大学構内のカフェに赤木は仙道を連れてきた。土曜の三時。平日で昼時ならばこんでいるここも、こんな時間帯と曜日では人影もまばらだ。
「赤木さん、こっちに座りましょう。そっちはタバコの煙が流れてきますよ」
仙道が飲み物の乗ったトレーを片手に赤木が歩く方向とは逆の方に顔を向けた。しかし赤木は「こっちが俺は落ち着くんだ」とそっけなく返すと奥の席へと歩いていくと、強引にそこに座した。仙道は軽く肩をすくめるとそのまま後に続いた。
部活も今日は床のワックスがけで早く終わった。仙道はいつも部活が早く終わる日は色々な理由をつけて牧を誘う。案の定仙道は「部活後一緒に街で遊びませんか」と牧を誘ってきたが、牧は用事があると断ったのだ。
それをそばで聞いていた赤木に「仙道、暇なら俺に付きあえ」といわれてしまい…現在二人はこうして一緒にいるのである。
誘っておいて話をしだすわけでもなく、ただ黙ってコーヒーを飲んでいる赤木に焦れて、仙道は切り出した。
「赤木さん。何か話でもあるんすか?相談…とか?」
「相談、ではないが。たまにお前とさしで話をしたいかな…なんてな」
赤木はちらりと遠くにある柱に目をやって言った。仙道は赤木の視線の先を一緒に見たが、そこには柱があるだけで、その周囲の席は空席だった。
遡る事三時間前。昼休み、赤木は牧と二人で昼食をとりながら話をした。赤木は今日こそ俺が仙道の気持ちを探る、と言い出したのだ。
牧は慌ててそれを止めようとしたが、計画を練っていたのであろう赤木は簡単には止められなかった。
『…頼むよ赤木。まだ言わないでくれ。言うなら自分で言いたいから』
『もちろん言わん。しかしな、言う前に仙道が男にも恋愛感情を持てる性質かどうかは知っておいたほうがいいだろう。万が一俺のように全く男は論外というのであれば、無駄に言って牧が傷つく必要もないだろ』
牧は再三告白しなくてもいいのだと言っていたのに、無理に進めているのは赤木じゃないかと言いたいのを堪えた。百億万が一、仙道が男に対して恋愛感情を持てるのだとしたら……というかすかな期待もあったのも、実は本音にあったからだ。
『心配だから…俺も会話を聞いていたい』
そこで赤木は頷くと、牧に何かあったら携帯に連絡を入れるからマナーモードにしておくことと、喫煙席の端の席に座るように言った。
大学構内のカフェは中央に赤木の肩くらいまでの壁に囲まれた大きな円卓を配置している。その左半分が喫煙席、右半分が禁煙席となっており、境にあたる席は大きなパーテーションで区切られていた。行き来はできるが、行こうとしないかぎりは喫煙席と禁煙席は簡単には見えない。
そして都合よくも出入り口は一つだが、そこで禁煙席か喫煙席かで左右に分かれてしまえば時間差を利用すれば顔を合わす可能性は、ない。
『俺に、まかせろ。さりげなく探ってやるから』
下見を二人で終えたあと。赤木の必要以上に力強い笑顔に押され、牧は心配そうに頷いた。
そんな準備万端(?)な計画のもとに座したとも知らず、仙道は呑気にアイスカフェモカのグラスのカラコロという軽い氷の音色を楽しんでいた。
赤木は心の中で自分のフェイク(自分の背後ではなく、意識を遠くの柱に向けてみせたこと)に仙道がかかった気がしてやる気が出ていた。
パーテーション越しに牧がいるかどうか赤木は軽く靴底で床をトントンとならした。ほどなくパーテーションの向こうから小さく似たような音が聞こえる。牧もきちんとスタンバっているようだ。
赤木は世間話のように部活の話題を口にした。仙道もそれにのってきて会話はのんびりとはじまった。
「…だろ?本当、あの試合での牧は凄かったよな。あれで逆転したようなもんだと思わんか?」
「もちろん!!牧さんのあそこでのパスがなかったら…俺だって動きようがなかったっすよ。本当に牧さんはスゲェっす」
「そういえば、お前は牧と昔から付き合いあったのか?大学に入ったらすぐお前、牧とつるみだしたよな?」
「高校時代は、んな付き合いっつーほどのことはなかったっすよ。学校も違ったし学年も違うし。赤木さんこそ牧さんと仲良くて俺、最初驚いたっす」
「あー、俺は…。部活で仲良くなって、気付いたらダチになってたって感じだな」
「学年同じってそういうのあって、いいっすよね…」
仙道が少し淋しげに笑ったのを赤木は見逃さなかった。これは、なかなかいい感触だ。
牧はというと、パーテーションの向こうで赤い顔をして一人紅茶を飲んでいた。盗み聞きという慣れない事も恥ずかしかったが、自分が話題の中心というのはなんとも言えず落ち着かず恥ずかしい。額にじんわりと嫌な汗が浮かんでしまう。今すぐに『もうやめろ、もういい!』と叫んで立ち去りたい気持ちでいっぱいであった。
「ところで。話は変わるが、仙道、お前は彼女とかいるのか?」
赤木のいきなりでストレートな質問に仙道は驚いた顔をした。パーテーションの向こうでは牧も同じような顔をしてコケていた。
「えぇ?? い、今はいないっすけど…?」
「そうか。じゃあついでに訊くが、彼氏はいるのか?」
仙道は口をぽかんと開けて赤木を見返した。牧は一人で頭を抱えて『どこがさりげなく探るだってぇ?赤木の大バカ野郎!!』と心の中で叫んだ。俺にテレパシーがあったら、今すぐ赤木の脳内にこの会話をやめろと言いたいところだと唇を噛む。
もちろんそんな牧の想いなど通じるはずもなく。
少しの沈黙の後、仙道が恐る恐る言った。
「…彼氏って…男っすよね。いないですけど…まさか、赤木さん……お、俺のこと、好きなんすか?」
今度は赤木が驚く番だった。目玉が飛び出そうなほど目を見開く。もちろんパーテーションの向こうで牧が抱えた頭をテーブルにぶつけたのは言うまでもない。
駄目だ…この計画を赤木がたてた時点で駄目だったのだと、牧は涙が出そうになっていた。
「俺がお前を好きなはずがあるか!!俺が男を好きになるわけがなかろう!!」
青い顔で拳をテーブルにダンッと打ちつけて、赤木はコーヒーをぐいっと飲んだ。仙道は心底ホッとした顔で情けなく笑った。
「驚かさないで下さいよ、やだなぁ。いくら赤木さんが魚住さんに似てるからって、んな冗談」
「…ちょっと待て。どうしてそこに魚住が出てくるんだ?」
牧もギョッとして一人でコクコクと頷く。魚住は確か今、夜は自宅で板前修業、昼は調理師専門学校に通っていると聞いたことがあるけど…?
「え?だって赤木さん、俺が昔、魚住さんに告って振られたの知ってて彼氏がいるのかって訊いたんじゃないんすか?」
───仙道の言葉の後、赤木と牧はシンクロ選手も真っ青なほど同じリアクションを無言でしていた。
茫然自失の牧ではあったが、テーブルの上の携帯が振動しているのに気付き、席を立った。もちろん少しかがんで、二人には見えないように。
パーテーションよりかなり離れた席に座り、牧は小さな声で電話にでた。
そんなことは全く知らない二人の会話はまた再開する。
「お前、魚住のことが好きだったのか!?いつ頃??」
「えー…と。高校一年生の頃。俺、転入って形で途中から陵南入ったんすよ。ほら、俺、昔からバスケセンス抜群じゃないっすか。田岡監督に熱烈スカウトされちゃって」
「ぬけぬけ言うな。…それで?」
「妬む先輩とか多くてさ。シンデレラな俺を意地悪な継母達からかばってくれたのが、魚住さんだったんすよねー。俺もあん時ゃ若かったから、速攻告白したんす。速攻ふられましたけど。あれー?魚住さんから聞いてませんでした?」
大学生のくせに何が『あん時ゃ若かった』だ、と突っ込みを入れるのも忘れて赤木は考え込んだ。
確か昔、魚住と飲んだ時、何かの話の流れで恋愛の話になった。その時、『俺だってふったことくらいある』と奴は言っていた。ということは、ふった相手というのは…仙道か?男をカウントに入れやがったなあの野郎。やっぱりあいつも女性に告白されたことないんじゃないか。ほんの少し負けた気分を味わった自分が悔しいぞ…。
赤木が考え込んでいるときに、赤木のポケットから着信音が鳴った。仙道にスマンと一言詫びて携帯を開けると、牧からメールがきていた。
『カップが熱を出したらしい。帰って病院に連れて行く。すまんが、まかせた』と入っていた。カップとは牧の家で飼っている犬の名前である。
赤木は小さくため息をつくと携帯をまたポケットに乱暴に突っ込んだ。
「…魚住からはお前とのことは聞いておらん。普通に部員のメンバーとしての仙道の話以外は聞いたことはない」
仙道は小さく「そっか。いい人だなぁ…。元気…なのかな」と呟くと、軽い氷の音色を響かせてグラスを空にした。
仙道は魚住を思い出しているのか、黙って空のグラスを見つめていた。
赤木はその様子に、こいつはまだ魚住を忘れられないでいるのだろうか…と思ったが、これ以上牧がいない状態で話を進めても意味がないと考え、『今日のところはこれまで、か』とまたため息をついた。
赤木のため息でハッと顔をあげた仙道は、少し照れくさそうにへらりと笑ってみせた。
「あ。そんで、なんの話してたんでしたっけ」
「いや、もういい。ちょっとすまんが、用事入ったから俺は先に帰らせてもらう。これで払っておいてくれ」
テーブルに二人分の飲み物以上の金額を置いて赤木は立ち上がった。
「赤木さん、これじゃかなり余りますけど。お釣り、もらっていいんすか?」
「他に好きなもの注文して食っていいぞ。それでも余ったら…牧に渡してくれ。この金は、牧のだ」
「え?なんで牧さんが払ってくれんの?」
「いんだよ。俺とあいつの間の話だから気にするな」
仙道が微かに眉間に皺を寄せた。上から見下ろす仙道の顔はどことなく機嫌が悪そうに見えて、赤木はまた椅子に座りなおす。
「なんだ?何か言いたそうだな。…あぁ、誘っておいていきなり俺が帰るから気を悪くしたのか。すまんな」
軽く頭を下げてみせた赤木に、慌てて仙道は片手を顔の前で左右に軽く振った。
「違うんす、んなことじゃないっすから、頭下げないで下さいよ〜」
「じゃあ、なんだよ。違うことなら、俺の謝り損じゃないか。損させたんだから、話せよ」
「う…。 あ。その前に、用事ってなんですか?急ぎ?誰と?牧さんとですか?」
矢継ぎ早に切り返され、今度は赤木が言葉に詰まった。本当は自分には用事があるわけではないのだ。魚住の存在を知って、また作戦を考え直そうとくらいしか考えていなかったのだ。
とっさに嘘でもつけばいいものの、赤木は自覚はないが、牧同様にとても器用とはいえない男であった。
困ったように眉間に皺を寄せ、焦っている赤木を穴が空くほど見てから、仙道は低い声で呟いた。
「…やっぱり牧さんと会うんすね。いいなぁ…」
赤木はハッとして慌てて先ほどの仙道のように片手を顔の前で力強く左右に振ってみせる。
「違うぞ、俺の用事は牧とは関係ない。あいつは今日は、飼い犬を病院に連れて行ってるんだから」
ガタンと軽くテーブルが揺れたかと思うと、もう仙道は立ち上がっていた。
「赤木さん。俺も用事ができたから帰らせてもらいます。ご馳走様でした」
くるりと素早くしなやかな身のこなしで、スイスイと仙道はテーブル席から泳ぐようにカフェラウンジの外へ出てしまった。
呆気にとられた赤木は暫くの間、仙道の消えた人気のないラウンジをぼんやり見つめていた。
テーブルに当たる日差しが弱まってきているのに気付いて周囲を見やった。あちこちのテーブルに人が増えている。腕時計を一度見て、それから赤木は伝票と金を手にすると力なく立ち上がる。
「なんだったんだ一体…。結局あいつがなんで機嫌が悪くなって帰ったんだかさっぱり分からん。…バスケ以外でのあいつは、やっぱり俺には宇宙人としか思えん。牧もどこが良くてまぁ…」
校内を出ていつもの帰り道。赤木の横を背の低い(というよりは、赤木の身長が高すぎるだけなのだが)男女カップルが楽しそうに笑いながら通り過ぎた。思わず立ち止まって彼らの後姿を振り向いて見てしまった。
しかしカップルは赤木が見ていることも気付かずに腕を組んでどんどん先へと歩いて、角を曲がって見えなくなった。
夕暮れになりかけた空を見上げると、赤木はなんともいえない気持ちになり、また元の方角へと歩き出す。
俺は…ああいう小さい女性をいつか左腕の横にぶら下げて歩きたい…と、思う。昔流行ったダッコちゃん人形のように。
仙道は…今はどうか知らないが、一時ではあっても、あのデカブツ魚住の左腕にぶら下がりたいと思ったのだろうか。その様子を少し想像してみたが、ぶら下がるというよりは…キングコングを捕獲した仙道という図しか思い浮かばなかった。
それでも魚住は仙道にとって、そういう対象であったんだ。俺から考えたら奇妙でしかない図式を行いたいと思ったのだ、多分。
じゃあ、牧は?
小学生の頃に好きだと思った女の子へ抱いた淡い想い。はっきりとは思い出せない…甘酸っぱい遠い思い出。
牧、仙道、魚住の顔が脳裏に浮かび、甘酸っぱい想いと不安で『胸焼け』しているという牧の切なげな顔が一番最後に消えた。
「…かなえて…やりたいな」
ポツリと呟いた自分の言葉で、赤木は自分の恋愛経験不足を初めて少しだけ淋しく感じてしまった。
人を愛することを先に知ってしまった友に、少しだけ追い越されてしまった気分。けれど自分もいつかは恋心を抱くようになるのだと今は信じるしかない。
今日は成果を得られずに不発で終わったが、まだまだこれから。気を引き締めて次なる作戦を練ろう。明日、また帰りに牧を誘って今日の話を交えながら。
少し重かった足に力が入った。赤木はいつものようにしっかりした足取りで、今度はズンズンといつものように力強く歩き出す。眼前に広がる夕焼け雲をしっかり見据えて。
赤木の引き締まった表情とは対照的に、赤木の後の電信柱では、カラスが『アホーアホホー』とのんびり鳴いていた。
*end*
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