天気はとっても快晴で。雲ひとつない空を寝っころがって見上げるというのはなんとも気持ちがいいもので。俺はまだ上映時間までたっぷりある時間をつぶす絶好のこの場所でうとうとしかけていた。
そんな俺の耳に低い声と少し高い声の会話が流れてきた。聞くとはなしに聞いていると、どうやらそれは別れ話のようであった。
「ごめんね…。私から付き合ってってお願いしたのに」
「…いや、付き合うと返事をしたのは俺だから。そうなった以上、俺がもっとしっかりするべきだったんだ」
「違うよ。最初から無理だって言われてたのに私が『付き合ってみたら好きになるかもしれないじゃない』って強引に押したんだもん。もっと私、自分でも気長に好きになってもらえるよう頑張れるつもりだったのに…。私が悪いのよ」
人の別れ話というのはドラマのようで面白い。しかも三日前にふられた俺とこの男は全くタイプが違いそうだ。女のタイプも。まだこいつらだったら別れないでズルズル付き合ってりゃ元鞘に戻るかもしれないよな…なんて思って聞いているうちに声がもっと小さくなったので、暇人な俺は茂みの後ろにあるベンチに座っているのであろう二人に背後から近寄っていた。
俺の寝ている芝生の位置は凹んでいるので、小さい茂みからは男の後ろ頭が少し見える程度だ。小さい男なのかな…?
「ねぇ。私の誕生日、何日か覚えてる?」
「…10月8日だろ?」
「あはは。8月10日だよ。やっぱりねー。誕生日の二日前に会えるか電話した時に用事あるってあっさり断られて…淋しかったんだ」
「………す、すまんかった」
俺はあまりにマヌケなこの男の表情が見えるような気がして笑いをこらえるのが大変だった。いいキャラしてるよこいつ。
それにしてもなんだか聞いた事があるような声なんだよなー。背が低くてちょっと茶色い髪って…知り合いにいたかなぁ。
「一年間、ありがとう。ごめんね、色々無理させちゃって。私やっぱりまだまだ自分磨かないとダメなんだって解ったし…贅沢言うけど誕生日くらいは『会おう』って言ってくれる人と付き合ってみたいの」
「…贅沢なんかじゃないよ。こっちこそごめん。部活だなんだってバタバタしてたって、時間なんて作ろうとすりゃ作れたのかもしれない」
「いいの、もう。牧君の目に私をしっかり映せなかった自分も悪いんだから。それにね、嬉しいこともいっぱいあったよ。お正月にクリスマスプレゼントくれたじゃない。今でも大切にしてるのよ」
「……俺は何をやってもマヌケだな」
笑いをこらえすぎて俺はもう全身がプルプルと震えだした。よっぽど忙しい男なのかもしれないけど、そりゃやんねー方がマシってもんだろ?いいなー、いいよーこいつ。俺は好きだなこういう奴。笑いをこらえすぎて涙が出る。目尻を指でぬぐいながらふと思った。
…マキ君?ん?あれー??この声で茶色っぽい髪で小さい背のマキ君???
「牧君を嫌いになったんじゃないの。ただね…自分をこれ以上嫌いになったらますますこっち見てもらえなくなっちゃうしね、それに…先週、柔道部の矢田君に…告白されちゃって。矢田君ね、私の誕生日の時もプレゼントくれてたんだ…」
「そ…そうか。矢田はいい奴だよ…。俺、体育祭の時に色々世話んなったんだ」
「矢田君も言ってたよ。牧君はいい人だし、同じスポーツをする者としても尊敬してるって。…ごめんね、本当に」
「いや、いいんだ。一年間、こっちこそすまなかった。…ありがとう」
「私、牧君に抱かれていると自分が小さく感じられてそれも嬉しかったよ。いつか牧君から抱きたいって思わせられるようなイイ女になってみせるからね。」
「…俺は啓子のさっぱりして押しの強いところが好きだったよ。来週試合なんだろ?頑張れな」
「ありがとう。牧君も部活も受験も頑張ってね。じゃあ、さよなら」
立ち上がった女の子の後姿は俺が芝生に横になってるせいか、とても大きかった。なかなかいいプロポーションだというのが後姿からでも解る。…ん?こんな大きい女が『小さく感じられる』って…。と、俺が思った瞬間に男の方も立ち上がった。青い空に大きなビルが突如現れた感じ。そして何故かそいつはくるりとこちらを向いた。
目が合った瞬間、お互いに目を見開いて互いの名前を同時に叫んだ。
「なっ、なっ、なんでお前がこんなとこにいるんだっ!!!」
「えぇーーー!?さっきのふられ男って牧さんだったの!??」
「!! て、テメェいつからそこにいやがったんだ!!どっから聞いてたっ!!」
「多分、そのベンチに座ってから…。俺はその前からずっとここで転がってたんすけど」
肌の色が黒い牧さんの顔でもはっきりと赤くなっているのが解った。こんなに情けない顔の牧さんは初めてお目にかかったといっていいだろう。口を数回パクパクと動かした後、呆然とした表情で俺の顔を見ていたが、そのうちガクッと首を落とした。もう声も出ないらしい。
俺は起き上がると茂みをまたいでベンチのある方へと出た。道に段差をつけた形の窪んだ場所にベンチが設置されていた。なるほど、これじゃあ牧さんの頭しか見えないはずだよ。
ベンチの上にある牧のであろうスポーツバッグをとって仙道は牧の肩にかけた。それでも身動きをしない牧の腕をとると、仙道はゆっくり歩き出した。
「牧さんさぁ、ふられたのがショックなんじゃないっしょ。俺に聞かれていたことがショックなんでしょ?」
「………」
「いいじゃん、別に。俺だって三日前にふられましたよ?しかもビンタくらわされてさぁ。牧さんなんて綺麗に別れられてよかったじゃないっすか」
「……そういう問題かよ」
牧が少し顔をあげて仙道の腕をはらった。仙道は軽く肩をすくめると牧の顔を少し覗き込むようにして言った。
「さっき聞こえてた声と今の顔見て確信したけどさ、牧さんは俺に聞かれたということを除いたら、きっとスッキリしてると思うよ?未練とか全くないんじゃないっすか?今さら俺にかっこつけなくていーっすよ。いいじゃん、それで」
ジロリと仙道を一度見たあと大きなため息を一つ吐いてから牧は顔を上げて髪をかきあげた。
「…あんなとこ聞かれちまったらもうどうしようもねぇな。そうだよ、俺は実はホッとしてるのかもしれない。誕生日聞かれてさ、答えながらその日は練習試合のある日だったかなとか考えた自分がいた。矢田がこれからは啓子を淋しがらせないでいてくれるんだって安心した。…最低な奴だよ俺は。ふられて当然だ」
自嘲気味な台詞だったが表情はもう静かなものとなっており、仙道の知っている牧に戻っていた。
「…おい、離せ。なんのつもりだ」
牧の言葉で仙道は自分が牧を抱きしめていることに気付いた。特別親しい間柄でもない他校の先輩。それもライバルとまで思っている『神奈川高校バスケ界の帝王』と呼ばれる男を腕の中に収めている自分に驚いた。あわてて腕をとく。
「す、すんません。あれ?なにやってんでしょーね俺」
仙道は照れながらポリポリと頬をかく。そんな姿をあきれながら牧は軽く見ると、もう気にはしていないようだった。
「あのですね。最低というのは…二ヶ月も付き合った彼女に『二股かけてるだけじゃなく、四股ってのはどーいうことよ!!他の女全員と集まってケンカになってひっかかれたわ。これは四人分よっ!!』って言われてビンタ四発くらって、しかも財布からなけなしの一万ぬかれて『慰謝料よっ』と言われた俺の方ではないかと」
先ほどの丁寧な別れ話を聞いた後に自分の話をすると、なおさら情けなさが募って仙道は苦笑いをこぼした。
「そういう俺が言うのもなんですがね、せいせいしたっつーかスッキリしたっつーか。だから牧さんもそうじゃないかなーなんて」
「…お前って最低だな。一緒にされたくねーよ」
「はぁ…すんません」
自分を責めている牧を見たくないと思って、つい正直に自分の出来事を語ってしまった。いつもの俺ならばもっとスマートに慰めたり元気付けたりできたんじゃないだろうか?さっき無意識で抱きしめていたときといい、今日の俺は変かもしれない。
そう、ぐるぐると考えていた仙道に、牧は口の端でフッと笑った。
「種類は違えどふられ仲間で最低同士、どっかで何か飲むか。咽渇かんか?」
「飲みましょう!!で、その後一緒に映画みませんか?俺、チケット二枚あるんです。予定…ないですよね?」
嬉しさ満面といった顔をしていきなり誘ってきて。そして牧の都合をちょっと思って。顔に全てが丸出しという仙道なんて初めて見てしまった牧は、何故か沈みかけていた心が明るくなっていくのを感じていた。
「今日の俺に予定なんかあるわけないだろ。お前だってそれ、彼女といくつもりで無駄になるチケットってこったろ?」
「そーっす。ね、行きませんか?かなり笑える映画みたいですよ」
仙道はチケットを見せた。部活の後輩が絶賛していたコミカルなアクション映画のタイトルだった。
「いいよ。なら飲むより食ってからにしよう。上映は何時からだ?」
「次の回ならまだまだ大丈夫。じゃあ、今日は二人でデートっすね♪」
「情けないけどまぁいいか。よし、じゃ、ヤケ食いと映画をこなしに行くか」
何度もバスケットを通しては闘っていたし、神奈川合同合宿などでも一緒にいることがあったけれど。お互いこんなプライベートなことまで話をしたこともなかった。歳も違うし性格もかなり違いそうではあったが、あんな場面を計らずも共有してしまったあとのせいか一緒にいることがとても気楽だった。
気持ちが明るかった。先ほどのことも数日前のことのように感じさせる気楽さがありがたかった。聞かれてしまった情けなさももう隣を嬉しそうに歩く顔を見るとどうでもよくなってしまった。
「あ。ヤケ食いのことなんすけど、食べ放題の焼肉屋なんてどうです? 俺、一万とられちゃって今月ピンチになりそーなんすよ」
「悲惨だなー…。かまわんが、時間は大丈夫なのか?」
「レイトショーもあるし全然平気っすよ。それより牧さんこそ制服…」
「あー、いいんだ。月曜からちょっと早いけど冬服にするから」
「じゃ、焼肉食って臭い少しとれるまでそこらへんぶらぶらして。んでレイトショーったらバッチリですよ。何か楽しくなってきたなー」
仙道の楽しそうな笑顔につられて牧にも笑顔が浮かぶ。楽しさが伝染してくる。
「焼肉食ってウィンドーショッピングして映画見て。このあと一緒にホテルいったら完璧っすね」
「そうだな。 って、おい、何を言い出すんだ。気色悪いこと言うなよ、つられて返事させられちまったじゃねーか」
「焼肉とホテルってセットなんすよ。臭い消しのつもりみてーだけど」
「そういう問題じゃなくてなぁ」
牧の嫌そうな声音に仙道はただ笑って返しただけだった。
焼肉屋で奇妙に意気投合し、映画ですっかり上機嫌になった二人はブティックホテルが並ぶ通りを通った時に顔を見合わせて笑った。
「お前、バカだろ」
「うん。牧さんもそうでしょ」
そう言って笑うと仙道はいきなり牧のバッグを奪うとホテルの入り口に猛ダッシュした。ビックリした牧もつられて後を追う。コート上ですらこんなに必死でダッシュしたことはないのではないかと自分でも驚くほど牧は本気で追いかけた。暗い駐車場の奥にある明かりがついたホテルの入り口のドアを開けようとした仙道の腕をつかんで止めた。
「なにやってんだよ!!俺はこの手のジョークは嫌いなんだっ」
振り向いた仙道の顔は予測していた表情ではなく、穏やかな笑顔だった。
「冗談じゃないですよ」
仙道の腕を掴んでいた牧の手をもう片方の手で上から重ねられた。驚きに目をみはる牧をそのまま引き寄せて抱きしめた。互いの動悸が暗く静かな駐車場内に響くのではないかと思って初めて、牧は仙道を突き放さないでいる自分に気付いた。
怖かった。 自分の方が歳も上であり背こそ数cm負けてはいるが体格も自分が勝るであろうに。
その時、駐車場入り口から車の排気音が聞こえてきた。仙道は腕を解き、牧の背を軽く出口の方へと押した。はじかれるように二人はその場から走って明るい通りへと出た。
ただ黙ってまた歩き出す。先ほどの楽しかった気分もなにもかもが激しく脈打つ心臓の音に消されてゆく。
沈黙に耐えかねて牧は口を開いた。
「どういうつもりだよ…。俺はその手の冗談は嫌いなんだ」
「冗談じゃないって、さっきも言いましたよ、俺」
「…じゃあ、なんで俺を逃がした?」
「逃げたそうだったから」
「…お前は……ホモなのか?」
真剣な牧の疑問に仙道は盛大な笑いで答えた。からかわれたととった牧はカッと赤くなった次の瞬間には拳を振り上げていた。その拳を予期していたのか仙道は難なく受け止め、そのまま両手で包んだ。
「自分がホモだなんて今日まで知りませんでしたけど、俺、あんたが好きみたいです。しかも、本気で」
牧はまだそんな冗談でからかうのかと怒鳴りつけようとしたが…真剣な仙道の瞳がそれをさせてはくれなかった。
握られた拳に仙道の唇がそっと触れた。
「本気だから…逃がすんですよ」
伏せた仙道のまつ毛が震えていた。そんなことをいきなり男に言われても返す返事など牧は知らない。こんなに切ない表情をどう受け止めていいのかなんて知らない。 ただそのまま一緒にうつむくしかなかった。
「すんません、困らせちゃって。このままこうしてたら本当に牧さんまでホモに見られちゃうね。帰りましょうか」
パッと顔を上げて笑う仙道はいつもの仙道で。それが何故か嬉しくもあり…淋しくもあった。
お互いに別々の道に別れる交差点が近づいてきた。そう気付いた瞬間、口が開いた。
「本気だったら追いかけろよ。逃がしてはいそーですかってなタマじゃねぇだろ、お前は」
仙道の目が驚いたように見開かれ、まじまじと牧を見つめた。牧は苦いものをかじっている様に眉間に皺を寄せながらも続けて言う。
「…逃がしてもらったなんてな、俺のプライドが許さねんだよ。もちろん、捕まる気もないがな」
「ま…牧さん…。それって…また会ってくれるってことっすか?」
「仕方ないだろ。約束しちまってたし。…でもな、今度妙な冗談かましてみろ、速攻ぶっとばすからな」
「ああっ、牧さん!!俺、俺、絶対牧さんを幸せにしますから!!」
「バカヤロウ!!何を勘違いしてんだっ。殴られたいかっ!?」
「逃がしませんから、俺。もうあんただけを追ってきますからね!!バスケだけじゃなく、あんた丸ごと手に入れますよ」
「やっぱさっきの前言撤回する。俺は逃げる。もう地の果てまで逃げ切ってやる」
「帝王が逃げちゃダメですよー。来週が楽しみだなーっ♪ んじゃ、また来週!!約束は守って下さいねー!!」
次の返事を牧に言わせないまま速攻で仙道は交差点を走り出した。後ろを振り向かないまま手を振ると、そのままスピードをあげて駅へ向かう人ごみの中にまぎれていった。
失恋の傷を癒すには新しい恋をはじめるのが一番だと部活の奴等が言っていたのを聞いたことがある。
しかしそれは…こんな形であっていいのだろうか? ふられたその日に同性でライバルの男に告白される…。
牧は頭が痛くなる思いにとらわれつつも、自分で気付かぬうちに口の端が笑いの形になっていた。
*end*
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