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「話をしに来たのに…」
牧は仙道にまた抱きしめられて服を着るのを邪魔されて苦笑いを零す。まだ肌を合わせるのは二度目。気恥ずかしさを消せるべくもなく、事が終わった後のこういった状況は居心地の悪さをいなめない。それなのに邪険にできないのは、自分も仙道の肌のぬくもりをずっと望んでいたからに他ならない。だからといってこれ以上は気持ちもさることながら体力的にも持たなくなりそうで、牧は自分から一度軽く仙道の指を噛んでから起き上がる。
伸ばされた仙道の長い腕をかわし、少しふらつく体を悟られないようにしながらユニットバスへ向かった。

人が自宅のシャワーを浴びている音を聞くのは久しぶりだ…と、そこまで思ってやっと、牧がここで浴びるようになって以来他の人には使わせていないということに仙道は気付く。
「俺ってこんなに一途だったんだなぁ…知らなかった」
ここ二ヶ月の淀んだ心が無理に作っていた笑顔ではなく、心の奥から溢れ出る喜びにまかせて仙道は満面に笑みを浮かべたままシーツに収まっていた。
ブルーのタオルを頭にかけたまま、牧が戻ってきた。まだ湿っている体から石鹸の香りがほのかに香り、仙道はたまらず腕を伸ばし牧の腰を引く。
「おい。離せ。お前も浴びて来いよ、サッパリするから」
「俺は牧さんとこってりしていたいです♪ こってりまったりしながらでも話はできますよ」
スリスリとバスタオルが巻かれた腰に顔をすりつけている仙道に牧は容赦なくエルボーをお見舞いした。
「浴びて来い、と言っているんだ。話はそれからだ。まったりしながらお前と話なんぞできるかっ」
「…あぁあー…この痛みまでもが懐かしい。俺ってマゾっけあるのかも。イタタタ…」


時計を見るともう日付が変わろうとしていた。沢山の喜びと安堵感が二人に一気に疲れを思い出させる。あくびをしている仙道にブラックコーヒーを差し出しながら牧は明日の天気でも話すかのような口調で言った。
「俺、T波大学医学部に入った。そこで学んで医師の資格を得て…ゆくゆくはスポーツドクターになろうと思う」
きょとんとして黙っている仙道にかまわず、牧はコーヒーをゆっくり飲み、やはりブラックは俺は駄目だ。砂糖を入れてくると言い残して台所へ向かった。
「…え?ちょ、牧さん…T波って、体育学部じゃなくて?」
「体育学部行く気なら、受験なんてしない。推薦で入ってる」
特別なことを話しているのではないような普通さで返事を返されて、仙道はぼんやりとコーヒーから立ち上る湯気と牧とを交互に見ているしかできなかった。


ゆっくりと牧が話した内容は、大体こんな感じのことだった。
医学を学んで形成外科になって、いつかは体育協会公認のスポーツドクターとして生計をたてていくのが夢だ、と。 そして大学は一人暮らしをし、バスケ部には入らないということ。

仙道は一瞬目の前が真っ暗になった。思考がまともに回らない。牧の声がぼんやりと耳の中で形にならないまま反響する。
「…、おい、…仙道?聞いてるか?」
肩を数回たたかれてようやく、仙道は顔を上げた。『やっぱりなぁ…』牧はそんな言葉を咽で止める。予想はある程度していた。自分が大学でバスケをやらないということは、仙道にとっていくらかショックではあるだろうと。しかし、ここまで悲愴な顔色をされるとは想像を超えていた。
「じゃあさ、もう、あんたと俺は競えないんすか? あんたがバスケ捨てれるわけない…のに」
「…やっぱりお前、俺の話をほとんど聞いてないな。いいか、もう一度言ってやる。よく聞け、まったく。」
牧は両手で仙道の顔を優しく包んだ。そのまま瞳を固定して諭すように話し出す。
「俺はバスケを捨てるんじゃない。バスケとずっと係わっていくことを決めたんだ。それはお前の考える係わりとは違うが。選手としてじゃなく、選手をサポートする立場になって、ずっとバスケ…スポーツに近い場所にいる職業に就くことを選択した。 選手生命というのは長くて30代後半で終わるのがほとんどだ。でも俺は50や60までスポーツという世界に係わってやろうって思ったんだ。解るか?」
悲しそうな瞳で頷く仙道に、どれだけ俺の言葉は届いたのか解らない。理解させることは今すぐなんて無理だということは解る。自分でもこの進路を選ぶまで随分と時間がかかってしまったから。
けれど、誰にでもなく、お前にはいつかは解ってもらいたいから。だから一番に会いに来た。そして、話を聞いて欲しかったんだ…。

全力でバスケだけに生きてきた。中学の頃の後悔を高校で雪いだ。だからこそ次の夢にかけることを選択できた。バスケ選手生命が終わったあとで追いかけるには遅い夢を、今から追うんだ。早いスタートを切ることで、より確実に未来の自分が笑っていられるように。
今すぐじゃなくていいから、お前にだけは理解して欲しいんだ。俺がどれほどバスケを…スポーツという世界を好きかということも。

「お前と競うということ。それは確かにバスケの試合という形ではもうない。だけど、それが俺たちの関係の全てじゃないだろ。少なくとも俺はそう思っている」
「…そう…だけど…」
まだどこかぼんやりとした瞳のままの仙道に、牧は静かで厳しい表情を向けた。
「俺は自分の進路をお前に判断を仰ぐために話をしているんじゃない。今まで話したことは、端的に言えばただの連絡にすぎない。今から言うことが、俺が本当に話したい…お前の気持ちを訊きたいことなんだ」
厳しい表情の中にどこか不安を滲ませたはじめた牧を、普段の仙道なら見抜けていたであろう。しかしこの時は自制心を働かせるだけで精一杯であったため、仙道の口からは言葉は出なかった。
「お前に訊きたいのは…。バスケット選手ではなくなる俺を、この先も…追ってくる気はあるかどうかなんだ…。バスケをしない俺に興味がなく」
ガンッと、仙道がマグカップをテーブルに叩きつける音が響いた。話しながら視線をいつの間にかテーブルの上に置いてしてしまっていた牧は弾けるように顔を上げた。
「確かに俺はバスケット選手としてのあんたに興味を抱いたのが最初だよ? けど、そんなんきっかけに過ぎねぇよ。まだ信じてくんねぇの、俺を? もう興味なんかじゃ済まされない、あんたを、牧紳一を愛している俺に『もしも』なんて言うのかよ!! これ以上俺を試したいんすか?」
怒りなのか悲しみなのか判別しがたい表情の仙道を牧はポカンとしばらく見上げていたが、そのうち、みるみる赤くなっていった。
「…す、すまない…。そんなつもりじゃ…。ただ、俺はたった数ヶ月で…しかも男同士でその、ええと」
先ほどまでのはっきりとした口調の人物と同じには到底思えない、しどろもどろで困り顔を見せている牧を見ているうちに…やっと仙道はへにゃりと表情を崩した。
それを見て牧は赤くなりながらも眉根をしかめ、口をへの字に変えた。


「あーあ。結局バスケではあんたの勝ち逃げになっちまうんだなー」
チェッと舌打ちをしながら仙道はホットミルクを牧に差し出した。小さくお礼を呟いて牧は湯気の香りを嗅いだ。柔らかなミルクの香りにホッとする。
「よく言うよ。負けたなんて思ってもないくせに。 まぁな、俺はそういうことにしておいてもいいけどな。気分がいいし」と軽く笑った。
しばし穏やかに二人、何も言わずにただ温かな優しい味を楽しむ。表情は今までの自然と交し合う笑顔に戻っていた。

「俺さ、確かにあんたが大学バスケをやらないのにショックうけたよ。でも遠距離になって、バスケも直接的には関係なくなって…牧さんの中に俺の居場所がなくなるような気がしてさ。実はちょっと不安になって大声出しちまったんかも。ごめんね」
照れながら大きな体をちょっと小さくして謝る姿に愛しさがじんわりと牧の胸に広がる。いつも必要以上に物分りがいい、自分と同い年と錯覚させる部分が多々あるスマートさから、つい年下ということを忘れて接してしまっている自分を心の中で詫びる。
「気にしてない。俺も思慮不足な発言だった。すまん」


T大の付近…茨城県に俺が入れるような大学あるんかなぁと仙道はボソリと口にした。
「お前、頭のレベルはどのくらいなんだ?」
「何ですか、そのバカにした顔は。俺はね、こう見えても!」
「見えても?」
「…赤点一科目だけっす」
「どうもこうも、お前のバカは見たまんまかよ」
牧は盛大にため息をついた。一発受験で医学部に入る男につかれたため息は、北風のように冷たく感じられ、仙道は発しかけた悪態を飲み込むしかなかった。

「遠距離の話なんだが。お前さ、今年はインターハイ全国行けよ。バスケでいい成績上げろ。もちろん学業も少し本気入れろ。みっともない」
「なんすか?急に。 そりゃインハイ行く気はあるけど。それと俺らの遠距離恋愛にどう関係するんすか?」
「れ、恋愛だとか真顔で言うな。 あのな、T波大体育科はバスケ推薦あるから…。そのお誘いが来るにはいくらお前が天才的プレイヤーと言われてようが、一度くらいはそれなりの成績残してなきゃ駄目だろ。だから…さ。…その…」
言いながらだんだんと赤くなる牧を仙道は嬉しそうに見つめた。にやつく口をなるべく普通にしようと苦戦しながら仙道は言う。
「『その、』なに? 続きは?」
「……解ってて訊いてんな、このやろう」
「俺は誰かさんと違って見かけ通りのバカだから解りませーん♪」
前言撤回。大人びて感じる部分も多々あるが、やっぱガキ。もうバカガキにしか思えないところは以前からその倍以上あったんだ。騙されてる…。 心の中とはいえちょっと詫びた自分を牧は激しく後悔した。

「あーあ。バスケ死ぬほど頑張っちゃおう。なんたって可愛いダーリンのとこに早く行かなきゃいけなくなっちまったからなぁ!!」
「…さっきの話はなしだ。お前なんてどこか僻地の大学にでも行っちまえ、バカ。誰がダーリンだ、アホ」
「俺、遠距離恋愛って苦手だよ、きっと。やったことねぇけど、もうこの二ヶ月で俺には向いてないってすっげー解った。まぁ一年はね、声も聞けるし、会いにも行けるから我慢すっけど」
「……一年だけ待ってやる」
仙道の長い腕にすっぽりと抱きこまれながら牧は耳まで赤くして「俺も…遠距離は苦手、だと思う」と小さく呟いた。

もしもあのまま言葉を続けていて、仙道が言葉を濁していたら。バスケを選ばない俺をお前が追ってこれないと言ったなら。
そう考えて用意していた言葉が無駄になったことを牧は嬉しく感じた。この言葉はもっと後で…もっとお前が本当に俺を欲しているときに言いたいから。

いつまでたってもバスルームから現れない仙道に牧は「入るぞ」と声をかけてドアを開けた。真剣な表情で鏡とにらめっこをしている仙道を牧は訝しげな目で見ながら歯を磨きだした。
「ねぇ、牧さん。…俺ってそんなにバカ顔?」
ゴブフォッと牧は盛大に歯磨きの泡を仙道に浴びせた。そのまま慌てて口をゆすぐ。
「うわっ、ひでぇよ牧さん、何すんだよー。こんなん浴びちまったらますますバカ顔決定じゃん」
仙道は不平を言いながら顔を洗った。
「お前が笑わすからいけないんだ。あんな冗談、まだ本気にしてたのか」
「だって俺…越野や福田にも牧さんに会った次の日はバカ顔してるって言われる」
「なっ…なんてこっぱずかしいことを…。 あ。お前、わざと俺の反応試したなっ。お前がバカなのは顔じゃなく脳ミソだ!!」
牧は赤くなりながら仙道の耳をギリギリとひっぱった。狭いユニットバス内に仙道の痛がる声が木霊した。

しょんぼりと布団に入った仙道にうんざりした表情を向けて、渋々と牧は言った。
「…脳ミソは部分的にバカだが、顔は…俺よりマシだ。自信持て」
「それは嘘っすよ。牧さんほどカッコ良くて彫りが深くて綺麗な眼、通った鼻筋と可愛いホクロ、触れるとふっくら柔らかい唇で…イダッ☆」
「聞くに堪えん!!お前の世辞は気持ち悪いっ」
「お世辞じゃないよー!!だって俺、越野と福田、魚住さんにも言って『そうだな』って言われてるよ?」
またもやひっぱられていた耳から指を離され、ホッとした仙道の耳に今度は牧の悲痛な絶叫が近距離で炸裂した。



その後、耳鳴りがやまない仙道は、田岡監督の怒鳴り声を重ねて浴びては鼓膜が破れると恐れ、四日間遅刻せずに部活に通った。
越野と福田は「どうせ牧さんに『遅刻するな』とか言われたんだろ」などなど、牧がその場にいたら恥ずかしさのあまり憤死しそうになるようなからかいを仙道に浴びせた。そして当然満面の笑みで仙道はいつものように返す。
「ご想像におまかせします♪」と。




*end*




牧をバスケ選手以外の職業につかせて、白衣なんぞ着せたいにゃー♪と思って
気軽に始めたミントチョコシリーズ。何故だ…なかなか簡単にいかないじょ?いやーん☆



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