これからも、宜しく
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aaaaa |
ベッドの中、まだ心地よいけだるさのまま仙道の腕に牧は抱かれていた。目を閉じ、かすかにどこかから聞こえてくるクラクションを耳にしていると、仙道の腕が少しずつ撫でるように牧の体を移動していった。肩、胸、わき腹、腹…。 「…おい、よせよ。もう今日は俺はダウンだぞ」 牧はそれでも執拗に撫でてくる仙道の腕をとって離そうとしたが、逆の手で手首を捕らえられてしまった。 「いえ、そうじゃなくて…。牧さん、かなり痩せました?」 「ん? 特に変わったことはしてないぞ?体重は…三ヶ月前計ったきりだから、最近は解らんが」 まだ起き上がりたくなかった牧だが、仙道が体重計を持ち出したので、渋々ベッドから起き上がった。牧が下着を着け終えると部屋の蛍光灯が眩しく点けられた。仙道に促され、体重計に乗る。 「…うーん…75かぁ。また筋肉落ちたのか」 「そんな悲しそうな顔しなくても。今までが筋肉つきすぎだったんですよ。体脂肪10%切ってたってのがすご過ぎなんですー」 仙道の伸ばされた腕を邪険に振り払うと、ふとその体に視線がとまった。頻繁に体を重ねてはいたが、煌々と光る蛍光灯の下でまじまじと仙道の体を眺めたのは久々だった。あきらかに記憶していた体つきと違う。 「お前…」 自分の腹筋に視線を固定してきた牧を、期待の眼差しで仙道は見つめた。鍛えてきた体に気付いて賞賛の言葉の一つでも…とワクワクする。 「仙道、お前、…太った?」 がっくりとうなだれてしまった仙道の背中を、牧は笑いながら軽く叩いた。 「嘘だよ、嘘。筋肉つけてるじゃないか。やっぱり高校とは練習量も違うもんな、うん。鍛えてるって解ったぞ」 偉い偉いと頭をなでられ、ようやく仙道の顔がパーッと明るくなった。意気揚々と体重計に乗ってみせる。 「ね、ね。俺、高校ん時より4kg増やしたんだよ。体脂肪そのままで。だから、増えたの全部筋肉なんすよ♪」 当たり負けしないように、ちょっと筋トレも増やしてたんですよーと、ボディービルダーのような決めポーズをとってはしゃぐ仙道。牧も笑いながらその頑張りを素直に誉めていた。 …が、だんだんと牧の表情は淋しそうなものに変化していった。 のろのろと衣服を身につけながら小さなため息を零した牧の様子に、遅まきながら気付いた仙道は慌てて服を着て隣に座った。 「どうしたの?何か俺、変なこと言った?」 顔の前で小さく手を振って、違うから気にするなと牧は言ったが、仙道の不安そうな表情は晴れず、牧は重くなってしまっていた口を開いた。 「俺がバスケから離れて二年近く経つんだな…ってさ。そりゃ筋肉も落ちるわけだよ」 「牧さんは医学バスケ部で週三回練習やってるじゃないっすか。大学入って完璧バスケやめた奴らなんて、もっと落ちてるし、気にしてないよ?」 「うん…。でも格段に運動量は当然だが落ちてるしな。体が変化しない方が不思議だし、別に気にしていなかったつもりだったんだけど」 仙道の腹に牧の手が触れ、そのまま静かに撫でさすられた。服の上からでもしっかりした硬い感触が牧の掌に伝わってくる。かつては仙道よりも自分の方が体は鍛え上げられており、持久力・筋力等、体的な面で劣るところなどなかった。そういえばベルトの穴も二つほど位置がずれていたし、肩の辺りがきつかった服も楽に着れるようになっていた…と、牧はぼんやりと思い起こしていた。 きっと今、仙道と公式試合をしたら…俺は仙道を止める事はできないだろう。俊敏さも持久力も何もかも…体力すらもこいつに勝てるものは俺には、ない。競技選手として必要なもの全てと引き換えに、別の夢を得ることを選んだ結果だから、後悔はない。 ない、はずなんだ。 なのにどうして俺は今、こんなにも胸がざわめくのだろう。こいつに置いていかれてしまったような気持ちになってしまうのだろう。 ぼんやりとした瞳。どこを見ているのか解らない。表情には何もない。 普段の牧らしからぬそんな様子に気付いた仙道は、自分の言葉の何かが牧のどこか深い部分に無遠慮に触ってしまったのかと悲しくなった。 いつも、こうだ。 言葉は自分の意図する方向とは無関係に飛び、全く予想外の所に全く違う意味合いに変化した状態で着地する。大事な人を傷つけないようにといつも思っているのに。沢山慎重に積み上げてきたもの全てが、自分の言葉一つで崩壊する危機に直面させる。 こんな瞳を牧にさせた自分が悲しくて、情けなくて、悔しくなる。自分の横っ面をぶん殴ってやりたい。 一番どうしようもないのが…自分の発したどの言葉がどんな風にこの人を辛くさせたのかが解らないこんな時だ。蒸し返してもまた苦しめてしまうと解っているから、訊いちゃいけないのに。いけないって解っているのに…また違う場面で同じようなことを繰り返さないために、苦しめると解っていて蒸し返すしかないんだ。 「牧さん…。ごめんね、俺、何かまた思慮を欠いた物言いしちまったみたい」 「『思慮を欠いた』だなんて、お前にしちゃ上等な言葉使うじゃないか。違うから、気にするな」 軽く笑った牧を仙道はそのまま抱きしめた。 「茶化さないでよ…。謝るから、だからお願い、そんな顔しないで。そんな淋しそうな顔で笑わないで下さい…」 「…お前の方が、泣きそうな面してるぞ…」 牧さんは以前より笑顔が柔らかくなった気がする。少し細くなったせいか、急激に増した俺だけに解るしなやかな色気。前から軽いフットワークだったけれど、今は軽いというより軽やかな身のこなしをするようになった。昔からパーフェクトな人だったが、今はまた形を変えて、また違う素晴らしい魅力を感じさせてくれている。どう変化しても俺にはかなわない完璧なこの人は、いったい何が淋しいのだろう。淋しいのは俺の方だ…。いくらウェイトを増やしてもスキルを伸ばしても、別次元で完璧なあんたに、いつになってもかなわない俺の方だ。 最初は筋肉が落ちてがっかりしているのかな、ぐらいにしか思わなかった。それ以外に何があんな瞳をさせてしまったのかが思いつかない。 言って…くれたらいいのに。罵詈雑言でもなんでも、怒鳴るだけでもいいのに。心で俺を拒絶しないでと泣きたい気持ちに襲われる…。 そのうちだんだんと仙道の思考は変化する。元来、あまり自己否定思考に慣れていないせいなのか、それとも牧の様子が先ほどより穏やかないつもの表情に戻りつつあることに安堵したせいなのか。 いつの間にか仙道は牧を強く抱きしめていた。牧もされるがままの状態で己の思考にぼんやり浸かっていた。 しかし、牧が少し寒そうな身震いをしたので慌てて二人はベッドに潜り込むことにした。暫しの沈黙の後、仙道は瞳を閉じたまま苦しそうに言った。 「牧さん…これ以上、綺麗にならないで下さい。俺、不安なんです…牧さんは寮生活だし」 「はぁ?」 「鍛え上げていた今までの体も最高だけど…今の、ちょっと細くなって色気が増したあんたを、他の奴等に見られるの、悔しい…」 「おい…?何を言ってるのかさっぱり話が見えんのだが…」 いきなり仙道はガバリと起き上がり、頭を抱え込んで叫んだ。 「解ってるんだ、自分でもあんたを傷つけといて何を言ってるのかって!なんでこんな時に俺は嫉妬心を暴露しちゃうほどバカなのかって!!でも嫌なんです、あんたが俺以外の奴らと風呂入るの!!しかも最近なんて特に色気と感度を増しちまってるあんたを!!そこまで育て上げた俺じゃなくて、他の奴らがその美を拝んでいるなんてっ!!あぁあぁあーっ」 仙道の広くはないが狭くもないワンルームにバコン☆という大きな物音が響き、仙道の叫び声も止まった。 ベッドの横に置いてあった漫画雑誌が歪んでしまったのを牧は手で伸ばしながら直そうとしたが直らず、そのまままた床に置いた。それから静かに仙道の耳元に牧は囁いた。 「仙道…聞こえているか?大丈夫か?」 「…じ…自分で叩いておいて…何が『大丈夫か?』っすか…」 涙目で見上げてきた仙道に、ホッと牧は息をついた。良かった、正気に戻ったか…と。 「仙道、いいか。落ち着いて話し合おう。俺もつい情けなくもちょっと落ち込んでいたから、お前の話の意味も解らなかった。お前は頭がおかしいから、やみくもに不安になっているようだし。話し合おう、な」 牧はけっこうサラリと毒舌を会話に織り込む。悪気が全くないぶん、仙道は毎度苦笑いをするしかないのだが。 仙道は一生懸命に自分がどの言葉で牧を傷つけたか解らないが謝りたいし、教えて欲しいということや、牧が細くなったことにより、いかに妖艶な美を高めたかを思いつく言葉の限りで伝えた。 牧は最初苦々しい表情をしていたが、後半の説明では首まで赤くなり、聞くのも嫌というように耳を両手でふさいで悶絶しだした。 しかし最後はあきらめたように力なく笑った。 「バカだバカだとは思っていたが…。無事大学推薦も受かったし、最近はバカじゃないんじゃないかと思ってきていたのに…」 「な、なんすかそれ。俺のバカと牧さんの増大した最強フェロモンとどう関係あるっつんですか」 ポカリと仙道の頭を叩きながら、牧は仕方がなさそうに言った。 「俺はな。お前が喜ぶ、その『筋肉が落ちた』というのが淋しかったんだよ。お前が筋肉ついていいガタイになってるのに、自分は…ってな」 「えー?だってそれはさっき牧さん、自分で話してたじゃない。運動量にみあった体になるのはしょーがないっしょ」 「ガタイだけじゃない。スキルも何もかも、だ。…あぁ、こんなこと言うはめになるとは。みっともねぇなぁ、俺も」 チェッと小さく舌打ちをして頭をかいている。仙道にはそんな姿まで可愛く見えたが、また素直に言葉にすると叩かれるのでグッと我慢した。 「これからの牧さんに必要なのは競技バスケ用の筋肉でもスキルでもないでしょ。沢山の知識や別方面のスキルが必要になるんだもん、全部を身につけていくってのは無理っすよ。何か捨てなきゃ、何かを得られない。人間ってそんなもんでしょ?」 「…宇宙人みたいなお前に諭されるのって何だかなぁー」 くすくすと笑いながら牧は額を仙道の胸にすりつけた。無意識でやってる行動にしては可愛すぎる。でも言ってる言葉は相変わらず毒舌だ。 「どうして俺が宇宙人なのさ?そりゃね、ちょっと天才かなーなんて自分でも思うけど」 真面目な顔で言っている仙道を見て、牧はどこまで本気で言っているのか判断がつかなかった。こういうところも牧にとっては宇宙人的に感じられた。 「お前は何かを捨てたことがあるのか?」 仙道の質問にはあえて答えず、牧は自称・天才というのは何も捨てないでいられるものなのかと思い訊いてみた。 「俺?俺はいっぱい捨ててますよ。 物理に古典にー。その他諸々。大学入っちまったからもういらねーもん。つかね、俺はあんまりなんにも持ってないっすから。俺にあるのは『バスケと牧紳一』これで全部。いっぱいいっぱい」 思いっきり真面目な顔で言うので、とうとう牧はブブブーッと噴き出した。腹を抱え、噴き出しながらも「そ、そいつはシンプルで、いいな」などと細切れに言っている。 最初は「なんで笑うんすかー。ヤな感じー」と文句を言っていた仙道も、牧の明るい笑い声につられて一緒に笑い出した。 何もかも全てキープしたままでいられるなんて思っちゃいない。何も捨てないで生きていけるわけなんてない。そんな解りきった事を頭では理解したつもりで、心で理解ができていなかった。医学の道へと進むと決めた時、自分はどこまで…どちらで理解をしていたのだろう。 牧は自分の両腕を天井に向けて伸ばした。体は筋肉が落ちたのは目に見えて解ったが、腕などは解らなかった。しかしそれも自分では気付いていないし見て解らないだけで、きっと腕力は落ちている。 けれど。この腕は、指は。これからはボールではなく人の体を支えるものになる。そうなるようにしていく。 仙道の腕が天井に伸ばされ、そのまま牧の右手に重なり、ゆっくりと指をからめてきた。 捨てるもの、得るもの。これから様々に変わるであろうこと。けれど、絶対に変わらないものはここにある。 牧は指に軽く力を入れた。同じ力で仙道が握り返してくる。 「牧さん。あんたには沢山のものがあるよ。自分じゃ気付いてないだけで。その中の一つに、俺がいるよ。覚えていてね」 「あぁ」 「でね。他の何を捨ててもいいけど。俺だけは捨てちゃ駄目っすよ」 茶目っ気たっぷりの仙道の横顔。本当にこいつは宇宙人だと思う。194cmというデカイ図体でこんなに可愛くて、恐ろしいほど素直で、本当はとても頭がいいのに、バカで。そして悔しいほど… 「お前ってホント、いい男になったよな」 「もう。また茶化して。都合が悪くなると牧さんは誉めるんだから。んで俺はそれにしょっちゅう騙されちまうんだよねー」 「本当にそう思ったんだって」 「いーえ、その顔は怪しい。あ、ほらまた笑った。ホントにこれ以上可愛くなられたらもう頭からガリガリ喰っちゃうよ、俺」 仙道は牧を片腕でヘッドロックしながら空いた手で髪の毛をくしゃくしゃとかき回した。牧は今までのように軽くその腕をほどこうとしたが、思いのほか仙道の腕力は強くなっており、少々苦戦を強いられ苦笑いを零す。 きっとこうしてまたふとしたことで仙道の強さと優しさに気付いては、己の変化というものも一緒に気付かされるのだろう。 でき得るならば。数限りなく変化していくこの世の中と同様に変化していく自分達ではあるけれど。何時のときも笑ってそれを頷ける俺達自身で在りたいものだ。 そのためにも。仙道、俺をこうして支えていてくれ。俺もお前を支えていくから。心だけじゃなく、いつかお前のスポーツ選手としての体も支えられる男になる。 そうなるには少々…いや、かなり時間がかかるだろうけれど。 仙道は先ほどのぼんやりとした瞳とは違ういつものしっかりした牧の瞳に安心し、ホッと小さく気付かれないように息を吐く。掛け布団を軽く引き上げて少し牧の体に寄り添うようにして目を閉じた。 牧さんに教えたいことがある。手の中にあるものは、自分が選んだものだけじゃないことを。俺のようにあんたの手の中に在りたくて飛び込んだものもあること。手から落とされてしまわないよう、必死になってるもんがあるってことを。 けれどそれはまたいつか…もっと自分があんたにふさわしい男になったら話そう。 そうなるのにどのくらいかかるかは…まぁ、これから先のお楽しみってことにしておくしかねーけど。 それまでに捨てられないように、もう少し勉強も力を入れようかななどと、仙道がちょっと真面目に考え始めた頃、牧が小さく呟いた。 「これからも、宜しく」 と。 *end*
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バスケ部と医学バスケ部は全く別物です。医学の方ははあくまで勉強主体。
少し筋肉が落ちた細身の牧もいいですよね。でへへv←いやらしい笑いすんな☆ |