Family vol.03


 仙道の合鍵を使って牧は家に入った。二人の靴は玄関になく、電気はついておらず、人の気配もない。予想よりも早く帰ってこれたことを喜んでくれる姿も当然ない。強めの息をひとつ吐くと、習慣で口にした「ただいま」の一言がやけに虚しさを呼び寄せた。
 久しぶりのスーツとネクタイに疲れていたが、着替えをすませると漸く調子が戻ってきた。台所へ行くと既に朝使った食器も片付けられていて、手持ち無沙汰に冷蔵庫を覗く。
「あ、冷やシャブ……。これ、俺んだよな?」
 隣には小皿に分けてある白髪葱とポン酢と缶ビールが一本。
 牧は嬉々としてテーブルに並べると、一人で冷やシャブを肴に晩酌をはじめた。
「いただきます。……ん。美味い。……っ〜〜〜あぁ〜〜、生き返るな〜」
 湯がかれて適度に油っこさが落とされ、甘みが引き出された柔らかな肉と油の旨味に舌鼓をうちつつ、キリリと冷えたビールを流し込んでは幸せを噛み締める。
 今夜はちょっとやっかいな会合だったが、一応無難に終えることができた。その上、理由は分からないが妹が仙道に対して打ち解けたらしいときた。
 長いこと地味に気がかりだった二件が予想外にうまく運んだことが、牧の口元を更に緩めていく。
「案ずるより生むが易し。下手の考え休むに似たり、か?」
 妹が聞いていたら、お兄ちゃんジジくさいと突っ込まれることは確実だ。でも今の気分上々の俺は笑って流せる。それどころか、お前よりは年寄りなんだからもっと大事にしろと軽口を叩いて、妹に冷たい目で見られながらも鼻で笑いそうだ。
 壁掛け時計に目をやれば、けっこうな時間になっていた。道が渋滞でもしているのだろうか……もうとっくに帰ってきてもいい頃なのに。
 月はほぼ満月に近い形で明るく輝き、窓から入る夜気は連日の熱帯夜が嘘のように今夜は心地よい。
 こんな気持ちの良い夜にあいつとゆっくり飲めたら最高なのにな……。

 なるべく時間をかけてみたけれど一人晩酌で終わってしまった。
 ふわふわとした軽い酔いと、ちょっとの物寂しさを抱えた牧はソファへ横になるとクッションを腹に乗せて目を閉じた。

 少しうたた寝をしていたのか、SNSの着信音にビクリと肩があがった。携帯を見ると里穂からだった。
『今JRの中です。予定より一本遅いのに乗りました。仙道さんと話すのが楽しくて、駅のスタバで長居しちゃった 男の人とあんなに楽しく喋ったのってお兄ちゃん以外で初めてかも〜 仙道さんってすっごい美形だよね〜睫毛長〜い(*ノω<*) ストロベリークリームフラペチーノwithチョコレートソース奢ってもらっちゃった 美味しそうでしょ〜 だからお兄ちゃんがあとで仙道さんのお財布に多めに補充してあげてね(。>v<。)ノ』
 メッセージに続く写真に牧は驚いた。ストロベリーなんたらを持った里穂とアイスコーヒーを持った仙道が顔を寄せ合って写っていたからだ。周りにはキラキラとした花だか星だかがチラチラと光って、やたらに煩く派手である。
「……スタバにプリクラなんてあるのか?」
 牧には携帯で撮った写真に里穂がアプリ加工をしたことなどは分からない。分かるのは、やけに里穂が楽しそうなことだ。しかも二人の顔の距離が異様に近い。これでは頬をくっつけあっているのと似たようなものじゃないか。文面にも色とりどりのハートがいっぱい飛んでいる。
 これほど上等な男と一緒なのだ、浮かれて当然だろう。これが一般的な女性の反応だ。今までがおかしかったわけで、これが自然といえよう。
 そこまで考えた牧の眉間が急に深い皺を刻む。写真に顔を近づけ、じっくりと見れば見るほど、牧の胸に暗雲が漂いはじめる。
 ……待てよおい。もしかしてお前も仙道のことを好きになったとか言わないよな? 確かに仙道は美形で高身長でスタイルもいい。優しいし気が利く。ちょっと金と時間にルーズなくらいで、他はほぼパーフェクトな男前だ。
 けどな、そいつは俺のもんなんだからよしてくれよ。兄妹で仙道争奪戦なんて絶対にやりたくないからな。いくら可愛い妹だからといって、これだけは断じて譲らんぞ?
 更に食い入るように写真を睨みつければ、二人がとてもお似合いに見えてきて、牧は口元をへの字に歪めた。
 気付かなかったが、はたして里穂はかなり可愛らしく成長していたようだ。元々俺の妹にしちゃまあまあ良い感じ(過去、部活の奴等に紹介しろと言われたことも数回あった)らしかったが、こんなに目が大きかったか? んん? 顎とか細いな?
 ……仙道もなんだかまんざらでもない顔をしているような。おいおい、やめてくれよ。俺の妹に手ぇ出していいほどの奴なんてそうおいそれと……って、お前なら非の打ち所がないなぁ。うん。仙道なら合格点以上だ。
 待て待て待て。そうじゃない、そうじゃないだろ。そうなったら俺はどうすりゃいいんだよ。俺は里穂みたいに可愛いとこなんてどっこもないぞ? 俺と仙道が並んでもこんな似合いのカップルには全く見えん……が、俺だって仙道とコートで並べば最強コンビとして名高いんだからな。雑誌にだって何度も(バスケ雑誌だけだが)ツーショットで載ったぞ。
 む……。女と張り合う時点で間違っているか。俺には女にはない良さがある。……そりゃ当たり前か、男なんだから。男と男がただ並んでいてカップルに見えるわけがない。むしろ見えたらおかしい。見えたくもない。
 …………勝負をする前から結果が出たとか思ってないぞ? いやいや本当に。俺は妹になんて負けてませんよ? 仙道に妹をやってもいいなんて、そんなことこれっぽっちもだなぁ、思うわけなどないわけで。む。この場合は妹に仙道を譲ると仮定すべきなのか……って誰が譲るかよ。あー……っと、えーと。むむむ…………訳がわからなくなってきた。そんなに飲んだか俺?


*  *  *  *  *  *


 ただいまーと言いながら靴を脱いでいると牧さんが出迎えてくれた。
「おかえり。すまなかったな、遅くまで里穂に付き合わせたようで」
「いえ、ちっとも。なんか仲良くなれましたから、もう牧さん心配いらないよきっと。あ、里穂ちゃんの写真みた?」
「見たよ。そうだな」
 もっと喜んだ反応をしてくれると期待していたのに、牧さんはあまり普段と変わらない。写真の感想も何もないまま背を向けられてしまった。
(……玄関で立ち話もなんだからかな?)
 仙道は首を傾げつつ洗面所へ向かった。

 ソファに腰掛けると牧が「おつかれ」とビールを仙道へ手渡した。
「牧さんは飲まないの?」
「俺は先にもらった。あ、豚シャブも。美味かったよ、つまみにちょうど良かった。あれ晩飯のおかずだろ? 他に何食ったんだ?」
「キノコとベーコンを炒めたやつと、トマトサラダ。材料なくてさ。なのにそれだけで里穂ちゃん足りたって言うんだよ。俺なんてすぐ腹が減ってスタバで間食しちゃった。あ、里穂ちゃんが寄りたいって言うから」
「知ってる。メールに書いてあった」
「そっか。や〜スタバなんて久々に入ったすよ。いつ行っても混んでるよなぁ〜。メニュー選ぶのも落ち着かないよ、後ろにずらっと並ばれてさ。あとから牧さんにも土産に何か買えば良かったって気付いたんだけど、また並ぶのが嫌で。ごめんね」
「何もいらんよ。俺は外でしっかり食って帰ってきたから。それよりお前は今はどうなんだ? 足りてるのか?」
「へーき。ハムが挟まった変わったパンと分厚いクッキーみたいなの食べたから」
 そうかと頷いた牧さんの頬に影が少し落ちているのも、目もとにある小さな黒子も色っぽいよな……なんてぼんやりと見つめながらも、仙道は少し残念な気持ちになっていた。
 もっと、どうやって里穂ちゃんを懐柔したとか、どんな話をしたのかなど聞いて欲しかった。そしてもうちょっと褒めてもらえたらなーなんて。そのためだけに俺は、苦手な年下の女性。しかも恋人の妹という難しい相手とのお喋りなんぞを頑張ってきたんだから。
 けれど隣でTVを見ている憂いを帯びた横顔は、待ってもこちらを見てくれそうな気配すらない。
 仙道は日が悪いのかもとあきらめることにした。仕事で何か辛いことや面倒なことでもあったのだろう。ほらまた、幾分沈んだように吐かれた小さなため息。きっと今夜は妹の話どころではないのだろう。残念だがそれはまた今度の話題にしよう。

 それでも傍を離れるのは忍びなくて観る気もないがTVの方へ顔を向けると、携帯からSNSの着信音がした。滅多にSNSなど来ないため、誰からだろうと首をひねる。
「里穂ちゃんからか。何だろ?」
「アドレス交換までしたのか」
「うん。しようって言われたから」
 内容は仙道の姉と会う日程についてだった。基本、姉の予定に合わせるけれど、一応彼女の都合としては再来週の土日だと助かるというようなものだ。そのまま返信で、姉に聞いたらまた連絡すると打った。
 携帯を閉じると牧さんはどこか痛いような表情でこちらを見ていた。
「どうしたの? 頭痛でもするの? それとも会合で何かあった?」
「何もない。会合は無難に終えれたよ」
「良かったすね。じゃあ何でそんな疲れた顔してるんすか。気になるよ……。もしかして牧さんに確認とらないで里穂ちゃんとアドレス交換したのが嫌だった?」
「そんなことはない……。ただ単に、半日くらいでお前らが随分と仲良くなったなって。俺がお前の金を管理してることまで話したみたいだから……そういうのに驚いてただけだ」
「家計を一緒にしていて、金銭管理は牧さん担当だってことまでは教えてないよ?」
「そんなのは分かってるよ」
 牧の淡い笑顔に少し安心させられる。それにやっぱり、牧も驚いてはいたのだとわかった仙道も笑みを返す。
 スピード懐柔に持ち込めたきっかけが同人誌で、彼女が隠れ腐女子であることは兄には絶対に秘密にしてと約束させられている。その代わりとなる、無理がなく、且つ極力嘘の少ない理由をスタバで里穂と考えて決めてきてある。
 それをもっともらしく話せば、きっと信じてもらえるし褒めてもらえる。もしかしたら今が話し時かもしれないと、仙道はちょっと得意げに身を乗り出す。
「それがさ、そこを彼女は勘違いしてたみたい。俺が牧さんに金をたかってると思ったらしくて。それで俺をヤバイ奴じゃないかって警戒してたんだって。兄想いの優しい妹さんっすね。やっぱマンツーで飯を食いながら話をするのは、老若男女、距離を縮める近道だと今回改めて思いましたよ。誤解がとけたらすんなり打ち解けてくれたんで、ホッとしましたよ〜」
「ふぅん……。それで、さっきの連絡は何だって?」
 いまいちノリが悪いと感じながらも仙道はめげずに続ける。
「彼女、漫画が好きなんすね。話の流れで、俺の二番目の姉が少女漫画家だって教えたら、ぜひ会いたいって言われてさ。昔から好きな作家だったんだって。それで姉と里穂ちゃんの都合が合えば会わせてあげる話になったんです」
 ほらこれ、と仙道は先ほど里穂から来たメッセージを牧へ見せた。
 内容は先ほどの説明と無理なく一致する。嘘なのは姉が少女漫画家ではなくBL漫画家であることだけだ。一応、牧に姉の描いている漫画を詳しく聞かれてもいいように、少女漫画に詳しくない仙道は里穂からそこら辺も含めてレクチャーされている。
 さぁ、どっからでも質問どーぞという気分で仙道は反応を待った。
 しかし牧はそのまま携帯を返してくると先ほどと同じ調子で、「そうか。世話をかけるな」と小さな会釈をしただけだった。

 牧の暗さを伴う反応がどうにも違和感を感じさせる。それに落胆も加わり、流石に仙道も苛ついてくる。
 見る気もないくせに、BSのチャンネルを何度も変える牧の手からリモコンを奪う。
「あのさぁ、もしかして何か俺に対して怒ってます? 帰ってきてからずっと、何か牧さん冷たくない? 俺今日何かヘマとかやりました?」
 顔を覗き込むと、僅かに目をみひらいて首を小さく左右に振られた。
「違う。お前がどうとかじゃない。悪い、ちょっと色々くだらんことを考えていただけなんだ」
「……じゃあ、何考えてたのか教えてよ。そしたら許したげる」
「や。本当に言うほどのことじゃないんだ。ははは」
「嘘。何そのとって付けたような下手な笑いは。……あ。もしかして」
 牧の顔にぎくりとした表情が一瞬だけ覗いた。
 本当はも何も、全く仙道には思い浮かぶ節などなかったのだが。すぐにポーカーフェイスの下に隠された牧の表情の変化を見逃さなかった仙道は、やはり自分に関係のあることなのだと確信した。
 しかし無理に深く追求すれば、かえって意固地になり黙するのが男というもの。自分も男なだけに、こりゃ今日のものにはならないと早々に悟る。
(……仕方ない。見当はずれな推論で笑いをとって、この話題はとりあえず終わらせるか。それだけでも空気は変るだろ)
 仙道は牧を下から覗き見るようなポーズをきめてふざける。
「もしかして牧さん、俺と里穂ちゃんが急接近して、ヤキモチ妬いちゃったんでしょー」
 なーんてね、と続けようとしたのだが。ぴくりと牧の左頬が僅かにひきつるような動きをみせたものだから。仙道はまさかだろと我が目を疑った。

 今度は牧の携帯の着信音が、短くも奇妙な膠着状態を崩した。
 牧は自分の携帯を取りに動くことで。仙道はそちらへ首を向けることで、互いに胸中で安堵の吐息を吐く。
「誰から? 角野から連絡すか?」
「……いや。里穂からだ」
 短い内容だったのか、牧はすぐに携帯を閉じた。特に興味はないが、先ほどの気不味い雰囲気に戻りたくないがため仙道は尋ねてみる。
「里穂ちゃんどうしたって? もう着いたって連絡っすか?」
 急に表情を消した牧の横顔に仙道は僅かに焦りを感じる。
「……まぁ、そんなところだ」
 携帯をテーブルの上に置くと、牧はフッと軽く笑って仙道の前へ立った。
「気になるか、里穂がそんなに」
 すっ……となめらかな動きで牧の両腕が伸ばされ、仙道の頬は両手で包まれる。
「そういうわけじゃないすよ」
「そうだよな。お前が一番気になるのは、俺だもんな」
 久々に正面の至近距離から見る不敵な微笑み。細められた二重瞼から覗く瞳は里穂と同じく日本人にしては薄い琥珀めいた色だ。しかしそれはただ色が同じなだけ。そこに含まれる艶も自信も何もかもが違うため、石ころと宝石ほどに異なっている。一瞬にして妖艶で力強い琥珀の輝石に目を奪われる。
「なのにどうして俺が妬く必要がある? お前には俺しか見えてない。……違うか?」
「そう……だよ。いつだってあんただけだ」
 牧が満足げに唇の両端を上にあげた。たったそれだけの僅かな動きに誘われて、ふっくらとした質感を持つ唇へと吸い寄せられてしまう。
 深く口づければ誘うように薄く開かれる隙間。性急に舌を差し入れて、奥に潜んでいる柔らかく濡れた舌を吸い上げる。今の今まで何故こうせずにいられたのか信じられないと思うほど、急激に沸騰した劣情に干上がりそうだ。
 執拗に貪られて息苦しそうな喘ぎ声が彼から微かに漏れるまで─── 否。漏れてもなお、潤った唇は砂漠で得る水のように手離し難く、明け渡されている瑞々しい舌や口腔を蹂躙し続けてしまう。

 カフッと軽く舌へ歯をたてられてしまい、渋々と仙道は距離をあけた。
 熱を帯びた吐息をひとつ零してから、牧の腕はゆっくりと仙道の頬から首、鎖骨を下降してゆく。褐色の長い指先が仙道の早い鼓動を刻む場所で止まった。
「どんな裏ワザを使ったか知らん……が。あの頑固な妹の誤解を解いて、短時間で手懐けたのは賞讃に値する。褒美をやらんといけんな」
 口調はサラリとしているのに、瞳だけはそれを裏切るように妖しい。
「下さい。今、下さい」
 初めて夜を迎えられるかどうかの瀬戸際に立つ若造のように焦っている滑稽な自分。落ちつけよと頭のどこかで声はしても、耳を貸せる理性は琥珀の中で淫らにちろちろと揺らぐ炎にあっけなく焼かれてしまっている。
 早く抱き潰すほどに強く抱きしめたくて仙道が一歩踏み出す。その動きに合わせて牧が二歩退いて微笑む。
「もう腹はいっぱいみたいだから、今から何か作ってやっても食えないんだろ。果物も無理か? 酒は……明日も仕事があるから、過ぎても良くないよな」
 褒美に飲食など望んでいないことなど牧は承知で楽しそうに話す。
 焦れた仙道が下唇を噛むと、褐色の指は体をすべるように下降する。
「……っ」
 期待に昂りかける中心部。硬いデニム地の上で欲望を煽るように指先が這いまわる。仙道の腰がもどかしさに軽く揺れた。
「こっちはどう言ってる? 喰いたいか? それとも喰われたい……か?」
 先ほどの口づけで赤く濡れた蠱惑的な唇が、揶揄するように微笑む。齧りついてしまいたくなるほどにセクシーだ。
 普段は物足りなく感じることがあるほど、情事に通じる会話などでは控え目過ぎる傾向の男が挑発的に誘ってくる。それだけで淫らな夢のようで現実感が希薄になりくらくらする。
 しかしこれほどの褒美をもらえることをしたわけではない。何かが引っかかる。いつもの彼であれば、軽く頭を撫でながら褒め言葉を与えてくれる程度で終わるようなことしかしていないのに。
 焼かれきってしまったかに思えた理性が、そう疑問を投げかけてはきたけれど。
「喰ってよ。……あんたの全てで、俺の全部を」
 罠でもかまわない。折しも今は夏真っ盛り。淫靡な褐色の火に飛び入らせてもらいますとも。脳裏にひっかかった疑問など一緒に焼き尽くされちまえばいい。
 欲望を浮き彫りにする指先を押し返すように腰を突き出せば、彼は少々憮然とした面持ちで見返してきた。けれどすぐ先ほどの余裕のある笑みを口の端にのせながら膝を折った。
「わかった。俺が余すところ無く喰ってやるよ」
 今夜は俺が喰いたいと仙道に言わせたくて、積極的に誘ってきていると仙道は分かっていた。しかし褒美ならばなおのこと喰わせたい── 先ほどから艶っぽく濡れている唇へ、この欲望を全て呑み込ませたかった。抱かれるのも嫌いじゃないが、今夜のように雄々しさを強く感じさせる彼が快楽に頽れていく姿を見れるのは、この上ない愉悦であり快感だから。

 仙道のジーンズのファスナーがゆっくりと下ろされる。くしゃくしゃになっているトランクスの窓から半勃ちになっているものをそっと引き出す指の動きは、焦らすようにとても優しい。
 牧は唇よりも一段赤みの濃い滑る舌で仙道の中心の先端をくすぐってから、舌の上に乗せた。柔らかく湿った褥は暖かく心地よい。野性味のある精悍な顔を上気させながらグロテスクなものを乗せて見上げる様はたまらなく卑猥だ。何もされていないのに、そんな姿を見下ろしているだけで舌上の醜い欲望は質量を増していく。
 舌だけで支えるのが辛くなってきたのか、根元を支えるように指先が添えられた。それでも迎え入れてくれないもどかしさに早口で一気に伝える。
「早く。ご褒美なら焦らさないで早く丸ごと喰って」
 育ち切ればこの欲望は男の深い口腔ですら受け止めきれなくなる。まだ、今なら全部包みこんでもらえるのだと思うと、仙道は待ち切れずに牧の髪へ指を差し込み強引に頭部を引き寄せた。動きにあわせて牧の唇が大きく開かれ、すっぽりと暖かく湿った場所に包まれた。ふっくらした唇にキュッと根本を締め付けられたまま、口全体で吸い込まれていく。やっと得た心地よさと、これから施される淫らな刺激への期待感が仙道の背中を震わせた。


*  *  *  *  *  *


 手で腰を擦りながら深い疲れを含んだ吐息を零す牧へ、仙道は微苦笑を漏らした。
「ごめんね、ご褒美貰い過ぎちゃったかも」
「……まったくだ。遠慮というものを知れ」
「いやぁ、だってなんか今日の牧さん、いつもと違うから」
 がっついちゃってごめんねと囁きながら、背中を向けている牧の肩へ仙道がリップ音付きのキスを落とす。
 いつもと違う……その理由はあるのだが、口が裂けても教えたくない。
「もういい。寝る支度をしよう。明日……。いや、今日も仕事なんだから」
 深い追求を受ける前に会話を切り上げてベッドから腰を上げた。まだ体の奥に仙道がいるようで甘く疼くのが辛いけれど、根性で表面上は平静を装う。
 牧が洗面所で歯を磨いていると仙道が牧の携帯を手にやってきた。
「何か着てたみたいだよ。はい」
「ん」
 磨く手を止めずに左手で確認する。また里穂からだった。
『何回もごめーん。ちょっと気になったんだけど、仙道さんってお兄ちゃんの三つ年下なんだっけ? 彼女とかいるのかなぁ。知ってたら仙道さんに内緒で教えて なるべく早く返事ちょうだいね
 眉間がぴくぴくと引きつる。洗面台の鏡に映ったそんな俺の表情を見て、仙道がどうしたのと背後から表情で問うてくる。
 内緒でと書かれていたが、そのまま仙道に見せてやった。
「あら〜」
 こういうことには慣れているのか、仙道の表情に変化は見られない。
「三つも離れてないんだけどねぇ」
 続く仙道の台詞に思わず『そっちかよ!』と泡だらけの口でツッコミを入れそうになった。

 歯磨きを終えた牧は仙道の手から携帯を奪うと、返信をその場で打った。
『あいつは俺の一つ年下。恋人はいる。あきらめろ。』
 送信ボタンを押して顔をあげると、鏡には真っ赤な顔をした仙道が映っていた。
「何だよ。嘘は書いてないぞ」
「うん。うん。うんっ、うんっ、うんうんうんっ!」
 バカのように同じ返事を繰り返しながら仙道が強い力で背後から抱きしめてきた。
 打ってる時は気付かなかったが、仙道の過剰な反応に、最後につけた一言は不要だったのかもと思い至る。じわじわと血流が集まり出す己の顔を見たくなくて鏡から視線を反らした。美形で格好いい恋人を持つというのは大変なことだ。こんな恥ずかしい思いをこれから先、何度もしなきゃいけないのだから。
 牧が考えるだけでげっそりすると思っていたところ、背後の美形がこの至近距離だからこそ聞える、小さな呟きを漏らした。
「いつか遠い先……。恋人から夫……はムリだけど、家族に昇進させてもらえたらいいな」
 体を繋げたのも、同居を決めたのも、そのために共同出資でマンションを購入することにしたのも。全てはこいつが率先して動いたから実現したことだ。
 しかしながら籍ばかりは年下のこいつにはどうしようもない。俺が動くしかないから、こいつは願い、待つしかないのだ。
 あんな気恥ずかしさや嫉妬心を持てあまさずにすむのならば。遠い先といわずさっさと養子に入れちまうかと、どこかやけっぱちめいた気分が口の両端の筋肉を上向きにする。そこは顔を乱暴に洗うことで上手く隠した。
 タオルで顔を拭きながら仙道へ洗面台を譲る。
「里穂も手懐けてくれたことだし。今度の正月はお前を連れて帰省する。上手いこと親父とお袋も手懐けてくれりゃ、籍なんてすぐだ」
 背後からちらと盗み見た鏡には、歯磨き粉で泡だらけの口をぽかんと開けて目を丸くした顔が映っていた。こんなまぬけ面ですら美形なんだからどうしようもない。
「しっかり頑張ってくれよ。俺もこれからは本気でいくから」
 仙道は泣きたいのか笑いたいのか分からない歪んだ唇を戦慄かせ、無言のまま何度か頷いた。
 細かく震える仙道の熱を帯びた背中を撫でながら、牧は滑らかな項へ静かに唇を落とした。


 再来年の春、ウールのブランケットで眠る頃までにはと、牧は自分の中で期限を設けた。
 そのためにも今後自分の親と妹には、その腹づもりで接していこうと腹を括る。とっくに成人した男が決めた人生設計を報告するだけのこと。そう開き直りは出来るけれども、やはり出来うるならば親や妹にも、仙道は俺の伴侶だと受け入れてもらいたいから。
その前にはまずカミングアウトの問題がある。まあこれは……この年まで独り身で、男とマンションで暮らしてるのだから、母親などは薄々察しているだろう。妹は仙道を気に入ったのだから援護射撃をしれくれる、かな? とにかく母を味方につけられれば父はなんとか……ならなかったら諦めよう。父には母も娘も傍にいる。
 できる限りの誠意を尽くした結果がどうであろうと、再来年の春には籍を入れる。事故や震災などいつどこで起こるかわからないから備えをするように。養子縁組は互いを守るための法としての備えでもあるから。俺たちは地方での仕事が多いから、自治体限定の制度では頼りないからな。
 本当は俺なんかより仙道は頼れる奴だが。それでもこの件に関しては、俺が先頭をきっていかなければならないのだ。口にして期待をもたせたからには、ずるずると先送りにして不安がらせはしない。家族の縁が薄いあいつにこそ、早く安心させてやりたい。

 けれど今はまだ夏。このサラサラとした心地よいタオルケットで眠れる間くらいは、ただ甘ったるい恋人同士でいさせてもらおうか……。
 ひっそりと牧は一人微苦笑を漏らすと軽いリネンに体をくるみ瞼を閉じた。


















*end*




ここは表サイトなのでモロエロな部分はカットしてます。本に収録していたエロ部分も
読みたいと思われた18歳以上で裏の鍵をお持ちの方は、ぜひそちらでお楽しみ下さいv
先に申しておきますが、そんなにエロじゃないけど、しっかり仙牧してます。

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