紫陽花 |
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駅の南出口からは快晴とまではいかないが、白い空に包まれた白けた街並みが広がっていた。 降車するまで車窓に流れる濃い灰色の街と窓に伝う雨水の筋を眺めていただけに、仙道は目の前の景色にぽかりと口を開ける。 「晴れてんじゃん」 電車から降りてキオスクで買物をした程度の僅かな時間で、世界は変わっていた───。 というほど大げさなことではない。今時期は降ったりやんだりと天気はコロコロと変わる。多分この晴れ間だってそう長くは続かないだろう。降ってはいないが、すっきりとした青空とは程遠い。 それでも今この瞬間。売店の傘よりも飲み物とフリスクを買った自分の選択が当たりな気がして気分が良いのだから不思議なものだ。 白いタブレットを三粒口に放り込み、鼻歌交じりに足取りも軽く階段を下る。 「仙道!」 こんなところで聞けるはずもない声に呼ばれて仙道の足が止まった。 急ぎ振り返れば、少し離れたベンチに座る制服姿の恋人が傘を持っていない方の手を小さく上げているのが見えた。 「牧さん?!」 姿を視認してもなお疑問形で名を呼ぶ仙道に、牧は立ち上がると白い歯をこぼし頷いた。 * * * * * お互い目的も行き先も違うため、そう長くは一緒にいられない。 それでも文字でしか会えなかった数週間を思えば、この偶然の短い逢瀬は超絶ラッキー以外の何物でもない。 「今日はすっげーついてるな〜俺」 「それ言うのこれで三回目だぞ」 「だって傘買ってさしてたら、牧さんが俺に気付かなくて声かけてくれなかったかもしんねーじゃん」 「気付くって、こんなデカイ男。まったく、この会話も二回目だからな。どんだけ浮かれてんだよ」 白く煙るようにぼやけた景色の中で、隣で目を細める恋人だけがくっきりと色鮮やかで美しい。 仙道は予想外の幸せに、有頂天が収まらない。 それでも欲望というのはひとつ叶えばひとつ新たに生まれるもので。 バス停の横に立ち、穏やかに話す彼の精悍な横顔に見惚れているうちに、ぽろりと欲がまろび出る。 「あとはキスが出来たら完璧なんだけどな」 牧の片眉がぴくりと撥ねあがる。仙道が大好きな、牧の目尻の黒子も一緒に。 「……お前、全然人の話を聞いてねぇな?」 「聞いてるよ? 高頭監督の代理なんて俺じゃなくて他の奴でいーし、今のご時世わざわざ足運ばせなくても挨拶はSkypeで。小荷物は配達記録付き郵便でいーじゃね? そんな時間があったら仙道君とイチャイチャしたいぜって話でしょ?」 「滅茶苦茶だ」 お前にまとめさせると半分くらいは勝手な与太話になるな、と呆れ顔で笑いながら牧は腕時計に目をやった。 顔をあげると、バスが来るのを目視しようとしているのか、牧は周囲を見渡している。 「もう来そう? あと何分?」 「あと五分くらい。……なあ、あそこに咲いてるアジサイ、凄いな」 褐色の指先が示す先。道路を挟んだ高架下付近にはアジサイが群生していた。 「そっすね」 「見に行こうぜ」 確かにボコボコ山盛りで咲いてはいるが、今まさに二人で立っている歩道の植樹帯にも桃色のアジサイが。少ないとはいえ咲いている。色違いをわざわざ見にいこうと思うほどに、彼がそんなにこの花を好きとは知らなかった。 対する自分は全く興味はなかったが、彼が見たいのなら「(なんだって)いっすよ」と即答していた。 水色が多目だが紫のも混じっている。景気よく咲いているせいか、珍しくもない花でもこうしてじっくり見れば立派なものだ。 「アジサイの色は土壌のphで変わるって………牧さん?」 隣に人の気配がないため、仙道は振り向いた。牧は花が咲いていない、少し奥の高架下で肩からバッグを下ろしている。 ちょいちょいと手招きされて仙道が首を傾げながらも隣へ駆け寄ると、牧は傘を広げた。 雨も降っていない。おまけに高架下。 意図が読めずに怪訝な顔で見返してくる仙道へ牧は苦々しげに下唇を噛んでから口を開いた。 「鈍いぞ。完璧にしたいんだろ?」 照れ屋の恋人の渋面は言っている間にみるみると赤みを帯びていく。 今日という日をパーフェクトにするべく、仙道は褐色のうなじに腕を回し、しっとりと濡れた柔かな花弁を存分に味わうことにした。
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実は仙道が使ってる駅を牧も使う用事が急きょ決まって。 |