ドッチモドッチ
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桜が散る前に行われた送別会。異様な盛り上がりの後、誰の部屋であったかは忘れたが、死屍累々といえるヨッパライの野郎どもが横たわる中に俺もいた。当然酔ってもいたけれど、俺は多分いくらかは冷静な方であったはず。…はずなのだが。 今は新緑も眩しい4月。牧は少し前のその時のことを、まるで昨日のことであるかのように今日もまた鮮明に思い出していた。 薄暗い部屋。壁にかかっている時計の針がさすのは午前四時。それぞれが自分のコートやジャンバーを着たまま布団もなしに眠っていた。三次会となった先輩の部屋はバスケ部という大柄な男達が8人ほど足をかがめて狭そうに横たわれるといった広さであった。大学生ともなると酒の量も増え、部屋には男くささと酒くささが充満してむさくるしさ満点。 そんな中、牧は寝返りをうとうとして、頭を床にじか置きのTVにぶつけてしまい目が覚めた。 痛みに顔をしかめながら目を開くと、驚くほど近くに仙道の顔があった。牧はとっさに離れようと動き、今度はしたたか後頭部をTVにぶつけてしまい、後頭部を抑えたまま体勢を変えるのをあきらめた。 身動きもできないため、牧は黙って眼前の状況を眺める。朝焼けなのか、オレンジ色ともピンク色ともいえない光が仙道の後ろにあるベランダの窓から入り込んで、仙道の片頬を照らしていた。 埃がチラチラと微妙な光を反射させているのが、まるで仙道に降り積もる光の雪のように幻想的に映る。 長い睫毛と綺麗に生え揃った形のいい眉。スッと通った鼻梁、思ったより柔らかそうに見える…少し開いた唇。 人の寝顔というのをまじまじと見たのは初めてということもあったが、今まで知っていた仙道と全く別人に見えたあの不思議な時間…。 見惚れていた。舞い散る微細な光と仙道に…。仙道が寝返りを打って窓の方に向くまで。いや、向いた後も…自分よりも白い肌の覗く首筋を…。 「おい、どうしたボーっとして。ぶつかるぞ」 真横から低い声をかけられて、牧は夢からパッと覚めるように自分の周囲の様子を一瞬にして認識した。だが時既に遅く、次の瞬間にはゴイン☆という盛大な音と共に牧の頭部は硬いものに直撃する。自分の「ウガッ」という情けない短い叫び声と共に。 よろけて倒れそうになる牧の体を力強い腕が支えたため、牧はなんとか体勢を立て直すことができた。 「す、すまない…。ありがとう赤木、助かった」 「助かっとりゃせんだろ。頭、たんこぶになるかもしれんぞ。…あー、看板凹んどるわ。牧は頭の中身だけじゃなく、頭自体も硬いんだな」 額の少し上を涙目でさする牧に赤木は笑いながら言った。その笑い声が夕暮れになりかけの空に少しだけ響く。 「嘘つけ。看板凹んでなんていないじゃないか。…どうせ助けるならもう少し早く教えてくれよ」 牧は面白くなさそうに唇をとがらせながら言ったが、赤木はさして気にする風もなく、牧の額上部を指で軽く触り無事を確認すると話を変えた。 赤木はここのところバスケ以外の時間で会う牧の様子がどこかおかしいのがずっと気になっていた。先ほどの間抜けな行動に、あまり人の事情に口を挟まない赤木ではあったが、とうとう訊きだすことにした。 「牧、お前…。ここんとこ、変だぞ。悩みでもあるなら相談にのるから言ってみろ」 牧はまだぶつかったところをさすっていたが、その手が赤木にかけられた言葉に止まった。本人は普通を装っているのであろうが、大学に入ってからよくつるんで行動をするようになった赤木にはお見通しだったのだ。牧の目は明らかに狼狽していた。 「…昨日だって先輩にパスが冴えてるって言われたぞ?赤木の気のせい…」 大きなため息が牧の言葉をさえぎる。赤木の顔にはしっかり、『そういう意味じゃないだろが』と書かれていた。 部活の後、牧は意を決したように「帰り、ラーメンでも食わないか?」と赤木を誘った。赤木は誘われるのが当然という顔をしながら頷いたため、二人はいつもいく近場の店よりも遠い中華屋へと何も言わずに歩く。その間も牧は頭の中で今日も思い出していた仙道の眠っている姿を思い出していた…。 店内は適度に人がいて、五月蝿くもなく静かでもない、話をするには丁度良い感じに思われた。店内には中華独特の食欲をそそる香りが満ちている。 「…ラーメンばかりもなんだから、たまにはホイコウロウでも頼むかな…」 メニューを真剣に見ながら赤木が呟く。牧はそれすら聞いていないのか、メニューをぼんやり見つめたまま返事もしない。店員がきて初めて、牧は慌ててメニューをパラパラとめくりだす。赤木は黙って牧の手にしていたメニューを閉じると、勝手に数品オーダーした。牧はばつが悪そうに店員が奥に引っ込んでから赤木に「すまん…」と軽く頭を下げてみせた。 「今日は俺はこの後予定はないから。何でも全部言っちまえ。この調子でこれからもいられても、こっちがたまらんわ」 あきれた口調とはうらはらに、赤木は真面目な顔で牧に話をするよう促す。牧も水を一口飲むと真剣に赤木の顔を見返した。 「赤木は…恋愛経験豊富か?」 「!!? な、なんでいきなり俺の話になるんだ!!お前のことを話せといっとるんだろうが」 赤木は眉間に盛大な皺を刻みながら「俺が恋愛経験豊富に見えるなら、お前の目は腐っている」と付け加えた。 その言葉に牧は小さくため息をついて視線をテーブルに落とした。 「なぁ、赤木…。特定の人物を何度も思い出したり、そいつと一緒にいると楽しくて、笑顔を見ると嬉しかったり、妙に動悸が激しくなってみたり…見惚れたりするってのは」 「恋だろ。 …あのなぁ、いくら俺が恋愛経験少ないからって、そんなのくらいわ解るわ。バカにするな」 「やっぱり…恋…かなぁ…」 「おう。相手に伝わっておらんのなら、片思いというのだ。ううう…言っていて俺まで甘酸っぱくなって気持ち悪…」 赤木は少し頬を染めたままうつむく牧を見て、自分まで頬が熱くなってきそうで、少々げんなりした顔のまま水を飲み干した。 「恋は…甘酸っぱいのか?」 牧は顔を上げると真面目な表情で赤木に問いかけた。赤木も仕方なく「そうらしいな」と律儀に答える。 気まずいような沈黙が流れているときに、店員が明るく「お待たせしました!」と、酢豚の皿を持って表れた。テーブルに置かれた湯気の立つ皿を見て、牧は切なげなため息とともに呟いた。 「そうか…甘酸っぱいのか。じゃあ、この酢豚みたいな味かなぁ…。俺は酢豚は嫌いじゃない。いや、好きな方だ」 ぎょっとした赤木は去っていく店員に驚かれないよう小さく叫んだ。 「もっとマシな例えをしろ!!酢豚食えなくなるじゃないか!!この天然ボケがっ!!」 赤木はこの時点で今日の話は長くなるであろうことを予測し、まだ全てのメニューが届いたわけでもないのに追加注文分は牧に奢らせようと思っていた…。 部活が終わった後であったため、注文した料理が揃うと、二人は黙々と食べ始めた。とりあえずは腹ごしらえをしてからということで、それぞれが自分の思考の海に潜りながら。 ただ、赤木は酢豚にだけは手を出そうとしなかったが…。 半分以上食べ終わった形になったとき、赤木はふと思い浮かんだことを口にした。 「そういえば、仙道はいつまで休みなんだ?実家に呼ばれたんだろ?今週末の練習試合に間に合うのか?」 牧の箸が止まり、驚いたように赤木を見上げた。唇の端にご飯粒をつけたまま。 「な、何で俺に聞くんだ?れ、練習試合の二日前には戻ると言ってたけど」 「…飯粒、ついてるぞ。取れ。 何をそんなに慌てているんだ?仙道はお前と一番仲がいいじゃないか。現にお前は予定を知ってる。だろ?」 ぐっ…と、牧は照れをかくすように荒々しく口の周りを手で探って米粒を取ると口に入れ、また食事を再開しようとした。 「あ、そういえば俺、仙道にバッシュの…。 ? おい、牧…?」 口に運ぼうとした肉を、牧は箸から落とした。その様子のあまりな不振さに、赤木の表情は訝しげに曇る。 牧ももう自己フォローができないくらいならと、目をギュッとつぶって肉を拾いもせずに言った。 「す、好きなんだ!!」 「えっ!? な、何がだ!?」 「仙道を思うと酢豚で胸焼けのような状況になるんだ!!」 「何!? 仙道が酢豚で胸焼け!?」 「違う!!胸焼けしてんのは俺!!」 「……じゃあ、もうそれ以上食うな。後は俺が食う」 二人は勢いにまかせて自分が何を言っているのか、相手が何を言っているのかも解らないまま会話が終了したことにぐったり疲れてしまった。 妙に汗が出るのを抑えられない勢いだけの会話だった…。 暫くして最後に注文した揚げ春巻きと揚げ餃子のセットが出てきたのをぼんやり見ながら牧は言った。 「駄目だ…。恥ずかしいから遠まわしに…比喩表現で言ってみたが、お前にさっぱり通じていない気がする…」 もごもごと口を動かしながら、赤木は無言で頷いてみせた。比喩表現だなんて、詩的なものをさっぱり理解できない牧にそんな細かな芸当ができるはずがないと、自分のことを棚上げしつつ言いたくなるのを抑えて。 「はっきり言うよ。俺…恋をしているんだ。お前に言われて認識した」 天然ボケな奴というのは認識が遅いのだなぁと思ったけれど、それもまた赤木は二個目の餃子を口に入れることでその言葉ごと飲み込んで、ただ頷く。 「俺、仙道が好きだ」 牧の言葉にうんうんと赤木はまた頷き…そのまま固る。目の前で赤い顔をしながらも真剣な牧が座っている。…はて?俺は何を言われたんだ…?? 「…今…恋愛の話をしていたんだよな?」 今度は牧が黙って頷いた。赤木はその様子を立体映像でも見ているような気分で不思議そうに見つめていたが、自分に諭すように言葉を探し出した。 「お…落ち着け、牧。仙道は男だぞ?俺が言っていたのは、さっきお前が言ってた見惚れたりする相手の話で…」 「その相手が、仙道だよ。俺はお前に言ったら、落ち着いてきた。赤木こそ落ち着けよ。春巻き落としてるぞ」 妙にスッキリした顔で牧は軽く笑うと、一度も箸をつけていなかった餃子の皿に手を伸ばした。少し冷めはじめた餃子を口に入れる。逆に今度は赤木の目が泳いでいた。拾った春巻きを別の皿に乗せ、箸で意味もなくつっついてはひっくり返している。 そのうち、箸を止め、真剣な顔で赤木は牧に向き直った。牧もまた真剣に見つめ返す。 「小中学生の男が、恋愛と友情を誤って認識することがあると聞いたことがある。お前、それじゃないのか?」 静かに牧は頭を振って返す。 「俺もそれは何度も考えたよ。仙道といると楽しいのは、ただそれだけなんじゃないかと。だから、色々試してみたりもしたんだ」 「どう試したんだよ。詳しく教えてくれ。それで俺が納得したら…応援してもいいから…」 牧は箸を置き、テーブルの上に組んだ指をみながら語り始めた。 送別会の後の三次会で、隣に寝ていた仙道の姿が忘れられないことを軽く説明した。自分はゲイなのかと驚愕し、それを判断しようとまず試したのが。 ネットでゲイサイトを見て興奮するなら、自分はゲイで、仙道個人は関係ないことになる。 そこでゲイサイトを恐る恐る夜中に一人で検索しようとしたが、サーチで出てきたどぎつい文章だけで具合が悪くなり、見るのをやめた。 では自分は男の顔が好きなのかと思って、本屋で今騒がれている美形と称されている男達の写真集を手にしてみた。しかしどれを見ても何も感じず、表紙を見ただけでそのまま本を置き、今度は隣にあった女のアイドル写真集を手にしてみた。これもまた何も感じなかった。 ただ心に響くのは。仙道が自分に向けてくる笑顔や声、何気ない仕種。何度も夢で、現実で牧を捉えて離さない。 一緒にいたいと思い、その顔を見られない日…部活休みや今週のように仙道が大学に来れないときなどは、ただただ淋しいのだ。 仙道の顔も声も髪も指も。あのとらえどころのないおかしな性格も。全て自分は近くで見て、感じていたいのだ。 感情的な部分を極力省き、簡略に牧は説明し、後はどうとでも受け取ってくれという顔で赤木に力なく笑った。 「…お前の試した方法が正しいかは俺には解らん。が、はっきりいって面白かった」 「…人の苦労を…」 「まぁ聞け。方法うんぬんよりな、お前の仙道に対する気持ちは恋だよ。間違いない。お前の出した答えは正解だ」 「そうか…。ありがとう」 「恋愛感情って同性に向くこともあるというのは、俺もTVなどで見たことがある…。牧はかなりボケなところがあるからな。男女の恋愛よりも色々と苦労しそうだから…仕方ない。俺が応援してやる」 「ボケって…赤木に言われたくないぞ。それに、応援なんていらない。仙道に言う気もないし。俺は自分の気持ちをハッキリ分類したかっただけなんだ」 赤木は軽く握った拳をテーブルにどんと置くと、ジロリと牧を睨みつけた。 「男なら自分の気持ちを相手にぶつけろ!!ぶつけて潔く玉砕しろ!!」 「あーかーぎー…。俺は玉砕したくないから言わないんだ。考えてもみろ、男が男に惚れられて嬉しいか?避けられるよりはこのままでいいんだ」 何故か妙に燃え上がってしまった赤木を見て、牧はため息を零す。赤木はどこか熱血なところがある。そこがいいところでもあり、少々困ったところでもある。 「何を消極的なことを言っとるかぁ!!玉砕したらまた友達に戻ればいいだけの話じゃないか。気まずくなったら俺がフォローしてやる。もしも上手くいったらどうする?恋愛成就となった時をイメージしてみろ」 「………う……嬉しい…かもしれん」 少し頬を染めて小さく呟いた牧に赤木は満足そうに頷き「まかせとけ、俺に」と言い放つと、すっかり冷めてしまった餃子に箸を伸ばした。 「お前も食えよ。一個しか食っておらんのじゃないか?」 「いや、俺はいいよ、もう。胸焼けしてるし」 牧の苦笑いを見ながら赤木は、その『胸焼け』というのは『恋煩い』なのではないかと思ったが、今後の対策を練るためにもそれについては深く考えるのをやめにした。 食後のデザートサービスといって、注文をしていないカシスシャーベットがでてきた。 深い赤紫の冷たいシャーベットを口にして赤木は言った。 「…甘酸っぱいな。おい、牧。恋の味というのはな、間違っても酢豚じゃない。こういうのの方が近いだろうと俺は思うぞ」 「なるほどな。確かにこっちの方が近いかもしれん」 赤木は自分も恋愛経験は少ない方ではあるが、感覚が牧よりはマシであると確信した。それならば。大切な親友の恋を実らせてやりたいと思うのは当然のことなのだろう。牧はバスケに全ての感覚を注いでいる感がある。そしてそれ以外にはかなり不足しているとも思うから。俺がしっかりしてこいつの恋愛をサポートしてやろう。バスケでは悔しいほどこいつに助けられることが多々あるから、こっちで返してやってもいい。 ただ問題は…。 赤木はぼんやりと仙道のツンツン頭とへらへらした笑顔を思い出して深いため息をついた。 牧はといえば。シャーベットの冷たさが赤木の妙に燃え上がってしまっている親切心を少し冷やしてくれたらいいと。そしてできれば…気付けば仙道を想ってしまう、この胸が熱く苦しい状態を冷ましてくれればいいとぼんやり願っていた。 不器用さではどちらもいい勝負な二人を笑うかのように、レモンシャーベット色した月が磨かれた窓から遠く覗いていた。 *end*
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かなり昔に「大バカで嘘っぱちな牧を書きたい」と思っていたときに冗談で書いたもの。
牧が詩的なものを理解できないほどバカなはずがあるかー!!と、自分ツッコミ。おふざけなので怒らないでねv |