once more


晴れているというのにどこかうっすらとグレーの空が覆う街に二人は来ていた。電車に乗っている間も用事を足している間も、仙道は浮かない表情。牧もまた人込が苦手なため、少し疲れた顔をしていた。
慣れない場所で歩き疲れた頃、ようやく粗方の用事も済んだため、目に入った小さなカフェの二階窓際席に腰を降ろした。


「いい機会…。そう思うようにしないか」
仙道は驚いたように顔を上げたが、それに牧は無反応のまま穏やかにカップの中身を眺めるように少し持ち上げた。
「俺は、昔の自分に少しだけ…嫉妬している。お前と出会った頃の俺は、世間知らず故の自信といえばそれまでだが、自分の強さを信じていた。自分も、お前も、そして自分の周囲にいる者も…支えていける自信があった」

紅茶をゆっくり一口飲み、牧は相槌もうたない仙道を気にする風もなく、ゆうらりと動く湯気だけを見て、独り言のように続ける。
「先日な、ちょっと…院内でゴタゴタがあってな。情けなく俺は自室に戻った時に頭を抱えながら、『お前が会いに来てくれればいいのに』と、そればかり思っていた」
「…いいじゃん。なんで呼んでくんないんすか。いなかったら合鍵で俺ん家で待ってくれてたっていいのに」
ゆっくりと左右に頭を振る牧の瞳は伏せられており、仙道にはそれが少し遠く、もどかしく感じられた。

寒そうに背を丸めて歩くカップルや、風を受けて揺れる見慣れない街路樹が暖かい店内の窓ガラスの向こう、眼下に音もなくゆっくりと流れていた。

瞳を伏せたまま、牧は静かに一言一言を考えながら話す。
「それこそ大きなゴタゴタであったなら、それも仕方がないかもしれない。けどな…。本当に、恥ずかしいほど…落ち着いて考えれば些細なことだったんだ」
仙道は小さく「俺はそれだって別にかまわないし、嬉しいけど」と正直な気持ちを呟いたが、牧は軽い口元だけの笑みでかわした。
「気付いたんだ。いつの間にか俺はお前に支えてもらうことが当たり前になってしまっている自分に。…怖いもんだよな」
じっと牧を見つめながら仙道はそれの何がいけないのかという訝しげな顔をしてみせた。頼りにされたいと願い、また、自分も頼りにしている眼前の男は何が不服というのだろう。恋人同士である自分達がそうであっていけない理由なんてあるのだろうか。
仙道は問いかけようと唇を開いたが、ようやく牧が自分に視線を合わせてきたことで、タイミングを逃して言葉を止めた。

「かっこ悪い話をしちまったな。まぁ、それはおいといて。とにかく、いい機会だ。俺にとっても…お前にとっても。距離を置くことは」
一瞬、仙道の表情が険しいものに変わった。遠距離が苦手な俺達だから、こうして同じ大学を選んだはずではなかったのか。もうそうは思わなくなってしまったとでも言いたいのか?

寂しさよりも怒りに似たものが仙道のテーブル上に置かれていた右の拳を微かに震わせた。その拳を包むように牧のあたたかな掌が静かに覆う。
「そんな顔をするな。…今のお前だって、そうだ。今の俺達は互いしか見えていないんだ」
「…それのどこがいけないんすか?遠まわしに言うのやめてよ。俺はバカなんだから」
睨みつけてくる仙道に牧は軽く笑った。別にお前はバカじゃないと牧は呟いたが、仙道の剣呑な瞳の色は変わらない。仙道の拳の震えが止まったのを見計らって、牧は自分の手をカップに戻した。飲むでもなく、ただ手を添える。
「遠まわしにというより…俺も上手く言えないだけなんだ。でもこれだけは言える。今の俺達は…互いに依存し過ぎだ。辛い事や苦しい事を助け合って乗り越えるのが悪いとかじゃない。そうじゃなくて…。自分だけで乗り越えられることまで、互いの手を借りようとしてしまう。それも無意識に」
身に覚え、あるだろ?とふられて、仙道は暫し考え苦々しく頷くと、そのまま視線をテーブルの上に落とした。

「…でもさ、俺は…牧さんに頼られたいよ?」
「そこだ」
「へ?」
牧の即答に仙道はきょとんとした顔を上げた。牧は背もたれに背を預けると、腕組みをして頷いてみせた。
「それだよ。俺もな、お前に頼られるのが嬉しいからこんなになるまで気付かなかったんだ」
またしても牧はうんうんと頷くと、まだ不思議そうに見つめてくる仙道に苦笑いを返した。


どちらも互いを守って守られてという状態の心地よさに浸りすぎて、自分自身を深めていくことも高めていくことも放置している。まだ今はそれでもやっていけている。
しかしこれから先もずっと二人で生きていくためには、互いがもっと人間としての深い成長をしていかなければ、社会に出て増していく困難を乗り越えてはいけなくなる。
自分でできることは自分でする。その基本的な行動基盤が揺らいでは、何事があったときに支えたいものも支えられなくなっているのではないか。
互いにライバル兼恋人になったばかりの頃は、必要とされたいと思う気持ちと負けたくないと思う一心で遠距離の不安を超えてきた。それによって少し成長できていたものが、今は形が崩れ、いつのまにか気持ちよく甘えた関係にどっぷりと浸かっているだけ。
競う場所は変わっても、人間として競いあいたい。何より一番大切な存在に誇りに思ってもらえる存在でありたい。
そのためには、もっと周囲をみて周囲にもまれて、自力で考えて決断して実行する。己に自信を持てるようにならなければいけない。

昔の自分に嫉妬するだなんて無様な思いはもうごめんだ。誰よりもどんなことからも、必要としたときに本当の力になれる俺でありたいから。

愛で変わるものもある。でも愛だけじゃ変わらないものがある。だからこそ自分に強さを得なければ、これから先…遠くない俺たちの先にある大きな困難を越えていけない気がするから。
ずっと、一緒にいるために。距離──物理的な距離を今一度置くことが、これからの自分達に有益な先なのだから。それを選ぼう。笑顔で。
心はもうこれ以上ないほど重なっているから、以前のような不安はない。
強くなろう。それこそあの時よりももっと強く誇れるように。そうして、また近くにいれる機会ができたときに。互いが傍にいることがプラスとなれる、成長した俺たちであるよう信じて。今は離れることをいい機会と思おう。
“そのままの自分”や“あるがままの自分”を認めるだけのぬるい関係はいらない。そのままやあるがままの自分なんて、そんなもの当たり前のことだ。ただの基礎でしかない。人間なんて磨いてなんぼだろう?その努力を放棄した自分達をずっと愛していけるなんて思えない。

仙道にきている沢山のスカウト。客観的にみて一番仙道らしく頑張っていけるであろう場所は。
俺が一年後に選択せねばならない研修の場。将来俺が望む医師になるために進む一歩となる、新しい場所は。
同じ場所ではないのだ。そんな当たり前のことから目をそらして続ける関係が、この先の自分達をよりよい形へと導くはずもない。
互いが輝ける場所は一緒ではないことを認めよう。


部分的にかなり端折った形で説明したため、上手く仙道に伝わったかがかなり怪しいところだ…と、牧は不安に思ったが、仙道の表情は穏やかなものに変わっていた。
仙道はゆっくりと冷め切ったコーヒーを飲み干すと二カッと笑った。
「…牧さんの言いたい事、解ったよ。自分で選んで道を進んで、もっと男を磨けってことでしょ? んで、もっと惚れさせてくれってんだよね」
牧の片眉が嫌そうに上がる。そんな話に伝わってしまったのかと、次にはガックリと肩を落とした。違う…かなり違うような気がする…説明を省略し過ぎたか…?俺はそんな話をしたかったわけじゃ…。
「いや…どっちかというと俺が自分に磨きをかけねばと思ったんだが…」と、ボソボソと項垂れたまま話す牧の追加の言葉を仙道は軽く笑い飛ばす。
「牧さんはそれ以上いい男にならなくていいよ。そうだなぁ、変わるんだったら、もうちょっと駄目な男に変わってよ。俺がちょっと駄目男になった牧さんを養っていけるほど甲斐性ある男になるからさ」
項垂れていた頭をさらに重そうに牧はテーブルにゴツと落とした。通じていない…俺の言いたい事の半分もと、バカバカしくも涙が出そうになって鼻がツーンとしてしまった。自分の説明下手に嫌気が差す。
「俺がこれ以上駄目男になってどうするよ…。甲斐性ってのは…研修医と実業団に入るお前とじゃ天地どころの差がでるようになるけれど…」
自分の発言までもが先ほどの話の本質から逸れていくようで、牧はがっかりしてそのまま言葉を止めた。

テーブルの上にある牧のブラウンの頭の上に、そっとあたたかな手が乗せられた。そのまま静かに優しくなでてくる。
その手が伝える。本当は牧の言いたい事を理解していることを。けれどそれをあえて濁しふざけた形の返事しかしなかったのは。
「…先に、牧さんに言わせてごめん。俺、やっぱ神奈川の籐芝を選ぶよ。自分のために。そして成果を出し終えられたら…迎えに来させて下さい」
牧が上体を起こして仙道に向き合う。そこにあるのは、仙道の真摯な瞳。牧は知らず口元がほころんだ。
「お前が成果を出し終えられるって、いつの予定なんだ?俺はそんなに気が長い方じゃないぞ?」
いたずらっぽい瞳で見返す牧に、困ったように今度は仙道が「牧さんの意地悪〜」と唸りながらテーブルに突っ伏した。

「大学はお前に追ってこさせたが…今度は、俺がお前を追うことになるんだな」
ガバッと仙道が顔を上げる。牧はしっかり頷いて言った。
「俺は、来年設立される神奈川の病院に入りたいと思っていた。そのために必死になってそこを目指せる権利を手に入れてみせる」
仙道の目が大きく見開かれ、それからゆっくりと照れくさそうに頬を軽くかいた。
「…なんだぁ、良かった〜。結局数年くらいでまた一緒に。それこそ今度は一緒に暮らせるんじゃん。牧さんってばホント意地悪いって」
「意地悪くなんてない。数年の間に互いにしっかりした奴になっていようって話をしたかっただけだ。お前が無理やり大学病院に近い場所を選択しようなんて迷った素振り見せるからだ。第一、お前が籐芝を考えていたことなんて初耳だ」
「それにしてもさぁ。牧さんの口ぶりじゃあ、軽く十年以上は会うのも大変になるってな感じだったじゃない〜。だから俺、ビビって…」
仙道の言葉に、牧は瞬間カァッと頬を染めた。言葉を止め、そっぽを向いている赤く染まった頬を見ながらちょっと考えて、すぐに同じように仙道も頬を染めた。
「ごめん…。俺、謝ってばかりだね、今日。 待ってるから。今度は牧さんが迎えに来て。俺も気が長いほうじゃ全然ないから、なるべく早く…さ」
黙って頷いてみせた牧の頬は、やはりまだほんのり赤かった。

会えない時間の長さを忘れてしまうほど幸せばかりを見ていた俺は、かなりカッコ悪いと自分でも思う。幸せボケしちまってる俺じゃ、魅力ない。牧さんが昔の自分に少し嫉妬する気持ち、分かるよ。俺も昔の方がもっとカッコついてた気がするもん。悔しいけど。
追ってきてもらえるような男になんなきゃ。牧さんは会えない時間の長さも一緒にこれからも生きていく時間も、全て視野に入れている分、俺なんかよりずっとずっと…先にいってるってことなんだ。
幸せボケを返上するべく、ちょっと自分に厳しくいこう。自信もって自分を好きでいられなきゃ、あんたに好いていてくれなんて言えないもんな。
今日、その赤く染まった頬に誓うよ。あんたと知らずに開いてしまったリーチを埋める。そして…越してみせる。



店を出ると、少し先の通りで何事かあるらしく人込みが急に増えており、二人は自然と人波に流されて離れてしまった。しかし視線をめぐらせると互いの高い身長のおかげで位置はすぐに分かった。仙道が人差し指を左手のビルに向けたのを見て、牧は頷いてみせた。
人込みは若い女性の比率が高く、彼女達が興奮気味に話している内容が耳に聞きたくもないのに飛び込んでくる。どうやら人気ROCKバンドのゲリラライブが行われるらしく、今セットが組まれているという状況のようだ。用事で出てきた久々の東京でこんな場面に出くわす事は、通常はラッキーというものなのかもしれないが、二人にとっては面倒事でしかなかった。

慣れない人込みに辟易しながらなんとか目的の地下鉄があるビルまで別々のルートでほぼ同時にたどり着く。互いの姿をみやると、どこかヨレヨレになっていて、二人は大きなため息をついた。
「…これからの俺たちも、こんな感じなんでしょうかね」
軽く肩をすくめて、乱れた前髪を少し直しながら仙道は不敵に笑った。
「そうだ。だから俺はもう、不必要に心配しないから、お前もするな。俺達は、大丈夫だ」
牧もまた自信たっぷりに口元で笑い返す。
久々に作れた互いの笑みの形は、昔の自分たちが消えていないことを示していた。それが無性に嬉しかった。

「用事がすんだら、お前の就職祝いって名目で、今夜は飲もうか」
「や、それはちょっと早いんじゃないすか?先方にまだ俺、返事もしてないから…」
「『から』?」
楽しそうに覗き込んできた牧を仙道は軽くひっぱって柱の影に引き込む。そして牧の予想通りであろう返事と短いキスを贈る。
「これからの俺たちの前途を祝いに行きましょう!」



帰宅ラッシュの波なのか、地下鉄駅構内もまたしても黒々とした人込みで埋め尽くされていた。自然と二人の間にはまた距離ができる。

手を引くことも、手を引かれることもなく。別々のルートをたどっても。いつしか必ず同じ場所にたどり着ける。
いつしか互いの道が交わることは必然であるから。
だから行こう。今はそれぞれ別の道を。

一緒にいるために。








*end*




社会に出る前、色々悩むお年頃。恋愛ボケした頭をシャッキリさせて、いい男になれよ(笑)
またまた遠距離恋愛が始まります。でもすぐ一緒になるんだけど☆

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