パウンドケーキ
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今日の晩飯メニューは人気の五目飯とコロッケと里芋の煮物(いつもの野菜サラダと味噌汁付)。それと月に一度、寮母の娘さんが焼いて差し入れしてくれるパウンドケーキのおまけつき。 僕は味噌汁を零さないようにしてけっこう人が多い食堂内の空いている席を探した。二つほど空いている席のあるテーブルに着いた。 向かいに並んでいる三人は医学部の面子のようで、なにやら医学用語が会話に飛び交っていた。ちらりと目をやると、真ん中に座ってる人物は僕の二つ隣の角部屋に住んでいる、確か牧というやつだった。かなり高い身長と彫の深い顔立ち、何よりテニス部の奴等と同じかそれ以上の肌の黒さ。色白の僕なんかには羨ましいところばかり。おまけにけっこう顔も整ってる…同い年には全く見えないけど。外見が目立つ奴だから、話しをしたことはなかったけど覚えていた。 聞くともなしに耳に入ってくる会話をぼんやりと聞きながら僕は五目飯に箸をつけた。 「どうした、牧。食わねぇの?」 「…。なぁ、坂下は甘いもん嫌いなんだよな。これと俺のおかずとトレードしないか?」 「そりゃ嬉しいけど、今日のおかずは牧も全部好きだろ?いいの?」 「ああ。ちょっと昼、食いすぎて。どれでも好きなのいいぞ」 おかずのトレードはよくあることだから、さほど驚きもしない。でもおまけのパウンドケーキは素朴というか、味はまぁまぁいいけれど小さい割りにずっしりと重く、飲み物がないと飲み込みにくい代物で。人気は正直ほとんどないけれど、日持ちがするからと部屋に持っていって夜食にするやつもいた。けれどよく食わないままカビさせている奴の話も聞く。そんなものと今日の人気おかずをトレードするなんて…よっぽどこのケーキが好きなんだなと驚いた。 「小林さ、煮物好きだよな。よかったらその…」 「え?本気かよ。牧のおかずなくなるじゃないか。そりゃ俺は里芋好きだけど…」 「サンキュ」 僕はびっくりして思わず顔を上げてしまった。すると僕の隣に座っていた奴も顔を上げ、面白そうに会話に参加した。 「五目飯半分と俺のパウンドケーキと交換してやってもいいぞ」 周囲にどっと笑いがおこった。主食の飯と交換する奴なんていねーよと、隣のテーブルからも声が上がった。彼らもこのやりとりを聞いていたらしい。 しかし牧は飯を半分に分けだした。周囲から「おいおいおいー。夜、腹減るぞ」といわれても、彼は嬉しそうに差し出して交換してから言った。 「本当に減ってないんだ。残りの飯とサラダと味噌汁、どれでもいいからケーキとトレードしたい奴はいないか?」 それからはもう、皆が悪ノリしちゃって。彼のトレイの上には味噌汁と5つのパウンドケーキという形になっていた。 「夜食は当分困らないな、牧。カビらすなよ。しっかしまぁ、よっぽど好きなんだな、それ」 「ああ、好きだ」 至極真面目に返事をする彼の周囲はまた笑いに包まれた。味噌汁を飲んでいる彼に、食事を終えて席を立つ奴等がケーキの袋を彼のトレイに載せていった。彼も律儀に一人一人に軽く頭を下げていた。僕も笑って自分の分を差し出すと、笑顔で会釈された。笑うと…とても優しい顔になるんだと初めて知った。 それがどんどん増えてきて、牧が席を立つ頃にはトレイの上はケーキの袋が山積み。片手にお碗の乗ったトレーを持ちながらトレーナーを半分折り上げて、彼はカンガルーのような即席ポケットにケーキを入れて空いた手で支えながら去っていった。 甘いものなんて嫌いそうに見える渋い男。めくり上げて見えた腹は驚くほど鍛えあげてあって、益々甘いものから縁が遠そうに思えた。でもやっぱり相当甘いもの好きなんだろう。笑うと優しい顔や見かけに似合わないとこなどを思いがけず知って、気付けば僕はなんとなく彼に好感を持っていた。 その夜、友達の部屋から戻る途中、廊下で彼の高くて広い背中を見つけた。片手にはコンビニの弁当が入っているらしき袋を下げていた。やっぱケーキばっかり食ってたって飯が食いたくなるもんだよな…なんて思って、僕はちょっと笑ってしまった。 せっかくの日曜日だというのに、部屋に篭って机に向かって。そして窓を見上げればもう空は夕暮れ近い色に変わり始めていた。 やっと課題が提出できる目処がついて、僕は外の空気でも吸うかとイライラした気持ちをぶつけるように部屋のドアを勢いよく開いた。 「うわっ」 「あっ、ご、ごめん!!」 僕が反射的に謝って足元を見ると、尻餅をついた形で座り込んでる変わった髪形の男。そして散乱する昨日のパウンドケーキ。 「大丈夫か、仙道」 左頭上から笑ったような声が降ってきた。見上げると、牧が苦笑いをしながら仙道と呼びかけた相手に手を差し伸べていた。 「ごめん、急にドア開けちゃって。ぶつかった?大丈夫?」 座っていた男はニコリと僕に笑うと牧の手を掴んで立ち上がった。…でかい!!牧よりでかいそいつは 「いや、ドアで転んだんじゃないんす。俺がふざけて歩いてて。で、そこでつまづいただけ。気にしないで下さい」 僕に敬語を使いながら廊下にある配線コードを指差した。毎月誰かかれかがそこにつまづいてコケるのはよくあることで、僕はホッとした。 廊下にちらばった沢山のケーキの小袋を三人で拾った。その時に仙道君と目があった。牧とはまた違う整った顔の彼は照れくさそうに言った。 「俺、このケーキ好きで。一回牧さんにもらって以来、けっこう色々なケーキ屋探して、でも売ってなくて。だから牧さんに今度売りにきたら買っといてってお願いしてたんです」 「…君、甘いもの好きなんだ」 「いえ、実はあんまり。でもこれは…昔、婆ちゃんが焼いてくれたのと同じ味な気がして」 彼は少し赤い顔になった。その隣で拾っている牧の横顔がとても優しい表情になっていたのを僕は見た。 「牧さん、今度は三個くらいでいいっすから」 「おう。今回の食いきれない分は、部活の奴等に配るといい。気をつけて帰れよ」 「はい。じゃあ、また。えと…拾ってくれてありがとうございます」 僕の方を向いて彼はペコリと頭を下げた。 「あ、僕は田村。気をつけて帰りなよ。足元に気をつけて」 成り行きで僕は仙道君が帰っていくのを寮の玄関で牧と最後まで見送った。 仙道の背が角を曲がって見えなくなってから、二人は部屋に戻るべく歩き出した。 「ケーキ…寮母さんの娘さ」 牧の言葉を田村はさえぎるように話し出した。 「月に一度売りに来るパン屋のパウンドケーキは、これからは買うのは三個でいいみたいだね。牧のと僕のと、君の友達の甘いもの嫌いのやつの分とで、丁度いい数だよ。次からは飯もおかず一品減るだけで済む」 かなり高い位置にある彼の顔を見上げるようにして僕はにやりと笑ってみせた。 「…ありがとう、村田」 はにかんだような笑顔に僕は思わず見惚れてしまった。また一つ彼の一面、友達思いなところを知った気がした。 「あ、ここが僕の部屋。今日は残りの課題やっちゃわないといけないんだけど。今度さ、遊びにおいでよ」 「俺は、そこの角部屋。なんだ、かなり近いんだな。俺のところにも今度来いよ」 「うん。じゃあおやすみ、牧」 「おやすみ、村田」 「あ」 「?」 「…僕、田村裕也っていうんだ。人文学の」 「!! そ、それはすまない。俺は医学の牧紳一。…すまん、俺、人の名前覚えるの苦手なんだ…」 しどろもどろになりながら赤い顔で謝る牧を見て、田村は近いうちに彼の部屋に遊びに行こうと思った。 部屋に戻るといつの間にかイライラは納まっていたことに気づく。携帯を手にし、アドレスに登録してあるたった一人の彼女の番号に、かける。 「もしもし、僕。裕也だけど」 『どうしたの?珍しいね、裕くんから電話くれるなんて。嬉しいけど』 「急にさ、声が聞きたくなったんだ…」 優しい瞳。交わされる笑顔。大切に思う相手。 今夜はきっといい夢をみるような気がする。 *end*
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オリジナルキャラの田村は別に覚えなくていいです(笑) 外見は宮益をイメージしてます。 |