You may own a cat but cannot govern one. vol.02
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※くろすけさんのネタ部分を赤色で表示してます。
もっとあるけど全部は話しに入れ込めなかった〜残念☆ |
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カウンターには常連が一人。座敷に客はいない。今夜はそういえば日本対どこだかとのサッカーの試合があるし、明日は月曜。もう客は来ないと見越したのだろう、和風処『魚住』の店主である父は二代目店主の息子に任せて一足先に帰ってしまった。 頬杖をつき船をこぎだした常連客の袴田の様子を伺いつつ、魚住は静かに片付けをすすめる。そろそろタクシーを呼ぶか聞いてみようかと思い始めた時に、勢いよく店玄関の引戸がカラカラと開く音がした。 「らっしゃい! ……ってお前か」 「お前かはないだろ。まだ平気か?」 「あぁ、入れ入れ」 自分より数cmは低いが、それでも195以上はありそうな巨体の赤木が、暖簾を手で避けながら身を屈めて入ってくる。音で目が覚めたのだろう、袴田が赤木を見て声を上げた。 「おおっ? あんた大将よりデカイんじゃないかい?」 「いや、俺は2mはないですよ」 目を見張る袴田の二つ隣に腰掛けた赤木は、会釈をしながら律儀に返す。 「こいつは態度が俺よりデカイんで、そう見えるだけですよ」 「ははは。なんだい、二代目の友達かい。んじゃごゆっくり。俺はそろそろ帰るわ。大将、お勘定置いとくね」 「ありがとうございます。お気をつけて!」 袴田が去ると赤木は少し申し訳なさそうに顔を曇らせる。 「追い出したみたいだな……」 「いいんだって。あの人はいつもこのくらいの時間に帰るんだ。それより珍しいな、日曜の夜にお前が来るなんて」 「ん……まあな。あ、ビール一杯だけ」 「おう」 魚住は手早く先付を出すと、キンキンに冷えたジョッキ二つにサーバーからビールを注いだ。配膳がてらカウンターを一度出て、暖簾を下げて戻ってくる。 「いいのか?」 負い目を感じたのか、赤木が太い眉根を寄せて聞いてくる。 確かに閉店時間には30分ほど早いが、客足や具材切れで早まることもそう珍しくはない。家族経営ならではの気軽さを、魚住は肩を軽くすくめ流すことで伝える。 「お前こそサッカー観戦はいいのかよ。テレビつけてやろうか?」 「バスケット以外興味はない。お前と一緒でな」 カウンターの中へ戻ってきた魚住はスチール椅子を出して腰掛けると、片側の口角とジョッキを同時に上げた。赤木もまた同じように自分のジョッキを軽く上げて、嬉しそうにビールを口にした。 「それでな、店を閉めた後で近場の飲み屋に仙道を連れて行って、見せてやったのよ」 「へえ、お前が飲みに誘ってやるとはね。で、何を見せたんだ?」 「写真だよ、写真。牧猫がまだ赤ん坊の頃のやつをさ」 たったジョッキ半分で酔ったわけでもなかろうに、赤木はいつになく饒舌だ。 訳あって引き取った生後三日ほどの仔猫五匹のうち、三匹は虹の橋を渡っていったが、生き残った二匹はすくすくと。特に牧などすごい早さで巨大に成長した。その牧を赤木が経営している猫カフェの常連客の仙道という男に譲ったというのだから。それは語りたくもなるだろう。しかもそれが満更でもないのが口調や表情からも容易く伝わってくる。 「写真見たそいつがなんて言ったと思う?」 「『まだ小さいですね』か? あ、まだ仔猫だから、『小さくて可愛い』とか?」 「それが普通だろ? なのにそいつさ、一枚目見た途端に『すいません・・・ちょっと目ぇやられたんでタイムお願いします……』って顔を覆うんだぜ。ありえないだろ?」 「目がやられる?」 「なんでも、『意味わからないくらい可愛いなんてもんじゃねぇ生命を目の当たりにして、目ぇ開けてらんねぇ』という意味だそうだ。驚いたぜまったく。乙女かよ」 「牧の仔猫時代ってそんなに可愛いかったか? 今その写真ないのか?」 赤木はポケットからスマホを取り出して写真を見せてきた。 「……普通の仔猫だな」 「仙道の方がお前より目は確かだな。普通の仔猫よりは少し可愛いだろが。ほれ、これなんてどうだ」 二枚目は別の仔猫に乗っかられている牧猫があくびをしているものだった。 「……この上に乗っかってる三毛猫、もしかして木暮か?」 「そうだ、よくわかったな。この頃は木暮の方が牧より大きかったんだ」 「ふーん。木暮も牧も元気に育って良かったな」 頷きながらも赤木は憮然とした顔だ。どうやら俺の返事が物足りなかったようだ。しかし俺は猫よりも犬が好きなせいか、猫の可愛さがイマイチわからない。だから赤木の店にも開店して一度寄っただけ。赤木はこうしてたまにうちの店に顔を出してくれてることもあり、その点では少々申し訳ないと思わなくもなかった。 久しぶりに仔猫の木暮や牧を見たせいだろうか。公務員試験に合格したての赤木を思い出してしまい、顔が微妙に笑いを含む。 「……なんだよ、人の顔見て笑いやがって」 「いやぁ、あの頃のお前は獣医学部卒の期待のルーキー公務員だったなってさ。今じゃすっかり顔に見合った無骨な店長面が板についたもんだってな。ほら、なんて名前だっけ? 牧猫たちと、その母猫を蹴ってた、お前の元職場の保健所のクソ係長。あいつの顎、今頃腐ってもげてたらいいのにな」 赤木の片眉がピクリと跳ね上がる。 「自分の憂さ晴らしで動物虐待する奴の名前なんぞ口にしたくもないわ。あのド腐れ外道が……。なんで俺は一発といわずもう十発くらい殴ってやらなかったんだ」 「一発で下顎複雑骨折6週間の診断が出たんだ、十発殴ってたら死んでるぞ」 カウンターの上で握られた赤木の大きな拳は当時を思い出して硬く握りしめられている。 この拳で顎を砕かれたクソ係長は、傷害事件で赤木を告訴すると入院中吠えたそうだ。しかし当時、長く勤めている他職員たちが、そいつが保護動物への虐待を繰り返していたと上に告発した。課長含む上の者たちは表沙汰になるのを避けたかったのだろう。赤木を長期の自宅待機の末に減給と部署異動。クソ係長は退院後に降格処分で全く畑違いの部署へと飛ばされる処分で終わったのだ。 「そうだな……。あれ以上殴ってたら懲戒免職は確実か。自己都合退職できただけマシってもんか」 「殺人でお縄になってたら、今の猫カフェ店長の道もなかったぜ? 前科者が店舗物件なんて借りれねーよ。よかったんだよ、一発でやめといて」 赤木に提示された新しい移動先は、北海道の片田舎。小さな村役場の事務補だった。『大きくて力もある君が再び暴力を振るったら……なんて恐怖を周囲に与える存在と上層部にみなされてしまった。君は自力で新天地を探した方が将来は明るい気がするね』と。人事部長は辞令の際に、さも親切そうに言ったという。 辞令の翌日に退職届を出して受理されたと、赤木は尾長鯛の塩焼きを箸でつつきながら語ってくれた。初めて自分が調理した焼き物料理を客に出すことを許された日でもあったせいだろうか。二年近く前なのに、つい先日のことのように覚えている。 「お前も色々あったな……。けどまあ、晴子ちゃんのアシストのおかげで、今は猫カフェの経営も上手くいってて、資金も順調に貯まってんだろ?」 「あぁ。このペースでいけば獣医開業も金銭的にはそう遠くはない。だが獣医の経験がないから、その前にどこかの動物病院にでも就職して経験を積まなきゃならん……」 今後に考えをめぐらせ始めた友人の顔からは不快さは消え、先を見つめる強さが宿っている。赤木は学生時代から頭が固く不器用で融通がきかない男だが、芯に通った健全な強さで常に過去よりも現在。現在よりも未来を考えていけるのが強みだ。 (お前の見かけや無骨さに惑わされない奴が、もっと周囲に増えるといいな) 黙考する赤木に魚住はあえて声はかけず、細めた目で笑った。 今日使ったイカの残りでイカのゴロ煮を作り器に盛り、二杯目のビールと一緒に出してやる。 「どっちも頼んどらん」 「奢りの祝い酒だ。牧の門出を祝ってやろうぜ。新しい飼い主の元で幸せに暮らせるようにな」 「魚住……」 「今度連れてこいよ。猫を『彼』呼ばわりする、その熱愛異常者スレスレの仙道って奴を。どんな地味男か面拝んでみたくなった」 「地味男?」 チャラチャラした奴やイケメン自慢をするような奴を赤木は昔から毛嫌いする。そんな奴が飼い猫を譲るほど認めたのだから、異様な猫好きで頭の固い地味な男と勝手にイメージして話を聞いていたのだが。そういえば赤木は仙道の容姿については何も言ってはいない。 「違うのか? 案外普通なのかよ」 赤木は分厚い唇を楽しげに歪ませると、「百聞は一見にしかず。今度連れてくる」とジョッキを軽く上げた。 * * * * * 灯りを少し落とした店内で、二人で牧の門出を祝ってから半年ほど過ぎた頃。魚住のもとに赤木から『仙道に奢ってやりたいんで、今夜連れて行っていいか。』とメールが来た。 牧を手放してからの赤木はどうやら淋しいようで、以前よりも店に顔を出す回数が増えた。長居はしないが、仙道からの牧賛美メール(牧の写真付き)が数回続くと、『いくらなんでも入れ込み過ぎてやせんか』などと零していくのだ。手放してから知らされる元飼い猫の良さを、喜び半分、悔しさ半分で感じてでもいるのだろう。 それでもなんだかんだ言いながら、仙道ともかなり親しくなったのだろう。先週のゴールデンウィーク期間にインフルエンザにかかった赤木が、仙道に二日間の店長代理を頼んだというのだから。 俺には『猫好きを装った変な客が来ないとも限らんから、女性スタッフだけでは心配なんだ。しかし七日間も男手を集めるのは大変でな。なにせGW期間だから家族旅行などで不在が多くて。そうじゃなかったら、元常連客になど頼んどりゃせんわ』などと息巻いてはいたが。実際は仙道に頼めて助かったというところか。 (『今日は真鯛のいいのが入った。真鯛のから揚げを用意しといてやる。』っと。これでよし) 噂の御仁の登場が少し楽しみで、魚住は鼻歌交じりに送信した。 平日の水曜だというのに、21時半を過ぎてもまだ三人も常連客がのんびりと談笑している。そろそろ赤木が来る頃だ。出来れば貸切にして、自分も話に加わりたいのにと魚住が気を揉んでいると、静かに店の引戸が開いた。 「らっしゃい」 反射で声をあげた魚住の動きが一瞬止まる。暖簾をくぐってあらわれたのは、190cmはありそうな長身とスマートで均整のとれた、まるでモデルのようなスーツの男に目を奪われたからだ。前髪から頭頂部の髪を逆立てた一風変わった髪型。それがまた整った甘めのマスクを引き立てており、一般人らしからぬ華やかさがある。年齢は20代後半くらいにみえる。 (おいおい、こりゃ最近TVで増えた、突然芸能人が尋ねてきて店内撮影許可を交渉しにくるやつじゃねえのか?) 席をすすめるでもなく黙ってしまったのは数秒だろうが、男は魚住へ困ったように小首を傾げると、踵を返して声を上げた。 「やっぱ赤木さんが先入って下さいよぅ。なんか俺、一見さんと思われたみたいす。や、まあ俺は今日が初めてですけど」 「一見だとか気にするほど敷居の高い店じゃないぞ?」 今度は赤木が先にのっそりと姿を表した。 「なんだお前かよ」 「なんだとは失礼だが、まあいい。連れてきたぞ。あ、こいつが二代目店主の魚住な」 「初めまして、牧さんと暮らしている仙道と申します。魚住さんのことは赤木さんから何度かお話を伺ってます」 男は微笑みながら自己紹介をした。たったそれだけのことなのに、魚住はもとより常連客達までも、その華やかな雰囲気にのまれた。あまり飾り気のないシンプルな店内で、仙道は突然飾られた華やかな装飾品のようであった。 赤木が「ここ座るぞ。お前さんも座れ」とカウンター席に腰掛けたのをきっかけに、漸くその場にいた四人は夢から冷めたようにギクシャクと動き出した。 暖かいおしぼりを出す魚住へ赤木は意地の悪い顔で笑う。 「接客業のくせに、そんなに感情を顔や態度に表していいのかよ」 「うるせーよ。テメー、先に仙道さんに入らせたの、わざとだろ。あ、仙道さんすみませんね。一見さんだとか、うちはそいうの全く気にしない気楽な店なんで、くつろいで下さいね」 赤木には苦い顔、仙道には接客用の笑みを向ける魚住へ、仙道は会釈を寄こす。 「魚住さんと赤木さんは同期だそうですね。俺は年下なんで、敬語なしでお願いします」 その方が楽なのでと告げられ、魚住はどうしたものかと赤木へ伺いの目線を送る。 「俺も最初はお客さんだから敬語を使っていたんだけどな。しつこく何度も敬語を嫌がられて。飼い猫を譲ったのもあるが、やめにしたんだ。お前もそうしとけ、こいつはこう見えてけっこうしつこいぞ」 「いつまでも折れない赤木さんが頑固なんです〜。俺をしつこいなんて言う人は赤木さんくらいですよ。けどまぁ、そんなわけなんで」 ニコリとダメ押しの笑みをくらい、魚住は苦笑交じりに頷くしかなかった。 魚住が注文を全て作り終えた頃には、店内に客は赤木と仙道だけになっていた。 暖簾を下げて戻ってきた魚住に、赤木が仙道の横へ座れとすすめてくる。仙道の相手を一人でするのに疲れたと顔に書いてあるため、魚住はすすめられた席に腰掛けた。 「GW中に仙道に二日間店長代理を頼んだのはお前も知ってるだろ。他スタッフから聞くに、なかなかの働きをしてくれたみたいでな。礼に、美味いもん食わせてやろうと思ってさ」 「料理、どれも美味くて驚きました。こんな良い店教えてもらって赤木さんに感謝すよ。特にコレが美味すぎて、ほとんど俺が食っちまいました」 仙道が指さした皿は真鯛の唐揚げを盛ったものだ。最後に運んだ水菓子の自家製黒胡麻プリン以外はも既にどの皿も片付いていた。二人共良い食べっぷりだったのが見ていなくても伝わってきて、魚住の頬は自然と緩んだ。 「それは良かった。プリンも冷たいうちに食ってくれ。店長代理仕事では餌やりがけっこう面倒じゃなかったか? 猫によって餌の種類が違ったりするのに、それを横取りしにくる猫がいたりすると、赤木から聞いたことがあるが」 魚住が話をふると、仙道は突如目を輝かせて話に食いついてきた。 「俺ん時はフードは二種類だけでしたよ。で、ごはんの皿持って入ったらすっげー群がってきて。なくなっても、ごはん強請ってくるんすよ何匹も。ぐいぐい群がって一歩も動けなくなっちゃったんですよ〜。」 「そりゃ大変だったな」 「そん時ね、離れたところから俺を見てる彼と目が合ったんです」 「彼? 客か?」 「やだなぁ、牧さんですよぅ」 一瞬、マキさんって誰だ? と思った魚住だが、店長代理の日に牧猫も連れて行ったのかと数秒遅れで把握する。 (赤木の言っていた通りだ。本当にナチュラルに自分の飼い猫を人間のように表現するんだな) ちらりと赤木の方を見ると、慣れて気にもならないのかプリンを黙々と食べている。 「俺、やっとの思いで他の猫たちから離れて牧さんのとこに行ったんです。なのに牧さん、俺の手を避けて奥に引っ込んじゃったんす! きっと俺が浮気したと誤解して、拗ねちゃったんですよ……。あん時は店長代理引き受けたのを心底後悔しましたね。でも、牧さんにヤキモチ妬いてもらえるってのは、二人暮らしだとないですから。そう考えれば貴重かな〜とかぁ」 爽やか美形がデレンと相好を崩したため、魚住は驚いてしまい、つい口を挟んでしまう。 「猫が人間の手を避けるのなんて普通だろ。静かなとこで寝たかっただけだろが」 「あ。バカ」 赤木の小さな魚住へのツッコミの言葉は仙道が手にしていたコップをカウンターに打ち付けるように置いた音でかき消された。仙道が先程より明らかに高揚した様子で身を乗り出す。 「違うんですよ魚住さん。牧さんは普通の猫とは明らかに違うんです。もちろん美貌は言うまでもなく世界最高レベルですがね? 彼の凄いところそれだけじゃないんです……。彼と暮らしてわかったんですが、彼は人間と知能は同レベル。身体能力や感覚が人間より優れている上でなんですよ? ということは……」 ずいっと仙道は魚住へ顔を寄せ、秘密を打ち明けるように神妙に告げる。 「もう彼は猫という種を超えた、新種の生命体。人を超えた新たな存在……神の使いなんです」 至近距離のため、仙道の睫毛の長さや瞳の輝きに押し負かされ納得……できるわけがない。 「おい、赤木よ。ここに来る前に別の店でしこたま呑んで来たのかよ。あいつの語りは異常者だぞ?」 「どこも寄っとりゃせんわ。ここでだってお前が知る通り、大して飲んどらん。こいつは牧のことになると、いつもこうだ。仕事は出来るようだが、家に帰るとこいつの知能は猫と同レベルまで落ちるんだろうよ」 赤木は片手の人差し指でクルクルと円を描いてから、手の平を上にパーッと広げてみせた。 「……残念なイケメンってやつか」 「まさにそれだ。神は二物を与えないってことだな」 「なあ、それなら俺らは神から何のギフトをもらってんだ?」 「…………身長?」 「何言ってんだ、身長あり過ぎて逆に周囲に怖がられてるぞ。……ん? 仙道は高身長でもモテるだろうから、やっぱ高身長はギフトになんのか? てことは仙道はやっぱり二物与えられてんじゃねぇかよ」 「長所と短所は表裏一体。まあいいじゃねぇか、お前も飲め飲め」 赤木にビールを注がれて、魚住は不満げな顔のままで半分ほど一気に流し込んだ。 本人を挟んでの会話だというのに、全くかまわずに下を向いて何やらやっていることに気付いた魚住が仙道へ声をかける。 「さっきから何やってんだ?」 「いえね、魚住さんが牧さんの素晴らしさを全くご理解ないようなんで。せめて美貌だけでもお見せしようかと」 仙道はカウンターの上に、ケースから取り出した一眼レフカメラをゴトリと置いた。店内の照明を受けて黒光りするカメラの重厚感や高級感は凄まじく、そう易々と触る気を起こさせない。 「ビビるだろ。こいつ、飼い猫撮るためだけにコレ買ったんだぜ? しかも有料の一眼レフ講習三時間コースにまで通ったんだと」 「牧さんの美しさを撮るには、携帯なんかじゃ全然ダメ。その点、一眼レフは綺麗に撮れるし、何より動く牧さんの撮影にピッタリなんですよ〜。とはいえカメラを使いこなせなかったら意味ないすからね。絞りやISO感度とかイマイチわかってなかったんで、講習行って正解でした」 「一眼レフ…………三時間有料講習……」 呆気にとられて口が閉まらない魚住をよそに、仙道の長い指が滑らかにカメラを操作する。 「見て下さいよ、牧さんの美しさを!」 光を放ちそうな満面の笑みで、仙道はカメラ本体の液晶モニターを魚住へ向けてくる。牧猫の写真や短い動画のひとつひとつに、仙道の手放しの賛辞解説がもれなく付けられて大変鬱陶しい。もともと猫に興味はなく、猫の美醜など気にしたこともない魚住には、力説されればされるほど、新興宗教に勧誘されてるようなしょっぱい気持ちが沸き上がってくるだけだった。 魚住の喉から『もううんざりだ』と出そうになったその時、トイレから戻ってきた赤木がひょいと液晶モニターを覗いて言った。 「お? この柄……こいつは諸星じゃないか? 竹原さん、連れてきてたのか」 牧賛辞をこれでもかと饒舌に語っていた仙道の唇が止まる。 「竹原さんが入院していた時に諸星をうちで一ヶ月ほど預かっていたことがあるんだ。やけに諸星が牧に懐いてな。そのせいか、今でもたまに会うと、雄同士だがケンカもせず仲がいいんだ」 「へぇ。猫にも波長が合うとか馬が合うとかあるのかねぇ。……仙道、どうした?」 仙道は一眼レフの電源を切ると、ケースにカメラを仕舞いはじめた。先ほどとは打って変わった、ボソボソと聞き取りにくい低いテンションで話しながら。 「…………二日目にそいつが来たんですけど。そいつと牧さん、すっげー長い間くっついてて……。牧さんはよく他猫を舐めてやるけど、逆に自分が舐められたら離れていってたのにさ、そいつとは長いこと毛づくろいしあってんの。しかもそいつ、牧さんの上に乗っかるようにしてくっついて寝たんすよ。なのに牧さん避けもしないで、そのまま寝ちゃったり……」 「雄猫は特に、舐めてやるのは強い側ってのがあるんだよ。上下関係を示す行為でもあるから。でもたまに、わかってない弱い猫や年下の猫が年上の猫を舐めることがあってな。短気な奴は怒るが、我慢して舐められてやる忍耐強いのもいるな。牧は怒りはしないが避けることで教えてやってんだろ」 「ふーん。てことは、牧は諸星を対等くらいに思ってんのかもな」 猫をよく知らない魚住へ説明してくれた赤木に言ったのに。何故か仙道が深く項垂れ、重たく長い溜め息を吐いた。 すっかり大人しくなってしまった仙道にかまわず、赤木はカメラを指差しながらビールを一口飲んだ。 「こいつ、写真凄い上手いだろ? カメラの性能だけじゃなく、構図や瞬間を捉えるセンスがあると思わんかったか? 猫のいい表情やポーズをよく切り取れていただろ」 問われて、魚住は曖昧に頷いた。仙道ほどではないが、赤木も猫好きだからそういうのがわかるかもしれないが、自分にはさっぱりわからない。 「丁度猫店員の紹介写真を変えようと思ってたんで、撮ってくれって仙道に今日頼んだんだよ」 「それで今、一眼レフ持ってたってわけか」 頷いた赤木は自分のスマホを開き、魚住へ見せてきた。 「撮ってもらった猫店員の写真は俺のスマホに店で転送してもらったんだが。見てくれよ」 映し出された様々な猫の写真は、先程仙道が見せてきた牧猫写真と大きな差があった。どこがどうと明言は難しいが、石と宝石くらいに違うのがわかって魚住は驚きに顔を上げた。赤木が苦笑いを零す。 「わかるだろ、違いが。撮影時に俺もその場にいたんだが、仙道は真面目に撮ってくれてた。猫達もいつも通りだったのに、だよ。俺もまさかここまで差が出るとは思わなかったわ」 「牧専属カメラマンなんだな……」 「不思議なもんだ」 「ちっとも不思議じゃねーす。俺はただ見たままを写真に収めてんです。牧さんが神の使いだから、俺ごときの手腕でも特別美しく収まってくれるんですぅー。ああ〜牧さんに会いてぇ〜。牧さぁーん……牧さん今頃一人で部屋で何してるのかな……牧さああん……」 テーブルに両肘をつき、大きな掌に顔をすっぽりと埋めて呻く仙道へ、赤木が引き気味な視線をおくる。 「……お前、酔っ払ってんだろ。先に帰るか?」 「帰ります」 一瞬の躊躇もなく立ち上がろうとする仙道の両肩を魚住が掴んで座らせた。 「ちょっと待て。土産持たせてやる。いいアラがあるんだ」 「アラ汁なんて作れねーからいらないす」 「バカ。お前への土産じゃない。牧にだ。少し贅沢させてやれ」 「少しと言わず沢山下さい」 仙道が魚住へ凛とした表情を向ける。 「お前なぁ……」 先程までのぐだぐだな男とはまるで別人のシャッキリとした立ち姿に、魚住と赤木は笑うしかった。 魚住がタッパーに詰めていると、カランカランと何か缶らしきものが落ちる音がした。 「なんだ?」 「あ、俺です。俺のスプレーがポケットから落ちたんです。あぁ、すんません」 「『消臭スプレー』? スポーツクラブにでも通っとるのか?」 拾い上げた赤木は缶を渡しながら問うた。しかし仙道の目がキラリと光った気がして、しまったと思った時にはもう仙道は語り始めてしまった。 「違いますよ〜。これを持ち歩きはじめたのは二週間前からなんです。それには理由がありましてね。先月末だったかな? いつものように帰宅した俺を牧さんが出迎えてくれたんです。でも急にカハッて小さく口を開けたかと思うと背を向けられちゃって。何度声かけても、俺がスーツ脱いで風呂入っても、その日は長いことその場で固まったままで。全然そばに来てくれなかったんです。それから三日後にもまた同じようにされてしまって、すっげー悲しくて……。でも、それでわかったんです。牧さんが嫌そうな顔で固まるのは、会社の女性社員や来客のキツめの香水がスーツに残ってたからだって」 相槌が全く入らないことなど気にもならないのか、仙道は絶好調で話し続ける。 「でも確証は持てないから、翌日試してみたんですよ。香水売り場に寄って、少しつけてから帰ってみたんです。そしたらまたあの顔されて。それで移り香がしみてるかもと思った日は、家の最寄り駅のトイレで消臭スプレーするようになったんです〜」 ニッコニコな笑みを向けられ、赤木が渋々と口を開く。 「……まあ、猫は嗅覚が鋭いからな。その香水はハーブ系か柑橘系だろう。猫はその手の匂いは嫌うから。……? なんだよ離せ」 仙道に手をとられ、赤木は嫌そうに手を振りほどく。しかし仙道はかまわず瞳を輝かせている。 「流石赤木さん、詳しいすね! 一日目に相談すりゃ良かった。他に牧さんが嫌いそうな匂いとかあります?」 「牧がと断定して聞かれても知らんが、一般的な猫は酢やコーヒーの匂いが嫌いだな。あと香辛料やタバコなんかも」 「そっか……コーヒーは換気扇の下で飲んだ方がいいすね」 「別にそこまでせんでも」 魚住は話を聞きながら、換気扇の下でコーヒーとかもう猫の奴隷じゃねぇかと思いはしたが、あえて口には出さず。タッパーを仙道へ手渡しながら、赤木に零す。 「散歩の手間はあっても、やっぱり俺は犬がいいわ」 「犬だって今言ったものは全部当てはまるぞ。他にもアルコールや化学物質系、」 「魚住さん、あざす! 牧さん食べてる写真撮れたら送りますね! 赤木さんご馳走様でした。またいつでも代理店長の声かけて下さい。それじゃ!」 二人の会話を遮り、爽やかな満面の笑みで挨拶を述べるなり、声を掛ける間もなく仙道は風のように去っていった。 残された魚住と赤木は急に表現し難い疲れに襲われて、がっくりと肩を落とした。 「…………俺はやっぱり犬を飼うわ」 「…………それがいいかもな」 急に静かになった店内で、互いに吐いた深く長い溜め息がやけに耳についた。 *end*
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