カナエルサ


「きりがない。もうやめだ。オーバーワークで体壊しても意味がないだろ」
赤木がディフェンスのため上げていた両腕を下げて言った言葉に、牧・仙道・米倉・濱田・柏崎がほほ同時に体育館の壁にある時計を見上げた。
土曜日はいつもより練習時間が早く始まる分、それだけ早く終わるのだが、仙道と同じ二年の濱田が久々に3on3をさせてもらいたいと言い出して、結局は通常の練習日と同じ時刻までやってしまったのだった。
だくだくと流れる汗を腕でぬぐうように払って柏崎が笑った。
「どいつもこいつもバスケバカばっかだよなー…って、俺もか」

シャワーを終えてロッカー室に戻ってきた牧を待っていましたとばかりに仙道が出迎えた。
「牧さん、これから映画でも観ませんか?濱田からシネマイレブンならどれでも無料で一本観れる券二枚もらったんす」
「もらったじゃねぇ、奪っただろ。ったくよー、今日の3onは途中で終わったから勝敗なんてなぁ」
俺がテメーに負けたんじゃねぇ、と続けてぶつぶつと背後で聞こえるように言う濱田をきっちり無視して仙道は続ける。
「今は…えーっと、恋愛ものとアクションものとホラーやってるんすけど、一番人気は恋愛もの。確か女優の…」
濱田はお先に失礼しますと牧にはしっかり礼をし、仙道にはイーッという嫌な顔を向けて二人のそばをすり抜けて出て行った。牧は軽い返事をその背に投げかけてから会話に戻った。
「恋愛ものは俺、苦手なんだよなー。アクションって、今何やってるんだ?」

二人が入り口付近でどの映画を見るかを雑誌を片手に話している横を赤木が通り過ぎようとして振り向いた。
「おい、牧。明日二時、忘れんなよ」
一瞬牧が『何だっけ』というきょとんとした顔を見せたので、赤木はため息混じりに扉を開ける。
「シネプレ。遅れんなよ」
「あ、ああ。うん。覚えてたって。分かってる。じゃあな、赤木」
赤木は絶対忘れていたくせにと言いたい気持ちもあったが、二人の邪魔をするまいと片手を軽く上げて無言で帰っていった。

仙道に話がそれてすまんな、と言いながら視線を戻した牧は、眉間に皺を寄せているその表情に驚いた。しかし牧のほうに仙道が顔を向けたときにはいつものニコニコとした表情に戻っており、牧は見間違いか…?と思いなおして雑誌に再び視線を落とした。



明けて日曜。天気は昨日に引き続き上天気であったため、夕暮れの時間になっても空は雲ひとつなく、綺麗なオレンジと薄桃とラベンダーがグラデーションを描いている。まるで一枚の大きな染め上げられたシルクの布で覆われているかのように穏やかに美しかった。街は日曜とあって人で賑わってはいたが、そろそろ夕食時になる時刻。子供連れの家族の姿は少なくなっていた。
そんな中、ひときわ目を引く大きな男二人が連れ立って歩いていた。
「だからね、絶対赤木さんは牧さんを狙ってると俺は思うんす。こないだのは牽制のつもりだったんすよ」
「違うと思うぞ」
「いーや、絶対そうですって。昨日だって映画の帰り、飯食ってからカラオケでもって誘ったのに『明日、用事あるから』って牧さん帰っちゃったし」
「それって何時の話だよ」
「…一時」
魚住は仙道の返事に大きなため息をついて首を横に降った。そんな時間まで一緒にいたんなら十分だろうがと言ってはみたが、仙道はそれもきいてはいないらしくぶーぶーと悪態をつき続けていた。

珍しく仙道から一週間前に連絡が来たときは何事かと驚いたものだったが。どうやら俺と赤木が親しいというのを知って相談にのらせようという魂胆らしい。いつもなら何事に関しても飄々としているくせに牧がからむとまぁ…と、魚住は口には出さなかったがそんな仙道を少し微笑ましく、そしてどこかあきれながら適当な相槌を打っていた。
全く昔からこいつはどこかちゃっかりしている。…けれど、滅多に人に頼ってこないこいつがと思うと。
「しょうがねぇなぁ全く」
「え?何が? うへ〜すっげ人出てきた。映画でも終わったのか…あっ」

俺を気遣っていたのはフリだけかよと突っ込みを入れようとした魚住の視界に、意図せず仙道が見ているものと同じものが飛び込んできた。
沢山の女性が感激の涙を滲ませながら興奮気味に出てきたシネプレックスの入り口付近。自分達と同じようにでかい男二人連れが一組混ざっている。暫く会っていなかったが大して変わっていないのですぐに気づいた。目元をこすりながら歩く牧を軽く誘導するように何かしら話しかけている赤木の姿。
二人は進行方向しか向いていないため、仙道と魚住には気づいていないようだった。

「ち…くしょ。俺が誘った時は恋愛ものは好きじゃないって断ったのに…赤木さんとなら行くのかよ」
低い仙道の呟きで魚住はハッと意識を仙道に向けた。しかしやはり表情を覗き込む気にはなれなかった。
二人が通行人の邪魔になりながらも突っ立っているうちに赤木と牧は信号を渡って行ってしまった。
仙道が魚住を仰ぎ見た。魚住が怖々とその顔に視線を落としてみると、意外に平然としている。ホッとしたのもつかの間。
「今晩の晩飯、店、変更していいっすよね?時間、まだまだありますよね?」
笑顔なだけに有無を言わせない嫌なオーラが仙道から噴出しているように思えて、魚住はぎこちなくただ頷いてみせた…。


牧と赤木が入っていったのはカレーのチェーン店、ココ二番屋だった。二人が入っていってきっかり三分後に仙道と魚住は背をかがめるようにして店に入り、二人に見えないように離れた座席に腰を下ろした。
明るい店内はカレーの香りがぷんぷんと漂い、はっきりいってムードなどは皆無な食事所である。魚住は思い切って口にすることにした。
「あのな。映画観て飯食ってってのは、ダチなら誰でもするだろ。気のせいだって。現に俺とお前だって今日会って、飯食ってるじゃないか」
「シッ!!魚住さん、声大きいって」
こっからじゃあ何を話してるか聞こえねぇと小さく舌打ちして仙道はメニューで顔を隠しながら視線だけを牧の座る席へと向けていた。
ダメだ…こいつ、今、かなりキてる。俺の話も少しは聞けよこのやろうが…と、魚住はうんざりしながらお冷を一気に飲み干した。

ふあぁあ…。また大きなあくびを牧がしている。瞳にはまた涙が少し滲んでしまい、シパシパと数回瞬きを繰り返す。食事のスピードも眠気のせいか、遅い。赤木はフクシン漬けをがっぱりと皿に乗せながら言った。
「せっかく俺が晴子からただ券を譲ってもらってやったというのに。これじゃちーとも勉強にならんじゃないか」
「だから言っただろ、最初に。俺は恋愛映画はどうしても途中で寝るからダメなんだって。妹さんにも悪いし…」
「お前、来た時から眠そうだったな。なんだよ、昨日はそんなに遅くなったのか?」
「ん〜。一時くらいだったかな。終電逃したから…それから歩いて帰って…家に着いたら二時半で」
赤木は何の気なしに言う牧の顔をマジマジと穴が空くほど見つめた。牧は確か昨日は仙道とシネマイレブンに行ったはずだ。となると、その周辺で飯を食ったとして。そこから徒歩で帰るのを覚悟で最後まで付き合ったというのかと思い至り…
「…牧…お前、本当に仙道が好きなんだな」
眠そうに目をこすっていた牧の顔が、しみじみと口にされた赤木の一言に一瞬にして赤く染まる。
「なっ!? わざわざ確認するように言わないでくれ!」
タクシー代がなかったんだよと呟き足したあと、牧はいたたまれなくなったのか真っ赤な顔のままスプーンで無意味にカレーをかき回しはじめた。

運ばれてきたチキンほうれん草カレーを口に頬張りながら魚住は『これ食ったら帰ろう』と、先ほどから何度も同じことを繰り返し考えていた。
大体、赤木が牧を好きなはずがない。あいつは小柄な女性が好みだというのを俺は昔から知っている。牧とはそれほど親しくしていたわけではないが、そうそうホモが巷にいてたまるか。それに百万が一、牧がホモだったとしてもだ。あんな堅物ゴリラに惚れるわけがないじゃないか。
「なぁ、やっぱり俺にはどうしてもお前の勘違い」
「あっ、牧さんが真っ赤になってる!!赤木さん、告ったわけじゃないよな!!くそー、気になるっ」
「おい、俺の話聞いてんのか?」
「はい? あ、カレー冷めるって?はいはい、今食います。うわ、危ねぇ、袖にカレー付くとこだった」
「……こぼすなよ」

もう200gご飯多目に頼めばよかったかなと腹に手を当てつつ赤木は視線を何の気なしに遠くの席へと飛ばした。
と。座っていても一目で分かるデカイ背中。その肩口からはみだして見える奇妙なツンツンと逆立てられている髪型。
「おい…牧。あれ、魚住と仙道じゃないのか?」
イカリングカレーなのにイカリングをよけて食べていた牧が『え?』と慌てて振り向いた。そして更に慌ててまた赤木に向き直る。
「魚住と仙道だよ!!な、なんであいつらがこんなとこに?」
「知らんわい。声かけてみるか?ん?なんでお前、イカよけてんだ?」
「…間違ってオーダーしたみたいだ、俺。伝票見てもトッピング、イカリングになってた。そんなことより、声、かけるなよ…」
それ以上言わずに牧は伏せ目がちにうつむき、黙って自分のイカリングを赤木の空いた皿に全部乗せた。
「食っていいよ、それ。俺は胸焼けでここんとこ揚げ物はどうも食えないんだ」
仙道は過去に男に恋愛感情を持った事があると知り、では自分にもチャンスがあるのではないかと思う気持ちと、こうしてまだ一緒に会って食事を繰り返す仲だと知って、忘れられないでいるのだというのを再確認してしまった苦い気持ちと。そして昨日自分に見せたあの屈託ない笑顔や楽しかった時間。全てがぐるぐると牧の頭の中を激しく駆け巡っていた。
赤木に打ち明け自覚した日から日増しに強くなってしまった仙道への想い。それらが牧の運動部所属特有の旺盛な食欲をすっかり失わせてしまっていた。
イカを食べながらそんな複雑で切ない表情の牧を目の前にしていると、流石の赤木も『イカリングはダメでもカレーは平気なんだな』とは言えなかった。

「あ、なんだよあのゴ…赤木さん。牧さんになんかもらって食ってる!!食うなーバカー」
「お前がバカだ。俺はそろそろ帰る。付き合っておれん。店の手伝いの時間もあるしな。飯代、ここに置いてくから」
あきれ果てた魚住が席を立とうとしたが、慌てて仙道が止めるように腕を掴んだ。
「待って、待ってよ魚住さん。俺が男に恋するようになったの魚住さんのせいなんだから、もうちょっと相談にのってくれてもいいじゃないっすか〜」
「人聞きの悪いこと言うな。俺までホモに思われる。あー、もう、いいから腕放せ。あと30分したら本当に帰るからな」

赤木のフォークを口に運んでいた手が止まった。視界の先には魚住の腕をすがるように掴んでいる仙道の姿。
「? 赤木?どうかしたのか?」
固まっている赤木をいぶかしんで牧がその視線の先に首を向けてしまった。が、ほどなく牧は赤木に視線を戻した。
「牧…。もう帰ろう。俺が会計しておくから先に外出てろよ」
試合の時と同じように胸のうちを隠してしきっている牧の表情が赤木には哀しかった。ポーカーフェイスの下にある感情を慮れない自分が歯がゆく、そして情けない。軽く頷いて財布を出した牧に赤木が言えたことは
「お前の胸焼けが悪化してるのを知らんでカレー屋に連れてきて悪かった。だから、今日は俺が奢る。先行ってろ」


店から赤木が出て行ったのを機に「俺達も出ましょう」と仙道が立とうとしたのを、今度は魚住が止めた。
「魚住さん?」
不思議そうに見返してくる仙道に魚住は子供に諭すようにゆっくり静かに話し出した。
「二人を追って、お前はどうする?どうしたい?」
「え…?」
「以前、熱狂的なお前のファンの女の子に連日追っかけられて辟易したって俺に零したこと覚えているか?…今のお前はそれと同じだよ。そりゃ、あの女の子はお前とは全くの他人だった。牧とは先輩後輩っていうだけでかなり違う。でもな…」
傷つき不安そうに曇った仙道の瞳に悲しそうな魚住の姿だけが映る。

みっともない、カッコ悪い、そんな行動をしてしまう自分なんて今までのこいつなら『んな自分、想像できねえ』と内心鼻で笑っていただろう。
普段へらへらとした笑顔でそつなく無難に上手く世間を渡る。俺にはできないその器用さの下に潜んでいた…いや、隠していたのかもしれないが、みっともない自分が表面に出てしまうほど。本気なんだろう。きっと、仙道にとって初めての本気の恋なのだ。俺に向けた幼い恋心なんてもんじゃなく。そうじゃなかったらこいつのことだ、即行俺にしたように牧に告って玉砕していたはず。
きっとバスケ以外でこんなに本気になったことなんてなかったんだろうな…。お前がやっと本気で人を想うということに気づけた恋であるならば。
なんとかしてやりたい。俺がしてやれなかったことを、牧が請け負ってくれはしないだろうか。図体ばかり大人で、器用さの分、人として大切な部分…心は子供のままのこいつを導き成長させてやってはくれないだろうか。

ふいと視線を外すと魚住は店員を呼んでアイスコーヒーを二つ注文した。少しした後運ばれてきたそれをみて仙道は遠慮がちに言った。
「俺…別にいらないっすから」
「いいから、飲んでお互い頭を冷やそう。そして今後の対策を練るぞ。…仕方ない、今晩はとことん付き合ってやる」
「魚住…さん?対策って?」
「どうやって牧に友達以上に想ってもらえるようになるかってこった。いいか、道は険しいぞ。女性なら簡単な話かもしれんが、相手は男だ。しかもあの真面目男。勝算は低いと肝に銘じて」
いきなりがっしりと仙道に手を握られギョッとして魚住は言葉を飲み込んだ。先ほどまでの不安げな瞳は演技だったのかと思えるほど眼前の仙道は楽しく嬉しそうな笑顔満面。
「魚住さん!!俺もあんたみたいないい男になって牧さんを絶対振り向かせてみせますから!!」
「手を離せっ。目標低過ぎだ馬鹿野郎。『俺みたいな』なんて思うとこから改めろ。お前はなぁ、そのままで」
ハッと魚住は言葉を止めたが、遅かったようだ。もう仙道はいつも通りの余裕を取り戻していた。暫く会わないうちに忘れていた。そう、この男は天下無敵のポジティブシンキングだったんだ。

もういつものにっこりとした余裕の笑顔を浮かべながら楽しそうに仙道はアイスコーヒーを飲んでいた。
面白くなく感じて腕組みをして唸る魚住に明るい声がかけられる。
「牧さん攻略法を考えるためにも、早く飲んで店変えましょう♪ あ、魚住さん、親父さんに今日行けないって連絡いれないと。ほらほら」
結局は気づけば仙道のペース。魚住はあきらめ顔で携帯を手にした。



揺れる電車の中、向かいの座席のガラスに映る赤木の表情に元気がなくて牧は笑った。
「赤木がそんな顔するなよ。俺は大丈夫だから」
「…なぁ、牧よ」
「ん?」
「恋愛にも教本とかあればいいのにな。それか明確なルールとか」
真面目な顔で言ってくる赤木に、最初は笑って飛ばそうかと思った牧であったが、自分を思っての言葉なのだからと真面目な返事を探すことにした。
人気の少ない車内。ガタゴトと響く音と振動。黒いビルや家と黒と濃紺のグラデーションの空が流れていく。それに重なるように映る自分と赤木の半透明な姿をぼんやり見つめながら牧は小さく呟いた。
「…なにもないから、いいのかもな」



先攻後攻もない。
勝ち負けもない。
判定だってない。

解っているのに、たった一人の相手にただひたすらに真っ直ぐ伸びていく止められない想い。



「いつか叶うさ」
全く違う場所で呟かれた赤木の一言と魚住の一言は同じだった。そして牧と仙道の返事もまた同じ。
「叶えてみせるさ」

明日じゃないけれど、遠くはない先に。
恋も願いも夢も。いつだって叶えることを前提に胸に宿すものだから。







*end*




ご要望により続けてみました(笑) 原作の仙道なら絶対しなさそうなことをさせちゃった☆
でもこれはバカ牧とバカ仙道で通そうと思います。魚住以外バカばっかり(笑)

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