花より昼寝


 建物を照らす光はほんのりと黄色味を帯びだしているが、まだ空は澄んだ水色を保っている。柔らかな風を頬に受けて、牧は日が長くなったと実感する。
 どうということのない住宅街の風景しかこの部屋からは見えない。それでも庭木の細い桜がじわじわと成長したおかげで、カーテンを逆側に寄せれば、春にはこうして窓からほんの少しだけ桜が見れる。
 しかし来年の春はここで一人ぼんやりと、桜や春の空を眺めることはないのだろう。日が傾いてゆくのを何もせず眺めているような、ささやかな余裕も。
 再びこの部屋で桜を見られる頃には、記憶に残る室内の面影は全く残ってはいないはず。自分の居場所もこの家にはなくなり、客とはいわぬまでも所在なく“滞在”するような感じになるのだろう。数年前、同じようにこの家を出た姉のように。
「……らしくもないことを」
 引っ越しを三日後に控え、少々感傷に傾いた思考を牧は苦笑と共に一蹴した。

 窓を閉めて自室に向き直れば、光に慣れていた目はがらんとした空間を暗く寒々しいものとして映し出す。つられるように牧の顔も僅かに曇る。
 ダンボール箱に詰めた荷物はほぼ、新居へ運んだ。残っている少々の家具と二箱の封をしていないダンボールなどは引っ越し当日に軽トラで運ぶので、もう準備はほぼ終了といって良かった。
「することがない……」
 殺風景な部屋にいては気も晴れず、暇を持て余した牧はランニングにでも出ようかと一瞬考える。しかし出している衣類が少ないのと洗濯の手間を考えてしまい、再びデスクに頬杖をついて窓を開けた。


*  *  *  *  *


 雲の流れをただ目で追っていたら玄関の呼び鈴が鳴った。
 家人が不在なので気兼ねなく足音を鳴らして一気に階段を降り、インターフォンの受話器を持ち上げる。
「はい」
『ちわー』
 声に驚き画面を見ると、高身長のせいでカメラに近過ぎたのだろう画面いっぱいに仙道の笑顔が写っていた。

 居間のソファに仙道を座らせ、牧はガラスのコップになみなみとペットボトルから黒烏龍茶を注ぐ。
「荷詰めの手伝いなどいらんと言ったろ。もう終わったようなものだぞ?」
「うん。そっちは心配してない」
 会釈をしながら受け取った冷たいお茶を一気に半分まで飲み干した仙道は大きく息を吐いた。
「なら何を心配してわざわざ来たんだ、しかも発泡酒なんぞ持参で」
「DVDもレンタルしてきましたよ。あと、つまみにサラダ煎餅も」
 ますます仙道の意図が読めず、牧は首を傾げる。
「今日と明日はご両親不在って言ってたから、飲んでも平気かなーって」
「まあそれは……。お前って酒好きだったのか?」
「わかんねー。未成年だもん、そんな飲む機会ねーし。牧さんもでしょ?」
 わかっているなら何故持参してきたと顔に出ていたのだろう。仙道は頷いて人差し指を天井に向けてにこりと微笑んだ。
「練習しといた方がいんじゃねーかなって」

 カーペットを捨ててしまったせいで侘しさが倍増した部屋へ通せば、仙道は軽く息を吐くように笑った。
「随分と殺風景すね。もっとダン箱だらけかと思ってた」
「運転ついでに運んでたんだ」
「だーからぁ〜、その助手席に俺をいつになったら乗せてくれるんすかぁ」
「お前は一番最後」
「なんで? 普通は恋人を一番に乗せたいもんじゃねーの?」
 牧は軽くおどけるように肩をすくめてみせただけで、ベッドへ腰を下ろす。
 仙道はさして不満そうでもない顔で、ベッドを背もたれにして床へ座った。
 頭髪を逆立てた独特の髪型を後ろから眺めながら、牧は心の中で思いを新たにする。
 一番大事だから、運転に自信がしっかり持てるまでは乗せない。それと駐車がもっと早くスムーズに出来るまでは。万が一にも事故で怪我など負わせたくないのと、恋人の前で格好をつけたい自分の小さな見栄だ。
 しかし自分の慎重過ぎて臆病ともいえる考えや見栄で我慢を強いているのは悪い気もするため、牧は機嫌を窺うように少し声を潜める。
「散々言ってるが、乗せたくないわけじゃないぞ」
 長い首を捻ってちろりと視線をこちらに寄越した仙道が小さく頷く。
「わかってますよ」
 考えを見透かされているようなきまり悪さに、牧は仙道の後頭部をわさわさと乱暴に指で撫でおろした。


 仙道が借りてきたDVDを流し見しながら、二人はちびちびと慣れない発泡酒を飲んだ。つまみはサラダ煎餅と、冷蔵庫を漁って出てきたチーズかまぼこ。こんなものでいいのかも、酒に合っているのかもわからずに、ただ飲んでは食べるを交互に繰り返す。
 ほどなく「制服脱ぎてー。牧さん、なんか楽な服貸してよ」と、まだ発泡酒を一缶飲み終えたばかりの仙道が、少しとろんとした目で言ってきた。
「そんなの寝間着がわりのスウェットくらいしか残っていない」と牧が返せば、「それサイコー。牧さんも着替えちゃったらいーよ」と仙道は豪快に脱ぎ始める。
 牧は「酔っ払いめ……」と空になった缶を部屋の隅に寄せると、ダンボールから洗濯済みの衣類を引っ張り出した。

 やたら陰鬱な画面が続く洋画は待てども全く面白くなる気配もない。
「どうしてこれを借りたんだ?」
「なんかタイトルだけ聞いたことがあったから。それに準新作の棚にあったから?」
 仙道は眠そうに目元を擦って欠伸と一緒に返してきた。
 全く真面目に選んでないのがよくわかる返答に、ただダラダラと流し観るために借りたと言われたような気がした。
 笑えるものやしんみりしたものをあえて避け、静かで負担にならないだけの映画を選ぶ。仙道のこういう選択の上手さに時折、少々驚かされる。確かに今の俺達に丁度いいものだと、牧はアルコールで少々ぼんやりしてきた頭で眺め見る。

 ほとんど内容が頭に入っていないながらも、ここはこの映画の山場ではなかろうかと感じられた頃。牧の項から肩にずしりと重みが加わった。

「仙道? おい、まさか寝たのか?」
「…………ん………」
「せーんーどーうーくーん………お前が借りてきたくせに、寝るなよ」
「…………」
「……そんなに眠いなら、今夜はしないで早く寝るぞ?」
「起きてます。ちっとも眠くねーす」
 目を瞑ったままでキッパリと言うものだから、「そんなにしたいか」と牧は思わず笑ってしまった。
「あんたの気分次第だけど。つか、牧さんからそういうこと言うのに驚いた」
「まあ、暫くは会えないからな」
 長い腕が牧の肩を抱いた。伝わってくる高い体温に仙道の眠気が感じられる。
「明るいうちは嫌なんでしょ。なら昼寝しよ? 一緒に」
「ひるね……」
 軽やかな響きが急に魅力的に思えてくる。─── こいつと、ひるね。
 仙道は緩慢な動きで立ち上がるとベッドへどさりと倒れ込んだ。隣のスペースを手でぽんぽんと叩いて、来いと促してくる。
 牧がベッドへゆっくり乗り上がると、せかすように腕を引かれて寝かされた。
 体がびっくりするほど重力に従順になって沈み込み、牧は僅かに驚く。
 影ってきた日差しの弱さと腹の上に乗せられた仙道の腕の重みとぬくもりが、ことのほか心地よい。
「…………あー……」
 思わず深い吐息と一緒に声が漏れ出てしまった。
「いいでしょ。軽く飲んで昼寝」
「経験者か」
「牧さんも顔に出ないタイプなんだね」
「さあ。二本以上飲んだことがない」
「俺も」
「嘘だな」
 仙道が軽く微笑む。顔には出ていなくても、あまり酒に強い方ではないように感じる。
 そんな恋人が新鮮で、もう少し飲ませて変化を見たいと悪趣味にも思ってしまう程度には。自分も酔っているのだろうと、牧もまた片笑んだ。

 ほろ酔いで横になり、相手の体温を感じながら交わすたわいもない会話は多幸感と眠気を連れてくるようだ。
 牧はこのまま眠れればさぞかし気持ちがいいだろうと寝返りを打ち、仙道へ背を向けた。
 その背へ仙道がくっついてくる。
「あんたがガチで酔ってるとこ、見ておきたかったのに。金が足りなかった」
 仙道が零した不満が意外で、牧は瞑っていた瞼を開く。
「そんな理由で買ってきたのか……」
 住み慣れた街や家を去る淋しさに気を取られて、置いていかれる恋人が淋しさや、思いもよらない不安を抱えていたことに気付けなかった鈍い俺に。どう伝えればいいのか悩んだはず。
 その末が今日の行動としたならば。随分と申し訳ないことをしたと思うと同時に、新たな愛しさが生まれる。

 もう一度寝返りを打って仙道へ向き直ると、牧は仙道の頭を抱えるように抱きしめた。
「大学入ったってそんな酔い潰れるほど飲まねぇよ。それこそまだ未成年なんだし」
「…………合コンの時だけでいいから、深酒しねーで下さい」
 とても小さな呟きは腕の中で燃えるように熱い。
 弱さを晒した己が恥ずかしいのか、それとも悔しいのかはわからない。とにかく酔いではない熱を帯びた仙道が可愛過ぎて、平静な顔を保つのが辛くて困る。
「そんなのに出るわけないだろ。第一、俺なんぞ誘われない。無用な心配だ」
 熱い両手で突っぱねて、牧の腕から逃げた仙道は壁の方へ向いてしまった。
「何言ってんだ俺。やっぱ酔ってる。ホント酒なんてろくなもんじゃねぇや。ごめん、忘れて。もう寝よ。おやすみ」
 広いがまだ厚みが少し足りない仙道の背中へ返す。
「何も悪く何てないさ。おやすみ」
 視界が揺らめき、いよいよ重くなってきた瞼に耐え切れずに牧は目を瞑る。
「……ゴールデンウィークには、車で迎えに行くよ」
 話しながらも目の奥で思考が急速にぼやけていく。
「何、急に?」
 仙道の返事が遠く聞こえる。
「見せてやるよ」
「何を?」
「…………格好悪い…………だいじょう…ぶ……」
「話が見えないんすけど。牧さん? ……牧さん寝たの?」

 年がひとつ違うことも、歩む道が徐々に別れていくことも。不安を抱かせる原因の全ては変えられない現実だ。だから好きだと何度言葉で伝えたところで、淋しさや不安を消してやれはしないだろうから。
 連れ出してやろう、助手席に乗せて。綺麗な景色や奇妙な景観、なんでもどこでもいいから連れて行く。一緒に見て、食って、笑う。そういった二人の思い出が増えるに比例して、不安に揺らぐ気持ちは減らせるはずだ。

 空白にいよいよ霞みゆく牧の頭の中に、柔かな囁きが舞い込む。
「桜は夜に。この部屋では最初で最後の花見をしましょうや」
 この部屋から僅かばかりに見えることを、いつ教えたかも忘れてしまっていた。
 夜にこいつとこの部屋で花見をするという約束は、淡く優しい桜の蜜のようだ。

 牧は頬をほころばせて眠りについた。













* end *







綿やシルクのパジャマは疲れが取れるし眠りにも良いため、私はパジャマ派。
だから二人には自然と綿パジャマを着せて(絵でもドールでも)いたのですが。
やっぱり若い頃は面倒くさがったり、疲れの取れ方の違いとか気にしないで
スウェットとか着て寝てたりもするのかなーと思って。
その姿を想像していくうちに、「色違いの無地のスウェット上下という微妙に
ダサい姿の二人が見たいな〜」なんて思い至ったらつい描いてました(笑)

言うまでもなく設定は捏造でーす。牧に姉がいても面白いかなーなんて。
牧はきっと最短コースで免許取得したと思います。運転も駐車も
若葉マークにしては上手いのに実は自信がないとか、可愛いですよね〜v


絵をクリックすると加工前の塗りが見れますよん。
オマケの画像(↓)は、バナー用に牧の表情を少し変えたもの。縮小前はこのサイズでした。




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