Sugared lies.  オマケ


 ひまわりが咲き誇る夏の日に俺たちは思いを交わしあい、目出度く付き合うことになった。その日の帰り道に牧さんは自宅へ俺を案内(家にはあがらなかったが)してくれた。そのせいだろうか、あれから彼は何度も俺の住処へ来たがった。
 俺としては牧さんならいつ来てくれてもいいのだが、夏休みが終わってしまえばお互いに平日週末関係なく部活で忙しくなってしまった。同じ神奈川県在住であっても、車もなければ免許も取れない学生の俺たちは、別学年・別学校なだけでちょっとした遠距離恋愛になってしまうのだと、付き合うようになって思い知らされている。
 彼が入院中の時は毎日会えて幸せだっただけに、今度はどこも悪くない状態で入院してくれねーかななんて。そんなバカなことを考えてしまうほどに、家に呼ぶどころか直接顔を拝むことすら叶わない。教えあった携帯の番号と二人だけのLINEだけが俺たちをつないでくれている日々だ。
 そんな中で漸く互いの都合をつけられたのは、時折冷たい風が頬をこわばらせる初秋の頃だった。

 最寄りの駅まで迎えに出た仙道は、改札出口付近で少し照れくさそうに小さく片手を上げた私服の恋人の姿に目を奪われた。黒Tに杢グレーの柔らかそうなジャケット、いい具合にこなれているデニムとスニーカーというラフな服装が浅黒い肌に怖いくらいはまっている。まるで30代後半がターゲットの高級ブランド雑誌に出てくる海外モデルのオフ日のようで、非の打ち所がない。
 スタイルもだけど牧さんの西洋人のように堀の深い精悍な顔も好きなんだよ……などと見惚れてしまい反応が鈍っているところへ、牧がさらりと告げる。
「入院中も思ったが、お前は足が長いからジーンズがきまるな。あ、これはシュークリームだ。お前の家で一緒に食おうと思って」
「え。あ、あざす……」
「雨は午後からの予報だったが、もう一雨来そうだな」
 曇天を仰いでから牧が階段を降り始める。仙道は手渡された小さな手提げケーキ箱を持ち直して、慌てて横に並んだ。
「そう長くは降らんみたいだから、傘は持ってこなかったんだが」
「降ったら貸しますよ」
「んー……なるべく借りたくないんだよな。いつ返せるかわからんから」
 途中どこかで買うかなと呟いていた牧が、少し歩を緩めて仙道を覗き込んだ。
「どうした、なんか暗いぞ? ……まさか体調が」
「や! 全然!! すっげー元気!! ごめんごめん、ちょっと驚きが引かなくて」
「驚き?」
「考えてみりゃ、あんたもともと褒め上手なのにさ。服装褒めるとか、格好いいなー恋人らしいなーってびっくりしちまって」
 へへへと照れ隠しに笑ってみせると、牧は急に顔を背ける。
「バカ。俺は見たまんま言っただけだ」
「でも仲間やダチが洒落こいてんの気付いても、わざわざ言わなくね?」
 照れか気分を害したのかはわからないが、牧の横顔が渋いものに変わる。
 仙道はその肩へ手を回して耳元へ唇を寄せる。
「実は今日のあんたが恰好良すぎて見惚れてたら、先に褒められちまって。そりゃこっちのセリフだよってさ。牧さん、そのジャケもジーンズも全部似合ってますよ」
 ピクリと片眉を上げた牧は、疎ましそうに肩を軽くはらい距離をとった。
「そりゃどーも」
 全く相手にしていない返事をされて、思いを込めて伝えただけに仙道の眉間は曇る。
「なんすかもー、感じ悪ぃ〜」
「だってお前に言われてもなぁ」
「どういう意味? 誰に言われたいんすか」
「誰に言われたいとかはないが。それより早く案内してくれ、本降りになる」
 仙道の背中を軽く叩くと、牧は薄く笑って歩みを早めた。


 牧さんが案内を乞う行き先は、彼待望の我が城……ならぬ、俺が住むオンボロ学生アパートだ。待望の初デートなんだから、水族館や映画などデートらしいとこにしようと提案したのだが。『お前の家に寄ったあとなら、どこでも付き合う。だがまずはお前の家だ。これは譲れん』と電話の向こうで腕組みしていそうな様子に俺が折れる形になったのだった。

 道すがら、仙道は自分が住む学生専用アパートのことを軽く説明した。
 熱心に聞いている牧の手をとり、平静を装って外階段を上る。先程のように手をはらわれ距離を取られるかと思ったけれど。周囲に人がいないせいか、大人しく手を握られたまま、少し歩きにくそうにしながらもついてくる。そんな様子がたまらなく可愛くて仙道の高揚感はうなぎ登りだ。
 しかし程なく玄関前に到着してしまい、仙道はまだ冷たいままの牧の手を名残惜しくも手離して鍵を開ける。
「さぁ、入って。なんもねーけど外よりは温かいから」
「おじゃまします」
 狭い玄関へ牧を押し込んでから玄関扉を閉めると、いつものように古い建物独特の不穏な音がした。靴を脱ぐ牧の背中が扉の悲鳴めいた音にピクリと反応したのを見て、仙道は事前に油をさしておけばよかったと後悔した。

 三和土兼台所床のビニールカーペットに立った牧は部屋を眺めた。その真後ろから仙道も一緒になって眺めてみると、狭い1DKは外観の老朽化ぶりを裏切らない、時代を感じさせる雰囲気を改めて色濃く感じさせる。すっかり慣れてしまっているせいで普段は気にもしていなかった天井の低さまでも、自分より6cm低いとはいえ高身長で大柄な彼に対して申し訳無く感じてしまう。海外モデルを古臭さい小部屋に閉じ込めたような違和感に、家にあがる必要はなかったよなと今更本日二度目の後悔に襲われる。
「狭くて古臭くて驚いたでしょ。コーヒー飲んで体温まったら出かけましょーや」
 俺の部屋、面白いもんなんもねーしと付け加えながら、仙道は一つしかないコンロでやかんに火をかける。
「驚きはしない。聞いてた通り……いや、それより物が少ないのに狭いな」
 お世辞のない返答が牧らしくて、つい声にだして笑ってしまう。
「家具の数自体は少ないけど、家具のサイズが少し大きいせいで、狭さが際立ってるんです。あ、ベッド座って。ソファだと思って」
 言われるがままにベッドへ腰をおろした牧が笑みを含んだ視線を寄こしてくる。
「これ、俺もやってた。寝ぼけてると危ないんだよなここ、強度ないから」
 ベッドの長さ延長用に設置した収納ケース部分。その上の追加布団の場所を牧がポフポフと叩いてみせる。
「そーそー。間違って踏み抜きそうになったりしてね。牧さんは今はベッドでかいんだ?」
「うん。去年からな。やっぱいいぞ、布団もずり落ちないし」
「いいな〜。このベッドは備え付けのなんで、変えられねーんすよ」
「そうか、不便だな。でもその我慢もあと一年と少しか。あ、サンキュ」
 牧は仙道からコーヒーを両手で受け取った。

 寒いのだろう、牧さんは手を温めるように膝の上のマグカップを包んだまま、飲もうとしない。
「エアコンも古くて効きが悪いんす。寒いでしょ、ごめんね。もう少ししたら温まるから」
「ああ、違う。俺は猫舌なんだ」
 少し困ったように眉尻を下げられて、可愛さのあまりどうにかしてやりたくなってしまう。仙道はケーキ箱と自分のコーヒーをテーブルの上に置くなりベッドへ乗り上げた。四つん這いで牧の後ろへ進むと、両足を広げて牧を背中から挟み込む。
「おい、なにしてる」
「ん〜。うちには他に暖をとれるもんないからさ。俺に背中預けてよ」
 仙道は自分の背中を壁へつけて、牧を後ろから抱きこむように引っ張る。
「……楽じゃない」
「もっとしっかりベッドに乗り上げて。マグカップ持ったまんまでいーから。押しくら饅頭するつもりできてよ」
 腰にまわした両腕をグイグイと引っ張ると、かなり渋々といった体ではあるが、牧は仙道にすっぽりと包まれる位置にずれてきた。
「こうしてればすぐ暖かくなるから」
「だから寒いわけでは……」
 そう言いながらも逃げようとはしない。でも落ち着かなそうな、いかにもこういう接触は慣れてないというような純朴な様子がびっくりするほど可愛い。普段が泰然としているだけに、仙道の胸を容赦なくキュンキュンと締め付けては甘ったるくする。
「早くあったまーれ、あったまーれ」
 自分の動揺を押し隠そうと、仙道はふざけた呪文を唱えながら、牧をギュムギュムと後ろ抱きにして揺さぶる。
「やめろ、こぼれる」
 イヤそうな声音からは、彼も同じように羞恥と動揺を誤魔化そうとしているのがバレバレだった。
「少し飲んだら?」
「だから俺は猫舌なんだって」
 似合わない可愛らしいギャップにやられて、仙道はたまらず牧の頬へキスをしてしまった。

 牧が固まってしまったのをいいことに、何度も感情の高ぶりのままにチュッチュと吸い付いていたのだが。我に返ったようで牧に顔を逸らされてしまった。
 明らかに血色が良くなった頬を間近で眺めて悦に入っていると、沈黙に耐えかねたのか牧が吐息を零す。
「ったく………………なんなんだ、いきなり」
 不服そうな低い声。これも絶対に照れ隠しだ。あーもう、だぁーもう、なんっってわかりやすい可愛い反応するんだか。もう頭から爪先まで全部にキスしたくなっちまうじゃないか。
 そんな不遜な仙道の思考を見抜いたわけではないだろうが、牧がむず痒そうに再び身じろぎをした。逃げられないようにと、仙道は回している腕に少し力を込める。
「牧さん前にさ、俺に『餌付けされた』って言ってたのを、猫舌って言葉から思い出したんだけど。牧さんって猫よりは犬っぽいよね。猫舌なのは可愛いけど、やっぱ犬なイメージだな〜。それもとびきりの賢いやつ。ゴールデンレトリバーやジャーマン・シェパードとか?」
「犬に詳しいんだな。言っておくがあれは慣用句みたいなもんだ」
「わかってるけど。ちょっと面白かったんです」
 吐息が耳をくすぐったようで、牧が首を少し竦める。
「……お前は猫っぽいよ。大型のネコ科……ヒョウやジャガーのような、美しさと強さとしなやかさがある」
 服を褒めてくれた時も思ったが、牧さんは俺を褒めて持ち上げるのが本当に上手い。見舞いに通っていた時も、突然褒められては、よく気分を上げられていた。気負いなく褒めてくれるから余計にその気にさせるのを、彼は自覚しているのだろうか。
(いーや、多分無自覚だろうな〜。この人、自分の魅力には全く無頓着っぽいし)
 苦笑いに気付かれないよう、仙道は牧の肩口に顔を埋めてやり過ごした。 

 褒め上手なところも、自分の魅力に認識不足なところも全部好きだ。まだそう素直に伝えられない仙道は、話を続けることを選択する。
「牧さんは猫と犬、どっちが好き?」
「さあ……考えたこともない。同じくらいかな。お前は?」
「犬。でも犬よりあんたの方が好きですよ」
「動物と同列で語られても」
 そう返しながらもまんざらでもないのが微妙な声の調子から伝わってくる。
 可愛い。付き合う前はこんな格好良い人を可愛いと感じてしまう自分が不思議だったけれど、今では不思議でもなんでもない。格好良いと感じる何倍も可愛く感じて、胸がはち切れそうだ。
「よしよし。ふわふわサラサラで、牧さんは世界一可愛いよ〜。よーしよしよし、いい子だね〜」
 髪をかき混ぜるように撫でられて、牧さんは文句を言うでもなく首をすくめて、されるがままだ。恋人になるというのは、ふざけたふりで年上の彼にこんなこともして許されるのだから最高だ。
「さっきからバカにされてる気がする……。なあ、犬とでも思って、今度またドライシャンプーしてくれよ」
「全然いいけど、ドライシャンプーそんなに気に入った?」
「お前にもらってから入院中、腕を上げると体が痛い間は親にしてもらっていたんだ。でもお前ほど気持ち良くなくてさ……」
 ……またその指でしてほしい。
 最後に付け加えられたささやかな要望の言葉は、掠れてほとんど音になってはいなかった。それでも密着している仙道の耳はしっかりと拾う。
 ほんのり染まった牧の耳朶に仙道はそっと唇を落とすと、返事の代わりにこれ以上ないほど優しく、柔らかなブラウンの髪を何度も撫でてから抱きしめた。

 腕に巨大なアンカを抱いているような、しっとりとした暖かさに仙道はうっとりしていたのだが。アンカになってしまった本人は暑かったのだろう。
「もういい。十分過ぎるほど温まった」
 腹に回されている手を外すと、牧は仙道の隣に並ぶように壁へ背を預けて、長い吐息を零した。
 急に涼しさを感じた仙道は腰を横へずらし、片側の腕だけでもと牧へ密着する。
「ねぇ。もうあんた風呂入れるんだから、ドライじゃなく普通のシャンプーでもいいよね。泡モコモコたててあげる。流したら爽快感でやみつきになるかもよ?」
 ヘッドスパとか流行ってますよね、行ったことないけどと仙道は続けた。
 目の前に頭があるイメージで両手の指で洗髪をするように空をかき混ぜ、ついでに背中を流す仕草をしてみせると、牧がくすりと笑い零した。
「三助みたいだな」
「サンスケ? あ、まさかあんたサンスケって奴に頭洗わせたことがあんの? ……実は最初から疑問だったんだけど。なんであんた、男同士に嫌悪感や抵抗感がないんすか。すんなりコトが運びすぎて、まだたまに半分信じきれないんですけど……」
 隣で牧は僅かに目を見張っているのをわかっていながら、仙道はどんどん不穏な声音になっていくのを止められなかった。まだキス以上の性的な接触をしていない状況でこんなことを言うのは危険極まりないのに。万が一にもその気になられて、まだ引き返せるから友人に戻ろうと言われたところで、自分は今更絶対に出来ないくせにどうして口にしてしまったのか。

 本日三度目の後悔と強い不安に奥歯を噛む仙道に対し、牧は可笑しそうにも見える顔であっさりと答える。
「そういう点では偏見はない。俺は昔に一度、男と付き合ったこともあるしな」
 予想もしない巨大隕石に衝突された仙道はすぐさま、がっしりと牧の両肩を掴んだ。
「だっ、誰なんすかそいつは。そいつがサンスケって奴なんですかっ?!」
「痛い。違う、そいつは諸星で小二の頃の話だ」
「ショウニ………小学二年生……」
「お前こそどうなんだよ。随分とその……接触に手慣れてるようだが。恋人は何人くらいいたんだ?」
「モロボシ…………モロボシ…………」
 女子と付き合ったことはあるだろうとは予想はしていたけれど、思いもよらない驚愕の事実に茫然自失で奈落の底へ真っ逆さま。そんな仙道の耳には牧の苦々しげな問いなど全く届きはしない。
 牧は返事がくるのを早々にあきらめると、両肩を掴む仙道の腕を自力でよけた。少し顔を寄せて仙道の耳元に大きな声で話しかける。
「三ヶ月弱で終わったがな。言っておくが、あいつにはもう彼女がいるからな」
「モロボシ…………聞いたことがあるよーなないよーな。いや、あるような」
「あるだろが、教えただろ俺が。俺も人の名前を覚えるのは得意ではないが、お前もかよ」
 早合点や思い込みの激しいとこだけじゃなく、そんなとこまでも似てるのか俺たちはと牧は困り顔でため息を吐いた。
「……じゃあ、サンスケって誰なんすか」
 まだ不審さ丸出しの顔で覗きこんでくる仙道の額に牧は軽くデコピンをかました。
「バーカ。自分で検索しろ」
 全く痛くはなかったけれど、仙道は両手で額を抑えて口を尖らせる。
「翻弄しておいてはぐらかした〜」
「今度俺がお前の頭を洗ってやるよ」
 牧は笑いながら仙道の頭を両手で包むと、不満げな仙道の口元に己の唇で軽く触れた。唐突なキスに仙道が目を瞠る。
「なあ、そんな話はもういいから、シュークリーム食おうぜ。昨夜買ったから、きっと皮が一晩経って、よりしっとりしたと思うんだ」
 少しだけ得意げな瞳で覗き込まれた。
 自分にとっては恋人に幼い頃とはいえ彼氏がいたなど大問題な話なのに。当の本人はシュークリームの皮の具合の方が大事なんて。
 仙道の肩に入っていた力がスコンと抜ける。
「……俺の好み、覚えていてくれて嬉しいよ。ありがと牧さん」
 お返しに同じように唇を掠めとると、恋人は伏目がちに。でも満足そうに微笑んだ。


 コーヒーの香りと甘いシュークリームの香りが、古くて狭い部屋に満ちる。
「しっとりした薄皮で、クリームたっぷりで美味いす」
「そうか」
 嬉しそうに目を細めて、ぬるくなったコーヒーを飲む牧が独り言のように呟いた。
「……初めて来たのに、なんだか落ち着く」
 西日で明るくなった景色を窓ガラス越しに見つめる横顔はとても穏やかで、見ているだけで気持ちが優しく凪いでゆく。
「いつでも来てよ。次からは手ぶらでいいからさ」
 仙道は小さく頷いた牧と笑みを交わした。

 牧は二個目のシュークリームへ手を伸ばし、仙道は自分用に入れた二杯目の熱いコーヒーを喉へと滑らせる。
 芯から体は温まっているけれど、仙道はもう外へ出かけようと誘う気はおきなかった。














* end *









オマケまで書いたのに、まだ仙道に直接「好きです」と言わせられなかった〜(苦笑)
でもきっと、メールなどでは書いてるんだろうなーと。牧も気にしてなさそうだし、まあいいや。
オマケまで読んで下さりありがとうございましたv


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