欲しいものは


忙しい通勤中ですらも、嫌でも目を引く華々しいクリスマスの装飾。今年ももうそんな時期かと時の早さを例年通り感じる。しかし今年は去年までとは絶対的に違う。なにしろ人生で初めて、流されて付き合った相手でもなく打算で付き合っていた相手でもない、正真正銘心から愛しい恋人と初めてクリスマスを過ごすのだから。
しかも今年は23日の祝日が金曜日で、土日がクリスマス。つまりは三連休という、カレンダー的にももう数年はない特別な日程が俺たちにとっての初のクリスマスだなんて、出来過ぎにもほどがある。今夜はそのクリスマスまでに二人きりで会える最後の夜。クリスマス三連休を二人で過ごす計画を立てることを思うだけで浮かれるというものだ。

幸福が少々顔に出てしまっていたのか、ロッカー室の前で鉢合わせた赤木に仙道は「昔、“リア充爆発しろ”なんて言葉があったよな…」などと不穏な声音で呟かれてしまった。けれど仙道はへらりといつもの調子で笑いながら会釈をして赤木の横を通り過ぎた。
待ち合わせの駅中の本屋へと仙道は長いコンパスでぐんぐんと通行人を追い越して向かう。本当は飛んでいきたいくらい気は逸っていたけれど、愛しい恋人である牧に『走ってくるなよ。あの店の前は雨降りの日は特に滑るから、コケるぞ』と釘を刺されていたから。


*  *  *  *  *


二人はいつもの定食屋で晩飯を手早く済ませた。仙道は定食屋で再来週のクリスマス三連休について計画をたてようと話を持ち出したが、牧が周囲の耳目が気になるのか「こんなとこでかよ…」と声を落としたため、店では食べることに集中したのだ。

仙道は牧を部屋へ招き入れるとソファを指さし「座ってて」と言いながらいつものように珈琲を入れに台所へ引っ込んだ。牧ももう慣れたもので、スーツのジャケットを勝手にハンガーへかけるとソファに丸めて置かれているモスグリーンの大きなブランケットを羽織って腰かける。
「おい、エアコンのリモコンどこだ? テーブルの上にもないぞ?」
「その辺に落ちてるんじゃないかなー。それか、ベッドの上?」
台所からの返事に牧は立ち上がると、ソファ周りを見てからベッドへ移動した。乱雑に脱ぎ散らかされているパジャマ代わりのスウエットの上下やベッドの上の乱れた布団をずらして探す。
「……あ。あった。おーい、あった、っうわ!!」
リモコンを手に振り返った牧を抱きかかえて仙道はベッドへダイブした。大柄な男二人分の重量に古い安ベッドが悲鳴を上げるのと同時に、牧が非難の声を上げる。
「なにすんだ急に! 驚かすな!」
「ごめんごめん。部屋寒いでしょ。だから暖まるまで布団の中で計画たてようと思ってさ」
仙道は布団をばさりと二人の上に落とすと牧の肩を抱いた。そのまま至近距離にある滑らかな褐色の額に軽く音を立てて数回キスをすれば、牧の肩の力はすぐ抜けてしまう。
「ほら、もう暖かくなりはじめてきた」
強く胸へ引き寄せて抱きしめると牧が離れようと身じろぐ。
「……よせ、ズボンが皺になる」
「それは脱がせて欲しいってこと?」
「バカ。違う。…あ、こら、脱がすな……」
牧のベルトを外そうとする仙道の指先を牧の手が形ばかりの抵抗をしてくる。
「ワイシャツは皺になっても、ジャケット着ればわかんないよ」
だから、下だけ……ね。
ベルトを外し前立てのファスナーを下ろした仙道がそっと耳元に囁く。それだけで牧の肌が粟立つ。
開かれた前立ての中に仙道の少し冷たい指先が忍び込み、そっと下着の上から触れられた牧はキュッと下唇を噛んだ。のち、小さな吐息とともに問うた。
「……計画を立てるんじゃなかったのか?」
「うん、まあ。けど、ズボン皺になっちゃ帰りの電車が恥ずかしいみたいだから?」
「俺のせいかよ」
「そうだね。ブランケット羽織ったあんたが可愛いのがいけないすね。ほらほら、いいから腰浮かして、膝曲げて」
強引に促されて従えば、ボトムと下着をいっぺんに剥ぎ取られる。慌ててブランケットで前を隠せば、布団をまくった仙道が軽く短い口笛を慣らした。
モスグリーンのブランケットからのぞく鍛えられた長い脚のライン。それに繋がる黒いソックスが引き締まった足首を強調している。居間から届く弱い白色光が筋肉の滑らかな隆起を柔らかくライトアップし、褐色の肌に落ちる影の暗さをより際立たせてやけに艶めかしい。
「絶景……。ブランケットとワイシャツと黒靴下だけって、裸よりいやらしいすねぇ……」
舐めるように見つめる漆黒の瞳から逃げるように牧は身を捩った。そんな己の仕草がまた仙道の劣情をさらに引き出すとも知らずに、渋い顔で苦々しく言い返す。
「何言ってやがる。寒い。いいから早く布団かけろ……? どこへ行く?」
布団を牧にかけて起き上がろうとした仙道へ牧が尋ねた。
「あんたのズボン、ハンガーにかけようと思って」
牧は片眉を跳ね上げると腕を伸ばし、仙道の手にあった自分のスーツのボトムを奪い床へと放り投げた。
「お前もさっさと脱げ。皺になるぞ」
しれっと言い放たれた仙道は面食らい一瞬固まったが、すぐに笑いながらボトムと下着を床へ脱ぎ捨てると布団へ潜りなおした。


*  *  *  *  *


少しけだるい甘さの中で身を起こせば、情事に至る前に入れたエアコンが室内をすっかり暖かくしてくれていた。
「部屋、暑くなってしまったな…」
起き上がって下着を身に着けている恋人の照れを隠した苦い呟きが耳に心地よい。
「冷めた珈琲がちょうど良くて、いいね」
テーブルの上に置いたままだったマグカップを手渡すと、牧は少々嫌そうな顔を見せたが、黙ったままコーヒーを呷った。

テレビのボリュームをオフにして海外の知らない街並みをソファで身を寄せあい、眺める。
先ほどまで身体の芯をも焦がしていた熱はおさまり、忘れていた肌寒さを感じた頃合いは同じだったようで。牧がブランケットを仙道と自分の膝へ広げた。
CMがクリスマスのチキンを映したのを目にし、仙道は意を決して牧へ尋ねた。
「クリスマスプレゼントは何が欲しいか教えてもらえると助かるんですけど……」
「俺も同じことを考えていた」
パッと仙道の顔が輝いたので、牧は何故喜ぶと尋ねる代わりに首を小さく傾げた。
「や、だってさ、もらう側からしたらサプライズ感がないでしょ。それに何を贈るか考えないことを手抜きと思われちまうかなぁって思ってたから」
「…俺はまだお前が喜びそうな物を考えつけるほどお前を深く知れていない……。欲しい物を教えてもらえても、どれを買うか迷いもする…から、そこまで厳しく考えないでほしい」
花が萎れるように項垂れてしまった牧の手を仙道は慌てて握った。
「違うって。俺も牧さんと同じだから、ありがたいって話すよ! ね? だから、牧さんの欲しいもの俺に教えて下さい。俺も考えるから」
ニッコリと仙道が至近距離で笑んでみせると、牧はまだ少し申し訳なさが残る顔で、それでも小さく微笑み返してくる。
「……牧さんってさ、俺のこと大好きだよね」
「天狗の鼻は高いな」
仙道の通った鼻筋を牧はギュッと力を込めて握ると、今度は白い歯を見せて笑った。

「え〜、スポーツ用ソックスって…。もっとクリスマスプレゼントっぽい物はないんすかあ」
仙道は不満げに口先を尖らせたが、牧も負けじと不満を口にする。
「そういうお前だって、緑茶と烏龍茶の500mlサイズのペットボトル三ヶ月分ってなんだよ。スーパーでダンボール箱にリボンかけろと俺に言わせる気か」
「だって便利なんだもん。それにポカリと缶コーヒーはもう自分でダン箱買っちまったし?」
「俺だって一番の消耗品だから頼んだんだ。…あ。靴下がダメならワイシャツの下に着る肌着がいいな。白の丸首とVネック、サイズはXLで頼む」
またもプレゼントに不向きな品をつげられ、仙道はうんざりとばかりに唇をへの字に曲げる。
しかし、続く牧の「……こんなもの、恋人にしか頼めないよな」などと本気で嬉しそうに照れる様子を見てしまえば、違うリクエストをもう強請れなくなってしまう。どうせ下着を頼まれるならパンツの方が色気があるだけいいと思いはしたけれど。肌着とは別なプレゼントも用意して二つ渡せばいいことだと思いなおし、「了解す」と仙道は頷いた。
これからもっと二人の時間が増えていけば彼ををもっと深く知れるだろう。知っていきたいとこれほど強く思っているのだから。

三杯目はココアでもいれようかと腰をあげかけた仙道は牧の小さな呟きに動きをとめた。
「…俺は今、基本、無趣味みたいなもんなんだ」
「サーフィンは? ボードの新しいのとか。好みがあるだろうから一緒に選んでもいっすよ?」
「サーフィンは趣味と言えるほど、就職してからはなかなか行けてなくてさ。バスケは仕事というか生活の一部になっちまってるから、欲しい物とか浮かばないんだ……。面白みのない奴ですまん」
僅かだが寂しさが垣間見えて、仙道は座りなおすと肩を寄せた。こんなに欲のない人を喜ばせられる物や事柄をすぐ様思い浮かべられないのが悔しくなる。

牧は仙道の頭を自分の肩へ乗せるよう優しい手で促した。
「お前は? 趣味で欲しいものとかはないのか? 少々高くたってボーナス出てるから大丈夫だぞ」
「俺も基本、無趣味みたいなもんすよ。学生時代は海釣りも少ししたけど、今じゃ全然だし」
「考えてみれば今よりも学生時代の方が休みはなかったのにな。春夏秋冬、GWも盆も正月も部活と自主練ばっかで。……けど、今よりバイタリティがあったんだな」
「うん。無理やり隙間時間つくっては、釣りしながら寝落ちたり、用具室で昼寝したり補習の時間に夕寝したり朝寝坊してみたり……」
若かったなぁとしみじみと呟いた仙道に牧は「寝てばっかじゃねぇか」と笑った。
「遠回りしたけどさ、今こういう関係になれて良かったのかもしんないね。休日をこうしてあんたとゆっくり過ごせる」
「そうだな……」
仙道は仰向けるように顔を上げると牧の唇を誘うように瞼を閉じた。すっきりとした仙道の顎の輪郭を辿るように牧の指がすくう。薄く唇を開いた仙道に覆いかぶさろうとしたところで牧が止まった。
「……同じ手に二回流されるところだった。おい、だからお前の欲しいものでもっとまともな物はないのかよ。冷蔵庫はどうだ?」
顎から手を離して距離をとられてしまい、仙道は渋々座りなおすと不満丸出しの声音で尋ねた。
「だーかーらー俺も無趣味みたいなもんでぇ〜。もー…。つか、冷蔵庫なんて今ある奴で足りてますけど。別に調子悪くないし。なんでいきなり冷蔵庫?」
「俺が初ボーナスで買ったのが大型冷蔵庫だったから。お前は仕事柄、もっと食生活に気を配るべきだと常々思っていたんだ」
「牧さんらしいすね。気持ちは嬉しいけど……長くは使えないと思うから、いらないす」
「最近のは省電力で機能充実らしいし、長持ちすると思うが」
「や。そーいうんじゃなくて」
ではどういう意味だと問いたそうな視線をよこしてきた牧だったが、仙道の困ったような苦笑いを見て合点がいったようだ。牧は困惑を上手く隠し切れなかったようで視線を外してしまった。

(まだ早かったな……。ま、気長にいくさ)
仙道は胸の内で呟くと、微妙になってしまった空気を払うように明るく言った。
「俺の今の趣味は牧さんをストーカーすること。だから何もいらないよ」
「ウソつけ。釣り竿でも買ってやる」
助け船にすぐさま乗ってきた彼を可愛いと思う反面、片恋を一部の隙もなく隠し続けた期間が長過ぎて慎重になり過ぎてしまっている彼が時に歯痒くなる。
それでも仙道は思いを腹の底へ押しとどめ、おどけるように肩をすくめてみせる。
「竿ばっかりいっぱいあっても収納に困るからもういりませーん」
「じゃあ……今度、釣り竿二本とキャンプ道具持って綺麗な川にでも釣りに行こうか」
「え…」
慎重過ぎる恋人からの旅行の誘いに仙道は我が耳を疑った。固まってしまった仙道の手を今度は牧が握ってくる。
「春が来てあたたかくなったら。……赤木や魚住たちを誘ってさ」
「ちょっとお、なんでそこで余計な人達を足そうとするんすか。二人でいーじゃないすか。つか、正月休みに有休くっつけて、海外のコテージでも借りましょう!」
勢いあまって繋いだ手のまま万歳をしようとしたら牧に振りほどかれた。
「バカいえ。正月休みが明けたら新しい強化トレーニングも組み込んでいくぞ。1月にある○○との練習試合、絶対にっ今度こそ勝つからな!」
握り拳をつくりメラメラと燃えだしてしまった牧は勢いよくソファから立ち上がった。
「そうだ! おい、クリスマスプレゼントは来月の試合の勝利にしてくれ。もちろん俺もその勝利をお前に捧げるから。くっ……楽しみだ。あいつらにもお前にも絶対負けん!」
(あー……そうだった。この人の欲は全部、勝利欲。勝利に恐ろしいまで貪欲なんだった…)
彼を突き動かす勝利に対する貪欲さが好きだ。サーフィンや他のものに割く暇も時間もなくなるほどに、今の彼にはバスケが全てなのだ。
「バスケバカに磨きがかかってるよこの人」
「人のことがいえる面かよ。鏡見てこい。今すぐ試合したいって書いてあるぞ」
不敵に笑う口元に仙道の肌がゾクゾクと歓喜に粟立つ。
(恋に臆病なあんたも好きだけど、やっぱりこうして帝王らしいあんたに一番魅かれるよ)
ソファから立ち上がった仙道は牧の前に真っ直ぐ向き合って言い放つ。
「試合には当然勝つよ。そしてあんたにもね。勝つから楽しーんだ」
「上等だ」
心底楽しそうに。そして零れるほど嬉しそうに牧が破顔する。
その笑顔こそが最高のクリスマスプレゼントだと仙道は眩し気に目を細めた。
















*end*




この話では牧は29歳。まだまだ若い二人だけど、若い頃の方が年寄りぶりたがるものなので(笑)
仙道が『まだ早かった』と思ったのは同棲への打診でした。まだどころかまだまだそうですね☆

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