「う……や…、ちょ、ちょっと待て。落ち着け、な?、仙道」
首筋に降る仙道の唇の感触に神経が集中してしまっていた牧は、慌てて仙道の頭をつかんで引き剥がそうとした。が、失敗した。
そのまま地肌。しかも人に触れられたことのない胸の飾りに仙道の指が到達して、とうとう牧はこらえきれず仙道にショルダーアタックをかましてしまった。
これはしっかりと成功し、ようやく牧は体を少し離すことに成功する。
痛そうに顎をさすりながら、じっとりと非難がましい目で見られ、牧は困ったように眉間に皺を寄せた。
「何事も手順というかステップというか、その…。あまりに性急過ぎてはだな…えーと…」
今度は仙道が困ったように眉間に皺を寄せる。
「牧さん。何を言ってるんすか。どこが性急だっつんですか?俺達、両想いだったのに、無意味に恐ろしいほど遠回りしてきたんすよ?」
「そう…かもしれんが…。そうだって知ったのは昨日じゃないか。昨日の今日で、その、肉体関係にまで進むのは…いくらなんでも…」
自分の発言に更に耳たぶを赤くしながら牧はうつむいてしまった。
しかし返事をしてこない仙道がやはり気になったのか、照れ隠しのような渋い表情でまた牧は顔を上げた。
仙道の笑いをちょっとこらえた表情がそこにはあり、『SEX』とはっきり言った方がよっぽど良かったように感じて、牧は続きの言葉も言えぬままさらに首まで赤くして再度うつむくしかなかった。
昨夜、互いに向ける何年越しの片思いが俺の告白により実った。
牧さんも俺をずっと好きでいたという事実は、俺は一昨日に居酒屋で知ったため一日早い。牧さんにとっては昨日の今日だけれど、俺にとっては一日多いことになる。
それをまだ教えていないのはちょっと悪いかなとも思うけれど、だ。たった一日だけじゃないか。それに夢で予行演習したようなもんだとか思ってくれていてもいいような気もする。
ともかく、俺としては何故一日も早く全てを解りあいたいと思ってくれないのかが不思議でしかない。
頬も耳たぶも赤く染め困ったようにうつむいて、外されたシャツのボタンを直している姿を見ていると…自分が悪い事をしようとしているような錯覚に陥りそうになってしまう。
そんな考えを振り切るように、至極真面目な声で仙道は話しかけた。
「確かに、俺達は昨夜からただの同僚・後輩の枠を越えたけど。ずっとずっと…俺は牧さんを、牧さんは俺を、見てきた。想ってきたんだ。そうでしょ?」
牧はソファの上のクッションを膝に乗せ、意味もなくポンポンと叩きつつ目線を合わせないまま黙って頷いた。
「相手を見て、想っての期間は十分過ぎるほどとりました。一人でできることは全部やったって言えるよ。今度は二人でできることをしていきたいって思うのは自然なことじゃないすか? 触れて、感じて、解り合うっていう段階にきたって思わない?」
仙道は手を伸ばして牧の膝の上のクッションを奪ったが、牧はのそりと起き上がると移動し、無言のまま仙道から少し離れた床に腰を下ろした。
仙道の部屋には牧は一人で来たことはなかった。あまり回数は多くはないけれど、いつも来る時は他のバスケメンバーと一緒だった。
雑然とはしているが、決して不潔な印象はなく、不思議に落ち着ける。二部屋がつながった形の一人暮らしにしてはゆとりのある間取りは単身赴任者向けに作られたマンションのようだと、以前誰かが話していた。牧はその時、密かに仙道らしく好ましい部屋だと思っていたが、何故か会話には加わらなかった。
以前に来た時とほとんど変わっていないのに一人で来たせいなのか、それとも奇妙な緊張感がそうさせるのか。牧は落ち着かない様子でまたソファに戻って腰掛けた。
その様子にとうとう仙道は笑い出してしまった。静かな室内に明るい笑い声が少しエコーがかって響く。
「なんだよ…何がおかしい?」
「だって牧さん、自分で気付いてないの? もう部屋に来た途端に『一人で来るんじゃなかった』って顔丸出しだったよ? DVD観終わったらもう今すぐ帰りたいって様子で熊みたいにうろうろしまくりだすんだもん。今なんてさ、帰りたいって泣き出す子供の顔みたいっすよ」
「こっ、このやろう!誰のために俺がわざわざトレーニングメニューを早々に切り上げたと思ってんだ。お前があんまり誘うからっ」
パッと顔をあげて文句を続けようとした牧の頬に仙道は軽く口付け、にっこりと笑った。
「そう、あまりにも牧さんを早く深く知りたいから必死で誘ったんです。…本当は、解ってたんでしょ」
仙道はソファから腰を少し浮かし、今度は唇に軽く口付けて完全に牧の動きが止まるのを見届けてから断言するように言った。
「一人で来たのを後悔しちゃうのはね。俺とこうなるって解ってたからですよ。後悔しながらも今もここにいるのは、こうなることを頭のどっかは肯定してるってことです」
このチャンスを逃す気は毛頭ない仙道は意地の悪い言い方をして牧を追い詰める。けれど瞳だけは牧を安心させるように柔らかだった。
「…人の頭ん中、覗くな。趣味の悪い男だ…」
ため息交じりに返された言葉に返事をしないまま軽く唇の端を持ち上げて仙道が微笑む。その笑みが、牧の胸を優しく包み込む。
捕われる、と思った。もう昨夜のように第三者が現れて都合よく逃げることはできない。
「……電気、消しましょうか」
仙道が立ち上がり部屋の照明を切る。明るさに慣れていた瞳が暗闇に呑まれ、二人は手探りに互いの位置を確認し、どちらからともなく指を絡めた。
ようやく闇に目が慣れたのを機に牧から仙道に口付ける。逃げられないなら───飛び込むまでだ。
制御が全くきかない体がベッドから落ちそうになる。落ちないために必死で仙道につかまっていた牧の腕は、快楽と恍惚の世界へ意識が飛ばされないようにと必死ですがる形に変わっている。それすら互いの汗で何度も滑ってしまう。
離さないように、もう離れないように。何度も何度でもきつく互いを抱きしめ合う。痛みも快感も全て丸ごと抱きしめる。
今までずっと一人で抱きしめてきた寂しさも平穏も、もういらない。互いの腕はもう、自分ではない者を、最愛の者を抱きしめられることを知ってしまったから。
「も…う、我慢なんてしない。これからは…何も隠さない…ホントの俺のまんまで…あんたを愛させてもらう」
痛みではない涙が、見上げた仙道の切なげな表情を優しく揺らす。
「本当のお前を…俺の知らないお前を、教えてくれ。もっと……好…にならせ……」
牧の体がしなやかに弓なりになる。その背と腰を抱きしめるように仙道の腕にさらに力が込められる。
二人分の汗に濡れて光る褐色の地に、二つの小さな叫び声と白い花弁が、散った。
ブラインドの隙間から細い光の筋が部屋をストライプに薄く照らす。その様子をただぼんやりと横たわったまま見つめている牧。
自分の部屋に、自分の腕の中に牧さんがいる。何年も願っていた叶わないはずの夢がここにある。触れられる夢のようだ。限りなく幸せなのに、どこかまだ不安定な始まったばかりの二人の恋。
「こうしていると…夢なのか現実なのか解らないですね」
仙道の小さな囁きに牧も頷き、同じように小さく囁き返す。
「夢でも現実でも…隣にお前がいるなら…」
「いるよ。これからはずっと。…それこそ寝ても覚めても。」
牧の乱れた髪を優しく梳くように仙道の指が触れた。
「だから、このまま眠っていいですよ」
夢の中で確か似たようなことを仙道に言われた気がする。このまま眠っても、ようやく隣にいられるようになったこの関係は変わっていないと今なら思える。
もしも先ほどの熱病のような時間が夢であったとしても、目覚めても想いは同じなのだろうとも。
静かに目を閉じた牧に仙道が優しく呟く。
「おやすみ、牧さん。愛してますよ…」
隣の部屋に残された飲み残しの紅茶にひっそりと月が浮かんでいた。
*end*
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