アホでケッコー


おかしい。何があったんだろう。何でこんなにご機嫌なんだろうか?

俺のほうが仕事が早く終わったから、飯でも作っておこうかなと思った矢先。珍しく牧さんからメールが入った。
メールには『遅くなるが、惣菜を買って帰るから、晩飯は作らないでいい』だなんて。いつもなら遅くなる日でも滅多にメールなんてこないのに。来たとしても『遅くなる。すまん』で終わりなのにさ。

家に着いてお言葉に甘えてくつろいでいたら、両手にデパートの惣菜や菓子が入ったような袋(多分、いつもの貰い物)を下げて牧さんが帰宅した。軽いいつもの挨拶の後、着替えるなり『ああ、俺がやるからお前は座ってろ』だなんて言って手際よく温めはじめ、すぐにテーブルを賑やかにしてくれた。いつもなら『ぼんやりしてるなら手伝え』と言われるのに、やっぱり変だ。
食事中も牧さんは終始ご機嫌。何か良い事あったのかと訊いてはみたけど『別に』と言うだけ。


そして今。俺は牧さんの膝の上に頭をのせて、耳掻きをしていただいている。気持ちいい…v

……うっ。 すっかり気持ちよさに思考が止まってしまった。
そう、おかしいんだってば。いつもなら耳掻きしてとおねだりすると、『甘えるな、自分でやれ』。まぁまぁ機嫌がいいと文句を言いながらやってくれる。とても機嫌がいいと、最後に俺の大好きな“くるくる・フー”をやってくれる。
あ、“くるくる・フー”ってのはね、俺の婆ちゃんが生きてた時に伝授してくれた技。耳掻きの最後に綿棒でくるくると耳穴を撫でてから、優しくフーって息を吹きかけてくれるってやつ。このくるくる具合が微妙なんだよね。んで、フーってのもね。『フーッ』じゃなくて『フーっ』ね。
って。俺、誰に説明しようとしてんだか。ダメ、ホント、マジで気持ちいいんだって。今の俺ってば思考力0。脳ミソとける…。

「ねぇ、牧さん。最後にくるくる・フーっしてよ。綿棒持ってきたから」
綿棒を差し出すと、機嫌がよくてもいつもは面倒くさそうに受け取るのに。しょうがないなって顔して笑ったよ。可愛いなぁ…。

うおおお、いい。すっげ気持ちいい。もう婆ちゃんなんかよりよっぽど上手いって牧さん。あっあっああああー・・・。
「…ほら、終わったぞ。あ、お前、俺のジーンズにヨダレ垂らしやがって。犬かよまったく」
「らってぇ〜最後にフーっての三回もやってくれんだもん。 ねぇ、マジで何でそんなに機嫌がいいの?何があったんすか?」
牧さんは苦笑いを浮かべると、「お前の気のせいだ」と言いながら、俺の頭をそっと床に置くとソファに腰掛けてTVをつけた。俺は暫く立ち上がれず、床にゴロリと横たわって牧さんを眺めていた。

眺めながらずっと、今日仕事から帰宅した牧さんの行動と“いつもは”とつく行動の違いを仙道は思い浮かべていた。
何があったんだろう。おかしいったらおかしいよ。ご機嫌なのは嬉しいけど、こんなに牧さんの機嫌をよくすることって何だろう?それが俺とは無関係のことだと思うから、ホントは俺としては少々悔しい気分もある。聞き出したいぞ、なんとしても。
「牧さぁーん。今度は俺が耳掻きしてあげるよ。くるくる・フーっもいっぱいしてあげる」
「嫌だ。俺は人にされるのは好かんと昔から言ってるだろ。嬉しくない」
「そんなぁ、俺ばっか気持ち良いの嫌だよ。俺のテクでメロメロにしてあげるからさぁー。SEXとは違った意味で脳ミソとけるよー」
「無理強いするな。メロメロの阿呆になってんのはお前一人で十分だ。勝手にとけてろ。…それとも、まだしてほしいのか?」
「えぇ!? してくれんの??」
「…綿棒、新しいのもってきたらな」


ダメだ…もう俺、完璧にダメみたい。脳ミソとけて耳から流れ出しているみたい…。
くるくる・フーっばかり何回もしてもらって、俺はもう牧さんの上機嫌のわけを探るのも何もかもどうでもよくなっていた。しかも牧さんは俺の様子が面白いのか、「こんなのはどうだ?」といって新しい技まで生み出した。すげぇ…声もでねぇっす…・・・。犬が飼い主にメロメロにされすぎると、感極まって失禁するらしいじゃん。…今なら気持ち、分かる。ヨダレ止まらねぇ…。

すっかり犬よりダメな人間に成り下がってしまった俺に、手をとめて牧さんは言った。
「…やっぱり俺が機嫌いいの、バレるか?」
その一言に俺は一気に覚醒した。閉じていた目を開き、いきなり綿棒ごと牧さんの腕を掴むと、ここぞとばかりに訊いてみた。
「分かりますって!! ね、教えて下さいよ。お願い。気になって眠れなくなるって今夜。俺が眠れないと牧さんが困るんだよ?」
「どんな屁理屈だよ」
あ。あ。今だ。もうちょっと押したら話すね、こりゃ。照れ笑いしてる。ちっくしょー、可愛いったらないぜ。
「嬉しい事も苦しい事も、分かち合っていくのがパートナーってもんでしょ。ダメっすよ、一人で喜んでちゃ」
「そんな大げさなことじゃないんだが…俺個人のことだし…。 …聞いても笑わないか?」
「もっちろん!!」
牧さんを立ち上がらせると、そのままソファに座らせた。俺は隣に座って興味津々の瞳で促す。もちろんヨダレは拭いておいた。



午前の仕事を終え、牧は三階のナースステーション前を通りがかった時に、看護師の野村が慌てて出てきて菓子折りを差し出してきた。
『牧先生、これ、退院した岸田さんからです。先生に会えなくてがっかりしてましたよ』
牧は困ったように頭をかいた。
『こういうのは受け取ってはいけないって何度も…。あー…でも、もう帰ってしまったんなら…。腐らすのもいかんし、皆で分けてくれ』
菓子折りを戻され、野村は素直に頷いた。そして少し周囲を見渡し、牧の白衣の袖を掴んで詰め所に引き入れると耳元に顔を近づけるようにしながら言った。
『ね、牧先生。今週末の合コン、出て下さいよー。○△クラブのインストラクターの女達、牧先生が来るなら参加するって言ってるんすよ』
『だから。俺は行かないって。苦手だって言ってるだろ。しかもそれ、確か年齢制限あったろ。どっちにしろ無理だ』
牧の言葉に野村は一瞬固まった。そしてすっとんきょうな大声を出した。
『え〜?? 牧先生って30半ばでしょ?平気っすよ!!』
今度は野村の言葉に牧が一瞬固まる。そして信じられないというような顔で、野村の一重目蓋を凝視しながら呟いた。
『俺は…42だ。 野村君。それはお世辞か?』
『え、マジで42なんですか? 俺、てっきり36くらいだって思ってましたよ。牧先生って若くみえますねぇ!』

牧は言葉もなく呆然と立ちすくんでいた。あまりに呆然としていたので、周囲に野村以外の看護師や整体の先生、レントゲン技師などなどが牧を取り囲むようにしてワイワイと話をしているのにも暫く気付かなかった。
『牧先生が42だなんて、ショックだ〜。俺の兄貴と同い年には全く見えない。やっぱ独身だから若々しいのかなぁ』
『いや、やっぱり姿勢がいいからかもよ。いいよなぁ、どう見ても40いってるようには見えないもん』
『肌や髪の色とかが若いんだな。体力もあるしなぁ、牧君は。35くらいかと思っていたよ』
『あ、その発言は自分を年寄りと認めたことになりますよ、神崎先生』
などなど。聞き取れた話だけでも、牧にとっては今までの自分の人生の中ではありえない会話でありすぎた。牧は声が震えないように気をつけながら、小さな声で言った。
『俺は…老け顔なんだが…』
すると、周囲の皆は軽く牧の言葉を笑い流した。謙遜ととったようで、上田女史などは『若く見える秘訣を皆に教えてあげてはいかが?』とまで言った…。



「牧さん、牧さん。ねぇ、で、続きは?それから会話はどうなったの?合コンには出なきゃいけなくなっちゃったの?」
牧さんは途中からトリップしてしまったのか黙り込むと、次には顔を赤らめて頭を垂れてしまった。肝心の合コンに参加するか否かの部分を聞かないと、俺としては穏やかではいられないというのに。
「…ん? あ?合コン? あー、出ないってそんなの。 いいか、仙道。大事なのはそこじゃないだろ。俺の話を聞いていたか?」
「聞いていたから、どうなったのか訊いたんじゃないっすか〜」
「うん。聞け。俺は、だから。自慢をしているんだ!俺はな、年齢より若く見られたんだ!!」
グッと拳を握り締めると、牧さんは顔を上げてキラキラした輝く瞳を天井の蛍光灯に向けた。ますます瞳が輝いて見える。
「小学五年生からずっと…この歳になるまで!!俺は…俺はずっと老け顔で年寄り扱いを受けてきたんだ。同期や年上の人にまで敬語を使われ。かっ…数え上げたらキリがないくらい…俺は…俺は……」

仙道はゴシゴシと目をこすった。 見える!!俺には微かに震える牧さんの頬に、見えない感激の涙が伝うのが!!
「牧さん…。俺は、出会った頃からずっとあんたを可愛い人だって言ってきたじゃないですか」
そっと牧さんの肩に手を乗せた。ゆっくりと振り向いたその瞳に俺はしっかりと瞳を合わせる。少し潤んで見えるのは見間違いじゃないはず。
「今の牧さんは、内面だけじゃない。俺以外の奴等が見ても、十分見かけも可愛いんです。それは…万人に若く見えてるってことですよ」
「仙道…可愛くと思うのはお前の目が腐っているからだが、若く…俺は今、歳より若く見えているんだよな」
俺はしっかりと頷いて見せた。…つられて目が潤んできた。
「若いですよ。輝いてますよ。嘘やお世辞なんかじゃない。ようやくこの時が来たんです。いや、正確に言えば、今まで気付かなかっただけで、36歳になった時で歳相応、37からのあんたは世間から若く見えているんですよ!!」
牧がガバッと仙道に抱きついてきた。 痛い、痛いってそんなに強く抱きしめないでって。あいたたた☆
「仙道!!ありがとう!!俺がこうなれたのも、お前が俺に服を見立ててくれてるからだ」
「違いますよ。全ては牧さんの実力です。牧さんはもともと服のセンスもいいですよ」
自分で言っていてどんな実力だと突っ込みを入れられたらどうしようと、ちょっと焦った仙道であったが。牧は全く気にしていないのか笑顔を向けた。
「お前っていい奴だなぁ。知ってはいたが、再確認したぞ」


大好きな人が嬉しそうなのは気分がいい。鼻歌を歌いながら新聞を見ているのも可愛い。あまりの嬉しそうな興奮ぶりが伝染して、さっきは俺までちょっと感涙しそうになってしまった。
けど。ちょっと冷静になった俺には…。大変申し訳ないけれど、牧さんって意外と…天然通り越して…年々アホっぽくなってるような…なんて思えてしまった。
ま。 そーいうところも可愛くて大好きだよって思う俺が一番、救いようのないアホなんだろうけどね。


牧さんがふと新聞から顔を上げて、床に寝そべっている俺を見た。何?という顔をして牧さんを見ると、真面目な顔をして言ってきた。
「俺さぁ。お前がいつまでも…というより、歳くってますます可愛くなってるだろ?いや、これは世辞じゃなくて。つまり年々頭の中が若返っていってるってことでさ。それに俺が近くにいるから感化されて、今日の評価に…」
「…牧さん…新聞読みながらそんなこと考えてたの?」
こっくりと牧は真面目な表情のまま頷いた。その様子にとうとう仙道は笑い出して床の上をゴロゴロと転げまわった。
「アホだー!!やっぱりダメ。黙っていようと思ったけど限界。牧さんやっぱアホだよ〜。あっはっは!!」
「なっ!? いきなり人のことアホ呼ばわりすんな。バカならまだしも」
「バカでもアホでも一緒だって!!その違いって何さ? …うっ、ま、回りすぎて目が回ってきた〜」
「そういうのをアホっていうんだ。バカとアホの違いはなぁ…」
新聞を畳んで、今度はもっともらしい自説を牧が笑いながら始めた。散々に突っ込みを入れながら仙道も笑いながら応戦する。

漫才のような応戦と笑い疲れで会話が途切れた頃。仙道が牧の頬にチュッと音を立てたキスをした後で言った。
「こうやって歳くってさ。年々、そりゃもう飽きもせずにラブラブやってられる俺らはさ、もうバカでもアホでもなんでもいいよね」
「…今の会話がラブラブというのか分からんが。まぁな。アホでもバカでもなんでもいいか、こうしていられるんだから」と、牧が言い終えた時に、つけっぱなしのラジオから今の二人に絶妙な曲が飛び込んできた。

♪単純明快 アホでケッコー 気分爽快 アホでケッコー 愉快痛快 アホでケッコウォ〜

明るく伸びる男性ボーカルの声と下手な男達のバックコーラスが大らかな曲にのって流れているのを聴きながら、曲が終わるまで二人は目を丸くして互いの顔を見ていた。
曲が終わりDJがタイトルを言ったのを聞き、二人は黙って手をガッシリと握り合った。
「…これでいくか。ほどほどに」
「…これでいきましょう。俺たち、ますます若々しくなるの間違いなしっすよ」
「人生、楽しくいかなきゃソンだからな。今週の休みにこの曲買いにいこうか」
「うん。俺、ネットで調べておくよ」
ニヤリと笑った牧が楽しそうな顔の仙道と自分を指差して節をつけて歌うように言った。
「“俺とお前も”」
もちろんすかさず仙道はそんな牧を抱きしめて節をつけて歌うように返す。
「“アホでケッコー”!!」


ああ、俺たちってどうしようもない最強幸せヤロウだね!!







*end*




ここで使った歌知ってる人いるのかな(笑) いつも以上にアホアホな二人。ワンパでごめんね。
老け顔の人って顔変わらないから、その顔年齢以上の歳になると若く見られるんだよね。良かったね、牧(笑)

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