心で祈ってる


「すまんな、俺の都合でこんなに延びてしまって」
魚住が配られたお絞りを三人に手渡しながら周囲を軽く見渡しつつ苦笑いを零した。
「全くだ。先月俺は釜飯を食えるのを楽しみにしとったのに結局流れてしまったし。仙道、一ヶ月延びたからって奢りには変りないんだろうな」
赤木は口調とは裏腹に嬉しげな表情でメニューを眺めながら仙道にふった。
「今日は飲み放題コースにしませんか?ここにいるメンバーで酒弱いのいないんだもん。飯代なら奢れるけど、酒代は…」
自分の財布の中身を確かめようとしだした仙道を見て魚住・赤木・牧は同時に噴き出した。

約一ヶ月前、魚住の経営している居酒屋「魚心」で仙道と赤木が交わした約束。仙道の奢りで四人のメンバーで食事をしようという話の詳しい事情を聞いていないまま誘われた魚住は不思議そうに仙道に訊ねた。
「お前に奢ってもらえるってのは赤木から聞いていたが、どうしてそういう話になったのか教えてくれよ」
牧も魚住の質問に同様だという様子で頷く。仙道は少し困ったように頭をぽりぽりとかきながら、上手い説明を考えていなかったと内心焦っていた。
「あー…。ええとですね、話せば長くなるような長くならないような…」
「「どっちなんだ」」
魚住と牧が同じツッコミを同じタイミングでしたのがおかしくて、四人は顔を見合わせるとドッと笑った。
その時注文していた大皿料理が運ばれたため「理由より先に飯だ。腹が減った」という、赤木のもっともな意見に皆一斉に箸を手にした。


中華は人数が多いほど品数を頼めるというのが魅力だ。一皿の量が多くても男四人、まして一般より遥かに大柄な四人が揃っているのである。来る皿来る皿いっそ気持ちがいいほどのスピードで空になっていく。それに反比例するかのように、卓上には空のジョッキや少し甘めの中国酒の空瓶が増えていった。

魚住以外の三人が酔いが回った赤ら顔になった頃、最後にライチシャーベットが一皿運ばれてきた。
「あれ?こんなの誰か頼みました?別のテーブルのじゃないのかな…」
仙道の言葉に赤木と魚住が笑った。
牧は黙ってその皿を手元に引き寄せる。赤木は牧と魚住と三人で食事をするときはいつも、終わり近くではこんな感じなのだと仙道に説明した。
「牧はこんな顔してお子様だからな。ラストは必ず冷たい系のデザートでしめる。これを食わんときは」
赤木の話を魚住が継ぐ。
「飲み足りないか食い足りないと言ってもう一軒付き合わされるんだよな」
「『こんな顔』とはなんだ。赤木と魚住よりは俺の方が若く見える。それに、お前らなんて桜木に言わせれば“猿人”扱いじゃないか。“ジイ”の方がまだマシだ」
赤い頬ではあったが涼しい表情で悪態をつくと、牧は丸いシャーベットにスプーンをさそうとした。が、ムッカリした顔で赤木は牧からシャーベットの皿を奪い、魚住はそれを受け取ると箸の後ろでザクザクと形を崩す。
「やめろって!返せよ。あ、あ、俺のライチシャーベットが…。酷いぞ、お前等こそ大人気ないじゃないかっ」
牧の元に戻されたシャーベットは魚住の巧みな箸さばきのおかげで平らな星型になっていた。仙道は笑いながら料理の皿に残っていた飾りのチェリーをとってシャーベットに添えつつ「…お子様ランチについてくるシャーベットよりは大人仕様すね」と呟いたため、赤木と魚住だけではなくとうとう牧まで笑い出した。

シャーベットが残すところ三分の一となった時、牧の携帯が鳴った。マナーモードにし忘れていた、と慌てて開くと牧は急いで席を立った。賑やかな店内だったため、別にここで話しても問題はないのであろうが席を外す。

牧の背中が見えなくなってから仙道は小さくため息をついた。
「…二人が羨ましいっす。俺、牧さんが食後にシャーベット頼む人だって知らなかったもん」
「? プリンやアイスの時もあるぞ」
赤木の返答にまだ酔いが他の三人ほど回っていない魚住は「違うだろ」と突っ込む。
「どうした、仙道?何で俺たちが羨ましいんだよ。お前だって牧と二人で俺んとこでよく食事していくじゃないか」
仙道は魚住に視線を置くと、淋しげに小さく首をふった。
「…一緒に食っても…デザートなんて頼んだの見たことなかった。からかわれて拗ねて悪態つく“まんま”な顔とか…初めて見たかも」
「黙っていると強面なあいつをからかえる奴なんて、そうはいないだろ。だからじゃないのか?」
「赤木は黙っとれ。お前なぁ、酔いすぎだぞ。これでも飲んでろ」
お冷を赤木に差し出しつつ、魚住は仙道に向き直る。
「お前等、仲がいいもんだと俺は思っていたが。違ったのか?」
「同僚兼後輩ってだけだったんす、俺。今まではずっとホント、それだけで…。まだ付き合い始めて一ヶ月の俺にはまだあんな顔、見せてくれてないんですよ…」
魚住と赤木は互いに顔を見合わせた。今の発言は冗談なのかと訝しげにまた同時に仙道の顔を見たが…ちょっと悲しげな表情の中には普段のふざけた様子はなかった。

「赤木さん、魚住さん。俺、二人にお願いあって今日奢る気でいたんだ。だから最初の話の安い釜飯じゃなくて、中華に格上げしたんです。聞いてくれます?」
二人が黙って頷いたのを見て仙道はゆっくりと、しかしキッパリと言った。
「単刀直入に言います。俺と牧さん、一ヶ月前から付き合ってるんです。俺達、晴れて恋人同士になっイダッ!!!」
ゴツッという鈍い音と仙道の短い叫び声に続き、三人の頭上から牧の怒声が降ってきた。
「何を言ってんだ!!嘘つくな!!」
わなわなと拳を震わせて真っ赤な顔で立っている牧を慌てて赤木が座らせる。落ち着け牧、と魚住が「どうどう」となだめる。それに逆らって牧が小さく叫んだ。「『どうどう』じゃない!俺は馬じゃないぞ!!」

仙道が涙目になった目をこすりながら牧に視線をよこしてきた。
「…嘘じゃないじゃないすかー。つか、いつ戻ってきてたの牧さん?どっから聞いてたの?」
「『単刀直入に』からだ!他に俺のいない間に何を言ったんだお前は!?」
「何も言ってません」
「嘘つけ!!」
「『牧さんが俺に付き合ってくんなきゃ死んじゃうって言った』って話してました」
「んなわけあるか!!嘘言うな!!」
「……さっきは『嘘つけ』って言ったくせに。だから嘘言ったのにー。怒っちゃイヤです。あ、これは嘘じゃないですよ〜」
赤木も魚住も仙道の切り返しに、牧に悪いと思いつつ堪えきれずブッと吹きだした。牧の顔が怒りなのか焦りなのか更に赤く染まる。
「こっ…こ…この野郎っ!!」
牧の渾身の一撃が振り下ろされそうになった瞬間、魚住は牧の右腕を掴み、赤木は逃げようとしない仙道を自分の背に隠すようにかばった。
「落ち着け、牧、殺す気か? お前変だぞ。こいつのくだらん冗談に本気で怒る奴がいるか。ムキになるほど返って変だぞ?」
「そうだ。さっきの電話は何だったんだ?仕事か?」
二人の冷静な言葉に牧は我に返ったらしく、慌てて腕時計に目をやる。
「そうだった。妹が昨日から泊まりに来てるんだ。あのバカが台所でとんでもないことをやらかしたらしい。説明はまた今度する。すまんが俺は今から帰らせてもらうから」
慌てて椅子に置いてあった背広を羽織ると牧は財布を取り出そうとして動きを止め、仙道の方を向いた。
「…今日はお前の奢りだったよな。ご馳走様。赤木も魚住ももう腹いっぱいだろうし、お前も酔い過ぎだから、一刻も早くお開きにした方がいいぞ。くだらない冗談言ってないで自分の財布を心配しろよ」
言外に『さっさと解散して、余計なことは話すなよ』と言っているのが丸解りの、釘だらけな台詞を冷たい笑顔と共に仙道に刺すと、牧は足早に店を出て行った。


テーブルに残されたシャーベットがすっかり液体になった時、ようやく赤木が口を開いた。
「嵐が去った気分だ…」
魚住は頷きながら仙道をちらりと見た。
「あれだけあいつが取り乱して怒るってことは…さっきの話は本当だってことなんだよな…」
「やっぱりこないだのアレは…本当にしてたんだな。角度ではっきりは見えていなかったんだが」
「? 何だよ、こないだのあれって。一人で俺より先に納得してるなよな」
「こないだのは…まぁ、思い出したい話でもないから触れんでくれ。詳しく知りたいなら、後で仙道に聞けよ」
赤木と魚住の会話が、仙道に戻ってきた。仙道も苦笑いを浮かべながら曖昧に頷く。
「お二人に俺たちの関係を…こういうの、カミングアウトって言うのかな。とにかく、バラしたってのは。お願いがあってなんす」
頭上にある凝った形のライトの黄色味を帯びた光が、座りなおした仙道の端正な顔を微妙な陰影をつけ縁取る。店内のざわめきも、吸い取られてしまったかのように不思議な空間がそこにあった。魚住も赤木も、ただ静かに頷いてみせた。

「まだ牧さんは赤木さんや魚住さんにバレてないと思ってるし、今はそれでいいと思ってるようなんです」
何かの説明をするかのように、淡々と仙道は事務的な感じで話し出した。極力感情を挟まないようにしようとしているのが感じられ、赤木も魚住も相槌の言葉はうたなかった。

何事にも慎重で真面目な牧は、ずっと周囲に自分達の関係を話さないでいようと思っている。それが大切な友人であればこそ、失いたくないという想いから、殊更に慎重に巧みに隠していくだろう。実際、それをやっていける強さもある。なんといっても長年仙道にすら自分の想いを隠していられた人だ。あんな機会がなかったら一生隠し通すつもりだったのだろうその本気になった牧の精神力には恐れ入る。
しかし仙道というパートナーを得たことにより生じる不安や様々な障害などがこれからはあることは容易に予測はつく。
仙道にだけは言えないということも出てくるだろう。そういう時に、誰にも相談をできないというのは。

「俺、怖いんす。牧さんは強いから、一人で全て抱え込もうとするだろうなって。強い人ほど…自分が折れちまうとこまで頑張っちまう。硬いものほど、何かふとしたはずみっつか衝撃でパキンッって折れちまうもんでしょ。だから…」
「でもな、あいつは俺たちに知られたくないんだろ?逆に俺たちから『知ってるから何でも言ってこい』って言ったら…傷つくんじゃないのか?」
腕組みをしたまま魚住が言った言葉に、仙道は頷いて言葉を続ける。
「うん。だからね、今日みたいに少しずつ、四人で会ったときとかに俺がなるべく自然に、牧さんとの関係をバラす感じの話をしようと思うんです。牧さんは慌ててきっと今日みたいに否定していくだろうけど。そのうち頃合見計らって、バレちゃったーって感じにしたらどうかなって」
「まどろっこしいな。もっとさっさといかんもんか?なぁ、魚住」
「…俺たちにそういう偏見はないというのをさりげなく伝えられればいいんだよな…でもどうやって…」
「すんません、俺のワガママで。急な展開過ぎて、牧さんが俺との関係ごとヤメにしようとしたらって…。恥ずかしいんすけど、俺、まだ自信もてなくて。あー…何だかんだ言ってっけど、結局相談とかかましたいのは俺かもしんないっすね、ははは、カッコ悪ぃ」
少し淋しそうな仙道の笑顔が魚住と赤木に告げていた。始まったばかりで…まだまだ不安だらけなこの恋の脆さを。
「お前のワガママは高校時代から嫌というほど味わってる。そんな顔すんな。こちとら慣れっこだ」
魚住に賛同するように赤木もまた頷いてみせた。

でかい男三人が腕組みをして、『うーん…』と、長い間唸りを入れている様子がよほど異様だったのか、店員がやってきて恐る恐る訊いてきた。
「…お客様…ラストオーダーはいかがなさいますか?あのぅ…何か当店で問題などございましたでしょうか…」
ハッとした三人は周囲に目をやると、あれほど賑わっていた客足も途絶え、店内は自分達以外には二客ほどしかいなくなっていた。
慌てて腕時計を見ると魚住が立ち上がり「いえ、すみません。注文はもういいです」と軽く頭を下げた。立ち上がった魚住の大きさにまた店員は驚いたらしく、引きつった笑顔をみせ後ずさりをしながら「では、失礼します…」と怯えつつ去っていった。



地下鉄までの帰り道。雲の流れが早い夜空を背負った仙道は二人に軽く頭を下げた。
「…ありがとうございます。ホントはさ、お二人に『気持ち悪い』って嫌われたらどうすっかなーって思ってたんす。もしそうだとしたら、牧さんが傷つくから、俺も冗談で通そうとは思っていたんですよ。すんませんけど…これからもどうぞ宜しく…」
「これから始まったばかりのことだろうが。しっかりしろ。水臭いことなんて言ってんな。何でも俺たちには隠さずに言え。お前こそ、牧よりは要領がいくらかいいけどな、カッコつけて一人で背負いたがるとこあるからな。今日で学んだろ、頼るべきとこは頼ってこい」
バコンと仙道の腰を魚住が大きな掌ではたいた。それは昔、試合中に檄を入れるときに魚住が仙道に何度かしてくれたこと。
赤木が仙道の頭に大きな掌を乗せて、軽くぐしゃぐしゃと撫で回した。これは昔、赤木が桜木を力づけるためにしていたことだというのは仙道は知らない。
「お前が真剣に牧を想ってると分かった以上、俺たちが応援しないわけがなかろう。二人で何でも抱え込むなよ。時間はかかるかもしれんが、牧が俺たちに関係を話そうと思うようになるまで、気長にいこう。なに、すぐに何か問題が起こるわけでもないわ」

何年ぶりにされた魚住の檄の一発。痛いほど力強く撫でてきた赤木の手。
『牧さんをこれから守るのは俺だけなんだから』と、気付かずに気負っていた自分の肩から力が抜ける。
やっと手にした大事な人を守れるのは自分。誇らしいその役目を誰にも譲る気なんてもちろんない。
けれど、フォローしてくれる人達がいて、その強さがこれほど嬉しいものだなんて。
早く牧さんに教えたい。俺達は二人ぼっちじゃないってことを。
そして話したい。俺達もまた、いつか彼らのフォローができる存在になりたいねって。



仙道の携帯が鳴った。
「はい。…ホント?…うん、うん。じゃあ、牛乳買って帰るよ。他は?…ん。了解。寝ないで待っててね。じゃあ、また」
携帯を閉じると、右頭上から魚住のため息。左からは赤木のうんざりした苦笑い。
「さっさと牛乳買って帰れ。牧が寝る前に。あいつは夜更かしが苦手なんだから」
「あ〜あ。俺も彼女欲しくなってきた。おい、仙道、今度良さそうな独身女性がいたら、俺の店に連れて来い」
二つの大きな掌が左右から仙道の背中を同時にどんと押した。
「さ、行け。今度また近いうち四人で飯でも食おう」
仙道は軽く片手を挙げて走り出した。が、すぐにくるりと戻ってくると、魚住と赤木の手をぎゅっと握ってニッカリ笑った。
「次は、ワリカンで!! また連絡入れます」


走り去る仙道の紺色のコートの背が信号を渡って角を曲がり見えなくなってから、魚住がボソリと言った。
「…なんだかんだあるようだが、幸せそうでムカつくな。おい、俺んとこで飲みなおすか?」
赤木はちらりと魚住の顔を見上げてニヤリと笑った。
「仙道のツケにして、飲みなおすんなら付き合うぞ」




特別なことはできないけれど 幸せであるように 心で祈ってる。








*end*




店名「魚心」の由来話をしたいのに、なかなかその機会が作れないで困ってます。チェッ☆
牧に妹がいる設定にしてみました。今度それも書きたいんだけどにゃ〜。

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