手をつないで


『仙道はもしバスケ選手じゃない就職選択するしかなかったとしたら、どうしてた?』

魚住さんの店で久々に集まった高校時代の部活の仲間とのたわいのない会話。社会人になってバスケを続けているのは俺と、福田だけだった。福田は俺とは違って社会人バスケ(牧さんもやってるような、趣味としての)をしている。そして会話は流れ流れて、池上さんから軽くきかれたんだ。
俺は正直、自分がバスケの道を選ばないことなんて考えたこともなかったから。その場は『この美貌と豊富なトークを活かせるホストかな』などと言ってその場で散々なお褒めの言葉をいただいてしまった。ついでに越野の久々のきっついツッコミも。


高校三年生になって大まかな進路を決めて、大学生で社会人となる自分の道をハッキリと自覚してそれに向かって進む。そして、その道を歩む。
俺がそういう過程を順当に踏んできたかといえば、んなこたない。ただバスケのできる方向に流れていたらこうなっただけだ。
昔、越野に「それをできるお前が、悔しいけど羨ましいよ」と言われて首をひねったことがあったっけ。
でも今なら解る。俺はまぁ、んなに考えての道じゃなかったけど、今ソファにころがってあくびをしながら新聞を読んでる人は、その過程をもっとしっかりと…それこそ高校三年で自分の進路を決定した。そしてそれを叶えた。その凄さが今になって、大人になってやっと俺は解ったから。

カサカサと新聞紙を畳む音がした。読み終えたらしい。
「ね、牧さん。昔教えてくれた、あんたがスポーツドクターの道を選んだ理由、もっかい聞かせてよ」
牧は軽く首をひねって仙道に視線をよこすと、「い・や・だ。面倒くさい」と言って、体をソファの背もたれ側に半回転させた。
そう言われてしまうとなんとしても聞きたくなるのが仙道で。牧が喜んでくれそうな案を色々と述べ出した。もちろん猫なで声は忘れない。
「えーい、これでどうだ!来週一週間、朝晩俺が飯作るし食器も洗う。ついでに洗濯も!!」
人差し指を向けて必死な面持ちの仙道に、とうとう牧はプッと噴出すと「そこまでして聞きたい話かよ。しかも来週の飯当番は元からお前じゃないか」と言いながら体をまた正面に回転し向き直った。仙道は満面の笑みで頷いた。


牧はソファから起き上がると麦茶を取りにキッチンへと向かった。歩きながらも話し出す。
「俺は小児喘息で子供の頃は体が弱かった。小学生の頃通っていた病院の先生がいい人でな、俺は医者になろうと思ったんだ。中学でバスケ部に入ってバスケにハマって、バスケ選手もいいなとも思ったが…」
戻ってきた牧は麦茶の入ったコップを仙道に差し出しながら自分も一口飲み、今度は俺の隣──床に座った。
「儲かるのは医者だろ。だから高校三年でバスケを極めたら、医者の道に行こうってな。それにその頃ようやくスポーツドクターというのが日本でも少しずつ聞かれるようにもなっていたし。こりゃいいやって。それだけだ」
予想外に儲からないと知ったのは後の祭りだがなと付け加えて、牧はカラカラと笑った。

暫く黙って麦茶を大人しく飲んでいたが、仙道は不満げに口を開いた。
「…前聞いたのと全然違うんすけど…。しかもあんたがそんな金銭にこだわって進路を選んだなんて到底思えねぇんだけど」
「何だ、前言った事も覚えていたのか。じゃあそっちにしとけ」
あっけらかんと言い放った牧に仙道は盛大なブーイングをあげる。珍しくかなり本気で文句を言っているのが可笑しいのか、牧は笑いながら仙道の背中を軽く叩いた。
「同じ話を二回したってつまらないから、即席で作ってやったんだ。ありがたく思えよ。…それに、あんな話を何度もさせるな。恥ずかしい」
言った後、少し困った顔をした牧。納得できるようなできないような弁解ではあったが、仙道は仕方なく文句を言うのをやめることにした。


沢山悩み、沢山苦労と努力を繰り返し、時に失敗して遠回りしてみたりと。今思えば牧さんはそりゃもう頑張ってきた。全てを見てきた俺ではないけれど、知ってる限りでのこの人の忍耐力と努力には頭が下がる。だから俺も、あんたに恥じないようにバスケ、頑張ってはいるけどね。それだって頑張りどころの種類が違うもんなぁ…。
それをひけらかさないあんたが、好きだよ。でももうちょっとくらい話してくれたっていいのに。自慢話が聞きたい時だってあんだよ、俺にも。

けど。俺は知ってる。さっき話してくれた話も、全てが作り話じゃないことを。
数年前、牧さんのお母さんと二人きりになった時があった。夕食をご馳走になっているとき、牧さんに電話が入ったんだか、なんだったか。とにかくそん時。お母さんは牧さんの背中を見つめながら、しみじみと言った。
『あんなに広い背中になるとは思わなかったのよ…。あの子ね、小学生の頃、小児喘息で両腕を大きく開くというのができなかったの。腕を大きく開くとね、肺が広がるでしょ。空気が一気に入ってしまって喘息になってしまうから。…だから、クラスでも小さい方だったわ』
俺が驚きに目をみはると、お母さんは笑いながら話してくれた。
『良いお医者さんに出会えたということもあるし、あの子は昔から負けず嫌いでね。おかげさまで小学5年生の頃にはすっかり治って。それからは今まで打ち込めなかったスポーツに、そりゃもうこっちがオロオロするくらい入れ込んでしまってねぇ』

牧さんは俺がお母さんにこの話を聞かせてもらったことは知らない。そして俺に一度も喘息であったことを話してくれたことはない。さっきのだって、話してくれたのではなくて冗談としてだから、カウントには入らない。
何故話してくれないのか解らないけど、別にいいと思えるほどに今はなったよ。牧さんが、今が全てとしたいんならそれでいい。俺はもう焦らないで、そう思えるほど牧さんが好きだから。


「…おい、気持ち悪いぞ。哀れみというかなんというか、その…妙に優しい眼でこっち見てんなよ」
牧の少し嫌そうな声に仙道は自分が物思いにふけっていた事に気付いて苦笑する。気持ち悪いとは失礼なと言いたくもなったが、我慢する。
「俺なぁ、昔から思っているんだが。日本はかなり早くから進路を決定しなくてはならない流れがあるじゃないか。中学や高校時代なんて、どんな職業があるかとか、どれが自分に向いているかなんて解る時期じゃないと思うんだ。海外では大学で自分の向いているものをしっかり見極めて、卒業して色々な仕事に触れて、決定するらしい。詳しくは知らないけれど」
レースのカーテンがやっと入りはじめた生ぬるい風に揺れているのを見ながら牧は立てた片膝に顎をのせてぼんやり話す。
「今のゆとり教育というのは…俺には方向性が違ったまま施行されているように思えるよ。学業だけじゃなく、精神的な成長…進路選択の時期…」
牧は自分の言葉で思考の海へともぐってしまったらしく、窓の方に視線を向けたまま動かなくなってしまった。

俺たちには子供ができないんだから、んなこたどーだっていいじゃん…と、言わせない横顔が、そこにはあった。その横顔を見ながら、仙道はまた牧を好きになっている自分に気付き、口元をほころばせる。
自分のことよりも、常に周囲を見て考えているようなところがある牧だから、今の道を選んだのだろう。とても大きな困難が未だ解決されず山積みな道を。
俺とコートの上で戦うことより、更に険しい場所、全く違う方法で闘うことを。



ハッと仙道の方に牧は顔を向けると、慌てて立ち上がり「しまった!晩飯の用意してなかった!」と小さく叫んだ。
「いや、いいっすよ。今日は外食でもしましょうか。こないだ行きそびれた蕎麦屋なんてどっすか?」
「え…。だって今週は俺の食事当番…。それに、一昨日だって外食になって…」
「いいからいいから。俺は冷やしぶっかけにしようかなー」
よっこらしょとジジくさい言葉を呟きながら仙道は立ち上がる、と、同時に牧の手が伸びてきて仙道の頭を引き寄せた。仙道の額に自分の額を軽くつけると、牧は至近距離で瞳を合わせながら真顔で言った。
「…この借りは、即返すからな。一人でカッコつけてんじゃねぇぞ」
仙道が驚いて眼を少し大きく開いた瞬間、牧の噛み付くような口付けに襲われた。

すぐに離れようとした牧の唇を仙道が追い、掌で牧の顔を抑える。
角度を変えて繰り返される深く長いキスの後、仙道は牧の耳元に囁いた。
「蕎麦屋のラストオーダーは8時半。まだまだ時間あるから…お言葉に甘えて、借り、返してもらうよ。 今、ね」


仙道の手が滑るように牧の上着をはいでいき、そのまま牧を壁際に追い詰めて背中を向けさせた。牧の両手が逃げ場を求めるようにカリカリと軽く壁紙をかく音と、仙道がジッパーを下げる音が耳に熱い。
牧の背中に仙道は己の胸を重ね、唇で耳、右手で胸、左手で牧自身を性急に愛撫する。追い立てられているのは牧の方だというのに。
がくがくと震える膝を背後から割られ、仙道自身の熱を下着の上から押し付けられた時。牧は荒い息と共に言葉を重ねた。
「ま…だ、時間、あるんだろ…? なにをそんな…急いて…?」
「…理由言わなきゃ…駄目?」
「そういうわけじゃ…ない、が、……た…」
「た?」
肩越しに紅潮した頬が震えているのが分かる。本当は牧さんが言いたいことも分かっているのに、言葉で言わせたくてわざと聞き返した。
理由なんて聞くからだ。形振りかまわず欲しいとかきたてる理由なんて、たった一つしかないのに。
本当に借りを作っているのはどっちなんだろうか。何度も何度も好きにならせるあんたか、何度も何度も好きになってしまう俺…か?
今はせめて俺を求める言葉を言わせたい。言ってくれたら、俺が、俺たちが一つになろうともがく理由を言うから。

室内に夏の暑さ以外の熱が篭る。酸素が不足する。
互いの汗でずるりと二人の体がずれた時。くぐもった低い声で叩きつけるように牧が言った。
「立って、いられない。…くれ。早くおまえで支えてくれ」
言い終わらないうちに牧の膝が崩れ落ちそうになったのを、仙道の両腕が腰を抱くように止め、怒張したそれで一気に貫き上げた。唇に牧への想いをのせながら。

スピードを上げて昇り詰める中で、互いの想いが混ざり合い、胸に何度も力強く流れ込む。
それによって更に遠くへ、白光の世界へと二人は飛ばされる。

息が止まり指先の痺れを意識した次の瞬間には、もう加速度をつけて落下していた。重なり合うように。墜落した鳥のように。



褐色の滑らかな胸に伝う汗を舌でもう一度なめた。
漆黒の硬い髪に指をさしこんでかき回すようになでた。
数え切れないほど抱いてきた体を、抱かれてきた体を、飽きもせずに求めるのは。
想う気持ちに限りがないから。愛に限りがないように。



生暖かい夜風が星を揺らす。誰もいない、電灯がぽつりぽつりと並ぶ線路沿いの道。
頭の後ろで腕を組み、電灯の光を背に「目玉ー」と、影で遊びながら、少し遠い蕎麦屋までのんびり歩く。
「お前のは目玉に睫毛がついてるよな」と笑いながら、同じように牧も影をつくる。頭を左右に動かして「ギョロ目」、二人同じ高さに並んで頭を寄せ「寄り目」といって、くだらなさに爆笑した。

こんな時間がずっと続くんだ。ずっとずっと続けていきたいんだ。

爆笑したはずみで出た涙なのか、仙道は濡れた真っ黒な瞳を牧に向けた。その静かな美しさに、牧もまたこの何気ない日常の美しさに感謝する。

「…選択した理由なんて、後からどうとでも変えられるもんだろ。大事なのは、選択した後だ」
「うん」
「頑張ることと無理することは似てるようで違う。俺は、選択したものを続けていく。無理してじゃなく、精一杯続けられたと言える時…。二十年後にでも訊いてくれよ。その時には答えられると思うからさ」

昔はまだ答えが怖くてきけなかったことも、今はもうきけると、笑顔で仙道は訊ねる。
「続けていこうと選んだものの中に、俺は入っている?」
片眉を軽く上げ、牧はおどけるように言った。
「そんなこと。言わなきゃ、まだ分からないか?」
「そういうわけじゃないよー。分かってるけど訊いてみただけ」
「俺はお前の生涯をかける選択の中にある。だろ? 同じだよ」
「あはははは。ズルイ言い方しますねぇ。」
「訊くってのは、自分に都合いい言葉を相手に言わせるためにするのがほとんどなんだって、誰かが言ってた。 だから、ズルくていいんだ」
「じゃあ、俺も。あんたの選択の中で、俺を選んだのは最高の選択と言える。でしょ? だってあんたと同じなんだから」

線路脇の雑草が風にそよぐ。静かに二つの影を、ぼろくなったコンクリートに並べて歩く。牧からの応えはなかった。

ただ。 ゆっくりと牧の影が仙道の影に近づき、仙道の手をとった。 
その影の形が、牧のイニシャルを形づくっていたから、もう少しの間だけでもいいから壊したくなくて。
「…もうちょっとゆっくり歩こうよ」と仙道は言ってみた。
握り返してきた仙道の手の力が切ないから、もう少しの間だけでもいいから繋いでいたくて。
「遠回り、しようか」と牧は言ってみた。



手をつないで。

歩こう。

今夜は。







*end*




同タイトルの曲はもっと切なくて痛いけど、私が書くとこんな感じに。牧と仙道が痛いのは嫌なんだもん(笑)
いい歳こいた大人が手をつなぐって…いいですよね。昔の某CM、好きだったんですv

[ BACK ]