You're the one.


 金曜の晩に預かった猫は家具の隙間に隠れたまま。就寝時刻になっても俺達の前に姿を見せはしなかった。
「餌にも手を付けないか……。まあ、今夜は仕方ないか」
「腹も減ってないんだよきっと。重谷さんが夕方におやつ食わせたって言ってたんでしょ?」
「……そうだな」
 小さく呟くと、牧さんは餌と水がそのまま残った皿を台所へ引き上げた。
 その背中が少し丸くなっているようで、俺は下唇を噛んだ。

 牧さんの同僚である重谷さんの出張期間は一週間と聞いている。
 餌やトイレは俺もきちんと手伝うつもりだ。『断り切れなかった。勝手に引き受けてしまい、すまない』と俺へ頭を下げてくれた牧さんの顔を潰すようなことは絶対にしない。
 けれど、猫が俺達の家に慣れなくても別にかまわない。むしろ、あまり慣れて欲しくない。慣れてくれたって一週間で別れが来るし、猫会いたさに、そう親しくもない重谷さんのところへ俺達が遊びにいくとも思えない。お互いのためにも慣れ合わない方が楽でいいとすら思っていた。


 翌朝。牧さんは出かけるまで、餌と水が見える位置のソファに座りスマホをいじっては、猫が隠れている棚の下をちらちらと見ていた。
 牧さんが不在時に俺は洗濯と掃除機をした。合間に猫のトイレを片付けつつ棚の下へと目をやったが、いるのかいないのかわからないくらいに静かだった。
 用事から帰宅した牧さんと遅めのブランチをとったあと。牧さんは文庫本を読みながら朝と同じことをしていたが、肌寒くなったようだ。いったん部屋へ引っ込むと昨夜着ていた黒いカーディガン姿で出てきてた。出かけるのかなと思ったが、今度は直に床へ腰を下ろして読みだした。

 溜まった録画を一本見終わる頃。ふと牧さんが動いた気配を感じ顔を向けた。猫が棚の下から出てきている。
 文庫本をそっと閉じた彼の腰に体を一度擦り寄せるようにしてから、水の入った入れ物へ向かっていく。
「猫、出てきたね」
「喉が渇いたんだろうな。いい勢いで飲んでる」
 牧さんは嬉しそうに目を細めたが、見上げるように様子をうかがってきた猫へ手を伸ばすことはなく。空になった二枚の皿をそっと下げた。


 日曜日。欠伸をしつつ居間へ入ると、ソファの上にいる猫と目があった。
「……ウンコしたか?」
 当然ながら猫は返事もしないが、逃げも隠れもしない。
 重谷さんの家から持っていた猫トイレを覗くと砂が濡れている。スコップで砂と、その下に隠されている糞を取り出す。
「してんじゃん。健康だな」
 始末をして餌と水を置いてやったが、やはり猫は餌から俺が離れるまでは動くことはなかった。
 少しけだるそうに、のろのろと洗面所から出てきた牧さんはパジャマ姿ではなかった。
「おはよう」
「おはよー。あれ? 牧さん今日も出かけんの?」
 昨日と同じ外出用のカーディガン姿の彼は「出かけない」と素っ気なく返すと、横を通り過ぎていった。俺は首を傾げつつもフライパンに視線を戻した。

 食器を洗い終えた牧さんは、空になっている猫の食事用皿の横へ座った。その背後、少し離れたところから猫が彼を見ている。
「あ」
 つい声が出てしまった。
 後ろから忍び寄った猫が、牧さんの肘と体の隙間に頭を突っ込んで潜り込んだからだ。
 軽やかな動きで、するりと音もなく股座に入り込む。カーディガンをよじのぼる猫の尻に牧さんは手を添える形で猫を抱いた。
「……猫、抱っこされてる」
 見たままを口にした一言に賛同するように頷かれる。
「重谷の家で俺はこいつを一回抱っこしただろ。昨日さ、あの時これを着てたことを思い出したんだ。これを着てたから寄ってきたんじゃないかって」
「あー……そういや、着てたね」
 冬場の外出着によく選ばれている気に入りの一着だ。
「これ着てたら、怖がらないんじゃないかなって」
 猫は牧さんの腕の中で目を閉じ、大きなあくびをひとつ。
「ビンゴだった」
 俺へ首を捻ると、ちょっと得意げな顔をよこしてみせた。

 それからは牧さんは家ではこのカーディガンを毎晩着用した。
 猫は毎晩牧さんの傍か膝の上にいる。俺は毎朝「ウンコしたか?」と猫に問うてはトイレ掃除をした。


 土曜日。夕方には重谷さんが猫を引き取りにやってくる日。
「お前はこのカーディガンが好きだなぁ」
 先週の日曜のように朝から着用した牧さんは、猫を抱いてご満悦だ。
『あーあ、デレデレしちゃって』
 口から出そうになったけれど、喉の奥で止めておく。


 俺は猫がその上着に興味を示して寄っていったわけじゃないと知っている。初面識の相手が着ていた衣類など猫が覚えているはずがない。
「そのカーディガン、この一週間で猫の毛だらけだね」
「あぁ。それにけっこう爪をひっかけられたようでボロボロだ」
「クリーニングにだしても外出用には使えない?」
「すっかり家着だよ」
 文句がましい返答ながらも、牧さんは嬉しそうな顔を崩さない。
 あと半日で別れが来ることを知っているくせに、その微笑みに影は見当たらない。
 幸せそうな一人と一匹を視界から外せば、髪から水滴がぽたりと落ちた。俺はガシガシとタオルで頭を拭いた。

 紙袋いっぱいの土産と引き換えに、猫と猫用トイレと猫の餌袋が我が家から去っていった。
 猫に悪いかもと香辛料の強い料理をこの一週間食べていない。だからというわけではないが、今夜はとびきり辛いカレーを二人で作った。
 どことなく会話が弾まない、物寂しさが漂う食卓ながらも、カレーはスパイシーで美味かった。

「ごちそうさま。う〜、腹いっぱいだー」
「俺も。ごちそうさま」
 席を立った牧さんはちらりと居間の棚のある方を見て、またすぐ視線を戻した。
 見られていたのに気づいた牧さんは、苦笑いを零す。
「猫の所在確認が習慣になってたようだ」
「淋しい?」
「………何事もなく無事に返せてホッとした方が強いかな」
 淋しさを否定しないのが余計に可哀想に感じさせる。
 自分が引き受けたわけではないけれどこういうのはもう嫌だから、次こそは断って欲しいと思ってしまう。

「ありがとうな」
 突然礼を言われて腕を広げられたが、条件反射でその腕に身を預けハグをする。
「毎日、猫のトイレ掃除をさ。あと、ウンコの確認も」
「聞いてたんだ」
 牧は「聞いてた」と笑うと、仙道の頭を撫でながら続ける。
「お前がこういうの……短期預かりが嫌いなのは知ってたのに。今回は悪かったな」
 仙道は驚いて牧の胸元から顔を上げた。
「俺は平気だよ。あんたと違って淋しくなんてねーもん」
 困ったように見つめ返す牧の瞳が『自覚がないのか』と告げている。
「ホントだって。あんたみてーに仲良くやろうだとか、そういう労力最初から割かねーし? あんたじゃん、淋しくなるから苦手なのは」
 大きな温かい手は後頭部や背中を優しく撫で続けている。
 そのゆっくりとした動きやぬくもりが仙道の眉間を徐々に曇らせて、口元を戦慄かせる。
「そうだな」
 一切否定せず、雄弁な瞳を柔らかく細めながら肯定の一言を静かに囁かれて。
 仙道は再び牧の胸元に顔を埋めると、分厚い背中にまわした手に少し力を入れてドンと叩いた。

 鼻の奥がやけにツンと痛む理由は、今だけは考えない。













* end *










タイトル訳は「君がいい」です。らしくても、らしくなくても、君がいい、という感じで。
次があったら、仙道も開き直って我先にと懐かせようとしたら面白いですよね。

今回は猫に再度挑戦。 ↓これは色調変更とぼかす前。

動物は難しい…。でも二度目だから少しは上手く……なってたらいいな;
そうそう。初描き猫はこちらです。牧の顔、少しだけ修正しちゃった☆



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