To the light. vol.04
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今日も仙道は牧の住むマンションに来ていた。二週間前の暴露大会(ということにいつの間にかなっていた)から晴れて(?)恋人同士となったのだから、仙道が週に三日は仕事後に牧のところへ寄ることに対し疑問はなかった。土曜は仙道のところで二人で飲んでそのまま牧が泊まりもした。これもまた首を傾げるようなことではないのだが。 「……さっぱり分からん」 本日三度目の呟きと共に牧はまた一人首を傾げていた。 自宅のベッドの中から牧は、床に敷いてやった客用布団でスコースコーと気持ち良さそうに寝息をたてている男を上からそっと盗み見る。罪のない寝顔が暗い室内に薄らぼんやり浮かんでいる。仙道はこうして寝ている間だけではなく、二人きりでどちらかの家にいる時も今と同じよう邪気がなかった。 いや、邪気はないと断言するのは違うかもしれない。キスは困ってしまうほど沢山してくるようになったし、甘い言葉も仕舞いには恥ずかしさのあまりこちらが怒り出すほど言ってくる。それに今までのふざけた感じとは全く違う身体的接触─── 肩を抱かれたり抱いたり、手を繋ぎあったりなどもどちらからともなくするようになってはいる。 けれどそれ以上深い接触を仙道は仕掛けてこないのだ。 『俺は焦らないから安心して。牧さんは男にセクシャルな感じで触られるのはまだまだ抵抗あるのは分かってるからさ』 だから少しずつ慣れてくれればいい、と笑う仙道に最初は安堵していた。 実際、自分が同性愛というものに対して免疫がないため気遣われている=大事にされていると理解できて素直に感謝もしていた。 しかし熱情を伝えてくる口付けを、頬を包んでくる大きな掌の愛しげな動きを、絡めあう指の熱さを感じる度に……もっと仙道を肌で知りたいと思うようになるのに時間は全く必要がなかった。 それどころか、会わずに過ごした時間を取り戻すよう頻繁に逢瀬を重ねる日々の中で。仙道の気遣いは牧を心身ともに中途半端に煽ったまま放り出すようなもどかしさを感じさせるようになっていた。 先ほども寝仕度をしようと立ち上がろうとしたところ、仙道は甘い睦言めいたことを耳元に囁き、熱い瞳で見つめてきた。そうして息も出来ないほど濃厚でのぼせてしまいそうなキスをしてきたくせに───『おやすみなさい、牧さん。愛してますよ』とニッコリ笑顔で先に寝られてしまうのは。 「本当に、分からん」 思い出すだけで腰の辺りがムズムズするようなキスに捕われたまま、今夜もベッドで一人首を捻るしかない自分。 身体を求められるのは正直少々怖いだけに、こちらから求めるのもなんだか妙な気がしないでもない。そもそも仙道とは違い、自分は男を抱いたこともなければ抱かれたこともないのだから。 こういった場合は経験者がリードしていくものではないのだろうか。それとも自分が年齢では一つ上だから遠慮があるのだろうか。仙道は俺を抱きたいとずっと思い続けていたと、確かにあの夜にキッパリと言っていた。しかしそれは『その頃は』という話なのか? あの夜に感じたあいつの瞳の中にある強い熱情が気のせいとは思えないだけに、解せない。 (もしかしてこれは、よく聞く『押してダメなら引いてみろ作戦』というやつか?) そう考えてしまうとそんな気もするような、しないような。だが押されてもいないような……? またいつもと同じ堂々巡りの思考ループに陥り睡眠時間を無駄に削るのはあまりに情けない気がして牧はモソモソとベッドに潜ると、今度はしっかりと寝る体勢に入った。 * * * * * * 「おい。どういうつもりなんだよ」 恋人同士となって早一ヶ月が経とうとする頃。本日もいそいそと嬉しそうに客用布団を自分のベッドの横の床に敷いている仙道へ仁王立ちの牧が苦々しい声音で尋ねた。 「は? 何がっすか?」 キョトンとした顔で見上げてきた仙道に牧の眉間は益々嫌そうに寄る。 「とぼけるのも大概にしろ。それとも」 「それとも?」 素早く自分の発言を反復されたことで、牧は続けて『俺だけが抱き合いたいと思っているのか?』と勢いで口にする失態を辛くも逃れた。 しかし続ける妥当な言葉を見つけられず、牧は渋々と仙道の隣に腰を下ろした。 もともと上手く言葉を操れる器用さはない自覚はある。けれど仙道はいつもそこをさり気なくフォローしたり、敏く汲んでくれているではないか。それを何故、こんなすぐにでも分かりそうなことを……と仕舞には見当違いな八つ当たりめいた思考に流れてしまう。 「いや、いい。何でもない……」 全然何でもなくないくせに、結局はお茶を濁して終わらせてしまった。 言い訳だが自分から手を出して、男同士での経験も豊富な仙道を喜ばせる自信が持てない。だから仙道から先に誘って欲しいのだ。そうすれば仮に満足させられなくても、急だったからとか何とか言い訳がたつかもしれないじゃないか。……なんて、強気に出られない理由の半分はそんなくだらない男としての見栄。 残り半分は、同性同士は奥深そうな世界なため、客観的に見ても一般の男より厳つい俺を仙道が抱きたいと思っているかもしれない、という仮定を捨てきれないことだ。もしそうだとしたら、こればかりは期待に沿える自信など毛頭持てるはずもなく。自分から誘っておいてまともに受けきれなかったとしたら……。十年以上も想ってくれていた者を失望させるのも、されるのも辛すぎる。 つまりは、やはりどちらの場合においても、仙道からの出方を待ちたいという結論に達してしまうのだ。以前、仙道に意気地なしだと言ったことがあるが、結局は俺の方がよっぽど臆病者なのだ。 今日もまた切り出しきれなかった自分へ深い溜息を吐いて牧は俯いた。 薄い影を落としている褐色の頬へ唐突に仙道の長く節ばった指が触れる。 「ごめん。今の、意地悪でしたね。ちょっとその……俺、我慢しまくってるところだから。突然嬉し過ぎて……上手くかわせなかったんす。すんません」 「……何だよ、それ」 ムッとした顔をあげた牧へ仙道は軽いキスを頬へ贈ると、キュッと牧の肩を包むように抱きしめた。 「あの……。あのね。もし。もしもっすよ? 再来週の土曜日、あんたを抱きたいって言ったら……怒ります?」 ピキピキと褐色の額に青筋が走った。ドスのきいた低音で牧が呟く。 「俺にあんなことを言わせておいて、再来週まで延ばすとは、偉くなっちまったもんだな。えぇ? 釣った魚に餌はやらないというわけか」 「違いますよ〜! そんな悪い風にとらないで下さいよ。牧さんったらヤクザみたいで怖い〜。まぁそんなワイルドな牧さんも好きだけど」 「再来週の土曜という根拠を述べろ。理由如何によっては……」 「よっては……?」 「襲う」 「えっ? 嘘っ?」 嬉しそうに仙道は目を輝かせて両手を自分の頬にそえてみせた。 「嘘だ」 「えぇえ〜? アッチョンブリケ〜」 牧の即答に仙道はそのまま自分の手で頬を押しつぶした。これは二人が共通で好きな某医療漫画の女児キャラクターがする驚きの台詞とポーズである。三十代も半ば、渋さも兼ね備えはじめた色男が台無しで、牧は頭が痛くなった。 「下手な誤魔化しすんな」 とうとうゴインと一発、悪ふざけ中の仙道の頭上へ拳が容赦なく飛んだ。 それほど力はいれなかったのに、痛そうに頭をさすりながら仙道は深い溜息を吐いた。 「……根拠、言わないとダメ?」 「言わないなら俺はその日に予定を入れてお前とは会わない」 「うわ〜ん、牧さんのいけずぅ〜! そんなんダメです! その日は俺達の初セックス記念日になる大事な日なんすから!」 ジロリと牧が仙道を睨めつけた。しまったと慌てて自分の口元を押さえた仙道であったが、口から出た言葉は戻らない。 「なんで勝手にお前一人で決めてるんだ。それに何が初記念日だ、このバカ。お前今更童貞のつもりか? 俺なんて妻帯者だったんだぞ?」 「あぁもう〜。絶対そう言われると思ったから黙ってたのに〜」 仙道は小さな舌打ちを一つすると、胡坐をかき肩を落として語り始めた。 「俺ね。あんたが告白を受け入れてくれた時に決めたんだ。いつか体を許してくれる時が来たら、最初からとびきり気持ちよくなってもらおうって。牧さん元がノンケだからさ、男同士のセックスは当然抵抗あるだろうから。せめてシチュエーションだけでも最高の……そりゃ俺の出来る範囲でだけど、整えたくてさ。そのためにもこの、あんたを前にしたらいつでもがっつきそうになる自分をもっと落ち着かせる必要もあってね。あんたに触れることに慣れるための時間が必要で……」 ちらりと窺うような視線を向けられて、牧はかなり嫌そうに口元を歪めた。 「……本物のバカかお前? 女じゃないんだぞ俺は。何がシチュエーションだ。しかも何で俺が呑気なんだ」 「ノンキじゃなくてノンケ」 「ノンケって何だよ」 「ノーマルってこと。つまり、ヘテロ。異性愛者ってことっす」 「業界用語使うなよ……」 仙道は苦笑いを浮かべてみせてから、また溜息をついた。 「ほらね。こんな言葉くらいで嫌そうな顔するじゃん……。まぁそれは別にいいんすけど。だから、そういう抵抗感とか感じさせないように色々考えてたんですよ。楽しめる映画。食事が美味くて適度に小洒落た店。入りやすく綺麗で少しリッチなムードのあるホテル……全部準備するには物理的にも時間が必要になるんです」 「それらが全部そろうのが、再来週の土曜ってわけか?」 「うーん……ホテルがね……人気あるみてーで。でも多分、その頃には取れんじゃねーかなと思ってんですけど。デカいイベントとかもないみたいだし」 「ふーん」 「笑いたいのを堪えた顔しないで下さいよ。笑いたきゃ笑えばいーでしょ」 「はははははは!」 「あっ酷ぇ! まじで笑うなんて酷いよあんた! 仕方ないじゃん、映画の公開も再来週なんだもん! ちっくしょー、俺だってねぇあんたじゃなかったらこんな青臭くて恥ずかしい、ベッタベタなデートコース準備なんかしねーよ。何だよもう。本当ならね、告った日だって抱きたくて仕方なかったんだから。つか会ってる間中、あんたなんて俺の頭ん中で毎度襲われてんだよ。爆発しそうなこの欲望を、誰のためになけなしの理性総動員して堪え続けてると思ってんすか!」 大体こんなことを暴露させんのが男としてどうなんすか。男の面子や純情をあんたなら分からんはずがないでしょうが─── 等と仙道は文字通り腹を抱えて笑っている牧へ文句をあびせ続けた。 ひとしきり笑い終えた牧は『すまん』と手刀を数回切ってみせた。それでも頑なに仙道はふくれっ面でそっぽを向いたままだ。そんな横顔まで可愛いくて、牧は笑みを収めるのに苦労する。 「そんなに怒るなよ〜。だってお前が段取りにこだわるだなんて似合わなすぎるんだから仕方が無いだろう?」 「どーせ俺には純情真面目路線は似合わないですよーだ」 「確かに。あ、いや、うん。けどな、そんな女性が喜びそうなデートコースなんてそれこそ俺になんざ不要だろ。気の回しすぎだ」 今度は牧に背を向け、膝を抱えてブチブチと文句がましく呟きだす。 「あんたは知らねーもん。俺がどんだけあんただけを何年も恋焦がれ続けたか。どんだけ特別かなんてさ。大切で特別だからこそ、カケラも気持ち悪いとか気分がのらないとか感じさせたくないってことも。俺とのセックスに一発でメロメロになって欲しいって必死な願いも……。だから……似合わないの分かってても頑張りたくなるんじゃん……」 広い背中を丸めて洟をすする仙道の肩を牧はそっと撫でさすった。 「そんなに可愛いこと言ってくれるなよ……益々再来週まで待てなくなる」 困りきってしまった牧の声が優しくて、仙道は小声で返す。 「…………ムードなんかいらないからって?」 「あぁ。さっきもそう言っただろ。俺は別に……あっ」 くるりと向きなおってきた仙道の顔に『してやったり』という言葉がデカデカと書かれているように牧の目には映った。 ヤバイと立ち上がろうとした瞬間にはもう、仙道は牧の両手首を捉えて布団の上へ仰向けに留めてしまった。 「汚ねぇぞ。泣きまねしてやがったな」 「泣きまねなんてしてませーん。牧さんが勝手に勘違いしたんじゃないすか。あんたがまた一切合財暴露させたんだよ。俺は口に出したら後へは引かないのに。あ、俺のことは有言実行の男と呼んで下さい」 「何を屁理屈こねてんだ。あ、よせ、…………んーっ……ん……」 抗議の言葉ごとねじ伏せるように仙道の唇が牧の唇を塞いだ。強引に侵入してきた舌が牧の口腔内を撫で回してくる。 急展開にとまどい抗おうともがく牧の身に更に深く仙道が体を覆い被せてくる。仙道の腰が牧の腰へと押し付けられると布越しからも熱い昂りが伝わってきてしまい、牧の身体が硬直する。 ゆっくりと唇を離した仙道が切なげに見下ろしてきた。 「……可愛いのはあんただよ。あんなに可愛くおねだりされちまったら、計画なんてもうどうだっていいよ」 「可愛くもないし、ねだってなんて」 ねだったつもりはないが再来週まで待てないというのはそういう事なのかもしれないと、言い終える前に牧は観念した。となるとこれ以上何を並べても言い訳がましくなりそうで、牧は文句の途中だが口を閉じるしかなくなってしまった。 「……ごめん、牧さん。俺……もうちょっと自制心があると思ってたんだけど、ダメみたい」 仙道の唇が外耳を軽くかすめただけで妖しい鳥肌が立つ。一ヶ月も抱え込んでいた不満と不安は更に膨れ上がった期待にあっけなく流されていく。 「もっと触れたい。絶対あんたが嫌がることはしないから……いい?」 掠れた仙道の甘い囁き。艶を含んだ低音に直接撫であげられたようで、耳に血が集結してゆく。牧は無言で頷くしかすべがない。 「ありがとう……すげぇ嬉しい。綺麗で広い部屋でもなけりゃ豪華なベッドでもなくて、ごめんね」 小さく頭を振って否定する牧の火照った耳を仙道の熱い舌がそろりと這った。ビクリと体を竦ませた牧の肩を仙道は強く引き寄せ、今度はねっとりと内耳を犯すように熱い舌を差し入れてきた。 痺れを伴う快感で漏れそうになる声を抑えるため口元を両手で強く覆った次の瞬間。仙道の言葉に牧は我が耳を疑った。 「上半身だけで我慢するから。下半身は絶対触らないから、上着だけ脱がせて下さいね」 いそいそと牧のシャツのボタンを仙道の長い指がはずしてゆくのを、牧はされるがまま呆然と見下ろす。 (じょ……上半身だけだとお? この期に及んでそれはどういう冗談のつもりだ? お前、一歩間違えば病気になっててもおかしくないくらい遊んできたってぇのは嘘か? このヘタレ野郎! やるならさっさと全部やりゃあいいだろうがっ) 耳に与えられた甘美な刺激だけで期待が高まっていただけに、驚愕と失望がない交ぜとなり胃の中が熱くなった牧は裡で盛大に罵倒してしまう。眉間には深い皺が刻まれた。 こちらの胸中に気づいていない男は最後のボタンを外し終えるとゆっくりと見上げてきた。熱情で潤んだ漆黒の目縁は赤く染まり、驚くほどに色っぽい。 思わず腹立ちも忘れ喉を上下させてしまった牧へ仙道は妖艶に微笑んだ。 「あぁ……こんなに間近であんたの肌をゆっくり拝めるなんて。……綺麗だ。こんなに綺麗な身体はこの世に二つとないよ」 初めて知ってしまった色気を帯びた男の微笑みの威力に牧はどぎまぎとしてしまう自分を殊更に意識させられて視線を逸らした。 「……そんな顔してふざけたことを言うな。かなり昔海にだって一緒に行ってるし、他にも着替えを見ることくらい何回だってあっただろうが」 写真まで持っていたくせにとつい棘のある口調で返したが、仙道は気にもならないのか嬉しそうに首を振り否定してみせる。 「俺、あんたを好きだって自覚してからはなるべく直視しねーようにしてたんです。だって実物をじっくり見てたら絶対に気づかれちまうから。それだけならまだ何とか誤魔化せるけど、こうなるこっちは流石に無理なもんで」 押し付けられている部分が更に硬度を増したのがダイレクトに伝わってくる。そのことが牧の体に妖しい火を灯してしまった。 牧は己の拳にぐっと力を込めてから意を決して口を開いた。 「お前の我慢なんて望んでいない。何でも一人で決めないでくれ……。それともお前が今まで重ねてきた我慢を、今度は俺がしなきゃいけないのか?」 「え……? それって、あの……」 「いつまで経っても手を出してこない。やっと今日かと思えば上半身だけとか。全部……抱いてくれって言わなきゃ駄目なのかよ。それとも全部抱きたいって? 俺はお前を丸ごと知れるならなんだっていいんだ」 仙道がどんな顔でこんな格好悪い切羽詰った台詞を聞いているのかを知りたくなくて、牧は強い力で仙道を抱きしめた。かすかに腕の中の体が震えているのは笑っているからなのかと、自棄に拍車がかかる。 「俺はお前と違って短気だし、気遣って待つ余裕なんてない。下手かもしれんが俺が……うっ」 大きく開かれていたシャツの下。肩に仙道の唇が押し付けられて牧は息を呑んだ。唇を牧の素肌から離さないままの仙道と至近距離で視線がかち合う。 (こいつは眼に何か仕込んでいるんじゃないのか?) つい先ほど仙道の瞳に浮かんだ色気に驚いたばかりだというのに、今向けてくる視線は段違いに官能的だ。そのくせゆっくりと離れた整った唇に浮かぶ笑みは─── 獲物を捕まえて口にする直前の愉悦に満ちた獰猛な獣のそれと重なって、忘れかけていた不安で胸をざわつかせる。 「余裕なんてないのはこっちの方だってのに……。そんなに俺を煽ったこと、後で悔やんでも止めてあげませんからね。最初くらいはと思っていたけど、気が変わりました」 「……手加減されなきゃならないほどの若僧じゃないさ」 かすかな怯えさえ見抜かれないように精一杯虚勢をはる。今度は完全に自覚して誘ったのだから、ここで無様を晒すわけにはいかない。牧は口の端で笑ってみせる。 「言ってくれますねぇ。じゃあ安心して骨まで食わせてもらおうかな」 すっと細められた仙道の綺麗な二重に装飾された瞳は喜悦を増した。上半身だけ等と言っていた時と明らかに別人の仙道に牧は試合前にも似た興奮を覚えて僅かに胴震いをした。 湿った音を交わし合いながら唇を貪りあう。とはいえ仙道の巧みな舌は牧の舌を弄んでいるようなものだった。隙をついて自由自在に牧の口腔内を妖しく撫で上げては徐々に、だが確実に牧の身体にぞくりとする感覚を送り込んでくる。 唇が離れた時に艶めいた吐息を苦しげに零す回数はどちらが多いかなど比べるべくもない。 呼気を整える僅かな間。キスだけで酔わされている自分を虚ろな視線で仙道に教えてしまっていることに牧は気付かない。ただ、キスがこれほど気持ちのいいものだと今まで知らなかっただけに、その感覚を逃したくなくて再び顔を引き寄せる。そうして無意識に深く隙間なく全てを重ねようとする。 そんな牧に仙道は更に深く情熱的に応えた。本気で今夜は加減をする気などないと牧に感覚で直接教えるように。 淫らで甘い口付けを長いこと繰り返し過ぎて、流石に二人は酸素の欠乏感に負けて顔を離し苦笑を交わす。 「牧さん、キス、上手いね」 呼吸を合間に挟みながら仙道が首を傾げた。 「冗談言うな。お前だろ……たかがキスなのに、苦しいくらいだ」 「そうだね、確かにキスでこんなに苦しいなんて俺も初めてですよ。あんたの柔らかい唇も厚い舌もあまりに魅力的過ぎるせいだね……」 いくらでも欲しくさせるせいだ、と上気した頬で微笑んだ仙道の色香にすら酔わされてしまいそうになる。 (まだまだ序盤だろ……落ち着けよ、俺) 裡で己を戒めて深く溜息を落とした牧の首筋へ仙道の舌が落とされる。突然の肌への濡れた刺激に牧は息を呑んだ。鎖骨を覆う薄い皮膚の上を撫でるように舐め上げられるたびに、体感したことのない淫靡な信号が体のすみずみに送られる。 こんな首筋や鎖骨、肩なんかが感じるだなんてと当惑してしまい、密着する仙道の胸を押し返すことも出来ない。気を抜けば情けない声が漏れ出てしまいそうで、唇を痛いほどに噛み締めて耐えるしかなかった。 耳朶を甘噛みされて快感に首を竦めれば、逃さないとばかりに熱い舌をねっとりと差し込まれて下半身に電流が走る。牧は与えられる淫猥な刺激の波に自分一人がのまれていきそうな焦りを抱いた。 「ま……待ってくれ。俺だってお前に…………あぁ!」 濡らされた耳孔に熱い吐息を吹き込まれてしまい、口を開いていたため陥落の短い叫びを止められなかった。 仙道が「いい声……」と満足げに呟いて頬を撫で上げてくる。 「最初の威勢のよさはどうしちゃったんですかねぇ……。童貞の若僧だってこんなに感度良くないと思いますよ? ま、俺には嬉しい限りですが?」 牧は悔しさを隠せず思わず睨みつけた。それすら仙道にとっては蠱惑的な挑発でしかないことにも気付かずに。 子供をあやすような微笑をわざとつくる仙道へ牧は苦しげに短く息を数回吐き出したあと、忌々しげに唸った。 「……その台詞、後でそっくりそのまま返してやる」 「逆転のチャンスを狙ってるとでも? セックスは試合じゃない。感じるだけでいいんですよ。気負わないでいっぱい気持ちよくなって下さい」 暗に牧の言葉は根拠のない虚勢だと分かっているといわれたようなもので。余裕のある返答に絶対的な経験の差を思い知らされたような気がした。 確かに悔しさや屈辱を感じているのに、同時に僅かながら安堵をも感じてもいる。そんな自分が分かるから余計ムキになってしまうけれど。言い返せばその分、吠えるしかない弱い犬になりそうで牧は唇を噛み言葉を呑み込んだ。 仙道は牧の息が整うのを待てないとでもいいたげな性急さで、強引に牧のアンダーのTシャツを捲り上げ脱がしてきた。 露にされた胸板や腹部など、肌の色味は違えど同じ物を仙道は持っている。なのに何故歓喜と興奮がない交ぜとなった、触れれば火傷を負いそうなほど熱い視線を這わせてくるのか。 牧は理解が出来ないながらも、とりあえず仙道が動き出す前にと乱れた呼吸を整えて、まだ耳に残る淫靡な痺れを払うことに努めた。 漸く人心地がついた牧は形成を覆すべく仙道の服を脱がそうとシャツのボタンを外しにかかった。しかしいきなり仙道が身を寄せてきたため作業は中途半端なままで中断させられてしまう。 「人ばっかり剥いてずるいぞ。お前だって服くらい、っあ?」 唐突にまた鎖骨へと吸い付かれ指で脇腹を妖しく辿られて、牧は奇妙な声を上げてしまった。けれど仙道は全くそれには取り合わず、牧がやっと身体から逃せた猥らな感覚をあっけなく引き戻してみせる。 牧の濡れた唇から再び艶めかしい呼気が漏れ出すと、褐色の胸にある二つの色濃い場所を仙道の指先が優しくつまんだ。びくんと牧の腹筋が跳ねる。 「お、お前、どこ触ってんだよ」 狼狽する牧に仙道は上気した頬でうっとりと微笑みだけを返す。今度はくるくると円を描くように触ってきた。むず痒い感覚がそこにぼんやりと灯る。 「くすぐったい。女じゃないんだ、そんなとこ感じるわけないだろ」 嫌そうに身を捩りながら逃げようとすると仙道はやっと口を開いた。 「感じないならなおのこと、俺の好きにさせて下さい」 あげ足を取られた格好となり、牧は仕方なく抵抗をやめた。やりたいのならやらせればいい、男の胸などどうせすぐ飽きる。そう高を括った牧は恥ずかしさに耐えるために目をきつく瞑った。 大人しくなった牧の胸へ再び仙道は降下した。舌でそっと何度も舐められるうちに、平だったそこはぷくりと膨らんだ。舐められていない方も仙道の指がくりくりと弱く捻っているので同じように膨らんでいる。 (見ていられん……。何をされてるんだ俺は) 施される行為は快感を得られない分だけ、牧の頭を冷静にさせる。勝手にいじられているだけなのに、無駄な奉仕をさせているようで申し訳ない気分にすらなってしまう。 仙道の硬い髪を両手で弄びながら所在なげに天井へ視線を彷徨わせていると、仙道の唇に小さな粒が挟まれた。そのまま熱い舌で舐め押しつぶしては転がしてくる。もう片方も器用な指先で捏ね回してはつまみ、爪で軽くひっかきだした。 突然チリッとした痛みにも似た知らない感覚を与えられ、牧の体が大きく戦慄いた。胸の先が尖っていくような、そこから腰骨や中心部にあられもない刺激が注がれていくような……。 牧は仙道の頭を引き剥がそうと指に力をいれた。それでも仙道は執拗に交互に唇を寄せては、既に昂っている己の芯を牧の太腿へ押し付けることをやめなかった。 このままでは胸で快感を拾うようになりそうで恥ずかしいのか、それとも猛りを押し付けながら恍惚とした表情で吸い付いてくる仙道を見ていられないからなのかは分からない。何にせよ複雑な羞恥心に耐え切れなくなった牧は仙道の額を強く手で押しやった。名残惜しむように仙道の舌と自分の乳首が唾液で繋がっているのを見てしまい、更に頬に熱がこもる。 「いつまでやってんだ。しつこいんだよ」 抗議の声は情けなくも少し震えてしまっていた。仙道は不満げに唾液で濡れた唇を尖らせる。 「感じてないんなら、いつまでだっていいじゃないっすか。ケチ……」 子供じみた言い様にどこかホッとさせられる。牧は胸で感じたのを悟られたくなくて話の矛先を変えようと試みる。 「ケチ言うな。それにお前ばっかりずるいじゃないか。俺にだってやらせろよ」 「え。俺に何をしたいんすか?」 心底不思議そうにきょとんと見つめられ、牧はあまり考えずに口にしたのを僅かばかり後悔した。快楽を与えられるだけの側に回ったことがないため、与え返さねばと気が急いただけなのだ。 どうやったら男を喜ばせられるのかも実はよく分かっていなかったが、仙道にされたことを返せばいいと今は分かる。かといってそっくり今それを返すのも芸がない。となると性器を弄るくらいしか思い浮かばないのだが、突然急所を触るというのも不躾な気がして憚られる。 しかし生来の負けず嫌いな性格と、ひとつとはいえ年上の自分がリードすべきものだろうという焦りが、またも頭より口を先に動かせてしまう。 「何をって。そんなの決まってるだろ」 そして当然、案の定な返答をよこされる。 「だから、何をですか?」 妙な間を開けたのちに反射で返してしまった時点で失敗を認めるべきだったのに。わけのわからない意地が策もなく仙道へと手を伸ばさせる。中途半端に外していた仙道のシャツのボタンをとりあえず全部外してみた。 そろりと仙道を窺うと、笑いを堪えた目と視線が合った。 「ボタン……そんなに外したかったんですね」 「………悪いか?」 「いいえ、ちっとも」 「……お前、感じ悪いぞ。笑いたきゃ笑えよ。どうせ口先ばっかりとか思ってんだろうが」 仙道は笑うどころか困ったように柔らかく微笑むと、シャツとその下のTシャツも自分で脱いでしまった。自分より白い肌が突如露わにされてドキリとさせられる。 そっと牧の手をとると仙道は自分の裸の胸へとあてた。牧の掌に少し汗ばんだ仙道の肌が吸い付いてくる。そこへ視線は誘導される。 日和子ほどは白くも柔らかくもない胸。硬く滑らかな筋肉が覆う胸の上に肌より色濃い二つの小さな飾り。 自分と同じ男の胸だ。けれど。けれど─── 「分かる? 俺がどんだけ嬉しいって思っているか。俺があんたにするように自分もしてみたいって思ってくれてたのを、どれほど嬉しいと感じているか。あんたが男の俺にだよ? これはもう……幸せ過ぎて……笑うしかないじゃんねぇ?」 かすかに震える語尾。仙道の瞳が潤んでいることに遅まきながら気づく。 もっとしっかりと教えてやれば良かった。大事なことは昔からこいつがいつも一歩先に、態度や言葉で教えてくれているのに俺ときたら……。 好きだから。お前が好きだからお前をもっと知りたいだけなんだ。望みはそれだけなのに、経験の差だとか同じことを真似るのはどうとかくだらないことにばかり気をとられていた自分が情けなくなる。知るためには抱く側抱かれる側など意味はないと最初に言ったのは自分ではなかったか。俺に触れるのも触れられるのも幸せだというお前に今、感じているこの気持を伝える言葉を見つけられない筋金入りの不器用な俺だけど。せめて態度で補わせてほしい。掌に伝わるお前の早い鼓動がたまらなく愛しいと。お前の胸に触れている俺の鼓動も同じように高鳴っていると教えたいんだ。 牧は脈打つ仙道の胸に手を添えたまま、かすかに震えている長い睫毛に唇を寄せた。 それからゆっくりと首筋から顎、鎖骨、胸へと優しくキスを落としていく。時折そっと舐め上げては唇でついばみながら。 やっと辿り着いた小さな粒は少しくすんだ紅梅色。呼気と共に上下しているのがいじらしくて、牧は尖らせた舌先で優しく何度も撫でた。 深い吐息が頭上から漏らされて濡れた瞳を覗き込めば、桃色に染まっている仙道の頬が牧の中心部に熱い疼きを走らせる。 「……大丈夫? 無理、しないでいいんですよ」 牧は軽く首を左右に振って否定すると仙道の耳朶をゆっくりと舐め上げた。先ほど仙道が自分にしてくれていたように。するとくすぐったそうに仙道が肩を竦める仕種が可愛くて、もっと色々な反応を見たくなる。 牧の手が仙道の肉の薄い脇腹から胸へと移動する。自分と同じ胸筋で包まれた固い胸へ手を這わせてみる。控え目な粒が先ほどよりぷつりと尖っていたので、摘まんで転がしてやりながら仙道の表情を盗み見れば─── 目元に紅を刷いた仙道の視線とかち合った。 「……気持ちいいのか?」 「あんたが触ってくれてるってだけで感じますよ……」 頬を目尻と同じ色に染めて微笑んだ仙道は、そう言いながらも牧の手をとって愛撫を止めさせた。視線が様々に変わる様も、沢山色を変えていく肌もまだまだ味わい足りなくてつい不満が漏れる。 「もっとさせてくれてもいいだろ……」 「ずっとずっと願ってきた。あんたを全て知りたいと渇望してきた時間は比べようもなく俺の方が長いんです。だからやっぱり今夜は俺があんたを抱きたい。俺を感じて欲しい。……いいでしょ?」 吹き込まれた熱っぽい声音には抗わせない強さがあった。その願いを叶えたいと思わせずにはいられない切なさも。仙道の本気の言葉には不思議な力がある。俺のものだと言われれば、そうだと返事をしたくなる。お前が望む形にしてやりたいと思ってしまう。 (言霊というものが本当にあるのだとしたら。こいつはそれを自由自在に操れる稀有な存在なんじゃないか?) 掴まれた腕の内側を仙道の唇が辿っていく。そこから微熱がじわじわと湧き上がり、甦ってゆく甘い痺れに牧は全てを委ねるように目蓋を閉じた。 *To be continued…… |
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2007年発刊『Living for bright tomorrow.』用に書き下ろした後編を少々訂正をいれて掲載。
夜のエロ話なので背景を美しい夜空の写真を加工してみたら、またもやスケールの大きな感じに。 内容はいつもどおり……どころかいつもよりヘタレな二人なんですが(笑) |