Surely goes well. vol.20



暫く抱きしめあっている間に、仙道の喉を詰まらせていた涙は流れ去った。
少しまだ苦しそうな感じが残る声で仙道は伝えた。
「…牧さんがあんなこと言ってくれるなんて、すげー照れくさいけど、すげー嬉しかった」
何がとまでは言わなかったが、牧も自分でも思っていたのだろう。すぐさま顔を逸らされた。
「ただの本音だ。そんな風に言うな、恥ずかしくて死にそうだ。……でもお前がそんな顔をするなら……いや、ううう……」
牧は首の付け根まで赤くした。それを隠すように俯いて仙道の肩に顔を埋める。そんな些細な動きにさえ仙道の胸は甘く満たされてしまう。このまま自分の腕の檻から出したくなくなる。
「いーよ無理しないで。けどそのかわり、もう一回だけ好きって聞かせてほしいっす」
「好きだよ。好きだ。一回なんかじゃ俺が足りない。毎日だって……言えるものなら」
照れを含んだ低い囁きが優し過ぎて、彼の声までも自分だけのものにできたら、とさえ思う。
牧が頭部を摺り寄せてきたため、柔らかな焦茶色の髪が仙道の長い首もとを優しくくすぐる。髪の先まで愛しいとはこのことかと仙道の顔はやに下がる。
「毎日聞かせてよ。俺も言うから」
「お前と違って、俺は柄じゃない」
「そんなん関係ねーよ。あー…、あんたがこんなに可愛い人なのを俺以外に知られたくねぇ」
「か? 可愛いわけがあるかよ……恐ろしいの間違いだろ」
「どこが恐ろしいの? 可愛いよ。俺に告白されて泣いちゃうくらい可愛いなんて、たまんねーよ」
「お、お前だって泣いてただろうが」
ぐっと深い皺を寄せた牧の眉間に仙道は唇で軽く触れた。

とても頭が良くて逞しくて優しくて頼りになる上に、実はこんなに可愛くて美しくて繊細な人でもあることを今まで隠されていたなんて。でも本気で好きになってもらえたから見せてくれたのだと思えば、無様な告白を必死で頑張ったことにも軽くおつりがくるってもんだ。
反面、こうして知ってしまえば、甘辛バランスがあまりに出来過ぎだろと複雑な気分になる。これほどの人と最初から知っていたら、俺は恋情を持てただろうか。恋する前から俺には過ぎた人だと幼稚なプライドで避けたかもしれない。そう考えると、彼をあまり知らない状態で出会い、一緒に暮らして徐々に魅かれていけて。全てが素晴らしいタイミングで重なり続けた結果の特別な恋に思えた。
未だ憮然としている額へ、今度は小さなフレンチキスを。
しかし物足りなかったようで、すぐさま唇を追われて深く口づけ返された。


顔や耳に二人は交互に唇で触れあい、合間に愛を囁きあった。このまま、もっともっと幸せの余韻に浸っていたかったけれど。無情にも部活へ向かわなければならない時間となった。
「…呆れただろ。似合わないったらないのにな。ああくそ、恥ずかしい……」
唇も腫れそうだと照れ隠しに悪態をつく牧へ仙道が微笑む。
「そんなことないって言ったでしょ。それに今まで我慢してくれた分、聞かせてくれってねだったのは俺なんだから。俺も我慢した分を返せて嬉しかった」
「……そうか」
「あのさ。俺に告られた時と高校ん時のインハイ準優勝の時、どっちの方がより嬉しかったりする?」
いたずらっぽく笑う仙道に、牧は何故ここで突然昔のインハイを持ち出すのかと瞬きを数回繰り返したのち、笑った。
「あれは優勝するつもりだったが、今回のは最初から負け試合のつもりだったんだぞ。俺にとっては奇跡の逆転優勝だ」
深く甘いため息を吐いた牧の横顔を仙道は楽しくて仕方ないというように顔をほころばせた。
「まだまだだから。…っと、もうタイムアップか。仕方ない。続きの優勝祝賀会はまた今夜、ね」
返事に困った牧は口元を歪めたまま立ち上がった。仙道もその後を追い、階段を駆け下りた。


*  *  *  *  *


浮かれた気持ちをどうにか引き締めて部活をやり終えた仙道は一切寄り道をせず、駅からは走って帰宅した。荒い呼吸を整えながら食卓テーブルの上にコンビニ弁当の入ったビニール袋を置く。
「あっちー…。二日連続で家まで猛ダッシュ……。はぁ、疲れた。これ、毎日続けりゃ、かなり体力つくな。やんねーけど」
流れる汗を拭いたタオルを洗濯機へ放り込んでいると玄関が開く音がした。
「お帰りなさい、牧さん」
「ただいま。早いな」
フーッと大きく息をついた牧の呼吸は心なしか早い。
「そんなかわんないよ、俺も今帰ってきたとこ。牧さん、なんか少し汗かいてない?」
「ちょっと走ったから。お前、まだ晩飯は作ってないよな?」
「うん。走ったってどこから?」
「駅。これ、飯な。時間が遅いせいか安売りしてたんで買ってきた。お前は弁当食い飽きてるかもしれんが…」
「全然平気すよ。あ、これ駅弁じゃん。美味そー! あざっす」
「ん。着替えてくる。あ、俺のは温めないでいいから」
横を通り過ぎていった牧を見送りながら、同じ距離を走ったのに呼吸の乱れ具合が違う様に仙道は不満げに口先を尖らせた。

食卓にコンビニ弁当と駅弁と麦茶が所狭しと置かれているのを見て、牧の片眉が上がった。
「お前も弁当買ってきてたのか」
「同じこと考えてたもんで」
「……いただきます」
「いただきまーす」
二日ぶりの一緒の晩飯。本来なら約束していたハンバーグを作ればいいのだけれど。今夜は一分でも早く晩飯をすませたかった。それは彼も同じのようで、「美味いすね」と声をかけても「ん」と弁当から視線を外すことなく返された。気恥ずかしくて目も合わせられない彼の様子に、自分まで顔をあげにくくなってしまう。せっかく一緒の晩飯なのに、テーブルの上に視線を固定して黙々と食べるしかなかった。
20%引きの値札が貼られた駅弁は楽勝だったが、流石にコンビニの特盛フライ弁当は半分残った。
「明日の朝飯これですませるか」
「そっすね。明日は朝飯買いにいかなくていいから……寝坊できるね」
「…………冷蔵庫に入れとく」
「うん。俺、風呂入ってきます」
「おう」
冷蔵庫へいれている横顔を通りすがりに盗み見る。照れ隠しの渋面が俺の頬を熱くさせる。本当は朝飯にしても量的には足りない。それでもいいから夜更かしをしたいとお互い思っているのがまた……。
(甘酸っぱい! すげーなにこの初めてのたまらない照れくささ! 俺達甘酸っぱ過ぎじゃね!?)
仙道は魚のように口をぱくぱくさせながら、足早に浴室へ向かった。

*  *  *

いつものアロマタイムの場に先に座ろうとしたら待ったをかけられた。
「今晩は俺が座椅子の番だろが」
「そうだったっけ? じゃあこっちどーぞ」
ソファを背もたれにする場所を空けながら、仙道は内心舌打ちをした。
うまいこと忘れてくれていたら、自分が彼を背後から抱きしめてコトを進めやすいのに。しかし今夜は時間制限はないに等しい。まだ慌てるこたーないと己に言い聞かせる。

仙道の背後に座した牧が長い腕で後ろ抱きしてくる。今までと同様のゆるい腕の力がもどかしい。それでも以前とは違い、彼の高い鼻梁が耳の後ろに触れてきてドキリとする。耳の後ろ、首の横、うなじ……。
ちょんちょんと小さな熱をともすように触れては移動されて、先ほどシャワーで流してきた甘酸っぱい感覚が蘇ってきて居たたまれない。
それを悟られないように、仙道はいつもと変わらぬ声音で問いかけた。
「今夜の匂いはどーすか?」
「すごくいい。……初めて深く嗅げた。今まではバレないことばかり気にしてたから」
「バレるって?」
「お前を好きなことにきまってるだろ」
驚きに仙道は思わず振り向いた。至近距離にある牧の顔が恥ずかしさを誤魔化すようにしかめられる。
「……俺がアロマタイムを持ちかけた時にはもう、好きになってくれてたんですか?」
「昼間も話しただろ」
「俺を拾ってくれた時?」
「いや、それは後付け。当時は全く自覚していない」
「じゃあ、いつ? いつから本気になってくれたの? あ。そんな嫌そうな顔しないでよ〜」
「リトマス試験紙じゃあるまいし、そういつからとハッキリなんて……。けどまあ、お前に手を出した時には重症だったよ」
隠れるように牧は仙道のうなじに頬を重ねた。直接触れ合う肌から伝わってくる高い熱に仙道の心臓は跳ねた。見えなくても牧の頬が赤く染まっていることがはっきりと感じられる。つられて仙道の体温も一気に上昇する。
「…手ぇ出された覚えなんてないすけど」
「正しくは鼻か? 洗面所でお前の匂いを嗅いだだろ」
「? あー……あったねそーいえば。あん時は俺、あんたがコミュニケーションをおねだりしてくれたんだと思ってすげー嬉しかったんだよね。やっと恋人らしいことを牧さんからしてくれたって、有頂天だったなぁ」

仙道は立てた膝の上に組んでいた己の両腕に顎を乗せた。背後の牧が自分から離れていってしまい、うなじが涼しく感じる。もっと密着するために牧がいったん離れたのだろうと思ったのに、動く気配がない。それどころか、この場にそぐわない硬い声で問われた。
「やっぱり何かが決定的に噛みあっていない気がする。昼間も違和感を感じてはいたんだ。でも聞くどころじゃなくて。なぁ、お前こそいつからだ? 詳しく話してみろ」
「えー? 俺も自覚はなかったけど、多分同じだよ。この家にきた時から? 他の奴だったら誘われてもついてかねーと思うもん。ほら、バッチリ噛みあってるじゃないすか」
仙道が振り向きざま至近距離でニコリと笑んでみせれば、牧は見惚れたように固まった。だが流されそうになった自分にすぐ気付いたようで、ことさら厳しい顔で指先を仙道の眼前に突き付けてきた。
「まぜっかえすな。この先、こんなこっ恥ずかしいことなど聞けんだろうから、聞かせろ」
「いつからなんてどーでもいーじゃないすか。そんなことより今夜は……ね」
仙道の両肩に乗せられていた牧の手が離れた。
「いいから聞かせろ。納得がいかん状態でそんなことやってられるか」
そんなことって〜、と抗議する仙道をよそに、牧はソファへ腰かけてしまった。
本格的に話しを聞く体勢となった牧は仙道へ"ソファへ座れ”と先輩の威厳オーラをまとい顎で指示した。


「あんまりハッキリといつからかは俺もわかんないんだけど〜…。うーん、そうだなぁ……」
考え考え、仙道は過去を遡るようにポツポツと、牧を好ましく感じた時のことを話し始めた。
仙道の話が進むにつれ、牧は落ち着かなくなっていった。そわそわとクッションを抱えては床に置いたり、「そんなことはない」だの「お前の欲目だな」だのと軽く否定の合いの手を入れながらテーブルの上を片付けてみたり。そのうち火照った顔をごしごしと両手でこすると中座してビールを持ってきた。
「だから言ったじゃん。こんなん俺もあんたも恥ずかしいだけだって。もうやめよ?」
「……今夜くらいしかお前も言えんだろうし、俺も聞けん…から」
「全部言わなきゃ俺の本気は信じてもらえないのかなぁ」
小さくため息を零すと、慌てたように牧は飲んでいた缶ビールをテーブルに置いた。
「違う。お前ほど全てが揃ってる非の打ちどころのないモテ男が俺を選んでいたなんて。そんな都合のいい話をそうそう信じられるわけがないだろ? おとぎ話じゃねぇんだから。納得できないままではこの先すぐ俺が不安になって自滅しそうだからで、そのためにも俺なんかのどこを……どうした?」
ビールを床に置いた仙道が両手で顔を覆ってしまったため、牧は訝しげに覗きこんだ。指の隙間から仙道の小さな声が漏れている。
「…………恥ずかしい。さっきからだけど、すっげーあんた恥ずかしい……甘酸っぱ過ぎ」
「は? 何で俺が恥ずかしいんだよ。説明してたのはお前だろ?」
「……あんた俺のこと、白馬の王子様みてーに言うんだもん」
しかも聞いてる間中恐ろしいほどソワソワして可愛いし……と続いた声は小さ過ぎて掌の中にこもり、牧へは届かなかった。
それでも牧は理解不能という顔で反論してくる。
「チョウチン袖や白タイツなど着たお前を想像したことなんてないぞ? 俺はそんな乙女チックな奴じゃない」
「そーじゃない……俺はあんたにとっては王子様のような存在なんだってことが恥ずかしいの。牧さんこそ俺を美化しすぎだよ」
「!? ち……違う、俺はそんなつもりでは……」
「じゃあどんなつもりさ」
「俺は公平かつ客観的に評価している。お前はバスケのセンスも実力も備えた美形で、スタイルも頭も性格もいい。その上、料理も出来るし男のくせにいい香りが……って何回同じこと言わせんだ! わざとかテメェ!」
「やっぱ恥ずかしい……だって俺もあんたのこと同じように思ってるもん」
「は? お前こそ欲目で頭おかしくなってんじゃねーか!」
「……俺らってすげー恥ずかしいね」
節ばった長い指の隙間から仙道の黒目が牧を盗み見る。
その視線から逃げるように牧もまた両手で顔を隠す。
「…………そうかもしれん……」
指の隙間から漏れる牧の肯定に仙道は無言で肩を寄せた。
そのまま暫くの間。二人は全身から湯気を放ち、羞恥で顔も上げられず固まっていた。

ぬるくなったビールをあけた仙道はくしゃみを連発した。牧はソファに置きっぱなしの仙道のパーカーを手渡す。仙道は寒くはないからと丁重に断ったが、強引に肩へかけられた。
「もうこんな時間か……。けどまだ眠くはないだろ?」
壁掛け時計を見上げて呟かれた牧の小さな声は深夜の静けさの中で僅かに響く。
「うん。話、続けますか?」
そんなに話していないつもりだったのに、けっこう時間が過ぎてしまっている。今夜は話しで終わりかなと仙道が諦めかけたところで意外な返事がきた。
「もういい。…わかったから」
頑なに時計の方を向いてこちらを見ようとしない牧の横顔に微妙な変化を見つける。
「そう。……まだ眠くねーんなら、今からアロマタイム再開なんてどう? あ、座椅子は俺だけど。日付変わってるから」
「随分厳密なんだな。……場所は?」
尋ねられて仙道の心臓が小さく跳ねる。
「……あんたのベッド。それか俺の布団」
「お前の部屋にしよう」
仙道へ視線を向けないまま立ち上がり先を行く牧の背を、仙道は期待に満ちた視線で追っていた。


敷きっぱなしの布団を牧は足でぐいっと壁の方へ押しずらした。視線の動きで仙道に壁を指し示す。壁を背に布団の上に座した仙道が腕を広げた。そこへすとんと座ってきた牧を仙道は長い腕で優しく包み込む。
仙道は胸に。牧は背中に、相手の早い鼓動が伝わってくる気がして、冷えてしまっていた体に熱い血が駆け巡る。
「少しこっちに顔をむけて……唇が遠い」
仙道の願いを受けた牧がどこか不安そうに背後の仙道を窺いみてくる。仙道は上体を深く前に沈ませて牧の唇に触れた。軽いキスを何度か落とすと、牧が唇をほどき舌先で仙道の下唇をなぞってきた。
「……平気か?」
仙道の下唇をそっと食んでから離れた、柔らかな厚みの濡れた唇が問うてくる。
その気遣いが仙道の癇に障った。まだ男同士での情事に抵抗があるのはあんたの方だろと喉まで出そうになったが、かろうじて堪える。恋愛における全てにおいて初めての彼は不安なのだから、と。
「足りな過ぎて辛いくらいだよ」
「じゃあ、遠慮なく……」
フッと笑みを漏らした牧は仙道へ向き直ると深く口づけてきた。口腔に訪れた舌は仙道の舌をみつけると甘く絡んでくる。その合間に何度も仙道の上顎や舌の裏も舐めてくるものだから、仙道は粟立つようなざわめくような甘い疼きに驚かされっぱなしだった。ただでさえ少し肉厚な唇は柔らかく、時折絶妙な弾力を孕むから、キス以外のこともさせたくなってしまうほど魅力的な唇だというのに。
(この人、童貞なはずなのに。なんでこんなにキスが上手いんだ?)
このまま主導権を握られたままではキスだけで足腰が立たなくなる。それでは経験者として情けない。
仙道は焦り、牧の口腔へと舌を伸ばすも、スイと顔を離されては耳や頬に口づけを移されてしまう。唇以外に気を取られている隙に、また口腔に忍び込まれて翻弄させられてしまっていた。
唾液でしっとりとした唇。柔らかでとろけそうな粘膜。滑りを帯びた熱い舌。全ての魅力を存分に発揮した唇での愛撫と、至近距離だからこそ感じられる彼独特のセクシーな香りに包まれて仙道は眩暈に襲われる。

キスだけで全身を昂ぶらせられたことなど仙道にとって初めてだった。息まであがっている自分に困惑し、牧を盗み見る。紅潮した頬を冷ましたいかのように呼吸を整える横顔があまりに艶っぽくて、更に動悸が高まり苦しさを覚える。
とうとう仙道は聞くまいと思っていたことを尋ねてしまった。
「牧さん……初めてじゃ、ないでしょ」
「……キスに関しては、まあ。だがかなり昔の話だから、もう初心者みたいなもんだ」
「なにそれ。すっげー騙された。あんた嘘つきだったんだ」
「人聞きの悪いことを。聞かれなかったから言わなかっただけだろ?」
仙道の脳裏に一昨日知ってしまった、牧の宿泊先の嘘がちらりとよぎる。─── 聞いたって嘘をつくくせに。
そこまで思ってふと、どこへ泊まったかは自分から聞いたわけではなく彼から言ったのだと思い至る。本当かともし問うていたら、真実を教えてくれていたのだろうか……。
「おい。何を難しい顔をしてる。他の奴、いや、女か? お前は経験豊富だろうが、そいつらと俺を比べるなよ」
僅かな沈黙を誤解した牧が軽い苛立ちと嫉妬心を覗かせた。初めて見る、試合の時とはまた違う目の色。仙道は一瞬、その瞳に独占欲を感じとり、心臓を掴まれたようなぞくぞくとした喜びに身震いする。
「違うよ。あんた以外に興味なんてない。それに俺だって経験なんてそんなないよ。女ったらしで不真面目な噂が俺にはやたらあるみたいだけどさ」
「お前が不真面目なんかじゃないことや、噂など当てにならんことくらい知ってる。だからこそ、付き合ってきた奴等と比べられたら嫌なんだ」
「比べないよ。比べろって言われたところで比べようがない。だって自分から本気で好きになったのなんてこれが初めてなんだから。それよか昔、あんたに恋人がいたなんて…。自分のこと棚上げすっけど、すげー悔しい…。嫌な…感じしちまう」
己の嫉妬心を晒したことを後悔するように、牧の瞳は鋭さを消した。その分だけ、甘さが滲む。
「お前が思ってるような関係じゃない。気になるなら今度話すよ。今はそれより続き、させてくれ」
お前に触れたくて急いで帰ってきたんだ。
最後の言葉は耳元に内緒話のように囁かれたため、表情は窺えなかった。けれど低い声の湿度だけで、仙道は考えることを放棄させられる。
強く牧を引き寄せながら、仙道は己の上体ごと倒して布団へとなだれ込んだ。

横になった勢いのままに強く抱きしめあいながら深く唇を押し付けあう。僅かな隙間も埋めたいと身を寄せ合えば、相手の汗の香りに嗅覚からも淫らな感覚を増幅させられる。
仙道が横倒しの状態で右脚を牧の腰へ絡ませれば、向かい合う牧の腿が仙道の左の腿に乗せられる。密着した下腹部ではパジャマごしに互いの昂ぶりが重なり合う形となり、同時にびくりと体が竦む。
どちらからともなく腰を蠢かせば、生々しい熱い塊りが擦れる。その度に二人の口から押し殺した甘苦しい呻き声が漏れた。
牧は初めて耳にする仙道の声に煽られながらも、己の漏れる声は隠したくて急いで仙道の唇を塞ぐことを繰り返す。しかしかえって擦り付け刺激を与え合う形となり逆効果となった。
「もう、ダメだ……。恥ずかし、くて、……死にそうだ」
とうとう快楽よりも羞恥に負けた牧は、息も絶え絶えに顔を片手で隠しながら腰を引いた。
「なんで、そんな…恥ずか、しいん、すか」
上がった息そのままに仙道が切れ切れに尋ねる。しかし牧は首を弱く振るだけで返事をよこさない。
「…前と、……もしかして、同じ理由?」
牧がぎゅっと下唇を噛み締め身を硬くした。仙道はそんな牧の辛そうな表情に顔を曇らせる。
何故この人はこんなにも己の口から嬌声が出ることを厭うのだろう。男だからというのが理由であれば、俺だって同じだ。もしかしたら過去に何かあったのだろうかと疑念が湧く。けれど今、昔のことを丁寧に聞き出す余裕など全くない。
「んなの俺だってさっきから、声を我慢なんて全然できてないよ。あんたも聞いてたでしょ。……ここで」
仙道は上半身を起こすと、俯き無防備な牧の耳へと唇を降下させた。
形の良い熱を孕んだ耳全体をねっとりと舐め上げれば、ビクビクと牧の上半身が快感に跳ねる。反応に気を良くした仙道は追い込むように耳の中へ熱い舌をねじ込み、敏感そうな内を舐めまわす。
「や、あ、そんな、─── くうぅっ、っあ!」
強すぎる快感に牧は嬌声を堪えるどころではなく、パジャマの襟元からのぞく鎖骨から耳まで真っ赤に染めて逃げるように身を捩った。しかし逃がす気はない仙道が執拗に追い、耳朶から首筋まで一気に舐め下ろす。
「もう、やめ、あ、あ、やめてくれ、〜〜〜〜苦し、い」
牧は離れようと息も絶え絶えに半身を起こした。仙道の眼前に牧の中心部がさらされる。その部分の布は昂ぶりに濡れ一段濃い色に染まっていた。
無遠慮に見詰める仙道の瞳は欲望に濡れ、喉が大きく上下する。その音を至近距離にある牧の耳が拾う。牧は荒い息を吐きながら僅かに目を瞠った。
「……お前、俺なんかの声……聞いちまっても、興奮できんのかよ」
「当たり前じゃん。あんたの声、すげーエロくて、すげー上がる。腰にビリビリ直結だよ。声だけでこれほど興奮させられるのなんて、あんた以外いない」
だから隠そうとしないで。聞かせてよもっと。俺のために。
身を伸ばし音の無い囁きをひとつひとつ吐息で耳に吹き込めば、牧はまた瞬間的に唇を噛んだ。
しかしすぐに己の唇に当てていた拳をほどいて仙道の首へすがるように抱きついてきた。
「わかった、から。……今度はお前の声を聞かせてくれ」
低音の艶めいた声に耳の中をいやらしく撫でられたように感じ、仙道のうなじが粟立つ。今度は牧の柔らかな唇で耳朶を挟まれ、熱い舌に外耳をぐるりと舐められる。ずぐんと重たい快感が下腹部へ走っているのに、追い討ちをかけるように濡れた厚い舌に耳の穴を先ほどの仕返しとばかりに犯されて、仙道は苦しげに何度も鳴き、悶えた。
「ふっ…ぁ、んう………くっ!」
「……クるな」
たっぷりと濡らされた穴は短い囁きすら愛撫に変換し、口腔まで炭酸を口に含んだ時のようにビリビリと刺激を広げる。
「はぁ……、う…んぅ……。い…今のも、すげーキた。耳もだけど、あんたのエロい声はどれも、クるよ」
「違う。お前の喘ぐ声が俺のココにクる、と言ったんだ」
牧は視線で己の下腹部をさしてから、乱れ落ちた漆黒の前髪を褐色の節ばった長い指でそっとすくいあげた。
仙道は瞳を眇めるように微笑む。
「……あんたのキてるとこ、触りたい」
「なら、一緒に……」
鏡あわせのように相手の体の中心─── 汗と快楽の雫で濡れた布を苦しげに押し上げる塊へと手を伸ばしあう。
灼熱の硬い楔の確かな質感が、羞恥や背徳感などを残す理性を簡単に焼き尽くしていく。
残ったのは歓喜を湛えた実直すぎる欲望だけで。
そこから先は意味を成すような言葉などはどちらからものぼらなかった。
ただただ本能が欲するままに求め、求められる悦びに二人は時を忘れて溺れあった。



*  *  *



仙道は自分で持ってきた麦茶のポットを大降りのコップで二杯一気に飲み干してから、再び横になった。
「ふはーっ。すっごいよかったけど、流石に疲れたね。あ、目ぇ閉じてる。眠い?」
飲み終わったコップを床に置いたままの姿勢で布団にうつ伏せている牧を仙道は覗き込んだ。
「いや……。眠気よりも疲れのせいか、ここら辺がこう……ふわふわして心もとない」
牧はゴロリとだるそうに仰向くと、汗がやっとひいた己の厚い胸板の中央より僅かに下。心臓の部分に牧が手をあててみせた。
「夢みたいな気ぃする?」
「……夢のようだ、と言いたいとこだが。こんなハードな夢などあってたまるか、って感じだな」
「夢だったら朝、パンツガビガビ?」
「お前はたまに、ガキみたいなことを言うな」
ギューッと耳をきつく引っ張られて、仙道は笑顔のまま、痛い痛いと大げさに嫌がってみせた。照れ隠しなのはわかるがもう少し言い方を考えろ、いい男が台無しだぞと牧も笑った。

ふざけ終え、全てにおいて満ち足りた仙道の口からは、深い吐息と共に余計な一言がついてきてしまった。
「あー……こうしてっと不安だったなんて嘘みてー…」
「不安? お前が何を不安に思うことがあった?」
頬を硬い指先でそっと撫でられるこそばゆさに仙道は首をすくめた。
一瞬迷ったが、彼がどこに泊まっていたかを聞き出すよりも、このけだるく甘い時間を堪能したい。
よって仙道は寝たフリをきめこんだが、牧がそうはさせてくれなかった。
「俺が気になるんだ。聞かせろよ」
「……今夜のあんたは特別聞きたがりだね」
「そう言われちゃ黙るしかないが…」
瞼を開いて隣で頬杖をついた端正な横顔を見詰める。このままキスで唇を塞げばあきらめて流されてくれそうに見える。けれど沈殿した淋しさは消えずに残るはず。うやむやのまま沈殿させていた不安というものは、先ほどの自分ように、時を選ばずポカリと浮かんで口を割らせるものだ。
「…もう不安じゃないよ。俺が気をつければ今後はおきないことだと思うから」
そう切り出した仙道は昨夜、西内が仙道の前に現れたところから説明をはじめた。

仙道の説明の間、牧は何度も口を開きかけた。しかし話が終わるまで口を挟むことはなかった。
「……今となってはさ。西内さんが言ったように、深い意味とかねーんだろうなってわかってるよ」
照れくさそうに眉を曲げて口元で笑みをつくる仙道へ牧は頭を下げた。
「悪かった。あの時の俺は思い出すだけでも馬鹿過ぎて情けなさ過ぎて……殴り倒してやりてぇよ」
「いやいや、んなことされたら嫌だから、俺が」
「深い意味などは全くなかったよ。神の家に泊まることになった経緯を携帯で打つのが面倒で、松井にしただけなんだ。今時期なら松井は出稼ぎでいないから、海辺で偶然会うこともないだろうってだけで」
本当にすまなかった……と頭を垂れた牧の肩を仙道はがっしりと掴んだ。
強い力に驚き、牧は仙道の顔を改めて凝視した。
「“神の家”ってなんすか。神って、元海南附属の耳がデカイ主将すよね」
先ほどまでの穏やかさが消えている仙道に牧は内心戸惑いつつも頷いた。
「そうだ。今、奴は実家から大学に通っていて、先日は練習試合の」
「なんで? なんであいつに頼ったんすか。あんたなら他に泊めてくれるダチはいっぱいいんでしょ。サーフィン仲間以外にだって」
牧の言葉を遮り疑問をぶつけてくる仙道の指が牧の肩に食い込んでいく。
「仙道、痛い。神を頼ればあいつと同学年のお前には面白くないだろうとは、あの時の馬鹿な俺でも気付けていた。だからなおさら、詳細を打たなければいけなくなるとも思ってやめたんだ」
お前も知ってるだろう?、俺が携帯メールを打つのが苦手なことは。長文打ってる最中にミスって全消ししたり、打ち直す途中で面倒になってメール自体をやめちまう俺を知ってるだろうが。
そう続けた牧へ仙道は酷く嫌そうな顔をした。それでも指先の力は少し弛められたけれど。
「…神の家でなにかされませんでしたか? まさか同室で寝たとかじゃないすよね?」
「お礼参りを受けるような間柄ではないぞ? 俺は後輩に暴力や暴言などはしてこなかったつもりだ。拳骨は落としたが、それは指導の一環で。誓っていじめとかではないし、それは皆もわかっていたはずだ」
「んなの言われなくたって俺だってわかってます」
「神の家では客としてもてなされた。突然の来訪だというのにご家族にもよくして頂いた。神の部屋に布団を敷いて…あ、すまなかった。俺だけ温かい家庭料理をご馳走になっていたんだよ。お前は味気ないコンビに弁当を一人で食ってたっていうのに」
悪かった…とまたも頭を下げた牧の頭上に仙道の叫びが響く。
「俺は、んなことを聞きたいんじゃないっ! ああもうっ、これこそが噛み合ってないっつーんですよ!!」
突如膝立ちになり頭を抱えた仙道が天井に吼えている間。牧は露わになった仙道の股間に慌てて、赤面した顔を背けつつもブランケットを乱暴に仙道の腰へ巻きつけていた。

牧がひとしきり説明を終えた後も、まだ仙道は渋面を崩さなかった。
「だから……一人で美味い飯食ったり深夜まで飲み遊んで悪かったって、何度も謝ってるだろ。機嫌なおしてくれよ〜。今度お前も飲みに誘ってやるし、俺が奢るから」
「だからさっきから、んなこた俺は怒ってないし頼んでないって散々言ってんでしょ」
こ、怖ぇ……と牧が口角を下げてぼやいたが、仙道は無視した。

仙道が陵南高校に入学して初めての海南との練習試合終了後。牧が落としたタオルを神が拾った場面に仙道は偶然出くわした。背後数メートルの斜め角に仙道がいることを知らない神は、廊下に自分一人と思っていたのだろう。拾ったタオルを大事そうに見詰めたあとで顔を埋めていた。女性的なまでに白い肌を大きな耳どころか細長い首までも赤く染めて。仙道がまだかよ…向こうにあるトイレに行けねぇじゃんと苛つきだした頃。漸く神は顔をあげると首を激しく左右に振ってから走り去った。
それからは練習試合や何かで牧と神をみつけると、仙道はつい神を目で追うことが増えた。そして知った。神が本気で牧を好きで、それを本人に悟らせまいとしていることを。
そのことを今、ここで牧へ教えるのは簡単だ。教えて、神に近付けさせないよう言い含めることも。
けれどこの恋愛感情にとことん鈍い人には余計な情報を与えて変に意識させないほうがいい。それに……神の二年に及ぶ忍耐を。いや、もしかしたら今なお続いているかもしれない秘めたる想いを、半年程度で彼を手に入れた自分が伝えるのは流石に傲慢な気がした。

「……もう、嘘ついたりしねーで下さいね。俺、すげー淋しくてショックだったから」
苦笑を交じえたことで許されたと思ったのだろう、牧は少し明るい顔で頷いた。
「今度似たようなことがあったら、メールじゃなく電話で説明する」
「や、二度も家出されたら困るから」
「そうだな」
「全くです。これからはもう、他の男の部屋に泊まっちゃだめですよ」
「あ。わかったぞ。お前、神と俺になにかとか考えたのか? 馬鹿だなあ、あるわけないだろ!」
笑いながらぐりぐりと仙道の頭を撫でてくる牧に、仙道は口元を曲げたままされるがままになっていた。
暫くして牧の手の動きが止まった。そのまま仙道の頭に牧の頬が添えられる。
「……お前は美形な上に性格も対応も優しいから、お前にその気がなくとも相手が勝手に惚れるだろうから。泊まる相手は極力選んでくれよ」
「俺の心配は無用だよ。俺にはあんたしかいらないんだから」
牧の腕を抱きしめてくる腕の力が強まる。
「俺だって同じだよ……」
先ほど肩を掴まれた時の痛みを思い出した牧は、もうこいつに嘘だけはつかないと胸の裡で誓いつつ。瞼を閉じて仙道の髪に口付けた。



*  *  *  *  *



半年以上も一緒に暮らしてきたのに、ひとつの布団で一緒に朝を迎えたのは初めてだった。
お互いに下着一枚のまま、おはようと布団の中で挨拶を交わすのが気恥ずかしい。
照れを払拭したくて、二人はどちらからともなく起き上がった。仙道は足元に散る昨夜の余韻をゴミ箱へ入れ、牧は窓を開けて湿度の高い空気を冷たい清浄な空気と入れ替える。
冷た過ぎる空気に身震いをした二人は、慌てるように急いで着替えをはじめた。

「二年とか…。一緒にいる期間に定めがない関係になれたんだよね」
唐突な仙道の呟きに牧は窓を閉めて振り返る。
「先走って一人でそう思い込んで舞い上がったこともあったけど。今は……比べもんになんねーくらい、すげー浮かれてる。こう、静かに沸々と…つーかね」
布団を足で壁際へ押し付けている仙道の背を牧は息を潜めるように見詰めた。
「二年後とかその先とかも。今度は一緒に、どうしたらこれからも二人で過ごせるかを……その方法を探すのに理由がいらないって、いいよね」
照れ隠しなのか、最後だけ少し大きな声できっぱりと言った仙道がやっと振り向いた。朝の日差しがはにかんだ頬を照らす。
牧は胸一杯に満ちる温かな感情に目を細めて頷いた。
「……いいな、すごく」
「ね」
牧は腕を伸ばして、光を弾いているように感じる仙道の頬へ触れた。
「腹、減ったね。朝飯一緒に作りましょーや。基本、あんたの飯が好きだけど、あんたと一緒に作って食べんのも好きなんだ」
そっと触れている牧の手へ仙道が猫のように頬を少し強く摺り寄せて、続ける。
「冷蔵庫になにが残ってたかな…。 そういやまた一週間分、買い出し行かねーと」
「今夜、車で少し遠いスーパーにでも行こう。明日は俺、午後も用事があるんだ」
「明日の昼からでいいなら、俺、部活の帰りにいつもんトコ寄って来るよ?」
「俺も一緒に行きたい。お前とスーパーに行くのは好きだ」
仙道の頬を軽く撫で下ろすと、牧は着替えのために自分の部屋へ足を向けた。
それを仙道の驚きを含んだ声が止める。
「……牧さん、たった一日で随分変わった」
なんのことかと牧が肩越しに訝しげな視線をよこす。
「気持ちを言葉にするのが突然上手くなった気ぃする」
「そうか?」
「うん。……決めた。俺、もっとあんたに毎日“好き”って沢山言うことにする」
「何を唐突に。外人かよ」
「そんなん関係ない。なんかわかったんだ、今。俺、牧さんの口から“好き”って言葉が出てくるのが、すげー好きなんだよ。昨日も、その前も。なんか、ぶわーっとくんの。この辺りが」
仙道は自分の胸から腹にかけて手でさっと撫でおろしてみせた。
「……そりゃどーも」
「うん。あとね、俺はあんたに好きだって伝えるとさ、なんか自然と顔が笑うんだよ。嬉しいし楽しい感じが自分の中で倍増すんの。…今まで何でこんなに口にして気持ちが良い言葉を言わずにきたんだろ。言われるあんたもまんざらでもないみたいなのにさぁ」
「まんざらでもないって……そんなの、俺だって嬉しいに決まってるだろ」
まだ素直に喜びを表現しきれずに困り顔の牧へ仙道は悪戯っぽく口角を上げてみせる。
「自惚れかもしんねーけど。牧さんがたった一日で変わったのって、俺も牧さんも口にできたからじゃないかと思ったんだ。ホントは今までだってそれぞれで好きだと思ってきたけど、伝わってなかったり、伝わっててもどっか自信なかったりでさ。すげー損してたよね?」
「まあ…そうだな。余計な取り越し苦労は嫌ってほどしたかな」
牧の返事を受け、仙道は得意満面で軽く胸を反らした。
「考えてること全部言うのは違うけど。言えて幸せ・牧さんも聞いて嬉しいプラスの言葉くらいはね、どんどん言おうと思ってさ」

仙道は鼻歌を歌いながらバッグから財布を取り出す。その横で牧が首を僅かに傾けて言った。
「……そう出来れば理想だが。なかなか簡単にはいかないと思うぞ?」
「いーんだ、俺がしたいだけなんだから。牧さんは気にしないで。あ、けど聞いてるうちに牧さんも抵抗なく言えるようになってくれんのは大歓迎。だってさ、そんな言葉が溢れる生活って豊かじゃん? 俺ね、牧さんとは今までよりも、もっともっといー感じで末長〜く暮らしていきたいんだ」
って、ちょっと気が早い話ばっか昨日からしてるね、俺。浮かれ過ぎてるからかな? 
立ち上がり、喋り続ける仙道の耳がじわじわと赤くなっていく。
「ありがとう」
「え? あ、いや、別に礼言われるようなことじゃなくて。ただの宣言? って、んな大げさなことでもないか。思いつき発表? あーえー…っと。あははは!」
いよいよ頬も耳も朱に染まってしまった仙道を牧は強く引き寄せて腕に収めた。
「俺も、お前のようないい男になれるよう努力する」
「や、そんな。牧さんの方が断然いい男だから、そのまんまで十分! つか、それ以上格好良くなられちゃ困るって俺が」
「言葉を惜しまないお前に、俺も倣うことにするよ」
「もー牧さんったら……。うう……もしかして俺、今、すげー汗臭くね?」
「お前の汗の香りも好きだぞ?」
額に汗まで浮かべだした仙道に牧はクッと楽しそうに片側の口角を上げた。
「!? 変だと思ったんだ! あーもー、やっぱからかってたんだ。チクショウ、悪ぃ人だなあ!」
照れて牧の両肩を掴んでぐいっと引き離すと、仙道はフンッと顔を背けて前髪を邪魔そうにかき上げた。
牧は笑いながら仙道の肩をポンと軽く叩いて通り過ぎざま。
「好きな奴と一緒に暮らせるというのはいいもんだな。日々何かしら楽しさがある」
心底楽しそうな響きの中に少しの照れが含まれた声音が仙道の頬を掠めていった。
一人部屋へ残された仙道はゆっくりと己の胃の辺りへ両手を添える。金の雫に胃の辺りが温かく満たされるような感覚。
仙道はため息とともに小さく囁いた。
「俺、今でもじゅーぶん、困っちまうくらいに牧さんが好きだ……」


俺の母親は何度も俺に言っていた。好きな人をみつけなさい、と。あの頃はノロケくだらねーくらいに流していた。けれど多分母は知っていたのだ。ひとりで生きていくよりも、母似の息子は好きな誰かと生きていくのが必要な性質だって。だからあれほど何かにつけて言っていたのだろう。
女の子と付き合っていた時も、部活の団体行動も。それなりに我慢して合わせながらも、ずっとどこか一匹狼的な気でいた。特別嫌いな奴もいなけりゃ特別好きな人もいない。それが楽で自分には向いてると思ってきた。
けれど今ならわかる。彼を見つけて、惹かれあえてよかったのだ。そうでなけりゃ、彼と暮らしてからの自分の変化─── 成長に説明がつかない。成長したから、わかるんだ。ちょっと前までの自分は実は淋しいガキで、けっこうろくでもなかったことを。
二度目の指輪を買う時に、自分の残りの長い人生を初めて意識した。
今まで生きてきた年月よりも何倍も長い年月を彼と生きていくと決めたから。
彼には今後絶対、愛情表現を遠慮しない。笑顔だって大盤振る舞い。
値がちょっとくらい減ったったかまわない。軽くていいから数え切れないほどの溢れる愛に身も心も浸らせたい。
例えば涙がでるような値の深〜い「愛してる」でも一生に数えきれるだけなんて、俺には物足りない。バカみたいにうんと言い合って笑い合っていきたいんだよ。
それに塵も積もれば山になるみたいに、長い年月の間に軽い愛だって積もり積もれば重さも深さもすっごいことになると思うからさ。
なんて。こんな風に考えるようになった自分を、彼に出会う前の薄っぺらい自分に教えてやりたい。色ボケでお目出度くなっちまったなと流されそうだけどさ。─── あれ? これって母が俺にしてきたことと一緒? ……まいったなぁ。暫く会いたくねーや。


階下から朝食もまだなのに、もう洗濯機をまわす音が聞こえ始めた。仙道は床を見回す。
昨夜、情事の最中に蹴り飛ばしてしまったティッシュBOX。部屋の隅まで取りに立ち上がるのももどかしく、脱ぎ散らかしたパジャマで二人分の吐精を何度もぬぐった。そのパジャマがいつの間にか、ない。
「……もしかして、俺が寝てる間に洗濯機に突っ込んだ?」
深夜暗がりの中、仙道を起こさないように。パンツ一丁の姿でコソコソとパジャマを拾い集め、湿り気と臭いに微妙な顔をしながら洗濯機へ向かう牧の姿が仙道の脳裏に浮かぶ。
笑いたいような恥ずかしいような楽しいような困っちゃうような。頬の筋肉が戸惑ってぴくぴくと痙攣する。
その両頬を仙道は勢いよくごしごしと擦っていると、廊下に牧の声が響いた。
「おーい、さっさと下りてこいよ。飯作ろうぜー」
「はぁーい!」
仙道は元気よく急いで階段を駆け下りていった。



















*end*







単一タイトル物では一番の長編となりました。最後までお付き合い下さり感謝ですv
ゆっくりと芽生え自覚し育つ恋。そんな贅沢な恋を十分な話数を使って書けて楽しかったです♪
  英語タイトルの訳は「きっとうまくいくさ」です。二人はきっとこの先もうまくやっていけることでしょう。



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