだよ…」
一人暮らしの部屋の中、誰に言い訳をする必要もないのに、仙道は小さく呟いて布団をギュッと抱きしめる。自分のつけている整髪料の香りだけが仄かに感じられる。魚住に振られてから、『俺、バスケ一番な奴だけど、それでいいなら』という条件を了解した女性と付き合っていた頃の、甘い香水の香りはすっかり消えていた。全ての女性関係は大学に入る前、フラれたり別れたりしたからだ。
大学に近いアパートを借りる時、持っていた貰い物の洒落た小物やちょっとした家具も全て捨ててきた。『高校の頃の方がよっぽどいい暮らししてたじゃん』と遊びに来た友達は皆口をそろえて言ったけれど。
何故か全てを清算してから牧さんに会いたかった。そうじゃないと同じチームに入っても、気持ち的に同じ速度で走れない気がした。

『お前はもう、その頃から既に牧を好きだったんだ』
魚住さんから静かな口調で放たれた言葉が、一晩たった今でも胸に痛い。
大学に入る前までの自分の気持ちなどは整理して明確に答えられるのに、大学に入って牧さんの傍にいられるようになってからはもう自分でもさっぱりだ。
牧さんと一緒にプレイする喜びと、それ以外の楽しさや幸せが恐ろしいスピードで俺を変えてる気がする。一緒のチームに入って一年と二ヶ月弱。
たったそれだけの間に、俺はもの凄い欲張りになってしまったんだ。彼にとっての一番の座を全て自分が得たくてたまらない。
こんなことを考えるような熱い奴じゃなかったはずなのに、もうどうしようもないほど俺には牧さんしかなくなってしまった。
だから…怖い。ここまで心酔して、惚れまくって、なんとか毎週のように誘うのも通常って感じになったというのに。

仙道は布団にもう一度くるまって、丸くなって眠る猫のように長い手足を折りたたんだ。
不用意に本気なこの気持ちを伝えて、拒絶されるのが怖かった。嫌われてしまったら、自分はどうなってしまうのかが怖かった。あの笑顔も、声も、時折照れたようにムッとする顔も。何もかも丸ごと、失ってしまうくらいなら…。


グギュルギュルギュル〜…。
腹の虫がなった。二日酔いで食欲がなかったはずなのに、なんて俺の体はタフなんだろう。枕もとの時計を見ると、午後二時。
人間、腹が減るとつい気弱になるもんだよな。昨夜の『絶対牧さんをものにします』と、魚住さんにタンカきった自分とは思えないネガティブ思考だよ。
仙道は仕方なく起き上がると、小さい冷蔵庫を覗く。分かってはいたが、缶ビール以外は醤油とマヨネーズしかなかった。昨日着ていた脱ぎっぱなしのジーンズとシャツを身につけ、渋々とコンビニへと向かう。腹に何か入れて、せっかくの魚住さんのアドバイスなんかをきちんと思い出して、前向きに今後の牧さん攻略を考えなきゃと思ったから。


明るい日差しと心地よい風が仙道の頬を掠める。外に出なきゃいけなくなるような上天気。こんな時に牧さんを誘って釣りでもできたら最高だよな…。しかもその帰りに磯臭くなったから、銭湯でも一緒に寄れたりなんかしちゃったりしたら……。
そこまで考えて、たまにロッカー室でちらりと見ている、牧さんのパンツ一丁の姿を思い出して目頭が熱くなった。
駄目じゃん、俺。っつーか、嫌われてしまうことを恐れて、もしかしたら手に入るかもしんねー、あの!!あの姿をみすみすあきらめるのか!?ありえねーだろっ。
……違った。これじゃあ俺、肉欲だけの男みたいじゃん。あー、もう。腹の虫が煩せぇ。ろくな考え浮かばねぇや。


菓子パンコーナーで物色していると、ココア味のもちもちパンに目がとまった。細長くもっちりとしたそれは…まるで弾力のある彼の頬のようにちょっと見える。
思わず手にとってみる。けっこうズッシリ。まだ触れたことのない牧さんの頬。彼の頬はこれよりもずっとずっと滑らかだけど、きっともっと堅いんだろうな。
袋の上から突っつく。ふにふに…。もっかいふにふにふに……。あぁ…切ねぇなぁ。本物の彼の頬に触れたいよ。つか、丸ごと食いたいよ。

「それ、買うつもりなくても買えよな。そんなに突っついたパン、誰も買わないぞ」
左背後からかけられた声に、仙道は驚いて振り向き目を見張る。
「まっ…牧さんっ!?どうしたのっ、こんなとこで」
「立川達と明日のゼミで使うレポやってんだけどさ。気晴らしに飲み物買いにな」
牧の持っているレジカゴを覗くと、飲み物以外に菓子類が入れられていた。そうですかーと、返事をしようとしたら、腹の虫が仙道より先に返事をした。仙道の笑顔が少し苦笑に変わったのを見て、牧は軽く笑うと仙道の手からパンをとって自分のカゴに入れた。そのまま棚にあるパンを数個入れるとレジへ行ってしまった。
やっぱり本物の頬は格段に美味そうだぜ…。可愛い…たまらなくその笑顔が可愛い。どう見ても男らしい爽やかな笑顔が、俺にはキュートっつーのか、ラブリーっつーのか、そんな風にしか映らない。あー…。俺ってホント、何から何までどうしようもないや。

ぼんやりと牧の背を目で追っていた仙道に、今度は右背後から声がかけられる。
「…おい。デカイのがぼんやり立ってるな。邪魔だ」
この声は。今現在、俺にとって一番憎き恋敵、赤木先輩。自分の方が俺よりデカイくせに…ちくしょう、振り向きたくねぇけど、先輩に挨拶しないのはマズイ。耐えろ、彰よ。いつものどーでもいい笑顔をつくって振り向けっ。
「…ちわっす。どしたんすか?こんなとこで」
「買い物だ。どけてくれ、通れん」
このデカゴリラめ。んなの場所柄分かるっての。ん?ゴリラの持ってるのって、牧さんのデイパックじゃねーの?

赤木の背を見ていた仙道に、また右から声がかけられて振り向く。牧が小さいレジの袋を仙道に差し出した。
「仙道、これ、やるから。しっかり食って、少しシャッキリしろよ。後頭部、寝癖で稲妻走ってるぞ」
慌てて後頭部を左手で隠しつつ、右手で受け取る。中には数個の菓子パンと、小さいサラダ。
「いいんすか?サラダまで…」
「野菜も食えよ。あ、ゴミ付いてるぞ」
スッと伸ばされた牧の腕。仙道の耳付近の髪にあった小さい紙くずをとる。
「ほら、これもオマケだ」
紙くずもレジ袋に入れて牧は笑うと、じゃあなと言って歩き出した。

瞬間、仙道は動けなくなっていた。自分の頬に腕を伸ばされた気がした。
少し顔を上向けつつ牧さんが足を一歩踏み出した時、その頬に手を添えていいのかと思ってしまった。視線が少しだけ重なった気がするんだ。
キスを。キスをされるような、キスしていいような。
昼日中のコンビニで、そんな甘い一瞬があるなんて。


呆けていた仙道は、慌てて店から飛び出した。遠くに牧と赤木、それと数人のバスケ部三年のメンバーの姿があった。
あと一年早く生まれていたら、俺もあの中にいたのかもしれない。赤木さんが牧さんにデイパックを手渡している。ただそれだけのことすら、あの輪の中にいない俺にはできないこと。
悔しい。悔しいけど、さっきのあの一瞬は、絶対他の誰にも得られてないものだろう、と、俺は何故か確信していた。
だから、いい。
牧さんとタメの奴等なんか目じゃない地位を、俺は手に入れる。彼の腕も頬も唇も、全て手に入れてやる。

ごめんね、魚住さん。昨日もらったアドバイス、『ゆっくり、友達からいい関係へと少しずつ変化させていくんだ。焦るな。同性相手ってのは慎重過ぎるくらいで丁度いいと思うぞ。まずは親友の位置を目指してからだ』ってやつ。やっぱ無理みたい。
告白する。もう近いうちに。本当は今すぐしたいけど、そりゃ無理だから。
一度や二度ふられたっていいや。どうしてもどうしても欲しいんだから、手に入るまで何度だって告白すりゃいいや。どうしようもないことすら悔しがって、こうしてただ突っ立ってるだけなんて、俺らしくねぇ。好きんなっちまったんだもん、多少の…いや、かなり無様な自分もしょーがない。

風で下げていたレジ袋がカサカサと音をたてた。さっきの甘い瞬間を、今度は確実に手に入れろと囁かれた気がした。


六畳の立川の部屋にバスケ部六人は、流石に狭すぎた。最初は三人の予定が、赤木と牧のノートを一時に見れるというので、気づけば増えていたのだ。テーブルは小さいし、窓を開けても部屋がなんとなく男くさくて気分が悪くなってしまったため、気晴らしに外へ出たはいいが、部屋へ戻るのが嫌になっていた。部屋で食べるより、天気もいいので外で食べようとなり、近所の公園へと流れた。

点在する小さいベンチに、自然と二人ずつ座る。子供たちの遊ぶ声と頭上高く、青空に響くヘリコプターの羽音。のどかな日曜日の一風景。
牧は袋から菓子パンを取り出した。仙道が何度も突っついていたパン。同じように意味もなくふにふにと突っついてみた。『もちもちパン』という名の通り、大福のような弾力があった。
「食い物で遊ぶな。食う気がないなら、よこせ」
「あぁ、いや…。うん。食べる」
食べると言ったまま、袋を開けようとしない牧に、赤木は小さくため息をつくと、カラムーチョの袋を開けて勢いよく食べだした。

紙くずを取ろうとした時、瞬間、仙道の視線が…自分がその頬に少し触れてみたいと思っていたことを見透かしたような気がした。取ったあと、自然に俺は笑えていたのかな。妙にドギマギしてしまったのを、上手く隠せていたのかな…。
何も、言わなかった。仙道は瞬きすらしないで立ちすくんでいた。そのまま俺は逃げるように店を出たから、あの時仙道がどう思ったのかなんて知らない。…知りたいようで、やっぱり怖くて知りたくない。

「仙道、見てたな」
赤木に唐突に仙道の名前を出されて、牧はベンチから腰が浮きそうになるほど驚いた。
「え?何時?何を?」
「俺たちが店を出た後、俺達の方を向いてずっと立ってた。…多分、牧を見てたんじゃないかな」

本当はかなり遠目だったから、仙道が誰を見ているかまでは分からなかった。でも、仙道が突っついていたパンを買って、同じように突っついてる牧を見てしまっていたせいで、そう言ってしまった。
そして今、黒いからよく分からないが、神妙な面持ちで、多分少し照れているのであろう牧の横顔を見ていると。
「俺の憶測だが、仙道はお前に少し気があると思うぞ」
「えっ!?えええっ!??な、何を根拠に、そんな」
「憶測だと言っただろう」
「あ、あ、そうだな。うん。そうか」
「そうだ」
黒いけれど今度は真っ赤になっているのが分かった。憶測でものを言うのはどうかと思うが、言いたくなってしまうのだ。すまん、牧。けれど、多分、仙道はお前を気にかけてると思うんだ。それが先輩を慕う気持ちか恋心かは全く分からないんだが…。
あえて根拠を述べるとしたら…ただの俺の勘でしかない。そう言ってしまえば、牧はこんなに赤くはならすに済んだのだろうけれど。

牧は赤木がすすめてきたカラムーチョを断ると、パンをデイパックにしまった。ペットボトルの緑茶だけを黙って飲みながら、思考だけをせわしなく駆け巡らせていた。
店から出て、俺をみていたんだとしたら。仙道はやっぱり俺の邪まな気持ちに気づいたということだろうか。
それでもずっと立っていたというのは…。なんだか先ほどの赤木の当てにならない『お前に少し気がある』なんて言葉に押されて、勝手に都合のいい方向に考えてしまいそうになる。
そう考えてしまうと、自分のしたことがなんとなく計算のもとに行った行為に思えて、それもまた気恥ずかしい。ひょっとして俺は、無意識のうちに計算してたのかなぁ。仙道に俺の気持ちをほのめかそうとか、そういうたぐいの…。だとしたら、俺、かなりな切れ者なんじゃないか?

「なぁ、赤木」
「ん?」
「俺さぁ、物理とか計算系の科目、得意じゃないか。実生活に活かせていると思うか?」
「いや、全く」
「…だよなぁ」
「おう」

清水達が動き出したのを合図に、また六人はレポート作成とノートを写すために立川の家へと歩き出した。


最後尾を歩く赤木にだけ聞こえるように、牧は小さく言った。
「ありがとうな」
赤木もまた小さな声で応える。
「礼を言うのは早すぎるんじゃないのか?次は一段階ペースを上げよう。オフェンスに移るぞ」
「オフェンスって…」
「決まっとろうが。相手の状況を把握して、隙を見つけたら攻めに回らにゃ男じゃない」
「…なんでもバスケと同じにしないでくれよ」


赤木は立川と談笑する牧の後姿を見ながら考えていた。
人の恋路のせいなのか、それとも俺が早く牧の嬉しそうな顔をみたいからなのか。焦れったくてもどかしいこの状況の早期解決にむけ、ちょっと魚住にでも仙道の情報なんぞもらいに会いにいこうかな。三人寄れば文殊の知恵って言うからな。牧と俺と魚住。はっきりいって俺たち三人そろっても、あの奇想天外宇宙人ヤロウを捕獲できる知恵が浮かぶかは怪しいところだが…。
赤木は広がる青空を見上げると、二週間前に借りたDVDで、『MEN IN BLACK K』の構図を何故か思い浮かべてしまった。この場合、三人の中で誰が犬役になるかな…と想像し、少しだけ口の端で笑った。




冷蔵庫の中にはサラダ。
デイパックの中には菓子パン。

食べたいのに、もったいなくて食べられない。
けれど二人とも知っている。
もったいながって食べないでおいておくと、誰かに食べられたり腐ってしまうってことを。






*end*




赤木は牧をからかってるわけでもない(笑) 実は梅園、MEN IN BLACKシリーズ一度も観たことないの。
牧のブラックスーツ&サングラス姿を妄想したかっただけ。すみません☆

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