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滅多に来客がない分、客が帰ると一気に静けさとどことない寂しさが玄関に満ちる。それと同時に牧と仙道の間に日常―― また二人きりという慣れた安堵感が戻ってくる。 「……帰ったな」 「うん」 相手が自分と同じように、淋しいようなホッとしたような感覚を少々持て余している言わなくても伝わってくる。二人は小さく頷きあうと居間へ戻った。 テーブルの上に残る四つのコップを二人で台所へ運ぶ。牧は何か考えてるのか、シンクにコップを置いてから動きを止めて珍しくぼーっとしている。 「……疲れちゃった?」 「え? あ、ああ、いや……」 「座ってなよ」 仙道は牧の肩を抱くと食卓椅子に座らせてコップを洗いはじめた。背に牧のぼんやりとした視線を受けながら。 洗い終えて振り向くと、牧は仙道に座らされた時から微動だにしていないように見えた。
少々心配になって仙道が眉を少し下げると牧が口を開いた。 「……咄嗟の嘘にお前が上手くあわせてくれて助かった」 「あれくらい。あ、けど二階にすぐ行くのを止めたのはお手柄?」 「それな。お前の部屋の襖が開けっ放しで……。いや〜助かったよ」 苦笑する顔が普段通りで、仙道は安心して同じような表情で返す。 「あの状態を親父さんのせいにすんのはキツイもんがあるよね」 「全くだ……危なかった」 「いつもなら午前中掃除や片付けしてから買出しするけど、今日はタイムバーゲン狙いで行ったからねぇ」 「油断大敵ってやつだな。……考えてみれば、俺らの親だって俺達が不在の時に来る可能性もなくはないのか」 「あー…合鍵持ってますからね。親って子へのデリカシーに欠けてっから。そんじゃあせめてティッシュ屑くらいは終わったらすぐ捨てるようにしますか」 あまり重たい話の流れにならないように、仙道はあえてふざけた調子で話をまとめようとした。自分としては別に重たい話になってもかまわないが、今このどこか疲れた様子の彼には不向きに思えたからだ。 「あと、脱いだまんまのパンツとかな」 牧もそこを感じ取ったのかふざけに乗じてきた。仙道は「今日はたまたまっすよ〜。チェ」と軽く笑ってみせた。 居間へ戻り、別に見たいわけでもないがTVの電源を入れる。旅番組のリポーターの女性の声が僅かに部屋に明るさ添える。 画面に映るご当地グルメに仙道が「名物に美味い物なし」と意味もなく独り言を呟けば、隣に座る牧は律儀に頷いた。 「だよな。……そういやお前、清田に帰り際にはきちんと“さん”付けで呼ばれていたな」 女のリポーターが男のリポーターを何度も『和田さん和田さん』と呼んでいるせいで思い出したのだろう。 「そっすね。桜木といい信長君といい、なんか俺って呼び捨てしたくなる感じなんすかねぇ」 「そんなことはないと思うが。俺が二階に一人でいた間に清田と何かあったのか?」 「いえ、なにも。神にここへは何回くらい遊びに来てるのか聞かれただけで、信長君とはひとっことも。あ、神には家に来るのは二回目と言ってあります」 牧は二階に来た清田の様子を思い出して納得したようで、軽く首を縦に動かした。 「なら、どうやって信長の敬意をお前は得られたんだ? それらしき話もしてなかったろ。俺にはさっぱり見当もつかん」 「んー…思い当たるとすれば。あんたを二階から連れ去ったことかな」 「俺がいたら不味かったのか? え、何かヘタ打ったか俺?」 「あんたじゃない、信長君だよ。正確にはヘタ打つ前に俺が止めたっつーか、あんたには聞かせないようにした……ってトコ?」 「俺に聞かれたくない? ……俺の部屋は全く目に入ってないようだったし……何だ? 全くわからん」 教えろという顔を向けられたが、仙道は軽くとぼけた顔で返す。 「牧さんに『全くわからん』て言わせたのが俺の手柄かつ感謝されポイント?」 「……フン。わかった。聞かねぇよ。俺だけ部外者で面白くはないが、お前がやっと得られた敬意を失わせては可哀想だからな」 「俺は別に教えてもいーんだけど。聞きたい? 別に信長君に敬称つけてもらわなくても気にしないし」 「いや、いい。清田の名誉を尊重しとく」 「あはは。いい先輩すね。あんなに慕われるだけはある」 「ぬかせ」 憮然とした顔で返事をすると、牧は瞼を閉じて深くソファへ沈みこんだ。その様子に仙道の眉間が心配そうに曇る。 「やっぱ疲れてんじゃん。少し昼寝でもしたら?」 「別に疲れて……いや、疲れたのかな」 「添い寝してあげましょーか?」 「うん」 「え」 牧は先に立ち上がると自分の部屋へあがっていった。一歩遅れて仙道があとを追う。 添い寝は冗談だし、いつもの彼ならフッと笑って『ざけんな』と一蹴しているはず。それがまさかのあの返答。明らかにどこか少しおかしい。部屋に一緒に入ったら『本気にしたのか? 冗談だバーカ』と追い出されるだろうか。それなら心配ないけれど……。 部屋に入ると牧はまっすぐにベッドへ向かい、横たわった。隣に仙道が横たわれるスペースを空けて。
仙道は隣へ横たわると牧を腕に抱いた。 「布団に入んないでいいの?」 「眠いわけじゃないから」 「寒くない?」 「ん」 回されている仙道の腕を掴んだ牧は、さらに強く抱きしめろというように己の胸元へ巻き込んだ。 いよいよもっておかしい。珍しく積極的に甘えてくる様子はとても可愛くて嬉しいけれど、元気がないのが気にかかる。 無理に話をさせるのもどうかと仙道が逡巡していると牧から話し出してきた。 「……予想より、堪えたようだ」 「何が?」 「いつかはサーフィン仲間以外の誰かにも同居はバレると覚悟していた。それにあいつらなら、黙っていてくれと願い出れば快く聞き入れてもくれるだろう。言いふらすような奴等じゃない」 「うん」 「だけど俺は、咄嗟に嘘をついていた。昔の仲間に」 「別に、その嘘で彼等が何か不利益を被るとかないんだし。いんじゃねすか?」 「お前にも嘘をつかせた」 「え、俺? 俺は別に。二人とも特に親しくもないし?」 「そう、だが……」 背後からは牧の表情は窺えない。けれど気落ちしていることだけは雄弁に伝わってくる。 「そんなに落ち込むんならさ、また次も似たようなことがあったら。そん時には、両親が転勤することになって、その間こいつとシェアハウスしてんだ、とか言えばいいんじゃない? 俺もそん時ゃ上手くあわせるし。俺にはそういった気遣いや心配はいりませんよ」 「そうか……」 「それに俺も多分、同じように偶然あんたと二人の時に陵南の仲間と会ったとして。似たような嘘つくと思うよ。溜まり場にするわけにゃいかねぇもん」 「……あぁ」 賛同されているようで、されてる手ごたえは軽い。 もともとあまり根掘り葉掘り聞き出すのは趣味ではない。しかし腕の中にいる愛しい人が苦しんでいるのでは、そうも言ってられない。 「あのさぁ、マジ堪えてんのは、それとは違うことなんじゃないすかね」 腕の中の体がほんの僅かに硬くなった気がする。ビンゴだろう。 「無理して言わなくていいよ。あんたが何を苦しんでるかはわかんねぇけど、これだけは言わせといて。もし。仮にだけど、俺に悪かったとか違う何かを考えてんなら、そこだけは省いていいからね。俺は楽しかったから」 「楽しかった……?」 「うん。信長君は桜木のことを赤毛ザルって呼んでたけど、けっこう信長君も子猿っぽいよね。明るくてキーキー元気でさ。神は不可思議な部分が減ったっつーか……。上手く言えねぇけど、二人とも見てて面白かったよ」 そうそう、あんた信長君の前だとちょっと先輩らしさが増すしね、と仙道は思い出し笑いをくすくすと漏らした。 「……俺、お前が好きだ」 「ありがと。俺も牧さん大好きだよ」 唐突な告白に、彼が心底堪えているのが伝わってきて仙道は気付かれないように微苦笑を浮かべた。 見た目よりふわふわしている焦げ茶色の髪へぐりぐりと頬を押し付ける。本人には言えないけれど、何かに悩んだり疲れたりしている彼は、弱気な分だけ素直で可愛い。もちろんその悩みや疲労の対象が俺ではないときに限るが。 褐色の滑らかな耳へキスを落としていると振り向かれて唇へキスされた。 喜んで迎え入れれば深い口付けとなり、彼の舌が俺の舌に絡んでくれば昨夜を思い出して体の芯が疼きはじめる。 腰にまわしていた手を彼の引き締まった形の良い尻へと移動させると唇を離されてしまった。残念ながらその気になったのは悩みのない俺だけだったようだ。 牧は己の臀部へまわされていた腕を掴むと、胸へ抱えるように引き寄せた。
「……お前との関係をカムアウトできないのは当然としても、同居のことすら言えないとは。随分と臆病になったものだなと思ってさ」 至近距離すぎて表情はわからないが、彼が瞼を伏せたことはわかった。 「結局言わせちまったみてーで、ゴメン。けど聞けて良かったよ。当たり前のことで悩むんだね、牧さんも」 「当たり前?」 「うん。同居だって気軽に言えないのは当たり前だよ。俺の大学はこっからかなり遠いから、シェアハウスも不自然だしさ。俺達の関係を疑われないようにするためには同居を教えないのは当然の自衛だよ」 「そうなんだけどさ…」 「そーそー。話ズレるけどさぁ。確かに今は昔より同性愛者は世間に存在を"認識”されつつあるよ。けど“容認”されたわけじゃないよね?」 牧が返事のかわりに黙って頷いてくる。 「本当に容認されてりゃ海外の先進国のように、結婚も認められて異性婚と同等の権利を得てるはずで。パートナーシップ証明書みてぇな、法的効力もなけりゃ区域限定のものを、出す出さない使う使わないとピーピー論議する程度の状況だよ日本は。だもん、そう簡単にカムアウトする気には俺はなれないね。無理解な奴等に万が一にもあんたを傷つけられたらたまんねーし」 「……お前もあのニュースを気にかけていたんだな。TVで取り上げられていたときには何も言っていなかったが」 「そりゃ無関係じゃねぇし? あんなものでも小さな一歩だからねぇ」 「本当に、小さな一歩過ぎてこのまま終わってしまうんじゃねぇかって気にもなるが。……それでも、第一歩なんだ。行政を動かして世間へ認識……目を背けていた、容認されざる者達の存在に目を向けさせた努力は賞賛に値する」 「うん。わかってるよ。きっとホントはもっと意味のあるものにしようとしたんだろうね。けどまだまだ現状ではあれで精一杯だったんでしょ」 「だろうな。譲歩させられ過ぎて本来の希望とはかけ離れた着地点だっただろうよ」 じゃなきゃ、あまりにあまりだろ、と牧がくすりと笑ったことで仙道の胸に安心が広がる。 「さっきの話に戻るけど。慎重な牧さんが俺は好きだよ。俺もそうだから。それにさ、カムアウトされる側だって、好きにやれば?って思える奴等ばかりじゃない。自分と他人が同じ思考や価値観じゃないと許容できない、自他の区別がつかない奴は多いから。あと、どんなにいい奴でもそいつがホモフォビアの可能性もなくはないんだ。だって差別に繋がることだから、頭のいい奴ほど口にはしないもんでしょ?」 「そうだな…」 「多分だけど。あんたは信長君にとって今でも頼れる先輩で、崇拝の対象だよ。その憧れの人に突然、何の前触れもなくカムアウトされんのは信長君にとってはどうかっつー判断は…難しいトコだと思うな。牧さんもそういうのを肌で感じ取って、なおさら言えなかったんじゃない?」 「俺はそんな大した男じゃない。嘘をついている罪悪感しかなかった。言われる側……清田や神のことなど深くは考えていなかったよ。嫌われるか、落胆されるか程度にしか考えてはいなかった」 悪い結果しか予想できてなければ尚の事、同性愛関係を悟られる可能性の高い“同居”というリスクのある話をできるわけがない―― そう言ってしまえば身も蓋もないので、仙道は論点を微妙にずらす。 「牧さんが自分をどう思ってるかは信長君の崇拝には関係ないんだ。あ、神は嫌悪とかはないよ。驚きはしても、今のあいつなら落胆もおそらくしない気がする」 「何故そこまで神のことがわかる? そういやさっきも言ってたな。不可思議さが薄れているとかなんとか。俺は全く気付かなかったぞ…? お前は神と昔からあまり気が合わない印象があったが、そうでもなかったのか?」 「んーん、牧さんの印象通りだよ。気は合わないね。深い話しになったこともねーけど。……だから客観視できんのかも」 「ふーん…そんなもんかね」 返事をしたきり静かになった牧の背中をそっと撫で瞼を閉じれば、仙道の瞼の裏には神が映った。 ―― 今日、俺は今のあいつと昔のあいつをずっと比べてみていたような気がする。 昔と変わらず何を考えているか読ませない食えない奴(自分も人のことは全く言えないが)のままだったが、牧さんを追う視線は昔と全く違った。一挙手一投足を見逃すまいというような必死さは影を潜め、どこか懐かしい人を見るような慈しみがあった。言い方は悪いが、神にとって牧さんは過去の人になったような……手の届かない好きな芸能人を見ているような感じをうけた。 牧さんが神の家に泊まったのは数ヶ月前。その時既に今日の神になっていたとしたら。俺のあの焼餅は無用の恥だとも感じた。 ―― そして、もうひとつ気になったのが、二階で信長君が漏らしかけた言葉。 多分あれは、神にむけて嫌わないでくれとでも言おうとしたのだろう。あの必死さから思うに、神が気付いているかは知らないが、信長君は神を好きなのでは。そう考えれば、叱責を受けたくらいで動けなくなったり、あれほど憔悴したことにも納得がいく。 もしそうだとすれば……まあ、牧さんが俺達の関係を信長君に教えても問題はないだろう。 でも信長君がまだ神に対する自分の気持ちに無自覚かもしれないので。裏も取れてない危ない橋なんかに牧さんを渡らせねーよ。 「……寝たのか?」 牧の一言で仙道は自分もまた物思いに耽って黙していたことに気付いた。 「牧さんこそ寝たのかと思いましたよ」 「俺は腹が減った」 「飯、作りましょーか。そういや俺も減ったかも」 朝昼兼用で食っただけだしね、と言いつつベッドから起き上がる。 階段を下りる仙道の後ろをついていく牧がしみじみと呟いた。 「考えてみれば贅沢な悩みだ」 「ん?」 「つい数ヶ月前まではお前と付き合える可能性すら考えられなかったってのに」 「うーん、まぁねぇ。俺もさっき、色々言ったけどさ。証明書も取らないであんたとこうして暮らせてるのは贅沢な話だと思うよ」 「そうだな。まだ学生の身で、親公認の同居。……まぁ本来の関係としての許可ではないが、こうして暮らせいる。順序が色々違ったから成った、冗談のような奇跡だな」 「何かで読んだけど。奇跡ってのは奇跡を受け取れる準備や備えをしてる奴にしか受け取れないんだって」 「俺はお前を迎え入れる準備などせずにお前を拾ったぞ?」 「んーん。俺達が一緒に暮らして信頼が築かれて、一緒に住むための準備や覚悟をして親に臨んだ。だから親達が同居を認めて。一緒に暮らすことでこういう関係になったんだよ」 「……話が大きくなってきたな」 「うん。もっとでっかく見たら、俺達があのタイミングで出会ったこともじゃね? あのタイミングじゃなかったらあんたは俺を家に呼ばないし、俺も行くことはないもん」 「そこまで考えだしたら、俺達がバスケしてきたのも、お前が陵南に越してきたのも、」 「あんたが俺よりひとつ上に生まれたのも? キリないね言い出したら」 「……てことは、奇跡ではなくて。全ては己の選択の上での……必然?」 肩をすくめた仙道は牧へ歩み寄ると、牧の耳へ囁くように告げた。 「そう。つまりは、俺達がこういう関係になるのは、奇跡なんかじゃなくて必然なんですよ」 至近距離から見返してくる漆黒の瞳をまともに受けとめて、牧の喉がコクリと小さく鳴る。 「……運命論的にくどかれた気分だ」 「くどいたんです」 「随分とまわりくどいな」 「たまにはいいもんでしょ?」 「しょっちゅうされると困る。……が、まあ。今日は礼を言っておこうか」 牧は照れ隠しなのか口角の片側のみ上向けると仙道の後頭部をポンと軽く叩いた。 台所に入るために少し身をかがめながら仙道は映画のナレーションのように言った。 「日々大小様々の選択をしながら人は進むのです。そして俺達も…そろそろ少し進んでみたいなー…なんて」 ちらりと悪戯っぽく視線を寄越してくる仙道に牧は皮肉っぽい笑みを浮かべる。 「格好つけといて終着点はそこかよ」 「や、最初はそういうつもりじゃなかったけど……ダメ? チェ、うまく繋げたと思ったのに〜」 牧は返事の替わりに肩を一度すくめただけだった。 そのまま歩を早め仙道を追い抜くと、冷蔵庫の中身を確認しながら呟いた。 「……今夜は湯船を張ろうか」 「いっすねぇ」 「風呂洗ってくれるなら、お前の背中を流してやる」 少し早口で言い放たれた言葉に仙道の動きが止まる。 「え。それって……一緒に入ってくれるってことだよね」 「日々は着実に進んでるそうだからな。おいていかれても癪だ」 今まで何度も誘っては『風呂は何も気兼ねせずにのんびり入りたいから嫌だ』と、けんもほろろに断られてきただけに仙道は牧の背に向かって右拳で小さくガッツポーズをした。 「…隅々まで綺麗に洗いますよ。任せて下さい!」 「どうだか。お前は四角いところは丸く掃いてすませるからな」 「ひどい! 牧さんってばホント、掃除に関しては点数厳しいんだから」
ぶちぶちと文句を言う仙道のスネた声と牧の明るい笑い声が狭い台所で僅かに響いた。
*end * |
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オマケなのでちょっと時事ネタを扱ってみました。このシリーズの二人ならどんな風に捉えるのかなーなんて。 |