駅を出て左に曲がれば道なりに、かなり年季の入った個人商店が続く。その一角の店先には色とりどりの小さな子供靴が並んでいた。信号待ちの間に見るとはなしに眺める牧の頬がわずかに緩む。
自分も足のサイズは平均より大きい方だが、今から会いに行く男は更にでかく、靴は29cm。物によっては30くらいだから、なかなか店頭には置いておらず海外通販にも手を出してると聞いたのは、確か去年の秋あたりだ。そんな規格外な男も、ああいった小さな靴を履いて駆け回っていた頃があったはず。
子供の頃のアルバムなど今の一人暮らしのアパートに持ってきているわけがない。だが一枚くらいなにかに紛れて……なんてのも期待薄だが、聞くだけ聞いてみてもいい。どんな子供だったのか話くらいは聞けるだろうから。
(この俺が、人の幼かった頃を知りたいと思うことがあるとは。変われば変わるもんだ)
自分を軽くからかって気恥ずかしさを散らしてから、牧は信号へ目を戻した。
「いらっしゃい、牧さん。あのさ、牧さん28だったよね。これ29だけど作りが小さいんで、もらってくれます?」
二ヶ月ぶりに訪れた仙道のアパートの玄関を開けるなり、笑顔と共に箱を手渡されて牧は初っ端から戸惑わされた。
とりあえず開けてみると、英語のタグがついた新品の洒落たバスケットシューズが薄紙にくるまれていた。値札が見当たらないのは、仙道が気を遣って捨てたのだろう。
「通販失敗しちゃって」
ちょうどここに着く前に仙道の靴事情を思い出していた牧は、奇妙な偶然を感じながらも口にはせず、靴をざっと見分する。
「……けっこう高そうじゃないか。返品しろよもったいない」
「いやー、返品がめんどいからもらってってお願いしてるんすよ」
「なら俺が買い取る。いくらだ? 今手持ちはないが、次に会う時にでも」
「いーからいーから。あ、試し履きしてみないとだよね。部屋にあがる前に履いてみて〜」
遮るように言うなり、仙道は狭い玄関を占拠している自分の二足の靴を足先で乱雑にはしへ追いやってスペースを空けた。
(会うなりこいつのペースだな……)
牧は苦笑いで靴を脱ぎ、新品のバッシュに足を入れた。少しほてっていた足がひんやりと涼を感じた次の瞬間、しっかりとした感触に包まれる。両方履いてその場で足踏みを数回しただけなのに、もう合っていると感じ取れた。どこのメーカーか知らないが、いい作りな気がする。
ただ、履いて気づけたのだが黒地に蛍光イエローのラインや紐が効いてるだけではなく、赤や青の少量のホログラムっぽい色味が黒い生地に織り込まれているようで、動きに合わせてキラキラしてけっこう華やかだった。仙道には問題なく似合うが、俺には少々……いやかなり洒落というか照れくさい。
「どう?」
「サイズはいい。ピタリだ。だが俺には少し派手なデザインのような……」
「これ絶対28だよねぇ。すっげ似合ってますよ。うんうん。いいね。じゃ、そゆことで」
「何がそういうことだ。いくらだよ、三万くらいか?」
「送料入れたってそんなにしないよ。いーんだって、いつもあんたに色々奢ってもらってんだし。練習用にして履きつぶしてくれたら嬉しいな」
さ、上がって上がってと肩を軽く叩かれた牧は、靴を箱へ仕舞いながら少し困ったような笑みを向けた。
「大事に履くよ。ありがとう」
仙道は靴のホログラムのキラキラより何倍も眩しく輝いた笑顔を返してきた。
もらった翌日はやはり照れが勝って無理だった。しかし履き心地がいい靴を履かないのはもったいないし、一度履いてしまえば慣れるはずだと思い直した牧は、翌々日には練習で履くことにした。
「あれ? 靴、変えました?」
黙っていれば気付かれないかもしれないという甘い考えは、部室で靴を履き替えている途端に打ち砕かれた。
黒目がちで大きな瞳の後輩は小首をかしげながら近寄ってくると、腰を折ってしげしげと見だす。
「いつもと感じ違いますね」
「あー……まあ。変か?」
「全然。すごく格好良いですよ。あ、けっこう光りますね」
立ち上がって一歩足を踏み出した場所がちょうど、窓から陽が入っていたところだったからだろう。恥ずかしくなった牧は足早に自分のロッカーを閉めて部室を出ようとしたのだが。
「それおニューのバッシュなの? へえ、いいじゃない。似合ってるよ」と眼鏡で小柄な同期が言ってくるものだから。あっという間に牧は数人の部員に囲まれて、全員に験担ぎだと足を踏まれてしまった。
中でも無邪気と失礼が紙一重のような後輩には「ちょいハデでイケてますね、センスいー! まじカッケー! 牧さんは帝王なんだから、そーゆーちょいハデがいーすよ!」とはしゃがれ。口の悪い天然パーマの同期には「お? 地味で無難なのしか選べない真面目くんにしては、シャレたの買ったんじゃん? なになに、どーいう心境の変化? ひょっとして色気づいたの?」などと勘ぐられる始末。
余計な言葉を差っ引いても過分に褒められてしまい、自分が選んだわけじゃないので複雑な気分になる。しかし仙道からもらったと正直に言えばちょっとした騒動になるのは目に見えている。部活の奴らからすれば、仙道は他校の二年生エースで俺のライバル的存在でしかないのだから。去年の晩夏くらいから付き合ってることまではバレないだろうが、余計な詮索にあうのはごめんだ。
結局牧に返せたのは「……履き心地で選んでみた」という無難過ぎる一言だった。
* * * * * *
あれ以来、仙道からは二足のタウンシューズをもらった。日常使い用と遊び用に買ってみたがサイズが合わなかったといって。
どちらも俺なら選ばない色合いで、自分の手持ちの服に合うのがあるだろうかともらったときは困惑したものだが。意外にも何にでも合うのでヘビロテになってしまったし、どちらも評判がいい。まあ評価してきたのは目にした家族だけだが。妹などは「お兄ちゃんのくせに生意気!」などと失礼な感じで、何故か悔しがってもいた。
(見てくれもいいくせに、洒落っ気もあってセンスもいいなんて……。すげーよなあいつ)
電車に揺られながら今も履いてる自分の足先に目を落としつつ、牧はこれから会う恋人の甘く整った顔を思い浮かべる。
今日は俺から街に出ようと誘った。いつもは仙道が予定を決めるせいだろう、『珍しいね牧さんからデートのお誘いなんて。しかも映画じゃなくて街ぶらとか』と携帯から聞こえてくる声は少し弾んでいた。
お互い忙しくてなかなか会えないから、俺は特に何もしなくても一緒にいれるだけで楽しい。もっと正直にいえば、仙道か俺の部屋で二人きりでいられるのが一番楽しい。誰気兼ねなくあの整った横顔を眺められるし、あわよくば唇の温度や感触まで感じられる機会もあるのだから。その点、外だとじっくり見ることもできなければ手も握れやしない。
しかし今回は外デートでなくてはならない。目的があるのだ。さりげなく上手くいくといいのだが……。
祝日らしく街はけっこうな人で溢れていた。あまり人混みが得意ではないから、電車を降りた時点で少し気疲れしてしまったけれど。現金なもので待ち合わせ場所で周囲より頭ひとつ以上飛び抜けた長身の、しかも美丈夫な恋人が爽やかな笑顔で軽く手を振る姿を目にした途端テンションが上った。
そんな単純な自分が恥ずかしくなり駆け寄りたくなる気持ちを抑えて、牧はわざと歩く速度を少し落として小さく片手を上げた。
中古CD屋やスポーツ店などをひやかし、誰も並んでいないからと知らない定食屋に入って昼飯をすませた。どれも仲間ともたまにするようなことだからデートらしくなくて少々申し訳なさを感じもしたけれど。仙道は不満なさ気どころか、ずっととても楽しそうで笑みが絶えない。そんなご機嫌な様子もまた可愛くて、予定らしい予定もなく(俺にはあるが)ただ街をぶらつくのもいいものだなと思い直す。
「これからどっち方面行きます? どっか寄りたい店とかある?」
定食屋を出ると本日二度目の同じ質問が飛んだ。最初は『別にない』と答えていたが。
「そうだな……こっち行ってみるか」
「うん。なんかあっちの方、人多いもんね」
見れば何かイベントでもあるのか、人がそちらへ流れているようだった。
(ラッキー……かな)
自然な流れで目的の店までの道を歩けることに、牧の口元がゆるく上がる。
視線を仙道へ戻すと目が合った。優しげな目元を仙道はさらに弛ませるから、胸が甘い音をたててしまう。
「……どうした?」
「んー……。なんか牧さん、外だけど楽しそうだから」
「今にやけてたか、俺」
「や、今とかじゃなくて。会った時から」
「会った時からにやけっぱかよ」
恋人に久しぶりに会えただけで嬉しいのに、しかも上手くいけば自分が喜ばせられるかもと浮かれていたのが顔に出ていたのだろうか。何がデートらしくないのに仙道が楽しそうで良かっただよ。くっそ恥ずかしい……!!
牧は両手で顔を覆って無意味にゴシゴシと擦った。
「違う違う、にやけてなんかないよ最初から。ずっとカッコいいまんまだよ。でもなんつーか、少し顔が明るく感じるってだけ。外で明るいせいかもよ?」
「……天気、そんなによくないぞ?」
「あ……曇り……だね。……あ! あぁ……あー……」
やたら『あ』を豊かなバリエーションで披露した後、今度は仙道が先程の自分のように己の顔面をゴシゴシと擦っている。
今の会話でこいつが照れる要素なんてなかったよなと、牧が疑問に首をかしげたのが指の合間から見えたようで、仙道がゆっくりと両手を下ろした。
「……違いました、すんません。あんたが、じゃなくて俺が、でした」
「んん?」
「俺が浮かれてるせいなんだきっと。あんたがやたらキラキラ明るく輝いて見えてんのは、ってこと」
少し潤んだ目で熱っぽく伺き見てくるのが角度のせいか流し目のようで、それがまたひどく色っぽく感じてしまい、牧の頬が一気に熱くなる。
「バ、バカ。このバカ。何言ってんだバカ。こんなとこで、こんな……あ!」
「え? そんな凄いこと言った俺?」
「いやそうじゃなく、あっ!? な、ちょっとこの店寄ろうぜ」
ちょろい自分は仙道の言葉や視線ひとつでうろたえまくり、あやうく目的の店を素通りするところだった。
牧は激しく打つ鼓動を無視して左手に建つ大きな靴屋へ飛び込んだ。
レディース靴フロアの一階には目もくれず、牧は二階のメンズ靴フロアへ通じる階段を登った。後ろから仙道の足音がついてきている。
「へぇ……、この店ってこんななってんだ。広いすね、初めて入った……。牧さんは来たことあるんだね」
「まあ数回程度」
実は下見で一度来ただけだが、本当は今日は完全に初めて来たふりをしようと思っていたのに。不自然に店に飛び込んでしまったわ、ズンズンと迷いなく先を行ってしまったわで叶わなかった。が、それくらいは問題ない。
(さりげなく、あくまで偶然見つけた的にさりげなーくだぞ……)
自分に言い聞かせた牧は、軽く深呼吸をしてから平静を装って肩越しに振り向いた。 「ここな、一階が全部女性もののせいか、穴場な気がするんだ。ほら……結構サイズ揃ってないか?」
陳列棚の下にびっしり積まれているスポーツシューズの靴箱が積まれた一角を指差すと、後ろに立っていた仙道が一歩前に出てきた。
「ホントだ。大抵27までしかないのが多いよね。あって28なんだけど……」
「な? 29や30の箱は数えるほどしかないけど、それでもある方だよな」
期待以上のいい横顔を見せるものだから思わず食い気味になってしまったが、仙道はうんうんと強く頷いてくれた。
「ある方、ある方だよ〜。29や30なんて店頭にないどころか、取り寄せもしてくれない店もたまにあんだよ〜。そっかぁ、俺も女性靴中心の店だと思って全く寄る気なかったもんなー」
一番下にある29cmと表示された靴箱をいきなり引っ張り出そうとする仙道に牧は笑った。
「型番みて展示品探して、デザインが気に入ってから箱出せよ」
「展示品探すよか直で箱開けた方が早いから」
片っ端から開けていく気満々の仙道に目を細めつつ、牧はその場を静かに離れた。
しゃがみこんで出した箱をしまっている仙道の広い背に声をかける。
「これなんてどうだ?」
「どれ?」
立ち上がった仙道は牧が持つ箱を覗き込んだ。
「タウンシューズか〜。いいすね、シュッとしててシンプルでカッコいい。これ何センチ?」
「30。履いてみろよ。29もあったぞ」
「うん。…………あ、いい感じ」
牧はもう片方の靴紐を弛めて差し出した。 「両方履いてみろ」
「あざす。……ん。30でピタリだ」
「似合ってるぞ」
「そう? ちょっと真っ白過ぎて照れるけど……まあ慣れるか。白流行ってるし一足くらい欲しいかな」
眩しいくらい真っ白な靴には控え目に白いステッチが施されているだけ。その潔いまでの白さが自分には照れが勝って履きこなせないけれど、仙道ならばとこの靴をネットで偶然見た瞬間に思った。これの大きいサイズを取り扱っている店舗を検索して、この店を知ったのだ。5日前の部活早帰り日に一人で来て、30cmの箱をこっそりと革靴コーナーに紛れ込ませておいたのだ。店員に移動させられたり売れてしまう可能性もあったが、ネットでは今朝までずっと在庫ありのままだった。
(今日午前中に売れてしまっている可能性もあったが、残っててよかった)
仙道が履いてもいいと思ったことで自分の見立てにも牧は満足できた。
「他にも色々見てていいぞ、時間もあるし」
「んーん、これ買うからいいっす」
「ランニング用とかも見たらどうだ?」
「二ヶ月前に買ったから、今日はこれで」
仙道が牧の手にある靴がしまわれた箱を取ろうとしたので、牧は一歩後ずさった。仙道が他を物色してる間に会計を済ませたかったのだが、そうはいかないようだ。
(やっぱりこいつのようにスマートにはいかんもんだな)
牧は内心の苦笑いを隠して、なんでもないことのように口にする。
「これは買ってやるよ。だからもう一足選んで、それを自分で買ったらいい」
「え。いいすよ、自分で買うから。箱ください」
「俺が贈りたいんだ。すぐ戻ってくるから、お前は他のでも見て待ってろ」
踵を返す牧の後ろを仙道が慌てて追ってくる。
「いいって、悪いよ。誕生日とかでもねーのに」
「なに言ってんだ。お前だってよく靴をくれるだろ」
「俺の場合は返品がめんどいからで、全然わけが違いますって」
「俺の気が済むためと思って、いいからもらっておけ。……洒落てると言われるかは責任もてんがな」
「え? シャレがなに? 後半聞こえなかった」
「なにも言ってない」
「えー嘘だー。隠しゴトすか、やだなぁ。気になる〜」
牧の横に並んだ仙道が男らしい眉を下げて、ちょっと困ったような笑みを向けてくる。こういう顔も好きだと思ってしまえば、手も握れない状況が少し残念になる。
「じゃあ、今日のデートの記念ってことでいーんなら、ありがたくもらっちゃいます」
「もらってくれれば理由なんて何でもいい」
「彼氏にデートでプレゼントに靴買ってもらっちゃった〜キャー」
背後からふざけて仙道が抱きついてきた。突然望み以上の接触をされて、よこしまな考えが読まれたわけでもないのに慌ててしまった。瞬時に背中が発火した気がして、嬉しいのに振り払ってしまう。
「バカ。何言ってんだこのバカが」
「あんた照れるとすぐバカって言うよね。悪口の語彙力が乏しくなっちゃうとこも可愛くて、こっちが倍も照れちゃうよ」
またバカと言いそうになるのを牧は寸でで止めた。こいつの言う『可愛い』は頭が腐ってるから鵜呑みにできないが、確かに照れ隠しの語彙力についてはそうかもしれない。己の咄嗟の反応の単純さが悔しくなる。
(お前以外には突然だって、もう少しはマシな反応できてるっての。照れさせるお前のせいなんだぞ)
そんなことを考えながら恨めしげに見た仙道の横顔は。こっちだって倍以上顔の血行が良くなってしまうものだった。
仙道も自覚してるようで、俺に見られているのに気付くと片手で顔を隠した。
「……見ないでよ」
「……次会う時には履いてこいよ」
「当たり前でしょ! 明日からヘビロテだから、会う時には汚れてくたびれてるかもしんねーすよ」
照れ隠しで少し大きな声になってしまった自分に焦ったのだろう。仙道は俺の背中を珍しく、オマケとばかりに痛いくらいに叩いた。
店を出れば空のほとんどを占めていた雲はすっかり流れ去り、眩しいほどの日差しが街に溢れていて思わず目を眇める。
「ね。今度はあんただって俺をちょっとは眩しく感じるんじゃね?」
先程買った靴のように真っ白く綺麗な歯並びで、仙道はイーッと歯をむいてみせた。子供のような照れ隠しが、煌めく光の中で幼かった頃の仙道のまぼろしを俺に見せる。
「…………バ」
数秒魅入ってしまったのを誤魔化そうと開きかけた口を一度閉じて、牧はわざと眉間に皺を寄せやけっぱちの早口を投げつける。
「お前なんて待ち合わせ場所で突っ立ってる時からビカビカ眩しいんだ。ちったぁ自覚しやがれ」
ストレートな返答は予想外だったようで、今度は仙道が口をわずかに開けて言葉を失っていた。
数秒かけてじわじわと首や耳までほんのりと染めてから、俺を恋に落としたあの時にみせた情けない顔で仙道はふにゃりと笑った。
*end*
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